雑記帖2001年6月分
| ここでは、21世紀を記念して、このWebの管理人「にん2」の身の回りに起こったことを不定期更新お気楽日記風に書いていこうと思います。 |
| 未来の形
2001年6月26日
携帯が突然壊れた。iモードの液晶画面が真っ黒になり、盲操作で通話はできるのだが画面の判読は不可能。メールも掲示板もチェックできない。手帳というものを持つ習慣も無いので近しい人の電話番号もわからず、たちまち外部との連絡手段が断たれてしまった。 にん2としては、携帯電話は割と昔から使っている(確か最初はジュワッキーというやつだった)一方で、山をやっている人間として自由人を気取りたいところもあって、「携帯なんかに縛られて・・・いやだねェ」などと鹿爪らしく言ってみたいのだが、やっぱり無いと不安なのである。この辺り、多分に情報依存症の気があると言っても過言ではないだろう。 そもそも、MSCCの基本理念として、「IT化による既成の山岳会と全く違った形での山の会の設立」というのがあって(えっ! いったいいつの間にそんなものが?・・・・今からですよ、今から!)、メールと掲示板が使える環境は同人の条件なのだが(メールマシン、パソコンの貸与制度あり、もちろん無料です)、パソコンでそれができるとは言え、移動中に手も足も出ないのでは管理人として甚だ不安である。ま、山行中はすっかり忘れているのでその限りではないが。 早速携帯を買った近所のコンビニへ相談に行く。いっそのこと、これを機会にJAVA対応の503iに機種変更しちゃおうかしら、とカタログをチェックしてレジに向かい、何気なくもう一度壊れた携帯を見てみると、さっきまで真っ黒だった画面がどうした弾みか正常に戻っている。おお!間一髪。書類を書く寸前でセーフだ。取り敢えずJAVAは必要ないし、今のままでも充分ことは足りているのだ。それならば新しくする必要などまるでない。危うく大枚3万なんぼをドブに捨てるところだった、とほっと胸を撫で下ろす。 今回の山行中にも議論したのだが、携帯、殊にiモードというのは素晴らしい技術だと思う。インターネットの携帯、それは無限の情報の携帯を意味することのように思える。情報過多による人間性喪失などと言われて久しいが、それは過渡期における不慣れから来る弊害に過ぎずないのかもしれない。以前にも書いたが、携帯電話の機能を頭の中に埋め込んで、全人類のワイヤレスネットワークという未来は無いだろうか? 空間を超えて、自在に成されるコミニュケーション。昔のSF映画に出てくるような、テレパシーで理解しあっている平和な宇宙人の世界を連想させる。更に、自分の脳内でネットに流れる膨大な情報を自由に閲覧できるとしたら、それは知識の無限の広がりそのものと言えるかもしれない。 「ところで、例のあれだけど・・」 「ちょっと待って、今調べるからさ」 ・・・・・・・(ネットを検索している間) 「ああ、こうなってるね」 「どれどれ、ふんふんなるほど」 というような会話があちこちで交わされる日が来ないとも限らない。当然この二人はその間一言も言葉を交わさず、並んで微笑み景色を眺めているだけだったりする。 まあそうなると、脳ハッカーとか想像もできないような犯罪者も出て来るかもしれないが、きっとそれも過渡期の弊害に過ぎないだろう。だって、いずれ人類は全てを理解し合えるのだから・・・。 と、ここまで書いて、これはなんだかすごく恐ろしい世界のような気もしてきた。うまく説明できないが、自分の動物としての本能のようなものが激しく拒否している感じだ。漫画家の諸星大二郎の作品に、地球上の全ての生物、無機物が溶け合ってパラダイスが訪れる話しがあったが(生物都市)、子供の頃読んでそこに感じた得体の知れない恐怖にちょっと似ているかもしれない。それはおそらく、人は個であることによってしか存在意義を認識できない生き物なのだと、魂が叫んでいるからなのだろう。 それにしても、ちょっと壊れただけでこれだけ色々考えさせる携帯電話という道具、やっぱりなかなかスゴイ奴なんだろうな。 |
| 癒し系に癒されて・・・
