雑記帖2001年10月分
| ここでは、21世紀を記念して、このWebの管理人「にん2」の身の回りに起こったことを不定期更新お気楽日記風に書いていこうと思います。 |
| 季節外れの花火
2001年10月27日
1ヶ月以上の時間をかけて、車の修理が終わったとの連絡があった。どうやら保証の問題は無いらしく、70万円と言われた修理費は、払わなくてもよさそうだ。瑞牆山のカンマンボロンを登りに行くにゃんちゅうさんと三吉くんの車に便乗させてもらって韮崎のトヨペットへ向かった。 出発が午前10時過ぎと言うこともあり、中央高速の渋滞に巻き込まれて高速を降りたのが昼過ぎ。それじゃついでにうまい蕎麦でも食べようと、有名な長坂の「翁」へ行くことにする。道に迷いながら辿り着くと、予想に反して駐車場は満杯。店の外にもたくさんの客が並んで待っている。にん2はともかく、これから山に登ろうというにゃんちゅうさん達が、昼過ぎにこんなところでグズグズしてはいられない。あっさり諦め、Uターン。一路韮崎を目指した。 元々江戸庶民のファーストフードであった蕎麦を、もったいぶって、高い金をとって、おまけに盛りが少ない勘違いの店が多い中、「翁」は比較的良心的であるということだが、やっぱり勘違いしたアンノン族もどきの客がこうも押し寄せたら、味も次第に落ちてしまうのだろうなぁ、と思う。だいたい蕎麦なんて、ネタの良い寿司を食べた時のような「わぁ、すごく美味しい〜。」と言う類の食べ物でなし、並んでまで食べる程のもんなのかね。甚だ疑問のにん2であった。まあでも、噂の逸品というのは、なんとなく食べてみたくなるものです。 車を受取り、八王子に戻ったのが午後4時。病院へ行くのを諦め、娘と母を連れて調布の花火大会を見に行く。季節外れも甚だしいが、実は夏に開催予定だったのが、台風の増水で会場の多摩川河原が水没してしまい順延になっていたとのこと。今年は特別なのである。 調布在住のでんでん、みきちゃんと駅で待ち合わせ、バスで多摩川河川敷の会場へ。季節はずれでもあるし、観客もそうは多くないだろうと思っていたらあにはからんや、隅田川の花火もかくやと思わせるような大変な人出である。不景気のおり、みんなお金のかからな娯楽に飢えているんだね。例え内容がしょぼくても、この時期花火を見られるのなら少々の混雑も何のその、と、どの顔も期待に輝いている。他の花火大会に比べて圧倒的に若者の数が多いのも、夏が終わって諦めかけていたチャンス(何の?)到来とばかりに、会場の熱気を盛り上げていた。 かく言うにん2も、花火そのものに大して期待はしていなかったのだが、正直に言おう。今までの人生で見た花火大会の中でピカイチ! 最高に素晴らしい内容であった。 花火の内容を文章にするのは難しい。音と光とタイミングの妙。いくら描写しても、リアルタイムの迫力と感動には遠く及ばないだろう。けれど、敢えて言うなら新作花火の発表会とでも言おうか。とにかく、今まで見たことの無いような、変わった花火が次から次に打ち上げられるのだ。おそらくほとんどがコンピューター制御によるものなのだろうが、タイミングも絶妙だし、色の演出もなかなか抜かりが無い。中でも、パッ上がってドンと爆ぜるものだとばかり思っていた花火が、ゆっくり上がって一回落っこち、あれあれっと思ったら、また昇って行くのには唸ってしまった。仕組みは簡単なんだけど、あれをこの場で使うとは・・・へへへ、見た人にしか解らないだろうなぁ。 尺玉100連発、尺5寸玉10連発、ツインナイアガラなど、見所もいっぱいで、花火が怖いはずの娘も大喜びだった。神戸?の花火大会事故の教訓なのか、高圧的でやたらに数の多い会場整理の警察官に止められたり待たされたり・・・満員電車並の人込みに揉まれて会場を出るのにずいぶん時間がかかってしまったが、見知らぬ人同士が花火という共通の話題で言葉をかわしたり、ヤンキー然とした若者が、背中の娘を気遣ってかばってくれたり、それとても何だか心地よく感じてしまうのだった。 山をやる人間には、比較的人込みが嫌いという人が多い。大衆に呑まれることを拒否して、自分の生を昇華させよう奮闘している結果なのかもしれないが、自分が特別な存在なのだと奢り昂ぶっているようで、にん2はそれもいまいち同感できない。山でどんなにヒロイスティックでストイックな行動をしようとも、この人波の中で、そこに身を置く自分を肯定し、その本質の一部でも感じ取ること、それもまたひとつの自己探求の道なのだと、そんな風に思えてならないのだ。これもまた大上段の奢りなのだと、言われてしまえばそれまでだが・・・。 とにもかくにも、季節外れなら季節外れなりに、花火はやっぱり良いものだ。桜は、人込みとセットで観なければ、花見をした気がしないのと同じように、多分、たったひとりで観る花火はつまらない。気取りも奢りも無く、素直な気持ちで観る。ただそれだけを掲げて、来年も人に揉まれて花火を観に行くことだろう。ぐっと下がった火薬の匂いの夜気に、そんなことを思ったりした。 |
| 初めまして百茄です
2001年10月24日
