「イラク攻撃の陰で激化するもうひとつのイスラムつぶし」     写真ページへ  TOPへ戻る
ーフィリピン・ミンダナオ島からー (「月刊あれこれ」2003年7月号掲載    写真・文 山本宗補)

・ブッシュ政権をコピーするアロヨ政権
 フィリピンのアロヨ大統領はフィリピン南部のイスラム教徒の反政府武装勢力に対してやっていることは、イラク攻撃を命じたブッシュ大統領と同じものだ。5月下旬の訪米直前、アロヨ大統領が政府軍の総指揮官として命じたのは、「隠れるテロリスト細胞に対し、空爆と砲撃を選択して行うように」というものだった。
 ブッシュ大統領への手土産としての「反テロ戦争」の意志を鮮明にしたジェスチャーで、標的がモロ・イスラム解放戦線(MILF)を指すのは誰の目にも明らかだった。

・再開された対MILF攻撃  
 2月中旬、ミンダナオ島中部、北コタバト州の人口6万9000人の町ピキット。すでに約4万人の避難民が急ごしらえの避難所や掘っ立て小屋で、その後数ヶ月続くことになる避難生活を始めていた。多数のイスラム教徒避難民が短期間に出た原因は、ピキット南部に位置する広大な湿地帯に反政府のMILF武装ゲリラが「多数終結し停戦協定を破った」ことを口実にした国軍が、大がかりな軍事作戦行動を開始したためだった。
 対外的にはアメリカ政府によるイラク攻撃が間近に迫るタイミングとピタリだった。国軍はMILFの拠点に105ミリ砲弾を雨のように降らせ、戦闘機からの空爆も行った。その結果が大量の避難民だった。
国軍の総攻撃により、1年半続いたつかの間の「平和で犯罪の起きない」(避難民救援の中心的役割を果たしているバート神父)時が終わり、再燃したMILFと国軍との本格的な交戦はミンダナオ島各地に飛び火し始めた。
 およそ20日間のミンダナオ島各地での取材期間中、ダバオ市やコタバト市などで起きた爆弾事件では合わせて22人が死亡し、送電線の連続破壊工作などによる停電などが相次いだ。
 マニラのテレビや新聞報道は、一連の爆弾事件、破壊工作などの犯行が特定されないうちから、犯行は全てMILFによる、とする国軍の見解を報道することに終始した。身代金目当の誘拐事件を繰り返す犯罪組織アブサヤフと同列の扱いだ。

・避難キャンプの現実 
 ピキットは、北コタバト州にある平野部の農村地帯のど真ん中。人口の大半はマギンダナオ族のムスリムだ。ミンダナオ島の中心を貫通するダバオーコタバト間を結ぶ大動脈の国道が町を東西に走り、トウモロコシ生産と漁業が中心だ。ピキット町を中心に、国道の両側には大小20カ所以上の避難キャンプができていた。最も大きな避難キャンプのブイサン避難センターには、2月15日の時点で約4700名の避難民が登録されていた。全員がムスリム。
 倉庫内のヒンヤリしたコンクリートの床には、ゴザやマットを敷き、老女や幼児、赤ちゃんたちがひしめきあい、外の空き地はあり合わせの布やビニール袋を屋根と壁のシート代わりにしたテントと、骨組みだけの小屋が建ち並んでいた。鍋釜、衣類や寝具などの家財道具を牛や水牛に引かせて逃げ出したという。また、避難民の半数以上は親族などを頼る間借り生活で、キャンプ外での避難生活を初めていた。
「できることならすぐにでも村に帰りたい。働いていないと病気になってしまう」(40歳のトウモロコシ生産農民)
 避難民の大半が過去5年間で4度目の避難生活を余儀なくされていたせいか、落ち着いているように見えた。
 顔の皺から70歳にみえた自称57歳で6人の子持ちの男性は言った。
「30年間で20回は避難した。いかに素早く植えて、収穫し、逃げることを知っているさ」
 救援側の地元のカトリック教会や社会福祉省、フィリピン赤十字なども同様で、緊急支援体制が確立されている印象を受けた。

