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最終更新日:2012年5月26日

介護をされている方からのメール



 5月24日の記事「自然死について」に関して、昔ゲリーさんのWSでご一緒させていただいた方からメールをいただきました。この方は今、仙台で介護の仕事をしているとのことです。この方の昔の上司のブログを紹介していただいたのですが、興味深い内容なのでここで紹介させていただきたいと思います。


 ・・・<メール抜粋開始>・・・

今回の「自然死」について読ませていただきました。
とても興味深い話をありがとうございました。

昨日、ずーーっと見ていなかった昔の上司のブログをみて、一番心に響いた内容とリンクしましたので、シェアしたいと思いメッセージさせていただきました。

そのブログ記事はこちらです。
http://ameblo.jp/nsiwashita/entry-11252933796.html

以下抜粋

認知症が進行すると食事が食べれなくなります。
そんな時に日本では、点滴をしたり、経管栄養といって
鼻や腹部から栄養剤を注入して、命をつなぎます。

スウェーデンでは、そのような延命治療は、なんと法律で禁止されているそうです。
理由は、人間らしく尊厳をもった生活を守るため。

肺炎を起こしても
治療する回数に制限があるそうです。
4回は積極的に治療するけれど、それ以上はしない



とっても悲しかったのは
指導をしてくださった先生が日本の施設を見学に来られて感じたことは
日本はスウェーデンと比べて、約40年程度遅れているということ。
日本の高齢者をみて、その先生は涙されそうです。
あまりにも可哀想で・・・・・


抜粋ここまで

延命治療が法律で禁止されているというのにびっくりしました。

私自身はとても賛成です。

医師や政治家、国民の意識が人間に対してしっかりと向き合っていないとできないことだなと感じます。

 ・・・(略)・・・

 ・・・<メール抜粋終了>・・・



 さらに、この方の介護施設に対する思いを綴った文章を紹介していただいたので、それも載せたいと思います(個人情報に関わる部分は○○に置き換えてあります)。



 ・・・<抜粋開始>・・・

前の日記のコメントで○○ちゃんから頂いたコメント。

「看取りで大事にしているのは最後の瞬間までの間に一度でも『この世に生まれて良かった』と思えることです」


沢山の死を看取る経験をされている○○ちゃんの言葉はいろいろと考えさせられる。


素晴らしいと思うよ。


死の間際だから、「やりたいことをやる」とか「クオリティライフを高める」とかを超えた段階で、<何を意識するか>となるとそこにたどり着くのだろうね。

マザーテレサもそうだったのだと思う。


スピリチュアルケアというのはとても大切で、それはできれば平時から為されていることが望ましい。

死の間際や、大病、大切な人との死別でようやく必要とするのではなくて・・・

そんなケアを提供する施設にも携わってみたいと感じる今日この頃。


毎日が癒しの過程であり感謝と喜びの瞬間であると感じられる空間。


できれば自然の中がいいな。



自分に、自然に、魂に立ち戻れるところ。自然体のところ。


スタッフも癒されていて、意識の大切さ、共感、霊性を最大限に尊重するところ。


温かいユーモアと静かな歓びに溢れるところ。


祈りやハグが自然に顕れるところ。


意識の探求ができるところ。


意識場、磁場を大切にするところ。


死を敗北とせず、喜ばしき移行と捉えて、お見送りをさせていただくところ。


呼吸法やヨガ、瞑想、イマジネーション、触れることの効果を大切にするところ。


過去のトラウマ(バーストラウマや他の転生のトラウマ)を抱きしめて慈しむようになれるところ。


音や色、香り、石、植物による調整を受けられるところ。


食や体を温めることを大切にするところ。


「これさえあれば」「ここさえあれば」と依存させないところ。


そして遠いいつかいらなくなるところ。




まずは いまから ここから




 ・・・<抜粋終了>・・・



(2012年5月26日)


○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

自然死について



 私事ですが、母が去年の5月に肺癌で亡くなり、つい先日一周忌の法要を済ませました。
 肉親の死に直面すると、ふだんあまり考えない死について色々と考えさせられます。私の母は、現在の日本人の死因の一位である癌で亡くなりました。私は、癌の3大治療である手術、抗癌剤、放射線治療に否定的な立場を取っています。もちろん母の手術にも反対したのですが、結果として母は手術を選びました。もし手術をしなければ、もう少し長く生きられたのだろうか、といった色々な思いが込み上げてきました。

