雑記帖
| ここでは、21世紀を記念して、このWebの管理人「にん2」の身の回りに起こったことを不定期更新お気楽日記風に書いていこうと思います。 |
| こっそり映画
2001年8月30日
今まで隠していたが、話題のアニメ「千と千尋の神隠し」を観て来た。考えてみると、宮崎アニメを映画館で観るのは初めてのこと。登場人物のパターンがかなりマンネリ化している宮崎アニメであるが、今回のは正直言ってなかなか面白かった。ちょっとホロリとさせられたしね。 実際に見る前は「となりのトトロ」系のほのぼのとした内容だと思っていたのだが、あにはからんや、結構コワイ映画。ストーリーと言うよりも、絵の表現がかなり怖い。多分就学前の子供だったら泣き出すのではなかろうか? 小学生くらいでも心に傷を残すかもしれない(夜中にトイレにいけなくなったり・・・)。それにしても宮崎駿という人はドロドロとかヌルヌルとかが好きだね。きっと山蛭なんか大好きなんだろうな。コミック版の「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」もそうだけど、この人の心には、そういうグロテスクを好む暗黒部分が潜んでいるのかもしれないな。人間誰しも多少はそういうところがあるのかもしれないけど・・・。 あちこちで言われていることだけど、この映画には幾つかのキーワードがある。どこかで見たと思わせるノスタルジックな情景。労働の苦楽。ひとりぼっちの自分と、それを助けてくれる他人との関係。子供よりも、むしろ大人、それも40代以降の琴線に触れるものの方が多いかもしれない。千(千尋)がハクにもらったおにぎりを食べて思わず涙をこぼすシーンなど、こちらも目頭が熱くなった。これは、苦しい時に助けられた覚えのある人にしかわからない感覚だ。にん2も味噌問屋に奉公に出されていた10歳の頃を思い出してしまった(嘘)。 他にも、ハクと千尋のジュブナイルな関係や、銀河鉄道の夜を彷彿とさせる電車のシーンなど、「この場面ではこういう絵が見たい」と思った通りの場面展開になるあたり、何だか良いトコ取りじみてるが、さすがと言うほかはない。宮崎駿という人は、やはり観客のツボを心得ているのだろう。CGの使い方も、違和感無く非常に巧みだ。 ただ、この人にしてちょっと不思議なのが、今ひとつ説明不足な感じがするところ。湯婆婆姉妹の関係やその行動の意味が今ひとつわからないし、なんだかいっぱい後日談がありそうなのに、それには全く触れずやけにあっさり終わってしまうので、些か拍子抜けしてしまった。まあ、全てを説明せずに観客の想像力に委ねて、物語世界のスケールを大きく見せる手法は最近のアニメではよく使われる手なので、それはそれで良いのかもしれないけどね。 どっちにしても、かなり長いアニメだけれど最後まで退屈せずに観られるし、ロードショーでも損したとは感じないことだろう。まだ観ていない人は、暇な時に観に行っても良いのではないだろうか。 ps そう言えば、予告で流れていた、12月公開予定の「シュレック」というCGアニメがかなり面白そう。特に「マトリックス」の冒頭、トリニティと警官隊との戦闘シーンのパロディは馬鹿ウケだった。こいつはかなり期待大。ちょっと12月が待ち遠しい。 |
| 街でオフする
2001年8月29日
昨夜はHPを見て同人参加希望の連絡をくれた「かたつむりさん」と初めてのオフの日。現れたのは長身美形の娘さん。八王子ICI石井スポーツでの用具説明会にスーさん、野遊び焚き火のWさんも集まり、予想だにしなかったオフ会となる。後ろで何か言いたそうな店員さんを尻目に沢屋感覚の用具説明。あれはだめ、これは違うと用具の常識をこき下ろした説明に、きっと内心腹を立てていたことだろう。すまんこってす。 そろそろ閉店の時間という頃、暁のゲンさんから合流できるとのTEL。店の前で待つこと数分。普段と打って変わったネクタイ姿のゲンさんがやって来る。それではということで5人連れ立ち、近くの蕎麦居酒屋へちょっと呑みに出かける。まずは生ビールで乾杯。Wさん、ゲンさんのネクタイ姿とスーさんのエレガントな着こなしは、山での姿からは想像もできない新鮮さに満ち溢れている。