2001年6月25日
梅雨空に翻弄されて、集合してから行き先を決定! というかつて無い無計画のままの出発となった今回の山行。蓋を開けてみれば、メンバーのモチベーションさえあればどうにでもなる、ということを実感させるような大満足な沢旅でした。臨機応変、変幻自在、沢登りの神髄はこれなのかもしれません。無論、最低限の安全対策は不可欠ですが。 福島県栗子山塊摺上川烏川下降滑谷沢左俣遡行、という何だかやたら長いタイトルになりそうな場所が、今回のターゲットとなりました。言ってみれば、摺上川の上流部の枝沢をつないでぐるりと周回沢歩き、というところでしょうか。メンバーはにゃんちゅうさん、新人えみさん、まみちゃん、しんちゃん、にん2の5名。まみちゃんの沢泊り初体験ツアーが主目的です。 メンバーがメンバーだし、不安は色々あったものの結果的にはこれが大正解。先週の癒し系にすっかり騙されて、果たして・・・と思っていたのですが、今回みたいなのを本当の癒し系と言うのでしょう。素晴らしいブナの原生林の下を流れる明るいナメと淵、まさにその一言に尽きます。初心者を2名含んでいたにも係わらず、ロープを出すような悪場も一切無く、言うこと無しの泊り場にイワナと山菜、これで癒されないわけがありません。今山行の主役のまみちゃんも満足してくれたことでしょう。 夜中から朝にかけて、ちょっと雨に降られたものの、出発する頃にはあがって、フィナーレは梅雨明けを思わせるような青空の広く明るい谷にたどりつきました。四方に緑のなだらかな山々、ホトトギスの声とエゾゼミのしぐれ、あんまり気持ちよくて、そこでもう一泊したくなるような場所でした。 下山後は例によって温泉。国道13号線を挟んだ反対の吾妻連峰側にうつり、滑川温泉の露天風呂(混浴)でビールを飲んで、今山行の成功を祝いました。 のんびりし過ぎて、予定していた栗子山のピークを踏めなかったことは残念ですが、ここにならこの先何度来ても善いんじゃないのかな、と思っています。 ps ちなみに・・・沢なんかへいっちゃらの女性陣も、流石に混浴だけは・・・と内湯に入りました。でも、もしバスタオルを持っていたら入ったことでしょう。滑川温泉の露天風呂に入ろうとお考えの女性はバスタオル必携ですよ。 |
| 転進
2001年6月22日
梅雨である。しっとり濡れた苔と森の美しさ、などと言うが、沢に入るにはやはり晴れていた方がいいに決まっている。勢い、どこへ行こうか迷うことになる。ベテランだけならいざ知らず、沢初心者を誘う山行ともなれば非常に重要な懸案事項であるからお座なりにはできない。梅雨であるからどうしても晴れベースというわけにはいかない。それでも、関東あたりで折れ曲がった日本列島に対して緯線にほぼ平行な梅雨前線のことであるから、うまく探せば晴れた沢を登れるかもしれない。 で、今回も転進しようと思っている。奥秩父の釜ノ沢から離れること350km。福島、米沢間に広がる栗子山塊もしくは吾妻連峰の北面あたりか?先週行っていなかったら二口も良いのだが、さすがに2週連続で同じ沢を登っても仕方ない気がする。東北のことであるから、他にも魅力的な沢はたくさんあるのだが、初心者を連れて、こんなに行き当たりばったりで入れそうな穏やかで美しい沢が思い浮かばない。秋田駒や八幡平あたりではあまりに遠い。 「転進」と言うといかにももっともらしいが、そもそもこの言葉、旧日本軍が体裁を繕うために「退却」の代りに用いたものらしい。まあ、雨でも突っ込むことが沢に戦いを挑むことになるのなら、敵を見る前に退却しているようなものだから間違った用法ではないのかもしれない。もっとも、沢に戦いを挑む気など端からありはしないけれど・・・。 というわけで、今夜も見切り発車。メンバーが集合してから行き先を決めるので悪しからず。雑記帖も月曜日までお休みです。 |
| 母からの手紙
2001年6月20日
