日暮里 神愛教会
〜祈りと再生と〜



日暮里の神愛教会は明治の末期にスタートした.今の建物は関東大震災後の1925(大正14)年に建てられたものだが,老朽化が激しく改築のやむなしに至った.以前同潤会アパートを訪ねた時に見かけてはいたのだが,小ぶりできれいな教会だとは思った教会外観もののあまり注目はしてなかった.改築前にチャリティを兼ねたコンサートをやるということで,キリスト教信者でもない自分が教会の内部にどうどうと入るチャンスだと思い出かける事にした.

シンプルで小じんまりしていて,いかにも地元の教会という親しみやすい雰囲気がよい.
建物の中も華美な装飾のないシンプルな構成.床や梁など木の部分が目立つせいか,ずいぶんと優しげな感じがする.祭壇のステンドグラスがアクセントといえるか.全体的にはさすがに古さは否めないが,良く歳を重ねているといった風で,決して「古臭く」なってはいない.オレの周りの人たちからも「これだけのものを,惜しい」という声が聞こえていた.とはいえ司祭の話だと壁の漆喰がはがれてきたり,屋根の十字架が落ちた事すらあったということだから,そうも言ってられないのだろう.古い建物を修理,維持するよりも新しく建て替える方が安く済むという事が多いのも現実であり,単純に古いものを残すといっても,個人の努力だけではままならない部分も大きいと思う.また司祭の話を聞いていると,教会を祈りのための場所というだけでなく,地元のコミュニティ・センターとして充実させたい,そのためのインフラ整備として今回の建て替えを捉えている面もあるようだ.

教会内部ステンドグラス

会場は演奏者を中心に観客がその周りをとりまくようなレイアウト.といってもそこは普段礼拝の場所だけあって,椅子はバラバラだわ座布団敷きの場所はあるわでいかにも手作りといったふう.音響的には祭壇に演奏者を置いて教室的に観客席を並べていった方がいいらしいのだが,今回は音響学的な緻密さよりも演奏者と観客がより親しむコンサートにしたかったということでこのような配置になったとのこと.
しかし,それでなくとも小さな会場,その上当初用意した席数では間に合わず,あわてて追加の椅子を入れるほど観客が入っていたので,必然的に一番前の客はかぶりつきのような形になってしまい,演奏者はけっこうやりにくかったかも.
単に音楽の演奏だけではなく,曲や時代背景,演奏している楽器の解説を交えて,親しみやすい,アットホームな雰囲気を出しているのも,こういう地元の小さな会場ならではのメリットである.わざわざハープシコードのピック(なんて言うんだろう.ピアノのハンマーにあたる,弦をはじくパーツなのだが)を取り出して見せてくれるなんてのは普通のコンサートじゃありえないでしょう.

ハープシコードを囲んで木管楽器を中心としたアンサンブルによる,バッハやヘンデル,テレマンといったバロック音楽の演奏はすばらしいものでした.ただバロックだけというのは色が割と似ているのでちょっと退屈になってくる.バッハの「音楽のささげもの」なんてひさびさに聞いたんでうれしかったけど,音楽的にはかっちりしていて,ついかしこまっちゃう部分もあるからなあ.むしろアンコールのモーツァルトが聞いてて一番気持ちよかったんじゃないか.モーツァルトってそんなに好きなわけじゃないけど,この時ばかりはあのモーツァルト節が聞こえてきたとたん,その場がぱっと明るくなったように感じたもの.

演奏会が終って上の階の部屋も見る事ができた.最上階にはクローバー型の枠を組み合わせた丸窓が印象的な茶室があって,教会としては珍しいもののような気がする.こういうのは改築後の建物では作らないという話を聞くと,やはり「もったいない」と思ってしまう.

十字架や燭台,ステンドグラス等の備品は改築後も残す予定であるとのこと.時代が変わればそこで生活するコミュニティもいやおうなしに変わっていくわけで,新しい時代に合わせて器を変えていくのも,それはそれでいいかという気もした.
(1998.5 記)