初対面のかたつむりさんは無論その限りではないが、彼ら彼女らが山に携えて行く”モノ”は、こんな日々から生成されているのだろう。 楽しい時間は瞬く間に過ぎて、午後10時。電車の時間が気になるスーさん、かたつむりさんと別れた後、町内会3人組はブラブラ歩いて丘の上に帰る。これだけ家が近いと、学生が同じ寮に帰るのに近い感覚。時が許せば、もうちょっと呑みたいところだが、にん2以外は明日も仕事だ。 そして今日。朝食を食べてからまた寝てしまう。はっとして起きたのが午後1時(別に驚くこともないか)。まったくもって怠惰である。よーし、ちょっくらプールでも行って今週末のために泳ぎの鍛錬でもしてくるかな。 |
| 新兵器登場
2001年8月27日
今まで仕事中いつでもWebが見られる環境にいたわけだが、今となってはそれもままならず、掲示版、メール、雑記帖などのことを考えると、なかなかに気が重いのであった。加えて、諸般の事情でどうしても外出先で長文メールを読まなければならない事態に陥り、急にモバイル環境を持つ必要に迫られた。 本当はノートPCを持つことが理想なのだが、手持ちのノートは会社に寄贈してきてしまったし、以前使っていたモバイルギアは死んで久しい。一応失業中ということもあり、さすがに新しく買う程の余裕は無いと来ている。結局あれこれ悩んだ末、「ザウルス igeti(アイゲッティ)」なるものの購入に踏み切った。 カタログを見ると定価は5万円。ところが、ヨドバシカメラあたりで買えば9800円で手に入る。モノクロ16階調、10MBメモリとブラウザ、メーラー、国語、和英、英和の各種辞書に豊富なPIM機能を搭載してこの値段。おまけに各種のフリーソフトが充実しており、たいていのTOOLはWeb上から手に入る。この雑記帖はそいつを使って電車の中で書いているのだが、これがすこぶる快適なのだ。 HTMLエディターとFTPクライアントソフト、画像の貼りつけだってやろうと思えばできるし、最後まで迷ったキーボードレスも、ペンタッチの画面キーボードで思ったより正確に素早くできる。何だかあまりの価格性能比に驚きを通り越して呆れてしまうのである。 疑似マルチタスクもあいまって、この性能レベルはもう完全にWIN3.1時代のPCを凌駕しているのではあるまいか?使い古された言葉だが、そんなPCに軽自動車が買えるほどの大枚をつぎ込んでいたにん2にとっては、隔世の感は禁じえないのだ。う〜、それにしてもさっきから漢字変換のミスヒットもほとんどない。下手をしたら使い込んだ家のPCの辞書より優秀だぞ。9800円か〜。まいったなぁ・・・。 化学の進歩に様々な恩恵を受けるのは世の常なれど、にん2から見てもこの性能にこの価格は些かダンピングのかほりさえ漂っている。これでは開発者は浮かばれませんなぁ。自分が失業するのもうなづけるというもの・・・。 |
| 失業一日目
2001年8月24日
ひどく眠い。午前4時に寝て、9時に起きる。朝食を食べ、また寝る。時折目を覚まし、古いアメリカのアニメ(ケーブルテレビの専門チャンネル)を途切れ途切れに見ては、うとうとして過ごす。子供が何やらしきりに話しかけるが、生返事。 午後4時、本格的に目を覚まし、会社から引き上げて来た荷物の整理。書籍やコンピューターで6畳の部屋が埋まるほど。会社にこんなにも多くの私物が置いてあったのかと思うと、14年の歳月を感じる。 午後6時半。およそ5年振りくらいで美容院に髪を切りに行く。サラリーマンをやめてから、サラリーマンの外見になる。就職活動には大切なことだ。3,000円。今のにん2には、些か痛い。CoCo一番屋でカレーを食べて帰る。 家に帰ると午後9時。子供を風呂に入れ、部屋のかたづけの続き。増えたコンピュータを全て常時接続にするため、CATVケーブルにブロードバンドルーターをつなぐ。一階から3階までケーブルを引き回し(無線LAN化するほどの余裕なし)、”どこでもインターネット”環境を構築する。計らずも家庭内LANも整い、しごく快適。ついでにUSBカメラを取り付けて(なぜか1セット持っている)居間と書斎にTV電話を開通させようかな。 てなことをやっていて、はっと気がつくと午前6時。これが失業1日目。 別に同じ流れで就職するまでの雑記帖を埋めるつもりはないのであしからず。 |