23日朝9時45分。次女が生まれました。2回目ということでお産も軽く、3755gと大きかった割に、陣痛が始まってから4時間程しかかかりませんでした。 名前を考えました。「百茄(ももか)」と言います。当初、姉「静羽(じずは)」と同じシリーズをということで「富月(ふつき)」を考えていたのですが、「字づらが可愛くない!」という強硬な反対にあったこと、字画があまり良くないこと、静羽が「ももちゃんがいい!」と言ったことなどで、「百茄」となったわけです。よく「百花繚乱」の「百花」と書いて「ももか」という名前は見かけますが、敢えてちょっと捻ってみました(捻ってどうすんの?)。字画もかなり良いし、悪くはないと思いますが、どうでしょう。 さて、「茄」という文字、どういう意味があるのかと申しますと、まったくもって文字通り「茄子(なす)」です。一文字で「なす」「なすび」「はちす」とも読めます。無論音読みは「カ」です。「はちす」は蓮の花の別名でもあります。 茄子は、「親の意見となすびの花は、千にひとつも無駄がない」という諺があるほど、とても実り多い植物です。花が咲くと必ず実がなる。それが百倍! という、とても欲張りな名前なんですね。秋口になると、たっぷりの油で焼いた茄子が滅茶苦茶美味しいし(関係ないか・・・)、私、茄子は大好きです。 時々「秋茄子は嫁に食わすな」なんて言葉も聞きますが、これは、美味しい秋茄子を嫁になんか食べさせるもんか! などと穿った意地悪な言葉ではなく、体を冷やす作用がある夏野菜の茄子は、子を産む役目を持つ嫁に大量に食べさせるべきではない、という教えです。別に名前とは関係ないですがね。 ともあれ、この人はこれからずっとこの名前で生きていくわけで、人間生きていく限りはそれなりの波乱万丈があるものですが、それが名前のせいとは言えない程度の、悪くない名前だと思うのですが、いかがでしょうか? 差し当たり、よっぽどのへそ曲がりででもない限り、名前が変だからといじめる人もいないでしょう。 ということで、百茄さんの誕生です。初めまして、どうぞよろしく。 |
| 復活の日
2001年10月21日
前の会社に置きっぱなしにして3年。3年間もエンジンをかけていなかったバイク(ヤマハ・セロー225)を復活させた。こういうことをやったことが無い人にはピンとこないかもしれないが、ほったらかしにしておいたバイクを再び公道を走れるようにするというのは、案外大変なことなのである。単気筒のセローだからまだ楽なのであって、マルチ(多気筒)のオンロードバイクなんかだったら、これはもうお手上げ。レストア気分で1週間は残業ということになっちゃうことだろう。 さて、セロー君である。お蔵入りにする時に手入れを怠っていたこともあり、かなりきていた。外観の汚れは致し方無し。レースで、投げる、落とす、ひっくり返すを繰り返していたこともあり、元々かなりボロボロだったので、錆やへこみは一切気にしないことにする。それでも、一応カバーをかけておいたから、風雨による劣化は意外に少ない。普通なら、張りついて手の施し様が無いディスクブレーキ、サスペンションが往時の性能を維持していたのは取り敢えず救いだ。問題はエンジンである。 タンクには半分ほどガソリンが入っていた。実はこれ、最悪の保管方法で、タンク内部は錆びる、ガソリンは腐る、その腐ったガソリンでキャブレターはドロドロ、と、良い事はまるで無いのである。案の定、タンクの中は錆びだらけ。ドレンを空けてすすぐこと数度。茶色く変色したガソリンが、止めど無く出て来る。おざなりではあるが深追いは禁物だ。フィルターもあることだし、そこそこでやめておく。内側から穴なんか開いた日には、目も当てられないからね。 問題はキャブレターである。こればかりは手が抜けない。固まって硬くなったマニーホールドを苦労してはずすと、緑色のドロドロでジェット類がすっかり塞がれている。ひとつづつばらして灯油で洗浄。メインジェット、スロージェット、フロート、バキューム、スロットバルブ、ニードル、加速ポンプ、フロートニードル、レースに入れ込んでいた時に、ひとつひとつ吟味して組み付けたパーツが少しづつ姿を表し懐かし。歯ブラシでこすりながら新聞紙の上に並べて行くと、若かりし日を写す宝石を眺めているような錯覚に捕われる。レースの前後、寝る間を惜しんで整備に明け暮れていた日々。若かったなぁ、なんて思ったりした。 まあ、それはそれとして、ともかく組み付けてみる。キック3発。あっけなくエンジンは目覚めてくれた。騙し騙し走り出してみるが、どうも回転が安定しない。妙なアフターファイアーもある。ふと見るとエキパイが焼けて宵闇に紅く光っているし、ガソリンもオーバーフローするようだ。何てこったい、と、再びキャブの分解。もう一度念入りに洗って組み付け、ついでにプラグも交換。気がついたら午前0時を回っていた。やれやれ。 夜中の道を入ったり来たり、ようやくアイドリングが安定してひと段落。レギュレター・レクチファイアー(整流器)がパンクしているらしく、バッテリーが充電されないが、こればかりは交換するしか手がない。また後日ということで、ひとまず整備を終えたのが午前1時過ぎであった。ふー疲れた。 これで、我が家の実働バイクは計2台。自賠責にも入ったし、久しぶりにツーリングでもしてみようかしら。でも、実はあと2台ほったらかしのバイクがあるのである。こちらは2ストロークだし、おまけにスペイン製のバイクだからちょっとやそっとで復活できそうもないな。若さと勢いにまかせて買ってはみたものの、バイクを維持するというのは、結構骨が折れるもんなんだよね。一度に乗れるのは、たった1台きりだもの。それなりに愛着もあるから、見るたびにちょっと胸が痛むのも、なかなか切ないことではある。これはつまり、若かりし日の負の遺産だね。 果たして、彼らの復活の日はあるのでしょうか? 願わくば、里子に出して(置くところが無いからね)そこで幸せな余生を送って欲しいなぁ。 |