故郷の母から手紙が来た。ここのところ素行があまり宜しくないにん2を訥々と諭す文章。幾つになっても母は母であり、子は子なのだろう。不惑を前に惑い著しき子のことを思い夜も眠れない程心を砕いているとの由、ありがたいことだと思う。 眠れないからではないだろうが、閉店後のパチンコ屋掃除のパートを始めたのだそうだ。僅かな年金で暮らせるはずもないから当然昼間も働いている。製紙工場でフォークリフトの運転。エアコンも無い工場の中は、これからの季節暑くてさぞ堪えることだろう。大して歳の違わない社長の奥さんが、高給外車に乗って今日はゴルフだ買い物だと走り回っている姿を見るにつけ、人生の不公平が呪わしく思える。 生きる悲しみとは、努力の結果が必ずしも報われない悲しみでもある。働いた時間、休まなかった時間がそのまま幸福に結びつくなら、母にはいったいどれほどの幸いが訪れているだろう。それなのに、頼りの子供たちが齎すのは、いつも寝耳に水の不孝と、金銭の無心だけ。報われないことに慣れてしまった人は、それでも静かに笑っている。 母に心の安住を鬻ぐためには、残念ながら今のにん2にとってはまだまだ時間が必要だ。だが、例えそれが道程の重荷になったとしても、失いたくない荷物もある。それどころか、もっと重く肩に食い込まなければいけないもののようにも思える。遠くからその平安を祈りながらも、今日も不孝を重ねる息子の心を、母はそれでも信じ続ける。それしか無いと言えばあまりに悲しい。けれども、完全に否定できないところに、彼女の生の真実がある。 この不孝の数々を、いつかあの人の幸いにできるだろうか。いつも自問自答している。母はそれを望まないかもしれない。だが、その答えを見るために、母は生き続けなければならない。情けないことなのかもしれないが、それこそが彼女の勝利の可能性であり、息子としての願いでもある。 |
| 癒し系には御用心
2001年6月18日
二口山塊大行沢へ行ってきました。教訓は「癒し系には御用心」(三吉くん談)だそうです。やぁ、なかなかハードでした。下ってきたら3人とも全身筋肉痛でロボット状態。それでも、二口温泉の渋い湯船に体を沈めれば全ての痛みは融けるように消え去り、楽しかった思い出だけが残るから不思議なものです。 元はと言えば前日までの雨で増水した沢と(+15〜20cm)、出合いに到着した午前4時半、試しに・・・と出したにん2の竿にいきなりイワナが食い付いてきたのが運の尽き。すっかり釣りモードに入ってしまった3人は、仮眠も取らずに入渓することとなりました。 15〜20cmの増水と言うとたいしたこと無いように感じますが、これが実に曲者です(沢屋の方々は良くわかってますよね)。広い流れでは平水と変わらないように見えても、ゴルジュや滝では様相が一変。目を点にして「聞いてないよぉ!」状態です。普段だったら楽勝でへつったり登ったりできる場所が水の下だったり、軽く乗り越えられる落ち込みが泡立つ奔流だったりでもう大変。通常より一段高いへつりでセミになって、渦巻く流れを見下ろしながら冷や汗をかくこと再三再四でした。どうということのない滝だと思っていたのに、登れそうなルートが瀑水の下になってしまっていて手が出せず、苔に覆われたヤバそうな垂壁を登らざる負えなくなった時には”癒し系”という言葉を皆で呪ったもんです(言っていた本人がそんなこと言っちゃ仕方ありませんね。)。 そんな状態にも係わらず、頑なに竿を出し続けていたわけですから、最初の一発目の威力とは恐ろしいものです。結局釣果は3人で4匹、うち2匹キープというもの。おいしい刺し身とイワナ汁にはありつけましたが、テン場に付いたのは午後6時。12時間以上も20kgオーバーのザックを背負ったまま、竿を振ったり岩を登ったりしていたのですから、ロボットになるのも致し方無しというところでしょう。 夜は盛大に宴会のつもりが、徹夜の上の過度の労働に皆次々にダウンして、ろくに持ち上げた酒も飲まずに10時には寝てしまいました。そんでもって起床は朝8時半。久々にゆっくり寝て爽快な朝ですが、酒を残しては下りが大変だぞ!ということで、朝から酒盛り(呑んじゃった方が大変なのでは?)。テン場を撤収したのが昼過ぎでは、カケス沢になんか入れるはずありませんよね。 前日と打って変わって、晴れ間の覗く上部のナメ地帯。ブナの木漏れ日を浴びてほろ酔い気分でジャバジャバ歩くのもまたおつなものです。これでやっと癒されたということでしょうかね。 それにしても、にゃんちゅうさんが来てからどうも酔っ払いの珍道中というパターンが多いような・・・。いや、きっと気のせい・・・でしょう。 ps そうそう、「春の集中大倉尾根から蛭ヶ岳縦走」を追加しました。 |
