雑記帖2001年3月分

ここでは、21世紀を記念して、このWebの管理人「にん2」の身の回りに起こったことを不定期更新お気楽日記風に書いていこうと思います。

闇練日記        2001年3月29日

昨晩は、今週頭からの仕事をどうにか片づけて、定時に早退し、江戸川橋のT−WALLへ行ってきました。木曜夜、すっかり恒例となった闇練です。

今週末予定しているお花見クライミングのために、クライミング初体験のまみちゃんの事前練習と、MSCC初参加のNさん(仮称)の女性陣への顔見せ興行が主なメニューでした。もちろんしんちゃんも元気に参加してくれました。渋滞にはまって集合時間に15分ほど遅れた上に、ジムの決まりの講習を受けさせられこともあり、閉店の10時はあっという間にやってきて、Nさんもあまり本数を登ることができませんでしたが、それは今週末への布石ということで許していただきました。まみちゃんも、トップロープで5.9まで登り、クライミングの入り口くらいは見えたようでした。

終了後、ファミレスで日本酒で軽く乾杯し(最初の乾杯がいきなり熱燗!最近の女性は渋いですねぇ)、にん2車で各家までお送りし、無事ファーストコンタクトは成功というわけです。これから、彼女達が良きパートナー、良き友となれることを祈ってやみません。男性陣もがんばって下さいね。

 

と、今日は思い切り日記風に行ってみました。まあ、たまにはいいでしょう。書くのも楽だ。


両手いっぱいの男心        2001年3月28日

ここのところ、ちょっとテーマが重めだったので、少し軽く行きましょうか。と言っても、そんなに毎日明るい話題があるわけではないので、困ってしまうというのも正直なところなのですが。

そう言えば、昨夜は少し髪を切りました。もちろんセルフカットで。仕事が終わったのが午前0時だったので、例によって夜中のお仕事。でも今回は多分会社の連中も気がつかないだろうな。それくらいほんの少しです。前髪を少しと、全体を軽く抄いてみました。それでも、新聞紙の上に落ちた髪の毛は結構な量ですね。両手にいっぱいという感じ。

男性なら多少の経験はあると思うけど、シャンプーの時に指に絡む抜け毛を見て、背中がザワザワとしたりしたことありませんか? このままこのペースで抜けていっちゃたら・・・なんて。とにかく、もはや諦めの境地という方はさて置いて(ゴメンナサ〜イ)、多少でも色気が残っていれば、そう考えても不思議ではないと思うのですけれど。まあでも、シャンプーの時に指に絡む髪の毛なんて、実はほんの数本、多くたって10本やそこらでしょ(もっと多いかも、という方はご愁傷様です)。こうやって切った髪を見ると、両手いっぱいでも全体の髪型に大した違いはないことだし、少しくらい抜けたってどうってことないじゃないのかな、なんて安心したりするわけです。このあたり、多分に希望的見解という風情ですが・・・。

この文章も、「これは、あの人なら読んでも大丈夫! うっ!あの人にはちょっと読ませられないなぁ。」なんて考えながら書いたりしているわけで、「男が髪の毛のことなど気にしやがって! 抜けてきたら潔くスキンヘッドだ〜!!」などと豪語しつつ、こっそり養毛剤など使っている負け惜しみの方も中にはおりますから、意外に神経を使うところですね。髪の毛で人格が左右されるわけではないけれど、精神衛生上捨て置けないことでもあり、それで引きこもってしまう可能性だって無いわけでなし、結構難しい問題だと思いますよ。

男心もなかなかどうして、微妙なものですな。女性諸君も、心してかかられよ!


悔しい涙        2001年3月27日

今週末のお花見クライミングの打ち合わせをしようと、電話をかけると、しんちゃんが泣いていた。聞けば、にん2同様幼くして父君を無くした彼女が、父同様に慕っていた人が亡くなり、たった今連絡があったとのこと。大工さんだった父君の旧友であり、彼女の就職の世話をしてくれた人。彼女が、彼女の幸せな未来を、最も見てもらいたかった人。

しんちゃんは、悔しいと泣く。今日の今日まで、その人が病で臥せっていることすら知らされなかった。逝ってしまう前に、一目でも会ってお礼が言えたなら・・・・。その人自身と、その家族の無念を推し量ることはたやすい。だが、その人を慕いながらも不遇な別れに涙する者の悲しみは、単なる悲しみとして、ひと言では片づけられない切ないものなのだ。

知人の死を悲しむことはしごく当たり前のことだ。だが、にん2はむしろ、父同様とは言え、言わばあかの他人に近いその人のために、これほどまでに悲しむことのできる彼女の心根に、深く胸を打たれた。そんな今の彼女に、慰めの言葉などいったい何になろうか。思い切り泣いて下さいとしか、言うことができなかった。

その人の胃ガンが発覚したのは、わずか1ヶ月前。死の1ヶ月前まで自覚症状が無かろうはずが無い。きっとこの不景気の中、工務店の経営者という立場が病院へ行くことを躊躇わせていたのだろう。食欲の減退はもちろん、痛みも耐え難かったに違いない。そうまでして守ろうとしたものはいったい何だったのだろうか。旅立った男の背中は、ただ黙して語ることを知らない。願わくば、その耐え難い苦しみの中にも、その心に、苦しみを忘れさせる人生の温かく灯る満足感を、見いだせましたように。

