
【書 評】
著者の影山師は、平成十五年に日蓮宗の公認の遠寿院行堂を宗門が慰留したにもかかわらず独自開堂させた首謀者の一人として、前岩間宗務総長から非行申告されるなど、宗内で物議を醸しだした人物である。師の名誉のために非行申告の事実関係にふれておけば、師への非行申告に際して前総長が査問を行わなかったため、当の前総長ご本人が宗制違反に抵触する自体になるなど、昨年末には審査会で不受理となって非行申告すら成立しなかったというのがことの顛末である。
さて、この書であるが、副題の「日蓮宗加行所をめぐる戦後六〇年の光りと影」を目の当たりにしてお気づきの方もあろうが、昭和二十二年の遠寿院行堂からの脱走事件に始まり、同二十四年の身延行堂開設、同四十九年法華経寺行堂開設、またなぜ遠寿院行堂が単独開同しなければならなかったのか、その経緯を日蓮宗報などの一次資料をもとに明らかにしている。この意味でこの書は、宗門的に「禁断の書物」なのである。前内局は、この書が刊行されるや否やその内容を検閲したようだが、それが事実にもとづくため告発できないと知ると、黙りの戦術によって一切を無視すれば、誰にも気づかずに通り過ぎてしまえばよいと思っていたようだ。
だがいままで宗内では、ここまで日蓮宗加行所の隠された歴史を精査し、かつクローズアップしたものはなく、およそ読者は読み終えたときに、本書の題名ではないが「日蓮宗とは何か」を考えさせられるはずである。この書は過激ではあるが重要な問題を指摘しており、無視して通り過ぎられるようなものではない。まさに「禁断の書物」と呼ぶにふさわしい。
往々にしてこの種の告発文は醜聞を風評するのが常であるが、師のそれは醜聞どころか、日蓮宗宗報に掲載された「宗会の議事録」から、当時の宗会議員にその事実を語らせるという文体によって、非常に説得力のあるものに仕上げているのである。
影山師はその書ので次のように指摘する。「もし宗門人が、単独開堂する遠壽院行堂と、日蓮宗加行所としての法華経寺行堂の二つ行堂の存在を正しく理解しようとするならば、遠壽院行堂はその歴史と伝統という伝承される相伝の系譜が、加行所の開設と伝師の存在を要請し、それを許していることを知るべきである。そして、日蓮宗加行所(法華経寺行堂)とは、戦後の昭和二十六年四月三日に公布された新宗教法人法の下に、包括法人としての宗教法人日蓮宗が制定したところの、日蓮宗宗制によって規定された教育機関としての加行所であり、その開設と伝師の存在は宗制に則り要請されているものであると知るべきである」と。
本当に現行の日蓮宗加行所は相伝なき行堂なのだろうか、さらには宗教法人日蓮宗は、本末解消をしたために日蓮聖人の信仰を継承していない単なる行政団体であって、もはや宗教団体ではないのだろうか、と否応なしに考えさせられるだろう。
【書 評】
著者の影山師は、前日蓮宗現代宗教研究所主任であり、現在は日蓮門下の祈祷根本道場である遠壽院大荒行堂副伝師でもあるという宗門では異色の人物である。一昨年は『日蓮宗とは何か』ー日蓮宗加行所をめぐる戦後六〇年の光りと影ーと著し、宗門の加行所問題に一石を投じたことは記憶に新しい。
さて、本書であるが、副題の「止観と心理療法、仏教医学」を目にしてお気づきの方もあろうが、これは仏教の基本的な修行法である「天台止観」に、科学的なアプローチをおこなった画期的な書で、300頁に及ぶ力作である。
著者はプロローグで「仏教学が仏教を適正に理解できない理由は、哲学的な思惟と具体的な身体性が対応していないからである」と言いきり、仏教を単なる思想信条として見るのではなく、あくまでも仏教を宗教として追求する姿勢をつらぬこうとする。
それはなぜかといえば、「もともと仏教の学問所は檀林と呼ばれ、そこでは自宗の教義や経典を学ぶ宗乗と他宗のそれを学ぶ余乗が義務づけられ、その一方で僧堂における着衣喫飯の修養生活が行われていたために、そこでは学んだ観念的な知識に身体性が付加されて宗教的な情操が育ったからである」といい、現代の僧侶の学びのあり方、伝承性の欠如を指摘する。
それは何を意味するのだろうか。現在、私たちは宗内にあって宗教的な権威性を日蓮教学などの学問におき、勧学院を中心とする教授陣にその思想信条が教授されるが、果たしてその思想信条を学ぶことでそれで宗教といえるのかということである。僧侶として資質はその立ち居振る舞いの「おこない」にあるのではないか、というのである。
著者はつづけて、これまで仏教を理解しようとすれば、それは当然のように仏教のもつ思想信条を仏教学の知見に照らし、哲学的な思惟によって行われるだけであった。現代における仏教学の趨勢は、純粋理性による哲学的な思惟がその中心的な課題で、まさに理性の文化そのものであり、その思惟の対象となるのは観念的な意識の内容だけであった。そのような理性の文化に支えられた仏教学は、仏教の観念的な思想信条を明らかにすることは出来るとしても、仏教の根幹をなす機能的な側面(悟り)を理解するには甚だ不都合と言わざるを得ない。なぜなら、悟りとは『からだ』を通じた身体技法の修練『おこない』によって誘導された三昧状態による体験であって、無分別の状態を獲得した結果だからである。
この意味では現代仏教学は身体性を喪失した理性的な文化の産物であるため、釈尊の悟りばかりではなく、その悟りにつながる三昧の状態に誘導する『おこない』としての修行法の作法とその実際までも、適正に理解するすべを探しあぐねているのである。それはまさに哲学的な思惟に具体的な身体性がともなっておらず、仏教用語に身体性が即していないからである。(エピローグより)
本書はこのような著者の視点から次の項目から論を展開する。それは著者自身の実際の修行体験に裏づけられており、科学的な解説には説得力がある。また本論では加持祈祷の根幹をなす『摩訶止観』第九章「治病患」の詳細な解説を試みている。本宗修法師の必読の書でもある。
◇プロローグ
○日本人の宗教的な気分について
○日本人の宗教的な感性の分岐点となったオウム真理教事件
○江戸時代と明治時代の文化の断絶について
○感性の文化と理性の文化のリアリティーについて
○アカデミックに感性の文化を理解するために
第一章 修行法を現代の諸学から理解する試み
1 証悟を解説する『摩訶止観』に見える修行法のオリジナル
2 『天台小止観』に見える修行法の作法とその実際
第二章 『天台小止観』と自律訓練法の比較
1 自律訓練法のプロセスの概観
2 『天台小止観』と自律訓練法の四つの分類との比較
第三章 止観業実習における生理学的な評価
1 修行者の修行法の深化に対する自己評価
2 実習者の修行法の深化に対する生理学的な解説
第四章 天台止観に見られる身体観
1 身体観の必要性
2 中国的な身体観とインド的な身体観
3 律蔵経典群にみえるインド仏教医学の病因論「四大」
4 天台大師の身体観
5 天台大師の身体観をふまえて修行法を解説
第五章 気の生理学の電気生理学的なアプローチ
1 電気生理学的なアプローチの方法論
2 気の生理学に皮膚の電気生理学的な実験からアプローチ
◇エピローグ
○新興宗教の繁栄から見えるもの
○寺院社会の司祭階級化について
○家族制度と家の宗教の崩壊について
○核家族化と個人の宗教について
○伝統教団の布教教化のあり方
○データから見た伝統教団の危機的な状況について
○宗教的な親和性について
○最後の最後として
◆プロローグとして「宗教的な感性について」
現代の日本社会では、明治維新後の宗教弾圧(幕藩体制解体のため、寺社上げ地令に始まる一宗一管長制などの宗教統制)を端緒として、また戦中戦後の宗教人解体と再統合、とくに戦後60年の歩みによって日本の宗教界は大きく変化し、社会的に「宗教とはいったい何か」ということが問われている。
その晩年の書『空飛ぶ円盤』(朝日出版社 1991年)なかで、神秘現象と神秘体験とは、まったく別の次元のことである、といったのは、ご存じのようにC・G・ユングである。それと同様に「宗教的にみえることと、宗教的であること」とは、まったく別の次元のことである。
何がいいたいかといえば、現在アカデミックな意味で、この「宗教的にみえることと、宗教的であること」の区別ができていない事実がある。つまり「宗教的にみえるから、宗教的である」「宗教的にみえないから、宗教的でないとはいえない」ということである。
アカデミックな意味で、宗教が思想信条によって解説されているからといって、それが宗教的であるかどうかがわからない、ということである。それは仏教学や宗教学も同様である。じつは宗教観対話というファクターが必要な理由もここにある。
とくに発題の「救済」を論じようとするとき、救済が「救い助けること、救助」(『広辞苑』第五版)という具体的な「おこない」を意味する以上、それだけでも単なる思想信条によって観念的に解説できないことに気づく。
このため研究方法を限定して、どのようにしたら思想信条を離れ、客観的な考察が可能になるかと考えた。その研究方法は二つ、一つは宗教的にみえるヒトたちへの生理心理学的なアプローチ、これによってそのヒトたちの宗教的な状態が評価でき、およその傾向を理解することが可能になる。もう一つは文化史的事実の積みあげである。事実としての事例を拾いあげて、論ずる方法である。今回は後者の方法によって論及した。
<論題:仏教にみる救済について>
これから「仏教にみる救済について」、律蔵群の事例を拾い上げながら眺めてゆきたい。 そこにみえるインドの自然環境は現在のインドとほとんど変わらないように思える。私事になるが、この一〇年ほど毎年インドへと巡礼に出かけている。とくに五月六月真夏の乾期に出かけると、外気は体温を超え四〇度の酷暑に出くわす。さらに七月八月の雨期の到来と共に暑さはしのぎ易くなるが、湿度が高くなるために蚊やネズミなどが媒介する伝染病から、食中りなどによる吐き下しには細心の注意がいる時期である。
1 仏教教団における医療のはじまり
その当時、インドの仏教教団がどのような形で医療を求めたかといえば、丁度、乾期の猛暑から雨期へと、梵行乞食する比丘たちは体力をすり減らし、秋時になって風病(秋時病)になったからである。
古典医学書によれば、真夏の酷暑、それに続く雨期の寒さによって、秋季になると空が雲におおわれ、地は水によって潤はされ、消化の火が阻害されて消化不良を起こすようになるという。雨季の寒さに慣れていた体が、秋季になって急に太陽光線によって暖められると、蓄積していたピッタ(胆汁素・火大)によって、たいてい不調をきたしピッタ性の疾病となる。
そのため釈尊はその時代のインド医学の知識に従い、薬効食の規定を律藏の中に取り入れ、発病した梵行乞食の比丘たちの治療やその予防を積極的に行ったのである。これが仏教教団における医療のはじまりである。
◇『摩訶僧祇律』巻第十六(大正二二 三五一C)
「明單提九十二事法之五」
次佛住舎衞城。爾時有比丘在聚落中夏安居訖。来詣舎衞。欲禮覲世尊。時有檀越。在聚落中作福舎。(中略)比丘食已。而出風病發動。
2 四大に支えられた病因論について
そして、その治療に対する病因論はといえば、『摩訶僧祇律』に「病には四大に相応しそれぞれに百一の病があり、全体で四百四病がある。風病は油・脂、熱病は酥、水病は蜜、雑病は油・脂、酥、蜜などの三種薬を用いる」とあったように、地大・水大・火大・風大の四大の理論であった。このように漢訳文献にみられる四大の理論によるに病因論は、現代の目で見ればまことに未熟に感ずるが、それはいま再評価されているアーユル・ヴェーダ医学のトリ・ドーシャ(三大の理論)と同様の病因論である。
釈尊はその時代の病因論である四大の理論を駆使して病気というもの、身体のあり方、そのフィジカルな生命(いのち)を理解していたことが分かる。その時代の医学的な知識によって理解していたのである。
◇『摩訶僧祇律』巻第十(大正二二 三一六C)
「明三十尼薩耆波夜提法之三」
病者。有四百四病。風病有百一。火病有百一。水病有百一。雜病有百一。若風病者。當用 油脂治。熱病者當用酥治。水病者。當用蜜治。雜病者當盡用上三種藥治。
3 仏教教団の治療法について
さらに仏教教団では、この四大の理論による病因論を前提にしながら、次のような医療が具体的に行われていた。「薬効食としての食事のコントロール」が行われている。『摩訶僧祇律』に「風病は油・脂、熱病は酥、水病は蜜、雑病は油・脂、酥、蜜などの三種薬を用いる」とあった通りである。
「五種類の基本薬」として、教団内ではこれを「七日薬」と称して僧侶が携帯することを許している。五種類の基本薬とは熟酥・生酥・油・蜂蜜・糖蜜の五つである。さらにこの五種類の基本薬に加えて、「七種類の追加薬」が追加される。僧侶の病気によって薬効食が新たに追加されたのである。追加される薬効食のリストは、脂肪・根薬・煎薬(渋薬)・葉薬・果実・樹脂薬・塩の七種類である。
◇『摩訶僧祇律』「明四波羅夷法之三(盗戒之餘)」(大正二二 二四四C)
七日藥者。酥油蜜石蜜脂生酥。酥者。牛水牛酥?羊?羊酥駱駝酥。油者。胡麻油蕪菁油。黄藍油阿陀斯油。菎麻油。比樓油。比周縵陀油迦蘭遮油。差羅油阿提目多油。縵頭油大麻油。及餘種種:油。是名爲油。蜜者。軍荼蜜布底蜜黄蜂蜜黒蜂蜜。是名爲蜜。石蜜者。槃?蜜那羅蜜縵闍蜜摩訶毘梨蜜是名石蜜。脂者。魚脂熊脂羆脂修修羅脂豬脂。此諸脂無骨無肉無血無臭香無食氣。頓受聽七日病比丘食。是名脂。生酥者。牛羊等諸生酥。淨漉洗無食氣。頓受聽七日病比丘食。此諸藥清淨無食氣。一時頓受得七日服。故名七日藥。
◇『摩訶僧祇律』巻第三(大正二二 二四五B)
「明四波羅夷法之三」
酥瓶油瓶石蜜瓶。根莖枝葉果等諸藥。
しかし、これらは薬効食とはいっても、その効能は病気の治療目的というよりは病気の予防目的(未病の治療)という程度のものである。そこで実際に病気になった僧たちには、実際の治療が行われている。律蔵群には十種類の治療が行われている。皮膚病・非人病・眼病・頭痛・風病・足のひび割れと履き物・蛇に咬まれた傷・風病・黄疸・熱病・痔の十種類である。
4 治療の実際と釈尊の受容について
ところで、このような実際の治療にあたって、釈尊は医師が指示した医療を何でも無条件には受け入れていない。「非人病」については、『摩訶僧祇律』では、医師が許した「人血を飲むことも、乃至、人髄等の全て」の服用を禁止しているが、人肉以外の動物の血肉の服用は許している。『十誦律』では周囲の人に見えない屏処という条件付だが血肉の服用を許し、『四分律』ではインドで聖なるものとして扱われる牛の血肉の服用すら許しているからである。これはその時代の医療をおおよそ認めている事例である。
また「痔」では、癰?・?等などの諸病では刀による切開手術を許しているが、大便道(肛門)への刀による切開手術を固く禁じている。それは大便道などの愛処が他見に及ぶことだけではなく、そこが急所であるために、切開することで致命的な結果を招く恐れがあるからである。愛処とは穀道と呼ばれ、大便道(後道)と秘部の周囲二指の間の部分であり、切開すれば死にいたる可能性の大きい急所である。これはその時代の医療を禁じている事例である。
◇『摩訶僧祇律』巻三十二(大正二二 四八六C)
「明雜跋渠法之十」
時有比丘黄病。醫師言。尊者服人血者可差。若不服者便死。更無餘方。時有人犯王事。反縛兩手著迦毘羅華鬘。打鼓唱令詣其刑處。比丘至魁膾邊作是言。長壽。施我人血飲。魁膾言。若欲食肉亦當相與。何況血耶。即坐罪人在地。以刀刺兩喉脈出血。比丘兩手承取血飲。爲世人所嫌。此非比丘。是?人鬼。即以瓦石土塊擲是比丘劣而得脱。諸比丘以是因縁往白世尊。佛言。呼是比丘来。来已佛問比丘。汝實爾不。答言實爾世尊。佛言比丘。此是惡事。愛命乃爾。佛言。從今已後。不聽飲乃至人髓一切不聽。
これらの事例から分かることは、その時代の医療に対して、釈尊が受け入れたり、禁じたりしているその基準が宗教的な思想信条ではなく、実際に僧侶としてその医療を受け入れることが相応しいか相応しくないかということ、そこに出家の目的に合致するか否かの基準がみえている。
5 耆婆の治療と教団のあり方について
