雑記帖2001年9月分

ここでは、21世紀を記念して、このWebの管理人「にん2」の身の回りに起こったことを不定期更新お気楽日記風に書いていこうと思います。

実験映画        2001年9月26日

少々気になっていた映画「ファイナル・ファンタジー」(以下F・F)を観た。

残念ながらゲームの「F・F」は一度もやったことは無いが、自他ともに認める「F・F」ファンの渡部さんに言わせると相当面白いらしい。けれども、映画の「F・F」はゲームとはストーリー的な繋がりはないそうである。そんな情報も観た後に仕入れたことで、全く先入観無しに観たのだが、結構面白かった。この面白いは、普通の映画の評価とはちょっとちがうのだけれど・・・。

にん2がコンピューターを始めたのは、今から17年前の美大にいた頃のこと。美術表現の新しい方向性が見つかるかもしれないという気持ちも多分にあったから、CGの可能性にもそれなりに注目していた。まあ、当時のパソコンなんて、今から見ればファミコンにも劣るパワーしかなかったから、それなりに失望もし、また、それ故に将来に大きな期待を持っていたのだが、今回「F・F」を見て最初に感じたのは「ここまで来たか・・・」という、感慨にも近い嘆息の想いであった。

TVのCMでも頻繁に流れているが、見ての通り、この映画には人間の俳優はひとりも出演していない。それならアニメなのか、と言うと、そうとも言いきれない。そう、言ってみれば、一種の実験映画なのかもしれない。

とにかく、全編これCGなのである。毛穴やソバカスまで描き(造り?)こまれたキャラクターが、実にリアルに演技をしている。所詮コンピューターのクロックで制御されて動いているから、最初はそれなりに違和感はある。でも、慣れてくると、時々CGであることを忘れたりする。無機質なメカや背景、爆発、流体、それらには、より一層それを強く感じるから、様々な映画の前例はあるとは言え、それなりに引きこまれることもある。わざわざ時間と手間のかかるCGに全てを置き換えることにどんな意味があるのか! と言われればそれまでだが、ここまでやられれば、製作者の苦労への同情も含めて、それなりに感動を誘うものだ。そう、これは、アカデミー賞をとったクレイアニメ「ウォレス・アンド・グルミット」を最初に見た時の感動にもちょっと似ている。

確かに、ストーリーそのものはどこかで観たことのあるものの寄せ集めに近い印象もあるし、説明不足や自己満足的な難解さもあるから、腑に落ちないかもしれない。でも、実験的なプロモーションとして見れば、これはこれで様々な意味で評価できると思う。「そんなもので金を取るな!」 と、目くじらを立てる御仁もいるようだが、手間と資金を注ぎ込んだ斬新な実験には、それなりに対価を払ってでも観たい衝動はあるものだ。

にん2がまだ試作屋をやっていた頃、素材の塊から削り出しで図面を実体化していたわけだが、そんな中で、新しい技術として登場した光造型に代表される”ラピットプロトタイピング”の波に「いつかは、削りで造型をしている我々の仕事が脅かされる日がくるかもしれない。」という危機感を募らせていた。「今はまだ、強度や精度の面で削りの方がニーズが高いが、より優れた素材が出現したら、その役目は終わるかもしれない。」そんな危機感だ。

もしかしたら、この映画を観た映画俳優の中には、同じような危機感を感じた者がいるかもしれない。コンピューターがより高速化され、表現の幅や深みが確立されてしまえば、ギャラばかり高くて、スキャンダルや老いによるパワーダウンで人気を失いかねない大根役者を使う意味が無くなる可能性だって無いとは言いきれないのだ。

キャラクターの顔色が悪いとか、動きが不自然だとか、小さな不満はあっても、そんなものは今後いくらでも改良の余地はある。また、ここで得た評価は、確実に将来に繋がって行くだろう。そう言う意味で言えば、一人でも多くの観客の不平不満は、確実に未来への糧となる。俳優業がこの世から消えることは望まないが、新しい可能性としてのテーゼは充分に成されたのではないだろうか。

是非多くの人々に、この映画を体験してもらいた。その一言が、良くも悪くも新しい映画世界を創造して行くことだろう。我々は、今まで見たことの無かったような映像を観たいのだ。しごく単純な動機ではあるが、映画というものに対してそういう想いがあることもまた、紛れも無い事実であろう。


