雑記帖2001年2月分

ここでは、21世紀を記念して、このWebの管理人「にん2」の身の回りに起こったことを不定期更新お気楽日記風に書いていこうと思います。

お昼寝の話し        2001年2月28日

今まで隠していたが、にん2は一日に4回昼寝をする。午前10時の休憩に15分、昼休みに20分、午後3時の休憩に15分、そして定時が終わって残業が始まる午後5時半から45分までの15分の4回だ。

デスクの下にキャンプで使うロールマットをひいてマクラを置き、アイマスクをすれば準備完了。すぐ耳元でワークステーションのファンの音を聞きながら意識不明になるのは、慣れると最高に心地よい。極楽ゴクラクってヤツ。だいたい、営業で外回りなどしていたら、こうやって手足を伸ばして昼寝をすることなどそうそうできないのだからとっても恵まれているのかもしれないな、とも思うのだが、夜の睡眠時間が少ない分をこれで補っているというのが事実だから、あんまり誉められたものではないのかもしれない。

5〜6年前は、全社的な定時は20時くらいだったのだが、何時の間にか22時になってしまった(規定の定時は17時半だけど、誰も帰れないの)。本格的な残業はそれ以降だから、たまに夜10時くらいに帰れると、皆で「定時だぁ!」と喜ぶ始末。17時半に帰るのは早退と呼ぶ。早退で帰ると、夜のあまりの長さに「八王子にこんな時間があったとは思いもよらなかった!」ということになる。

そんな感じで、にん2に限って言えば、寝るのは大概午前3時くらい、起床は7時だから平均睡眠時間は4時間というところだろう。だから、にん2の会社の昼寝人口はとっても多い。主に昼休み中心で、寝方は人それぞれだが、ハスミちゃんなどはマットをひいてシュラフに入って寝ている。調べてみたら、シュラフ派は2人、にん2も所属するマットのみ派が3人、椅子を並べてその上派が1人、デスク倒れ込み派が1人ということになった。まるでビバークだね。夕食はお菓子などの行動食で済ましてしまい、まともな食事は1日2食だから、ほとんど毎日遭対訓練をしているようなものだ。遭難しているのは皆30歳オーバーの連中で、20代の若者はラウンジで”笑っていいとも”なんか見ている。やっぱり若者は若いねぇ、って、あたりまいだ。

まあ、にん2には「寝ているのは、死んでいるのと同じこと。」というとんでもない持論があるので、これはこれでいいのだが、労働基準監督所とかに知られるとちょっとヤバイでしょう、これは。早くなんとかしてもらいたいものだ。どうすれば良いのかはわからないが・・・。

それにしても最近の雑記帖は仕事の愚痴が多いなぁ。どんどん長文になるし・・・。身の回りと言ってもほとんど会社にいるわけだから仕方ないんだけど、これからは気をつけよう。明日は早退してインドアでも行こうかな。ね、三吉くん。


1000分の1ミリの憂鬱        2001年2月27日

にん2が試作の仕事をしていることは以前書いたが、今日、部下の一人がNGを出してクライアントに作り直しを言い渡された。同業者でなければ理解し難いと思うが、この仕事は時間単価というもので品物の値段を決めていて、例えば20時間かけて作ったものがNGになれば、丸々20時間分の損になるわけだ。値段のことはここであんまり言えないが、「こんなものがそんなに高いの!!」と、普通の人ならビックリする値段とだけ言っておこう。

さて、どんなNGで作り直しになったのか聞いて驚いた。たくさんあるボス(品物から生えている位置決めのシャフト)の1本が、1000分の1ミリマイナスしていると言うのだ。1000分の1ミリですよ、1000分の1ミリ。直径が1mm、高さが3mm程のボスが髪の毛の幅の100分の1細いからと言って、それが地球の環境と人類の平和にとって、何の差障りがあると言うのだ!! って言いたくなるでしょ。部下もふて腐れちゃいました。時々いるんです。こういうことに拘る御仁が。

まあ、にん2の会社では、100分の1ミリの精度を出すことを売りにして仕事を取っているわけだから、今更何をか云わんやなんだけど、さすがにこれには参った。だいたい、大の男が、100分の1ミリとか2ミリとか、小せぇことでつべこべ言うんじゃねぇ! とNGを出すたびに怒ったり泣いたりしているんだから、因果な商売と言えばいえるんだけど、そういう拘りを持っているからこそ、男の仕事とも言えるんだよね。部下の中にはうら若い女性もいるので、矛盾だらけのような気もするけどさ。

日々の葛藤。「モノつくり」とは、そういうものです。日常使う些細な製品にも、そういう苦労が染み込んでいるわけですから、どうぞ感謝して使ってくださいネ。と、にん2のささやかなお願いでありました。


カオスの海で        2001年2月26日

少し前に、モンキーズの掲示板で複雑系という言葉を知った。カオスはその系の中に含まれるのだそうだ。にん2は、学問や理論としてのカオスについてここで書ける程の言葉は持たないが、潜在的な意識の中でのカオスの”精神性”みたいなものにはちょっとひかれるものがある。

カオスを一言で定義すると「法則によって支配されながら法則性のない振る舞い」と言うのだそうだが、にん2の中でカオスから連想される言葉は「宿命」であり「運命」であり「始めと終わり」であろうか?