| 見送りの日々
2001年10月19日
娘のショウちゃんに自転車の練習をさせに行く暁のゲンさんと家の前で遭遇し、我が家の娘と4人、近所の公園で遊ぶ。にん2が持ちこんだ大人用の一輪車に、ゲンさんが果敢に挑戦する。沢で剥がした足の爪のかさぶたを傷つけ、またまた大量出血! 血の痕を点々と地面に残しながら、何度転んでも決して諦めない。まったくゲンさんの粘りには、いつも感心させられる。おそらく、あと1時間も練習すれば、きっと乗りこなせるようになるだろう。自転車の練習時間が減ってしまったショウちゃんには、ちょっと気の毒だったけれど・・・。 それにしても、ゲンさんと言い、にん2と言い、良い歳をしてなにやってるんだか。下校途中の中学生や、犬の散歩のおばさんには笑われるし、やっぱり、根が子供なんでしょうね。「この人は自分にどこか似ているところがある・・・」と、おこがましくもちょっと嬉しいにん2でした。 夕食後、那須へ沢登りに行く、スーさん、まみちゃん、しんちゃん、渡部さんの4名を新宿まで見送りに行く。金曜夜の新宿南口は、時間を意に介さない雑踏に包まれていた。田舎の母に見せたら「今日はお祭りでもあったの?」と言うに違いない。夜11時過ぎにもなれば、一番賑やかな通りにさえ人っ子独りいなくなる田舎町に住んでいれば、それも致し方ないだろう。奇抜な格好の若者の群れに、母ならずとも同じ台詞を呟くに違いない。不夜城新宿とは言え、にん2から見ても些か異様に感じる。これが普通になってしまった人々の心には、どんな想いが潜んでいるのだろうか? 八王子からわざわざ新宿くんだりまで見送りに来たにん2に、スーさんから「やり過ぎ。」とのお叱りの言葉。自由に山に行けない今のにん2にとっては、こうして山行前のメンバーの浮き立つ姿を見、空気に触れるだけでも、気が紛れ、山を感じることができてうれしいのですよ。どうか、笑って許して下さいな。 ということで、井戸沢組の皆さん。紅葉真っ盛りの那須連峰の旅、にん2の分まで、存分に堪能してきてね。お土産話を楽しみにしております。21世紀最初の紅葉が、山に行けるようになるまで散り残っておりますように・・・合掌。 |
| 写真がいっぱい!
2001年10月16日
撮り散らかした山の写真を整理してみた。あまりの量にびっくりだ。APSフィルムのホルダーなんてものを買ったのだけれど、今年の分だけで40本収納のホルダーがいっぱいになってしまった。プリントも、240枚収納のアルバムに4冊、960枚! 実は、それでもまだ足りない。ひょえ〜、よくもまあこんなに撮ったもんだ。 一回の山行からホームページにアップするのは、だいたい10枚前後。残りは失敗というわけではないけれど、人にお見せする程のものでもないというのが本当だから、それを考えると、写真てやっぱり難しいものだと思う。 でも、そうやって並べてみると、その写真を撮った時の気持ちが蘇るもので、「あれ〜、こんな写真撮ったかなぁ?」みたいなことが不思議なほど少ないことにも驚く。よく、写真に気を取られていて実際の風景が思い出せない、なんて話を聞くけれど、ひとまずそういうことは無さそうだから、まあまあ弊害らしい弊害も無いということなのだろう。 と思ってよく考えたら、だいたいフィルム1本あたりの現像、プリント代が¥1,300〜¥1,800。これは25枚撮りか40枚撮りかの差なんだけれど、まあだいた半々として¥62,000! う〜む。これはなかなか微妙な数字だ。 確かに財布にはそれなりの弊害があるようだし、そこそこのデジカメが買えそうな金額だから、乗り換えてしまえば、現像その他のコストもかなり下げられるような気もするけれど、デジカメでは、沢も、雪山も、あれほどの酷使に耐えないだろうなぁ、とも思うのだ。だいたい今使っているカメラは、一月以上滝壷で水に打たれて持ちこたえた品である。どう考えたって、今のデジカメにそんな芸当ができるわけがないのだ。それに、ずぼらなにん2には、電池は殆ど入れっぱなし、あとはフィルムをポンッ、のAPSは、かなり性に合っている。 APSシステム(大袈裟)で問題があるとしたら、アップする写真の選定と、そのスキャニングに結構時間がかかるということかな。ここは奮発して、是非フィルムスキャナーを買いたいところだ。そうすれば、1本まるごとおまかせスキャンで、かなり手間が省けるのかなぁ。実物に触ったことがないので何とも言えないけど、どうなんでしょう? どっちにしても、この方法はしばらく捨てられそうもないわけだけど、わずか1年でこの写真の量を見ていると、先々ちょっと恐ろしいような・・・まあ、そんな秋の夜長でした。 |
| またまたダウン
2001年10月14日
昨日出掛ける前から咳が出るようだったが、これがなかなか治まらず、喉まで痛くなってきた。寝不足の上、一日自転車に乗っていたのが悪かったようで、またまた風邪がぶり返したみたい。 結局一日中寝て過ごす。寝なくても元気なのが取り柄だと思っていたけれど、一旦寝るとなると、どうしてこんなに眠れるのかね。おかげで少し咳が治まった。 夕方、赤岳組から無事下山との報告。天気も良かったようで、何はともあれ一安心。 ということで、また寝る。そんな休日。 |