| 14年間
2001年8月23日
就職して14年目。その最後の日だった。 もう座ることのない机。開けることのないロッカー。入ることのできない扉。14年間、おそらく家にいるより長い時間を過ごし、同じくらい慣れ親しんだ”場所”に別れを告げる。得たものも多かったが失ったものも数知れない。四季の移ろいを想えば、そのひとつひとつに積み上げた会社での日々が重なる。戦前から経っているような木造の工場に、たった4人の社員。電卓片手に手でハンドルを廻して削っていた製品を、今はコンピュータの申し子のような自動機械が、夜も昼も無く瞬く間に削り上げる。20人の社員とそれ以上の数のコンピュータ。もう、どこに出しても恥ずかしくない”会社”になった。右も左も解らぬ試行錯誤の中で、このシステムも作り上げるためにどれほどの眠れぬ夜を越え、どれほどの心労に身悶えただろう。ここは涙のひとつもこぼして良いところだろうか? けれど、自分でも驚くほど感傷的な気持ちは湧いて来ない。むしろ、不思議な喜びに包まれている。もう納期や寸法に振りまわされる日々は終わったのだ。今はそれだけが、ただただうれしい。 それじゃあね。と、部下と笑顔でさり気なく別れる。繰り返した日々と何ら変わりはしない。部下は哀れなものを見るようにこちらを見ている。でも、こっちも彼らが哀れに見える。会社がある限り延々と続く薄氷を踏むような戦いの中で、彼らは生き続けなければならない。それが不憫でならない。 自分を捨てた会社に怨みはあるのか?自分は彼らとその器のために何かできるだろうか、いや、何かするだろうか? 自問自答の中にも答えは無い。ただ、こつこつと作り続けたマッチ棒のお城には、火をつけてみたい衝動がある。そんな自分が、ちょっと怖いような気もする。 14年間。20台前半の自分に見えていたものは、今はあまりに遠くなってしまった。感傷があるとしたら、時の移ろいに戸惑うこともできなくなった自分にだろうか・・・。 とにかく、今日からは晴れて自由の身である。娑婆の空気はこんなにもおいしかったかな・・・? |
| 貧乏のはなし
2001年8月20日
いよいよもって失業者である。定職について14年。自分は中流だ!などとお馬鹿なことは考えはしなかったが、それでも食べるのに困ったことはあまりなかった(全然と言わないところがミソ)。けれども、こうなってみると、もしかしたらそうも言っていられないのかもしれない。家のローンを払うか、明日一日の米を買うか、迷っちゃうことだって全く無いとは言えないのである。思えば、今に始まったことではないのだけれど・・・。 時に、食欲より物欲が勝ってしまう傾向があるにん2は、職についてからも、世帯的にはともかく、個人的にはいつも貧乏であった。後先を考えずに遣かっちゃう、ということは無いと思うのだが(謙虚でしょ?)、なかなか通帳のマイナスが消えないのである。まあ、こう言ってはなんだが、貧乏に強い体質なのかもしれない。装飾品とか、服装とか、元々そういう虚栄的なものにあまり心動かされない性質であることも一要因なのだが、何にも増して、浪人、学生時代に味わった言語を絶する(大袈裟)貧乏生活に負うところが大きいのかもしれない。 夏になると今でも思い出すのは、子供が御小遣いで買っている50円のアイスが買えずに指をくわえていたこと。たった50円。それさえも無かった夏。ほんの少し残った米をお粥にして、雑草を油で揚げたものをおかずにしてしのいでいた。居酒屋でバイトをしていたので、その賄いだけが頼り。手持ちの米が無くなれば、その一食が一日の食事の全てだった覚えがある。 もう時効だろうけれど、畑荒しをしたこともある。抱えて逃げた白菜で作った白菜だけの鍋の味は、今でも忘れることができない。煙草を買えず、貯め込んだ灰皿の中の吸殻をほぐして辞書で巻いて吸っていたのはまだ余裕がある時、ご多分に漏れず、そのうち紅茶や緑茶の出し殻にも手を出した。家賃の滞納は最長6ヶ月。6ヶ月目にしてどうにかこしらえた2ヶ月分の家賃を持って行くと、大家さんが食事をご馳走してくれたっけ。 数え挙げれば切りが無いけれど、なんだかいつもひもじかったあの頃。家を買い、子供ができた今となっては、ひもじいだけでは済まされるわけも無いが、上を見れば切りがないのと同様に、下には下の思惑がある。時間的な余裕は無いかもしれないが、明日があるさと微笑んだ、あの頃と同じような心の余裕くらいは持てるだろうか? |