合掌。

もう、あなたを苦しめる悪魔は去りました。ゆっくり休んでください。


ホメオスタシスの夜        2001年3月26日

ネットを通じてMSCCに参加したいと申し入れのあった女性と、夜10時、急遽近所のCASAでお会いすることになった。見かけに寄らず純情なにん2(笑)は、もう緊張しまくり。財布を見たら千円しか持っていなかったので、慌ててコンビニでお金を降ろす。

人の出会いは縁の賜物。現れた方が気さくに接してくれたおかげで、思いの外色々なことを話すことができた。伺えば、先方もこんな出会い方は初めてとのこと。さぞ勇気のいることだったろう。何はともあれ、住所を交換しあい、写真などお見せして、今週末のお花見クライミングに期待を繋げることができた。ほっ、と一安心。

オンラインとか、オフラインとか言うけれど、多分そんな区分けは必要ない。人の出会いは沢の流れのように、あっちにぶつかり、こちらにぶつかり、やがて大河となって行く。近頃、会って話すことの重さを以前にも増して痛切に感じるようになったのは、きっとネットの至便以上に、その限界が見えてきたためだろう。今そこに存在する息使いは、同じ場で同じ空気を吸うことのリアルな感動を呼び起こす。

毎日ネットの海をさ迷っていると、時に言い様の無い不安にかられることがある。自分の存在が一人歩きして、知らないうちに、とんでもない過ちを犯しているのではないか?そして、それを省みる余裕も無いほど、そのスピードはめまぐるしい。だからこそ、こうして目を見て話すだけで、募る不安は払拭される。自分の生への確かな手応えと、明日に期待する活力が生まれる。

人の心のホメオスタシスは、おそらくこうして保たれている。


33年目の再会        2001年3月25日

父の三十三回忌の法要があった。ひょんなことから蟠り(わだかまり)ができ、疎遠になっていた姉とも8年振りに再会した。蟠りの原因には敢えて触れなかった。お互いの子供の笑顔を一助に、また過日の食卓をさり気無く囲んだ。母と姉とにん2と、3人一緒に暮らしていた18年前・・・互いの存在を空気と感じていた頃のように・・・。

法要後のささやかな宴席に、母が生前の父のアルバムを持ちこんだ。にん2でさえ、ここ十何年とんとお目にかかったことのないもの。思えば、自分の幼い頃の顔を見たのも、いったい何年振りか。なんと頼りない茫漠とした顔をしているのだろう。唯一の男として、母が心の拠り所とするには、あまりに不甲斐ない。貧しさ故中学校までしか行けなかった30歳を出たばかりの母が、ろくな蓄えも無いまま、二人の子供を育てる苦労はいかばかりであったろう。

アルバムを見た父の兄弟や従兄弟達の口から、今まで知らなかった父という人物を聞く。記憶の彼方に行ってしまったのではない。それはにん2も知らない、ひとりの男の人生の歩み。今この男にどこかで出会ったら、果たして友となれただろうか? そんなことを考えたりする。まだ若く美しかった母が、再婚もせず33年間線香を手向け続けた男。あの日、病院のベットで、窓から差し込む日の光を背にプラモデルをこさえていた男。逆光で、その顔は定かではない。目を泣き腫らせた母に、静かに揺り起こされた朝。白布を掛けられていた顔は、この男だったか・・・。

多分、自分が再会したのは、父という男ではない。33年という時間。いや、正確には、母子3人で倹しく健気に明日を見ていた18年前までののあの食卓、そこに流れていた「時間」に再びまみえたのだと、今はそんな風に感じている。


名前という顔        2001年3月23日

信じられないことに、またまたMSCC参加希望のメールが来た。名前は聞いたのだけれど、性別は教えてもらえない。なんでわからないの?、と聞かれるかもしれないが、性別不詳の名前ってあるでしょ(多分にん2はこの群れのひとり)。つまり、そういうこと。でも、中学の時の技術のセンセと同じ名前なのできっと男性でしょう。根拠はないけど・・・。でも、名前のイメージって結構的を得てたりするものだからね。

考えてみれば不思議なもので、生まれた直後の赤ん坊がどんな人物になるかなんて少しもわからないのに、つけられた名前はその人にぴったりというパターンは多いような気がする。まあ、名前を聞いて「え〜、嘘でしょ〜。」という人物もたまにいることはいるが・・・。

人はやはり、名前のイメージに沿った人物になろうと努力するのだろうか。「名前負け」という言葉があるのは、その逆説のような気がする。大概が親の他愛ない希望が発端なのだから、嘘から出た誠と言って言えなくもない。

姓名判断と聞いて眉に唾するのは簡単だ。かく言うにん2もそのひとり。だけど、そのあたりから考えてみると、あながち絵空事とは言えないのかな、とも思う。最初に背負わされる荷物としてはあまりに重く、容易に捨てることができない名前という顔。この顔が良くも悪くも自分自身の分身であり続けるのだから、命名する親には相当に重大な責任がある。果たして自分は、その責任を負えるだけの自信をもっていただろうか?沈思させられたりした。