| 自転車でおでかけ
2001年10月13日
溜まっていた雑記帖を書いて、寝たのが午前6時半。8時には起きて、三吉くんリーダーの赤岳組を見送りに、いつもの八王子ICI前へ。少し時間があったので、差し入れ用にMr・ドーナッツを大量に買い込み、自分もシナモンロールで軽く朝食。集合場所にはタカさんが既に来ていた。遅刻しないように、ということで1時間前から来ていたそうで、さすがに「チィママ」と言われるだけのことはあります。 程なくかたつむりさんも現れ、地形図の畳み方など説明しているうちに、三吉くんの運転する本隊の車が到着。例によって楽しそうな参加メンバーの様子に羨ましいことしきり。空は快晴。明日も好天。きっと素晴らしい紅葉の縦走ができることだろう。新人のフケイさんにとっては、輝かしい第一歩となりますように。 家に帰ると、娘がどこかにつれて行けと言うので、本当は一眠りしたいところだったけれど、立川の「昭和記念公園」へ行くことにする。ここのところ運動不足でもあるし、それではということで、足には自転車を選択。娘を前に乗せ、着替えやら、おやつやらを入れたメッセンジャーバックを肩に走り出す。 以前は通勤にも時々自転車を使っていたが、最近はとんとご無沙汰で、なんだかんだで3ヶ月振りくらいではなかろうか? 6年ほど前に、そのスタイルに惚れ込み、奮発して買った黄色いモールトンAPBは、相変わらず好調だ。「自転車に28万円!?」と、各方面から非難を浴びたものだが、この世界、知れば知るほどそんなことには驚いていられなくなる。1万円以下で買えるママチャリから、上は100ン十万円なんてものまであり、20万円や30万円の自転車など、実はざらなのだ。ちょっと本気で趣味にしようと思ったら、にん2だって50万円くらいは出すかもしれない。まあ、今となってはそんな気もお金もありはしないけれども。 以前、電子手帳がその性能に対して安過ぎるのでは?というようなことを書いたが、ある意味、この業界においては、クラフトマンの仕事に対して、正しい評価と、それに見合った対価が払われているのかもしれないな。いずれにしろ見極めは大切なんだろうけれども、払ったお金に対しては、オーナーもそれなりの扱いをするものだ。6年以上たった自転車が、サビひとつ無く、初期状態で機能するということが、言わばその好例であろう。2〜3万円の自転車だったら、にん2の性格からしてこうは行かない。そういった意味で、正しい選択だったと言えるのかもしれない。 「昭和記念公園」までは、ゆっくり走っても1時間余り。元米軍の立川基地だったこの公園はとにかく広い。歩いたらおそらく半分も回れないが、自転車ならば、専用のサイクリング道路が行き届いているので、実に快適だ。全て一方通行だから、対向車を気にする必要も無い。走っているのは、大抵ロースピードなレンタサイクルのママチャリだから、それらを追い越して、スイスイ走り回るのは、快感でもある。前に乗る娘にとっては、空を飛ぶような楽しさだろう。こんなことを、いつか大きくなっても、懐かしく思い出してくれると良いのだがなぁ、と思ったりした。 ちびっこ広場の遊具で遊んだり、ボートに乗ったりして、帰路についたのは5時近く。秋の日はつるべ落としで、帰り道はすっかり暗くなってしまった。お昼寝しそびれた娘は、しきりに船を漕いでいる。10月としては比較的暖かく、冷たいという程の風でもない。ちょっと遠回りをして、八王子への坂道を登った。 「昭和記念公園」。僅か400円で、小さな子供にとっては遊園地よりよっぽど楽しめる。多摩テックの駐車場は休日でも閑古鳥が鳴いていたが、ここの駐車場は常に満杯。きっと誰もが、リーズナブルな娯楽を求めているのだろう。不景気は、自分にとっても、世間にとっても、まだまだ続きそうだ。 |
| 狸を見る
2001年10月12日
夜。駅までの道の途中に横たわる浅川の土手を歩いていたら、すぐ足元の水際を、猫ほどの大きさの動物が歩いていた。猫? 犬? と、訝しく思って注目していたら、何と言うことでしょう。狸であった。 にん2が以前住んでいた借家は、緑濃い丘陵地帯の山の際にあった。それゆえ、玄関先に昼日中から狸が出没したりしていたから、それ程珍しいものだとは思わなかったが、浅川は八王子市の中心部を貫いて流れる川で、向こう岸もこちら岸も文句のつけようが無い街の中なのである。山はおろか、森だってせいぜい公園の緑地がある程度だ。いったいこの狸は、どこを棲家に暮らしているのであろうか? 思い出すのは、スタジオ・ジブリの「平成たぬき合戦ポンポコ」。まさか、人間に化けてマンション住まいなどしているわけもあるまいが、なんとも逞しい繁殖力ではある。野良猫も野生動物だと考えれば、おそらくそれほど難しいことではないのかもしれないけれど、これはこれでやっぱりちょっとうれしいことだと思う。 川面に映る、「そごう」や「ダイエー」のネオンサインを見ながら、彼らは何を考えて生きているのだろうか? スズメやカラスだって野生動物なんだから、案外気楽に暮らしているのかもしれない。犬はだいた鎖に繋がれているし、天敵らしい天敵も無いまま、気をつけるのはせいぜい車の往来くらい。冬暖かく、夏は・・・暑いけど、単に野生の堕落だと悲しむには当たらないような気もする。例えどんな状況にあっても、地球の仲間として、彼らと共存できているのなら、それはそれで良いのではないかと思う。それを選択したのは彼らなのだ。 人間が蔓延ることが悪なのだと、のたまうのは容易いことだ。だからと言って、彼らにこの地を返すことができるのか? そんな、できるできないの理論も、所詮人間の身勝手に過ぎない。その大小はともかく、必要に迫られて、我々は蔓延っている。間違っていたとしたら、彼らの住まいに対する配慮が、些か足りなかったに過ぎない。それは、不景気で失業していることと、そんなに大差ないことではあるまいか。 「おう、がんばって生きてるな。お互い、こんな世の中だけど、これからもがんばろうな。」 食べ物を求めて川縁を嗅ぎ回る狸に、そんな言葉を投げかけるにん2であった。 |