線路の向こう        2001年9月25日

八王子、甲府、韮崎、佐久、小諸、軽井沢、草津温泉、長野原草津口、渋川、高崎、上野、東京、八王子、なんてコースをぐるりと回ってきた。

のんびり鈍行旅行なんてつもりだったけど、これはなかなかそうはいかない。当たり前だが、切符というものがあるからだ。だいたいあれは、目的地を決めてから買うもので、そうそう途中下車ばかりしていたら、お金がいくらあってもたまったものではない。で、取り敢えず目的地を決めてそこまでの乗車券を買うわけだが、時刻表を見ながら列車を乗り継ぐというのは案外余裕が無いもので(逆に言えば、乗り継ぎの便宜が計られているということなんだろうけど・・・)、時にホームを走らされたり、なかなかに慌しかった。

あっここ見たい! と思っても、次の便までの待ち時間を思うとそれもままならず、切符のこともあって改札を出ることもできない。研究が行き届いていれば、周遊券とか、色々手はあるのだろうが、にわか鉄っちゃん(鉄道マニア)には、なかなかそうもいかないものだ。結局、心身ともに(それから財布も)余裕が無いと、気ままな列車の旅というのは、存分に楽しめないのかもしれないな。せっかちでいい加減なにん2には、あまり向いている旅の方法とは言えないような気がする。

路線の無い軽井沢〜草津温泉間の高原バスもそこそこ良かったし(ちょっと高いけどの2,200円)、草津温泉も、温泉街らしい風情があって好きなタイプだ。無料で24時間入れる外湯めぐりなんか、貧乏旅行者にはこたえられない。せっかくだからと、もう一泊のビバークも考えたけれど、草津白根山行きのバスに乗ったら、時刻表の誘惑に負けて(このニュアンス、解るかなぁ)、次々と列車を乗り継いで、結局東京に戻って来てしまった。

好きなところへ寄れて、好きなものを大量に持って移動する車の旅ばかりしていると、何だか列車の旅のマイナス面ばかりが目立つような気がするけど、そういうものではない、ということも良くわかってはいる。時間の制約があるということは、同時に幾多のハプニングを内包しているということだから、微妙な駆け引き、敢えて言えばスリルを楽しむこともできるし、きっとそこから”旅情”というものも生まれるのだろう。

飛行機や新幹線があるのに、夜行寝台特急などというものが、まだ残っているということは、それだけニーズがあるからに違いないし、JRがそういう戦略(もしかして鉄道マンの郷愁?)で、ああいったものを残していることも理解できる。今のにん2には、当分できそうもないけれど、何時の日にか、そんな列車に乗って「急がない旅」というものをじっくりとしたいものだと思うのだ。そういう意味では、今回の旅も、今の自分を見つめる良い機会になったのではないかな。ちょっと負け惜しみじみてはいるけれど・・・。


風邪のあと        2001年9月23日

ちょっと風邪をひいた。春の花粉依頼、久々に鼻水など出て、ちょっと喉が痛い。土曜日は一日中ウトウトして過ごし、悪化は食い止めたものの、ケマ兄と行くはずだった奥秩父東沢のホラの貝ゴルジュもキャンセルしてもらった。

昼間ずっと寝ていたせいか、夜眠れない。少しホームページをいじり、たまっていた原稿を書こうかと思ったのだが、たまたま手に取った「七夕の国」(岩科均著)という漫画を読み始めたら、思わず全巻(と言っても4冊だが)読んでしまい、気がついたら午前4時を回っていた。勢いにまかせて、本棚の旅の本など見ていたら、急にどこかに行きたくなる。

別に山じゃなくてもいいと思った。車も無いことだし、電車でふらりとでかけて、見知らぬ街をぶらぶらしてみたい。テントと寝袋さえ持って行けば、どこでも寝られる。学生時代によくやっていた、いわゆる貧乏旅行というやつだ。鈍行列車に揺られるのもいいなぁ。幸い火曜日まで休みでもあることだし・・・。

家のものを起さないように、ザックに簡単なビバーク用具を詰め、置手紙を書く。う〜ん。何だかわくわくしてきた。今は午前5時30分。家出をする若者の気持ち。いったいいつまでこういう子供じみたことをするのだろう? いい加減落ちついたらどうだ。家族のことも考えろ! などと思いながらも、出て行くんだから、とことん困ったちゃんだよ、あんたは。

