皆様、これまでどうも有り難うございます。 無人島は本日をもちまして閉鎖いたします。
昔、レコード芸術誌に「読者投書箱」なるコーナーがあり、そこに、ある方の筆による『バロック音楽讃』なる文章が掲載されました。無論、どこのどなたかは存じませんし、すでに十年以上も前の記事ゆえ、その方がまだご健在なのかどうかも分かりません。私は、その方のその文章を切り抜き、現在に至るまで大切に私室の壁に掲げております。それは私のレコード音楽愛好家としての永遠の指針なのです。 内容としては、初老を迎えつつある中年の筆者(当時53歳)が、彼自身の若き日のバロック音楽との出会いを振り返り、ヴィヴァルディ、テレマン、ヘンデルをどんなに愛しているかを告白され、そうして冬の凍てつく夜にテレマンの「パリ四重奏曲集」を聴く至福を語るという、短くも実に味わい深く含蓄のある文章でありました。 そこからは、微塵の傲慢さも虚栄心もなく、ただ己の好きな音楽に遊ぶ、言葉の持つ真の意味における趣味人の達観と至福が感じ取れました。以来、私は「自分もこんなリスナーになりたい。そうなれたらどんなに幸せだろうか」と、何度思ったことか知れません。だからこそ、ずっと自室の目に付く場所に掲げ、それを音楽を愛する者の理想的姿として終生忘れぬよう肝に命じたのです。 私自身、三十を越え、人生の半分を折り返すようになって、ようやく、音楽を聴くことの至福を自然に感じられるようになってきました。もはや、自分の好きなものだけを聴いていればいい。そう思う今日、この頃です。誰彼に語って聞かせよう、ましてやそれを批評的な観点から聴こうなどという大それた気持はもうありません。ただ、聴くのみです。それこそ、冬の凍てつく夜などに、己の愛する音楽をそっと心ゆくまで愉悦出来ればそれで幸せだと、そう思います。それと、正直に言いますと、私にはもう何かを語るという余力がないのです。そもそも何かを語るためには、その根底に漲る批判性、或いは批評性といったエネルギーが必要ですが、人間としてすっかり丸く穏やかになってしまった私にはすでにそれがない。こういうのを若年寄と称するのでしょうが、丸くなってしまった己の人間性をふたたび尖らせるのは至難の業ですし、又、そうする必要もなかろうと思います。
前にも申しました通り、個々人の趣味の世界はそれぞれが無人島のようなものです。それぞれが、それぞれの経緯で漂い着いてしまった孤島。もはや逃れるすべはなく、逃れる必要もない。
それでは皆様、本当にお世話になりました。さらばです。
2005年11月11日 島主 |