学問としてのカオスを簡略化した例として挙げるとすればこういうことになるようだ。「全く同じ遺伝子を持った双子の赤ん坊が、だからと言って全く同じ人生を歩むわけではない。強いて言うなら、生まれた時間が僅かに違うからだ(始点の僅かな違いが後に膨大な誤差を生む)。しかし、いくら違う人生を歩むと言っても、途中から犬になってしまったりはしない(一件混沌に見える振る舞いでも、ある軌道の束から逸脱することは希である)。」 本当にこういうことなのかどうかは、にん2の乏しい頭で理解できる範囲のことなので怪しいものだが、5次元6次元という想像もできない時間系で、これらを数式的に体系化しようとするのがカオスとうい学問らしい。

人の一生はあらゆる可能性と結末に満ちている。その連綿を言葉で言うなら「運命」だろうか。しかし、自らの意志ではどうしても外れることのできない道筋もあるように感じる。これは「宿命」と言えるような気がする。どうですか?上の例に似てませんか? カオスを「東洋の思想を西洋の言葉で語る」と表現した人もいるそうだが、そう言えば「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉は、本意はともかく、ちょっとカオスっぽくはないだろうか。う〜ん、安易かな。

運命と宿命。我々がこの言葉に翻弄され一生を送っているのだとしたら、それはカオスの海(この言葉は本当にある)でもがいているのだ。だが、カオスの混沌にも地平がある。「山よりでかい猪は出ん」とも訳せる(汗)。安心できる? できないか・・まあ、そうだろうな。でも・・諦めることはできるでしょ。


形から入る        2001年2月25日

久しぶりに丹沢早戸川流域に足を運んだ。顛末は山行記録に譲るとして、数年前に本間沢の遡行で出掛けた時はまだオフロードだった早戸川林道の丹沢観光センターまでの区間が、全て舗装されて立派な?道に変わっていた。

早戸川林道は、まだにん2がオフロードバイクで林道を走ることを一つの趣味にしていた頃(多分15年以上前)、学校の昼休みによく走りに行った、言わば青春の場所(ちょっと大袈裟かな)。次々に各地の林道が舗装され”走る場所”に危機感を募らせながら、ピストンではあるが近くて楽しいルートとして犬越路林道と共に相当な頻度で通い詰めていた。言わば岳人にとっての谷川岳みたいなものかな(これはかなり大袈裟)。

今更できてしまったものに意義を唱えたところで、どうすることもできやしない。関心がなかったこっちも悪いのだし、多少なりとも恩恵を受けている。それでも、やっぱり寂しい気持ちが無いわけではない。まあ、その辺に付いては、諸氏が様々な切り口で語っておられることでもあり、この場で言及することも無かろう。またの機会に四方山話ででも書くことにしよう。

それにしても管理釣り場だ。あの人達は本当にあれで良いのだろうか? 管理釣り場の存在意義はある程度認めないことも無いが、一様に雑誌から抜け出したような姿形で、同じ池に何人もの人間がフライロッドを振っているのを見れば、誰だって「なんか間違っている!」と思うでしょ。少なくともにん2は思うね。シーズン前の練習にしても、あのユニフォームは不条理だ。あの釣り方なら浴衣にドテラだってそう釣果は変わらないと思うのだが・・・。サラリーマンのスーツみたいにみんなと同じじゃないと不安なのかな(BOSSジャンのCMだね)。お気がつかれていないようですが、外から見るとかなり異常な光景に映るんですけど・・・。

形から入るというのはひとつの手ではあるが、あの中の何人が自然の渓流で釣ったことがあるのだろう。もっとも最近は、人口壁しか登らないと豪語するクライマーもいることだし、こっちもあんまり人のことは言えないけど、やっぱりちょっと訊いてみたいなぁ。みなさんはどうです?


ホタテを釣る話        2001年2月23日

今日、雑誌を読んでいたらホタテ釣りの話しが載っていた。貝が釣竿で、それもリールの投げ釣りで釣れる!? これには正直驚いた。そんなことがあっていいのかねぇ。

どうやって釣るのかというと、仕掛けはいたって簡単。クリーニング屋でくれる針金のハンガー、あれの根元と両先端に錘がついたやつを想像してもらえばいいかな(北海道では”ホタテテンビン”という名で売っているのだそうだ)。それを投げ竿で、エイヤッと投げて、後はゆっくりリールを巻くだけ。ホタテというのは、上げ潮の時は、沖に向かって貝を開いてプランクトンを捕食しているのだそうだ。で、このハンガーがズルズルッと来て、口を開けたホタテに乗ると、パクリ、というわけ。そんなんで釣れるのかいなぁ、と思うけど、ポイントに当たれば1時間にひとり10個以上も楽勝なんだそうだ。

う〜ん、すごいねぇ。最初に考えた人のセンスに脱帽しちゃいますねぇ。そう言えば、北海道の義父が(にん2の姉が嫁いだ先のお父さんね)、リスを釣る話しをしてくれたことがあったなぁ。紐で直径8cmくらいの輪っかをこさえて、首吊りのアレみたいにしたヤツをリスの通り道に垂らすんだって。リスはそういう輪っかを見るとついつい首を入れたくなる習性があって、首を入れたらタイミングを計って、ヒョイッ、と。しかし、これはさすがに俄かには信じられないなぁ。もしかしたら担がれたのかな?