さて、どこへ行こうか。

そういうわけで、ちょっと行方不明になります。探さないで下さい(笑)。


盲点(または真昼の星)        2001年9月19日

八王子の京王プラザホテルに行った。

八王子に住んでかれこれ18年になるが、この街に、これほどのホテルが存在することを全然知らなかった。前を通ったことは幾度となくあった。それなのに、存在そのものにさえ気がつかなかったのだから、これは明らかに盲点と言わざるを得ない。

ホテルで待ち合わせて、ある人と話をした。それなりに、学ぶことは大きかったと思う。今は詳しく書くことはできないが、人の器とはどういうことなのか、それを再考する良いきっかけにはなった。富みや名声で計ることができるとは思っていないが、大きな器には、それが入る可能性が多いような気もする。おそらくこの世界には、他者の期待や願望が、金銭というものに置き換え易いシステムが存在しているからなのだろう。

人の価値観は実に多様だ。日々の苦しい労働によって得た糧を、何にどう注ぎ込んだ時に価値あることだと感じるのか、簡単に言ってしまえばそういうことなのだが、その大小はあれど、本質的な意味には差異はほとんど無いのかもしれない。

このホテルの存在に何故今まで気がつかなかったのか。それは、にん2の価値観の中に、それが存在していなかったからに他ならない。日常の生活水準から、あまりにかけ離れた宿泊費。いや、ロビーのコーヒー一杯にだってそれは言える。妥当か妥当でないかは別として、それは、沢の中で滝を登る以上の非日常なのだ。けれども、これが日常と感じている人々もいる。それは愚かなことだと思っていた。しかし、今日話した人に指摘されて、はたと気がついた。我々が山に執着し、より高機能を求めて、その用具に稼ぎを投じることと、果たしてどれほどの差があるのか。もしかしたら、日頃しきりに唱えている、人の多様性という題目の前では、それは同じ意味を持っているのではないのか・・・。

それがつまり「価値観の相違」なのだと言ってしまえばそれまでのことだ。けれども、存在にさえ気がつかないような相違があるとしたら、それはしごく無念なことと言える。「世間とのバランス感覚を大事にしたい。」「山バカになるな。」偉そうなことを言いながら、何時の間にか限られた世界にしか価値を見出せなくなっていた愚を悟ることになったのだ。

そう考えると盲点は多い。全てを受け入れ知ったからといって、それが何になるかは解らない。けれども、人の器を想う時、知らないより知っている事が多い方が良いに決まっている。そう。人の器とは、言ってみれば他者の心を受けとめる入れ物なのだ。全てを否定しないことがより善きことだとは思わないが、否定することが多ければ多いほど、人は脆弱になって行く。

「盲点を突かれる。」という言葉は、物理的な接触ばかりを指すわけではない。目で見える世界だけが、世界でもない。心の目を開くことは容易ではないが、見ようとしなければ見えないものもある。それはあたかも、真昼の星のようなものかもしれない。

ほんのちょっと首を巡らせば、そこにいつでも輝いている。


服を着るように        2001年9月18日

色々なものが壊れ、身ひとつになって行くような不安に襲われる今日この頃。知識人、文化人を気取った人々が、否定する便利な”もの”達のこと。

「ワープロで書いた文章には、心がこもっていない。」「携帯電話は常に縛られているようで嫌だ。」「車は生物としての人を弱くする。そんなに急いでどうすんの?」エト・セ・トラ・・・。

我々は外に出る時、当たり前のように服を着る。当然のごとく、靴を履く。布や革で体を縛り付け、自然環境に対する生物としての耐性を損なうことを鑑みる事無く、これっぽちの疑問も感じない。裸であれば、どんなにか開放的であり、どれほど強い肉体になるかわからないのに・・・。

誰も否定しないのは、それが生まれた時からあったから? いや、文化として連綿と受け継がれてきたことだからだろうか。でも、それなら尚更、ワープロや携帯や車との差なんて、本質的には、あまり無いような気がして仕方無い。

冷たい活字になっていても、小説を読んで感動し、涙を流すことだってできる。服を着ている安心感を、携帯や車に感じても、全然不自然ではないではないか。少なくとも、にん2はそう思う。

新しいものを受け入れる。それが日常になる。無くなれば不安を感じる。あって欲しいと思う。まるで「愛」というものを定義しているようだ。

にん2は思うのだ。自分の心の領域に踏みこんでくる、これらの”もの”の存在を否定できる人の心には、誰かの”愛”を受け入れる領域もまた希薄なのではないか?多分に極論のきらいはあるけれど。