| 水の戯れ
2001年8月19日
奥多摩(奥秩父という説もある)の丹波川本谷を、三条新橋からおいらん淵まで遡行してきました。暁のゲンさんの提案で急遽決まった山行で、あまりに急なお話、果たしてメンバーがあつまるかなぁ、と危惧していたのだけれど、ゲンさん同様ご近所に住んでいて、みんなで野遊び焚き火というHPを開設なさっているW氏、それからしんちゃんの計4名で実に楽しい遡行を行うことができました。 ゲンさんとW氏、そしてにん2は、歩いて数分の同じ町内の住人。以前から一度オフ会をしましょう、と言い合っていたのですが、皆多忙でなかなか機会に恵まれずにいたところ、夏休み中(約1名は失業中)の空白の一日ということで、それがやっとかない、前夜近所の公園のテーブルで、ささやかな酒宴を執り行いました。ささやかとは言ってもメンバーがメンバー。七輪まで飛び出して、目刺し、ハタハタ、牛タンなどを焼きながら、ビールが何本も空になりました(W氏とにん2は実は下戸系・・とすると・・・)。途中知り合いのお巡りさんの乱入?などがあったりしたものの、そこはご近所同士、円満にことが運んで、結局12時過ぎまで呑んでしまいました。 翌朝は8時に集結して一路三条新橋へ。「今回は泳ごう!」と、掛け声は勇ましかったのだけれど、天候は生憎の曇り空。気温も8月とは思えない低さで、最初は今ひとつの乗りでした。でも初っ端に現れる「犬戻り」を意を決して泳いでしまえばこちらのも。次々と現れる淵を、テクニックとアイディアを駆使して突破して行く楽しさに、すっかり夢中になってしまいました。これぞゲレンデ、これぞ大人の遊び場、顔がにやけてしまいます。 今回沢登り2回目のW氏はもちろん、しんちゃんも泳ぎ主体の沢は初めてで、出発前はちょっと緊張していたようですが、その場に至ってしまえば、二人とも持ち前の明るさとチャレンジ精神で少々のことにはビクともしません。「楽しい! 面白い!」の連発に、参加してもらってよかったなぁ、と心から思いました。感動を素直に表現できる人と沢を歩くのは楽しいものです。自分の感覚も広がっていくような喜びが得られます。多分同じように感じただろうゲンさんも大満足のようでした。 丹波川本谷の遡行終了は心霊スポットとして有名なおいらん淵。インターネットの検索でひっかかるのはその手の話題ばかりです。「面白半分で近付いてはダメ。」とか「霊に取り付かれて動けなくなった。」とか、思わず吹き出してしまいそうな話しが次から次に飛び出します。だとしたら、面白全部でここまで登って来た我々はどうなっちゃうのでしょうか(笑)。今回のメンバーもそうですが、外遊びの好きな人はそういうものに動じない人が多いようです。要は自然の真の姿を前にして、霊だ恨みだ怨念だなどと騒ぐのがいかに愚かしく、人間本位の身勝手な考え方かがきっと分かってしまった人たちなのでしょうね。展望柵の上から恐々と滝を覗く”怖い”人たちと、その滝を嬉々として登る”怖くない”人たちとの対比を想像して、両者の隔たりにちょっと笑ってしまいました。 いずれにしても、こうやって新しい仲間と楽しい時間を共有できるのはインターネットがあってこそ。これだけは間違いが無いようです。無限に広がって行く世界を前に、どんな出会いに遭遇することができるか、これからも目が離せませんね。 |
| 初めの一歩
2001年8月16日
