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Buddhism Meditation Center 仏 教 瞑 想 道 場 (04-7093-3438)
お寺 de 「こころ」の相談室
[社会福祉法人 立正福祉会 すこやか家庭児童相談室]

【悩むまえに簡単な心理テストで心のかたちを知りましょう】

○問診票をチェックしてあなたの心の形を知ろう○
自分の性格を知っていれば恐れるものはありません
◇どうぞ心のかたち問診票へ◇

【仏教瞑想やヨーガ瞑想は心身を健やかにする】
近ごろの僧侶には耳の痛いことですが、瞑想は心身を健やかにするのです。お経を読むことや、じっと座ることは、自分の「こころ」と向き合うことですから、とくに「こころ」は落ち着き、さらに身体が健やかになる。

日常の私たちは忙しく心身を酷使していますね。そんなとき周囲を忘れて、自分の「こころ」と向き合うと、【見ている自分・見られている自分】の関係があなたを健やかさの世界へと導きます。
(「こころ」の形を知りましょう―どうぞ問診票へと―)

○23回から29回までカウンセリング研修会はDVDで販売しております。○
◆第24回カウンセリング研修会◆「「こころ」をコントロールする」―心の探究法としての仏教―
◆第25回カウンセリング研修会◆「信仰心と首尾一貫性感覚について」―健康的な心を獲得するために―
◆第26回カウンセリング研修会◆「ストレスとカウンセリング」―なぜ辛いことがいやか―
◆第27回カウンセリング研修会◆「臨床から見た「こころ」について」―具体的な「こころ」とは―
◆第28回カウンセリング研修会◆「カウンセリングの実際について」―東大式エゴグラムの使い方―
◆第29回カウンセリング研修会◆「カウンセリングと信仰について」―本年度の研修を総括する―
(過去の講演はDVDに記録し、1講演分\2.000円にて販売中)

◇現代人は心の専門家を求めている◇
 このごろのマスコミ報道や新聞紙面では、カウンセラーや精神科医が引っ張りだこになっている。それは私たちの一般的な常識では理解できない出来事に対して、心の専門家としての見解が求められているからであろう。

 ところで、カウンセラーや精神科医などの心の専門家は、当然のことながら心というものをよく知っている。心というものに興味を持ち、心を探究したからこそ心の専門家になった。
 では心の専門家は、どのような理由で心というものに興味を持ったのか。たとえば、普段私たちの身体が健康なときに、胃や心臓のことなど気に留めないが、一旦、体調が悪くなると、何となく胃が重い、心臓が気になるなど、胃の場所や心臓の場所に注意が向く。

 それと同じように、私たちは心の不全感があるとき、心の状態を意識するようになる。つまり、家庭内での親子関係や、日常生活の人間関係などに息苦しさやストレスを感じている場合には、やはり心の存在、心そのものへと常に注意が注がれ、あれが悪いのではないか、これが原因ではないのかなどと、その不全感を意識するようになる。

 いい方を変えれば、自分自身の悩みという心の声に耳を傾けたからこそ、心の専門家になれた。心の不全感によって自分の心の形に興味を抱き、そして、その心の勉強を通じて、自分自身の悩みや、心の重さや息苦しさなどの不全感を克服した結果、自分自身が癒されたからこそ心の専門家となった。
 こう考えると、いま世間ではカウンセラーなど心の専門家が、いろいろなところで引っぱりだこだったり、巷のカルチャーセンターなどでもカウンセラーの講座が大流行なのは、これは現代人の多くが心の不全感によって苦しんでいるからだといえる。

 ではどうして、これほどまでに心の不全感に悩む人たちが巷に溢れていても、心理学やカウンセラーばかりもてはやされるのでしょうか。なぜ仏教という宗教、瞑想や唱題行などの信行が、悩める人々の心に浸透しないのでしょうか。難しいことですが考えてみると、それはカウンセラーや精神科医が心の専門家になったように、僧侶自身が自分の生き方に悩み、傷つきながら、自分自身の心の不全感に気づき、そして、その不全感を日蓮聖人の信仰によって、克服する道のりを歩んでいないからだといえる。

 悩みを抱いている方々はとてもデリケートです。相談する僧侶が、自分の悩みを分かちあえる人種であるか否かを敏感に察知する。怖いことに気づいてしまいました。日蓮聖人の教えを生かすも殺すも、私たち僧侶の生き方一つ、日蓮聖人は「お題目の価値は誰にでも平等ですが、お唱えする人の心が法華経に背けば差別がある」(『松野殿御返事』意訳)といいます。まさに人によって法は尊しです。現代人は今、心の専門家を求めております。お寺や僧侶が悩む人々の居場所にならなければ、日蓮聖人の信仰は正しく伝わらない。