もうひとつの顔が、勝手に歩き回ったり、どこかで愛敬を振り撒いていたり、まあ、できればそんなことが無いように、気をつけたいものだ。

ps

と、ここまで書いたら、くだんの新規参加者からメールが来た。なんとまあ、女性なのだそうだ。全然あてにならないじゃん。こりゃまたどうも失礼致しました。


マシラの足跡        2001年3月22日

「ゲッ、ここにもマシラが来ている!!!」

マシラとは猿のことである。三吉くんと早戸川の中ノ沢を登りながら、我々は度々こう叫びながら歩いていた。

マシラ。これはある人物のバンドルネームである。この人物は、我々沢を登る人間から見ても、実に驚嘆に値する人物なのだ。その山行スタイルを箇条書きすると、

1、荷物はポケットに入るだけ(多分、替えの靴下、ガムテープ、コンビニ袋ぐらいだと思う)。

2、足ごしらえは、ホーキングのスニーカー(3、000円位か)。

3、食料、水の類は持たない。

4、服装は通勤着(多分、普通のズボンとトレーニングウエアの上着)。

5、アプローチは自転車(これで早戸川林道の車止めまで入る)。

6、ストック代わりに落ちている枝を使用。

7、地形図は持たない(家で暗記して来るのだそうだ)。

ということらしい。この格好で、冬の丹沢(主に早戸川、塩水川周辺)を縦横無尽に歩き回っている。よもやトレースはあるまい、と思って出かけた中ノ沢にずっと人の足跡がついている。それが、冬なら当然のビブラムソールではなく、スニーカーであることにも驚いたが、かなりヤバイところでも、躊躇なく実に安定して歩いている。荷物がないせいか、我々が膝まで埋まる雪の上を、くるぶし程度しか埋まっていない。仙人のように、フワフワと飛んでいるのかもしれないという錯覚すら覚える。

滝を、ロープを使ってやっと登ると、そこにマシラの足跡がある。薮をくぐって行くと、そこにもマシラの足跡がある。ひとりの人物が何日か、何週間か前につけた足跡が、そのまま残っているのはこの時期だけだろうが、それを追跡しながら歩くうちに、狩猟をしているような興奮と、この人物に対する畏怖の念を抱かずにいられなかった。

我々が目指す、身一つによる深山跋渉という行為の完成形がここにあるような気がする。たった独り歩くことだけが目的なのだから、これこそ硬派と言うべきだろう。失礼ながら、カヌ沈あたりが言う硬派とは別格と言わざるを得まい。まあ、こういう人物とお友達になりたいとは思わないが(きっとむこうもなってはくれない)、いつか山中でバッタリ出くわしたいという願望はある。これは、恐れながらも熊に遭いたい衝動と同じかもしれない。早戸川流域に入っていると、かなりの確立でニアミスする可能性があることもだいたいわかって来た。

本人には敢えて連絡を取らず、もうしばらくこのマシラ追跡ゲームをしてみたいと、今、密かに思っている。

http://member.nifty.ne.jp/mashira/index.htm


はじめまして        2001年3月21日

3連休でした。ここのところ疲弊ぎみの雑記帖も、リフレッシュ休暇ということで休ませていただきました。

この連休中に、早戸川の中ノ沢を詰めて蛭ヶ岳に登ってきました。21世紀最初のピークは蛭ヶ岳、ということになりますか・・。上部谷筋にはまだまだ豊かな積雪(多分2mオーバー)が残っており、雪崩跡のデブリに鹿の死体があったりと、丹沢とは思えない非常に苦しい雪壁登りを強いられ消耗させられました。滝の取り付きはぶ厚いデブリに覆われ、そういう所は大抵シェルンドが開いており、緩んだ岩と相俟って巻きも悪く緊張の連続でした。蛭ヶ岳からは時計回りに縦走路をたどって前回登った榛ノ木丸経由で下山しました。腐った雪と泥濘でこちらも楽ではなく、三吉くんと二人、10時間行動で久々にヘロヘロに疲れました。

持って行ったAPSのカメラを、滝の上からシェルンドの中へ落としてしまい、回収不能となってしまったのも手痛い出費となりました。防水カメラですから、雪解けを待って回収に行こうかしらとも思っています。もし中ノ沢に入る予定の方がおありでしたら、核心の5m8m連瀑のあたりですので、気に留めておいて下さい。

もう一つ。HPを見たという津久井の方から、MSCC参加希望のメッセージをいただきました。お花見クライミングには参加できそうだとのこと、お会いするのが楽しみです。

これが、この3日間の出来事でした。ということで、これからもよろしくお引き立て下さい。では。


3倍返しの日        2001年3月16日

落書きに腹を立てているうちに、3倍返しの日をすっかり忘れていました。と言っても今回は、前回(誕生日)の時のようなヘマはできないとずっと思っていたので、帰りが遅くなることを見越して朝のうちに手を打っておいたのが功を奏して、これと言った波瀾も起きずに無事に乗り切ることができたました。だから皆さん、安心して下さいね(って誰も心配してないつーの)(とまた自分で突っ込んでしまったりするわけだ)。

この場合、妻にはそこそこ奮発しておけば丸く収まるのだけれども、問題は、チョコをくれた部下の女の子の方だったりするわけです。奮発し過ぎるとあちこち角が立つし、かと言って、ケチケチすると後でとんでもないシッペ返しを食らったり、この辺の見極めが重要なんですよね。

そういう意味で、この3倍返し、とか、5倍返し、とかの基準を考えた人には、それなりに感謝しているんですよ。いや、ホント。決して怒ってませんから。お・こ・っ・て・ま・せ・ん・よ!!

