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新潟少女監禁
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「コレクター」

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ヘンリー・ダーガー


「最終兵器彼女」
高橋しん




















フットボール賭博 と 親のすね……
新潟少女監禁事件後に読み直す
『コレクター』
そして
『もしも男に言葉があったら』



 text by 青木KC


 現在の日本において昼間の時間を何にでもあてられる(ありていに言えば何もするべきことがない)二十代後半の若者は、たいして珍しい存在ではない。就職難が口実を与えてくれるが、内心感じているプレッシャーは相当なもののはずだ――本人のみならず、親にとってさえも。まだ日本が飽きるほどには満たされた国でなく、わかりやすい成長目標があった時代に我が子を産んだ父親や母親は、目標が達成された後のビジョンを子らに示す言葉も方法も持たず、自分たちの基準で昔ながらの檄しかとばせない。「せっかく大学まで出してやったのに昼間からぶらぶらしてるなんて世間体が悪い、バイトでもしなさい……」しかし、流行とたいして違わない持続力しかなかったことを露呈してしまった「いい大学=いい会社」幻想のもとで自尊心だけを太らせてしまった息子たちは、現実に触れて「軽く言ってくれるぜ」と悪態をつくしかない。近未来の自分に確実に突きつけられたナイフは求人誌の中の年齢制限。忍び寄る、三十代にして専門職未経験者の、高校生バイトとたいして変わらない時給。自分で起業するだけのアイデアも熱意もなく、企業にちゃんと就職して、肉体的にも精神的にも食いつないでいく道にすがろうとしても、不景気で人件費を削減したがっている企業には、後ろ向きな若者を拾いあげる余裕などない。加算される不採用通知に積み重ねる言い訳は、いい企業に入るためには何社も入社試験を受けてみないと…という苦しいごまかし。親もごまかしにつきあうことで安心しようとする。幸か不幸か、会社のため日本の成長のためと働いてきた、それしか取り柄のない父親の経済力が潤沢で、母親が暴発寸前の焦燥感にかられた息子を、プラス一名の食費と引き換えに(本当は息子の大切なサバイバル能力と引き換えに)さわらぬ神のように甘やかせば、二十代後半無職の危険人物が出来上がる。

 ジョン・ファウルズの小説『コレクター』(1963年)を想起させてやまない、新潟の九年間少女監禁事件の佐藤容疑者もその一例だろう。何度かの就職に失敗したのち、自室に引きこもって親に完全に依存した生活をするなかで、外界との、ごく普通のコミュニケーション能力を退化させていった結果、異性とかかわる手段として、少女を誘拐して一緒に暮らす、という方法しか思いつけなくなってしまったのだ。ところで、どうしてこの種の事件の犯人は男性ばかりなのだろう? その心理のヒントともいえる言葉が『コレクター』のなかにある。誘拐前の主人公の妄想のなかに――
「あの金が手に入らなければ、今でもただの夢にすぎなかったろう。ぼくは彼女のことをよく夢想するのだった。その白昼夢のなかでは、ぼくは小説の主人公のように彼女に出逢い、何かすばらしいことをやって彼女に愛され、しまいにめでたく結婚ということになる」
 彼には、なにげない普段のやりとりから意思を通わせて好感をもつに至るという、人と人とが親密になるための自然なプロセスが身についていない。愛情は何かの達成や仕事に対する「ごほうび」のようにして得られるもの、という観念があるだけだ。そしてこれは、幼いころから社会的成功を価値として植えつけられることが多い男性だれしもに、少なからずはびこる誤認である。
 だから、佐藤容疑者が親のすねをかじって育んだ妄想と同種のものを『コレクター』のフレッドは、フットボール賭博の大穴で大金を手にしたときに抱いてしまったのだ。しかし、フレッドはミランダを誘拐したのち、ごく普通の感覚の持ち主であるミランダの正当な言葉に困惑するばかりだった。

 あなたの命令なら、どんなことでもします。
「私を自由の身にすることだけは別なのね」
 その話はやめましょう。堂々めぐりになります。
「でも、もっぱら私を喜ばすために行動する人なんか、私は尊敬できないわ。正しいと信じたから行動するという人じゃなくちゃ」これはのんびりした会話にきこえるかもしれない。だが彼女はぼくを攻撃する機会を絶えず狙っていて、その針はとつぜん突きささってくるのだった。ぼくは口をつぐんだ。
「私いつまでここにいなきゃならないの」
 分かりません、状況によりけりです。
「私があなたを好きになるかどうかによるわけ?」
 まるでぼくは小言をいわれているようだった。
「もし好きになったとしても、結局、私は死ぬまでここにいるわけね」

 そして「これだけの準備をしておいて、たった一週間しかいてもらえないのでは、あんまりです」と感じてしまう。自分の努力の代償として当然のように愛が得られるものと思っているわけだ。相手の思惑や感情は全く眼中に入っていない。だから「ぼくがお願いしたいのは、あなたに理解していただきたいということです。……自己宣伝はいやだったが、もしほかの男なら彼女をこうして閉じこめておいて、どんなことをするものか、彼女に少しは考えてもらいたかったのだ」―こんな的外れな恩着せがましさまで発露してしまう。自分の元に他人を引き留めておく方法を教わる機会のなかった男の哀しさがここにある。世の中には「男の不器用さ」を魅力と感じる風潮もあるようだが、その内実はかなりあやしいものだ。寡黙な映画俳優としてメディアの向こう側にいるうちはいいが、日常に入り込んだとたんに、フレッドのような言葉の意味が通じない怪物に変貌してしまうかもしれない。

 そんな愚直な男性原理の被害者に救いの道はないのだろうか? 最近NHK出版から出た『もしも男に言葉があったら』が、もしかしたらヒントになるかもしれない。この本には、日常のなにげない会話の中にある男女のすれ違いを、言外の心の動きを付記することによって非常に分かりやすく説明している例がいつくつも掲載されている。

妻「夕食はどこに行く」
夫「〈ミゲル〉にしよう」
妻「〈ピンテメント〉はどう?」
夫「そうだな、じゃ〈ピンテメント〉にするか」
妻「でも、〈ミゲル〉にいきたかったんでしょ?」
夫「いや、いいよ、きみの行きたい店に行こう」 妻「あら、わたしだってあなたの行きたい店にしたいわ」
夫「このままじゃいつまでたっても決まらない。どっちでもいいから決めろよ」
妻「どうしてそうやって怒鳴るの?」
夫「怒鳴ってなんかないさ!」

 どうだろう? 男女ともに、この会話になにか思い当たるフシがあるのではないだろうか? そして、前述の『コレクター』におけるフレッドとミランダの会話も、状況は違えど、どこかしら似た空気をただよわせている。女は選択候補を増やして会話を弾ませようとしつつ、本心を探ろうという心理もある。男は相手の好きにさせようと提案にうなずいたのに、さらに議論をけしかけられたと思い込み、これ以上面倒にならないように口をつぐむようになる。そして悪循環の溝はどこまでも深くなってしまう。
 「We」の親密な交感が、いつのまにか「I」の主導権争いにならないためのコツは、互いの言外の心理を知ることで、不用意にコミュニケーション恐怖症に逃げないことかもしれない。そのためヒントとして『もしも男に言葉があったら』はお薦めの一冊である。

『コレクター』上・下 ジョン・ファウルズ  
白水Uブックス 1984年刊

『もしも男に言葉があったら』サミュエル・シェム/ジャネット・サリー NHK出版 2000.3/25刊




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