60年代 Uコン研究

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 「Uコン」のこと

先日、関口宏の昭和青春グラフィティーという番組に出演しました、。
自分は鉱石ラジオ(ゲルマラジオ)でしたが、
いっしょの回にUコンで出演した朝比奈さんから、コメントやメールを頂きました。

自分より6才上でいらっしゃるので、60年代は中学生以上ということで
自分たちよりも見識も、行動力もあった方です。
Uコンの心酔したお話は放映されましたが、オーディオなどもやられたようで、時代の証言者としては、心強い限りです。

そんなことに刺激され、これを機会に
自分にとっては、耳知識、目知識で過ぎっていった「Uコン」ですが、そんな初心者以前で終わった思い出をもとにページを作ってみました。

自分にとっての「Uコン」

自分がUコンを知ったの小学校の4年の1964年で、少年雑誌の懸賞や、お菓子などの豪華景品だったと思います。

学校の近くで甲高い音をたて、空を舞う様を見たのはそれからしばらくしてで、
音とともに機械臭く焦げるような独特のにおいも異様でした。
そんな具合だったので、飛行の様子どころか、飛行機がどんな形で、どのくらいの大きさであったかも記憶のかなたに行ってしまっています。

調べてみると、戦後間もなくからこのUコンははやりだしたようで、
競技や楽しみ方もいろいろあったようですが、
直接友人にやっているものがいなかったことと
情報を入手するということに疎かったのかもしれません。

当時飛行機と言えばプラモデルで、その可動や精密化にはすごく興味があったので
先頭部から銀色のエンジンが出ていたり、実機とは違う翼の形などには
違和感があったのかもしれません。

確かに、鉄道模型も動く前に並んだだけですごく興奮してしまうような少年でしたので
飛行機が飛行する・・・というのことまでに思いがよらなかったのか

しかし電気工作をやっていたため程よくラジコンというものを知るようになる。
そんな流れでした。

このUコンですが、本当は「ラインコントロール」というらしいです。
1970年代にも専門雑誌がったようですがそれも途絶え
メーカーはつい最近まで存続していたようで、
根強い人気があったようです。


少年雑誌「少年サンデー」にみる「Uコン」記事

1963年、少年サンデーには連載特集がありました。
それは懸賞、販売と連携するもので34号に始まり、2カ月ほどの間のことだったようです。



毎週、少しづつ知識を増やして行き、夢のUコンを飛行させるという構成です。

大懸賞はなぜか金賞がボートで銀賞がUコンなんですね。

「はやわかり」当時少年雑誌が得意としたところで、巻頭図解などでも「どんと来い」という感じで人気でした。「教室」この他、管球ラジオ自作や、Uコンのあとは、電気教室ということで松下電器、電話教室で電電公社がやっていると具合です。
当時、マンガが人気の雑誌であったのですが、一方教育に悪いという反動もあって、勉学に役立つというコンセプトは大切だった頃で、「教室」ものはそんな流れかもしれません。



当時の表紙を見て判るように戦争もの、飛行機は大人気、当然Uコンもセスナではなく0戦であり、P-51ムスタングになります。第2回は飛ばし方としてエンジンの掛け方です。



当然の流れなのでしょうが、懸賞も0戦が金賞。ただタイトルが「エンジンで飛ぶ」となっており、まだ少年誌では「Uコン」は専門的であったのでしょうか。そして第3回は「作ろう」という流れになっています。



そして4回目では実際に「練習機」の組み立て方が出ていますが、雑誌で販売あっせんをしていあたことがことがわかります。「Uコン機サービス」と称していますが通信販売ですね。
いったいどれくらいの方々が利用して、完成、そして飛ばすことができたのか・・・

自分は工作派ではありましたが、それでも街の文具店で吊られていた大型グライダーキットが特売で購入しましたが、中を開け竹ひご、木材、ニューム管で躊躇し、結局安価だったので組み立てることなくなった記憶があります。



さて連載は第6回(連載1カ月半)で飛ばしたかた「離陸」篇となります。このときに正式には一人で飛ばす遊びではない・・・ことを知り・・さらに難しい着陸が待っています。



これまでメーカー名があまり出てこなかった感じですが「京商」の文字が。
そしてスケール機と練習器がある・・・
個人的には、プロペラが2枚の0戦、P-51は許せない感じでした。となると隼の初期しかだめということなってしまい・・・
飛んでれば判らないのでしょうが。



スケール機には結構専門的な機種も現れる一方、基本的な飛ばし方の解説となります。



さてこちらは1964年少年サンデーお正月号別冊、表3広告です。

エンジンで飛ぶUコン機、それもセットということで3500円均一。

当時の3500円は、お年玉が1口500円〜でしたので。
切手60円のカタログも封書郵便が10円の時代です。ラーメン1杯が50円という物価で考えないといけません。
個人的にお年玉で買うものは精々1000円だったと思います。

この後、少年サンデーではUコンの掲載の記憶があまりありません。

専門誌に移っていったのでしょうか
確かに、1960年代後半の「子供の科学」の広告には飛行機模型と書いて
エンジンを搭載するキットが出ています。



エンジンのテストや、エンジンの種類も書かれ
本誌の質問コーナーにも一部出ていますが、大半はラジコンの質問です。1967年の巻末広告からでした。

兄弟のいるかたは同年代でもお兄さんがされていてということで
小さい頃から助走がついていた方はより深いところまでされたのでは
ないでしょうか。
また雑誌記事の見え方も違ったと思います。

自分の友人、学校関係にはUコン関係者が全くというほどいなかったですが、近くにいればきっと興味や技術も加速したのだと思います。

1960年代も中盤になると子供たちの情報もテレビCMなどから影響が大きくなり、それが子供たちの間で共有化されると流れが大きくなってきます。一方兄弟でも少子化や年齢により世界・興味は異なり、一人遊びや友達間という個別化という現象の中で雑誌の広告や企画が果たした意味も考えて行きたいと思います。




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