それを物語る耆婆の治療と教団のあり方に関わる事例がある。この記述は『根本説一切有部毘奈耶薬事』には記述がないが、また『摩訶僧祇律』では十二種類、『十誦律』と『四分律』と『南伝大蔵経』では五種類、『五分律』では七種類と、病気の種類や数などに若干の異同はあるものの、内容的には耆婆が王族のお抱え医師であり、また信仰者として釈尊の主治医であったばかりではなく、僧たちの医師でもあった。つまり、耆婆の医療は王族と仏教教団内の僧侶に限定されていた。
そのために、一般の民衆が耆婆の医療を受けるには、出家し具足戒をたもち僧侶となる道がある。実際に病気になった者が耆婆の医療を受けるために出家し、こんどは病気が治ってしまうと出家を捨てて還俗した者が多くいたのである。そこで釈尊は教団の統制を図るために、病人へと出家具足戒を授けたものに越毘尼罪を設けている。
◇『摩訶僧祇律』巻第二十四
「明雜誦跋渠法之二」(大正二二 四二〇B〜四二〇C)
爾時有病人。至耆域醫所作是言。耆域與我治病。當雇五百兩金兩張細[疊*毛]。答言。不能。我唯治二種人病。一者佛比丘僧。二王王後宮夫人。病人即向難陀優波難陀房。到已難陀問言。長壽四大調適不。答言。病不調適。我往詣耆域所。以五百兩金兩張細[疊*毛]。雇治病而不肯治言。我唯治二種人病。佛比丘僧王王後宮夫人。難陀言。汝用棄五百兩金兩張[疊*毛]。爲汝但捨二種事。一者捨髪。二捨俗衣。病人言。阿闍梨。欲令我出家耶。答言然。即度出家受具足已。晨起著入聚落衣。到耆域所。作是言。童子。我有共行弟子。病與我治之。答言。可爾。正當持藥往。即持藥。往見已。便識問言。尊者已出家耶。答言爾。讚言善哉。今當爲治。即與藥療治。治已以兩張細[疊*毛]施與。作是言。尊者。於佛法中淨修梵行。受取已即罷道。脱去袈裟著兩張細[疊*毛]。巷中作如是罵言。耆域醫師衆多人子。我雇五百兩金兩張細[疊*毛]。而不肯治。見我出家便與我治反更得[疊*毛]。耆域聞已。心懷悵恨。往世尊所。頭面禮足却住一面。白佛言。世尊。此人蒙我得活反見罵辱。世尊。我是優婆塞。増長佛法故。唯願世尊。從今日後勿令諸比丘度病人出家。爾時世尊爲耆域童子。随順説法。示教利喜。禮足而退。爾時世尊往衆多比丘所。敷尼師壇坐已。具以上事爲諸比丘説佛言。從今日後病人不應與出家。病者。癬疥黄爛。癩病癰瘧痔病不禁。黄病瘧病。謦嗽消盡。癲狂熱病風腫水腫腹腫。乃至服藥未得平復。不應與出家若瘧病者。若一日二日三日四日中間不發時得與出家。若病人不應與出家。若已出家者。不應驅出。若度出家受具足者。越比尼罪。
これは耆婆の医療の社会性についての事例であるが、これによって分かることは、釈尊が世間的に病気を治すことで保たれる生命(いのち)を重視しているのであれば、耆婆に「汝の慈悲心によって医療を施しなさい」と言ったはずである。しかし、実際には病人に具足戒を授けた僧侶に越毘尼罪まで設けて病人の出家を禁じている。つまり、釈尊は世間的な生命(いのち)を超えたところで、生命(いのち)を捉えていることである。
6 仏教教団の治療法の受容について
それを端的にあらわす事例がある。『摩訶僧祇律』によれば、闡陀母という比丘尼が医師のようによく病気を治し、王家・大臣家・居士家から莫大な供養を受けていたという。ところが、釈尊はこの比丘尼の活躍を労うどころか「僧侶が病気を治すこと(活命)」を禁じているのである。とくに「医師のように病気を治す(不得作醫師活命)」と、比丘尼の場合は波夜提、比丘の場合は越毘尼罪という戒法まで設けて禁止しているのである。その理由について、釈尊は「医学(医方)とは外道の教えであって、出家の法ではない」からだという。
さらに出家の法とは大愛道のことであり、大愛道とは釈尊がこれまで語ってき仏教のことだという。仏教教団の目的は、僧侶自らが生死の輪廻を越え、自ら実践したその教えを世間へと伝え広めることにあり、医師のように活命することではないというのである。 ◇『摩訶僧祇律』巻第三十八
「明一百四十一波夜提法之二」(大正二二 五三一A)
佛住拘?彌。爾時闡陀母比丘尼善知治病。持根藥葉藥果藥。入王家大臣家居士家。治諸母人胎病眼病。吐下熏咽灌鼻用針刀。然後持此諸藥塗之。由治病故大得供養。諸比丘尼呵言。此非出家法此是醫師耳。諸比丘尼語大愛道。大愛道以是因縁往白世尊。佛言。喚是比丘尼来。来已問言。汝實爾不。答言實爾。佛言。此是惡事。從今日後。不聽作醫師活命。佛告大愛道瞿曇彌。依止拘?彌比丘尼皆悉令集。乃至已聞者當重聞。若比丘尼作醫師活命波夜提。比丘尼者如上説。醫者持根藥葉藥果藥治病。復有醫咒毒咒蛇乃至咒火咒星宿日月。以此活命如闡陀母者波夜提。波夜提者如上説。比丘尼不得作醫師活命。若有病者得教語治法。比丘作醫師活命者越毘尼罪。是故世尊説佛住拘?彌。爾時世尊制戒不得作醫師活命。有人呼闡陀母治病。比丘尼言。世尊制戒不聽。復言。若不聽者授我醫方。即授與俗人外道醫方。諸比丘尼言。但誦醫方此非出家法。諸比丘尼語大愛道。大愛道即以是事具白世尊。佛言。呼比丘尼来。来已問言。汝實爾不。答言實爾。佛言。從今日後。不聽授俗人外道醫方。佛告大愛道瞿曇彌。依止拘?彌比丘尼皆悉令集。乃至已聞者當重聞。若比丘尼授俗人外道醫方者波夜提。比丘尼者如上説。俗人者在家人。外道者出家外道。授醫方者咒蛇咒毒乃至咒火咒星宿日月波夜提波夜提者如上説。比丘尼不得授俗人外道醫方。不得教語。
7 結語として
これまでの事例の積みあげで明らかになってきたことは、私たちが日常の中で生命(いのち)と呼んでいる生命は、病気を治すことで保たれる生命(いのち)であるのに対して、釈尊は大愛道によって生死を超えたところにある生命(いのち)の獲得を目指しているということである。
そして、こう気づいてみると、仏教教団の医療の目的は、単に活命によって生きながらえるためではなく、僧たちが大愛道を歩み出家の大願を成就するためにフィジカルな生命(いのち)、四大によって構成されている心身(いのち)を養うためであると分かる。 このようにインドにおける釈尊の教団と、その時代の医療との関わりを示す事例を律蔵群から拾い上げてゆくと、仏教の救済のあり方がみえてくる。すなわち、釈尊の教え(大愛道)は、四大によって構成されている心身(いのち)を救済することが目的ではなく、その生死の生命(いのち)を超えた生命の気づきにあることがわかる。
◆エピローグとして「日蓮遺文にみる「こころ」の探究法について」
日蓮宗の僧侶として、日蓮遺文の中にこのような救済のあり方を示している一文がある。『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(お釈迦さまが亡くなられてから五の五百歳に、始めてあらわされた観心と本尊の注釈書)と、長い題名のつけられた「日蓮聖人の心の探究法」である。
「なぜ修行(観心)するかといえば、それは自分自身の心(己心)を観じて、地獄界から仏界(十法界)のあること知る必要があるからだ。当然のことだが、他人の粗ばかりを探していても、自分の姿は見えない。自分の姿を知りたければ、明鏡に自分の姿を映してみることが必要だ。これと同じように、お経文の所々にあなたは菩薩だ、仏だと記述されているが、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡に自分を映して、確かに私の心に菩薩界や仏界があると気づかなければ意味がないのだ。(『観心本尊鈔』意訳)」
(観心之心如何。答曰観心者観我己心見十方界。是云観心也。譬如雖見他人六根未自面六根不見自具六根。向明鏡之時始見自具六根。設諸経之中所々雖載六道並四聖 不見法華経並天台大師所述摩訶止観等明鏡。不知自具十界百界千如一念三千也。『昭和定本』第一巻 七〇四)
一目瞭然である。日蓮は「観心者観我己心見十方界」と述べて、四大によって構成されている心身(自具六根)の中に、生死を超えた生命(自具十界百界千如一念三千)を探究する方法を説いている。
このようなところに、さきの律蔵群の事例から読み取れた仏教の救済のあり方がみえているといえる。
◇プロローグ 現代の宗教現象これが何を意味するかといえば、これら新宗教などの教団が台頭するのは「現代人が無意識裡(本能的)に求めている個人の宗教的なニーズにしっかりと応えている」からであり、現時点でそのニーズが「葬儀・法要の葬祭儀礼」でないことだけは確かである。
ではこのような現代人の求める宗教的なニーズなるものが、いったい何であるかと気づくためには、仏教という宗教の思想的な理解ではなく、まず仏教が切れば血のでる人間の生き様に、どのように関わってきたのかを理解する必要がある。とくにその時代の仏教者が、身体のあり方や病気というものを、どのように捉えていたかを理解する必要がある。 なぜなら、それらのあり方は、仏教という宗教の信行生活が、どのようなものであったかを理解するために、どうしても見過ごすことのできない事柄であるからである。それによって始めて、仏教という宗教がもっている機能的な側面が理解でき、それと同時に現代人の宗教的なニーズに気づくことができるからである。
これから「『南海寄帰内法伝』に見える病因論について」と題して、その時代の仏教者が、どのように身体のあり方や、病気というものをどのように捉えていたか、文化史的な観点から考察を加えてみたい。
1 日蓮聖人のご遺文に見られる医療について
日蓮聖人のご遺文を拝読すると、その宗教的な思想性ばかりではなく、その時代の文化史的な情報を知ることができる。
まず日蓮聖人が身延山で講義された折りに、使用されたであろう図録に『五行事』がある。(『昭和定本』第四巻 二九一八頁)
○木 不殺生戒
肝臓 眼根 酢味 東方 青色 春 青雲 魂 歳星
○火 不飲酒戒
心臓 舌根 苦味 南方 赤色 夏 赤雲 神 ?惑星
○土 不妄語戒
脾臓 身根 甘味 中央 黄色 土用 黄雲 意 鎭星
○金 不偸盗戒
肺臓 鼻根 辛味 西方 白色 秋 白雲 魄 大白星
○水 不邪淫戒
腎臓 耳根 鹹味 北方 黒色 冬 黒雲 志 辰星
この図録は一見すると何やら占いのたぐいにようであるが、これはその時代の医療が病症や治療方針の基準とした「陰陽五行色体表」に相当するものであり、これによって日蓮聖人が、その時代の五行思想にもとづく医学的な知識を理解していたことが分かる。
また次に挙げる二つのご遺文には、その時代の医療に関する情報が具体的に示されている。
まず『聖人御難事』には「我等現には此大難に値とも後生は仏になりなん。設ば灸治のごとし、当時はいた(痛)けれども後の薬なればいたく(疼)ていたからず」(『昭和定本』第二巻 一六七四頁)とあり、『治部房御返事』には「而ども日蓮が法華経を弘通し候を、上一人より下万民に至まで御あだみ候故に、一切の神を敬ひ一切の仏を御供養候へども、其功徳還て大悪となり。やいと(灸治)の還て悪瘡となるが如く、薬の還て毒となるが如し」(『昭和定本』第二巻 一八八二頁)とある。
これを整理すると、この『聖人御難事』『治部房御返事』の二つには、「お灸のその時の痛さは、その後の薬となる」こと、「お灸の跡が化膿するには、薬が毒となる」ことと、それぞれのお灸治療の効能をなぞる形で教えが示されている。
『日本医学史綱要』によれば、この鎌倉時代には、平安期に丹波康頼によって撰述された『医心方』全三十巻(九八二年)の医学が流布しており、『黄帝内経』(『素問』『霊枢』)などに見られる陰陽五行説を基礎とする、本草、薬性、鍼灸、養生、服石、房内、餌食などの医療が行われていたという。
(『日本医学史綱要』1 平凡社刊 東洋文庫二五八 六一頁)
これらのことから、日蓮聖人が活躍された鎌倉時代(十三世紀)の医療は、おおよそ現代にいうところの漢方医学であり、日常生活の中では、そのうちの灸治が養生法として広く普及していたことをうかがい知ることができる。
また晩年の『中務左衛門尉殿御返事』には「夫れ人に二病あり。一には身の病。所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上、四百四病。此の病は治(持)水・流水・耆婆・扁鵲等の方薬をもつて此れを治す。二は心の病、所謂三毒乃至八万四千の病也。仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし。何に況んや神農・黄帝等の力及ぶべしや」(『昭和定本』第二巻 一五二三頁)と、
『富木入道殿御返事』には「夫れ人に二の病あり。一には身の病、所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一。已上、四百四病也。此病は設ひ仏に有ざれども治之。所謂治水、流水、耆婆、扁鵲等が方薬此を治するにいゆて愈(癒)ずという事なし。二には心の病、所謂三毒、乃至八万四千の病也。此病は二天、三仙、六師等も治し難し。何に況や神農、黄帝等の方薬及ぶべしや」(『昭和定本』第二巻 一五一七頁)と、ほぼ同様の記述があり、「身体の要素には地大・水大・火大・風大の四大があります。そして、地大の要素の病気に百一、水大の要素の病気に百一、火大の要素の病気に百一、風大の要素の病気に百一があり、四大で四百四の病気があります」と説明している。
さきは灸という漢方医学の養生法であったが、この四大や四百四病はどのような医学なのかと注目すると、その引用文中に耆婆や扁鵲の記述がある。耆婆とは、ジーバカと呼ばれるお釈迦さまの主治医で、その時代のインド医学の権威者であり、また扁鵲とは、中国古代の名医を指す名前で、上古の神医、周秦時代の名医を扁鵲と呼びならわしたという。(『古代インドの苦行と癒し』一七四頁 時空出版 一九九三年、『道教事典』五三〇頁 平河出版社 一九九四年)
これを整理すると、日蓮聖人は、耆婆について、
さきの遺文以外には『可延定業御書』「阿闍世王は御年五十の二月十五日、大悪瘡身に出来せり。大医耆婆が力も及ばず、三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき」(『昭和定本』第一巻八六一頁)や、
『守護国家論』「常啼・班足・妙荘厳・阿闍世等は曇無竭・普明・耆婆・二子・夫人に値い奉りて生死を離れたり。此れ等は皆大聖也。仏、世を去って之後、是の如き之師を得ること難しと為す」(『昭和定本』第一巻一二三頁)などに記述があり、耆婆がインド医学の医師であることを知っている。
また扁鵲についても、『妙心尼御前御返事』に「入道殿の御所労の事。唐土に皇帝・扁鵲と申せしくすし(薬師)あり、天竺に持水・耆婆と申せし人はこれにはにるべくもなきいみじきくすし也」(『昭和定本』第二巻 一一〇二頁)とあり、扁鵲が古代中国(唐土)の医師であり、耆婆がインド(天竺)の医師であることを明確に知っていることが分かる。
しかし、この四大や四百四病と、インドの医師・耆婆と中国の医師・扁鵲とを同列に扱っていることで、日蓮聖人はインド医学と中国医学の違いを明確に理解されていなかったことが分かった。後述するが、四百四病は、地大・水大・火大・風大という四大にもとづくインドの仏教医学の病因論による病気の総数である。
2 四大にもとづく四百四病について
では、日蓮聖人のこの四大にもとづく四百四病の記述「一には身の病、所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一。已上、四百四病也」を、どこでどのように学んだのだろうか。
周知のように日蓮聖人は、修学の過程で天台宗の根本道場である比叡山にのぼったばかりではなく、ご自身の信仰の正統性示すために、外相承として三国四師を挙げ、とくに天台智大師を高く評価し、天台大師の典籍によって、法華思想史上の正統系譜としている。(『日蓮辞典』一七六頁 東京堂出版 昭和五十三年)
ここで天台大師の典籍の中で『摩訶止観』『天台小止観』など止観業に関する文献を検索すると、四大に基づく四百四病の具体的な記述は、『天台小止観』「治病患第九」と、『釋禅波羅蜜次第禅門』「第四明治病法」に見られる。
◇『天台小止観』「治病患第九」には
(大正四六 四七一B)
行者安心修道。或四大有病。因今用觀心息鼓撃發動本病。或時不能善調適身心息三事。内外有所違犯故有病患。夫坐禪之法若能善用心者。則四百四病自然除差。若用心失所。則四百四病因之發生。是故若自行化他。應當善識病源善知坐中内心治病方法。一旦動病非唯行道有障。則大命慮失。今明治病法。中有二意。一明病發相。二明治病方法。一明病發相者。病發雖復多途略出不過二種。一者四大増損病相。若地大増者則腫結沈重身體枯瘠。如是等百一患生。若水大増者。則痰陰脹滿食飲不消。腹痛下痢等百一患生。若火大増者。即煎寒壯熱。支節皆痛口氣大小便痢不通等。百一患生。若風大増者則身體虚懸。戰掉疼痛肺悶脹急。嘔逆氣急如是等。百一患生。故經云。一大不調百一病起。四大不調四百四病。各有相貌。當於坐時及夢中察之。