 そんななか、『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(中村仁一著、幻冬舎新書)は、非常に興味深く読むことができました。私はこれまで癌による死は激しい痛みが伴う悲惨なものと考えていたのが、全く間違いだということに気付かされました。
 今回は、自然死について紹介したいと思います。


 もうだいぶ前ですが、(名前は忘れましたが)栄養学の有名な先生の講演会に行ったことがありました。
 講演の内容は忘れてしまったのですが、その先生が「癌でだけは死にたくない」と言っていたのが印象に強く残りました。癌による死は激しい痛みを伴うものだというのです。それ以来、私も漠然と癌では死にたくないなあと思うようになりました。しかしこうした考えは全く間違いだと気付かされました。
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』によれば、癌を攻撃する抗癌剤、放射線治療のような場合は痛みを伴う死を迎えるケースが多いが、何も治療をしなければ安らかな死を迎えることができるというのです。
 著者の中村仁一氏は老人ホームで医師をされている方です。
 老人ホームで何十人もの死を見つめていて、癌による死は実は安らかなものだと発見したといいます。


 ・・・<『大往生したけりゃ医療とかかわるな』、p96〜p97から抜粋開始>・・・

 しかし日本人には、がん死はあまり歓迎されません。がんイコール強烈に痛むと連想されるからです。
 けれども、すべてのがんが強烈に痛むわけではありません。さんざんがんを痛めつけても、痛むのは7割程度といわれています。つまり、裏を返せば、3人に一人は痛まないわけです。
 皆さんの周囲にも、がんなのに痛まず亡くなったという人が結構おられるのではないでしょうか。そういう人たちは、たいてい「不思議にも」「珍しいことに」「思いがけなく」「奇跡的に」などと形容されて、軽く片づけられてしまっています。でも、3人に一人なら、決して不思議でも、珍しいことでも、思いがけないことでもないと思うのです。
 「集い」を始めた頃、ある山村からの参加者が、3人の近親者ががんで亡くなったが、幸い、発見が遅れて手の施しようがなく、医療の“魔の手”から逃れたため、いずれも穏やかな死だったという例を紹介してくれました。
 こういう姿を目のあたりにした人は、決してがんを恐れないのです。そして、ああいう死に方ができるなら、がんも悪くないといっていました。
 私も以前から、がんで痛みが出るのは、放射線を浴びせたり、“猛毒”の抗がん剤で中途半端に痛めつけたりするせいではないか。完全に根絶やしにできるならともかく、残党が存在する以上、身内を殺された恨みで、復讐に出てもあたりまえと思っていました。
 今はそれが、確信に変わっています。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 次に癌による死が安らかであるという具体的な例を紹介します。


