アーベルの風       No.159   2007年8月

新潟県中越沖地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます
 7月16日午前10時13分、柏崎市を中心とする中越地方を震度6強の地震が襲いました。3年前に大きな被害を受けたばかりなのに、またも新潟県中越地方です。私の住む新潟市は、震度5の揺れで、部屋に置いた空のペットボトルが落ちたくらいでしたが、揺れ続けた1分程度の時間がすごく長く感じ、気分が悪くなりました。柏崎市を中心に死者10人、けが人1000人以上、全壊家屋900以上、被害を受けた家屋6000を超えるという大きな被害を受けた被災地には、アーベルの会の会員もいらっしゃいます。心よりお見舞いを申し上げます。
原発事故は許せない!
 東京電力柏崎・刈羽原子力発電所の震災対策のお粗末さには、肝が冷えました。断層の存在を見逃し、建設の想定を超える揺れだったそうですが、被害を受けた箇所50カ所以上、微量とはいえ放射性物質が海水にも大気中にも放出されました。
 世界の中でも最大の地震多発地帯である日本、しかも大きな断層があり、わずか3年で巨大地震が起こってしまうような地に、世界最大出力の原子力発電所をつくった東京電力と国の原子力政策のお粗末さに、心から怒りを感じます。太陽光発電や風力発電など、自然の力を利用した地球に優しいエネルギーへの政策転換に、なぜ本腰を入れないのでしょうか。
 
市教委交渉で・教員評価制度
 先日、市教委交渉がありました。今年から試行を始めた教員評価制度のねらいや今後の見通し、教職員の多忙な現状への対策、政令市になって教職員の異動はどうなるのか、児童・生徒数が急増している市立養護学校を新たに建設する計画の有無、保護者の負担を減らすための教育予算増など、要求項目や改善を求める項目は多岐にわたり、あっという間の1時間半でした。
 教員評価制度に関わる交渉の中で、「今、精神疾患が原因で休まれる教員が増えている。私の身近にも、去年も今年も、仕事に押しつぶされる形で休職された先生がでた。共通しているのは、二人とも、とてもまじめで、授業も校内の仕事も一生懸命やっていたこと。授業や仕事がうまくいかないとき、それを他人や周りのせいにせず自分のせいだと考えがんばる誠実な人だった。良心的にがんばっているそんな先生を休職に追い込む過酷な教育現場に、教員評価制度を導入し、それがやがて給与や異動に反映されることになったらどうなるのか。『うまくいかないのは、自分のせいだ』と自らを責め、仕事に押しつぶされ、心を病む教職員がますます増えることは想像に難くない。それは、子どもたちにとっても、新潟市の教育にとっても、計り知れないマイナスであり、教員評価制度は絶対に導入するべきではない」と、私は主張しました。それに対して、教育次長や学校指導課の課長も大きく頷いていましたが、頷くなら「新潟市は教員評価制度は実施しない」と結論を出すべきでしょう。
市教委交渉で・教師の多忙化解消にむけて
 また、私は発言しませんでしたが、多忙化解消の方策を求める交渉の中で、やりとりを聞きながらずっと考えていたことがあります。それは、“多忙化”というと物理的な時間を減らすためにどうするかが話題の中心になりがちですが、精神的な多忙感を解消するための方策にも目を向けるべきではないかということです。
 今自分がしている仕事が、子どもの成長につながるものであることがはっきりわかるとき、少しくらいそれが大変な仕事であってもそれほど疲れは感じません。また、子どもや親が喜んでくれたり、子どもの成長が実感できたとき、教師としてのやりがいと喜びが疲れを吹き飛ばしてくれます。(とは言っても、身体的な疲れは、年とともに増しますから、精神的には生き生きしていても体がついていかないことが、私は最近増えましたが)。「教師になりたい」と思ったときの気持ち、教師として初めて子どもたちの前に立ったときのうれしい緊張感、子どもと一緒に遊んだり、話したり、笑いあったりできる喜び・・・・日々の仕事の中でそんな「教師としてのやりがいや喜び」を感じることができるなら、多忙感をそれほど感じることはないのではないか。意欲を失うほどの疲れは残らないのではないかと思うのです。
 その反面、やっている仕事が教師本来の仕事からみると無意味なものであったり、子どもや親との関係がぎくしゃくして、関わること自体が苦痛であったり、つらさをわかってくれ支えてくれる同僚がいないとき、精神的な疲労度はものすごいものになります。
 「教育」という仕事は、メンタルな部分が大きく影響する仕事です。教師の多忙な実態にメスを入れ、精神的な疲れを取り除き、生き生きと仕事に取り組めるようにしていくためには、今の、「なかなかやりがいや喜びが感じられない」「喜びどころか、苦痛しか感じられない仕事が増えている」「教師批判の声の高まりの中で、孤立無援の状態におかれている教師が増えている」実態を丁寧に分析し、その原因にメスを入れ、有効な対策をとるべきではないか。そのとき、校長や教頭など管理職や教育委員会の果たすべき役割や責任は非常に大きいと、私は市教委交渉の中で考えていました。
 皆さんはどう思われますか。
 