『釋禅波羅蜜次第禅門』「第四明治病法」には
(大正四六 五〇五B)
行者既安心修道。或本四大有病。因今用心。心息鼓撃。發動成病。或時不能善調適身息心三事。内外有所違犯。故有病發。夫坐禪之法。若能善用心者。則四百四病。自然差矣。若用心失所。則動四百四病。是故若自行化他。應當善識病源。善知坐中内心治病方法。若不知治病方法。一旦動病。非唯行道有障。則大命有慮。今明治病法中。即爲二意。一明病發相。二明治病方法。病發雖復多途。略出不過三種。一者四大増動病相。二者從五臟生病。三者五根中病。略明四大病者。地大増故。腫結沈重身體枯瘠。如是等百一患生。水大増故。痰[病-丙+陰]脹滿。飲食不消。腹痛下利等。百一患生。火大増故。煎寒壯熱支節皆痛口爽大小行不通利等。百一患生。風大増故。虚懸戰掉疼痛轉筋嘔吐嗽氣急。如是等百一患生。故經云。一大不調。百一病惱。四大不調。四百四病一時倶動四大病發。各有相貌。當於坐時及夢中察之。
「四大によって病気になるのは、もしも地大が増えると、腫結・沈重・身体の枯瘠するなど、百一の病気が生ずる。また水大が増えると、痰?・脹満・飲食が消化せず・腹病・下痢など、百一の病気が生ずる。また火大が増えると、煎寒・荘熱・節々が痛み・口内炎・鼻がつまり・大小便の通りが悪くなるなど、百一の病気が生ずる。また風大が増えると、身体の虚懸・戦掉・疼痛・痒悶・脹急・嘔吐・嗽逆・気急するなど、百一の病気が生ずる。経文には、一大が不調ならば、百一の病悩があり、四大が不調ならば、四百四の病気が一度に生ずる」とある。
◇また『摩訶止観』には
(大正四六 一〇六A)
委細如體治家説。若身體苦重。堅結疼痛。枯痺痿瘠。是地大病相。若虚腫脹?是水大病相。若舉身洪熱骨節酸楚。嘘吸頓乏。是火大病相。若心懸忽?。懊悶忘失。是風大病相。
「身体が苦重になり、堅結し疼痛し、枯痺し、足が痿て、瘠るのは、地大の病相である。また虚腫し脹?するのは、水大の病相である。また身を挙げて洪熱し、骨節酸楚し、嘘吸頓乏するのは、火大の病相である。また心懸けて、忽?し、懊悶し、忘失するのは、風大の病相である」(大正四六 一〇六A)と、四百四病の記述はないが、『天台小止観』に見える四大の病が具体的に示されている。
おおよそ以上のことから、日蓮聖人の四大にもとづく四百四病の記述は、『天台小止観』や『釋禅波羅蜜次第法門』からの引用ではないかと思われる。
そしてまた、日蓮聖人がインド医学と中国医学の違いを、明確に理解されていなかったのは、『摩訶止観』「第七正修止観」「第三観病患境」には、さきの四大の病相の前後に、その時代の医学書の基本となる『黄帝内経』(『素問』『霊枢』)、その病因論である陰陽五行説に支えられた「五臓の病相」に関する記述が、「肝(臓)の病相とは、顔に光沢がなく手足に汗をかかずに乾いたようになる。また肝臓(木性)の上に白いもの(金性)がある(金性が木性を克す)ときには、澄んだ目が赤くなって痛むようになる。また脈は緩慢となり目が白くかすむようになる」(大正四六 一〇六B)と示されており、天台大師はその時代の陰陽五行説に支えられた医学と、インドの仏教医学を折衷して理解しており、文献的な記述ではそれぞれを明確に分けずに、かえってインドの仏教医学の病因論である四大と、仏教の概念である五塵や五根の概念を、中国における陰陽五行説に支えられた医学へと取り込んでいたため、であると思われる。
◇『摩訶止観』
(大正四六 一〇六B)
又面無光澤手足無汗。是肝病相。面青葩是心病相。面梨黒是肺病相。身無氣力是腎病相。體澀如麥糠是脾病相。若肝上有白物令眼睛疼赤脈曼成白翳。或眼睛破或上下生瘡。或觸風冷涙出。或痒或剌痛。或睛凹觸事多瞋。是肺害於肝而生此病。可用呵氣治之。
とくにこのような『摩訶止観』に見られる中国医学の知識と、インドの仏教医学の知識との折衷に当たって、天台大師は『大智度論』に見えるインドの仏教医学の知識を依用しているという安藤俊雄先生の指摘がある。(『大谷大学研究年報』二三巻所収「治病方としての天台止観」 一九七〇年)
3 天台大師が学んだインドの仏教医学について
では『天台小止観』や『釋禅波羅蜜次第法門』などに見られる「経文には、一大が不調ならば、百一の病悩があり、四大が不調ならば、四百四の病気が一度に生ずる」という経文の引用など、天台大師はインドのナーランダ大僧院などへの留学どころか、中国内から足を踏み出したことはなかったはずであるから、一体どのような文献によってインドの仏教医学の実際を学ばれたのだろうか。
天台大師が活躍した六世紀以前に訳出され、インドの仏教医学に触れている文献を四大や四百四病で検索すると、次の文献が見えてくる。
まず三世紀頃に訳出された『修行本起經』「人には四大がある。この地大・水大・火大・風大に百一病があり、それぞれがいろいろ関わって四百四病が一度にずる」や、『仏医経』「人にはもとより四つの病気がある。地大・水大・火大・風大がそれである。風大は気が起きることによって増大し、火大は熱によって増大し、水大は寒によって増大し、そして、地大(土)は力によって盛んになる。この四大によって四つの病気があり、四百四の病気が生起する」がある。
◇『修行本起經』には
(大正三 四六六C)
人有四大。地水火風。大有百一病。展轉相鑽。四百四病。同時倶作。此人必以極寒極熱極飢極飽極飲極渇。將節失所。臥起無常故致斯病。
◇『仏医経』には
(大正一七 七三七A)
人身中本有四病。一者地。二者水。三者火。四者風。風増氣起。火増熱起。水増寒起。土増力盛。本從是四病。起四百四病。
また五世紀に訳出された『摩訶僧祇律』「病気には四百四病がある。風病に百一あり、火病に百一、水病に百一、雑病に百一がある。そして、風病の治療には油・脂を用い、熱病には酥を用い、水病には蜜を用い、雑病にはそれら三種薬を用いる」である。
◇『摩訶僧祇律』には
(大正二二 三一六C)
病者。有四百四病。風病有百一。火病有百一。水病有百一。雜病有百一。若風病者。當用油脂治。熱病者當用酥治。水病者。當用蜜治。雜病者當盡用上三種藥治。
この三つの文献はいずれも、『天台小止観』や『釋禅波羅蜜次第法門』の四大に関する引用と相応しており、とくに『摩訶僧祇律』はよく相応している。おおよそこれらの文献あたりが、天台大師が学ばれた文献であろうと思われる。
4 天台大師の仏教医学について
『天台大師の五種の修行論に見られる「観病患境」』
では、天台大師の身体観とはどのようなものなのか。その最も晩年の撰述である大部の『摩訶止観』から、病気(病患)という身体性に直接かかる記述を抜き出し、それを『天台小止観』、『六妙法門』、『禅門修証』、『禅門口訣』などの修行論に見られる病気(病患)と比較対照して、おおよそ天台大師三〇才代から晩年までの身体観を対照表を参考にしながら探ると次のようである。
<摩訶止観』「観病患境」を中心とした比較>
・『摩訶止観』第七章 第三節「観病患境」
・『天台小止観』(修習止観坐禅法要)第九章「治病」
・『六妙法門』第四章「対治六妙門」
・『禅門修証』(釈禅波羅密次第法門)第六章 第四節「明治病方法」
・『禅門口訣』
●『摩訶止観』 ●『天台小止観』 ●『六妙法門』 ●『禅門修証』 ●『禅門口訣』
T「病患の様相」 *三業の論述のみ
(大正46 P.106A)(大正46 P.471B)(大正46 P.551A)(大正46 P.505B)(大正46 P.581C)
@四大を知る ○四百四病あり × ○四百四病あり ○
A五臓の病相 ○ × ○ ×
B六神の病相 ○ × ○ ×
U「病相の原因」
(大正46 P.107A)(大正46 P.471C)(大正46 P.551A)(大正46 P.505B)(大正46 P.58A)
@四大不順 ○ × ○ ○
A飲食の不節制 ○ × ○ ○
B坐禅の不調 ○ × ○ △不調息
C鬼神病 ○ × ○ ○
D魔病 ○ × ○ ○
(bhUta-vidyA)
E業病 ○ × ○ ○
(karma-hetuka)
V「治病の方法」
(大正46 P.108A)(大正46 P.471C)(大正46 P.551B)(大正46 P.506A)(大正46 P.582B)
@止の方法 ○ ○ ○ ×
「皇帝の秘法にいうが如く」
(大正46 P.108B)
A気の方法 ○ △六種気なし ○ ×
(吹呼[口*臣*巳*水]呵嘘[口*詩]の六種気)
B息の方法 ○ △十二依息なし ○ ○
C仮想の方法 ○ ○ ○ ×
D観心の方法 ○ ○ ○ ×
E方術の方法 ○ ○ ○ ×
F補足として ○ ○ ○ ×
天台大師の最も晩年の撰述である『摩訶止観』の「観病患境」の身体観には、『天台小止観』第九章「治病」ばかりではなく、三〇才代に撰述された『禅門修証』第六章「明治病方法」の内容とほとんど相応していることがわかる。
これは天台大師が青年時代からある一貫した身体観を持っており、それが晩年の『摩訶止観』にいたって集大成されたことを物語っている。この意味で『摩訶止観』の「観病患境」の構成にしたがいながら、それを詳細に読みすすみながら天台大師の身体観を明らかにしよう。
○『摩訶止観』に見える天台大師の二つの身体観について
ながながと『摩訶止観』第七章「観病患境」の主旨を概略したが、さきの陰陽五行説に支えられた中国医学の伝統的な身体観と、天台大師の活躍した六世紀までにインド仏教医学から継承した四大理論に支えられた身体観から整理すると、『摩訶止観』には二つの身体観が併存していることが分かる。分類すると次のようである。
<第一の身体観:陰陽五行説に支えられた気の生理学による身体観>
『摩訶止観』T「病患の様相」
A五臓の病相
B六神の病相
U「病相の原因」
D魔病(bhutA-vidyA)
E業病(karma-hetuka)
V「治病の方法」
@止の方法「皇帝の秘法にいうが如く」
A気の方法(吹呼[口*臣*巳*水]呵嘘[口*詩]の六種気)
E方術の方法
<第二の身体観:インド仏教から継承した四大論に支えられた身体観>
『摩訶止観』T「病患の様相」
@四大を知る
U「病相の原因」
@四大不順
A飲食の不節制
B坐禅の不調
C鬼神病
V「治病の方法」
B息の方法
C仮想の方法
D観心の方法
これによって天台大師には第一に「陰陽五行説に支えられた気の生理学の身体観」と、第二に「インド仏教から継承した四大理論に支えられた身体観」の併存がよりはっきりと分かったといえる。
5 インド仏教の医方明について
さてこのように、天台大師がインドの仏教医学を理解するための文献は、『大智度論』であったり、仏教伝播の初期に訳出された『修行本起經』や『仏医経』であったり、また『摩訶僧祇律』などの律蔵経典群であったり、医学に関する専門的なテキストではなかったが、本来、インド仏教の医学は、五明(paJca-vidyA)の一つの医方明(cikitsA-vidyA)として扱われていたが、天台大師の在世時代(五三八〜五九七年)である六世紀末までに中国へと伝播した文献の中には、そのような医方明に相当するテキストを発見することはできない。(『古代インドの苦行と癒し』九六頁)
しかし、このような医方明の実際を伝える文献として、天台大師没後の七世紀中頃(在印期間六二九〜六四五年)にナーランダ僧院を中心に遊学していた玄奘三蔵は、『大慈恩寺三蔵法師伝』十巻、『大唐西域記』などでは、ナーランダ僧院生活の実際を伝えるなかで、その学習コースの重要なものとして、一に声明(Cabd-vidyA)、二に工巧明(psilparmasthAna-vidyA)、三に医方明(cikitsA-vidyA)、四に因明(cihetu-vidyA)、五に内明(adhyAtma-vidyA)など、伝統的カリキュラムを示して、僧侶たちは五明を三蔵十二部教の経典群と共に、それを七歳から学んだという。(『古代インドの苦行と癒し』 六九頁、織田『仏教大辞典』五七三頁)
つまり、中国へと伝播していなかった医方明のテキストは、七世紀中頃のナーランダ大僧院では、五明のカリキュラムの中で学ばれていたというのである。 また、七世紀後半のやはりナーランダ僧院へと遊学した唐代の訳経三蔵僧義浄(在印期間六七二〜六八二年)は、その著書『南海寄帰内法伝』の中で、当時のナーランダ僧院で実践されていた医方明の診療科目を挙げている。
実際の診療科目は次の八つ「一には所有る諸瘡を論ず、二には首疾を針刺すを論ず、三には身の患を論ず、四には鬼瘴を論ず、五には悪掲陀(agada、毒)を論ず、六には童子の病を論ず、七には長年の方を論ず、八には身力を足すを論ず」であるという。
またこの八つの診療科目を「一は内科外科をかねた身体のできもの、はれもの治療、二は頭部の疾患で眼耳鼻や咽喉の治療、三は身体の首から下の疾患で内科の治療、四は心が惑わされたような疾患の精神科の治療、五は悪掲陀とは毒(agada)のことで毒物の療法、六は胎内の子供から十六歳までの子供の治療、七は寿命を延ばす療法、八は身体壮健のの療法」と解説している。
◇『南海寄帰内法伝』「二十七先體病源」
(大正五四 二二三B)
然後行八醫。如不解斯妙。求順反成違。言八醫者。一論所有諸瘡。二論針刺首疾。三論身患。四論鬼瘴。五論惡掲陀藥。六論童子病。七論長年方。八論足身力。言瘡事兼内外。首疾但目在頭。斉咽已下名爲身患。鬼瘴謂是邪魅。惡掲陀遍治諸毒。童子始從胎内至年十六。長年則延身久存。足力乃身體強健。斯之八術先爲八部。近日有人略爲一夾。
そして、この八つの診療科目は、現代のアーユル・ヴェーダ(インド医学)の根本聖典である『チャラカ・サンヒター』の第一巻三十章「心臓に根をもつ十の大脈管に関する章」と、『スシュルタ・サンヒター』の総説篇第一章「聖者ダンヴァンタリのスシュルタに談ぜられしままの吠陀の起源の章」に同様の科目が見られる。(『チャラカ・サンヒター』矢野道夫訳 世界の名著『インド医学概論』二三四頁 朝日出版社 一九八八年 以下『チャラカ・サンヒター』と略称、『スシュルタ・サンヒター』 大地原誠玄訳『スシュルタ本集』一ー二頁 アーユル・ヴェーダ研究会刊 一九七一年 以下『スシュルタ・サンヒター』と略称)
□『チャラカ・サンヒター』&『スシュルタ・サンヒター』 □『南海寄帰内法伝』
一、腫瘍、膿瘍などの治療法(一般外科学、Cala-tantra) 一には所有る諸瘡を論ず
二、眼科や耳鼻咽喉科の治療法(特殊外科学、Calakya-tantra)二には首疾を針刺すを論ず
三、内科全般の治療法(身体療法、kAya-cikitsA) 三には身の患を論ず
四、精神病治療(鬼神学、bhUta-vidyA) 四には鬼瘴を論ず
五、小児病治療(小兒科学、kAumAra-bhRitya) 五には悪掲陀を論ず
六、解毒剤の投薬療法(毒物学、agada-tantra) 六には童子の病を論ず
七、長生薬論(不老長生学、rasAyana-tantra) 七には長年の方を論ず
八、精力増強法(強精学、vAjikaraNa-tantra) 八には身力を足すを論ず
それらを比較すると、アーユル・ヴェーダと『南海寄帰内法伝』の八つの診療科目は、『南海寄帰内法伝』の五「悪掲陀を論ず」と六「童子の病を論ず」が、アーユル・ヴェーダでは五「小児病治療」と六「解毒剤の投薬療法」と、その順が逆になっている以外は、科目数と内容はそのまま一致することが分かる。
これによって、天台大師の在世時代までに、医学に関する専門的なテキストは中国へと伝播しなかったが、その後の七世紀中頃から末にかけて、ナーランダ僧院へと遊学した玄奘三蔵と、義浄三蔵の報告では、さきの八つの診療科目にもとづいた医方明(cikitsA-vidyA)が実践されていたことが明らかになった。
そして、その医方明の診療科目が、現代のアーユル・ヴェーダの根本聖典となっている『スシュルタ・サンヒター』(Curuta-saMhitA 三〜四世紀成立)『チャラカ・サンヒター』(charaka-saMhitA 五世紀成立)と同様の科目であるところから、ナーランダ僧院の医方明のテキストも内容的には、おおよそこれらと同様のものであると考えられる。