 ・・・<『大往生したけりゃ医療とかかわるな』、p123〜p127から抜粋開始>・・・

 がんにも“老衰死”コースあり

 私も老人ホームに移った当時は、がんの末期は猛烈に痛むものという、医療界の“常識”に毒されていました。ですから、がん末期の患者が来たら、痛みにどう対処しようかと、正直ビビりました。医療的には素人集団の生活施設である老人ホームで、とても手に負えるものではないと思っていましたから。
 しかし、年寄りの手遅れのがんに5例、10例とかかわっていくうちに、発見時に痛みはなく、その後、何の手出しもしなければ痛むことはないとわかったのです。
 たしかに、“痛み”があるなら、もっと早い時期にがんは見つかっていておかしくありません。それが、病院へ行くきっかけが、痛みではなく、血を吐いたり、お尻から血を流したり、痰に血が混じったり、レンガ色の小便が出たり、身体が真っ黄色になったり、食が細ってやせてきたり、少し動いただけで息切れがするなどだったのです。
 私がこれまで、老人ホームで見てきたがん末期の年寄りは、60〜70名にのぼります。
 介護保険法が施行された平成12年に、老人ホームに移ったのですが、平成12年、平成13年、平成14年の3年間の資料は、散逸していて見当たりません。
 平成15年から平成22年の8年間では、同和園でのがん死者は合計52名、老人ホームで看取ったのが27名です。男女比別では、75歳以上が男性21名(87.5%)、女性25名(89.2%)です。麻薬を使うほど痛んだケースは、一例もありません。
 最期を病院で迎えた人たちも、痛んだから入院したのではありません。胃や腸から大量の出血をしたり、肺炎になったり、黄疸が出たり、最期ぐらいは病院で、という家族の強い希望があったりというケースです。
 上の写真4は99歳の女性(管理人注:写真は割愛します)で、4年前に首にしこりがあるので病院を受診しました。
 もと(原発巣)はわかりません。どこかから転移したがんとの診断でした。しかし、年齢も年齢なので、家族も治療を望みませんでしたし、病院も精密検査を勧めませんでした。それ以降、あまり大きさに変化はなかったのですが、亡くなる半年前ぐらいから急に大きくなりました。時々、痛いといいます。その時には、冷えピタを貼ると痛みは治まります。
 ですから、いわゆるがんの痛みとは考えられず、急速に大きくなったため、皮膚が引っ張られ、それが痛みとして感じられたのではないかと思います。冷えピタぐらいで、がんの痛みが治まるとは、とうてい思えませんから。
 上の写真5は、91歳の女性の乳がん(管理人注:写真は割愛します)です。発見から4年で亡くなりました。もちろん、乳がんに対しては、何の手出しもしていません。
乳房が崩れて出血し、乳首がなくなっています。一部が腐って膿んでしまいましたので、かなりの臭いが、あたりに充満しました。消臭剤でごまかせる程度のものではありません。きちんと処置をしないと蝿がこの臭いをしたって卵を産みつけにきます。
 2人とも、“老衰死”コースで亡くなりました。
 がんの死に方には、もう一つ、突然急変型ともいえるタイプがあります。
 83歳、前立腺がんで亡くなった男性のケースです。老人ホームに入る前から骨への転移が認められ、痛みは全くありませんでしたが、抗男性ホルモン剤の注射を、月一回受けていました。この人は、亡くなる一時間前までニコッと笑っていました。
 私がこれまでかかわったがんの年寄りたちに対し、一人として、完全放置を勧めた人はいません。もっとも、本人は高齢で、ほとんどがぼけていますので、判断するのは家族ということになります。その家族が、もう年も年であるし、これ以上痛い苦しい思いはさせたくないということで決断したもので、全く干渉していません。
 おかげで、がんを放置した場合、どんな死に方をするのかをじっくりと見せてもらえました。
 これで、私の「死ぬのは“完全放置”のがんに限る」は、確信に変わりました。本当に、老人ホームに移ってよかったと、感謝しています。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ではこの本のテーマである、自然死について紹介します。


 ・・・<『大往生したけりゃ医療とかかわるな』、p63〜p66から抜粋開始>・・・

 「自然死」のしくみとは

 自然死の実体は、前述の通り、「餓死」(「飢餓」「脱水」)です。一般に、「飢餓」「脱水」といえば、非常に悲惨に響きます。空腹なのに食べ物がない、のどが渇いているのに飲み水がない、例えば、砂漠をさまよったり、海を漂流したりする状況は、非常に辛いものと想像されます。
 しかし同じ「飢餓」「脱水」といっても、死に際のそれは、違うのです。いのちの火が消えかかっていますから、腹もへらない、のども渇かないのです。
 人間は、生きていくためには飲み食いしなくてはなりません。これは、あたまえのことです。ところが、生命力が衰えてくると、その必要性がなくなるのです。
 「飢餓」では、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持ちになって、幸せムードに満たされるといいます。
 また「脱水」は、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぽんやりとした状態になります。
 以前、病院勤務の頃、独身の息子のところに身を寄せていた寝たきりの母の様子がおかしいと、病院に運び込まれてきたことがあります。会社員の息子が、朝の出がけに老母の枕元にお茶と握り飯を置いて出かけていたのですが、夏の暑い盛りで老母が充分に飲み食いしなかったため、3日目には昏睡の一歩手前まで意識レベルが落ちていました。
 そこで、薄い(浸透圧の低い)食塩水をじゃんじゃん点滴して、濃くなった血液を薄めたところ、3日目に意識が戻りました。
 意識がふつうになったところで尋ねると、直近の数日間のことは何も覚えていないとのことでした。つまり、苦痛を全く感じていなかったということです。
 もし、あのまま手当てをしなければ、何の苦痛も感じないまま、あの世に移行していたということになります。
 それから死に際になると、呼吸状態も悪くなります。呼吸というのは、空気中の酸素をとり入れて、体内にできた炭酸ガス放出することです。これが充分にできなくなるということは、一つには酸素不足、酸欠状態になること、もう一つは炭酸ガスが排出されずに体内に溜まることを意味します。
 酸欠状態では、前述のように脳内にモルヒネ様物質が分泌されるといわれています。柔道に絞め技というのがありますが、あれで落とされた人は、異口同音に気持ちよかったといっています。酸欠状態でモルヒネ様物質が出ている証拠だと思います。
 一方、炭酸ガスには麻酔作用があり、これも死の苦しみを防いでくれています。
 このように、死というのは自然の営みですから、そんなに苛酷ではないのです。痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行することだと思うのです。
 年寄りの“老衰死”には、このような特権が与えられているのです。
 だから、無理をして傍についている必要はありません。大声で呼びかけたり、身体をゆすったり、手を握っているなど無用です。たとえ傍にいたとしても、何もせずに、じっと見守るだけで充分。“そっとしておく”のが一番の思いやりです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 しかし実際は自然死はまれだといいます。
 ほとんどの年寄りは、死ぬ前に拷問や虐待を味わっているというのが現状だというのです。