・「恒常的戦争と散発的平和」
 避難民救援の中心人物が、カトリックのピキット教区のバート・ライソン神父だ。神父は9年間務めた前任地のホロ島から、1997年にピキット教区に赴任。直後に最初の避難民救援を経験していた。
「最初が1997年6月。次が2000年5月。3度目が2001年11月。そして今回が4度目だ。避難民は同じ母親、子どもたち、老人。とりあえず10日分の食料はOKだ」
 繰り返しの経験が、バート神父を憎むことのできない皮肉屋にしていた。
「『恒常的戦争と散発的平和』の世界。みんな避難の術を会得している。しかし、誰もが前回の戦争から回復できていない。少なくとも5年間の猶予をくれと言いたい」

・国軍の制圧した「MILFの拠点」
 避難民を取材する傍ら、国軍の案内する「メディア」ツアーに、マニラや地元メディアとともに参加した。かつてスペイン時代には砦が建設されたピキット中心部の小高い丘には国軍の通信施設があり、空き地には105ミリ砲が3門設置されていた。米軍の使い古しの空軍の中古ヘリで、蛇行する川や沼地を飛び越え、湿地帯にあるトウモロコシ畑に着陸。最初に案内されたのが、「サラマット・ハシムMILF議長の隠れ家のマンション」と国軍スポークスマンが形容する一軒家だった。 
 ココナッツや幹が白い背の高い木々、バナナやコーヒーなどに囲まれた林の中の、二階建てのこじんまりとした家に、小さなモスクと食堂と思われる平屋が併設されていた。マニラなどの大都市の郊外にある、警備員の常駐する住宅街の一軒家と変わらず、「マンション(大邸宅)」の形容は大げさすぎた。激しい戦闘を物語る砲撃や銃弾の跡も皆無。建物内部はカラッポだった。
 次に案内された場所はブリオック集落にある公立のブリオック小学校だった。平屋の校舎は無傷だったが、周辺は空軍機から投下された爆弾や105ミリ砲弾が数発着弾した跡が生々しく、校舎から10数bのところにあるココナッツは、砲弾の直撃を受けて何本も折れ曲がっていた。空爆による大きなクレーターが校舎近くにポッカリと空いていた。
 案内した国軍大佐は、小学校のある一帯も含め、MILFの「ブリオック・コンプレックス(複合施設)」と表現した。翌日のマニラ各紙には、「MILF議長のマンション」、「ブリオック・コンプレックス」の見出しが一面トップに踊った。国軍の宣伝工作は着々と成果をあげていた。
 数日後、独自取材でブリオック集落の手前まで出かけ、途中の三つの集落を通過した。どの集落も人や家畜の姿も見当たらないゴースト・ビレッジと化していた。家財道具は持ち出され家の中はもぬけの殻。ほうきが床に放り出されたり、赤ちゃんをあやすネットが天井から吊されたまま。避難民となっている農民たちの普段の生活ぶりが伝わってきた。
 蛇行する川に面する一角にあるコンクリート作りの組合倉庫は、付近にある3軒の木造家屋と一緒に、見るも無惨に天井から正面の壁面が跡形もなく吹き飛んでいた。倉庫前にできた深さ5b、直径約8bの大きなクレーターが、一発の爆弾の破壊力のすさまじさを教えていた。避難民がこの爆弾を「インターナショナル爆弾」と呼んでいることを後になって知ったが、250ポンド爆弾のようだ。破壊された倉庫は、フィリピン政府とムスリム・ミンダナオ自治区政府との共同復興プロジェクトで3年前に建設されたのものだった。