先月の例会から
 
Aさん
 この4月に入学した高校になじめず、3月いっぱいまでの休学届けを出してきた。本人の特徴や障がいを学校に伝えておいたが、配慮してもらえなかったのではないかと疑問と不信が募っている。中学まで、与えられたプリントを別室でやるという勉強しかしてこなかった子だから、“自分でやる”ということができない。その子にあった学習の仕方や働きかけをしてほしかった。学校行事や予定などの連絡も全くなかった。
 自分に自信がない子だから、高校をやめて仕事をしたとしても、続かず挫折して、また自信をなくすのが目に見えている。どうしたらいいんだろう。
 
 親としては、「高校を休学してどう過ごさせるか」と、“今どうするか”に気持ちが向きがちだけど、本人の5年先を考えて、“今どうしたらいいか”と考えた方がいいと思う。その時、学校ではない方法で自立の力を育てる道も探ってはどうだろう。
 
Bさん
 教室には入れないが、もともとお祭りごとが好きな子で、中学の時も体育祭や文化祭などの学校行事には参加(見学)していた。翠江高校の体育祭も先生に誘われて、当日保健室で見学した。そこに友達がきて誘ってくれて、一昨日久しぶりに2時間登校し保健室で過ごした。そこに先生や友達がきてくれ、昨日は「朝から行ってみる」と家を出た。でも、体育や英語で疲れ切って、今日は朝から全く動かない。先生は、「1年かけてならしましょう」と言ってくれる。
 
 よかったね。それは、これからのことを考えて「第一歩を踏み出したから」という意味じゃなく、今までと違った経験を自分の意思でやれたことだから。自分の意思でやった経験は力になる。でも、その経験を力にしてあげられるのは、親や教師など、周りの人たちの働きかけかもしれないね。
 
Cさん
 敬和学園に入学して、1日も休まなかったけど、5月のテストが終わってほっとした頃から休むようになって、最近は週に1〜2回くらい休む。6月の体育祭(フェスティバル)はなんだかんだ言いながら出た。学校にもクラスにも不満はない。「あれ以上のクラスはないと思う」と満足しているけど、気を遣う子だから疲れるのかな。
 最近ロックを聴き始めて、「いいなぁ」とはまっている。先輩の生演奏を聴いて自分もやりたいと、エレキをほしがった。「今まで夢中になれるものがなかったけど、エレキをやりたくて仕方ないんだ。でも、今を逃したら冷めてしまうかもしれない」とうまく親を説得して手に入れた。友達の家で特訓を受けている。友達のことをよく話してくれる。甘いかもしれないけど、車で送っている。だけど、その車の中で子どもといろんなことを話せる時間はとても貴重。
 
 そういう時間を大切にした方がいいよ。いやでもそのうち離れていくから。
 
Dさん
 去年は数日、今年は一日も休まず高校2年生をやっているが、自分のペースを崩さないようにと必死にがんばっているのかもしれない。ペースが崩れたり環境に変化が起きたらもろく崩れるタイプじゃないかな。融通のなさを感じることがある。一日も休んでいないけど、朝具合が悪そうだったり、電車で吐きそうだったりして、体調は決して万全じゃない。精一杯やっているんだろうな。
 食べることに対して執着心がないというか、エネルギーを感じないんだよね。
 