ということで今年の収支。収入・チョコレート2個。支出・7,530円。

赤字は必ず決まっているのだけれども、ここで損をしておかないとどんな災厄が訪れるかわからないところなんか、火山の砂防工事とか、崖崩れ防止工事にも似てますね。

限りないイタチゴッコ。いったい誰が考えたんだか・・・。


セミしぐれの頃        2001年3月15日

まみちゃんとメールでセミの話しをした。田舎に育った子供にとって、セミは夏休みの記憶と切っても切れない間柄なのかもしれない。

子供の頃、夏休みの最大の道楽はセミを捕ることだった。巡回する大木が何本もあって、一日中そこをぐるぐる周りながら、網を振り回していた。今となっては、あれに何の意味があったのかと思うのだが、子供の遊びにそんな理屈があるはずもなく、物干し竿2本継ぎなどという、とんでもなく長いタモ網を操って、ほとんど意地になって虫かごを満たしていたものだ。夕方になると、そのセミを総べて放していたのだから、ますますもってわからない。もしかしたら、キャッチ&リリースという行為を無意識に実践しながら、セミとのゲームキャッチング(?)を楽しんでいたのかもしれない。

その当時の獲物は、夏の初めは主にニイニイゼミ、次いでアブラゼミが主流になり、盛夏はクマゼミ、そしてツクツクボウシが鳴くと、そろそろため込んだ夏休みの宿題が気になると言った案配だった。ヒグラシは活動時間帯が合わず、ほとんどターゲットにはならなかった。東京では当たり前のミンミンゼミは、一夏に1匹か2匹捕れるかどうかの希少種で、運良く捕まえられればヒーローになれたものだ(にん2は静岡県出身)。逆に、東京でクマゼミのことを言っても「そんなセミ知らない。」と言われて少なからず驚いた覚えがある。あの、真っ黒い体に銀色に輝く羽、オレンジ色の胸板とミンミンゼミより一回り半はでかい丸々とした体、「シャンシャンシャン」という豪勢な鳴き声のクマゼミを知らないとは・・・。間に箱根の山があるとは言え、セミというのは、意外に行動範囲が狭く、環境に対する耐性が少ない生き物なのかもしれない。

奥秩父や東北の山で聴くエゾゼミやエゾハルゼミの物憂い声も、今となっては当たり前になってしまったが、初めて聞いた時には正体がわからず右往左往したものだ。今はセミしぐれと言われると、東北の沢を歩いている時のエゾゼミのサワサワとしたシャワーを思い浮かべるが、街ではやはりアブラゼミだろうか?

都会で聞くセミしぐれは神経を苛立たせるものだが、山、それも沢の中で聞く時は、どうしてあんなに安らかなのだろう。楽園にいた子供の頃の記憶が甦るとかの単純なものではないような気がする。人間が猿だった頃から体の奥底に持っている「森の記憶」、または、森に守られていた「森の加護」を思い出すのではないだろうか。

セミの一生は短くて可哀相だ、などとよく言うが、1年か2年で寿命が尽きる他の昆虫に比べれば、こっそりと7年以上も生きるのだから、これは完全にペテンというものだろう。だが一方で、そうやって7年前の森の環境を物語るタイムカプセルの役目を担っているとも言える。果たして、今から7年後、14年後の夏に、今と同じようなセミしぐれを、我々は聞くことができるのだろうか。後悔の形見として待ってみることにしよう。

来月になれば、今年もまたあの森でハルゼミが鳴き始める。いよいよ、沢の季節の到来だ。


馬鹿は死ななきゃ治らないのか?        2001年3月14日

今日は久しぶりに仕事で都内に出た。スーツなんか着て、まるでサラリーマンみたい・・って、それじゃあいつもは何なの? 穏健派不適合型反社会分子? いや、そんなにカッコイイ?ものじゃない。しょせんただの小市民と言うべきか。

それはともかく、中央線の車窓から外をぼんやり眺めていると、腹が立ってきた。何って・・・あのヘタクソな落書きである。いつの間にこんなことになってしまったのか、沿線の塀という塀、マンションの壁、アパートの裏口、あまりの酷さに腹立ちを通り越して悔しくさえ感じた。許せないと思った。

この世で不条理な暴力ほど腹立たしいものは無い。あの落書きの数々は、暴走族のパレードよりたちの悪い暴力だ。夜中にこっそり書いているらしいが、卑怯で卑劣で大馬鹿だ。自分を表現したいとか、アートだからとか、上手く描けているからいいとか、そんな風に考えて奴等があれを書いていると思うと、八つ裂きにしたくなる。つかまえて、自分のバカを忘れないように両方のホッペに「バカ」と大きく刺青しちゃえ。落書きされた人の無念が少しはわかるだろう。

奴等は、あの行為をいつか分別し反省する日が来るのだろうか。それとも、バカは死ななきゃ治らないのか。最近の世の中をみていると、どうも後者の線が濃厚だ。問題は、そんな馬鹿の比率が確実に増えていること。このままだと、この国は馬鹿の王国になってしまう。野生の王国ならいいが、馬鹿の王国では情け無さ過ぎる。

八王子に戻ったら、貸し看板にスライムのようなものを描き、”モンスター”と書きたかったらしい落書きが・・・。

綴りが間違ってる・・・・バカ丸出し。


鳥の羽        2001年3月13日

昼近く、会社の仕上げ室で作業をしていると、突然「ドンッ!」と窓にぶつかったものがある。何だろうと思って外に出て窓の下に行ってみると、まだ若いツグミが死んでいた。どうやら、窓に映った空色に惑わされて突っ込んでしまったらしい。暴れた形跡が無いところを見ると、ほとんど即死だったのだろう。渡りも近いというのに、気の毒なことだ。

ツグミは、以前は食用に相当数が捕獲され、その筋の店に行けば野趣溢れる焼き鳥として饗されていたが、現在は全面的に捕獲が禁止されており、まずお目にかかることはない。偶然とは言え、得難い高給食材が手に入ったわけだ(ここで、かわいそうね、と埋葬したりしないあたりが沢屋)。にん2は今日も遅そうだし、深夜に鳥の羽をむしるのもゾッとしないので、元板前ゆえ腕に覚えのあるハスミちゃんに預けることにする。こうして、ツグミは昼休みの間にすっかり丸裸にされ、抜いた羽は毛鉤の材料としてストックされた。合掌。ありがたくいただきます。