情にほだされないストイックさを持ち合わせていなければ、正しい評価、知的な解答はできないというのは、正論なのかもしれない。けれども、それだけの世界で生きることを想う時、曇天の荒野を吹き荒ぶ風のような、そんな寂しさが募って来るのは何故だろう。

他の生物に対して、人が人である決定的な理由があるとしたら、現実だけに捕われない「心の余裕」を持ち合わせていることだと思う。それは、ロボットがうまくドアを開けられないことに似ている。空間の任意の位置に手先を移動するためには、関節の自由度は6あれば良いという。ところが、その理論で作った6自由度のロボットアームには、あらかじめ情報の無いドアを開けるこはできない。おそらく引き千切ってしまうだろう。これに対して、人間の腕には7の自由度がある。これを冗長性と言うのだが、この冗長性のおかげで、人間は生活の中で出現する様々なタイプのドアを、苦も無く開けることができる。それは、固定されたドアの動きに、柔らかく従うことができる、関節の余裕があるからに他ならない。

それが無かった頃を懐かしむのも情緒である。けれども、これらの”もの”に翻弄されて一喜一憂するのも、また情緒であることに間違いは無い。ファッションや食事を楽しんだり、愛憎に身をやつしたり、情報が多いだ少ないだと騒ぐのも、全ては人の心に余裕が存在するからだ。

何でもかんでも否定するのは簡単だけど、単純に拒否してしまう前に、もう一度それに触れてみよう。毎日服を着ていられるんだ。受け入れてしまえば、新しい情緒にまみえ、そこに愛を見出すことだってできるかもしれない。忘れたもうな。我々には、余裕があるのだ。


遭難        2001年9月16日

この週末は秋の小川山合宿だった。土日と二日間を、廻り目平キャンプ場を取り巻く岩峰に遊ぶはずだったのだが、あろうことか、アプローチで遭難し、土曜日は岩に触ることもできなかった。

はっきり言って、今非常に落ちこんでいる。車が1ヶ月の入院となってしまったからだ。別に事故ったわけではない。エンジンがお釈迦になってしまったのだ。原因は、シリンダーヘッドのガスケット抜けによるエンジンへの冷却水進入(らしい)。

高速を走っていると、いきなり水温が急上昇した。PAに止まって冷却水を補充するも、須玉IC寸前でまたもや急上昇。エンジン、ラジエターの警告灯が一斉点灯した。高速を降り、蕎麦屋の駐車場でエンジンルームを空けると、たちまち運転席は水蒸気で真っ白状態。水をついでいくと、先ほど満タンに補給したはずの水が殆ど空っぽになっている。ラジエターに穴は開いていないようだし、これはいったいどういふこと? と頭をひねるが、原因はさっぱり解らない。そう言えば、アイドリング中にエンジンが怪しく身震いする。排気管からも水蒸気がもくもくだ。なんだかヤバ〜イ感じに、これはディーラーにもちこまなければアウトだ、と直感した(遅い!って)。

幸い三吉くんの車が併走していたので、同乗していたしんちゃんをそちらに移し、一足先に廻り目平に向かってもらい、にゃんちゅうさんと二人、ディーラーを探しながらバックすることとなった。

カーナビのおかげでディーラーはすぐに見つかったが、僅か3kmを走る間に、水の補充によって一旦下がった水温が再びレッドゾーンを越え、エンコ寸前で滑り込みセーフとなったのは不幸中の幸い。

取り敢えず、まだ4.5万km、2年弱の走行ということで、保証で直すことができそうだが、整備手帳の不備で、もしかしたらヤバイかもしれない。念の為に実費を訊くと、多分70万円ほどかかるだろうとのこと! ヒーッ、そっ、それはあんまり・・・。南無南無。どうか保証で直ります様に・・・。

代車は無いということで進退極まった二人は、大量の荷物を抱え、韮崎遭難かと思われたが、一足先に廻り目平入りしていたプールのハイエースが救助に来てくれることになり、危ういところでビバークを免れたのだが、廻り目平から韮崎までは2時間近くかかる。ディーラーの駐車場で、引越し?と勘違いされそうな積荷に腰掛けて、にゃんちゅうさんはギターを弾き始めるし、にん2はフテ寝しちゃうし、いったい何事かと思われたことでしょう。どうもお騒がせしました。