6 中国へと医方明のテキストが伝播しなかった理由について
ではこのナーランダ僧院で、玄奘三蔵や義浄三蔵が見聞した医方明のテキストとはどのようなものであったのだろうか。とくに義浄三蔵の『南海寄帰内法伝』には、次のように示されている。
「その八つの診療科目(八術)は、八部のテキストになっていたが、近年になってある人がそれを要約し、一冊(一夾)のテキストにした。インド(五天)では、みなこの医学をならい技術を修めている。ただこの医学をならい修めると、それを生業とすることができ、西インドでは医師が尊ばれ、かねて商客を重ずるので殺害されることがない。そして、自分にも利益があり、人を救うことができる。しかし、この医方明の功学を用いて人を救っても、これは僧侶の正業ではないので、悩んだ末にこれを棄ててしまった」という。
◇『南海寄帰内法伝』「二十七先體病源」
(大正五四 二二三B)
斯之八術先爲八部。近日有人略爲一夾。五天之地咸悉遵修。但令解者無不食祿。由是西國大貴醫人。兼重商客爲無殺害。自益濟他。於此醫明已用功學。由非正業遂乃棄之。
さきのようにナーランダ大僧院では、医方が五明のカリキュラムの中で学ばれていたのであるから、義浄三蔵自身も医方明を学んでいたはずである。しかし、これによれば義浄三蔵は、この医方明の功学が、僧侶の正業ではないとして、その医方明を棄てたという。
ここにインドから中国へと、医学に関する専門的なテキストが伝播しなかった理由の片鱗が見える。義浄三蔵の言葉に従えば、僧侶の目的は、まず自らが生死の輪廻を越え、自ら実践したその教えを世間へと伝え広めることであって、医学による救済が目的ではないからだ、ということになる。
これと同様のエピソードが『摩訶僧祇律』に記載されている。「お釈迦さまが、拘?彌に住している時に、病気の治し方を熟知していた闡陀母という比丘尼が、王家・大臣家・居士家などに出入りし、妊産婦の胎病や、眼病、吐下の治療をしたり、咽喉のはれを薬煙で熏じ、鼻を塩水や薬の油で灌ぎ、また患部を刀で切開しするなど外科の治療をして、多くの患者を治癒させた。そして、その治療によってたくさんの供養を得たという。
しかし、お釈迦さまは、『このような治療は、出家の用いる法ではなく、医師の仕事であるから、今後は医師のように活命を目的とする医療は許さない。若し比丘や比丘尼が医師のように治療するならば、比丘は越毘尼の罪、比丘尼なら波夜提の罪にあたる』として禁じている。ただし病人にその治療法を教語することは許した」という。
◇『摩訶僧祇律』
(大正二二 五三一A)
佛住拘?彌。爾時闡陀母比丘尼善知治病。持根藥葉藥果藥。入王家大臣家居士家。治諸母人胎病眼病。吐下熏咽灌鼻用針刀。然後持此諸藥塗之。由治病故大得供養。諸比丘尼呵言。此非出家法此是醫師耳。諸比丘尼語大愛道。大愛道以是因縁往白世尊。佛言。喚是比丘尼来。来已問言。汝實爾不。答言實爾。佛言。此是惡事。從今日後。不聽作醫師活命。佛告大愛道瞿曇彌。依止拘?彌比丘尼皆悉令集。乃至已聞者當重聞。若比丘尼作醫師活命波夜提。比丘尼者如上説。醫者持根藥葉藥果藥治病。復有醫咒毒咒蛇乃至咒火咒星宿日月。以此活命如闡陀母者波夜提。波夜提者如上説。比丘尼不得作醫師活命。若有病者得教語治法。比丘作醫師活命者越毘尼罪。是故世尊説佛住拘?彌。爾時世尊制戒不得作醫師活命。有人呼闡陀母治病。比丘尼言。世尊制戒不聽。復言。若不聽者授我醫方。即授與俗人外道醫方。諸比丘尼言。但誦醫方此非出家法。諸比丘尼語大愛道。大愛道即以是事具白世尊。
ここで注目することは、お釈迦さまは、僧侶の医師のように活命を目的とする医療を禁じるばかりではなく、比丘尼は波夜提の罪、比丘は越毘尼の罪を設けている。これらは五衆罪の一つで突吉羅(duSkrta)の罪で、共に軽い罪で懺悔すれば減罪するが、懺悔しなければ悪趣へと堕ちる過ちで、善い行いを障礙するものであるという。(『望月仏教大辞典』 三九二七頁〜三九二八頁、四一七八頁)
つまり、戒を設けてこれを禁ずるということは、その当時に闡陀母比丘尼のように、活明の目的で医療をした僧侶が多くあり、また教団と王家・大臣家・居士家などとの間に問題が生じていた思われる。義浄三蔵が、自身が学んだ医方明を棄てたという真意がここにあるといえる。
義浄三蔵さんの袈裟についてのカルチャーショック
また、義浄三蔵は、これらの経験をする以前、南海を経由してインドに到達したとき、インドの僧侶の袈裟衣の様式と、自身の出で立ちの違いに、インドの僧侶に「袈裟はどれですか」と質問をする。すると「袈裟とはインドの言葉では、褐色(kaSAya)という色の名称であって、あなたが袈裟といっているものは、インドでは支伐羅(cIvara)といい、一枚は腰巻きで現在のルンギー、もう一枚は上半身をつつむ小型のショール、改まった席では二つ折りにし肩にかけ、三枚目は外套用の大型のショールだ」といわれ、ショックを受けたという。(『南海寄帰内法伝』「九受斎軌則」 大正五四 二一一A、『図説インド神秘辞典』一五九頁〜一六九頁 講談社 一九九九年)
在印十年を経て帰国した義浄三蔵が、『根本説一切有部毘奈耶』五十巻など、有部律に関するそのほとんどを持ち帰り訳出しているのは、このようなナーランダ僧院での経験によると思われる。
◇『南海寄帰内法伝』「九受斎軌則」
(大正五四 二一一A)
袈裟(袈裟乃是梵言。即是乾陀之色。元来不干東語。何勞下底置衣。若依律文典語。三衣並名支伐羅也)。
7 ナーランダ僧院の医方明のテキストについて
さて中国へと医方明の専門的なテキストが伝播しなかった理由はおよそ理解できた。また義浄三蔵が、帰国し有部律の訳出に生涯を捧げた理由もおよそ理解できた。ではその医方明のテキスト、義浄三蔵をして「近日人ありて、略して一夾なす」といわしめたテキストとは、どのようなものなのだろうか。
近年の研究では、このテキストは、バーグバタ(VAgbhaTa)の『八科精髄集』(Skt.ASTANGA-hRDaya-saMhitA Tib.Yan-lag brgyad-pahi sJiG-po badus-pa shes-dya-ba)であり、それはほぼ七世紀に成立し、さきにあげたインドの二大古典医学書である『スシュルタ・サンヒター』と『チャラカ・サンヒター』に含まれる医学的知識を集大成した文献であったことが指摘されている。
また、さきの二書にこの『八科精髄集』を加えて、インドでは三大医学書と呼ばれる。 そして、この『八科精髄集』が医学の理論と臨床の双方を扱いながら、二つの古典をうまく折衷し読みやすいために、ナーランダ大僧院のような総合大学的な教育機関では最適なテキストとして用いられたらしく、インド国外へも伝えられて、チベット大蔵経にも八世紀後半には所収され、九世紀半ばのペルシャ人の医師アッ・タバリーがアラビア語で著した『知恵の楽園』にインド医学に関する部分で『八科精髄集』にもとづく記述があり、すでに八世紀にはアラビア語に訳されていたという。
しかし、残念ながら、この医方明としてのテキストは漢訳されていない。ちなみに、このテキストの重要性を物語る事実として、現在のインド国ケーララ州のアシュタヴィディヤー(aSTa-vaidyA)医学派に属するナンブーディリ・バラモンで実践されているという。( 『古代インドの苦行と癒し』 七〇頁と九五頁、『インド医学概論』朝日出版社 解説)
これによって、おおよそ義浄三蔵が「近日人ありて、略して一夾なす」といったテキストが、『八科精髄集』であり、またインド(五天)では、みなこの医学をならい技術を修めている、といった理由が理解できたと思う。
そしてまた、義浄三蔵は、その当時のナーランダ僧院で行われていた、具体的な医療のあり方について次のように報告している。
『南海寄帰内法伝』「二十八進薬方法」に「四大の不調には、一に窶?(くろ gulma 地大)、二には燮跛(kapha 水大)、三には畢?(pitta 火大)、四には婆?(vAta 風大)の四つがあり、一は地大が増大して身体が肥る地大病、二には水大が積もって下痢をしたり浮腫んだりする水大病、三には火大が盛んになり発熱や頭痛、また心臓循環器系の火大病、四には風大が動いて呼吸器系の病気や、身体の各部が痛むなどの風大病があり、これらは中国では沈重、痰?、熱黄、気発と呼ばれる病気である」(大正五四 二二四A )という。
そして、さらにその臨床について「一般的な臨床の現場では、四大に地大を加えない、風大(風)・火大(熱)・水大(?)の病因論による応用が行われ、病気の種類も気発・熱黄・痰?の三種として、地大の沈重(身体の意味)は水大の痰?と同様に考え、別に地大を数えない」という。
◇『南海寄帰内法伝』「二十八進藥方法」
(大正五四 二二四A)
四大不調者。一窶?二燮跛。三畢?。四婆?。初則地大増令身沈重。二則水大積涕唾乖常。三則火大盛頭胸壯熱。四則風大動氣息撃衝。即當神州沈重痰[病-丙+陰]熱黄氣發之異名也。若依俗論病。乃有其三種。謂風熱[病-丙+陰]。重則與[病-丙+陰]體同。不別彰其地大。
つまり、当時のナーランダの仏教医学は、正しくは四大要素の理論(catur-doSa theory)の基礎概念によって病気の原因と治療を考え、四大に支えられた身体観を持っていた。しかし、実際の治療理論としては、現代インドのアーユル・ヴェーダと同様に風大(vAta:以下はヴァータ)・火大(pitta:以下はピッタ)・水大(kapha:以下はカパ)の三大要素の理論(tri-doSa theory:以下トリ・ドーシャ理論)による医療が機能していたことが分かる。
8 インドの仏教医学に見える四大の治療理論について
さてこれらの義浄三蔵の情報によれば、当時のナーランダ僧院では、四大要素による病因論は残っていたが、実際の治療理論としては、ヴァータ(風大)・ピッタ(火大)・カパ(水大)のトリ・ドーシャ理論(三大要素の理論)が用いられていたという。
ではこの七世紀のナーランダ僧院に伝えれていた、さきの「四大の不調には、一に窶?(gulma 地大)、二には燮跛(kapha 水大)、三には畢?(pitta 火大)、四には婆?(vAta 風大)の四つがあり、一は地大が増大して身体が肥る地大病、二には水大が積もって下痢をしたり浮腫んだりする水大病、三には火大が盛んになり発熱や頭痛、また心臓循環器系の火大病、四には風大が動いて呼吸器系の病気や、身体の各部が痛むなどの風大病があり、これらは中国では沈重、痰?、熱黄、気発と呼ばれる病気である」という仏教本来の医学的な知識である四大要素の病因論が如何なるものか、七世紀以前に訳出された律蔵に見られる四大要素の病因論と比較すると次のようである。(ここでは四大に関する記述の流れを見るために、七世紀以降の『根本説一切有部毘奈耶薬事』と『南伝大蔵経』「大品」を加えている。)
@『十誦律』巻第二(後秦北天竺三蔵弗若多羅、羅什共訳、四〇四年〜四〇九年)
「病者とは、四大が増減して諸々の苦悩を受けるのである」(大正二三 一〇B)
A『四分律』巻第五十一(後秦北天竺三蔵仏陀耶舍、竺仏念共訳、四一〇年〜四一二年)
「この身体は四大が合成して形づくられたものである。この四大による身体が異なるのは、四大の合成の仕方が異なるからである。この四大による身体から、心が起きて化作し、身体の諸根肢節の働きが備わるのである」(大正二二 九六四C)
B『摩訶僧祇律』巻第十(東晋天竺三蔵仏陀跋羅、法賢共訳、四一六年〜四一八年)
「病気には四百四病がある。風病に百一あり、火病に百一、水病に百一、雑病に百一がある。そして、風病の治療には油・脂を用い、熱病には酥を用い、水病には蜜を用い、雑病にはそれら三種薬を用いる」(大正二二 三一六C)
C『五分律』巻第十五(?賓国三蔵仏陀什訳、四二三年)
「病人とは、四大が増損して飲食を摂取することができず。やがて気息が衰弱してしまうことをいう」(大正二二 一〇一C)
D『根本説一切有部毘奈耶薬事』巻第十六(唐三蔵義浄訳、六九五年〜七一三年)
「一切有情の身体は、みな四大が合するによる」(大正二四 八一C)
E『南伝大蔵経』「大品」
五 シーヴァカよ、粘液より生ずる 或感受のここに起こることあり・・・
六 シーヴァカよ、風より生ずる 或感受のここに起こることあり・・・
七 ジーヴァカよ、(胆汁など三つの)聚和より生ずる 或感受のここに起こることあり・・・
八 ジーヴァカよ、時候の変化より生ずる 或感受のここに生ずることあり・・・
九 ジーヴァカよ、逆運の逢うことにより生ずる 或感受のここに生ずることあり・・・
十 ジーヴァカよ、痙攣性の或感受のここに生ずることあり・・・
一一 ジーヴァカよ、業異熟性の或感受のここに生ずることあり・・・ と。(中略)
一三 胆汁、粘液ろ風と(三種の)聚和と、時候と、逆運、痙攣、業異熟によりて第八なりと。(『南伝大蔵経』第十五巻 相応部経典 六處篇 第二 受相応 百八理品 三五五頁〜三五六頁)
この六つの文献を整理すると、『摩訶僧祇律』には「病気には、四大の増減によって、その各々に百一の病があるので、全体で四百四病がある」といい、さらに「風病は油・脂、熱病は酥、水病は蜜、雑病は油・脂、酥、蜜などの三種薬を用いる」などの具体的な治療法までが挙げられているが、おおよそ共通していることは、漢訳文献には四大による病因論が示されている。
また、『南伝大蔵経』「大品」では、とくに漢訳文献では具体的な記述の見られなかった病気の原因に関する八つの原因(八因)が挙げられている。
1に四つの中心的病因=内因
ピッタ(pitta)=火大=胆汁素
カパ(semha=kapha)=水大=粘液素
ヴァータ(vAta)=風大=体風素
三つの組合せ(聚和、sannipAka)=地大=等分
2に他の四つの外因
時候(季節、Rtu)
異常な行動によるストレス(逆運、viSama)
外因性の事故(痙攣、opakkamika)
過去の行為の結果(業、karma)
ここでは1の四つの内因と、2の四つの外因に分類されているが、その1の四つの内因には漢訳文献と同様に、地大・水大・火大・風大の四大による病因論が示されいる。
以上のことから、七世紀以前のインドの仏教医学は、地大・水大・火大・風大の四大に支えられた病因論によって、治療が行われていたことが分かる。
9 仏教医学の四大から三大の治療理論について
では、ナーランダ僧院で実際に行われていたヴァータ(風大)・ピッタ(火大)・カパ(水大)のトリ・ドーシャ理論(三大要素の理論)による病因論とはどのようなものであろうか。
これを理解するために、さきにあげたインドの二大古典医学書の『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』に見える病因論と比較すると次のようになる。
○『チャラカ・サンヒター』
「ヴァータ、ピッタ、カパが身体的な病素のすべてである」
「病気には四種類ある。すなわち、外因性の病気と、ヴァータ、ピッタ、カパを原因とする(三種の内因性の病気)である」(『チャラカ・サンヒター』 一三七頁)
○『スシュルタ・サンヒター』
「人間(puruSa)は特殊な疾病の容器である。人間に悩みや痛みの源をなすものは疾病と称される。疾病には四種、すなわち、外因性(偶発的、Agantuka)、身体的(CArira)、精神的(mAnas)と、自然的(svAbhAvika)である。(中略)精神と肉体とは、上述の不調違和の座であって、その両者は個々に働き、または一緒に働く。
浄化と疾病を起す体液失調の鎮静、および餌食と行為の摂生は、疾病を克服するために適当に用いられなけれねばならない四要素である」
「然るに苦を与えるものを病と称する。病には偶発的、身体的、精神的、及び自然的の四類あり。この中の偶発的とは、外傷によって起る病なり。身体的とは、飲食物より起り、或は体風素(vAta)、胆汁素(pitta)、粘液素(kapha)、及び血液の熟れが、一、二、三、若しくは総てが異常的変化を来し、その均衡を失ったために起る病なり」(『スシュルタ・サンヒター』 第一篇 総説篇 一−六頁)
このようにインドの古典医学は、トリ・ドーシャ理論に支えられた病因論を持っており、これらはさきのナーランダ僧院で見られた「四大に地大を加えない、風大(風)・火大(熱)・水大(?)の病因論」よりは医学的な知識としては格段の進歩を見せているが、病因論としては同様の医療であることが分かる。