 ・・・<『大往生したけりゃ医療とかかわるな』、p49〜p51から抜粋開始>・・・

 「自然死」の年寄りはごくわずか

 「自然死」は、いわゆる“餓死”ですが、その実体は次のようなものです。

 「飢餓」……脳内にモルヒネ様物質が分泌される
 「脱水」……意識レベルが下がる
 「酸欠状態」……脳内にモルヒネ様物質が分泌される
 「炭酸ガス貯溜」……麻酔作用あり

 詳しくは次の章で述べますが、死に際は、何らの医療措置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということです。これが、自然のしくみです。
自然はそんなに苛酷ではないのです。私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。
 ところが、ここ30〜40年、死にかけるとすぐに病院へ行くようになるなど、様相が一変しました。病院は、できるだけのことをして延命を図るのが使命です。
 しかし「死」を、止めたり、治したりすることはできません。しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した医療措置を行います。例えば、食べられなくなれば鼻から管を入れたり、胃瘻(いろう:お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて水分、栄養を補給する手技)によって栄養を与えたり、脱水なら点滴注射で水分補給を、貧血があれば輸血を、小便が出なければ利尿剤を、血圧が下がれば昇圧剤というようなことです。
 これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない幸せムードの中で死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
 しかし、患者、国民のみならず、医療者にもこの認識が欠けています。
 2011年2月の日本老年医学会において、食べられなくなった末期の85歳のアルツハイマーの患者に対して、どうするかの問いに解答した1554人のうち、すべてを控えて何もしないはわずか10%、胃瘻が21%、経鼻チューブ(鼻チューブ栄養/鼻から胃まで管を通して水分、栄養を補給する手技)13%、手や足からの点滴注射が51%と半数以上を占めたとのことです。そして、この手や足からの点滴注射は「患者にとって医学的に必要」との考えが38%、約4割だったという驚くべき報告をしています。専門である老年科医でさえも、このありさまです。
 私たちは枯れかけている植物に肥料をやるでしょうか。万一肥料を与えたとしても吸収しませんから、植物に害はありません。
 ところが、人間の場合は違います。体内に“肥料”を別ルートから無理やり突っ込むわけです。いかに、死にゆく人間に苦痛と負担を強いているか、想像に難くないでしょう。
 年配の葬儀社の方に聞くと、「昔は年寄りの納棺は、枯れて亡くなっているので楽だった。しかし、今、病院で亡くなった人の遺体は重くて大変だ」といいます。最後の最後まで、点滴づけ、水づけですから、いわば“溺死”状態。重いのは当然といわなければなりません。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 そして介護もまた、年寄りを痛めつけているといいます。