何にしても、車の機動力に頼った山行をしてきただけに、車が壊れたということは致命的な出来事。その上、以前登って楽勝だと思っていた「小川山ストーリー」では、朝一から思いっきりレストが入っちゃうしぃ、携帯は壊れるしぃ、何だか踏んだり蹴ったりで、プールには悪いけど、帰りの車でも、すっかりフテ寝を決め込んでしまった次第。

悪いことは重なるもので、いやはや、どうしたもんでしょうかねぇ。


憶測        2001年9月13日

全て憶測であるから、聞き流してもらいたい。

三吉くんも言うように、もし石油が出なかったら、アラブ諸国は世界で一番貧しい地域になっていたかもしれない。長年の遊牧によって大地の緑は食べ尽くされ、乾いた土地にはろくな農作物も育たない。環境の厳しさゆえに、人が生き延びるために幾多の戒律が生まれ、禁欲を推奨することでいたずらな人口増加と消費を抑制してきた。イスラムの教えは、来世の幸福によって人々を救うことより先に、今を生き延びる手段に過ぎなかったのかもしれない。

アッラーの神に誤算があったとしたら、貧しさの中で自分たちの暮らしにだけ心血を注ぎ、穏やかに生涯を送るはずだった人々に、オイルマネーによる「力」が備わってしまったことなのではないか。

金はある。しようと思えば贅沢だってできる。けれども、先祖より受け継いだ幾多の教えを蔑ろにするわけにはいかない。畢竟、富みを得て、それを好き放題に浪費する異教徒の姿に、嫉妬にも似た怒りを覚える。許せないと思う。悪魔の手先だと感じる。潰してしまいたいと思う。

自由というのは、自らの意思の啓発であると同時に、他者の多様性を認めることで成り立っている。個人的な他者の否定は単なる身勝手に過ぎず、衆意の一致無くして何人も裁きを行う権利を有すことはできない。今回のテロがどれほどの規模の意志によって行われたのかは知る由も無いが、誰も殺さず、人の命の尊さを漠然ながも感じている人々の数に比較するならば、きっと限りなく個人的な想いと言う事ができるに違いない。

そう考えれば、これは間違い無く悪なのである。圧倒的多数の前に、裁かれても致し方無いのである。彼らに理はあるのだろうか?だが、例えあったとしても、数に受け入れられなければ理とは言えない。

アメリカは、あらゆる手段を用いて報復するだろう。願わくば、ひとり独走することなく、数の中に理性を見出して欲しい。独走は、そっくりそのまま人類の危機を生みかねない。憎しみや悲しみをこれ以上積み重ねないためにも、それだけは忘れてはいけないと思うのだ。


呆然!        2001年9月11日

まったくもって無茶苦茶である。まるでアメリカ映画だ。旅客機による高層ビル体当たり。散々人をあっと言わせるアイディア・・・派手な破壊のテーゼの末にこれだ。所詮、シュワちゃんやブルース・ウィルスの活躍は映画の中の絵空事だったということか。

いったいあの瓦礫の下には何人の人々が埋まっていることだろう。1万人?2万人?もしかするともっと・・・。どこのバカか知らないが、きっとただでは済むまい。憎しみは憎しみしか生まないことにまだ気がつかないとは、何とも愚かなことである。

アメリカという国。でき過ぎる優等生は、憧れと同時に幾多の怨みを買う。そこに謙虚さが無ければ尚更だ。恐ろしいのは、こんなにも多くの犠牲者を出したにも関わらず内心「ざまあ見ろ!」とほくそ笑んでる国や集団が存在しているだろうこと。信念の元に何事にも屈せず、高圧的に人に接しれば、いつか自分にしっぺ返しが来る。そういうこともあるのだと、言って済まされる程単純な事件ではない。

アメリカには、感情に訴えた迂闊な行動をせぬことを、切に願っている。それは、人類の運命をも左右するかもしれないからだ。

いずれにしろ、亡くなった方々のご冥福を御祈り致します。


ナメたらあかん!        2001年9月10日

この週末は、新人かたつむりさんの沢初めで、巻機山米子沢支流のナメ沢を遡ってきた。当初の予定では那須の苦土川井戸沢を予定していたのだが、台風接近と秋雨前線によって荒天は必至となり、急遽晴れ間を求めて転進したのであった。なんだかこれって、MSCCにおいてはすっかりパターン化した感があるが、最初から雨がわかっている沢に義務的に登ったって楽しいわけがない。ましてや、かたつむりさんにとって記念すべき産まれて初めての沢(山?)である。楽しい思い出にしたいじゃぁあありませんか! ということで、土曜日夜11時、新宿駅に集合して雨の関越自動車道に車を入れたのだった。