そんなツグミを見ているうちに、遠い記憶が甦ってきた。あれは何歳位の時だろう。父に連れられて、裏山に仕掛けた鳥の罠を見に行った。パチンと閉じるネズミ取り。あれに皮をむいたミカンを3分の1ほど載せて蜜柑畑に置いておくだけの簡単なものだったと思う。その時は、ヒヨドリが一羽か二羽かかっていたのではなかったか。

今のにん2より若い父が、家の横の川に架かった橋の上で、捕まえたヒヨドリの羽をむしっている。その手の中にある、羽をむしられたヒヨドリの青い頭と、川面に落ちていく白い羽。あの時、自分はいったいどんな気持ちでそれを見ていたのだろう。今となっては、茫洋とした霞の彼方に行ってしまった。

父は、この後程無くして、食道ガンで死んだ。だから、これが元気な父の最後にして唯一の思い出ということになるのかもしれない。だが、裏山に向かって歩くその背中と、羽をむしる手元は覚えていても、父の声や顔は何故か全然思い出せない。だから、これが父の思い出と言えるかどうかも、にん2にはわからない。今更悲しみなど湧いてはこないけれども、ツグミの羽を見ながら、それでも懐かしい温もりを感じたりした。

来週末には、そんな父の33回忌の法要をする。


町工場のIT革命        2001年3月12日

「町工場のIT革命」高橋明紀代 著(PHP研究所刊)読了。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」これはにん2の座右の銘でもある。 戦後、町工場はずっと牛の尻尾だった。大企業の下受けとして、どんな無理な注文にも応じなければ生きられなかった。刃向かえば尻尾のごとく切り捨てられ、どんなに優れた技術も埋もれて行く運命にあった。未だ出口の見えない平成不況に喘いでいる今日でも、その状況が大きく変わったわけではない。しかし、ここに来てわずかづつではあるが、町工場を町工場ならしめている壁が崩されようとしている。この本はIT技術を核として、その壁に一太刀見舞ってやろうと画策する中小企業に取材し、IT導入に二の足を踏んでいる多くの町工場を啓蒙しようとするものだ。

インターネットの威力は今更ここで言うまでもないだろう。町工場におけるIT革命とは、今まで大手メーカー主導で行われていた、製品の開発、生産、販売という流れを、ネットで接続した中小の企業の連携によって行い、依存体質から脱却しようというものだ。こうすることによって、大手の鶴の一声で蝋燭の炎のように揺らめいていた町工場の立場を、開発メーカーの一員として、安定かつ独立したものにできる。言わば、一羽の鶏として、大地に自らの足で立つことができるということだ。12日のNHK特集でも、タイムリーに放送していたから、ご覧になった諸兄も多いことだろう。

だが、にん2の周囲を見回しても、現実は実に厳しい。何よりの問題は、3K職場として若者が振り向かなくなった現場には、コンピュータを使いこなせる人材がほとんどいないということか。先見の明があった経営者は、自らキーボードを操ることを厭わないが、まだ限られていると言わざるを得ない。

できうるならば、表面的なカッコ良さだけに囚われず、もっと多くの若者がこの革命に参加できればいいなぁ、と切に願う。日本の町工場の技術は、消してしまうにはあまりにも惜しい素晴らしいものだ。あなた達を育ててくれた父母の多くが、そんな世界に生きて来たことを、どうか忘れないで欲しい。


電波が飛ぶ        2001年3月11日

またも懲りずに円山木沢へ行って来た。ことの顛末はまたまた山行記録に譲るとして、丹沢の主峰、丹沢山と蛭ヶ岳にぐるりと囲まれた早戸川の深い谷底から尾根に這い上がろうと、手掛かりのないザクザクの急斜面を登っている最中に突然ザックの中で携帯電話が鳴った。

手近な木に跨り電話に出ると、聞き覚えのない女性の声。と言っても別に色っぽい話しではなく、カード会社からの確認コール(一部の噂になっているようだが、滞納の督促電話ではない。念のため・・)だった。何だか一気に下界へ引き戻されたような違和感と共に、事務的なやり取りをして電話を切り、再び独りの静寂に包まれてから、あっ、と驚いた。

ここは丹沢でも最奥と言われている早戸川の上流部、稜線に上がったわけでもないから、当然街も見通せない。にも関わらず携帯で話しをしたのだ。アンテナを見るとちゃんと?2本立っている。誰もいない、空と雪と森と土と鹿と、そんなものしか見当たらないこの空間にも、デジタルの言葉が満ちている。

昔の4コマ漫画なんかで危ない人を表現する時に「俺に電波を飛ばしやがっただろう!」なんて台詞を言わせることがよく行われていたが、時は移り、今やそれがごく当たり前のことになってしまった。笑いの対象になるほど不自然だったことが、何の違和感もなく受け入れられてしまう。すでに我々は少なからず狂っているのかもしれない。山での携帯電話の価値は、にん2も大いに認めたいし、今更揺るぎはしないだろうけれども・・・。

電磁波の影響は未だに明らかになってはいないそうだが、何日か前のテレビで「携帯が着信すると力が抜ける」というような実験をやっていた。クライミングの最中に、ここ一番の馬力で這い上がろうとした刹那、背中で携帯が鳴ったりしたらいやだなぁ、と思ったりする。でも、今更手放したりはしない。それどころか、全ての人間の頭に埋め込んでしまって、人類のワイヤレスネットワークを構築してしまえば戦争の無い世界が実現するかもしれない、などと考える。