| 狭いぞ
2001年10月11日
来週の沢に向けて、スーさんと新宿で打ち合わせ。MSCCに来て初めてのリーダー山行ということで、さしものスーさんも些か不安になったらしい。何をおっしゃいますやら。スーさんほどのベテランなら、何も恐れることはありませんがな。 ビシッと決めようということで、酒抜きで行こうということだったけど、夜の新宿で酒が出ない店なんか、ファーストフードしかありゃしない。おとなしく蕎麦などタグっているうちに、生ビールやら、サワーやら、まあとにかく飲んでしまう。多いに気勢を上げて、それじゃまあよろしくということになったのだった。 それにしても、新宿の飲食店はどうしてあんなに狭いかね。物理的スペースが無いのはわかるけど、どこもかしこもぎゅうぎゅう詰めの人で溢れている。店の開口も狭いし、通路は人がすれ違うのがやっとなんてのはザラだ。ついこの間、雑居ビルの火災で40何人も死者が出てびっくりしたけれど、さも有りなんという気になってしまう。ただの火災ならともかく、大地震や爆弾テロなんかにあったら、一溜りもないだろうな。死屍累々、想像するだに恐ろしいというものだ。 そういうごちゃごちゃ感に安らぎを覚える程、都市生活に慣れていないにん2ではあるけれど、以前ほどの緊張を覚えなくなったのは、それなりに馴染んで来たということかな? 考えてみれば、ウイークデーに外で呑むなんてこと自体、10年以上も縁が無い生活をしてきたんだよね。色々な機能や娯楽が、ごちゃごちゃなりに合理的に寄せ集められた街の片隅で、それでもそれを楽しんでいる。そんな自分にちょっと喜びを覚える今日この頃。 外の世界に出てこられて、本当によかったなぁ。実は、心からそう思っている。おそらく、もうしばらくは・・・。 |
| 馬場オフ
2001年10月10日
一日中土砂降りの雨の中、MSCC初の都内オフだった。新人のフケイさんの買い物ツアーに合流という形で、午後7時に高田馬場のカモシカスポーツに集合。その後呑み会に突入だ。 三吉くん、まみちゃん、フケイさん、にん2、タカさん、しんちゅん、みきちゃん、ケマ兄、暁の渡部さん、かたつむりさん、スーさんの計11名の参加。これは多い。おまけに半分以上は女の子。更におまけに、その殆どが今年の初めまで全く見も知らぬ人達だった。すごいよなぁ、インターネットって。MSCCが、一部では「沢の出逢い系サイト」と囁かれているのも頷けると言うものだ。 何故だか異様にAB型が多かったり、独身者と既婚者の割合が、そっくりそのまま男女の割合だったり、どうも腑に落ちない偏りがあるような気もするけど、きっと山というものへ指向が、世間全体でそういう割合になっているのでしょう。バランスがとれているとは言い難いけど、取り敢えず馴染んじゃっているからよいのではなかろうかと思うわけです。ハイ。 何はともあれ、八王子帰還組の終電ギリギリまで盛り上がって無事に解散。今週末の八ヶ岳に向けてフケイさんの意気も上がったことでしょう。逆に、変な人達ばかりで不安になっていたりして・・・ちょっと心配なような気がするようなしないような。 まあ、何はともあれよろしくお願いします。 |
| 夢の超特急
2001年10月9日
白い車体に青い窓枠の新幹線に乗った。ここのところ東北新幹線ばかりに乗っていたから、東海道新幹線はまったく久し振りである。10年やそこらの久し振りではないかもしれない。もしかしたら、今回が2回目?どっちにしてもあまり縁がない列車であることに間違いはない。 縁がないと言っても、それは乗るとか乗らないとかの話で、生まれ育った家は、東海道新幹線の線路のすぐそばにあったから、毎日毎日その姿を見、音を聞いてはいた。「新幹線はおまえと同じ年に生まれたんだよ。(歳がばれる?)」と、ずっと言われ続けて育ったから、子供は電車が好きといった事とは違う、それ以上の愛着もある。言うなれば、故郷の山並みを懐かしむような、元風景に近いものなのだ。 当時目にしていたのは、既に消えて無くなってしまった0系と言う車両だ。最高時速220km。ずんぐりとした車体に丸い鼻と青いスカート。今から見れば、とてもスピード感溢れるスマートな車体とは言い難いが、夢の超特急として、子供達の誰もが憧れる夢の乗り物だった。そう言えば、そんな新幹線の絵をよく描いていたっけなぁ。 それが、故郷を離れ、しばらく新幹線を見る機会に恵まれなかった(興味が無かった)間に、ちょっと鼻が尖った100系が現れ、「え〜!こんなの新幹線じゃな〜い」と言った風情の300系「のぞみ」が加わって、新幹線に対する愛着もちょっと薄らいでいたところに、500系「のぞみ」の衝撃的なデビュー。