本当のことを言うと、最初は名渓米子沢を登るつもりでいた。しかし、登山口に着いたのが午前3時半。それから入山祝いで呑み始めたのだからたまらない。たちまち1ダースほどの空き缶をこしらえ、どうにか横になったのが午前5時。本来ならこの時間に起床しなければ、メンバー的に言って米子完登はおぼつかないところだ。まあ、この時点で「これはナメ沢かな・・・」と思ってはいたんだけどね。

それでもみんな頑張って、起床は午前7時半。なんだかんだで出発は9時だった。仮に米子を登るとしても、はっきり言ってギリギリでしょう、これは。何時の間にやらできた巨大堰堤を数個、工事道路でやり過ごし、長くて暑い伏流帯をしずしず歩く。30mナメ滝を登って、ナメ沢出合いに10時着。大休止がてら最後の検討会。「ここで宴会、昼寝の後に下山!」という究極の提案を退けて、ナメ沢に進路をとったのだった。

取り敢えず、ナメ沢の様子はにゃんちゅうさんの掲示板の発言を拝借しよう。かなり的確な表現だからね。

とにかく、いい沢でした。遡行図では、米子の端っこに線一本ですが、それで済ませてしまうにはあまりにも勿体無い、すばらしい沢です。すべて、ノーザイルで登れる滝とナメ(というよりもスラブといった方が似つかわしい)で遡行者をあきさせない。それでいて下山の5合目から見るナメ沢は、岩壁のようにそそり立つ一本の筋となって巻機の尾根に突き上げている。米子が平らにみえるほどだ。あの見てくれの派手さもいい。

でも、危険な沢ですね。粗相があれば一発で、ろくっちゃいますよ。あそこは。 ”難しくないから危険な沢”の典型かな?逆にああいうところを難しい沢というのかもしれない。ちょっと手馴れた人や、岩場でハイグレードがひょいひょい登れる人があっさり滑落して逝っちゃうようなところかな?”えっ! あの人があんなとこで?”みたいなパターン。まあ、まあ、渋めのコメントはこの辺で収めるとして、とにかく楽しかったね。

かたつむりさんのあの笑顔が良かった。楽しそうに登ってくる。振り返って、急峻な沢のパノラマを、嬉しそうに見下ろす。もう、すでにクライマーの目をしていた。よかったね。MSCCにきて。

今回は、お茶の道具を持ちこんで”野点”までしちゃったのだけれど、5合目から見ると「よくもまああんなところで・・・」という感じ。かたつむりさん、しんちゃんはザイルで確保したが、それ以外は基本的にフリーソロ。一ノ倉のテールリッジに似た風情がなくも無い。いずれにしろ、危ない部類の沢なのだ。

地形図を持って行かなかったなど、反省点は数々あれど、一番ヤバかったのはスーさんの滑落だ。水の流れる岩溝状を登るスーさんが突然滑った。「スーさん!スーさん!スーさん!スーさん!スーさん!!」思わずそう叫んでいた。不思議だが、それしか言葉が出なかった。すぐ止まると思ったけれど、結局10m程は落ちたのではなかったかな?1,2度バウンドして止まった時には本当に胸を撫で下ろした。幸い顎を擦り剥いただけだけど、大抵の人は、落ちたショックで、その後の動きが硬くなるものだが、スーさんなればビクともしない。やっぱりすごい人だ。

ほかにも色々あったけれど、何だか記録のようになってきたので、後は記録コーナーに譲るとしようかな。今日も明日も台風。明日は早起きが必要そうだから、今日はもう寝よう。なんて、実はさっきから眠くて半分寝ながら書いているのだ。沢の疲れが抜けていないのかなぁ。もう若くないということなんでしょうね。ともあれ、おやすみなさ〜い。zzzzz・・・。


時のまにまに        2001年9月8日

瞬く間に時は流れ、今日はもう土曜日。ついこの間奥只見に遊んだばかりなのに、今夜はもう次の沢に出発の日。1週間なんてあっけないもの。写真がいっぱい溜まっているのに、ちっともスキャンできなかったなぁ。PCの前には座るのだけれども、あちこち見ていると、知らないうちに午前3時になっていたりする。少々焦り気味。