とにかく、今度北海道に行く時は一発挑戦してみよっと。もちろんホタテの方ね。


遅い        2001年2月22日

書いてないよ〜ん。ああ、忙しい。

とりあえず会社のHPのトップページだけリニューアルしました。それにしてもJAVAは遅いや。見栄えばっか良くって内容の無いHPよりシンプルなのが一番だな。デザインなんか1回見ればあきちゃうもんな。もう一度考え直そう。うん、そうしよう。

今夜からハスミちゃんとスノボに行く予定だったけど、行けそうもないや。でも、今年はそんなに猛烈に滑りたい気分じゃないからいいけどね。でも、山へは猛烈に行きたい。ネタが無いとこのHPも停滞しちゃうからな。雑記帖だけ更新しててもなんだし。何か新しいコンテンツを考えようかな・・・。止まっている四方山話でも書き進めるか。長南さんの逍遥の四方山話に負けないように・・・。

「えっ何? ああ、はいはいはい、わかりました。今行きますよ。まったくもう!」

じゃ、そういうことで。


我想う故に我有り        2001年2月21日

今日はモンキーズカヌ沈隊とMSCCの掲示板で力尽きてしまったので簡単に行こう。

昨日からの”マイコン”の流れで、その話しで盛り上がり、更に、”心霊”話しなどしているうちに、ふと考えた。

何故人間に魂があって、動物(本当は分からないが)やコンピュータには魂が無いのか。もしかしたら、人間の魂というのは、コンピュータで言うところの「無限ループ」に陥っている状態、つまり、回路の暴走状態によって発生しているのではないのだろうか、という発想だ。

デカルトの「我想う故に我あり」という言葉は有名だが、この言葉は、これを示唆していることのように感じる。動物の脳と人間の脳の違いは、脳細胞の発達の過程で、ニューロンのショートカットが発生し、思考が外部に出て行かない、あるいは、出ても極めて微量なループ、つまり「思考の無限ループ」を、持っているか、いないかの違いのような気がする。

この閉じた回路の上では、信号が無限にフィードバックされることによって、自分自信、つまり”個”というものが形成される可能性がありはしないだろうか?

今までコンピュータプログラムでは、暴走を招く無限ループは御法度ということになっていたわけだが、だとしたら、人工知能=コンピュータに魂を持たせるためのアルゴリズムに、「意識的に暴走させる」という発想を加えてみるのも面白い。アプリケーションレベルではなく、CPUの設計レベルで組み込むことができたなら、これはちょっとイケルかもしれない。

そう言えば、史郎正宗が「甲殻機動隊」の扉で、回路が自己増殖して暴走してしまった”ニューロチップ”というものを描いていたなぁ。あれが、魂(ゴースト)を持った人工知能=人形使いを暗示していたのかな。

はてさて、どうだろう。

 

プールの骨折通信 全文掲載

プールから、またまた骨折通信が届いたので、全文掲載します。

笹木です
 
今週はギプスが取れると思い、履物を用意して医者に行ったのですが骨の接合部に隙間があり、まだ強度不足と言われ、お預けとなってしまった。
次回、2週間後こそは!
 
今日、TVで所さんの笑ってこらえてでギプスのことをやっていました。
知っていましたか?ギブスではなくGipusuと”ふ”は濁らないんだって
知りませんでした。昔は、包帯に石膏の粉を付けてそれを湿らせ固めていたため、重く大変だったそうです。これをある日本の医療メーカが接着剤の原料になる合成樹脂と伸び縮みやすく織ったポリエステル製の包帯と組み合わせることにより軽く、水に強いギプスができたそうです。日本の技術者に感謝、感謝。
 
”粉吹きイモのような足”
1ヵ月を過ぎたあたりからギプス側の足指が白い粉を吹いたようになってしまい見ると日焼けで皮が剥けているような状態です。水虫?、皮膚病?、それとも汗とアカの結晶?といろいろ考えました。医者に聞くと新陳代謝が起きているだけと言われました。なぁーんだ。結局”アカ”なわけね。
少し、カサついているのでスキンクリームをつけて指でこすると出るは、出るは、みかんの皮の白いところのような皮膚のカスがぼろぼろと。アカが厚みを持って、大きく剥がれるとは思いませんでした。1ヵ月以上洗わず、靴等で擦られなかった結果でしょう。皮膚の入れ替わりを実感しました。

以前書いた、学生時代の骨折の時には、にん2のギプスも石膏でした。だから自分で取れたんだけどね。その後の何回かは、やっぱり水と反応して固まる樹脂包帯だったなぁ。もうちょっとだから、がんばってね。


Sピー君とマイコン        2001年2月20日

にん2の会社に去年入社したSピー君は、パソコンのことをマイコンと呼ぶ。なぜなら彼は、ハイテク浦島太郎だからだ。

にん2が最初にパソコンに触ったのは、今から20年前くらいだろうか?確かNECがPC−8001を出すか出さないかの頃だったと思う。アップルのAppleUが現役で、8KBか16KB(MBじゃないよ)のRAMを積んで30万円以上で売られていた時代だ。それから3年ほどの間に、シャープ、東芝、沖、三菱、富士通なんかがどんどん参入?してきて、パソコン界は正に百花繚乱、最初のパソコンブームだったのかもしれない。

さっきからパソコンと言っているが、この頃はまだこの言葉は無く、全てがマイコンと呼ばれていた。マイクロコンピュータと言うより、マイ(私の)・コンピュータの略だ。各地にベーシック教室などというものが林立し、今となっては何の役にもたたないBASICという言語を教えていた(こんなことを説明しなけりゃならない世の中になるんだもんなぁ)。いいとこのボンボンだった中学に入りたてのSピー君は、パパにねだってマイコンを買ってもらい、このブームに乗ったのだ。

中学3年間たっぷりマイコンヲタク道を歩んだ彼がこの道を外れたのは、ご多分に漏れず高校に入ってから始めたバンド活動。すっかりのめり込み、プロになれると確信して齢30を目前にした去年まで、プータロー生活を送ることになる。