ところで、このようなインドの古典医学を、現代ではアーユル・ヴェーダと総称し、その具体的な考え方は、私たちは母の胎内で生を受けた直後から、先天的に体質や気質が決まっていると理解する。そして、その体質や気質を決定する要素が、ヴァータ・ピッタ・カパのトリ・ドーシャ理論によるバランス関係で示され、ヴァータの要素が多ければヴァータ体質と、ピッタ体質、カパ体質と、またはヴァータ・ピッタ・カパの複合型の体質というように、トリ・ドーシャ理論にもとづいて理解する。
そして、私たちが自分の体質に適した生活をすることで、トリ・ドーシャのバランスが良いときには健康的で、逆に何れかのドーシャを増やすような不適当な食事や、節制を怠ったりすると、ドーシャのうち何れかが増加し、トリ・ドーシャのバランスが崩れ、健康を害するという。
たとえば、カパの要素には甘いという性質があるために、カパ体質の人が甘い物を食べ過ぎるとカパ病(水大病)に罹りやすく、この体質の人は現代医学でいう糖尿病などの生活習慣病に注意が必要であるという。またピッタの要素には辛いという性質があり、ピッタ体質の人が辛い物を食べ過ぎるとピッタ病(火大病)に罹りやすく、心臓などの循環系の病気に注意が必要であるという。このように体質に適した食事と、季節や時間に基づいた生活がアーユル・ヴェーダ医学の治療法であり、その治療を支えているのがトリ・ドーシャ(三大の要素)理論なのである。(幡井 勉編『生命の科学 アーユルヴェーダ』柏樹社 1990年、P・クトムビア『古代インド医学』出版科学総合研究所 1988年)
これらによってインドの仏教医学が、ナーランダ僧院の七世紀頃の医療を境に、四大要素の理論に支えられた病因論から、トリ・ドーシャ(三大要素)理論に支えられた病因論へと移行する過渡期にあったことが分かる。
そして、この時期を境に、義浄三蔵が「近日人ありて、略して一夾なす」といった『八科精髄集』が、医方明のテキストとして用いられるようになり、それまでの四大要素の理論から、トリ・ドーシャ(三大要素)理論に支えられた病因論へと移行していったと思われる。
10 仏教医学の治療のあり方について
さてこのような四大要素の理論やトリ・ドーシャ(三大要素)理論に支えられた医療の、具体的な治療のあり方は、基本的には未病を癒すという養生の考え方に徹しており、身体の不調を感じたときには、さきのようにそのヒトの体質に適した食事と、季節や時間帯にもとづいた生活によって癒すことを目指している。
そのような養生のあり方について『南海寄帰内法伝』は次のように記述している。まず「八、朝嚼歯木」には「早朝に起きたなら、八指から十二指の長さで、小指ほどの太さの歯木(danta-kASTha)の先を、よく嚼んで柔らかくし、それで歯を磨く。磨き終わったら、その歯木を半分に引き裂き箆のようにして、舌の上を数回刮る。または別に銅や鉄で舌を刮る箆(へら)を作り刮ってもよい。
それが終わってから、たくさんの水でよく口をすすぎ、続いて鼻から水を吸い込み、鼻から水を飲む。これは龍樹菩薩の長年の養生術である。これは辛そうであるが、慣れてしまえば気持ちのよいものである。永く習慣にしてしまえば病気になることが少ない。
このように歯を磨いていれば、歯根につく歯垢もたまらない。また歯を磨いた後にお湯で口をすすくなら、口の中は清潔になり、終身まで自分の歯で食事ができる」という。
◇『南海寄帰内法伝』「八朝嚼齒木」
(大正五四 二〇八C)
毎日旦朝。須嚼齒木揩齒刮舌務令如法。盥漱清淨方行敬禮。若其不然。受禮禮他悉皆得罪。其齒木者。梵云憚?CE47家瑟詑。憚?CE47譯之爲齒。家瑟詑即是其木。長十二指。短不減八指。大如小指。一頭緩須熟嚼。良久淨刷牙關。若也逼近尊人。宜將左手掩口。用罷擘破屈而刮舌。或可別用銅鐵作刮舌之篦。或取竹木薄片如小指面許。一頭纖細以剔斷牙。屈而刮舌勿令傷損。亦既用罷。即可倶洗棄之屏處。凡棄齒木。若口中吐水。及以洟唾。皆須彈指經三。或時謦?D1F5過兩。如不爾者棄便有罪。或可大或可小條截爲。近山莊者。則柞條葛蔓爲先。處平疇者。乃楮桃槐柳随意預收。備擬無令闕乏。濕者即須他授。乾者許自執持。少壯者任取嚼之。老宿者乃椎頭使碎。其木條以苦澀辛辣者爲佳。嚼頭成絮者爲最。麁胡葉根極爲精也(即倉耳根并截取入地二寸)。堅齒口香。消食去[病-丙+陰]。用之半月口氣頓除。牙疼齒憊三旬即愈。要須熟嚼淨揩。令涎[病-丙+陰]流出。多水淨漱。斯其法也。次後若能鼻中飲水一抄。此是龍樹長年之術。必其鼻中不串。口飲亦佳。久而用之便少疾病。然而牙齒根宿穢。積久成堅。刮之令盡。苦盪淨漱。更不腐敗。自至終身牙疼西國迥無。良爲嚼其齒木。豈容不識齒木名作楊枝。西國柳樹全稀。譯者輒傳斯號。佛齒木樹實非楊柳。那爛陀寺目自親觀。既不取信於他。聞者亦無勞致惑。?BEDF涅槃經梵本云。嚼齒木時矣。亦有用細柳條。或五或六。全嚼口内不解漱除。或有呑汁將爲殄病。求清潔而返穢。冀去疾而招痾。或有斯亦不知。非在論限。然五天法。俗嚼齒木自是?F9DA事。三歳童子咸即教爲。聖教俗流倶通利益。既申臧否行捨随心。
また「九、受斎軌則」には「食事の方法は、食事をする前に必ず生薑と塩をいただく。生薑は親指のあたまほどスライス一、二片は、塩は葉の上に匙一杯または半分ほどおき、その塩をつけていただく。その後暫くしてから食事をする。これによって消化が助けられる」という。
◇『南海寄帰内法伝』「九受斎軌則」
(大正五四 二〇九A)
其行食法。先下薑鹽。薑乃一片兩片大如指許。鹽則全匕半匕藉之以葉。其行鹽者。合掌長跪在上座前。口唱三鉢羅?CA5D?CE47。譯爲善至。舊云僧跋者訛也。上座告曰。平等行食。意道。供具善成。食時復至。准其字義合當如是。
また「二十七、先体病源」には「おおよそ四大によって支えられている身体の病気は、ほとんど食べ過ぎによって起こり、あるいは内蔵の疲労がたまって生ずる。また前日に食べたものが消化しないうちに食事をしたり、時間が来たからといって食欲がないのに食事をするなど、このような不節制によって体調が崩れる」という。
◇『南海寄帰内法伝』「二十七先體病源」
(大正五四 二二三B)
前云。量身輕重方餐小食者。即是觀四大之強弱也。若其輕利。便可如常所食。必有異處則須視其起由。既得病源然後將息。若覺輕健飢火内然。至小食時方始餐?E4FC。凡是平旦名痰[病-丙+陰]時。宿食餘津積在胸膈。尚未疏散食便成咎。譬乎火焔起而投薪。薪乃尋從火化。若也火未著而安草。草遂存而不然。夫小食者是聖別開。若粥若飯量身乃食。必也因粥能資道。即唯此而非餘。若其要飯方長身。旦食飯而無損。凡有食?E4FC令身不安者。是與身爲病縁也。不要頭痛臥床方云是疾。若餘藥不療。醫人爲處。須非時食。
また「二十八、進薬方法」には「病気の徴候を知るには、明け方に起床して身体の状態を感じなさい。もし四大の不調を感じたなら、まず朝のうちは食べ物を摂らないようにする。そのときにのどが渇くほど水が飲みたくとも、決して水も飲んではいけない。これだけは遵守して、そのまま体調を観察するべきである。
そして、そのまま一両日のあいだ断食するなり、四、五日のあいだ続けて明け方に起床して体調を観察していて、それでも不調を感じなければ、それでやめて良いでしょう。これが病気の徴候を知る方法である。
また、そのとき昨日食べたものが消化していないよう(宿食)に感じたなら、まず腹部を軽くマッサージしてから適量の白湯を飲んで、暫くしてから指をつかってその白湯を吐きます。これを数回くり返し、お昼頃になれば冷たい水を飲んでも差し支えない。そのとき、もし水などを飲むのであれば、乾燥させた生薑のお湯を飲む方が最適である。
そして、その日一日は断食して、明朝になって食欲があればお粥などを食べるとよい。もし食欲がなければ、水などを飲んで様子を見るとよい」という。
◇『南海寄帰内法伝』「二十八進藥方法」
(大正五四 二二四C)
凡候病源旦朝自察。若覺四候乖舛。即以絶粒爲先。縦令大渇。勿進漿水。斯其極禁。或一日二日。或四朝五朝。以差爲期。義無膠柱。若疑腹有宿食。叉刺斉胸。宜須恣飲熟湯指剔喉中變吐令盡。更飲更決以盡爲度。或飲冷水理亦無傷。或乾薑湯斯其妙也。其日必須斷食。明朝方始進餐。如若不能。臨時斟酌。必其壯熱特諱水澆。若沈重戰冷。近火爲妙。其江嶺已南熱瘴之地。不可依斯。熱發水淋是土宜也。如其風急塗以膏油。可用布團火炙而熨折傷之處。斯亦爲善。熟油塗之目驗交益。若覺痰[病-丙+陰]填胸口中唾數。鼻流清水氣積咽關戸滿槍喉。語聲不轉飲食亡味動歴一旬。如此之流絶食便差。不勞炙頂無假捩咽。斯乃不御湯藥。而能?F7F8疾即醫明之大規矣。意者以其宿食若除壯熱便息。流津既竭痰[病-丙+陰]便?EA6F。内靜氣消即狂風自殄。將此調停萬無一失。既不勞其診脈。?DBD6假問乎陰陽。各各自是醫王。人人悉成祇域。至如鸞法師調氣?F7F8疾。
以上の記述は、おおよそ一三〇〇年以前のインドのナーランダ僧院で実践されていた、その時代の具体的な治療のあり方であり、四大に不調を感じたときには、そのヒトの体質に適した食事と、季節や時間帯にもとづいた養生生活を示している。
11 ターングスレーパーとネーティーポット
ところで、これと同様の養生生活が現代インドでも行われていることをご存じであろうか。私はおよそ二〇年ほど前に、カルカッタのヨーガ・アッシュラムで数ヶ月修行した際に、そこでは、さきのような歯木や舌を刮るターングスレーパーの作法や、薄い塩水で鼻中をすすぐ作法(写真は鼻腔を塩水で洗う作法と、タングスレーパで舌を刮る作法)、また斎時に従って午前中に一食の食事を摂るとき、ピッタの消化酵素がよく分泌されるお昼前に、生薑のスライスに塩をつけていただき、二〇分ほどしてから食事を摂る作法、また明け方のサットバと呼ばれて、自然環境をはじめ心身の純粋な時間帯に起床し、瞑想をしながら体調(四大の不調和)を観察する作法や、もし胃腸に未消化なものを感じたら一リットルほどの白湯に塩を入れて飲み干し、指をつかってその飲み干した白湯を吐き胃の中のアーマと呼ばれる不純物を排泄させる作法や、その後に乾燥させた生薑のお湯を飲む作法などが実践されていた。
私はこれらの作法を現在でも継続しているが、この義浄三蔵の『南海寄帰内法伝』によって、それまで単なるヨーガの奇抜な作法だと思っていたことが、実は一三〇〇年前のナーランダ僧院で実践されていた僧侶の養生生活の作法で、仏教医学の理に叶ったものだと知って安心した。
そして、これらのことが現代の私たちに向けて語りかけていることは、仏教という宗教の思想信条が、宗教者としての生活レベルで実践されていなければ、それはもはや仏教ではなく、単なる思想信条であるということである。
現代にあって、仏教という宗教のあり方が問われているのは、まさにこの点である。仏教という宗教がもっている機能的な側面を理解することによって、まさに現代人の宗教的なニーズに気づくことができるのである。
12 仏教教団における医療のはじまり
これから「仏教にみる救済について」、律蔵群の事例を拾い上げながら眺めてゆきたい。 そこにみえるインドの自然環境は現在のインドとほとんど変わらないように思える。私事になるが、この一〇年ほど毎年インドへと巡礼に出かけている。とくに五月六月真夏の乾期に出かけると、外気は体温を超え四〇度の酷暑に出くわす。さらに七月八月の雨期の到来と共に暑さはしのぎ易くなるが、湿度が高くなるために蚊やネズミなどが媒介する伝染病から、食中りなどによる吐き下しには細心の注意がいる時期である。
その当時、インドの仏教教団がどのような形で医療を求めたかといえば、丁度、乾期の猛暑から雨期へと、梵行乞食する比丘たちは体力をすり減らし、秋時になって風病(秋時病)になったからである。
古典医学書によれば、真夏の酷暑、それに続く雨期の寒さによって、秋季になると空が雲におおわれ、地は水によって潤はされ、消化の火が阻害されて消化不良を起こすようになるという。雨季の寒さに慣れていた体が、秋季になって急に太陽光線によって暖められると、蓄積していたピッタ(胆汁素・火大)によって、たいてい不調をきたしピッタ性の疾病となる。
そのため釈尊はその時代のインド医学の知識に従い、薬効食の規定を律藏の中に取り入れ、発病した梵行乞食の比丘たちの治療やその予防を積極的に行ったのである。これが仏教教団における医療のはじまりである。
◇『摩訶僧祇律』巻第十六(大正二二 三五一C)
「明單提九十二事法之五」
次佛住舎衞城。爾時有比丘在聚落中夏安居訖。来詣舎衞。欲禮覲世尊。時有檀越。在聚落中作福舎。(中略)比丘食已。而出風病發動。
13 四大に支えられた病因論について
そして、その治療に対する病因論はといえば、『摩訶僧祇律』に「病には四大に相応しそれぞれに百一の病があり、全体で四百四病がある。風病は油・脂、熱病は酥、水病は蜜、雑病は油・脂、酥、蜜などの三種薬を用いる」とあったように、地大・水大・火大・風大の四大の理論であった。このように漢訳文献にみられる四大の理論によるに病因論は、現代の目で見ればまことに未熟に感ずるが、それはいま再評価されているアーユル・ヴェーダ医学のトリ・ドーシャ(三大の理論)と同様の病因論である。
釈尊はその時代の病因論である四大の理論を駆使して病気というもの、身体のあり方、そのフィジカルな生命(いのち)を理解していたことが分かる。その時代の医学的な知識によって理解していたのである。
◇『摩訶僧祇律』巻第十(大正二二 三一六C)
「明三十尼薩耆波夜提法之三」
病者。有四百四病。風病有百一。火病有百一。水病有百一。雜病有百一。若風病者。當用 油脂治。熱病者當用酥治。水病者。當用蜜治。雜病者當盡用上三種藥治。
14 仏教教団の治療法について
さらに仏教教団では、この四大の理論による病因論を前提にしながら、次のような医療が具体的に行われていた。「薬効食としての食事のコントロール」が行われている。『摩訶僧祇律』に「風病は油・脂、熱病は酥、水病は蜜、雑病は油・脂、酥、蜜などの三種薬を用いる」とあった通りである。
「五種類の基本薬」として、教団内ではこれを「七日薬」と称して僧侶が携帯することを許している。五種類の基本薬とは熟酥・生酥・油・蜂蜜・糖蜜の五つである。さらにこの五種類の基本薬に加えて、「七種類の追加薬」が追加される。僧侶の病気によって薬効食が新たに追加されたのである。追加される薬効食のリストは、脂肪・根薬・煎薬(渋薬)・葉薬・果実・樹脂薬・塩の七種類である。
◇『摩訶僧祇律』「明四波羅夷法之三(盗戒之餘)」(大正二二 二四四C)
七日藥者。酥油蜜石蜜脂生酥。酥者。牛水牛酥?羊?羊酥駱駝酥。油者。胡麻油蕪菁油。黄藍油阿陀斯油。菎麻油。比樓油。比周縵陀油迦蘭遮油。差羅油阿提目多油。縵頭油大麻油。及餘種種:油。是名爲油。蜜者。軍荼蜜布底蜜黄蜂蜜黒蜂蜜。是名爲蜜。石蜜者。槃?蜜那羅蜜縵闍蜜摩訶毘梨蜜是名石蜜。脂者。魚脂熊脂羆脂修修羅脂豬脂。此諸脂無骨無肉無血無臭香無食氣。頓受聽七日病比丘食。是名脂。生酥者。牛羊等諸生酥。淨漉洗無食氣。頓受聽七日病比丘食。此諸藥清淨無食氣。一時頓受得七日服。故名七日藥。
◇『摩訶僧祇律』巻第三(大正二二 二四五B)
「明四波羅夷法之三」
酥瓶油瓶石蜜瓶。根莖枝葉果等諸藥。
しかし、これらは薬効食とはいっても、その効能は病気の治療目的というよりは病気の予防目的(未病の治療)という程度のものである。そこで実際に病気になった僧たちには、実際の治療が行われている。律蔵群には十種類の治療が行われている。皮膚病・非人病・眼病・頭痛・風病・足のひび割れと履き物・蛇に咬まれた傷・風病・黄疸・熱病・痔の十種類である。
15 治療の実際と釈尊の受容について
ところで、このような実際の治療にあたって、釈尊は医師が指示した医療を何でも無条件には受け入れていない。「非人病」については、『摩訶僧祇律』では、医師が許した「人血を飲むことも、乃至、人髄等の全て」の服用を禁止しているが、人肉以外の動物の血肉の服用は許している。『十誦律』では周囲の人に見えない屏処という条件付だが血肉の服用を許し、『四分律』ではインドで聖なるものとして扱われる牛の血肉の服用すら許しているからである。これはその時代の医療をおおよそ認めている事例である。また「痔」では、癰?・?等などの諸病では刀による切開手術を許しているが、大便道(肛門)への刀による切開手術を固く禁じている。それは大便道などの愛処が他見に及ぶことだけではなく、そこが急所であるために、切開することで致命的な結果を招く恐れがあるからである。 愛処とは穀道と呼ばれ、大便道(後道)と秘部の周囲二指の間の部分であり、切開すれば死にいたる可能性の大きい急所である。これはその時代の医療を禁じている事例である。