 それが彼女らしさなんだろうね。自分のタイプを知り、それを受け入れ、それとつきあっていく覚悟ができたとき、変わるんじゃないかな。それには、親の価値観とは違っていても、まず親がその子(の性格・個性)を受け入れ、それを楽しむ気持ちが大事だね。
 
Eさん
 中2の女子。地域の祭りの前、数日学校に行ったが、また行かなくなった。地域の適応教室に友達ができて、そこには毎日楽しく通っている。ずっとしまっていたクラリネットも吹き始めた。しばらく学校には行きそうもないが、休み始めた頃の暗い表情が、今は見違えるくらい明るくなった。適応教室のおかげだし、学校に行く行かないよりも、今を楽しそうに過ごしている姿が何よりうれしい。だけど、適応教室が楽しくて学校復帰が遅れるんじゃないかと、少し心配もある。父親も娘との接し方を考えてくれ、いい関係になり始めている。
 小学校5年の弟が、クラスのいじめで困っている。「先生に言っても何にもしてくれない」と担任への不信感も。おとなしいタイプの男の先生で、子どもが言うには「みんなに馬鹿にされている」らしい。もう少しびしっと言ってもらえる先生に受け持ってもらえたらよかったのに。
 
 きっとクラスの中は、Eさんのいじめだけじゃなく、いろんな問題が起こっていてそれらへの対応で先生は大変な状態なのかもしれないね。最近の小学校の先生(特に高学年の担任)は、出張も多いし、研修や体育関係の仕事など、手に余るくらい仕事が多く、ゆとりがない状態。
 
 息子も、「先生が忙しそうにしていると(困っていても)言えない」と言っていた。やられっぱなしじゃなく、時には手を出してもいいと言っていいだろうか。相手をケガさせるのはよくないけど、我慢させてストレスをためさせるのもよくないと思うんだけど。(Eさん)
 
 暴力(手を出す)はダメ。気持ちはわかるけれど、「言うこと聞かないときは殴ってもいい」という教育(?)は、暴力を肯定することになる。言ってもわからない相手であっても、またイライラがたまって爆発しそうであっても、暴力ではない解決や解消の仕方を考えさせたい。「暴力は最後の手段」という考えもあるけれど、それは、「戦争は最後の手段」というのと同じで、力での解決を肯定する道であり、平和や人権とは両立しない。
 
Fさん
 来春高校を卒業する。進路をどうするか迷ったが、就職することにした。今いろいろな手だてを使って就職先を探しているが、男子は機械系、女子は販売系くらいしかなく、現実の厳しさに直面している。いろんなところを見て決めていくしかない。いい加減な気持ちで決めたくない。
 先日、アニメの声優さんたちのつどいがあり参加してきた。「人生は思い通りに行かないんだ」「夢は口に出して言うことが大事。有言実行だよ」「人は誰でも心の中に“どこでもドア”を持っているんだ」など、とても参考になる話が聞けた。
 
Gさん
 3年目の高校2年生チャレンジの年が始まった。始業式に出て、最初のうちは授業にも出ていたが、風邪で2週間休んだら、体育の先生に「診断書を持ってこい」と言われたことに対してカチンときて、「俺に辞めろってことだな」と行かなくなった。本人はやっとの思いで行っているのに、それに体育は見学していれば単位をくれるはずなのに、どうして先生はそういう対応なんだろう。今また休んでいる。「単位とれないなら行っても無駄」と言う。
 パソコンにはまって、「いいパソコンを買ってくれない。俺の夢は消えた」と言う。(高校をどうするのか)もういい加減決めないとという状態。リセットをどこでしたらいいのか。本人も納得してけじめをつけるにはどうしたらいいのだろうか。
 