こうして、にん2の会社に入って彼は再び今度はパソコンに触ることになるのだが、マイコンと言っては笑われ、写真が映ると言っては笑われ、マウスがうまく使えずに笑われ(昔はそんなもの無かった)、見ているこっちが気の毒になってしまった。バンドなんかに嵌まらなければ、今ごろはコンピュータ業界の第一線でバリバリ稼いでいただろうに・・・ロックとバンドは、勘違いし易い若者にとっては、やっぱり悪だなぁ、と考えさせられたりしちゃったわけだな、これが。

そんな彼も、最近ようやくパソコンの使い方にも慣れ、ホームページを開設したりしている。ある程度下地があるからそれなりに飲み込めるのだろう。仕事の方のマウスさばきはいまいちだが・・・。

MZ−80B、マイクロ8、FM77、88SR、PASOPIA、if800、ブラックオニキス、ウィザードリー、ドラゴンスレイヤー、ザナドゥ、メルヘンベール、オホーツクに消ゆ・・・・・今にん2は、消えてしまった幾多の星たちを肴に、彼と昔の”マイコン”の話しをするのが、密かな楽しみだ。


梅の花の咲くころ        2001年2月19日

会社の裏の白梅が、もうじき満開になる。山々がまだ真冬の中にあるこの季節、それでも里には春が確実に満ちてくる。季節が巡っている。

しんちゃんのお祖母様が亡くなられたそうだ。経緯はどうあれ、別れはいつも悲しい。土曜夜からのオフ会からの流れで、その悲しみに向き合うことになってしまった彼女の心中を想えば、季節の移ろいさえ残酷なもののように感じる。

人が歳をとるということは、知っている人がひとりづつ消えていくことなのかもしれない。今回のオフ会のように、新しい出会いで補充していくことはできるが、それは拒否することもできる。だが、死に行く者との別れは、誰も拒否することができない。人は、努力しなければ独りになってしまう生き物なのだ。だから、独りにならないための自転車操業を日々続けて行く。桜が咲く前に散り行く梅のように、順繰り順繰り、今日もペダルを漕ぎ続けている。

人ゲノムが解明され、2050年頃には、人の寿命は150歳位にすることができると言う。それも、若い肉体を保ったままだ。だが、どんなに長く生きても、悔いの残らない人生など勝ち得ることはできないだろう。足掻き、今よりも浮き上がらんとすることにこそ、人生の意義がある。それはまるで、ゴールの無いレースを走り続けるようなものだ。突然訪れる人の死の不条理と悲しみも、だから決して消えることはない。

だが、嘆くことはない。誰もゴールできないのなら、勝者も敗者もそこには存在しないのだ。恐れず、リタイアするその日まで、力いっぱい走り続けること、それだけが正解なのだから。

梅の花の咲くころ旅立った、しんちゃんのお祖母様に、合掌。


未来のビジョン        2001年2月17、18日

オフ会が無事終わった(この無事というところがミソだな)。金曜からの仕事を午前3時になんとか追っ付けて、寝たのが4時半。7時半に起きて娘の保育園のお楽しみ会へ。その後ご褒美代わりに、かねてからのご希望に沿ってサンリオピューロランドへ連れて行く。16時に帰宅して、すぐに車を走らせ、三吉くんの待つ東大和を経由し、会場の墨田区東京山小屋に到着したのが1時間遅刻の20時。笑いながらの馬鹿話から、マジな顔の自然論まで、大量の日本酒とビールを消費して5時近くまで盛り上がる。車の中で9時まで寝て、食事もせず、フリークライミングをするためTウォールへ。14時半まで遊んで、三吉くんを送りがてら八王子へ戻ったのが16時半。美容院へ行く妻を見送り、子供のお守りが19時まで。こうして、疾風怒涛の週末は終わった。ろくに食べなかったこともあり、久しぶりにグッタリ。やっぱり行動食は大切だな。

さて、オフ会だ。片手間で山へ行っている我々と違い、真剣に?山に取り組んでいる方々の貴重なお話に圧倒されることしきり。こんな所に、我々のような軟弱ものが加わっても良いのかしら・・・という感じだ。年間山行日数50日などという話を聞くと、自分のアップアップな山登りとの距離の隔たりに、眩暈がしそうな気分になる。まったく、出るのは溜め息ばかりだ。

そんな彼らを見ていると、一日が24時間では短か過ぎると感じる。今の平均労働時間は多分17時間くらい。子供とももっと遊びたいし、妻とも話がしたい。HPの更新もしたいし、できればもうちょっと眠りたい。それから・・毎週だって山へ行きたい。どれも削りたくないけど、一日は24時間しかない。仕事を削れば良いのだろうが、それもちょっと不本意だ。

仕事で将来のビジョンを問われることはよくある。例えば、1年後の自分とか5年後の自分とか・・・。今のにん2には、それがうまく見えてこない。3年前も、今と同じような生活をしていたから、5年先も変わりないのかもしれない。既にこの世にいない可能性だって、かなりの確立で有り得る。

オフ会に参加した彼らには、それが見えているだろうか? 独身者には、結婚というビジョンもある。30を過ぎれば、仕事の比重だってバカにできない。それらと山を重ねた時、 例えば、5年後にどんなスタンスで山と対峙しているのか、そこに見えるビジョンをもう少し訊いておけば良かったな。

羨ましい話をたくさん聞いた。うまくなりたい。行きたい。守りたい。色々な”たい”も理解できた。けれど、自分を含め、未来のビジョンが見えない閉塞感にも似た感覚に、少し身震いしたにん2であった。


明日がある        2001年2月16日

今、有線で「明日(あした)がある」が流行っている。昔、坂本の九ちゃんが唄っていた「明日がある」とは、歌詞がだいぶ変わってしまっているが、この旋律とフレーズは悪くない。ついつい口ずさんでしまう、23時過ぎの独りきりのCAD室だ。