21世紀になってしまった今、ほんの少し前の夢が夢で無くなった。携帯もその一つ。特撮ヒーローが使っていた腕時計型のテレビ電話は、もうちっとも夢ではない。このテクノロジーの渦の中で、我々は少しづつ狂っていく。地獄の門は狂った者には寛容なのかもしれない。全ての民が修羅の道に在れば、そこは黄色いレンガの道と変わらないのだろう。何も恐れることはない、狂人は、狂った自分を悟らなければ、狂人のままでいられるのだから。


ギプスにサヨナラ        2001年3月9日

プールのギプスが無事に取れたようです。でも、真の戦いはこれからなんだよね。固まった筋肉をちゃんと動くようにするには、そう容易なことではありません。これからは能動的なガンバリが全ての鍵になります。がんばってね!!

では、プールの骨折通信ギプス編最終回全文掲載です。どうぞ。

月曜日に、ギプスが取れた。ギプスカッターの丸鋸でチュィーン、バリバリと振動が伝わり、少しビビりました。2ヶ月ぶりに見る足はむくんでいて、指で押すと痕が残り、すぐには消えない状態になっている。靴がはけない程になっているのには驚いた。

家に帰り、両足の太さを比べたら、太腿の付け根で5センチ、ふくらはぎで2.5センチも差があり、見た目も貧弱になってしまった。長い間動かしていないため、筋肉、筋が硬くなっているので足首が思うように動かず歩くとき、左足には30%ぐらいしか加重ができない。足首が曲げての加重ができないためスキーのポジションなど、まったくだめ。両手松葉杖で足の加重を減らしての歩行がしばらく続きそうだ。

とりあえず、ギプスが取れたので、この週末から町田に戻ります。

リハビリハイキング、リハビリ温泉,リハビリ食道楽、リハビリ何とかなどなどで足を元に戻して行こうと思います。スキーは6月ぐらいかな?

この2ヶ月間、励ましのメールありがとうございました。

長いギプス生活お疲れ様でした。しばらくは動かすだけでも痛いけど、我慢して動かしていかないとダメだよ。骨に荷重をかけないとカルシュウムも集まってこないからね。苦しいけれど、その方が確実に早く治ります。骨折歴6本のにん2のアドバイス。

とりあえず、3月31日、4月1日と、湯河原でリハビリクライミングの予定(まだ未定)です。クライミングして、温泉入って、鉄板焼き食べて、カラオケやって、もう治ったも同然だね。楽しみ楽しみ。


驚くほど高い!!        2001年3月8日

今日は恒例になった都内でのフリクラ闇練の日だったのだが、仕事が終わらずに行けなかった。やっぱり八王子から都内は遠い。こういうことがあると、東京に出たくてたまらない地方の若者の気持ちがよくわかる。都内で働くというのは、思ったより楽しいのかもしれない。まあ、住みたいとは思わないけどね。

ところで、11時に仕事を終え、ラウンジで一服しながら部下の女の子が置いて行ったファッション系の女性雑誌をパラパラめくっていて驚嘆した。春物の洋服の特集だったのだが、綿プリントのノースリーブブラウスに39,000円というプライスがついているのだ!! 我と我が目を疑いながらページを繰ると、出るは出るは、一枚布のスカートが19,000円! カーデガンが28、000円! ワンピースが16万円だぁ!!! う〜むむむ・・・。ずらりと並んだプライスタグのあまりの数字の横暴に、思わず座り込んで唸ってしまった。

どう考えたって、桁ひとつ間違えてるとしか思えない。綿ですよ! ペラペラの一枚布の!! 良く見ればボタンもファスナーもホックさえもついていないノースリーブの冠頭衣。いくらなんでも無茶苦茶だ。石井スポーツで30,000円出せば、ゴアテックスの最高機能のアルパインジャケットを買ってお釣りが来る。ゴアの合羽なら上下セットだ。30,000円で、どんな雨はおろか、雪だってへっちゃらなのに、夏の夕立で疲労凍死しそうなTシャツにも劣るあんな服が・・・。

価値観の相違とは言え、改めてデザイナーズブランドの摩訶不思議な魔力に恐れ戦いた。こんなものをホイホイ欲しがる恋人や女房を持った男はさぞ大変なことだろう。にん2なら、金銭云々よりもまず、物の価値の倒錯にうろたえてしまうに違いない。最近は「雨でも傘ささなくていいし、紳士服の青木でゴアテックスのスーツ作ってくれないかなぁ。」などとまで考えているのに・・・。

考えてみたら我が家はかなりファッションに無頓着な家だ。にん2は上記の有様だし、妻に至っては「もう少し着るものに気を使った方がいいんじゃないの〜、そ・の・服!」と、逆ににん2に注意されるほどのお構いなし。アクセサリー類とも無縁で、結婚指輪でさえ、したのはお互い結婚式の当日だけで、それからこっち見たこともない。そう言えば、よっぽどのことがない限り化粧もしないから、我が家には鏡台もないや。

う〜ん。そう考えると、39,000円のブラウスに食指が動くような妻の方が、もしかしたら男にとっては喜ばしいのかしら・・・。生活の潤いというかぁ〜、お色気というかぁ〜・・・。ちょっと憧れちゃう? みたいな。

みなさんはどう思います?