| やっと終わった
2001年6月15日
すっかりご無沙汰でした。 先週から追い立てられていた某社のデジカメの新製品のモックアップがようやく生地完成まで漕ぎつけました。いや〜長かったぁ。この一週間ほぼ毎日午前3時まで仕事をして寝るのが4時過ぎ。平均睡眠時間3時間でした。雑記帖などにかまってる暇があったら寝るよ、という生活が続いていたわけです。タイムカードを見ると、残業時間が平均9時間。週5日として、普通の就労時間が8時間ですから、まさに「一週間に十日来い」状態ですね。それでも、土日はしっかり二日間沢へ行っていたのですから、果たしてこの「忙しい」もどこまで信憑性があるのか怪しいものですが・・・。 ともあれ、これから本塗装をして、月曜日のプレゼンにはどうにか持ち込めそうとのこと、おそらく夏休み頃には皆さんのお手元に製品となって届くことでしょう。沢屋さんや土木関係者に好評な丈夫で防水機能がうれしいあのカメラのデジタル版です。ちょっと柄はデカイですが、気に入ったら是非使ってみて下さい。 んでもって、本当は今夜あたりぐっすり眠りたいところですが、またぞろ半徹で仙台まで車の運転です。金夜発一泊二日の日程で二口山塊の沢を登る予定。ルート的にはかなり癒し系ですので、渓畔のタープの下でゆっくり眠ってきますよ。天気も良さそうだし、好いリフレッシュになることでしょう。 ということで、月曜日までまたまた雑記帖はお休みです。シーズンですから仕方ありませんね。これをやらなければ沢同人会の名が廃るというものです。では、また。 |
| 葛葉に帰る
2001年6月10日
まみちゃんの沢初めで丹沢の葛葉川本谷を訪れた。曇り時々晴れの予報に反して、どんよりとガスが厚く垂れ込めた生憎の天候。言うまでもなく沢は晴天が一番。ましてや生まれて初めて沢に入るとなれば、この印象が後々の沢人生?を大きく左右する可能性が大きい。それでも、雨さえ降らなければどうにかなるのでは・・・という期待を胸に抱いての決行である。 のんびり出発して入渓は何と正午。案の定沢の中は思い切り暗い。ヘッデンを出した方がよいのでは?と思う程の暗さで、まみちゃんに「ホントはこんなんじゃないんだからね。」と何度も念を押しながらの遡行であった。それでも彼女、さすがにただ者ではない。梅雨時のしっとりとした美しさを無理矢理にでも感じとってくれたようで、不安と裏腹にそれなりに悪い印象ではなかったみたいだ。まずはホッと一安心。 葛葉には何度も訪れているが、今回の遡行でやはり銘渓であることを再認識した。登れる小滝の連続。まさにその一言に尽きる。疲れるゴーロ歩きは50mと続かない。見上げれば次の滝がある。そして、そのどれもが容易に登れる。容易と言っても退屈ではない。それなりに登り方を考える必要があるし、時に高さもあるから慎重さも要求される。ザイルを使わず身ひとつでグイグイ攀じる快感は、沢登りの神髄のひとつを如実に表している。もちろん、渓相もかなり美しい部類であろう。いや、もしかしたら、表丹沢随一と言えるかもしれないな。 釣りはフナに始まりフナに帰る、と言うが、葛葉本谷の良さはそれに近いものがあるかもしれない。歳をとって、ハードな沢登りに耐えられなくなっても、こんな渓をのんびり歩けたら幸せだろうなぁ、と素直に思えた。できうることなら、そんな日が訪れるまで、この渓がその姿を止めていてくれることを願って止まない。 まみちゃん。今度は晴れた日に行こうね。 |
| 落ちる
2001年6月9日