奥只見恋ノ岐川の夏合宿が無事に終わりました。沢の中に2泊、池の岳の頂上に1泊の3泊4日の山行後、翌日は桧枝岐の民宿に投宿し、盆踊りを楽しんだり、旧跡をそぞろ歩いたり、釣りをしたりでのんびりと過ごして、15日夜帰京しました。 恋ノ岐は以前より魚影が薄くなったと感じたものの、沢の中の2日間で計11匹。寿司、塩焼き、ムニエルと楽しんだ上に、民宿の膳にもイワナの刺し身、最終日の釣りで8匹を塩焼きと、まさにイワナ三昧の毎日でした。 途中、海外へ家族サービスに行くにゃんちゅうさんと、膝を怪我したえみさんがオホコ沢エスケープになってしまったものの、願ったことはなぜか総べて実現する不思議な強運に恵まれて、下山後の1泊と合わせて、近代希に見る充実した山行になりました。やはり、善き山、善き仲間、これが一番の幸せですね。この幸せを糧に、厳しい世の中を生きて行く決意を新たにしたのでした。 と、いうことで、私ことにん2は、本日を持ちまして、現在の仕事をやめることに致します。明日から、新しい人生(大袈裟?)を模索する毎日が始まります。見送った今までの暮らしと、明日から始まる新しい日々。恋ノ岐川は、人生の分岐として忘れられない沢になりそうです。 この雑記帖が、新しい日々の言わば最初の一歩です。はてさて、どんなことが待ち受けておりますか・・・。ゴルジュの向こうは登れない滝?厳しい泳ぎの瀞?それとも静寂のブナ林・・・? さあ、期待と不安の回廊をゆっくり歩いて行きましょう。皆さん、どうぞよろしく。 ps ということで、会社のサーバーを間借りしているこのホームページも、近々アドレスを変更することになります。新しい落ち着き先が見つかりましたら、すぐにお知らせしますので、ブックマークの変更をよろしくお願い致しま〜す。 |
| 出発
2001年8月10日
ボーナス100%カット確定。明日も明後日も雨。息消沈のまま夏合宿に出発です。増水して大変かもしれないけれど、休み開けの苦労を少しは忘れられるかな? 次回雑記帖は8月16日。カヌ沈、すみ放の関越硬派野営連合の方々も、くれぐれも気をつけて、夏合宿楽しんでらして下さいね。では、我々も行って参りま〜す。 |
| 最大のピンチ(大袈裟)
2001年8月9日
まだボーナスが出ない。このままだと今年最大のピンチだ。明日は夏合宿に出発だというのに買い出しもできやしない。明日一日が運命の分かれ目だな。 取り敢えずアルバイトを見つけておいた。夜8時から翌朝5時までの警備員の仕事。まあ大方交通誘導だと思うけど、以前町内会の交通安全指導員(あのお巡りさんの服を着てる紛らわしい人たち)をやっていたことがあるので、結構慣れてはいるんだ。どうせ残業もつかないし、本職はさっさと切り上げてアルバイトに精出そう。この夏を乗り切るためだ。睡眠時間とか色々問題はあるけど、この際背に腹はかえられない。 それにしても、リストラ旋風は吹き荒れるは、失業率は上がる一方だは、ボーナスは出ないは、この先この国はどうなっちゃうのでしょうか。痛みを伴った聖域無き構造改革には賛成なんだけど、実際自分の寝る時間が無くなるのは困るね。世界には失業率80%なんて国もあるそうだし、仕事さえ選らばなければいくらでも働き口があるわけだから贅沢と言えば贅沢なんだろうけどさ。 変化の無い毎日に喝を入れる警備員という仕事。実は楽しみと言えば楽しみなんだ。体力と気力の限界に挑戦! 山と大して変わらないんじゃない。まあ、誘導した車がぶつからないようにだけ気をつけよう。 |
| 超・殺人事件
2001年8月8日
超・殺人事件−推理作家の苦悩(東野圭吾著)新潮社刊、読了。 文章を書く。それも、不特定多数に対して期待されながら書く。この苦しみは並々ならぬものがある。ましてや、日々の戯言を綴れば良いエッセイや自分の苦しみをつらつら書き連ねれば良い私小説(それらが容易いとは言わないが)と違って、トリックやさまざまなアイディアを駆使しなければならない推理作家というのは、かなり大変な仕事であるらしい。 「日本推理作家協会 除名覚悟!」と帯に太書きされたこの作品。笑えると言っていいのかどうか、とにかく推理小説ではない(と思う)。ようは、上に書いたような苦しみに常にさらされている推理作家。彼等がそこから少しでも逃れるために日々腐心しているその舞台裏を明かしちゃおう! という内容の短編集、のように見えるかな、ちょっと見は・・・。 だけど、やっぱりこれは筆者の強烈な皮肉だと思う。誰に対しての皮肉かと言えば、ろくに読みとけもしないのに知ったかぶりであれこれ批評する読者と、売るために手段を選ばない出版界にだ。 作家に収入をもたらしているのは間違い無くこの両者であるが、同時に、作家を苦しめているのもこの二者には違いない。言わばお得意様だから、自分がいかに貶められようと面と向かって文句なんか言えやしない。それを小説の形を借りてしちゃったんだなぁ、この人は。 自分も読者の一人であるから皮肉られている対象なんだろうけど、はっきり言ってこの本はかなり面白い。面白いから、自分が皮肉られていることになかなか気が付かないかもしれない。そういう意味で、これは完全にしてやられちゃったんだな。うん。読んでも損はないと思う。面白くてすいすいすぐ読めちゃうから¥1400は高いと感じるかもしれないけど・・・・って、こういうこと言ってるから作家に皮肉られるんだね(笑)。 |