これには、久しぶりに胸踊るものを感じたものだ。 最高時速320km。戦闘機と見紛うような17mもある尖ったノーズ。そしてアルミ合金の丸い車体。う〜ん、カッコイイ・・・。思い描いていた未来の列車というのは、こんな形だったに違いない。実家に帰ったおり、たまたまこの列車の通過を見ることがあったりすると、思わず童心に返ってしまうのだった。今でも、東京駅で見かけたりすると、ついつい吸い寄せられてしまう。 その後、カモノハシみたいな700系「のぞみ」が出たり、「つばさ」「こまち」のミニ新幹線系や、E4系「MAX」、E2系「やまびこ」「たにがわ」「あさま」などの東北上信越新幹線に、娘に付き合って(付き合ってもらって?)乗ったりもしていたが、どんなに進歩した新幹線でも、やっぱり鉄の線路の上を、鉄の車輪で走っているんだよねぇ。当たり前だけどさ。 それと言うのも、子供の頃少年科学雑誌に描かれていた21世紀の乗り物には、もうタイヤや車輪なんか存在していなかったからね。エアカーとか、チューブトレインとかさ。我々はてっきり、銀色のピタッとしたボディスーツみたいなのを着て、空中都市のチューブの中を、排気ガスも騒音も出さない、車輪の無い乗り物で走り回っているもんだとばり思っていた21世紀。だいぶクリーンに成ったとは言え、相変わらず車はガソリンや軽油で、排気ガスを撒き散らしながら、ゴムのタイヤをアスファルト道路に軋ませて走っているし、列車は前に書いた通りの有様なんだから、人類の英知もたいしたことないよなぁ。ま、コンピュータの進歩で、電気回路の中だけは、仮想現実的にトンでもなく進歩したけどね。 そうは言っても、今日乗った「こだま」の新横浜から新富士までの所要時間はわずか48分。横浜線でゴトゴト八王子から横浜まで行くより早く着いちゃうんだから、やっぱり新幹線はすごいやね。夢の超特急もあながち嘘では無いということだ。 いや、それは30ン年前も同じだったかな? |
| もっと普通の日
2001年10月8日
昼近くもそもそ起き出して、娘を連れて電車に乗る。駅に着くまで、どこに行くあても無かった。そうだなぁ。それじゃあ、御茶ノ水の交通博物館へでも行ってみようか。JRは高いから、京王線で行こかなぁ。わずか200円の違い・・・ちょっと情けなく感じる。でも、それが今の自分だ。 雨の休日の交通博物館は、何だかすごく混んでいた。蒸暑い人いきれ。額を汗が流れる。つまらなそうな娘にへつらうように、しきりに声をかけるがあまり反応は芳しく無い。電車は好きなはずなんだけど・・・つまり、それだけのことで、車輪とか、信号とか、モーターとか、デティールにはあまり興味は無いのかもしれない。1時間に一度の、ジオラマ模型の走行にだけは、ちょっと興味を示す。立ちっぱなしの肩車で、少々肩がこった。 博物館を出て、秋葉原駅へ向かってブラブラ歩く。時代に取り残されたような、秋葉原デパートの食堂でラーメンを食べる。父と小さな娘の取り合わせ。世間と隔絶した時間が流れているような気がしてならない。 帰ろうと東京駅まで行って中央線に乗るが、気を取りなおして水道橋で降りて後楽園へ向かう。東京ドームホテルのエレベータを一往復。シースールーのエレベーターの外に、暮れ行く街がぐんぐん広がって見える。今日初めて娘が喚声を上げ、ちょっと溜飲を下げる。 調子に乗って、小雨降る中後楽園遊園地に入る。多摩テックより乗れるアトラクションが少ない。結局メリーゴーランドしか乗ることができず、5回券を1枚しか使うことができなかった。すごく損した気分。落胆して外へ出る。 今にも眠りそうな娘。こっちも疲れた。ドームのカフェテラスで休憩。ひとつ置いた席に独りで座っていたお姉さんに笑いかけられ、妙にはしゃぐ娘にちょっと戸惑う。博物館でも、遊園地でも、あまりシャッターを切る機会に恵まれなかった使い捨てカメラで、お姉さんに写真を1枚撮ってもらった。 しばらくして、ソファーの上で眠り込んだ娘を抱いて、再び中央線に乗る。夕方で混んだ電車の中も暑く、汗が流れる。前に座ったお姉さんが見かねて、席を譲ってくれた。人に席を譲られることなど、初めての体験。ありがたく座らせてもらう。譲られた席は、何だか悪いような気がして眠ることもできず、ちょっと窮屈な感じがした。娘は八王子まで、眠り続けた。 そして、普通の休日が終わった。3連休。色々なことがあったような気がするし、何も起きなかったような気もする。 山が遠い。 |
| 寝て暮らす
2001年10月7日
宝くじが当たったら寝て暮らす。お金が無くても寝て暮らす。どの道寝て暮らす。そして、3日間で厭きる。 何もする気が起きず、一日中寝ていた。世のお父さんというのは、どうやらこうして休みの日を過ごしているらしい。そんな噂を聞いている。スーツを着ての慣れない外回りには、つまりこんな弊害があるのかもしれない。山に行くことができないのなら、人混みも見たくないし、人に会いたくもない。つまり、外に出るのが億劫になるということ。でも、それは多分やってみたかっただけのこと。所詮バーチャルな願望である。 山に送り出した3組のパーティーのことがちょっと気になる。夕方もそもそ起き出して、パソコンの前に座り、携帯電話を横に置いて、なんとなく待っている。山は好天。ルートは簡単。実力はある。不安要素はひとかけらも無いのに、意味も無く、何をするでもなく、モニターの前にいる自分。心配性なのかもしれない。そんなタマではないと思っていたけれど。人の度量ということを、ぼんやりと考える。 もっと、もっと、強くなりたい。 |