◇『摩訶僧祇律』巻三十二(大正二二 四八六C)
「明雜跋渠法之十」
時有比丘黄病。醫師言。尊者服人血者可差。若不服者便死。更無餘方。時有人犯王事。反縛兩手著迦毘羅華鬘。打鼓唱令詣其刑處。比丘至魁膾邊作是言。長壽。施我人血飲。魁膾言。若欲食肉亦當相與。何況血耶。即坐罪人在地。以刀刺兩喉脈出血。比丘兩手承取血飲。爲世人所嫌。此非比丘。是?人鬼。即以瓦石土塊擲是比丘劣而得脱。諸比丘以是因縁往白世尊。佛言。呼是比丘来。来已佛問比丘。汝實爾不。答言實爾世尊。佛言比丘。此是惡事。愛命乃爾。佛言。從今已後。不聽飲乃至人髓一切不聽。
これらの事例から分かることは、その時代の医療に対して、釈尊が受け入れたり、禁じたりしているその基準が宗教的な思想信条ではなく、実際に僧侶としてその医療を受け入れることが相応しいか相応しくないかということ、そこに出家の目的に合致するか否かの基準がみえている。
16 耆婆の治療と教団のあり方について
それを物語る耆婆の治療と教団のあり方に関わる事例がある。この記述は『根本説一切有部毘奈耶薬事』には記述がないが、また『摩訶僧祇律』では十二種類、『十誦律』と『四分律』と『南伝大蔵経』では五種類、『五分律』では七種類と、病気の種類や数などに若干の異同はあるものの、内容的には耆婆が王族のお抱え医師であり、また信仰者として釈尊の主治医であったばかりではなく、僧たちの医師でもあった。つまり、耆婆の医療は王族と仏教教団内の僧侶に限定されていた。
そのために、一般の民衆が耆婆の医療を受けるには、出家し具足戒をたもち僧侶となる道がある。実際に病気になった者が耆婆の医療を受けるために出家し、こんどは病気が治ってしまうと出家を捨てて還俗した者が多くいたのである。そこで釈尊は教団の統制を図るために、病人へと出家具足戒を授けたものに越毘尼罪を設けている。
◇『摩訶僧祇律』巻第二十四
「明雜誦跋渠法之二」(大正二二 四二〇B〜四二〇C)
爾時有病人。至耆域醫所作是言。耆域與我治病。當雇五百兩金兩張細[疊*毛]。答言。不能。我唯治二種人病。一者佛比丘僧。二王王後宮夫人。病人即向難陀優波難陀房。到已難陀問言。長壽四大調適不。答言。病不調適。我往詣耆域所。以五百兩金兩張細[疊*毛]。雇治病而不肯治言。我唯治二種人病。佛比丘僧王王後宮夫人。難陀言。汝用棄五百兩金兩張[疊*毛]。爲汝但捨二種事。一者捨髪。二捨俗衣。病人言。阿闍梨。欲令我出家耶。答言然。即度出家受具足已。晨起著入聚落衣。到耆域所。作是言。童子。我有共行弟子。病與我治之。答言。可爾。正當持藥往。即持藥。往見已。便識問言。尊者已出家耶。答言爾。讚言善哉。今當爲治。即與藥療治。治已以兩張細[疊*毛]施與。作是言。尊者。於佛法中淨修梵行。受取已即罷道。脱去袈裟著兩張細[疊*毛]。巷中作如是罵言。耆域醫師衆多人子。我雇五百兩金兩張細[疊*毛]。而不肯治。見我出家便與我治反更得[疊*毛]。耆域聞已。心懷悵恨。往世尊所。頭面禮足却住一面。白佛言。世尊。此人蒙我得活反見罵辱。世尊。我是優婆塞。増長佛法故。唯願世尊。從今日後勿令諸比丘度病人出家。爾時世尊爲耆域童子。随順説法。示教利喜。禮足而退。爾時世尊往衆多比丘所。敷尼師壇坐已。具以上事爲諸比丘説佛言。從今日後病人不應與出家。病者。癬疥黄爛。癩病癰瘧痔病不禁。黄病瘧病。謦嗽消盡。癲狂熱病風腫水腫腹腫。乃至服藥未得平復。不應與出家若瘧病者。若一日二日三日四日中間不發時得與出家。若病人不應與出家。若已出家者。不應驅出。若度出家受具足者。越比尼罪。
これは耆婆の医療の社会性についての事例であるが、これによって分かることは、釈尊が世間的に病気を治すことで保たれる生命(いのち)を重視しているのであれば、耆婆に「汝の慈悲心によって医療を施しなさい」と言ったはずである。しかし、実際には病人に具足戒を授けた僧侶に越毘尼罪まで設けて病人の出家を禁じている。つまり、釈尊は世間的な生命(いのち)を超えたところで、生命(いのち)を捉えていることである。
17 仏教教団の治療法の受容について
それを端的にあらわす事例がある。『摩訶僧祇律』によれば、闡陀母という比丘尼が医師のようによく病気を治し、王家・大臣家・居士家から莫大な供養を受けていたという。ところが、釈尊はこの比丘尼の活躍を労うどころか「僧侶が病気を治すこと(活命)」を禁じているのである。とくに「医師のように病気を治す(不得作醫師活命)」と、比丘尼の場合は波夜提、比丘の場合は越毘尼罪という戒法まで設けて禁止しているのである。その理由について、釈尊は「医学(医方)とは外道の教えであって、出家の法ではない」からだという。
さらに出家の法とは大愛道のことであり、大愛道とは釈尊がこれまで語ってき仏教のことだという。仏教教団の目的は、僧侶自らが生死の輪廻を越え、自ら実践したその教えを世間へと伝え広めることにあり、医師のように活命することではないというのである。
◇『摩訶僧祇律』巻第三十八
「明一百四十一波夜提法之二」(大正二二 五三一A)
佛住拘?彌。爾時闡陀母比丘尼善知治病。持根藥葉藥果藥。入王家大臣家居士家。治諸母人胎病眼病。吐下熏咽灌鼻用針刀。然後持此諸藥塗之。由治病故大得供養。諸比丘尼呵言。此非出家法此是醫師耳。諸比丘尼語大愛道。大愛道以是因縁往白世尊。佛言。喚是比丘尼来。来已問言。汝實爾不。答言實爾。佛言。此是惡事。從今日後。不聽作醫師活命。佛告大愛道瞿曇彌。依止拘?彌比丘尼皆悉令集。乃至已聞者當重聞。若比丘尼作醫師活命波夜提。比丘尼者如上説。醫者持根藥葉藥果藥治病。復有醫咒毒咒蛇乃至咒火咒星宿日月。以此活命如闡陀母者波夜提。波夜提者如上説。比丘尼不得作醫師活命。若有病者得教語治法。比丘作醫師活命者越毘尼罪。是故世尊説佛住拘?彌。爾時世尊制戒不得作醫師活命。有人呼闡陀母治病。比丘尼言。世尊制戒不聽。復言。若不聽者授我醫方。即授與俗人外道醫方。諸比丘尼言。但誦醫方此非出家法。諸比丘尼語大愛道。大愛道即以是事具白世尊。佛言。呼比丘尼来。来已問言。汝實爾不。答言實爾。佛言。從今日後。不聽授俗人外道醫方。佛告大愛道瞿曇彌。依止拘?彌比丘尼皆悉令集。乃至已聞者當重聞。若比丘尼授俗人外道醫方者波夜提。比丘尼者如上説。俗人者在家人。外道者出家外道。授醫方者咒蛇咒毒乃至咒火咒星宿日月波夜提波夜提者如上説。比丘尼不得授俗人外道醫方。不得教語。
18 結語として
これまでの事例の積みあげで明らかになってきたことは、私たちが日常の中で生命(いのち)と呼んでいる生命は、病気を治すことで保たれる生命(いのち)であるのに対して、釈尊は大愛道によって生死を超えたところにある生命(いのち)の獲得を目指しているということである。
そして、こう気づいてみると、仏教教団の医療の目的は、単に活命によって生きながらえるためではなく、僧たちが大愛道を歩み出家の大願を成就するためにフィジカルな生命(いのち)、四大によって構成されている心身(いのち)を養うためであると分かる。
このようにインドにおける釈尊の教団と、その時代の医療との関わりを示す事例を律蔵群から拾い上げてゆくと、仏教の救済のあり方がみえてくる。すなわち、釈尊の教え(大愛道)は、四大によって構成されている心身(いのち)を救済することが目的ではなく、その生死の生命(いのち)を超えた生命の気づきにあることがわかる。
◆エピローグとして「日蓮遺文にみる「こころ」の探究法について」
日蓮宗の僧侶として、日蓮遺文の中にこのような救済のあり方を示している一文がある。『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(お釈迦さまが亡くなられてから五の五百歳に、始めてあらわされた観心と本尊の注釈書)と、長い題名のつけられた「日蓮聖人の心の探究法」である。
「なぜ修行(観心)するかといえば、それは自分自身の心(己心)を観じて、地獄界から仏界(十法界)のあること知る必要があるからだ。当然のことだが、他人の粗ばかりを探していても、自分の姿は見えない。自分の姿を知りたければ、明鏡に自分の姿を映してみることが必要だ。これと同じように、お経文の所々にあなたは菩薩だ、仏だと記述されているが、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡に自分を映して、確かに私の心に菩薩界や仏界があると気づかなければ意味がないのだ。(『観心本尊鈔』意訳)」
(観心之心如何。答曰観心者観我己心見十方界。是云観心也。譬如雖見他人六根未自面六根不見自具六根。向明鏡之時始見自具六根。設諸経之中所々雖載六道並四聖 不見法華経並天台大師所述摩訶止観等明鏡。不知自具十界百界千如一念三千也。『昭和定本』第一巻 七〇四)
一目瞭然である。日蓮は「観心者観我己心見十方界」と述べて、四大によって構成されている心身(自具六根)の中に、生死を超えた生命(自具十界百界千如一念三千)を探究する方法を説いている。
このようなところに、さきの律蔵群の事例から読み取れた仏教の救済のあり方がみえているといえる。
行動科学から見た陰陽五行の暦と方位について
ー家相の原点を探るー
(この講演は、去る平成14年11月20日与野市のホテル・アルーサで開催された埼玉建築師会五十周年記念で行われた特別講演をまとめたものである。)
○講演の要旨
まずこの講演の要旨から、お話しを進めたいと思います。建築士である皆さんは、ご自身が長年に渡って培われてきた建築設計の力をもって、依頼された設計管理などのお仕事をクライアントと相談しながら、そのクライアントの生活に応じた家の設計を行っていることと思います。しかし、そこで出くわす問題の中で、近ごろ流行っている風水などの代表される方位方角や家相について、それをどのように対応したらよいものか、それはどのように理解したらよいものか、はたまたそんなものは迷信ですからと、無視しておけばよいものなのか、いろいろと悩んでいると思います。
この講演は「行動科学から見た方位の意味とは」をメインテーマに、サブテーマをー家相の原点を探るーと題してお話して、皆さんのそのような悩みを解決する一助となれるような講演にしたいと思います。
はじめにこの講演の要旨を述べておきますと、ここでは方位方角というものの古典的な解説と、その意義づけを理解ながら、それが迷信ではなく科学的に実証できるものであることをお話したい。もともと方位方角の考え方の背景にあったものは「陰陽五行説」で、これはその時代には科学であった。そして、この古典的な科学(陰陽五行説)は経験則の気という概念に支えられ、身体の中を流れるエネルギーとして扱われており、それはヒトの生命現象を理解し説明する方法でもあった。
またそれは漢方医学の基礎であり、治療理論であった。方位方角や、また家相というものが大切にされてきたのは、それがそのような漢方医学の治療法の一つでもあり、健康的に生きるには、どんな所に、どのように建物を建て住めばよいかを教えるものであったということについて、お話しを進めて行こうと思います。
1 行動科学から分かること
○行動科学の考え方について
まず始めに方位方角や家相というものを理解するために、行動科学という学問の考え方を理解していただきたい。皆さんもご存じのことでしょうが、この10年ほどの間に、各大学の中で人間科学科や人間行動科学科という学科が新設されております。このような学科ではヒトの行動を、心理学的な方法や、生理心理的な方法を用いて詳細に観察し実験して、ヒトのある種の行動にはどのような意味があり、どのような目的を持って行われたかを明らかにすることを目指しております。
つまりヒトの行動には必ず何らかの意味があります。ヒトというものは、自分自身の行動について、それを自身の意志から納得して行っているように思っておりますが、実はそこに見えているもの、自分自身で納得している意志は、そのヒトの思想信条、知識的な説明による観念であって、その行動の本来の目的ではないのです。
そのような思想信条というものは、ある意味では自己評価の産物であって、そこには自分自身の意識に上らない無意識の意味があります。それを知ろうとすればそのヒトの行動を詳細に見て行けば、その行動の目的、何のためにそのように行動したのか、という目的が理解できてくるものです。
このようにヒトの思想信条という観念ではなく、行動の目的を具体的に探って行くことが行動科学なのです。それが動物であれば動物行動科学ということになります。動物は人間のように言葉を話しませんから、その行動から探らざるを得ないのですが、ホモサピエンスである私たちは高等生物を気取って、言葉で何もかも表現していると錯覚しておりますから、場合によっては動物より始末が悪い。
それは動物の争いごとと、ヒトの争いごとを比較すれば明らかです。動物の場合は物理的な意味で、勝ち負けがはっきりしてますから、負けた方は「あなたは強い!」と勝った方に従いますから、同種の仲間同士では殺し合いになることは滅多にありません。しかし、ご存じのようにヒトの場合は、物理的な勝ち負け以外に、観念的な思想信条がありますから、そう簡単には勝ち負けがはっきりしません。ですから、相手を徹底的に打ち負かさないと、「また報復される!」という危機感がありますから、最終的には殺し合いをせざるを得なくなるという訳です。
恐いですね、行動科学的にヒトの行動と、動物の行動を比較してみますと、ヒトはある意味では動物より劣っていることが分かりますね。
ところで、先だってもこのようなお話しをした折りに、仏教学という学問は人文社会学のジャンルになりますが、お坊さんが行動科学のような実証的な学問分野を専攻された理由は何ですか、と問われたことがあります。
私も15年ほど前までは、仏教を哲学的に研究しておりましたが、ある時こんなことに気づいてしまったのです。それは仏教という宗教を思想的にいくら比較研究して、それらの思想を統一しても、この思想が絶対に正しいという答えが出ないことに気づいたのです。 同じ一つのお経文を解釈しても、専門的には経論釈による解釈ですが、それをしても答えは一つにはならないのです。別に思想的に答えは一つにならなくてもいい訳ですが、宗教として仏教を考えたときには、それだけでは何かが違うという気分だったのです。それが学問としての仏教から、宗教としての仏教を学びたいという目的で、出家して檀林で修行し、それが高じて寒中100日間の荒行堂へと入行したり、10年近く修行ばかりしておりました。
仏教の修行というのは、簡単に言ってしまいますと、修行とは観念的な思想信条を捨てて、思考を中断することを目指しておりますから、そこに残るものは観念のない体験だけ、宗教的な神秘体験があるだけなのです。言葉で表現すれば、それは神秘体験であって、それ以上は観念的に説明できな状況に追い込まれることになります。
この状況を理解するには、表現する言葉がないわけですから、ヒトの行動、自分自身の行動を科学する方向で理解する以外に手だてはありません。このようなキッカケから、ある大学院の人間行動科学博士課程に入学し、僧侶が坐禅や読経などの修行によって、瞑想状態を誘導しているときの行動科学的研究(修行の心理学的、生理学的な研究)をして、人間行動学博士の学位記が授与されたのです。それが高じて専門的に勉強したことが、現在の私のライフワークになったと言うわけです。
○行動科学から宗教現象を眺めると
その一端をお話しますと、先ほども言いましたが、行動科学から宗教現象を眺めますと、ヒトの行動には必ず目的があることに着目します。あるヒトがある宗教に入信したなら、その入信には何かの目的があると考えます。そして、行動を詳細に観察しますと、ヒトはその宗派の思想信条によって入信するように見えるが、実はヒトは宗教の思想信条によって入信するのではなく、自分の居場所を求めて入信していることが分かるのです。