にゃんちゅうさんと二人、裏丹沢エビラ沢を登ってきた。詳しい内容は記録に譲るとして(そればっかりやね)久々に落ちた。いや、リードでの滑落は厳禁とい滝登りの視野で見れば、初めての本チャンの沢での滑落?であった。 場所は林道からも良く見えるエビラ沢F1、15m。手掛かりに乏しいツルツルの岩で、A1を交えた人工登攀のルートである。下部6〜7mのボルトは全て流失していたため、左の小尾根を登って中間から取り付いた。ここから、右上するハングの下をトラバース気味に登って行く。 しばらく登った人もいないらしく、残置は多いもののどれもこれも錆ついていて信用できない。小尾根からデコボコの垂壁をフリーでトラバースし、ハング下の外傾バンドに降り立つ。バンドと言っても立って歩ける傾斜ではなく、シューズのフリクションで止まっていることもできない。真っ黒に変色した残置スリングを掴んでのA0と、アブミを架け替えながらのA1でじりじりと登って行く。 3分の2ほど登ったところで浅いクラックにフレンズをきめた(と思った)後、1mほど上にあったアングルピトンにスリングを通して軽く引き、効きを確かめ(たと思った)てからこれを掴んで体を引っ張り上げようとした刹那、ピトンが根元からすっぽり抜けてしまった。 「あ〜〜。」という叫びとも驚嘆ともつかぬ声(結構大声だったらしい)を発しながら、成す術も無く滑り落ちる。軽い衝撃とともにフレンズが外れたのがわかる。咄嗟に「次ぎは何だったっけ?」と考えていた。無論、その前にとった支点のことだ。長いような短いような一瞬の後、9mmのツインロープが延びる感触とともにぶら下がって止まった。滝壷まで3mほどの高さか?手には、錆びたアングルピトンのついたスリングを握っていた。 多分墜落距離は5〜6mというところだろう。落ちた高さとロープの伸びを考えると7mくらいかな。わりと落ち着いている自分が不思議だった。つるつるで手掛かりがないので、ぶら下がっているロープを掴んでゴボウで登り返す。止まった支点のところまでたどり着いて見ると、「浅いかなぁ」と思いながら、自分で打ち込んだピトンがそこにあった。衝撃でグラグラになりなってはいたが、よくぞ持ちこたえてくれたものだ。その前は腐ったピトンだったから、これが抜けていたらグランド(滝壷?)フォールは免れなかったかもしれない。念のために、ぐらついているピトンの脇に補強にピトンをもう一本かためて打って登攀続行。不思議と度胸も据わって、なんとか落ち口に立つことができた。ふ〜。 それにしてもエビラ沢F1。林道の橋の上からよく見える上に、そのすぐ下はキャンプ場になっているので、落ちた時もギャラリーが3人ほどいたらしい(後から聞いて知った)。その人達って得したよなぁ。叫び声つきの滑落なんてめったに拝めるもんじゃないからなぁ。でも反面、クライミングなんか絶対やらない!とも思っただろうなぁ。ははは。 落ちた時には感じなかったけれど、風呂に入って膝を見ると結構アザだらけ。打撲はそれなりにしたらしい。いずれにしても、フリーと違って人工登攀は支点命! 皆さんもくれぐれも気を付けてくださいね。 ps 大滝まで登って下ってきた後、たまにはボランティアを・・ということで、流失した下部に新しくボルトを打ってルートの整備をしてきました。アイスハンマーでのジャンピング作業で腕はパンパン。久々に良い仕事をしました。おまけに、この時にゃんちゅうさんも滑落してRCCボルトで強か膝を打ち、同じように、脛ならぬ膝に傷持つ身となってしまったのはご愛敬。エビラ沢F1を登るなら今がチャンスですよ。 |
| 獣(けだもの)の時代
2001年6月8日
「8人!!」 午後、YAHOO!の速報を見てあまりのことに叫んでしまった。打ち合わせに向かう車の中でラジオの速報を聞いた時に3人だった死者が、8人になっている。少々の事件では驚かないつもりであったが、さすがに怒りが込み上げてきた。命を絶たれた幼い子供たちと、その親の悲しみを想い涙も込み上げてきた。 どこかで見たことがある・・・と思った。学校に乱入しての無差別大量殺人。そうだ、これはコミックの「寄生獣(岩明均著 講談社刊)」の2巻か3巻で起きた島田事件そのものではないか。(「寄生獣」のストーリーについてはこちらでも見て。