今週はきつかった。何故かというと、本来なら出勤日であるはずの明日、有給をとって休むからだ。明日は、娘の保育園のお楽しみ会(学芸会のようなもの)へ行く。ご多分にもれず、撮影班に徹することになるのだろうが、それはそれで悪くない。普段、ほとんど動く娘に接することのできないにん2にとっては、こうして娘の成長を確かめられる機会は大歓迎だ。仕事を休む口実もできる(えっ? そんなことで休むサラリーマンはいないって? 何言ってんの!仕事には代りもいるし次があるけど、2歳の娘のお楽しみ会はもう一生無いんだぜ。どっちが大切か、ちょっと考えればわかるじゃん)。

そして、その後はいよいよMSCC初のオフ会「 関越硬派野営連合交流会」だ(雑記帖2月1日参照)。幾度となく会話(文字だけで)を続けてきた方々と、初めてお会いすることになる。こんな体験はちょっと他に無い。果たして鬼が出るか蛇がでるか。カヌ沈は平均身長2mになんなんとするそうだから、差し詰め鬼と言うべきか・・。いずれにしても、楽しみなことである。

我々は、明日があるということの幸せを、時々は思い出さなくてはいけない。世の中には、わけあって明日が無い人もいる。明日は誰にでも当たり前にやって来るようでいて、実はそうではない。意識無意識に係わらず、今日をしっかり生きた人にだけ許された時間なのだ。

あなたに明日が来たなら、それは死んでいない証拠だ。ガンバレば、また明日がやって来る。


Sの人になる        2001年2月15日

カヌ沈のフカマチ君が、2年で12kg肥って高脂血症と診断されたのだそうだ。今彼は「デーブ深町」とか「フカマチファット」とか呼ばれ、中でも自分では「ヒマンチ」がお気に入りらしい。

体重の話になるとにん2もあまり人のことが言えた義理ではない。身長から算出される標準体重というものがあるとしたなら、多分それより10kg以上は重いだろう。自分としては、毎日30kmの自転車通学をこなし、おそらくベスト体重だったと思われる高校時代から思えば、20年の月日をかけて4kgほどの体重増で済んでいるんだからいいじゃん!とは思うのだが、筋肉が脂肪に置き換わっている可能性もあるし、できればもうちょっと減量したいような気がしないでもない。でも、そう簡単ではないだろうなぁ。ねえ、フカマチ君。

ところで、何故タイトルが「Sの人になる」なのかと言うと(SとかMとか、あっちの話じゃないよ。山なんかやっているのは、どっちかつーとMだと思うけど・・)、最近あることに気が付いたからだ。

山用具屋でウエアを買う時に、今まで自分はずっとMサイズだと思っていた。実際Sを着ると、肩周りがきつかったり、胸が窮屈だと感じたものなのだが、この頃Sサイズが妙にしっくりくるのだ。腕の長さもちょうどいいし、足の長さももちろんちょうどいい(笑)。ウエストが74cmくらいでは不安かな?とも思ったのだが、これがぴったりなのだ(おお!感動!)。何故こういうことになったのだろう。痩せたわけではないし・・・筋肉の総量が減ってスリムになったのかなぁ・・・あれこれ考えて、こう思うことにした。

日本人の体位向上の結果、サイズの基準が上にシフトされたのだ!

そう思えばSサイズはお得。バーゲンの特価品も、SかLLというのは王道だし、ヒップ周りが大きいにん2には、レディスのLという変則業もあるぞ。おお!Sサイズ万歳だ。

でも最近、輸入もののスニーカーなんか「ちょっといいな」と思うと25cmからだったりして悔しいこともなくもない。にん2は24cm強という感じだから履けば履けるけど、山で使うには緩いんだよね。ああ、これもレディスがあるじゃん! と思ったら・・・幅が狭いや・・・。

そうそううまくいかねいやねぇ。


チョコうかれの日        2001年2月14日

今日は”チョコうかれの日”です。皆さん、案配はどうですか?

にん2は一応課長さんなので、部下の女の子が義理チョコをくれましたけど、「いつもすまないねェ。」くらいで別に感慨もありません。しょせん既婚の中年さんにとってはほとんど関係ない世界。トキメキと共に、この日を待ち焦がれた頃が懐かしいですな。もっとも、その頃まともにチョコレートをもらった記憶などありませんが・・・。

だいたい、山へ行けば休憩のたびにパーティーの女性からチョコをもらったりするんだから「女性からチョコをもらう」こと自体には慣れている?んだけれども、やっぱり、”この日”にもらうことに意味があるんでしょうね。でも、「義理チョコでも嬉しい。」ってのはちょっと嘘だな。やはり、何らかの意志表示とともにもらわなければ。果たして、日本中にそういう幸せ者は何人位いるものなのでしょうか? 本当はそんなにたくさんいないんじゃないの〜、と悔し紛れに考えたりする今日この頃です。

既に”できて”しまっている、恋人や妻からもらうチョコが、本当の”チョコうかれチョコレート”と言えるか!!と、声を大にして叫んでいると・・・ヤバ〜、またぞろ仕事で今日中に帰れず、それさえもまともにもらえない恐れがあるので、本日はこれまで。

