ふつうの子


(2)無機質な瞳




病院での精密検査の結果、脳波や耳には異常なし。

ほっとする瞬間・・・。

しかしそれはまた、
ナルの自閉症である可能性が高くなったことを意味している。

帰宅後、何事もなかったかのようにテレビを見るナルの姿が 
私の不安をかきたてた。



それからしばらくの間、私は仕事を早目に切り上げて 
ナルの保育園生活をのぞいて見る事にした。

お友達と一緒に遊ばない。歌わない。踊らない。

おやつの時もイスに座らず うろうろしている。

みんなが楽しそうに遊んでいるときに テーブルの下で丸くなって寝そべる。

裸になるのを恐がり服をぬごうとしない。汚れるのを嫌って砂遊びをしない。

ナルの耳には周囲の楽しそうなお友達の声が届かない。

その無機質な瞳には先生や友達の姿が映らない。

ナルは そんな子供だったのである。



先生の考えすぎなのではないか・・・
そんな希望が ポトリと音を立てて闇の中へ吸い込まれていった。

まるでナルの無機質な瞳の中に吸い込まれるように・・・。

冷静に見れば見るほど、ナルはあまりにも発達が遅れている。

確かに普通児とは違う!

私もナルは自閉症ではないと信じたい。

でも、発達を促進してくれる良い施設があるのなら通わせて
少しでも早く 普通の子の発達に追いついて欲しい。


私の考えを話すと、主人もナルの療育施設通園を快く同意してくれた。





数日後、私たちは保育園園長に施設の紹介を依頼した。

園長先生の話では、 自分の子供を自閉症だと言われた親は
なかなか事実を受け入れられないらしい。

憤慨して保育園を逆に非難するケースすら あるそうだ。

誰もが自分の子供は普通であると思いたい・・・。

障害児である可能性など 思いもよらない事なのだ。

我々の場合 夫婦ともに世間体や周囲の目をあまり気にしない性格なので、

子供を障害児施設に通わせる事に対して そこまでの抵抗感はなかった。

何より 2人とも無知だったのである。

なぜなら、すぐに普通児の発達に追いつくと楽観的に考えていたから。










秋になり、かねてから依頼していた療育施設への扉がようやく開かれた。

定員がいっぱいのため、ずっと待たされていたのである。 

ナルは今の保育園に通いながら、週に1度 療育施設・A園に通園することが
決定し、まず、挨拶に行くことになった。



A園は築5年のとても美しい建物だった。

太陽光線を贅沢に取り入れていて 建物全体が明るい雰囲気になっていた。

段差をなくして傾斜がついてある廊下、冷暖房・床暖房・完備、湿度調整も
完璧・・・、まさに いたれりつくせりである。

玄関ホールからは室内プールが見えた。
天窓から入る日差しでキラキラと水が輝いていてとても綺麗だった。


ナルは初めて行く場所になかなか馴染めない。

初めて見る建物を恐がって入れなかったらどうしようと心配していたのだが、
意外にもすんなり入ることが出来た。


先生「こんにちは、ナルくん。A園によく来てくれたね。」


先生の笑顔はとてもさわやかだった。


先生「お母さんも 本日はお疲れ様です。
   本当によくいらっしゃいました。
   外来担当の保育士のSです。
   ここには、さまざまな症状の子供達が通っておりますので、
   何でも相談して下さいね。」


 「あの・・・外来って何ですか?」


先生「ナルのように時々こちらに通う子供さんを『外来』と呼んでいるんですよ。
   毎日通っているお子さんは 『通園』と呼んでいます。」


外来
・・・
何だか病院の外来患者を思わすこの言い方が 
まるで精神病患者のような扱いをされるようで嫌な感じだ。


先生「ナルくん、このプールは温水プールになってて あったかいんだよ。」


先生は大きな声でナルに話しかけたが、ナルは私の背中にくっついて離れなかった。
緊張のせいか小さくなったままだ。


先生「プールは母子一緒に入ってもらうことになっています。
   お母さん、お忙しいでしょうが、ぜひ参加してください。
   この中は常時30度に保たれているので 冬でも快適ですよ。」




先生は ゆっくりと施設の中を案内してくれた。

奥には普通の教室なら3部屋できるくらい広い訓練室があった。

そこには、何万個ものカラーボールの入ったボールプール、トランポリン、ミニブランコ、
トンネルなど、子供なら誰もが喜びそうな遊具がズラッと並んでいた。

大人が見てもわくわくするくらいだ。


 「うわ〜。すごいねえ、ナル。」


声をかけると ナルはそっと私の背中から離れて、訓練室を見つめた。


先生「ナルくん。何かやってみる?ちょっとだけ遊んでいいよ。」


 先生が微笑んでも ナルは訓練室をじっと見つめたままで 動こうとしなかった。


 「どうして?楽しそうじゃない。さわってみたら?さわろうよ。」


先生への見栄も手伝って私がナルの腕をぐいっとつかむと、
先生はそれを静かに制止した。


先生「いいんですよ。お母さん。無理しないで下さい。
   ナルくんにはナルくんのペースがありますから焦らずにゆっくり行きましょう。」


 私の中の焦りや苛立ち。そういったものを見透かされたようでとても恥かしかった。

ナルのことを第一に考えなければならないのに、それは解っていたはずなのに・・・。

何を私はこんなところでまでカッコをつけているんだろう・・。


先生「1週間に1度の指導なので 少ないですが、一緒に頑張りましょうね。」


先生の励ます声を聞きながら、私は全く別のことを考えていた。

ナルは私のことを好きなのだろうか・・・?

そして、私はナルを・・・?