色々考えさせられること間違い無し。是非一読をオススメします。)島田事件は、人間を食料としか考えないパラサイト”島田”が、硫酸をかけられたために狂乱して引き起こした事件なのだが、考えてみれば、物語の中で一貫して冷酷で狡猾な恐ろしい生物として描かれているパラサイトでさえも、狂乱状態の中でしかこんな滅茶苦茶なことはしていない。それを、あの容疑者は無表情のまましてのけたのだと言う・・・。 確かに何かが狂っている。それが何なのか?数万語の言葉と時間を費やしてもとても言い表すことはできないだろう。ただ、敢えて言うなら、有吉佐和子の小説「複合汚染」よろしく、我々の心も、現代に蔓延る様々な不条理に複合的に汚染され崩壊しかけているのかもしれないのでは?人間的な心などというものがあるのだとしたら、それが腐食してどんな死でも「そうか・・・。」としか受け入れられないパラサイトの心、獣の心が人々の中に蔓延しつつあると言えはしないか。 20世紀は鉄の時代であったと言う。21世紀は獣の時代として幕を開けたのかもしれない。世紀を超えて我々は、武器を得た代償に人の心を無くしてしまったということか。だとしたら、武器を持った獣ほど恐ろしいものはない。 今回の事件の容疑者は、心神喪失状態で罪に問われない可能性もあると言う。だが、狂犬病にかかった犬は殺されるのだ。本人が望んでいるという死刑も含め、自らの罪に見合っただけの罰が与えられてしかりだと思う。各機関には、法律の改正も視野に入れた慎重な対応を切望したい。 |
| 終わらない・・・
2001年6月7日
モデリングが終わらない。形にならないよ〜。シクシク・・・。 きっとにん2が悪いんじゃない。この2次元図には、実体にならないこの世に有り得ない形が定義してあるに違いない。午前1時を回り、納期が短くなり、脂汗が流れてきたりする。 げっ!!ワークステーションがフリーズした。いや、UNIXだからプロセスがフリーズしたと言うべきか。いやいや、そんなことはどうでもいいけど、もしかして2時間分後戻り? マ〜ジ〜!! ガクッ。激しく落胆。 は〜〜〜・・・。もういいや。終わり終わり!明日があるさ!! でも・・・納期に明日は無いよなぁ。いったい何やってるんだろう。もう寝たい・・・・・・。 |
| 日記風雑記
2001年6月6日
午前中いっぱいメールの返事書きと午後からの会議の資料の整理。そんなこんなで、先週から取り組んでいる某社の新製品(デジカメ)のモデリングが全然進まない。(注> ここで言うモデリングとは、3次元のデータ作りのこと。)このままだと納期に間に合わないかも・・・。少々アセリ気味。 午後はクライアントとCADベンダーを交えて「理想のCAMとは?」というテーマで意見交換会。すぐに終わるかなぁ、と思っていたら、どうしてどうして、議論が白熱?してこちらも午後いっぱいまでかかってしまう。それにしても、CAD/CAMの世界はベンダーの理想とユーザーのニーズがかみ合っておらず空回り状態。こんな会儀でも、少しでもそれを是正する力になれば良いのだが・・・。 送られてきたまみちゃん著、「春の小川山合宿」の記録を素早くアップして、夜はひたすらモデリング。昨夜も午前二時近くまでかかってしまったし、会儀の緊張から解き放たれたので眠いことこの上ない。コンピュータに向かって作業していると、コマンドをクリックしてはその最中に意識を失い・・の繰り返しで、線一本ひくのに30分かかったりする。今、これを書いている最中も・・・。 ではみなさんお休みなさい。さっきからこの一言を15分くらい書き直してるにん2であった。 |
| イルカを食べる
2001年6月3日