カヌ沈の皆さん。軟派ですみません。


鉄を削る        2001年2月13日

「鉄を削る」(小関智弘 著 ちくま文庫)読了。

にん2はプラスティックを削る仕事をしている。ABS、PC、POM、PMMA、etc・・・。一般に馴染みの無いこれらの名前も、使われているものを上げれば「ああ、あれか。」とあまりに身の回りに溢れていて驚くことだろう。にん2の会社では、これらの素材の塊から、削り出しでクライアントの意図したパーツを作り上げる。製品開発の段階で、コンピュータや人の頭の中にある形を、言わば最初に実体にする仕事だ。一般の人が手にする製品は、金型という金属の型にこれらのプラスティックを溶かし充填して作られる量産品であり、形は同じでも、まったくその生成方法は異なっていることになる。この仕事を試作と言い、それをする人間を試作屋と呼ぶ。

鉄とプラスティック。この相反する物質に携わる作者と我々の間に、全く溝が存在しないことに驚かされた。同じように悩み、考え、工夫し、実践する。芸術品のように個人が評価されることは無いにも係わらず、誇りと自信に溢れ、充実した仕事を楽しんでいる。もの作りの心は、例えその形や方法が異なっても、一つなのだなぁ、と感動させられた。

ご多分に漏れず、にん2の会社でもIT化の風は吹き荒れている。フライス盤のハンドルを手で回して加工した時代はとうに去り、コンピュータとNC(数値制御)のマシニングセンタが、社員が帰宅した後も無人運転で加工を続けている。職人の時代は去ったのだと言われたこともある。だが、そうではない。職人という言葉の定義があるとすれば、にん2はこう考える。

「職業人として自立していること。」

仕事の上で降りかかってくる、あらゆる困難を自らの創意と工夫で乗り越える力のある人。ハンドルを手で回しても、マウスでアイコンを操作しても、その本質に変わりがあろうはずがない。一朝一夕では為し得ない熟練と経験の世界。どこか山登りに似ていないだろうか?。

そういう世界に身を置いていることに喜悦の念を起こさせてくれた。そんな一冊だった。 


水の世紀        2001年2月12日

水の世紀が始まったのだそうだ。国力の要に、国土の保水力が数えられる時代になるという。だとしたら、日本の将来は安泰だ・・・なんてことを言っていられない状況であることは、沢屋なら皆心得ていることだろう。

関東でも、奥多摩にしろ丹沢にしろ、沢筋まで降りた下草の無い暗い杉林は、もはや見慣れた風景だ。ここでも既に他の破壊とは逆の奇妙な現象が起きている。人が手を加えないから破壊が進むのだそうだ。勝手と言えば勝手、無責任と言えばあまりに無責任。目先の利益に目が眩んで植えまくった林を、採算が取れなくなったからほったらす。自然との物々交換を忘れてしまった日本人の姿がここにもあるということか?

と、書いたところで、わかりきっていることを改めて書くことがバカバカしくなってきた。

そこで一言。「あの暗い林、テキトーに切っていいなら切りますけど?」


大敗退        2001年2月11日

敗退しました。すみません。仕方ないので、言い訳でも書きましょう。

10日朝、東沢に入ると、トレースは山の神の手前まで。乙女の沢までも人が入っていないようです。積雪は1m以上。山の神からはひたすらラッセルでした。おまけに、雪の保温効果のためか、気温が低いにも関わらず、水面はほとんど結氷していません。前後して入った男女ひとりづつのパーティーは「失敗した。車にワカンを取りに行って来る。」と言って後退。我々は予想していたので、ワカンをつけてひたすらラッセルです。でも、稜線のラッセルと違って、大岩のゴロゴロした川床のラッセルは非常に難しいものです(平均時速500m)。水面が厚い雪で覆われているため、見当をつけて渡渉を試みるのですが、落とし穴のように踏み抜くこと数度。全員がプラブーツを浸水させてしまいました。極めつけは、釜の沢出会いまでもう少しというところで、ケマ兄、三吉くんが歩いた踏み後ににん2が乗ったとたん、ボコッと大穴が開いて、黒い水面に吸い込まれてしまったことです(体重の差?)。下は深い釜で、ザックで辛うじて止まったものの、腰から下は完全に水の中。足をバタバタさせても空しく水を掻くだけ。叫び声に振り返った三吉くんが必死で引っ張り上げてくれて這い上がれたものの、もしひとりだったら・・・そのまま厚い雪の下に吸い込まれてしまったら・・・考えるとぞっとしてしまいました。

笑いながら、ブーツを脱いで水をザーッっと。長靴じゃねぇつーの。靴下を予備と換えても、インナーが水を吸ってしまっているので意味ないし、仕方なく、そのまま歩き出しました。ところがさすが冬山、30〜40分もラッセルを続けるうちにも、みるみる足先の感覚がなくなってくるし、なんだかヤバイ感じです。そこで、釜の沢に入ってすぐの、魚留めの滝下で行動を中止することに決定。幕を張りました。午後3:45です。

焚き火で乾かそうにも、流木は全て深い雪の下です。テントに入ってガスバーナーで暖を取りながら、感覚が無くなって白くなったつま先を、叩いたり揉んだり擦ったり。どうにかあの世から呼び戻すことができました。

さて、幕にした魚留めの滝は、非常に微妙な位置にあります。次の日甲武信小屋まで詰め上げるためには、今日のラッセルから予想して8時間以上はかかるでしょう。積雪が増える可能性もあるので、それも微妙なところです。加えて、濡れしまったブーツやアウターと、それを乾かすために、ガスを予定の倍以上使ってしまいました(でも生乾き)。もうワンビバークするには、やや心細い計算です。水はザーザー流れているし、同じようなことになったら、今度こそヤバイかもしれません。

3人であれこれ検討の結果、バックする方が無難であろう、と決定。そうと決まれば、焚き火は無くともいつもの沢の夜です。持ち上げた酒を全て開け、12時過ぎまで蛮歌高唱。起床は掟破りの午前9時。忙しいサラリーマン3人組が、日ごろの寝不足と栄養不足、そして運動不足を全て解消する旅となりました。

