9月30日  現軍事政権を真っ先に承認したのは日本政府だった

 昨日の夕刊の見出しは「ミャンマー外相 陳謝」。ニューヨークの国連本部で、高村外相が
ビルマ(ミャンマー)のニャンウィン外相に長井さん殺害を強く抗議すると、「誠に申し訳ない」と
謝罪したと記者団に語ったとある。

 加えて、高村外相は、「民主化プロセスを、早期に進展させるべきであり、平和的なデモに
対する強圧的な対応を改めて拘束者を釈放するとともに、対話を通じて事態を収拾させるべき
である。また、ガンバリ国連事務総長特別顧問の訪問時に、具体的な改善を示してほしい。」
と軍政の外相に申し入れたとある。

 国連総会での演説で高村外相は、「ミャンマーにおけるデモへの取締りにおいて日本人一名
を含む死傷者が発生した事態は極めて遺憾です。我が国は、ミャンマー政府が最大限の自制
を示し、強圧的な実力行使をしないよう求め、対話を通じて事態を解決することを強く求めます。」
と語ったそうだ。

 一見、日本政府が毅然とした態度で望み、悪化するばかりのビルマ情勢の早期解決のため
に民主主義国家として当然の影響力を行使しているかのようにみえる。
 
 しかし、ちょっと待てよ。これまでの日本外交は軍事政権を擁護しているとしか見えなかった。
(日本外交がビルマ民主化の足を引っ張ってきたことについての拙稿)

 今回の反政府抗議デモが全国各地に広がり、9月始めに軍政は僧侶たちの平和的なデモに
対し催涙弾を使ったりして僧侶を逮捕するなどの強権的な措置を取っている。24日には10万人
規模の抗議デモが僧侶を中心にヤンゴン市内で実施された。1988年のから数えると実に19年
ぶりの大規模な反政府抗議行動となった。この日、パンキムン国連事務総長は武力による鎮圧
を懸念してか、自制の継続を軍政に要請した。それでも日本政府は静観し続けた。
一体何のために?

 在日ビルマ人活動家たちは、8月下旬から外務省前とビルマ大使館前で抗議行動を開始し、
事態を静観するだけの日本政府のあいまいな態度を批判してきた。政府が重い腰を上げて
ビルマ情勢に懸念を表明したのは25日になってからだ。しかも単なる外務報道官談話として。
これが国連常任理事国入りを目指す、責任ある国の人権感覚といえるのだろうか?

 26日は、治安部隊がいよいよ牙をむき出し、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ周辺で抗議デモ
を続ける僧侶たちに向かって発砲。少なくとも3名の僧侶が殺害された。

 高村外相は、長井さん殺害の謝罪をとりつけたことを「成果」であるかのように披露している
ようだが、それで政府としての責任を果たしたといえるのか。抗議デモを取材中の長井さんが
治安部隊によって殺害されたことでようやく日本政府は軍事政権はとんでもない輩だと目を
覚ましたとでもいうのだろうか。

 1962年に軍事クーデターでビルマ国軍が政権を奪ってから45年。1988年の全国的な民主化
運動を、情け容赦なく弾圧して数千人の市民や僧侶を殺害。現在の軍政となってから早19年。
血塗られた軍事政権をわずか数ヶ月後、国民に問うことなく国名を「ビルマ」から「ミャンマー」
に変更した軍事政権を、国連加盟国の中で真っ先に承認したのは日本政府だった。
外務省のホームページには以下のように堂々と書かれている。

 「1988年9月の国軍による全権掌握後、1989年2月現政権が客観的に見て政府承認を行う
ための国際法上の要件を既に満たしていると判断するに至ったため同政権を承認した。」

 だが、本当の承認理由は、2月下旬に行われた昭和天皇の葬儀(実質的には国葬だが、
そう呼ばないのは変だ)に、軍政代表を参列させるためだった。

 この事実は歴史の汚点として残された。

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