| 失われた未来
2001年8月5日
今年も夏が来た。2001年。そして、広島で、長崎で平和祈念式典が行われる。あれから56年。こんな未来の訪れをどれほどの人々が予測しただろうか。 今から15年ほど前、にん2は教育実習生として郷里の中学校の教壇に立ったことがある。教える教科はもちろん美術だったが、クラス運営のほとんどを体験する意味で、道徳だかホームルームだかの授業をやらされた。その時のテーマに広島・長崎を取り上げたことを覚えている。 前日から原爆展を取材した図版などの資料を用意し、核というものがどんなものなのか、使われるとどうなるのか、から始まり、冷戦構造の下で今現在も自分達が核の脅威に曝されている現実を説いて、いつ広島・長崎と同じような苦しみを味わうことになるか解らない時代に身を置く自分達。果たしてそうならないために、いったいどうしたら良いのだろう、と考えさせたりした。 まだ小学校を卒業したばかりの中学1年生には、図版のどれもかなりショッキングだったようで、思わず息を呑むのを感じたほどだった。いつ核ミサイルが降ってくるか解らない。これも相当堪えていたようだ。 で、その時に出された結論。「手の届かないことと諦めてしまっては何も始まりはしない。まず、事実を知ること、そこからすべてが始まる。」かなり抽象的だが、そんな感じだったのではなかっただろうか。だが、実際それくらいのことしか言えやしない、今思えば、80年代の世界はそんな諦めみたいなものに支配されていたように思う。 あれから15年。世界は大きく変わった。何より、ソビエト連邦が崩壊し、実質的な核戦争の脅威はほとんど無くなったと言っても過言ではないだろう。もう突然来襲する核ミサイルに脅える必要はなくなったし、1999年と共に象徴的な恐怖の大魔王もどこかに行ってしまった。 人々は今、自分達以外の外部の敵の代りに、自分や自分の同胞たちの存在そのものが脅威になり得る世界に生きている。可及的速やかな滅亡は無くなったが、真綿で首を絞められるような、緩慢でなかなか見え難い破滅の道だ。未来は様々な選択肢の果てにあることは間違い無い。今この時も、何らかの形で違う未来が失われていることも事実である。 そう考えると、決断は疎かにできない。では、どうしたら良いのか。そう、あの時の未来は失われたが、結局本質的には何も変わってはいないのだ。 「まず、事実を知ること。」 今も総てはここから始まる。 |
| 例えばこんなシナリオ
2001年8月3日
藻類が大発生して大気中に酸素を放出し、それまでいた生物を駆逐して地球環境を激変させてしまったように、人類は二酸化炭素を大量放出してまた地球を変えようとしている。ひとつの種が栄える時、地球の環境そのものを変えてしまうことは、地球規模の時間で見れば別に珍しいことではない。 二酸化炭素によって地球は温暖化し、今ある森林限界を越えて植物が繁茂し、上昇した海水面によってできた広大な浅瀬に海草がはびこる。海水面が広がったことによる大気の湿潤によって降雨が増え、それが植物の成長を助長する。砂漠が少し減る。 土地面積の縮小によって住処を追われた植物以外の生物はその数を一時的に大きく減らすことになる。が、植物との共生が得意な昆虫から、徐々に勢力をぶり返す。ただ、増えた人口と相俟って、人間の住む場所だけは限られてくる。 自然を保護するためには、その地域から人間を締め出せばよい。コア構想を考え出した欧米各国の意見はどんどんエスカレートし、人は人によって住む場所を追われ、とうとう地球そのものへの立ち入りを制限されてしまう。かくて宇宙世紀の始まり。 