 ・・・<『大往生したけりゃ医療とかかわるな』、p53〜p56から抜粋開始>・・・

 介護の“拷問”を受けないと、死なせてもらえない

 死に際の苦しみには医療による“虐待”ばかりではありません。介護による“拷問”もあるのです。それも、いい看取りを行っていると自負のある介護施設で起こりがちなのです。
 それは、医療者ができることはすべてやるのが使命と考えていることと、根は一つであるような気がします。冒頭で「医療の鉄則」として、「一、死にゆく自然の過程を邪魔しない」 「一、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない」と書きましたが、これは「介護」に関しても同様だと思うのです。
 例えば死が迫ってくると、当然、食欲は落ちてきます。すると、家族はカロリーの高いものを食べさせようと努力します。
 しかし、少量でカロリーは高いものの、口あたりはどうなのでしょうか。また、少量で高カロリーのものといえば、脂肪の含有量が多く、油っこいのではないでしょうか。
 健康人でも、食欲がない時に油っぽいものは、なかなか口にできないように思われます。それを、無理やり死にかけの病人の口の中に押し込むのは、どうなのでしょう。勝気な人なら吐き出すでしょう。
 しかし、気が弱い人は、介護職員にピタリと横にはりつかれて、次から次へと口の中に放り込まれるわけですから、仕方なしに飲み込むでしょう。けれども、その結果は、火を見るより明らかです。当然、吐くことになります。少しでもカロリーの高いものを食べてもらおうという優しい心遣いが裏目に出て、ひどい苦しみを与えることになるのです。
 一方で、家族は、こんな時期になれば、昔は「口あたりのいい、あっさり系を無理せずに食べさせたものだった」と思うのです。
 そこで、無理をしない方がいいのではないかと意見を述べると、介護職員は目を剥(む)きます。どうも、栄養のバランスやカロリーなどを気にしなければならない時期はとっくに過ぎていることを理解するのがむずかしいようです。
 死に際になると体力も衰えてきますので、椅子にまともに坐ることもできません。そこで、食事を介助する際には、リクライニングの椅子を使います。坐っているだけでもしんどいと思うのですが、そのうえ、30分も1時間もかけて、一匙、二匙とゆっくり、ゆっくりと口の中へ押し込みます。目を閉じたまま、おいしそうな顔もせず、されるがままになっています。まともな人間なら、もういいからベッドに寝かせてくれと悲鳴をあげるでしょう。
 たしかに、飲み食いは、生きるための基本です。だから、食事を介助する者にとってはこれはいい行為で、使命を果たすために必要だと思って疑わないのでしょう。また、この時期に家族から、「家にいた時は風呂好きだったので、ぜひ入浴させてやってほしい」との要望が出ることがあります。最近は、家族の権利意識も強いですし、現場の介護職員は真面目で優しいですから、何とか希望を叶えようと頑張ります。時には家族も一緒に風呂場に入ることもあるようです。そして風呂場から出たヨレヨレの死にかけの年寄りに対して、「どう、気持ちよかったでしょう?」と。私なんかですと、「冗談じゃねェ!」って思うんですけれども。
 しかし、人間というのは強いです。失神することがあっても、風呂場で事切れることは、まずありません。もちろん、入浴前に血圧や脈拍や体温などの健康チェックをして、異常なしは確認しているのでしょうが、それでも、「君たちはエラい」と驚嘆するしかありません。ただただ、頭が下がります。
 もっとも、私はこれを、「生前湯灌(ゆかん)」「湯灌の前倒し」と呼んでいるのですが。
 死に際には、飲み込む力も弱ってきます。しかし、心優しい介護職員は一口でも一匙でもと使命感に燃えて涙ぐましい努力をします。その結果、のど元にものが溜まってゴロゴロと音がして苦しみます。そうすると、鼻から管を入れて、それを吸い取る「吸引」という荒技を施さなくてはいけません。これは、死にゆく人間を二重に苦しめることになっているのですが、介護職員にはあまりその感覚はないようです。
 無理やり飲ませたり食べさせたりせず、穏やかな“自然死”コースにのせてやるのが本当に思いやりのある、いい“看取り”のはずです。時には介護においても、できることであっても控える方がよいこともあると考えなくてはいけません。
 以上のように、現在では、医療の“虐待”のみならず、「食事介助」「生前湯灌」「吸引」などの介護の“拷問”を受けることなく死ぬことは、至難になっています。
 今や、誰にも邪魔されず、「飢餓」「脱水症状」という、穏やかで安らかな“自然死”コースを辿れるのは、「孤独死」か「野垂死(のたれじに)」しかないというのが現実です。
 本人が自力で食べられるように、調理は工夫して目の前に置くが、手を出さなければそのまま下げてしまうという北欧式や、『「平穏死」のすすめ』石飛幸三著、講談社)の中に出てくる、「栄養をとらずに横たわる人を、水だけ与えて静かに看取る」という三宅島の先人の知恵を、もう一度、噛みしめてみる必要があると思います。
 「看取る」の真髄は、できるだけ何もしないで「見とる」ことにあると思われます。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 独身の私(本山)は、このままいけば間違いなく「孤独死」か「野垂死」コースですが、ああよかったとほっとする思いです。



 何もせんでよいのじゃ。さすれば安らかに逝けるのじゃよ・・・


(2012年5月24日)


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