・ミンダナオ島のムスリム問題とは
 100年前、ミンダナオ島の二人に一人はムスリムだったようだが、今では1855万人のミンダナオ島人口のうち、400-500万人がムスリムという少数派だ。
 ミンダナオ島のイスラム教徒は総称してモロ族と呼ばれるが、ミンダナオ島やスールー諸島の先住民である。マラナオ族(ミンダナオ島中部)、マギンダナオ族(ミンダナオ島中部)、タオスグ族(ホロ島)、サマル族(バシラン島)などで構成され、独自の言語、伝統文化を持ち、居住圏の住み分けもあった。
 1571年にマニラを占領したスペインは、フィリピン諸島のイスラム教徒を一括して、「モロ(Moro)」と呼んだ。それはイベリア半島を800年に渡り支配したイスラム教徒をスペイン人が「ムーア(Moor)」人と呼んだところから来ている。
 いつの間にかフィリピン政府に帰属した扱いとなったムスリムが、「モロ族」の呼び方を積極的に使いだしたのは、1970年代初めの分離独立運動からだ。クリスチャンの入植者や外国資本のビッグビジネスに大地を奪われてきたという認識が鮮明になり、自決権を獲得し、奪われた権利と大地の回復という闘争が自然に始まった。
 モロの分離独立闘争初期に中心的役割を果たしたモロ民族解放戦線(MNLF)は、ラモス政権下の1996年に政府と和平合意に至り、ムスリム・ミンダナオ自治区を受け入れた。だが、モロは自治区成立後も貧困と失業にあえぎ、MILFは、本当の自治権も資源を活用する権利も保証されない自治体制を拒否し分離独立路線を堅持。マレーシア政府の仲介で、昨年5月からは停戦が成立していた。

・MIFLゲリラの素顔
 「ヤングファイター」のニックネームを持つ若い小隊司令官率いる小部隊に同行取材した。行軍した山中は南ラナオ州に属する丘陵地帯。シダ類が多い熱帯多雨林だった。10数名からなる小部隊は山中を移動して歩くモバイル部隊。正規軍ではなく、最近招集されたばかりの現役大学生や若者らが中心だった。
 移動中、いくつかのモバイル部隊と何回もすれ違った。司令官同志の通信手段は、フィリピン全土で流行っているプリペイドカード式の携帯電話が使われ、充電はオートバイのバッテリーを利用していた。
 司令官のヤングファイター自身は、砲弾の破片を背中に受け、左腕は自由に動かないようだった。3年前、エストラダ政権時代のMILFに対する全面戦争の際、MILFの総司令部が置かれていたアブバカールキャンプ(マギンダナオ州)の防衛戦で負傷したという。
 MILFは総司令部が国軍に制圧された直後から、通常戦争からゲリラ戦に戦術を変えていた。同行した小部隊のゲリラ戦士のほとんどが、停戦時にアブバカールキャンプで6ヶ月の軍事基礎訓練を終え、アブバカールキャンプの防衛戦を戦った経験者だった。緊急時には、軍事基礎訓練を終えている大学生を含む若者がミンダナオ島各地から自発的に最前線に集まる体制が整っている印象を受けた。 いくつかの小部隊に指示を出す大佐クラスの司令官は、MILFは8万人の武装勢力を持つと豪語した。ゲリラ予備軍のネットワークが奥深いということか。大学生だった1971年に武装闘争に参加したという農民顔の司令官は落ち着いて語った。
 「私は若くないが、未来のモロのために種は撒いてきた。マルコス、アキノ、エストラダ、アロヨ政権と続いた政府と政府とは無数の協定が結ばれたが、何も実行されなかった。我々の大地を解放することが唯一の解決策だ。政治的、軍事的な方法以外にも様々な方法を合わせて動員しなければだめだ」

・MILFのテロ組織認定を狙う米・フィリピン政府
 アメリカ政府は昨年8月、フィリピン共産党とその軍事部門の新人民軍(NPA)を、フィリピンではアブサヤフに次いで海外テロ組織に指定した。アロヨ政権はMILFとの和平交渉路線を転向し、MILFをテロ組織として特定する戦略に拍車かけているように思える。
 強硬派の中心人物がレイエス国防長官で、米のラムズフェルド国防長官の役割を果たしている。
「アロヨ大統領は米の『先制攻撃論』に影響されている。政治のリーダーとして戦争を回避すべきなのに。憐れみの感情に欠けている」(バート神父)
 一部の上院議員やカトリック教会を含む数多くの宗教団体が、アロヨ大統領の発令した新たな爆撃命令を厳しく批判しているが、5月末現在、避難民総数は21万人を超えた。MILFをテロ組織として認定するための条件づくりが、無数の非戦闘員の生命と生活の犠牲で進行している。