もう少し具体的にお話しますと、考えてみて下さい。ヒトは悪い宗教に「止めなさい!」といわれても、なで入信するのでしょうか。皆さんもそう感じていると思いますが、世間一般の方々を含めて、僧侶であっても、宗教学関連の学者先生方であっても、宗教を思想信条として捉えているはずです。今まで宗教を研究する場合には、人文科学からその宗教の思想信条を研究する方法が主流でした。しかし、このような思想信条の研究だけでは、昨今のオウム真理教をはじめ社会に害悪を流すカルト教団の問題を理解することが出来ないのです。
それは何故かといえば、オウム真理教の犯罪、反社会的な行動については、ほとんどの方がずでにマスコミの報道でお分かりのことと思います。しかも仏教学や宗教学の偉い先生方が、あれは仏教ではない、それこそテロ集団だ、と学問的にも否定され、加えてマスコミにあれだけ悪い宗教というレッテルが貼られていても、名称をアレフと改名しも、そこに入信する方がいるわけです。
私たちの一般常識からすれば、どうしてそんなに悪い宗教に「止めなさい」といわれていても、入信したいという理由がとうてい理解できないのですが、ヒトの行動の目的、思想信条ではないところから眺めますと、その理由が分かります。ごく簡単にいってしまいますと、彼らにとってその宗教の組織は、自分の生まれ育った家庭より居心地が良いということなのです。
お父さんや、お母さんや、場合によってはご主人や、奥さんといるよりそこに居心地の良い場所と感じているのです。家族といるよりそこにいた方が安心するという状況が、その宗教組織の中にあるということなのです。少し専門的ないい方をしますと、このようなところに宗教の機能的な側面が見えているのです。これが行動科学的なものの見方なのです。
宗教を思想信条として捉えてしまえば、そこにあるものは宗教の思想的な理解です。そこには宗教の機能的な側面が見えません。ですから、宗教へと入信するヒトの行動、そのヒトの行動様式を的確に捉えてみると、その宗教へと入信する目的が見えて、宗教へと関わる意味が理解できるという訳けです。
少し論題から外れそうな感じですが、「行動科学としての方位学」の理解を促すために、宗教機能の具体化についてもう少しお話しますと、宗教機能の具体化とは、言い古された言葉ですが「癒しや救い」で、今日的にいえばケアーということになります。
○入信者は宗教機能としてのケアーを求めている
ところで、このケアーに相当する言葉を仏典に求めますと「抜苦与楽」という言葉にぶつかりますし、仏教をごく簡単に説明すれば「心も身体も楽になったお釈迦さまの、楽になるための教えと、楽になるための方法」であって、四苦八苦の解決方法として機能してたはずです。
私は日蓮宗の僧侶ですから、日蓮聖人のお手紙に目を向けますと、聖人は心の病ばかりではなく「されば悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり」(『可延定業書』真蹟遺文)と、また各宗派の祖師方におきましてもそのような霊験奇蹟の事実、信仰による身体的な病気に対する癒しなどの事実をも伝えておりますから、宗教機能がケアーであることの妥当性がうかがえます。
また精神医学から見た宗教機能について、「お寺や僧侶は、地域社会の心の安全弁」であると、現筑波大名誉教授学の小田晋博士は述べられており、宗教が現実の社会に根付いてきたのは、古典的な伝統や文化遺産の継承ということばかりではなく、地域社会の心の病に対する精神治療的な役割をしっかりと担ってきたからであるといいます。
また心理テストが物語る宗教の機能について、ある宗教法人が運営する「悩み事カウンセリング・ルーム」でこの10年間に来談された方々に心理テストなどを実施したところ、実にその7割強の方々(実施559人中に424人)に神経症乃至神経症領域が確認できたと言います。一般的には神経症乃至神経症領域の平均指数約40%ですから、現代においても地域社会の人々が、それを意識するしない関わらず、お寺や僧侶に求めているものは、そのような「心の安全弁」、つまりケアーという宗教機能であることが分かります。
このようなことから、どのように悪いとレッテルが張られた宗教であっても、その宗教に入信したり、また入信したいと思っている方々には「現在、何らかの理由でケアーされたい現実苦を抱えている」ということであり、先ほどの数字が物語るように、場合によっては神経症的な心の形によってもたらされる人間関係など、現実苦からの脱却を求めている方が多く集まっているといえます。
○宗教問題の背景に家庭問題が見える
ところで、ケアーされたい人たち、とくに現代の若者たちには、これまでもその特徴として指摘されている「僕たちの気持ちを聞いて欲しいストレス」「僕たちを無条件で認めて欲しいストレス」を抱え込んでおります。彼らはすでに安らぐべき家庭内で溺れ、ご両親の狭間で喘いでおり、そのような若者がオウム真理教ばかりではなく、破壊的カルトと称される教団へと、ケアーされることを求めて入信し、マインドコントロールされてしまうのです。
ここに強制勧誘などで問題になっているK会の入信者の両親に実施した心理テストの結果がありますが、ここには心理的な不安を生む家庭構造が見えております。
K会入信者の両親に対する心理テスト(東大式エゴグラム)の結果を挙げますと、
実施数:13組のご両親(26人に実施)
・母親のNP(母性性)が高スコアー:11人
・父親のNP(母性性)が高スコアー: 4人
・父親のCP(父性性)が高スコアー: 5人
これを評価しますと、NP(母性性=養育的態度)が高スコアーの母親と父親が、子どもに対し過干渉であったり、またCP(父性性=批判的な態度)が高スコアーの父親が、子どもに対し過剰に是非の判断にこだわったりすることで、子どもの自我がその主体的な自立が失われ「自分だけでは何をして良いか分からない、主体的な行動がとれない」などの心の形へと成長し、結果的に対人環境で緊張関係が生みだされ、その緊張関係に耐えきれなくなったときパニックになり、挫折を経験し家庭の中であっても不安定に孤立してしまうプロセスが見えてくるのです。
行動科学から宗教現象を眺めますと、ケアーという宗教機能の具体化、入信者は宗教に ケアーを求めていることが分かります。
○行動科学から方位方角を眺める
ではこれから、このような考え方で方位方角を理解して行くとどうなるのでしょうか。まず宗教の思想信条と同様に、方位方角においても、思想信条が先にあったのではないことはお分かりいただけたと思います。
恐らく皆さんがまず方位方角や、家相などを学んだときに嫌になってしまうのは、まず先に思想信条ありきというところで、ある人はこう言い、またある人はああ言ったと、答えがまちまちでハッキリしないところにあると思います。
それは先ほどの宗教の思想信条の研究と同様に、思想信条はどのようにも解釈が可能で、答えが一つではなく、場合によってはそれはどれも正しいとさえ言えます。ですから、まず行動科学から方位方角を眺めて、方位方角の機能的な側面を発見するところから、お話したいと思います。
では方位方角の機能的な側面はどう発見したらよいでしょうか。それを解くカギはやはりヒトの行動にあります。ヒトの行動には必ず目的があるのですから、そこにヒントがあるはずです。
<図1>鞭毛虫の行動図
このホワイトボードに図示し顕微鏡で見た微生物の動きは、ミドリムシなどの鞭毛虫類の行動なのですが、ご覧のようにプレパラートの水滴の中を下から上へ進んでいるところに、左端からが希塩酸をほんの少し付けますと、今までまっすぐに進んでいた鞭毛虫類は、突如として向きを変えて希塩酸から遠ざかるように動きを変えます。
ここで質問したいのですが、どなたかこの鞭毛虫類が直進を止め急に向きを変えた理由をご存じの方はおりませんか。なぜ向きを変えたのか。ご存じの方はおりませんか???。良いでしょう私がお答えしましょう。
まず鞭毛虫が類が直進しているときには、その直進が鞭毛虫にとって「快」、気持ちが良かったのです。しかし、途中で希塩酸が付けられたところで、直進に「不快」を覚えた、気持ちが悪くなった。だからそこで進行方向を変えて曲がり、希塩酸から遠ざかったと理解できます。
そして、これは実験で明らかなのですが、鞭毛虫の行動に変化を与えるものは希塩酸ばかりではなく、希硫酸しかり、低温の水でも行動が変化します。つまり、ここで重要なことは、鞭毛虫にとって希硫酸、希塩酸、低温水という種類に意味があるのではなく、それらが鞭毛虫に「快・不快」の情動を与えていること、鞭毛虫の行動原理に「快・不快」が働いているということなのです。 これをごく簡単に言ってしまうと、それは快・不快という生物の行動原理であり、ヒトの行動原理でもあります。この行動原理をヒトとして理解すれば、今までは無意識であったものの意識化であると言えます。古来このような「快・不快」の行動原理は、とくに中国などでは、気という概念によっって論じられて来たものです。具体的には後ほどお話しますが、ヒトの行動原理も鞭毛虫などの微生物と同様に「快・不快」の行動原理に支配されていることを念頭に置いて下さい。
例えばネコでも犬でも、体調が悪いときには、日だまりで太陽の暖かさで身体を癒しております。私たちも別に体調が悪い訳でなくとも、寒いときには日だまりへと、不快な寒さから日だまりの快へと、快を求めて動いて行くはずです。
ヒトの行動は、思想信条に支えられているのではなく、このような微生物と同様に快・不快の行動原理が基礎になっていることを理解して下さい。そして、この行動原理は、古代中国では気という経験則の概念、陰陽五行説により身体の中を流れるエネルギーとして扱われ、それはヒトの生命現象を理解し説明する方法であった。またそれはこの時代の科学そのものでもあったのです。
とくにこの陰陽五行説が気という経験則の概念で、身体の中を流れるエネルギーの感じ方、つまり快・不快という行動原理が前提になって、それらが積み上げられて陰陽五行説が出来たのです。このような陰陽五行説が漢方医学の基礎であり、治療理論であったのです。そして、方位方角や家相などは、このような漢方医学の治療法の一つでもあり、健康的に生きるには、どんな所に、どのように建物を建て住めばよいかを教えるものであったのです。
○方位方角や家相は建築を理解するファクターである
具体的なことは後ほどお話しますが、方位方角や家相などは、陰陽五行説というヒトがよりよく生きる上の約束事を基礎にして、そのようなファクターからものを考え、そういう段取りでよりよく生きるためのの生活規範を定めているのです。
ところで、現代人はどのように建築を眺めているでしょうか。私は建築理論など、何も知らない素人ですが、最近ちょっと目にした建築関係の雑誌で印象に残った企画を2つ挙げますが、現代の建築家がたがどのように建築というものを眺めているかが見えます。
◇LIVING DESIGN VOL.23
この雑誌では「建築鑑賞同好会の11のツアー」と題して、11のそれぞれのファクターから建築を眺める企画が印象に残った。
@田井幹夫氏「はとバス」と題して、はとバス観光をファクターに建物を眺める。
A田井幹夫氏「東京で世界一周」と題して、都内の大使館をファクターに建物を眺める。
B米山 勇氏「建築鑑賞心得」を挙げている。
米山氏は「when(いつ) where(どこで) who(だれが) what(何を) how(どのように)」を建築の眺め方に応用して、「when(時代) where(場所) who(建築家) why(用途) how(構造・様式)」の5W1Hをファクターに挙げている。
C五十嵐太郎氏「巨匠の小技」
D小野一郎氏「東京バロック・マニア」と題して、都内のバロック様式をファクターに、
ETaira Jin氏「螺旋の中の東京」と題して、螺旋をファクターに、
F三浦じゅん氏「宗教大建築」と題して、都内の宗教寺院をファクターに、
G五十嵐太郎氏「時速80キロの建築鑑賞」と題して、首都高沿いをファクターに、
H黒田潤三氏「メイド・イン・トーキョー」ベスト盤と題して、東京的をファクターに、
Iきたぐち さとこ氏「湾岸、巨大建築紀行」と題して、湾岸の巨大建築をファクターに、
J面出 薫氏「光り輝く建築鑑賞」と題して、光り輝くをファクターに、
◇季刊ー春「住む」創刊号
メインの企画として「正直な家」Antonin Raymond(アントニー・レイモンド)に学ぶ
家のスタイルや間取りを考える前に、もっと本質的な「住む」を考える。曰く「虚飾のない正直な家、それは生き方にも正直な家であるはず」、かって日本では自然をおろそかにしない、正直で美しい建物をRaymondは設計した。(P.17)
Raymondは1919年(大正8)31才にときに、家内も外回りも、すべて簡素で、機能的、経済的な建物を設計した。現代のエコロジーに通じるファクターを確立した。(P.23)
◇これらのポイント
この2つの企画に見える建築を眺めるファクターを評価してみると、まず初めの11のファクターも、次のRaymondの簡素で機能的、経済的というファクターも、近代の人間主義に由来しており、自分の主観的な理念なり、芸術的な観念を中心としたファクターによって構成されていることが分かる。
ところで、日本では従来どのようなファクターで建築を眺めていたのかといえば、明治期まではそれまで培われたきた陰陽五行説が、すべての事象の根幹にあった。とくにこの陰陽五行説が漢方医学の中心概念であり、医師はこの説に基づいて診断し、治療方針を立てていたことからも、それがその時代の科学であったことがうなずけます。
ところが、日本の近代社会は幕末から明治期において、文明開化の名の下に近代化を進めた。その一番大きな変革の一つは医療法の改正で、今後の医療は経験科学的な知識によって構築された西洋医学によるとし、漢方医学など伝承医学は禁止、またはその補助的な手段として扱われた結果、いま私たちの持っている知的な現実感からは、西洋医学は正しいものであり、漢方医学は迷信的であるというコンセンサスが出来上がってしまった。
そのために現代人の常識的な感覚からは、漢方医学やその治療理論でもある陰陽五行説は迷信であり、実際のところ、そのような陰陽五行説がたとえその時代の科学であると力説されても、説得力も、感化力も持たないものになってしまった。
現在にいたってほとんどの日本人が、陰陽五行説というよりよく生きるための生活規範を忘れ去ってしまった背景には、漢方医学から西洋医学への移行、陰陽五行説から経験科学への移行という科学的知識の大きな変化により、陰陽五行説は現代人の知的な現実感を満足させるものではなくなってしまったのです。
しかし、近年、漢方医療の保険診療が行われておりますが、それが可能なった背景には、陰陽五行説に基づく漢方医療の有効性が評価され、陰陽五行説が見直され始めていることをつけ加えておきましょう。
繰り返しになりますが、方位方角や家相などは、この漢方医学の治療法の一つであり、健康的に生きるには、どんな所に、どのように建物を建て住めばよいかを教えるものであった。そして、この快・不快の行動原理は、古代中国では気という経験則の概念、陰陽五行説により身体の中を流れるエネルギーとして扱われ、それはヒトの生命現象を理解し説明する方法であったのです。
2 陰陽五行説って何だろう
○一枚の紙に見える陰陽五行説について
ではここで皆さんに、陰陽五行をワークショップを通じて、理解していただきたいと思う。お手元に一枚の白い紙、さっき受付の方が、白い紙と言っていましたので、私も白い紙と言いましたが、これは奉書と言い日本では祭事などに伝統的に用いられている紙です。この一枚の紙に陰陽五行説に基づいた扱い方があります。とくに陰陽という考え方から、この奉書の裏・表を決めてもらいたいのですが、皆さんはこれをどう扱いますか。
<図2>(奉書を前に出して、具体的にやってもらう)
いかがでしょうか。奉書のザラザラの面と、スベスベの面とどちらが表・裏になると思いますか。ほとんどの方がスベスベの面が表で、ザラザラの面が裏と扱われておりますが、実は陰陽から考えますと、ザラザラの面、きめ荒い面は、広がりを象徴してますから、それは陽性で表になります。そして、スベスベの面、きめの細かい面は、固まりを象徴しますから、それは陰性で裏になります。
