国会議事堂 (1)
〜センセイと呼ばないで〜



参議院が開設してから今年で50年になるのだそうだ.それを記念してこの5月24, 25日に国会議事堂の特別公開が行われた.
もともと国会議事堂は平日なら事前予約なしに見学が可能なのだが,こういう機会でもないとなかなか行ってみようかという気にならないものだし,今回はふだん一般公開していない場所も見ることができるということなので,出かけてみた.

議事堂正面

国会議事堂については説明の必要はないだろう.日本における最高の立法府.
ただデザイン的には「鈍重」という人もおり評価は必ずしも高くはない.確かに法務省のような優美なたたずまいからは程遠いし,かといって日本銀行や第一生命相互館のような威圧的な感じともちょっと違うように思う.
この辺はデザイン決定までの紆余曲折が影響しているようだ.近代建築史などいささか退屈かもしれないが,いきさつをちょっとだけ書いてみよう.

議事堂斜めから議事堂建設への動きが始まったのは1881(明治14)年国会開設の勅諭が発せられた後.ドイツからヘルマン・エンデとウィルヘルム・ベックマンをはじめとする技師たちを招待し,一方日本からも技師や職人たちをドイツへと留学させた.エンデ & ベックマンは単に議事堂だけでなく,官庁全体を含めた首都東京のグランド・デザインというべき都市計画案を提案した.それは壮大な計画ではあったが,外交・政治上の失敗もあり計画は立ち消えとなってしまい,結局仮議事堂が建設されただけだった.
計画が復活したのは1907(明治40)年,日露戦争の勝利に沸く中での事だった.当初は大蔵省(国会議事堂の建設担当は大蔵省だった)の妻木頼黄(よりなが)が設計する予定だったが,ここで日本銀行等の設計で実績のある大建築家辰野金吾の横やりが入る.辰野はコンペ実施を主張したのだが,「審査員もコンペに応募できるようにする」ととんでもないことを言ってしまう.コンペになれば辰野自身が審査委員長になるだろうことを見越しての発言だった.要するにこのヒト,自分がやりたかっただけなのね.「建築家として生まれたからには日銀と東京駅と国会の三つをやりたい」と語ったこともあるらしい.
結局コンペ案は否決され,いよいよ妻木が計画を実行に移すという段になって,今度は財政問題を理由に見送られ,そうこうしているうちに当の妻木自身が病気のため退官してしまった.
これでやっと辰野の番が回ってきたわけで,早速コンペが開かれた.ただ辰野のコンペというのが,応募案の中の気に入ったものに彼自身が手を入れて最終案としてしまうというもので,これでは辰野自身がデザインするのとたいして変わらないことになる.このため辰野の弟子たちはコンペに参加せず,必ずしも出来のよくない応募作の中からデザインを決定することになってしまった.で,優秀作を選び,いよいよ手を入れようかといった矢先に,今度は辰野自身が病没.日銀,東京駅の設計と,夢を着実に実現していた辰野だったが,国会の設計にはあと一歩というところで手が届かなかったのだ.
最終的にコンペの優秀作をベースに辰野の弟子たちが手を入れて完成したのが,今の国会議事堂なのである.1920(大正9)年に着工し,1936(昭和11)年に完成した.
計画が復活してから30年,当初の計画からは55年も経ってしまったわけで,辰野のゴリ押しのせいばかりとは言えないのだが,なんともしまらない結末になってしまったのである.

上記のような事情があるにせよ,そこは大日本帝国の誇り高き官庁建築なわけで,見るべきものは随所にあふれている.特に内部デザインは,外観の石の塊からは思いもつかない美しいものに仕上がっている.

それでは中へ入ってみよう.
議事堂へは中央玄関から入っていく.ふだんは天皇が来訪した時や総選挙直後の国会招集日,外国の元首を招待した時にしか使われないものだが,この日は一般にも開放された.

中央玄関車寄せ上部の彫刻は鳳凰をデザインしたもの.
四本の円柱は花崗岩でできた立派なものだが,オーダーはコリント式を簡略化したもののように見える.歴史主義からの脱却という意図があるのかもしれないが,手を抜いているようにも感じる.
それにしても見ての通りのすごい行列.ぼくが着いた時で約1時間待ちだったし,議事堂を出てからも議事堂前広場は順番待ちや売店で記念品を求める人たちでずいぶん混み合っていたから,見学者の数はまあ万の単位は下らないんじゃないかと思う.
この人たちが建物だけじゃなくて,ここで行われていることの中身にもっと関心を持ってくれればいいのだけれど.ま他人のことは言えんか.

中央広間.係員が早く前に進むように先導していくのでなかなかじっくり見ることができない.

中央広間中央広間 - 2階から

建物の規模を考えると思ったより広くはないが,柱からベランダ,天井にかけての風格といい,床のモザイク模様といい,壁や天井のステンドグラスといい,総選挙後はじめて登院する国会議員や海外の元首を迎えるにふさわしい堂々たるものだ.
四隅の上部にはそれぞれ四季を表す壁画が飾られている.また四隅のうちの三方には明治政府の創成期に貢献した三人の政治家,板垣退助,大隈重信,伊藤博文の銅像が立っている.残る一方は台座のみとなっているが,これは誰にするか決められなかったため,持ち越しになったそうだ.“政治には完成はない.未完の象徴である”ともいわれているようだが,これはなにか後付けの物語のように思えないでもない.

中央階段御休所ドア部分

中央階段(左).中央広間から続く,こちらもやはり威風堂々としたもの.天井のアーチと床の赤い絨毯が印象的だ.今回ここは見るだけで実際に上っていくことはできなかった.

正面奥に見えるのが御休所.天皇が来訪した時はここで待機し,議長と副議長がこの部屋で天皇と面会する.入口(右)は一枚の大理石を彫り抜いたものだということだ.
ここだけはなぜか入り口にガラスが張られていて,中に入ることはもちろん,部屋のようすを十分に見ることができなかったのはつくづく残念であった(内部を見たい人は参議院Web Page“参議院写真集”を参照してください).
というのは写真で見るとこの部屋,まさに当時の日本の工芸・デザイン技術の全てを投入したと言ってもいい,贅を尽くした,装飾三昧な部屋になっているからだ.部屋全体の造作は檜造りの本漆,壁の上部には鳥をあしらった緞子,天井とカーテンは錦,敷物は絹緞通,扉は螺鈿をちりばめた漆塗りの蒔絵,天井や柱には金の飾り金具,といった具合.
ただ部屋全体は洋間そのものなのに,そのくせ天井の作りが和風だし,壁の装飾も花鳥図になってしまっている.個々の装飾は技術的にも内容的にも非常に高度なものだとは思うが,全体的には装飾過剰な,一種異様な空間になってしまっている.
芸術品として鑑賞するのならすばらしい部屋だと思うが,あまり長居をしたい部屋だとはどうも思えないのである.
(1997.5 記)

本稿を書くに当たり以下を参考にしました.
 ・参議院見学ガイド(参議院発行)
 ・参議院Web Page“国会議事堂について”