夏といえば花火。くわえ煙草にビーチサンダル、手にはロケット花火と百円ライター。いい歳をして奇声を発して騒ぐ去年の私達は、夏休みの子供よりもタチの悪いものでした。けれども今年は趣向を変えて、湯上がりに浴衣をまとい、薄化粧に素足の踵。蝋燭から火をもらった線香花火の柳を見つめつつ、夏の宵を楽しんでみたいと思っています。
そこで→『「いき」の構造』九鬼周造 : 荷風などのような江戸に近い人々と違い、そこからもう一つ遠い所にいる私達の世代は、懐古主義に溺れることなく江戸という時代やその風俗を見ることができます。時にはそれはエキゾチックな魅力をさえ持つものとして捉えられます。けれども「いき」という概念は、遠くも近くもなく、わかっているようなわかっていないような、不思議な感覚を私に与えるのです。アイテムを揃えれば「いき」になるのかといえば、どうやらそれも違うようで、とすれば今年の夏は花火の前に考えてみなければならないことがあるようです。夏休みは自らに課題を与えて思索を深める期間である、という前提のもとに「課題図書」があるのだとすれば、私にとっての今年の夏の課題図書は「いき」に関するものであると言えるでしょう。
余談ですが、某文庫のパンダは(もちろん「夏の一冊」として選ばれている本がどのようなものであるかには関係なく)今とても気になるキャラクターの一つです。グッズが当たるということに惹かれて本を購入し、更にそれを読んでみようという人は一体どのくらいいるのでしょうか?
[このページの一番上に戻る]
『かだいとしょとわたし』わかばやしきくこ
このだいめいからわたしがおもいだしたことは、しゅくだいのなかでもとくにきらいなしゅくだいだったなあ、ということです。本をよむのはすきなのに、本をよんでかんそうをかくのはどうしてむずかしいんだろう。いまならすこしは小学校のころより大人になったので、すこしはうんちくでごまかすこともできるようになりました。でも小学生のわたしにはこのしゅくだいはむずかしかったです。よくあとがきをそっくりかきなおして9月1日に学校へもっていきました。先生はこどもがよんだ本をよんでいるのかな。とがめられたことはなかったので、たぶんよんでなかったんじゃないのかな。そこでわたしは “ようりょう”をおぼえたようなきがします。かんがえなおしてみると、そのころのわたしは、ただのまいにちをただ生きているだけのただのこどもだったので、本をよんでなにかをじぶんのなかから生みだすというのはとってもほねがおれたんだよ。そのころのわたしはことばはあたえられているもので、じぶんのことばをもっていなかったのかな。おくてだったのかもしれないね。それにとうげこうのとちゅうずっと本をよんでいるような、友だちのうちにあそびにいってもそのいえの本だなをあさるようなわたしに、よていちょうわであんぜんなぼうけんでかんぜんちょうあくなかだいとしょをいまさらよませるなんて、あんたそりゃこのわたしをなめんてんのふざけんのもいいかげんにしなといいたくなったんだ。それでもちかくのこうみんかんのとしょしつでかりてよんだミヒャエル・エンデの『モモ』はおもしろかったです。 とちゅうで本をよむのをやめられないというおもいをはじめてあじわいました。おもしろい本はじぶんでさがさなくっちゃだめなんだね。本のうみをおよいでわたるんだ。 おわり。
[このページの一番上に戻る]
いいトシした児童たちへ 木村友祐
シンボルとしてのコドモにまだ拘泥しているぼくは、コドモについて何か一語でも発語してしまうと、途端に他の全ての事柄にも言及しなくては済まないような気がして、尻込みしてしまう。コドモがオトナになっていくテーマは、そのまま僕自身のテーマだ。が、しかし、だからこそと言うべきか、生身の子供ほど、ぼくから遠い存在もないだろう。彼らは、ぼくなどが無造作に触れると傷ついてしまう、聖域のようなものだ。彼らに較べると、ぼくの体はもはやサイボーグのそれのように、冷たく、固い。
いかにオトナになるべきかが分からない。ぼくが肌で感じる時代感覚の中心にそれがある。もともとの限定された意味から次第にズレて人口に膾炙していった感のあるTアダルトチルドレンUという言葉の便利な使われ方や、大人が作った世の中を全否定し、敵に回したオウム真理教の事件などもその側面から一つの光を当てられるように思う。もはや何でもアリの、オトナとコドモの境界さえもあいまいとなった今、成長せんとする子供は自ら乗り越えるべき壁を創出するのだ。良くも、悪くも。
そうした文脈の下で、ぼくみたいないいトシした児童達に捧げたいのが「リーラ…!」というタイトルの小説である。夏も遅い沖縄を旅する二十歳の男と、これも本土から何かを抱えて逃げてきた何人かの男女。沖縄という癒しの場で、彼らの融合ではない交錯の関係が、いつしかそれぞれの傷を露呈していくことになるという、愛情と信仰に言及した400枚近い小説である(――て、何のことはない、ぼくが書いたものなのだが)。みんなこう思っているはずなのに、なぜ誰も言わないんだろう?と、そんな思いから出発した小説を書いたんだ。
[このページの一番上に戻る]
夏の課題の回想 大塚真祐子
カーテンが揺れるのを見ていた。レースの合間にくすんだ青空が覗き、裏の竹薮がたわむと波のようなざんという音がした。家族はみな海水浴へ行き、私一人が祖父母の家へ残って白い原稿用紙を広げていた。現代文の課題として出た小説創作が少しも進んでいなかった。私を可愛がってくれ、私の作った拙い童話をよく読んでくれた伯父が使っていたその部屋には棟方志功の彫った花火の版画が飾られていて、その下には庭園を背景にした伯父とその奥さんのポートレイトが立てかけてあった。ちょうどその一年前に行われた伯父の結婚式で私はなぜか祝辞の途中に大泣きをした。今生の別れでなし、おめでたい賑やかな席で泣きたい気持など全くなかったのに気付いたら涙が手品のようにするすると流れてきて何も言えなくなってしまった。私は伯父の部屋で揺れるカーテンを見ていた。「風が動いた。」というフレーズが浮かんだ。
そのとき書き上げた課題小説は冊子に掲載され、私は活字になったことがただ嬉しくて創作への思いを深めた。私は小説を書きつづけ、伯父との交流はふっつり途絶えている。
[このページの一番上に戻る]
今年の夏の課題 寳 洋平
中学や高校の頃は夏にかぎらず課題に満ちていた。
ある時期から課題を馬鹿馬鹿しく思ったが、放棄するという発想はなく、課題をどう面白がるかという事だけ考えながらそれをこなし、学校へ提出した。面白がることはできたが、こなす感じがいつも離れなかった。
今しかできないことをやりなさいと教師は諭し、やらなければいけないことがたくさんあるのと言って、付き合っていた女の子は離れていった。
大学では課題は自分で見つけるものであると教授や学生が言っていた。確かに授業では出されなかった。私は日々の生活や関係や読書やそんなものが重なり合わさって生まれた考えや問いを、私に与えられた課題だと思うようになった。そういう課題はどこから手をつけていいのか全くわからず、課題だけが増えて一向に進まないことが多かった。が没入しはじめると、こなす感じをやすやすと越え、これは自分に課せられた試練であると思い込んだ。するともう抜き差しならなくなった。決めこんでいた高みの見物からひきずりおろされたような具合で、私は態度を改めることになった。
今年、学生として最後の夏休みを迎える。小説の執筆が私の課題である。
[このページの一番上に戻る]