今週はかたつむりさんとの打ち合わせを兼ねたオフ会から始まった。結局前回と同じメンバーが集まって宴会。これは困った。癖になりそう。今までは仕事も遅かったから、なかなかそういう機会に恵まれなかったけれど、思えばほとんど知らなかった平日の夜という時間。みんなこんな風に過ごしていたんだね。

今日はこれから渋谷で打ち合わせ。渋谷なんて一生縁が無いと思っていたのに日常になろうとは・・・。埼京線の高架下を歩くと、この街で生きたいと願う人々のパワーには、ホント、圧倒されてしまう。道路と、高架ののり面との僅かな隙間に次々と小さな店ができては消えていく。幅4m奥行きわずか1mの古着のブティック。頭がつかえそうな天井。高架のコンクリート壁が、そのまま店の壁になったカフェ。我が家の6畳間の方がまだ広い。座っていないと頭のつかえるDTP店。店の壁が全て看板になっている。いったいどうやって営業許可をとったのだろう。

隙間と言う隙間に入り込んだこういった店のオーナーは、大概20代前半。廃品を集めてきたとしか思えない材料で、自らカナヅチを振い店を作っている。わずか1週間で消える店も少なくない。栄枯盛衰は世の常とは言え、夢破れてこの場所を去る若者達の行く末には、いったい何が待ち受けているのだろうか。失業状態の自分と照らして、つい空を見上げてしまった。

振り仰いだその首で、ぐるりと街を見回してみる。雑踏を行き交う人の群れ。細い路地をノロノロと走る高級外車。ホームレスのおじさんの横を、ブランドスーツに身を包んだ美女が颯爽と歩いて行く。誰もいきなりこの街に出現したのではない。この世に生れ落ち、幾多の想いを一身に受けてここに流れ着いたのだろう。時の流れと誰かの想いの果てで、綾なすエネルギーの交錯に眩暈すら感じる。

何をしても生きられる。何もしなければ生きられない。街という坩堝で、呑みこまれようとする似て非なる二つの言葉。時のまにまに、それだけを見つめて、今日も生きている。


電車でGO!        2001年9月5日

と、いっても、別に某社のゲームのことではない。実はここのところ、慣れないスーツなど着て電車であちこち飛び歩いている。まあ、就職活動ということにしておこう。今までほとんど社外へ出ることなく、一日中CAD室に閉じこもるような生活をしていただけに、実に新鮮である。通勤も車。服装は普段着。そこからいきなりスーツと電車の人になったのだから、ある意味画期的な大変革と言って良いだろう。

紹介にもあるように、にん2は美大出身である。それも油絵科というバリバリのファインアート系。この手の人種が最も忌み嫌うのが、ビジネススーツに身を固めたサラリーマン。若かったとは言え、ご多分に漏れずにん2もそのひとりであった。それがよもやこういうことになろうとは、いやはや人の運命というのは解らないものであることよ。

子供の頃は、サラリーマンというものは、ずっと会社の建物の中にいて何かしている人だと思っていた。大人と言われるものになって後も、営業という仕事があることは解っていたが、認識そのものが大きく変わったわけではない。ずっと製造業、いわゆるブルーカラーの職場に身を置いていたから、その仕事の実態は不可解そのものであった。所詮狭い世界に生きてきたのだ。

今まで知っていた表の世界は、夜と休日のふたつだけ。電車の車窓に流れるのは、昼間という別の世界だ。多分学生の頃は時々垣間見ていた。けれども、その存在は何時の間にか、遠い異国の出来事になっていたのかもしれない。おそらく自分は救われたのだろう。あのままでは、何も知らない小さな小さな存在になってしまうところだった。

こんなにもたくさんの男達が、昼間の街には生きていたのだ。色や形は多少違っていても、同じ服に身を包み、自分の今をまっとうしようと東へ西へ歩き回る。100人に問えば、100人の思惑があり、石にけつまづいても、何事も無かったように次の目的地に流れて行く。それぞれの背負ったものは定かではないが、革靴の雑踏の中で、ただ一人静寂に立ち尽くす自分を感じざるを得ない。それにしても、この奇妙な安堵感はいったいなんなのだろうか?