にん2の故郷である静岡県中部ではイルカを食べる。肉はゴボウと味噌で煮付けるのが最高。ヒレ?の部分を皮ごとスライスして酢味噌で食べる「さらしいるか」も、もちもちした食感と独特の風味がおつである。 たまたま実家の近くまで行ったので、久し振りにスーパーで「さらしいるか」を買って食べた。昔の味が妙に懐かしく「生じらす」も同時に買った。「生じらす」はチリメンジャコにするあのしらすを生で生姜醤油で食べるもの。カツオの心臓は無いかしら・・・と探したが、さすがにスーパーでは手に入らない。これも出会えればラッキーな逸品である。 スーパーで売っているくらいだから、おそらく我が家を含めあの辺りの人は日常的にイルカを食べているのだろう。名実ともにかなりの珍味ではあるが、それがサクラエビのように名物的な扱いを受けることはあまり無い。なんだかんだ言っても、やはりどこか後ろめたい気持ちを抱かされているせいなのかもしれない。個人的にはかなり不満ではあるが・・・。 だいたい、イルカを食べることに何故他と違った罪悪感を抱かなければいけないのだろう。西欧人が愛玩しているからなのか?頭が良くて人間の友達だからなのか?だとすれば何故馬刺しは名物でいられるのだろう。命を食すことの意味は、魚だろうが四つ足だろうがイルカだろうが変わらないと思うのだが・・・。動物の命は下等なものと思え、と言っているのではない。食べて良いもの、悪いもの、という、人間本位の身勝手な線引きが腑に落ちないのである。 夕食にファミレスの「藍屋」でアジの活け造りなるものを食べた。食べ終わるまで、目の前でピクピク動き続けるアジを見ながら、食欲と精神性の間で揺れ動く人間の業のようなものについて、改めて考えさせられた。でも、確かに趣味は悪いよなぁ。 |
| 始めの一歩
2001年6月2日
丹沢水無川本谷を登ってきた。3度目の訪問である。ご多分に漏れず、にん2もここで生まれて初めて沢の洗礼を受けた。今から8年前。94年8月7日のことである。 フリークライミングを始め、ロープワークを一通り覚え、自分の力でどこかに登ってみたくて仕方が無かった。アルパインの本チャンルートなど登れるはずもなく、考えあぐねている最中に沢登りの存在を知った。それではということで、最初の一歩を半ば見きり発車に近い形で踏み出したのである。 行き方も良くわからず、朝八王子を発って大倉から林道を歩いた。この時点で敗退は決まっていたのかも知れない。結果はF5の上、書策新道にて時間切れ。まだ11mmのロープしか持っておらず、その濡れた重さに打ちのめされながらも、初めて出会う新鮮な感動の虜になった。一月後、リベンジを誓って今度は車で戸沢まで入り、ようようの思いで塔ノ岳のピークを踏んだ。その時、初めて知った高度感と緊張。渓のきらめき。自分が一般?でなくなったことに対する高揚。あの日出会ったそれらの場面に今の自分が向き合ったら、いったいどんなことを感じるのだろうか?それが知りたかった。8年という歳月に、変わり行く沢の姿も確認してみたかった。 車で林道を行くと、知らなかったとは言えよく歩いたものだと改めて思う。あの日、緊張の中ロープを出して登った滝を、何気なくフリーで登る。渓は相変わらず美しいが、やはりそれなりの変化は否めず、以前ほどの感動があるわけではない。変わったのは自分自身なのか渓なのか?それでも、同窓会で好きだった女の子に再会したような、切なくも楽しいひと時を過ごすことができた。 今年の大雪のためか、沢はやや荒れ気味。F7はもう存在していないと言っても良いほど崩れ去り、あの頃まだ左壁を登ることができたかもしれないF8-20mがまるで別人のように姿を変えて、今や全く手がつけられないハング滝に豹変していることにも驚かされた。おっかなびっくり登った詰めのガレは、鼻歌気分で景色と花々を愛でる余裕の散歩道に変わっていた。 同窓会で会う憧れの女の子は、見る影もない肥ったおばさんになっていたりするものだが、それはこちらも同じこと。トキメキの憧憬を胸に、新しい会話ができれば、それで良いのではないかと思った。 |
Copyright (c)
2000 MSCC八王子通信. All rights reserved.
この文書の内容は予告なしに変更されることがあります。
ここで参照する製品名および著作物などは、各会社または著作者の商標または所有物です。
また、このホームページの内容を参考にして事故などが発生しても当方では責任を負いかねます。
あらかじめご了承の上、自己の責任で安全な登山を心がけて下さい。