「ピナツボへ帰りたい」−先住民族アエタ族の選択−(「世界」1994年12月号掲載)
 ・自立した生活を目指して・      撮影・文 山本宗補  写真ページへ  TOPへ戻る

「うまい、うまい」と、ラタ(36)はバナナの葉でアモカオをすくいあげては、繰り返しノドに流し込んだ。
 フィリピンのピナツボ先住民のアエタは、アモカオが大好きだ。アモカオはアケビの実のように、
種だらけの野性バナナを絞った天然ジュースだ。甘くてアエタの伝統と生命力の味がした。

 ラタ一家を含むピナツボ・アエタ三家族が火山灰河原の一角で生活しはじめて半年が過ぎた。
一家四人が横になって眠れる、野性バナナの葉で屋根と壁をふいただけの簡素な小屋が家だ。
背後の丘からはピナツボ火山の眺望がすばらしい。斜面には野性バナナが群生し、湧き水が
でる。ピナツボ火口周辺を除く尾根一帯の植性は予想以上に早く回復した。

「山の生活は自由でハッピーだ。一年中ここで暮らしたいね。食料はなんとかなるさ」
 楽観的なラタ同様、奥さんも同じ気持ちだ。
「現金がないと再定住地では生活できないし米も買えない。ここだったら、バナナを蒸かしたり、
ジュースにして飲んだりできる」

 近くの沼ではカタツムリや蛙をつかまえ、バナナの森では花弁の蜜を吸うフルーツコウモリを
弓矢で射る。火山灰が適度の肥料となり、バナナもその根元に生えるキノコも雨期にはぐんぐん
伸びる。天敵のいなくなった野ネズミが熟したバナナを食い荒らしているが。
 群生する野性バナナを切り倒した斜面にはカモーテ(さつまいも)を植えた。三ヵ月後には収穫
できるので米さえ我慢すれば空腹は満たせそうだ。

 山頂の西側約一二キロのところ、川沿いの高台にあったラタの部落は、度重なる雨期のラハ
ール(火山灰泥流)のえじきとなり、二〇〇メートルほどに河幅が広がった泥流河原の奥底に
沈んだ。

「雨期はラハールが危ないが、焼畑の近くに小屋を移せば心配ない」
ラタたちは豪雨の雨期も山に留まるつもりだ。

 危険の伴う山の生活を選んだラタは少数派だが、弟のように再定住地を選んだアエタは多数
派だ。避難キャンプで妻を失った弟は、政府が用意したピナツボの西三〇キロにあるローブンガ
再定住地(人口八〇〇〇人)に住み男手ひとつで四人の娘を育てている。

 再定住地内の小学校三学年に進級したばかりの次女は、高校を卒業して学校の先生になる
のが夢だ。米中心の食生活に慣れた五歳と六歳の末娘は、イモ類中心の山の生活は嫌がり、
長女も山には戻りたくないという。

「ピナツボに戻って生活したいけど、オレが死んだ後は、娘たちに教育がなければ低地社会で
は苦労し馬鹿にされるだけだ」

 家庭菜園は、石ころだらけで雨期にしか野菜が育たない。頼りの収入源は、狩猟の使い道が
なくなった弓矢を町で売ることだ。弓矢ワンセットで、いちばん安い米が五〜六キロ買える。
ピナツボ高地での自由気ままな生活に慣れているため、組合とか組織に参加して気心の知れ
ない住民と協力するのは苦手だ。
 弟は兄たちの住むピナツボにも畑を作り、時折通うことにしたが、貨幣経済が支配する再定住
地生活に振り回されている。

 政府に代わり、アエタの危機を救い復興に力を貸したのはNGOだった。村ごと養子に取るよう
なやり方で、避難キャンプから一貫して支援を続けた。一方でアエタ独自の組織や組合作りも
進み、良い結果が出始めている。

 ピナツボの北東約五〇キロにあるダンパイU再定住地のアエタは、早くから故郷に戻ることを
あきらめたグループだ。政府当局と団体交渉をし、二四ヘクタールの荒地を借り、用水路を引い
て三ヘクタールの水田を作った。今では年二回の収穫をあげ、数ヵ月分の食糧は確保した。
自立への確かな一歩だ。

 ダンパイUは移住当初から「24時間テレビ」チャリティー委員会が、アエタの自立に向けて
応援してきたところだが、週三回の夜間識字教室(午後八時〜一〇時)が始まっていた。

 懐中電灯を手に一三歳の少年から六〇歳の老人までの男女生徒一二名が、発電機で起こさ
れた一本の蛍光灯にすい寄せられるように集まった。赤ちゃんを抱いたまま授業を受ける女性も
いる。先生役は「24時間」から約一週間の教育研修を受けたアエタ自身だが、手作りの教材を
使い生徒をのせるのがうまい。楽しい授業が終わると、生徒たちは寝静まった再定住地の暗闇
に消えていった。

 ピナツボの南西二五キロのカナイナヤン再定住地(四二〇ヘクタール、約三〇〇家族)の場合
は、支援団体のポリシーに問題があるようだ。ここはアエタの平地定住農業化を二〇年前から
振興してきた、キリスト教五宗派の代表が管理運営するNGO、「少数民族開発基金」が、独自
に用意した再定住地だ。

 最近、再定住地用地を地主の地元政治家から四〇〇万ペソ (一六〇〇百万円)の大金で
購入する契約を結んだ。この「基金」を引き継いだ「アエタ開発協会」が昨年設立されたが、
最終決定権も会計処理もアエタには任されていない。

 カナイナヤンは一〇余りの異なる村出身者の集まる寄り合い所帯だ。地勢的には焼畑向きで、
肥沃な急斜面が複雑にいり組み、「基金」によって生活環境は整備され自立にはもってこいだ。
しかし、噴火前から育てられたと思われる援助依存症がときおり顔を出す。

「先生、コーヒーが切れた」「先生、針金がない、釘がない」などと、スタッフにねだる者が多い
のだ。識字教室は教師経験も研修も受けたことのない、若い女性が起用され公立学校用テキ
ストを基に、退屈そうな授業をしていた。識字教育にはNGOの基本ポリシーが表れるもの
だが。女性生徒に混じって中年の男性がただひとり熱心に学んでいた。

「ここならピナツボの一部だと感じられる。米がなくても、バナナやイモ類が十分とれるので空腹
を抱えることはない。五年もすれば商人がバナナを買いつけにやってくるさ」

 ピナツボ山頂に近かった集落のキャプテンのパンマニラ(45)だ。彼のようなリーダーならば
アエタの自立は可能だろう。

 サバイバルの選択肢が限られる中、ピナツボ・アエタは懸命に生きている。民族の誇りや伝統
のサバイバルは、アエタを応援する人次第だ。

戻る