春一番        2001年3月7日

今日の八王子は、朝から時折強い風が吹き荒れ妙に暖かかった。ニュースを見逃したのだが、もしかしたら春一番だったのだろうか?

ともあれ、今年もやって来たことに間違いはなさそうである。その証拠に、朝から仕事が手につかない。いや、仕事に手がつけられない。やって来たのはもちろん、そう、花の粉の方々だ。

マウスを持って、さあやろう! と思ったとたんにくしゃみを連発。ティッシュ、ティッシュ!まったくもう!! と鼻をかんで、ふーっ、さてやるか、とマウスに手を伸ばすと、とたんにまたくしゃみ。それを延々と繰り返す。くしゃみが一段落すると、今度は止め処も無く鼻水が垂れてくる。こんなに水分を失っちゃって・・・水分補給しなくても大丈夫なのかしら・・とあきれてしまう。

結局CADに手がつかないまま、ティッシュの山を築いていると、今日納品の品物がNGだから手直ししろ、ということで仕上げ室へ。え〜と、どこを直すのかなぁ、と品物を手にしたとたんに、またくしゃみ。ティッシュ、ティッシュ!まったくもう!! と鼻をかんで、ふーっ、さてやるか、と品物を手に取ると、また・・・って切りがないやんか!!!

そうこうしているうちに営業が納品に出発する時間が来てしまい、あろうことか本日は持ちこめず、発送となってしまった。まさに花粉敗退。納期を守れなかった理由をクライアントに聞かれて、「風が強かったから。」とは言えないじゃないですか。こんなことがこれから2ヶ月以上も続くと思うと・・・。

でも、山には行くけどね。しかし、この花粉敗退、もしかしたら本当にあるのかもしれない。みなさんの周囲で聞いたことはありませんか? ある! きっとあるはずです!! だからそうなっても、恥ずかしくないも〜ん。


プロ野球はキライ        2001年3月6日

昨日プロ野球が嫌いなことを書いたので、今日はそのわけを書きましょう。賛同者がいたので勇気百倍です。ということで、ここから下の文章には、プロ野球や野球に対する中傷とも取れる内容が含まれています。「もう、プロ野球が好きで好きでたまらない!」とおっしゃる方は決して読んではいけません。

あっ、コラコラ。ダメだって言ってるでしょ!!
(シークレットで書かれています。ああすれば読むことができます。)

はっきり言って、プロ野球は「ほとんど負け犬」のスポーツだと思う。同じ競技を志す者の集まりにも係わらず、身分の差が大きすぎる。貧富の差があり過ぎる。

9人一丸となって戦っているのに「勝ち投手」とは何事か!てめえ一人だけで勝ったわけじゃねえだろう。ライトで7番打者の君、君はそれで良いのか? 本当は、ピッチャーで4番になりたいんじゃないのか? 実力勝負のプロの世界は当然だが、アスリートとして頂点を諦めたまま、チームにしがみ付いていることを恥とは思わないのか?

と、思います。

選手上がりの傲慢な解説者という人種も嫌い。野球は素晴らしいスポーツだから日本人なら誰でも好きで当たり前、みたいな言い方をされると本当に腹が立つ。高校の頃、部費の殆どを持っていかれた恨みや、バスケやバレーがどんなにがんばっても有り得ない、全校挙げての応援バスツアーに感じた不条理を、もう一度蒸し返されるようだ。可能性や多様性を排除されてもなお存在しているアスリート集団に、何の夢を見ろと言うのか。その上、プロ野球にビデオの予約を反故ににされたりすれば、腹を立てない方がおかしいと言うものでしょう。

ですね。

そこで、野球をより面白く、選手にとっても遣り甲斐のあるスポーツにするための新ルールの提案です。これが気に食わないなんて選手は、アスリート失格。スポーツ選手なんてやめちまえ。

9回まであって、9人いるのだから、1回ごとに守備をローテーションしたらどうですか? 

これで問題解決でしょ。守って、投げて、打つ力が問われるとなれば、よりプロらしいというものなのではないかい? 戦略的にもかなり面白くなると思うよ。

シブシブだけど、そうしたら好きになって、あ・げ・る。シブシブだけどさ。


セルフカットな日々        2001年3月5日

今日、ロン毛だった部下のSピー君が髪を切ってきた。週末にん2の所に来て「自分で髪の毛を上手に切るにはどうしたらいいんですかぁ?」なんて訊くもんだから、実際に自分の髪を切ってまで教えてあげたのに、どうやら失敗して最終的に美容院でやってもらったらしい。それを見てにん2は、「ふっ、セルフカット道はそんなに甘くないぜ・・・。」と、ひとりほくそ笑むのであった。

にん2はもう何年も床屋や美容院に行っていない。平日にそんな時間は無いし、休日には山やら何やらでそれどころではないから・・と言うのは言い訳で、本当のところは、人に何か(サービス?)をしてもらうということがどうも苦手な性分だからかな。いろいろ説明するのも面倒だし、自分の容姿を買い被って注文をつけるようなシステムにも照れるし、カットされながらプロ野球の話題とか振られると困ってしまう(にん2はプロ野球が嫌い)し・・・要するに面倒臭いというか、じれったいというか。女性は美容院に行くことがストレス解消になるのだそうだが、そんなこんなでにん2にとっては逆にストレスになるような気がする。言ってみれば、このあたりがにん2の暗黒部分か。

というわけで、現在はもっぱらセルフカット。自分で髪を切っている。昔はちょくちょく失敗したが、修行?の賜物か、最近はそれなりにまとまるようにはなってきた。いろいろコツはあるのだが、美容院の営業妨害になると気の毒なので(ならないならない)、ここでは敢えて伏せておこう。