| 普通の日
2001年10月6日
娘の保育園の運動会だった。首からビデオとカメラをぶら下げ、ファインダーを通してひたすら娘の姿を追った。それを情けないと思うほど、妙に「男」を気取るつもりもない。人のカメラの前に立ち塞がり謝りながらも、半ば義務のようなものを感じつつなお娘を見続ける。内心でどう思おうと、それは行動と別のところにある。 いわゆる親子競技というものにも出る。ふせられたカードに書かれたものを買い、料理を作るという、借り物競争みたいな簡単なゲーム。娘の手を引いて、赤いコックさんの帽子を被って走る。母親用に作られた帽子は、小さくて頭に入らない。照れながらも、別にイヤな気もしない。恥をかけばかくほど、するべきことをしているような、安心感に浸ることができる。そんなことを考えていることが、既に後ろめたくも思える。 運動会の後、娘を多摩テックに連れて行く。思っていたより、ずっと高い入場料に驚く。それでも、今日くらいは・・・と思う。3歳の娘には、乗ることができるアトラクションはあまり多くない。意外と過激な遊びが好きな娘にとっても、あまり面白くはないらしい。1時間もたたないうちに乗るものが無くなり、入場料のことを思えば、すぐに出る気にもならず、ベンチに座って、意味も無く走り回る娘を、ぼーっと眺めながら過ごす。ちょっと侘しくなる。自分が失業中であることの悲哀を、ふと思った。 夜、茂倉沢を登りに行く、ゲンさん、タカさん、スーさん、みきちゃんの4名を、差し入れを持って八王子ICI石井スポーツ前まで見送りに行く。出張で行けなくなったにゃんちゅうさんも現れる。店の前の歩道に車座に座って、何だか今にも宴会が始まってしまいそうな気配。明日の朝が早い茂倉組を、そうそう引き止めるわけにもいかない。できることなら、その車に乗ってしまいたい。だけどそれも叶わぬこと。楽しそうな一行を見送った後、にゃんちゅうさんと歩道に座りこんで、12月の黄蓮谷と忘年会の日程についての打ち合わせをする。12月かぁ。いったいどんな暮らしをしているだろうか。 かねてから予告されていた、様々なイベント?をこなしながらも、後ろめたく、侘しく、寂しい。何だか、そんな一日だった。それはおそらく、にん2にとっての、普通の日なのだろう。 |
| 横浜という街
2001年10月5日
最近横浜をうろうろしている。いわゆる政令指定都市というやつなんだろうが、知れば知るほどスゴイ街である。 横浜市と言うくらいだから、ただの”市”のはずだが、とにかく広い。これは東京都23区に匹敵する広さではなかろうか(推測なので突っ込まないように)? にん2の住んでいる八王子も、市としてはかなり広い部類だが、それとは比べ様も無い。だいたい、一つの市の中に、いったいいくつの駅があるのだろう。恐ろしく思うのは、そんな駅にはみんな繁華街があって、それを中心に多くの人が住んでいることだ。さらにその外側には、無数のニュータウンが存在する。要するに、半端な人口では無いということを物語っている。こんなことで、行政は総身に知恵が回りきれているのであろうか? 思うに、東京の区が”市”に近い感覚だとしたら、横浜の”市”は、”都”に近いものかもしれない。 学校と名がつくものだけでも700校以上。公立の小中学校だけで320校余りもあるのだから、一つの町に小中合わせて4校しか学校が無かった郡部の町出身のにん2にしてみれば、脅威としか言い様が無い。 いくら電車の駅がいっぱいあっても、とてもカバーしきれないから、バス路線もよく発達している。それでも、ちょっとやそっとで行けないところもいっぱいある。そういう所は車で移動ということになるのだが、とにかく道が狭い。基本的に丘陵地帯なので、気がつくと階段で行き止まりなんてところも無数にある。この辺が総身に知恵が回りかねているところなのかな? そう言えば、いわゆる幹線道路と言うものも、案外少ないような気がする・・・渋滞の名所もいっぱいあるし。 ようするに、車ベースの生活も、徒歩とバスの生活も、どっちも厳しいと言えるような気がする。山は遠いし、にん2としては、あまり住みたいと思える街ではないな。 何だか、誉めているのかけなしているのか解らない文章になっちゃったけど、夕方の横浜駅の雑踏は、新宿か渋谷に近いものがあって驚異的ですらある。多分、日本中捜してもこんな”市”は他に存在しないだろう。そういう意味では、やっぱりスゴイ街と言えるのではあるまいか。市の財政もかなり苦しいようだが、これだけ肥大してしまっていては、それも致し方あるまい。開発整備したは良いが、雑草に埋もれてしまうようでは先が見えている。市長さんも、苦労していることだろう。 もうしばらく毎日の横浜巡りが続くのだろうけれど、きっと最後まで馴染めないだろうなぁ、と思うのだ。それはあたかも、関東にあって、大阪にいるような感覚、と言えるだろうか。住めば都と言うけれど、そこに身を置く自分を考えた時、何だか淋しい気持ちがするのはどうしてかな? 多分、人間が認識できる”街”、強いて言えば”故郷”と言うものが、実は案外狭いものであることがその要因なのだろう。そう言う意味で、この街はもう限界まで来ているのかもしれない。 住んでいる街と、人の心の交流。簡単なようで、結構難しい。 |
| 巨星墜つ!