おそらくスーツというのは、昼間の世界を大手を振って歩くためのパスポートなのだろう。社会のため、家族のため、自分のため、何らかのために貢献している自分を知らしめるための符丁とも言える。この姿でさえあれば、喫茶店でサボっていようと、電車にぐるぐる乗り続けていようと、この街では誰にも咎められない。自分の思惑の善悪を全て隠して、社会の一員であることを認めてもらえる。夢を抱き、挫折を繰り返し、自分の弱さに打ちのめされて辿り着いた、弱者が昼間を生きるための、唯一無二の武器なのかもしれない。

 

そして明日も電車に乗る。汗をふきふき、それでもそれを脱ぐことをせず、人ごみの駅へと急ぐ。俺は遊んでいるんじゃないんだぞ! と、見えない観衆に訴えるために。

がんばれ。みんな、がんばれ。


川を流れる        2001年9月3日

この週末は、奥只見の黒又川支流赤柴沢に遊んできた。MSCCとしては前代未聞の9人の大パーティー。ずらりと並ぶと壮観である。果たしてこの人数が無事にあのロングルートを踏破できるだろうか・・・との不安をよそに、全員元気に歩き(泳ぎ?)通すことができ、色々な意味で皆自信を深めることができたのではないだろうか。

今回の遡行成功のポイントは天候、これに尽きる。週半ばの予報は全国的にことごとく悪く、アプローチの黒又川の増水が懸念されていた。ところが、金曜日の午後に一転して灯った晴れマーク。シルバーライントンネル内、泣沢待避所のシャッターを開けて外に出ると、雲間から星がこぼれ、靄に煙る山々を沈みかけた十三夜の月が照らしていた。気温は低いものの好天は間違いない。期待に胸が膨らむ。

なにしろ赤柴沢のアプローチは長い。黒又川沿いの仕事道は廃道寸前で藪もひどく、所々崩壊している。律儀にこれを辿るとゆうに7〜8時間はかかるだろう。そこで暁のゲンさんが考案した方法が、黒又川を流れ下るというもの。淵や瀞場が多く、水量豊富な本流、黒又川ならではのナイスな選択だ。この方法ならざっと見て4時間。浮力で荷の重さも苦にならず、汗もかかず、おまけにボディラフティングよろしく多いに楽しめるに違いない。

さてところがだ、これにはひとつ大きな誤算があった。行動開始はMSCCとしてはまたまた前代未聞の午前6時半。まだ谷間には日が差さない時間だ。支流である泣沢をジャブジャブ下り、黒又川の流れに足を浸けると、それがとんでもなく冷たいのだ。

ボディラフティングは確かに楽しい。流れを読まないと危険なところもあるが、労せずに身をまかせていれば良いのだから楽に決まっている。寒さに奇声を発しながらも、流されたり歩いたりすること2時間ほど。みんなガチガチ震えが止まらなくなった頃、突然えみさんの顔が蒼白になった。吐き気がするという。あらかじめ皆に注意を促していたのだが、あにはからんや、低体温症になりかけているのだ。吐き気がするというのは、心臓にかなり負担を受けている証拠だ。スレンダーで甘いものが苦手なえみさんが最初の犠牲者になるというのも肯けるというもの。

急いで湯を沸かし、暖かいミルクコーヒーをたっぷり飲む。まみちゃん、しんちゃんが両側に寄り添って座り暖める。ペットボトルで即席湯タンポをつくり胸に入れる。そうこうしているうちに、日が差し込みえみさんの頬に赤みが戻って来た。どうやら危機は脱したらしい。まずは一安心。けれど、しばらくは水に入るわけにはいかない。沢下りを中断し、右岸の山道を行くことにする。

2時間ほど藪と外傾した泥の道と格闘し、寒さより暑さが勝ってきた頃、再び沢に降り立つ。空はピーカンの青空。幾分水温も上がったらしく、朝一の冷たさは無い。こうなればしめたもの、たっぷりとボディラフティングを楽しみ、それでも9時間の時間を費やして、ようやく赤柴沢出合いに辿り着くことができた。遡行はこれからということになるが、それはまたの機会に譲るとしよう。

何にしても、予想していたこととは言え、えみさんにダメージを与えてしまったことは反省しきり。的確な処置で今回は大事に至らなかったが、やっぱり低体温症はかなり怖い。努々注意することだ。

ps

実は、泣沢下降中ににゃんちゅうさんが転び、顔面をしたたか石に打ちつけてしまった。唇は切れ前歯が揺れるそうだ。テン場に辿り着く頃は腫上がった唇がすっかりオバQになってしまった。笑っちゃぁいけないのかもしれないが、転びそうになって咄嗟に手が出せないとは・・・にん2も含めて、もう若くないということかな。まあ、みなさん気をつけましょう。


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