とは言うものの、やっぱり見る人が見れば自分で切っているのなんか一目瞭然なんだろうな(えっ、誰が見てもわかるって?)。まあ、いずれにしても、30半ばの妻子持ちの社会人として、髪をセルフカットでは、社会不適合者の謗りは免れなませんな。ええ、ええ、そうでしょうとも。岩登りなんか始めちゃったし、もうすっかり「こっち」側の人間ですからね。

ここに来てこれを読んでいるあなただって、実はそうなんでしょ? ほらほら。


ペンションに泊まる        2001年3月4日

妻の誕生日を忘れていた穴埋めに湯河原へ出かけた。湯河原と言えば幕山でクライミングというのが我々の定番だが、今回はそんなことはおくびにも出さず、純粋に梅の花を見に行く。「どこか宿に泊まりたい。」というリクエストにも素直に従い、あろうことかペンションなどを予約した。本当のことを言えば温泉旅館より安かったからなのだが、民宿よりは受けが良かったようで、取り敢えず我が家の一難は去ったわけだ。良かった良かった。

今回泊まったペンションは(ペンションなんか・・・あれ?今までに3回も泊まったことがあるぞ。結構ミーハー?)、幕山公園に程近い「マンダリンハウス」というところ。妻の手前、「ワタクシ、クライミングなんか全然知りませ〜ん。幕山へ来たのも初めてで〜す。」(外人風)という顔をするのがつらかったが、貸切の露天風呂もまあまあだし、部屋の狭ささえ我慢すれば、発展途上のカップルには善いんじゃないかな。オイルランプの灯ったテーブルでフランス料理?というのはさすがに照れるが・・・。

それから、夕食後に娘と二人で出かけた幕山公園の「梅の宴」というのも意外に良かった。ライトアップされた梅林とかがり火。いつもテントを張って寝たりしている舞台の上では、ギターもボーカルも生でフラメンコなんかやっていたりして・・。いずれどこかのプログループなんだろうが、娘も大喜びでなかなか見ものだったなぁ。あのライトアップなら、今なら夜でも登れるかもしれないゾ。

打って変わって今日は嵐となったので、御殿場のアウトレットモールなどに寄って帰る。ノースフェースのマイクロフリースのアンダーが半額だったのでちょっと迷ってGET。「大して安くもないんでしょ〜。」と思っていたら、型落ちを狙うと出物があるんだなぁ。これからちょくちょく利用しよう。

あまりにソフト路線の週末でやや欲求不満ぎみだったので、夜は久し振りにジョギングなんかしちゃいました。ということで、埋め合わせは完了したので、三吉くん、安心してね。

追伸

記録に先日の「円山木沢」、四方山話に三吉くんの「管理釣りの風景(掲示板より)」を追加しました。


歳の差なんて        2001年3月1日

今日は早退して三吉くんとしんちゃんに会った。顛末をここで語ると各方面に対してとっても都合悪いので差し控えた方が良いだろうな。まあとにかく、そこでこんな話しをした。

にん2は、美大浪人が決まって豊島区大塚の美術研究所に通っていた頃、池袋パルコのレストラン街でアルバイトをしていた。夕方から入って閉店後の午前0時までの皿洗い。その日に出た大量の生ゴミをパルコビル裏のゴミ捨て場に捨てて、そのポリバケツを何個も洗うのがいつも最後の仕事だった。夏はともかく、冬の夜中に冷たい水でポリバケツを洗うのはつらかった。その時、暗いビルの谷間から見上げた冬空の微かな星のキラメキを、今でも時々切なく思い出すことがある。当時は朝霞台に住んでいて、いつもギリギリで飛び乗った東武東上線最終の殺人的な寿司詰め酔っ払い電車や、パルコだから日曜も当然仕事で休みらしい休みも無く、それでも一向に楽にならない暮らし。浪人生とは言え、思えば本当に惨めなつらい日々だった。

にん2 「今から17、8年前かなぁ。しんちゃんと三吉くんは東京だから会っていたかもね。」
しんちゃん 「へ〜、私が中学生の頃にん2さんはもうそんなことしてたんですかぁ。」
三吉くん 「僕なんか小学生かもしれませんねぇ。」

ガ〜ン・・・。いつも対等に話し付き合っていたけれども、考えたらそのくらいの歳の差があったんだ。少なからずショックである。そう言えば、にん2が教育実習で中学校1年生を受け持った時に、そのあまりの子供子供した生徒達に驚いたものだけれども、フカマチ君ってあの子達と同い年くらいなんだよね。は〜〜。やっぱり自分おじさんっす。

子供の頃は二つ三つ年上だと、とんでもなくお兄さんに見えたものだけれども、大人になるとだんだん歳の差なんて関係なくなってくるよね。東京大空襲を、非難した上野の山から見たケマ兄(ウソ)ともタメ口で付き合っているわけだし・・・。でも、時々こうして再確認してみると、老いに抗ってもがいている自分が見えるようで、ちょっと悲しくなる。吉田兼好が徒然草の中で老いの美学みたいなものを書いていたけれど、自分はあんな風に歳をとれるだろうか? 若ぶって若者に迎合するような見苦しい老人にだけはなりたくないなぁ、と思ったりする。老人と言われるくらいまで生きられたらの話しだけどさ。

追伸

またまた午前様で帰ってきたら、昨日は妻の誕生日だったことを思い出した。今週始めまでは覚えていたのに・・・ひ〜ゴメンナサイ!!


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