2001年10月2日
鶴見駅でキオスクの前を通りかかったおり、ふと見たスポーツ新聞の見出しを見て衝撃が走った。 「古今亭志ん朝氏 急死!」 嘘だろ! この間弟子の右朝が無くなったばかりなのに・・・そんなことがあっていいわけが無い!! けれど、それは事実だった。残念だ。それしか言い様が無い。まったくもって、残念だ。 当代に名を連ねる噺家は数あれど、本物の「芸」と呼べる噺家は数えるほどしかいない。にん2ならずとも、その筆頭を上げるとしたら、志ん朝を第一とするだろう。残るは、柳屋小三治か、立川談志か・・・人間国宝になってしまった柳屋小さんと桂米朝は、寄る年波に勝てず、パワーダウンするばかりだし・・・これから、落語界はどうなってしまうのだろうか。 名人の誉れ高い父、五代目古今亭志ん生には、二人の息子がいた。そう、もう過去形でしか、話ができないのだ。兄の金原亭馬生の芸も素晴らしかったが、短命だった。「長生きも芸のうち」と言われる噺家のこと。弟、志ん朝は、スピード感溢れる話芸に、歳を重ねた渋さが加わり、もっともっと良くなるはずだった。落語ファンなら、誰だってきっと、80歳の志ん朝の噺が聞きたかったに違いない。これを、残念と言わずして、何を残念と言うべきだろう。 けれど・・・ひとつだけうれしく思うのだ。落語ファンには2種類の人種がある。それは、名人五代目古今亭志ん生を生で聞いたことのある「志ん生に間に合った」世代と「間に合わなかった」世代。その区分けに、新しい1ページが記される。 我々は、これから落語ファンになる人達に、自慢気に、懐かし気に、遠くを見ながらこう言うことができる。 「古今亭志ん朝を、生で聞いたことがあるんだぜぃ!」 その喜びを与えてくれた巨星に・・・・合掌。 |
| 高過ぎる場所
2001年10月1日
この週末は、本邦2位の高峰北岳の岩場「北岳バットレス」に遊んできた。にゃんちゅうさん、三吉くん、暁のゲンさん、にん2の4名を、2名づつ2パティーに分け、四尾根を登る、暁のゲンさん、にん2組と、上部下部フランケを登る、にゃんちゅうさん、三吉くん組によるミニ集中という計画だ。 多少の渋滞につかまり(もちろん岩場のね)はしたものの、順調に登攀終了点に抜けた四尾根組に対して、ルートを見失い、予想だにしなかったショッパイ登攀を強いられたフランケ組は、結局ヘッデンを出しての夜間登攀となってしまったが、内容的にはまずまず楽しめたようで、終わってみれば概ね成功という結果ではなっかたのかな(笑)。そのあたりの紆余曲折、ハラハラドキドキは、記録のアップを待ってもらうことにしよう。 ま、それはそれとして、にん2の私見による四尾根の感想はというと、とにかく苦しかった。もひとつおまけに、寒かった。 登攀自体は、とんでもない高度感にそれなりの緊張はあるものの、それほどの困難は無い。と、いうより、むしろ簡単というべきかな。あれなら、勘七のF5の方が難しいと言っても良いだろう。「あんた達なら、ノーザイルで行けるよ!」というスーさんのアドバイス?は極論としても(実際フリーソロのクライマーもいたけどね)、まあ、滅多なことではテンションがかかるようなことは無いのではなかろうか。だからこそ、余計に苦しいとも言えるのだけれど。 今回は「頂上ビバークで星を見よう!」というテーマだったから、テントを含む全装備を担いでいた(もちろん酒も)。水は各自2Lオーバー(行動中の飲み水も入れたら3L以上だ)。これが重い。特に、ロープ、ガチャ類の登攀具がザックに収まった状態で登る、取り付きまでのアプローチのきつさと言ったら、言語を絶するものがある。おそらく25kg近くはあったのではなかろうか?おまけに、頂上に抜けてもせいぜい2000mそこそこに慣れた沢屋の体には、3000mの希薄な空気は拷問以外の何物でもない(ちょっとオーバーかな? ま、体質もあるからねぇ)。 岩そのものは簡単だし、前後のパーティーに急かされるから、自然と登高スピードが速くなる。弛まないようにビレイヤーがロープを手繰るのだって大慌てだ。そんなこんなで、何をするにも息が切れて仕方が無い。文字通り、存分にヒーヒー言わせてもらった。世間には8000mでクライミングをやる人間がいるんだから正気の沙汰とは思えないよ、まったく。 好天に恵まれ、冴え冴えとした月に照らされて雲海に白く浮かび上がる鳳凰三山は幻想的で素晴らしく美しかった。けれども、それは同時に放射冷却の厳しさを物語っている。なかなか登って来ないフランケ組を待つ間の寒さと言ったら・・・治りかけていた風邪が、すっかりぶり返してしまった。高度障害だか、風邪だか、二日酔いだか、何だか良くわからない頭痛を抱え、下り天狗のゲンさんに引っ張られるハイスピードな下山には、久々に体が悲鳴を上げたもんです。 ということで、高地トレーニングは今後の課題かな。でも、きっとやらないだろうな。今更手遅れってのもあるけど、高いところに登ったという事実を体感する! というのも一つの楽しみでしょ、違いますか? |
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