コロニーの展望台から遠く緑なす地球を見ながら、沢登りの幽かな記憶をたどる、オリジナル度3.5%、276歳の自分。先日固定した新しい遺伝子と、それに合わせて培養された肝臓と腎臓はすこぶる調子が良い。 さて。そろそろ三吉くんの270歳の誕生会の始まる時間だ。ジャパン・パブ「望郷」。ここへ行くのはにゃんちゅうさんのオリジナル完全消失追悼会以来だ。 オリジナル度2%を切った三吉くんは、果たしてナルミズ沢源頭の草原の美しさをまだ覚えているだろうか? ps なんてことを書きながら、今日の日付をふと見て視線が止まってしまった。ちょっと胸が騒ぐ。いつの間にか我々は、遠く夢に描いていた未来世界、「2001年」に住んでいるんだなぁ、と。 |
| 始祖鳥記
2001年8月2日
安息。平安。安らぎ。人が羨む幸せさえも失うことを厭わず、果たしたい衝動がある。善も悪も無く、ただ止むに止まれぬ想いに身を投じる。誰もが知っていながら、気が付かない振りをしているたった一度の生の重さ。痴れ者と言われても、人でなしと言われても、その呪縛の前に今この瞬間を放棄することはできない。己が内なる声が欲することのみに生きる。ただ一瞬のきらめきのために。 「始祖鳥記」飯嶋和一著(小学館刊)読了。 始祖鳥と言っても古代のとかげの話しではない。暗黒の江戸天明期、飛行機の祖と言われたオットー・リリエンタールより早く空を飛んだ日本人がいた。この本は、この人物とそれを取り巻く人々の生きざまを描いている。 名著であり、解説もあらゆる方面でなされているから、ここでなぞっても仕方ないだろう。ただ、登場人物たちのひたむきな生に、読者の半分は深い共感を覚えるはずである。何故半分なのかの根拠はない。そんな気がするとしか言い様が無い。 多分、世の中には2種類の人間がいるのだと思う。安住の中に幸せを見出す人とそうでない人。やっかいなのは、前者は後者を理解できないけれど、後者は前者を理解できるということ。なぜなら、安住に身を置けない人も、きっと一度はそれを求め、それに向かって努力したことがあったはずだから・・・。 おそらく自分は後者である。辿り着いた安住に失望したわけではない。だが、何かが急速に失われていくような喪失感に闇を感じる。晴天よりも嵐の日の方が心が騒ぐ。壊れない物よりも、壊れる物の方が美しいと思う。「ダイヤモンドは永遠の輝き」と言った。ダイヤモンドが好きな女は、無意識のうちに変わらぬ安定を望んでいるのではないのか。単なる炭素の塊に、いつか必ず壊れるはずの自分の生を投影することなどできはしない。そして、それを前提に、押さえても押さえきれない衝動がある。 車で旅をしていてよく想う。どこまでも列なる家々。この膨大なひとつひとつに人々の暮らしがつまっていて、それぞれが様々な思惑に生きているのだろうなぁ、と。気が遠くなるほどの想いの中で、善や悪がどんな意味を持つだろう。ただ己が生を全うするためにこの坩堝でもがくのが人間ではないか。止まっていてはいけない。己がなすべきことをなさねば、生まれてきた意味が無い。では、何をなすべきなのか? 人は悩み続ける。答えはおそらく存在しない。一見答えに見えるものも、時の移ろいの中で腐敗し、やがてその意味を失う。ただ、その過程の時々で、ちらちら垣間見える何かに、胸の焦がれる刹那を感じる。 始祖鳥記の主人公幸吉は、成功し、人も羨む財をなしながらも、先の見えた自分の生を前に、公儀のご法度を犯してもう一度飛ぶことを選ぶ。今度捕まれば打ち首も免れないかもしれない。それでも地を蹴って大空に舞い、そして呟く。 「何もかも、・・・とても、この世のものとも思われん。」 総てを御破算にしても、身を置きたい生のきらめきがある。誰がなんと言おうとも。例え、燃え尽きようとも。
是非一読をお勧めする。 |
Copyright (c)
2000 MSCC八王子通信. All rights reserved.
この文書の内容は予告なしに変更されることがあります。
ここで参照する製品名および著作物などは、各会社または著作者の商標または所有物です。
また、このホームページの内容を参考にして事故などが発生しても当方では責任を負いかねます。
あらかじめご了承の上、自己の責任で安全な登山を心がけて下さい。