 「うまくいかないのは人のせい」にし続ける“言い訳人生”になってしまっているんじゃないかな。それに本人が気づかないと。じっくりこれまでの自分や今の自分を見つめ、どうしたいのか・どんな人間になりたいのかを考えられるようになるといいんだけど。そういう機会と働きかけが必要じゃないかな。自分を見つめるのが怖いのか、そういう経験がないからできないのか。その両方なのかもしれないね。
 
Hさん
 今春開志学園に入学した次男は、一日も休まず登校している。型にはめられていないのがいいのかも。もともとおとなしく地味な子だが、中学の時はワックスをつけていったり、ワイシャツの下に黒いTシャツを着ていったりしていたのに、開志学園に行ってからワックスもつけなくなった。入学した時に聞いた「なぜ高校へ行くのか」についての先生の話がすーっと入ったみたい。「高校は自分のために行くんだよね」というようなことを言う。親では教えられないことをいっぱい教えてもらっているようで、私(母親)が幸せを感じている。
 近くの席の子が、「僕は中学生の時不登校だった」と話しかけてきたので、「僕も不登校だった」と答えたらしい。自分のことを“不登校”というのは初めて。目に見えて成長している。
 20歳になる兄が落ち着かない。最近東京へ出て彼女と同棲を始めた。すべての面で自立してほしいが、金銭的な面ではなかなか親離れができない。親が子離れできないということも課題なんだと思うけど。
 
Iさん
 今春入った高校が合わずずっと休んでいる。先日休学を決めてきた。これからどうするのか、本人に決めさせたいし、情報を提供するのだが、なかなかその気になれない様子。中学の時の担任も相談に乗ってくれるなど、周りはいろいろ力を貸してくれるが、肝心の本人が“これからのこと”を決めることができない。
 お話の中で、「5年後をイメージして、今どうするかを考えていきましょう」とあったが、先のことより、、本人に生き生きと生活してほしいというのが親心。高校でいやなことが続き、「嫌だ嫌だ」と言いながらほんとに切なそうに行っていたあの頃に比べたら、今は表情もよくなりホッとしている。でも、今の自分を肯定できず、自分のことを大切に思えないから、「これからどうしようか」と考えることが怖いのかもしれないし、先々のことを考えると暗くなってしまうんだと思う。
 
 「今を大切に過ごさせたい」という思いは、とても大事なことだよね。「今がよければ、後は野となれ山となれ」ではなく、それとは全く反対に、「いい現在(いま)があるから、明日はもっとよくなる」ということなんだよね。そのためには、本人が現在の自分を肯定できることが必要だし、それにはまず親が今の子どもや子どもの状態を肯定することが絶対に必要だと思う。
 
Jさん
 小5女子。6月からクラスの雰囲気や担任の対応が原因で学校に行かなくなった。小3の時も学級崩壊に直面し、クラスでの友達関係が悪化したため、1ヶ月休み市の適応教室に通った後、隣の小学校に転校することで解決した。今回は男子グループのいたずらが主な原因だが、3年の時の担任が働きかけてくれ、放課後登校をしている。でも、転校しか解決策はないかなと思うので、今日も3ヵ校回って学校見学してきた。
 
 転校しか解決策はないのかな。それは子どもの願いでもあるのかな。もう少し考えてみた方がいいと思うけど。
 
 うちも小学校の時、問題が起こって転校させたことがあった。でも、ずっと「(問題から)逃げた」という気持ちが引っかかっていて、中学に入ってから嫌な思いをしたけれど、転校せず親子でがんばった。翌年とてもいい担任に出会い、友達もできて「がんばってよかった」と思ったよ。もう少しがんばらせる気はない?
 
 気弱な子にがんばらせて、もっとひどくなったりPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったら困る。子どもにとってよりよい環境を用意してあげるのが親の仕事だし、それが子どもにとって幸せかな〜と思う。傷つくのをおそれているわけではないが、できればすくすく育てたいから。(Jさん)
 

全国連絡会ニュースから
 
 「登校拒否を克服する会」の連絡ニュースから、大阪の交流会で行われた村上公平さんの講演要旨を掲載します。