3月15日 映画「9.11-8.15 日本心中」と藤原ていの本
先週、早朝と夜遅い時間帯に撮影する、生活のための仕事があった。空き時間があったので、
ポレポレ東中野で映画「9.11---8.15 日本心中」(大浦信行監督作品)を観て、カフェのはしごを
しつつ本を読んだ。
映画の狙いはチラシにはこうある。
「現代日本のありようを、9.11米国同時多発攻撃との関連で見つめ直し、あたらしい日本と世界
の姿を模索する作品」「『自由』を求めさまよう出演者たち」ともある。
針生一郎という高齢で存在感あふれる美術・文芸評論家と、30代の美女、重信メイが旅先案内
人役で登場する。重信メイは、元日本赤軍リーダーの重信房子とパレスチナ人の戦士の間に、
レバノンのベイルートで生まれたという数奇な運命を背負った女性だ。
私は舞踏家の大野一雄さんも出るのが気になっていた。題名からしたらどんなつながりがある
のだろうかと期待したが、少し当てがはずれた。大野さんは、イントロ的部分のキャスティングで
登場人物が紹介されるシーンで背景的に踊っているだけ。映像的な作りは申し分ないが、映画
の主題との関係があいまいすぎ、後にも先にもそれだけの登場だった。てっきり大野さんの
ニューギニアでの戦場体験か何か戦争がらみの舞踏なり、インタビューが挿入されるのかと
勝手に思っていたのだが、肩すかしだった。
映画には藤田嗣治の戦争画「アッツ島の玉砕」も登場する。昨年、藤田の回顧展ではじめて
みた、日米の兵士たちが入り乱れて殺し合う戦争画のすさまじさに圧倒されたので、どう扱われ
るのかが楽しみだった。映画ではこの大作を完全模写する画家が登場し、運河のほとりにある
薄暗い小屋で一心不乱に描く姿をじっくりと見せる。そこまでは良いが、完成された画の描写と
映画の中での存在意義がわかりにくい。この戦争画は山の中にこしらえたセット小屋に運び
込まれた途端に爆破され、あっと驚かせるのはうまいが、それで終わりというのが何とも物足り
なかった。
おそらく、最も印象深く残るシーンは、重信メイが韓国の抵抗詩人、金芝河を自宅に訪ね、面と
向かって対談するシーンだと思う。分断された朝鮮半島、国のないパレスチナ。そして日本。
親子の年齢ほども離れたこの二人の組み合わせに込められた世界の現実。確かに絶妙だ。
「あなたは国境をこえた文化が連帯するためのシンボル的役割を担う予感がする」。
正確ではないが、そういう意味合いのことを、韓国人詩人がパレスチナ人的顔立ちの日本人に
向かって語る。終わって見れば重信メイのPR的映画の感じを受けないでもない。悪いとは思わ
ないが。映像美をドキュメンタリータッチで追究する見せ方は良いが、「あたらしい姿」を模索する
点では、どこか古い型にはまった感があり、物足りなかった。
カフェでは藤原てい著「流れる星は生きている」(中公文庫)を一気に読んだ。300ページをこえる
ものだが、満州棄民のことを続けて雑記した勢いで読み始めたら止まらなかった。戦後4年目に
出版されたようで、空前の大ベストセラーの一冊だという。文庫本は30年前に刊行されて、
ロングセラーを続けているようだ。
藤原さんも長野県の諏訪の出身で満州からの引揚者だが、満州開拓移民や棄民とは異なり、
新京(いまの長春)の観象台(気象台)に赴任する夫に伴い、長男を連れて1943年に満州に
渡った。とはいえ、敗戦後に国家と軍に見捨てられたために、一家が死に瀕した点は変わらない。
この本は、ソ連が参戦し、満州に攻め入ってきた45年8月9日の新京から始まり、翌年9月に
博多港に無事帰還後、列車で故郷の諏訪に到着し両親兄弟と再会するまでの避難行を描いた
ものだ。夫とはぐれ、5歳を頭に満州で生まれた3歳の次男と赤ちゃんの長女の幼児3人を抱えた
母が、8月13日ころまでに列車で着いた北朝鮮側の町で飢えをしのぐ難民生活と、38度戦を
越える際の死に瀕するた逃避行を描いたものだ。満州のソ連国境に近い地域に取り残され、
ハルピン、新京、奉天と南下する満州棄民の悲惨な体験とは場所が異なるが、難民生活での
日本人同志の醜い足の引っ張り合い、どんなことをしてでも子どもを食べさせようと必死な母親の
姿など、どこの収容所でも繰り返されたであろう人間の生のやりとりが、登場人物の遠慮ない
人物描写とともに細かに書かれている。
冒頭では、関東軍の家族はいち早くトラックに荷物を満載し新京駅に移動する記述がある。
北朝鮮の避難先では、8月14日に上空を旋回する飛行機から、日本軍の一高級将校が家族の
行方を尋ねるビラが落とされたとも書かれている。何と恐ろしい記述だろう。敗戦直前、飛行機を
飛ばして自分の家族だけを捜そうとする高級将校がいたとは。この時期、満州各地では開拓民
の集団自決があったり、ソ連軍や地元民の攻撃を交わしながら、列車も馬も頼れず徒歩で逃げ
まどっている事態にだ。
何よりも強く感じるのは、死ぬ半歩手前までの飢えと病気で苦しむ3人の幼児を抱えた、藤原
さんが、1人も失わずに無事に帰還した足跡が奇跡的だということだろう。自分自身も仮死状態
になるが、母親の強烈な愛情を感じる本だ。
この文庫本の帯には「私の原点はここにある。私の書けない原点である。藤原正彦」と書かれ
ている。何と、新潮社が狙い澄まして放ったと思えるベストセラー「国家の品格」の著者が、
藤原ていさんの満州で生まれた次男だった。愕然とする事実に、本の内容以上に驚いた。
「国家の品格」といえば、「美しい国」とセットで販売されるような内容の、私からしたらどうしよう
もない本だ。「武士道精神」の復活を説いたりする時代錯誤で何か大きな勘違いをしているの
ではと感じさせる、一数学者が書いた分野違いの本だと思っていた。バカ売れすることが大きな
間違いだと思っていた。
実際、靖国神社に「英霊」を祀って顕彰することを推進するグループが発行するブックレットに、
藤原正彦氏は「万世一系の天皇は世界に誇ることのできるものだ」というような一文を寄せて
いる。それが藤原氏個人の天皇観・皇室観といえばそれまでだが。
その天皇と、「武士道精神」で満州を占領し、日中戦争に突き進み、中国大陸に送り込んだ
初年兵の教育として、中国人を突き殺すことを軍隊としてやっていたのが日本軍だったのでは
ないのか。藤原正彦氏が3歳の頃に死ぬ寸前で苦しんでいる頃、日本軍は民間人よりもいち早く
南に逃げ、天皇は神から人間になって、飢えることも無縁で、それでも国民に一言も謝罪せず、
退位さえせず、特別列車で全国各地を「行幸」して、手を振って歩いていただけではないのかと、
当事者ではなくとも怒りを感じないわけにはいかない。だれが無数の藤原てい一家を満州大陸に
見捨てたのかわからないはずがないのだが。不思議だ。
同じ満州から長野県に生還し、「国家は信用できない」を原点に、新潟県で医師として地域住民
に尽くす黒岩卓夫医師とはどうしてこれほどまでに違うのだろうか。「国家の品格」の著者が、
7-8歳で満州の逃避行を体験していれば、まったく異なる国家像の本を書いたのかもしれない、
と思いたい。
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