どうも今年はこういうパターンが多いなぁ。でも、それなりに楽しんでいるので良いのではないかと・・・。志は高く。行動はそれなりに。まあ、そんなところでしょう。詳しい報告はまた後日。三吉くんからいたしましょう。お付き合い感謝。では、また明日。


今夜も出発日        2001年2月9日

今夜から奥秩父は東沢の釜の沢へ行く。この遡行が成功すれば、釜の沢の姿をフルシーズン拝めたことになる。しかし、現地に問い合わせると、渓谷入り口付近でも積雪1mオーバーとのこと、そうそう人は入っていないだろうからおそらくひたすらラッセルということになるのだろう。この2週間仕事が忙しくて、運動らしい運動をしていなかったこともあり、果たして体力的にもつのかどうか。

加えて今回は食料の軽量化になるような手段を少しも講じていない。昨日の夜10時過ぎに仕事を抜け出して、スーパーで買い物をしながら適当に決めてしまった。はっきり言って夏の沢登りそのままのメニューである。一日目の夜など、調子に乗ってキムチ鍋だ。白菜が半分そのままザックに入っていたりする。これであの長い東沢のアプローチを歩ききれるのだろうか?不安である。なんだか最近どんどん準備がおざなりになっていくような気がする。もっと準備をする時間をくれ! と言いたい。だってまだパッキングもしてないんだも〜ん。え〜と、今日の待ち合わせが22:30だから、仕事を20:00までやって家に帰ってぇ・・・。あ〜もういいや。明日の朝現地でパッキング!

良い子は絶対真似をしないように。


雨の日にプールは        2001年2月8日

スキーで骨折中のプールから途中経過のメールが来ました。本人未承諾だけど、カッコイイからここに一部を載せちゃいます。いいよね?

通勤中、恐れていた雨の日が来てしまいました。
両手で松葉杖を持っているので傘はさせません。合羽の登場になりました。上は、ダークグリーンの合羽に黒のスキーオーバーパンツ、右足にはスパッツ、靴はゴアテックスの防水と竹の子取りに行くのと変わらないスタイル。ギブス足はビニール袋、背中にはザックカバーをしたディパックといういでたち。フードを被り、雨の中歩いていると ”何やってんだか”と呟いてしまいます。

なまらカッコイイんでないかい? これで電車通勤は。

まだバイクしか無かった学生の頃、こけて足を骨折した時のことを思い出してしまいました。松葉杖に紐をつけて、忍者刀みたいに背中に背負って学校へ行ったっけ・・・。その頃は宅急便の仕分けのバイトをしていたんだけど、生活苦からやめるわけにもいかず、杖をついて仕事を続けたもんです。真夜中の広い倉庫はむき出しのギブスの爪先に冷たかったなぁ。そう言えばあのギブス、医者に行く金がなくて最後は自分で壊して外しちゃったんだよね。結構硬派じゃん。いや、無茶苦茶と言うべきか。

とにかく、プールさんがんばってね!!


大人になるということ        2001年2月7日

にん2の会社では、有線で歌謡曲をずっと流している。これで最近、尾崎豊がよくかかる。もしかして命日が近いのかな? 良く知らないけど。

尾崎豊が最初にブレイクしたのは、にん2が大学に入って間もなくのことだから、多分二十歳そこそこだったと思う。「17歳の地図」とか、この時は結構感動したし、共感できる部分もかなりあったのを覚えている。しかし、今改めて聴くと「何いってやんでぃ!」と思うことが多い。「まともな仕事が見つからずに荒れ果てた暮らし・・・」なんて言われると、「仕事にまともも、まともじゃないもねぇだろ!」とか、「自由になりたい・・・」だと「自由も不自由も総べて自分次第。自由になれないのはテメエがそうしようとしないからだ!」とか、腹を立てたりする。

大人になる、ということはどういうことなのだろうか。子供はよく「大人はわかってくれない。」と言うが(ステレオタイプかもしれないけど)、多分大人になった今はこう思う。「子供はわかってない。」

人の親になり、家を買い、仕事の何たるかがわかってくる。そうして、初めて見えてくるものもある。若気の至り、というのは虚言ではなかったのだろう。あの時自分に意見した大人の悲し気な瞳は、きっと若者には見えない何かを見ていたに違いない。

しかし、あの時の自分と、今の自分は他人のようで他人ではない。大人になることが尽く是であるとは言えないことも良くわかっているし、時に悲しくなることすらある。掲示板で「人それぞれですから・・」なんて書いた後、そんな風に考える自分に嫌悪感を覚えたりする。本音と建前と言いきってしまうほどでは無いにしろ、自分の中では、未だ大人と子供が葛藤しているのかもしれない。喜ぶべきか、疎ましく思うべきか。結論なんて出ないに決まってる。人は一生かかって成熟する生き物なのだ。

大人というのは、単純にそれをわかった人の呼び名なのだろう。

あなたは大人ですか?


