MORI HOSPITAL

社団医療法人英静会森病院

                     

         初代院長 森東四郎      二代目院長 森 万亀寿     三代目 森 英亮

                  森 病 院 の 歴 史

 森家の歴史を考えてみた。森家の出身は、何代に亘り幾重にも関係を持っている黒須家と同じ現在の栃木県上三川にある東蓼沼である。

明治維新後、間もなく医師として国家試験に若くして合格した初代森東四朗は、後藤医院(院長は当時、東京市長である)で書生として          

修後、当時の制度に従って医師免許取得した。その後、栃木県行政(医務課)の依頼により明治10年頃関東全域に流行していたコレ  

ラ対策の一員として今市へ派遣され、当時如来寺境内を利用して診療を開始したと伝えられている。当時の資料は、約50年後に発見さ

れた古文書から明らかにされた。その文書によると診療開始は、明治13年6月25日と記載されていた。流行病も沈静化した後、如来 

寺の住職や町内の篤志家の進めもあり、寺に隣接した所へ住居を移した。その後火災に遭い、現在の住居へ転居したが、今だに近隣の方

々への感謝の気持ちは代々云い継がれており、常に肝に銘じている次第である。 

 

 大正12年に第二代目院長となった万亀寿(宇都宮中学を経て、大阪大学医学部卒業)は、昭和10年に開院、50年目を節目に森病院

と改称した。昭和13年、第二代目万亀寿が死去し、昭和16年には、森家三代目として英亮が森病院院長に就いた。昭和29年、森病  

を改組し、社団医療法人英静会森病院と命名した。昭和32年第三代目英亮は、上都賀医師会長に就任し、地域医療の活性化に尽力し

た。特に当時医師会活動の中では、鹿沼の大谷三郎氏、高橋和夫氏、波木一男氏、野田滋行氏、今市の川上稔氏、関根秀雄氏、日光の森   

嶋一郎氏、春雄氏等の先生方と、論議の焦点であった“医療保険問題”を通じて医師会の団結、活力のアップに尽した。昭和32年には  

、近隣郡市内での准看護師不足が深刻化しており、それを解消するため森病院附属准看護婦養成所を開校する。第1回入学生は、11名

足らずであった。昭和37年、県への働きかけのみならず、近隣医師会員の協力のもと、森病院附属准看護師養成所を改築し、森病院附

属准看護師学校を設立した。昭和38年8月、第三代目英亮が脳卒中で倒れ、東京で勤務医をしていた私こと森昇二が森病院副院長とし

て勤務する事となった。以後第三代院長は、理事職及び準看護師学校校長に専念し、現四代目院長が院長代行となった。昭和41年、建

物の老朽化、亀裂化が多く見られたため、鉄筋コンクリートによる本館部分を建築し、当院の病床数は101床となった。昭和44年に

は、腎不全患者治療に応ずるため、人工透析部門を開設する。当時は、今市近辺に人工透析医療機関はなく、足利日赤と会津若松竹田病

院のみであった。昭和51年に第K期改修工事として()間組に依頼し、病室・給食室・准看護師学校を移転し、栄養管理及び看護教育

に更なる飛躍を果たした。

          

 昭和56年12月に第三代目死去に伴い、昭和57年1月に第四代目として昇二が院長の職に就いた。昭和61年()間組を通して、かね

てよりの計画であった最終工事を終了し、ここに全館の改築は完了、病床数は132床となった。病院内臨床検査部門・レントゲン部門等

の予防診断医学部門の充足を目的として健診部を開設した。手術室は、準滅菌手術室とし、高圧自動滅菌装置2器のほか、ガス滅菌装置を

設置し、院内に於ける医療機器消毒・サプライの充実を図った。臨床検査部門でも、コンピューターによる自動解析装置を多分野に亘って

設置し、健診部門に大いに貢献する事となった。健診部は、平成2年に設立し、多くの健保組合との契約、各事業所の健診、人間ドックを

担当するものとなった。平成5年4月政府管掌保険認可の健診及び人間ドック事業を開始。今後も多くの方々の健康を願うものとなった。

画像診断部門でも、最新鋭の超音波診断装置を設置した。レントゲン部門では、一般診断用撮影装置・断層撮影装置・CTテレビを設置した

。平成8年には、三次元画像構成可能なヘリカルCTに切り替えた。また、乳房撮影診断装置を設置し、一般レントゲン撮影装置においてもC

R方式を導入し診断の精度アップを図った。

 

 平成9年今後の高齢化社会の到来を想定して5年間に及ぶ設立準備の末、悲願であった介護老人保健施設“ヴィラフォーレスタ 「森の家」”

(収容人数100床)を森病院から約8キロメートル離れた大沢地区根室の大自然に囲まれた環境の中に建設し、多くの方々のリハビリテ

ーションを開始した。また今市市の委託事業として、在宅介護支援センター「もりのいえ」を併設し、訪問介護も行なっている。そして、

平成12年4月末に完成した、痴呆性老人集合住宅(グループホーム 憩の森)も5月1日より運営を開始した。昭和24年12月26日

に起こった今市地震(震度6死者不明者10名)から既に50年を経過しており、栃木県内唯一の活断層の存在地であること、過去の歴史

からその周期は約70年と想定されていることより、数年に渡り、病院構造についての耐震構造強化のための準備を行い、昭和41年第J

期改修工事・昭和51年第K期改修工事・昭和61年第L期改修工事を終了し、平成11年病棟内改修と耐震構造強化を21世紀に向って

終了する事が出来た。ここで病床も一般病棟49床・人間ドック7床・療養型67床総数123床をもって平成12年2月1日より発足す

る事になった。これも一重に、周辺住人の方々・関連職種の方々・医師会関係・従業員の協力と、お互いの思いやりの結果であり、先代の

残して下さいました教訓の賜と感謝する所でございます。



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