災い?転じて福となす        2001年2月6日

右翼と言えば、にん2が勤めている会社の第二工場の脇に、大きな駐車場がある。と、言うより、工場が駐車場の一部を間借りしているのだが、この駐車場に、見るからに厳つい右翼の街宣車が3台ほど止まっている。普通の地主なら眉をしかめて排除しようとするところなのだろうが、この人は違った。何故かと言うと、この街宣車が不利益どころか、意外にも駐車場の治安に役立っているからなのだそうだ。

以前まだ街宣車が無かった頃は、夜、近所の不良どもが集まってシンナーを吸ったり車にいたずらしたりということが頻繁にあったのだそうだが、今は、そういうことがピタリと止んだと言うのだ。成る程、不良ならずとも、ちょっと近づき難いだろう。まあ、新規の契約者は集まらないかもしれないが、既に満車であれば何の問題も無い。

ひょっとして、これはビジネスチャンスではないかい?「街宣車貸します。駐車場の治安維持に、当社の街宣車を是非1台!!」てな売り文句で、スクラップになったバスをつや消しの黒で塗って、白字で大きく「北方領土返還」と書いて日の丸のステッカーをペタリ。おお、これはいい。殆ど元手いらずだ。誰かやってみたら。(笑)

ところで、この街宣車を出し入れに来る右翼の構成員?の方々が、我々にもしっかり挨拶してくれてスゴク礼儀正しいのには驚く。きっと事務所の壁に「地域の皆様に愛される○×会」とか貼ってあって、幹部の皆さんにしっかり教育されているのだねぇ。なんだかカヌ沈隊を思い出してしまった。イデオロギーは違っても、硬派仲間ということで・・・。

ゴジラのテーマを大音量で響かせて、今日も街宣車は出勤して行く。


J−WAVEが嫌い         2001年2月5日

にん2はJ−WAVEが嫌い。アジアの人達、ひいては世界中の人達に対して恥ずかしいと思う。言ってみれば日本の恥。日本人が、日本人のために大真面目で放送しているということが既に大笑い。そのくせ、地震で同胞が何千人死んだってどこ吹く風。なぜ恥ずかしいか解らない人は、きっとJ−WAVEを喜んで聴いていることと思うので、一度頭を冷やすこと。

三吉くんがカナダで言われたそうだ。「ワーキングホリデイで来ている日本人はどうしようもねえなぁ。ドラッグはやる。乱交はする。勉強も働きもしないで遊んでばかりいる。日本人の若者はみんなああなのか?」三吉くん曰く「それは当たり前ですよ。日本でまともに働けない奴等がこっちに来てるんだから。」

う〜ん、勇気ある発言。全てとは言わないまでも、一理あるかも・・・。

「お前の宗教は何だ?」「 日本の歌を唄ってくれ(モーニング娘なんか唄うなよ)。」「日本は社会主義国家か?違う?じゃあ何だ?」「日本の元首は天皇なのか?」「武士道って何だ?」「 空手を教えてくれ。」「日本軍はもう攻めてこないのか?」・・・etc、一つも満足に答えられない奴は出国禁止。せめて”ソーラン節”くらい全部覚えて行くように。

一番恥ずかしいこと。それは、自分と自分の生まれた国のことをよく知らないこと。つまり、自己認識の欠落。自分が何者なのかを、ちゃんと答えられるか。

やっぱり沢屋って、基本的に右翼だよなぁ。(笑)


ようこそ先輩        2001年2月4日

今日のNHK「課外授業 ようこそ先輩」(総合午後6:15)見ましたか?見ていない人は残念なことをしましたねぇ。仕方ないので、再放送を楽しみに待っていて下さい。クライマーなら誰でも知っているあの人、そう、あの人が先生でした。

自分はスゴイんだぞーというような言葉がちょっと気になったけど、あの笑顔と明るさで押し切られたら、誰だって納得しちゃうかもね。クライマーとしての実力は言うに及ばず、多分それ以上に、少年のような純粋な心が世界に受け入れられたんだろうなぁ。それを証明するように、子供達の受けも、なかなかのものでした。何故かうちの娘まで、「がんばれ〜」なんて叫んでいましたよ。いずれにしても、プロとはこうありたいものです。

そう言えばケマ兄は、高校生のこの人をバイクの後ろに乗せて、鷹取山へ連れて行ったことがあるそうです。人に歴史ありですねぇ。


怖い話         2001年2月3日

今日、怖い話を聴いた。現在、にん2の叔母が静岡県の某病院に入院しているのだが、入院して1週間ほど過ぎた頃、看護婦が「お注射しましょうね。」と病室にやって来たのだそうだ。気丈な叔母は、普段のメニューに無いその見慣れない注射を不信に思い、「そんな色の注射、したことないけどぉ?」と言ったら、看護婦曰く「あっ。ごめんなさい。部屋を間違えたわ。」って、オ〜イッ!!

これって、怖い話でしょ。

もう一丁。

昨夜からこちらに出て来ていて、この話をしてくれた母が、シズハ(娘2歳)に訊いている。「じゃあねぇ。パパは男?女?」しばらく考えて「しーちゃん、パパは女の子だと思う。」・・・・唖然。

その時ふと、みどり子さんの顔が頭をよぎった。(雑記帖1月6日参照)


関東硬派連合交流会        2001年2月1日

突如として”関東硬派連合交流会”なるものの開催が浮上した。モンキーズの焚き火番長が東京にやって来ることをきっかけに、あのカヌ沈隊にMSCCも交えて、一献傾けながら沢と山について語り合おうという趣旨の、ネット用語で言えばオフ会というやつだ。考えてみれば、実際に面識があるのは、カヌ沈のフカマチ君こと梅吉君だけ、それが旧知の友人のように集まって飲めるなんていうことは、インターネットの存在を抜きにして実現し得えないだろう。コンピューターなどというものは、人のコミュニケーションの対極にあるものだと思っていた10年前とは、正に隔世の感が在る。すごい世の中になったものだ。

多分開催日は2月17日夜。場所は浅草付近。翌日は、室内でフリクラでもやろうかということだ。これを読んだMSCCメンバーと、もしかしたら逍遥の長南さんも、ご一緒にいかがですか?


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