皆さんは書き易いか、書き難いか、と言うことで奉書の裏表を考えたわけです。書くというファクターで奉書を扱ったというわけです。私は陰陽で扱ったのです。ではこれを奉書ですから、文字を書いて祭事などで意を伝えるため扱いを考えなければならない。このままでは文字は書けないのです。
なぜでしょうか。それには奉書の裏と表、上下を決めなければ出来ないことなのです。まず奉書を横にして、奉書の陰性の部分をしたにします。奉書を縦にするよりは横にした方が安定する。この方が収まりが良いと感じませんか。
次にこの奉書のザラザラの陽性の面を内側に、つまり陽性の面を陰性側へと半分に折って下さい。すると陰性側が陽性の表になり、陽性側が陰性の裏になって、陰陽が和合して一枚の紙になります。
そして、次にこの紙の上下を決めますが、先ほど言いましたが、陰性とは固まり、陽性は広がりですから、二つに折ってある袋の部分は閉まってますから陰性で下になり、もう一面の開いているところは陽性で上になります。またこの一枚になった奉書を三つ折りにして、目録などの贈呈に使う場合には、左が陰性の内側になり、右が陽性で上になり、右から先に開くようにします。 こう話してしまうと、簡単に聞こえますが、これは伝統的にこのように一枚の奉書を扱ってきた。上下左右を決めてきた。それも勝手に決めたのではなく、この方が収まりが良い感じがするはずです。このような感じを象徴するのが陰陽五行説であって、快・不快の行動原理、経験則による気という概念なのです。
繰り返しになりますが、顕微鏡の中の鞭毛虫類の話し、快・不快の原理、そういう気分の話し、そこに気という概念が出てくる、快=気持ちいい=陽性、不快=気持ち悪い=陰性などというような、物事の感じ方、経験則が大前提になっている。このことが方位方角、家相へとつながってきたのです。そういう思想が先にあったのではない。心理学的な言葉では経験心理、この私たちが実際に体験している経験的な事実がそこにあったのです。
○陰陽五行説の由来とは
これから陰陽五行説について具体的にお話したいと思いますが、坊さんの格好をした私がこう言いますと、皆さんに「お坊さんのなのに、占師みたい!」と言われそうですね。しかし、この陰陽五行説は仏教とは深い関係でして、それは仏教によって日本に伝来し、多くの病気を治した医学理論であったのです。
ところで、皆さんは、現代の日本社会は高齢化が進み、それに伴って保健医療費は国家財政を圧迫していることをご存知だと思います。厚生省はこの数年来その改善策として、健康の維持と管理に重点を置いた医療制度改革案の中に、和漢の漢方医学を始め、アーユルヴェーダ医学と呼ばれるインド医学などを取り入れて、発病する以前の病気、いわゆる未病を克服するするための制度が検討されております。
このような医療制度改革の現場で検討されている伝承医学の一つである漢方医学の治療理論の基礎が、陰陽五行説なのです。一般的には古典的な医学と迷信扱いされておりましたが、いまその効用が再評価されています。
ではこのような医学がいつ頃日本へと伝わったかと言いますと、今からおよそ1500年ほど前の西暦414年、第19代允恭天皇の病気を治すために、朝鮮の百済国に名医を求めたことに始まると言います。とくに西暦602年第33代推古天皇の時代に観勒など百済の高僧が続々と来日し、陰陽五行説に支えられた医学書などその当時の最先端科学を伝えました。
そして、いち早くその最先端科学を取り入れたのは聖徳太子(574〜622)で、大干ばつでコレラや赤痢などの流行病が蔓莚した時、高句麗の高僧慧慈(595)を指導者として施薬院や療病院の医療施設を設置し、救済活動を実践しております。
ところで、このような歴史が物語る事実は何かといいますと、仏教という宗教が単なる心の救済にとどまらず、医療技術や建築技術までも網羅した生活の総合科学そのものであったということです。そして、その時代の総合科学の基本が陰陽五行説であり、これが現代において見直されているということです。
このような生活の総合科学(陰陽五行説)が、当時の人々の生活に密接に関わっていた事実は、鬼門を例えにお話しますと(具体的に鬼門については後ほどお話しするつもりですが)、日本天台宗の開祖、伝教大師最澄が開いた滋賀県の比叡山延暦寺は、当時の都である京都(平安京)から測りますと、北東(表鬼門)の方位に当たり、延暦寺は平安京を守る国家鎮護のために設立されてたことが分かります。
偉い学者先生の中には陰陽五行説は仏教に関係がないという方がありますが、仏教の哲学な思想性は、陰陽五行説によって説明される気エネルギーのダイナミックな循環によって営まれる身体性の上に、生命現象の上に成り立っているのです。つまり陰陽五行説はその時代の科学であったのです。
○気エネルギーの循環を明かす陰陽五行説
さて歴史は一朝にして出来たのではないことは言うまでもありません。私たちの祖先が良いことも悪いことも、正しいことも不正なこともたくさん行い、それが成功につながったり、それが失敗に終ったり、色々なことが因となり、果となり、その果がまた因となり、その因果のサイクルが歴史となって、私たちへと引き継がれて来ました。
こうお話しますと誠にお坊さんのようですね。(笑い)これこそ仏教の因縁話で耳にする「因果応報」です。現在の自分(結果)を見れば、過去の原因が判ります。現在の自分の生き方(原因)が将来の結果を招きます。
この因果応報は、日本仏教的な何かおどろおどろした「悪をなしたらこんな罰が当たる」というような因縁話ばかりではなく、厳然として循環する天地宇宙の法則そのものです。太陽系の諸惑星は見えない引力によって公転し、地球は公転しながら自転しておりますから、昼夜が生じ、日月が運行し、地上に四季の変化がもたらされて循環しております。
そして、ヒトは皆この宇宙の循環の法則に支配され、誕生してから、青年・壮年・老年となり、やがて土に帰ります。生きている間は祖先の因果律を受け継いで、刻々と変化して止みません。植物も、昆虫も同様に変化し、そうして生命現象を維持しながら、横のつながり、相互扶助の関係において繁栄しています。
古代の中国では、このような「万物の生成変化は、気エネルギーによる」と説明し、また私たちの心と身体は大宇宙から授かった「精巧な小宇宙」であると理解しました。
つまり、私たちは大宇宙に循環する気エネルギー(大気)の中にこの身体を置き、小宇宙(私たちの心身)を循環する気エネルギー(内気)によって、生命を養っております。ですから、健康で長寿を保つためには、こうした自然界の働きに逆らわず、自然の流れに調和して、安定した生活を送ることが必要だと言うのです。
○気エネルギーの陰陽二気の法則について
私たちを取り囲む大宇宙の気エネルギーの循環について、古代の中国ではこの気エネルギーの発生について、大宇宙の始めに混沌としてある大気があり、この大気を太極と呼び、ここから始まったといいます。そして、それがどのように始まったのかと言えば、この大気(気エネルギー)の中に「清濁・軽重・寒暖」の差別が生じて、軽くて澄んだ温かいものは、上方になびいて天となり、重くて濁った冷たいものは、下方に沈んで大地となる。
つまり、天の気エネルギーは陽気であり、大地の気エネルギーは陰気であると言います。そして、この陰陽の二気がお互い複雑な関わり合いをすることで微生物が生まれ、やがて万物・人類の発生したと言うのです。
古代の中国人は、この二気、天の気エネルギーを天干・十干と、地の気エネルギーを地支・十二支と呼び、日常生活の法則を探ったのです。
どのように探ったかといいますと、
・昼間の動があれば、夜の静がある。
・昼間の明があれば、夜の闇がある。
・昼間の暖があれば、夜の寒がある。
・男性を陽とすれば陰の女性があり、また男性の中にも女性の陰の要素があり、女性の中にも男性の陽の要素がある。
さらに、日月・夏冬・春秋・優劣・善悪など、あげれば切りがありません。つまり、自然界のすべては、相反する性質の相互関係から成り立っていることが、観念的な哲学ばかりではなく、気エネルギーの陰陽関係として現実的に確認できるというのです。
ここでもお断りしておきますが、陰陽二気という思想が先にあったのではなく、快・不快の行動原理、その経験則が先にあって、その経験心理を具象化して陰陽二気と表現したのです。
このように私たちの生活を理解して行きますと、仏教という宗教でお経を読んだり、坐禅を組んだり、いろいろな修行をしますが、その意味が理解できます。例えば「ヒトの心が悲しみに覆われた」とき、陰陽二気から理解すれば、心に地の陰性の気エネルギーが多くなったことを意味します。ですから、その時には「天の陽性の気エネルギーを増やす」ことをすれば良いことになります。
仏教寺院の本堂には、必ず金色に輝く仏像や、大曼荼羅ご本尊が奉安されております。それは陽性の気エネルギーを放出し金色に輝く仏像や曼荼羅が、陰性の気エネルギーに支配され悲しみや苦しみにある心を癒しているからに他なりません。
○諸行無常の現実・陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずるの法則
陰陽の二つの気エネルギーによって、自然界のいろいろな働きや、社会現象を説明できることがお分かりになったと思います。またこの陰陽二気の関連は、この陰性が極まれば陽性に転じ、陽性が極まれば陰性に転ずるのです。月が満月になれば次の日からは欠け始め、新月になればやはり次から満ち始めるように、一つの現象には必ず陰陽の2つ気エネルギーの働きが含まれ、バランスを取っていると言うのです。
不況の風が吹き荒れて、株式を上場していた証券会社や大手銀行が相次いで倒産してる現代を、あのバブル経済全盛の時期、高度経済成長の真っ只中で、誰が予想したでしょうか。まさしく陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずるの法則、陽極まれば陰に転ずるの事実が示されております。
仏教は諸行無常という言葉で、陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずるの法則を言い表しております。古人はそれを「栄枯盛衰は夢の如し」と詩に詠みその無常観を伝えて、無常なるものへの執着を戒めております。
仏教という宗教イメージについて、多くの方は精神的な教訓を説く宗教であると誤解されておりますが、今お話しましたような陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずるの法則など、大自然の摂理を知り、その理にかなった生き方を教える生活の総合科学なのです。
例えば、信仰によって心を正しくコントロールできる社長の場合、会社の権力もあり社の実権と支配力があっても、栄枯盛衰の摂理を熟知し、その夢に執着しませんから、盛りを過ぎますと顧問や名誉職へとおさまり、引退することが出来ます。しかし、欲望をコントロールできない社長の場合、先々の願望や欲望のみが強いために、摂理を忘れ頂点はまだまだ先と思い権力に固執し、最終的には逃げ道がなくなり失敗者へと追いやられる。
仏教という生活の総合科学は、諸行無常の現実を素直に受け入れられる心の科学でもある。そして、その心を開く方法は何かといえば、インドのお釈迦さまの場合はヨーガの瞑想でした。日蓮聖人の場合は南無妙法蓮華経の唱題行でした。大変に信仰的なお話しになりましたが、教えは実践されなければ機能しませんので、是非実践して下さいとお願いして、方位方角のお話しへと繋げましょう。
○五つの要素(陰陽五行説)の相生関係について
<図3>五行の相生
いよいよ本論へと進んでまいりました。古代の中国人は大自然の、陰陽という相反する気エネルギーの循環の中に、5つの要素「木・火・土・金・水」を発見して、それを五行と名づけました。そして、この5つは物ではなく、陰と陽の循環をもつ気エネルギーの5つの要素で、この5つの要素から自然界の運行・変化を解き明かそうと考えたのです。
この5つの要素は、@木から火が生み出され、A火は燃えて土(灰)となり、B土からは金が生み出され、C金は水(水滴)を生み出し、D水は木を育みます。このような関係を相生関係といい、相手を支え合い、生み出して行く関係を言います。
具体的に皆さんが相性を占ってもらうとき、この様な相生関係であれば良縁なのです。一白水星の人と四緑木星の人は、Dの「水は木を育む」ので共に助け合ってよく育つのです。
そして、この5つには次のような象徴があります。(皆さんにお配りした資料の「五行配当表」を見れば分かりますが)
@木性は東に生じ、春の象徴であって風を表し、植物を象とします。
A火性は南に生じ、夏の象徴であって熱を表し、炎を象とします。
B土性は中央に生じ、四季の土用を象徴として湿を表し、大地を象とします。C金性は西に生じ秋を象徴として燥を表し、鉱物を象とします。
D水性は北に生じ、冬を象徴として冷を表し、流水を象とします。
これは自然界の生成発展する摂理なのです。植物は春に生じ、夏に繁茂し、秋には稔り、冬は休眠状態に入りなどの生命サイクルなのです。人間の一生もこれと同じ相生の生命サイクルで動いております。これが五行の相生の関係です。
○5つの要素(陰陽五行説)の相克関係について
<図4>五行の相克
いま5つの要素が助け合い、生かし合う相生の関係を説明しました。これから5つの要素が互いに苦しめ合い、殺し合う相剋の関係についてお話しましょう。
現代は自然保護の名目で、鹿や猿が禁猟になっているために、日本の山林は大変な被害にあっております。変に聞こえるかも知れませんが、狩人や狼という天敵を失った鹿や猿は無制限に増えすぎ、冬場になると鹿は樹木の新芽や皮脂を食べ、猿は農作物を食べてしまうからです。
鹿や猿にとって狩人や狼は恐ろしい天敵であっても、樹木などにとっては救いの神です。丁度この樹木と狩人などの関係を相生としますと、相剋関係とは、相手にやっつけられたり、相手をやっつけたりする関係で、狩人と鹿たち、鹿たちと樹木などの関係をいいます。
自然界には相生・相剋関係がかみ合っており、古代の中国人は相剋関係を5つの要素(五行)で説明したのです。木性は土の栄養分を吸収し土性を害す。土性は水を濁らせ水路を変え水性を害す。水性は火を消して火性を害す。火性は鉱物を溶解し金性を害す。金性は木を傷つけ木性の成長を害す。そして、この関係も循環し一方的に負けるばかりではなく、やがて復勝といって報復するのです。
木は土を制し土は木に負けますが、負けているばかりではなく、やがて相生関係であり、その子どもである金を生み出し、金によって木を制し報復するのです。古典の「母をいじめた者を子によっていじめ返す」という関係を復勝と呼んでおります。
要するに自然界は、長い目で見ておりますと、相生・相剋の関係を均衡にして、分け隔てのない平等な関係を営んでいるのです。
具体的に相性を占ってみますと、一白水星(父)の人と四緑木星(母)の人は、「水は木を育む」ので共に助け合ってよく育ちます。図を参考にして下さい。仮にこの二人に子どもが出来て七赤金星の第一子が産まれますと、「金は木を制し、土に助けられ、水を生み出す」ので父とは相生、母とは相剋となり、もし第二子が九紫火星ですと、「火は金を制し、木に助けられ、土を生み出す、火は水に害される」ので、父とは相剋、母とは相生、第一子とは相剋となります。
お互いの相性が相生であっても、授かりものの子宝は、相剋であったり、復勝であったり、相生だけ家族というわけには行かないのです。
自然界は、この相生・相剋の関係、そして、復勝の関係を営んで生成発展しております。家族も同様、全体で一つの生命が営まれ、苦楽を共にしながら家庭人はみな成長して行くのです。
○方位の障りについて
いよいよ本題の「方位の障り」に辿りつきました。ここまでまいりますと、皆さんのはもう「方位の障り」が迷信であるという気分は薄らいだと思います。方位などは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という占いの類と考える時代は過ぎ去ったと思います。現代の医療制度の中でも漢方医学は再評価されつつあり、その治療理論である「陰陽五行説」は近代医学にはない体質の判定や、生活習慣病の治療には、大変に有効なことが指摘されております。
ところで、方位方角へと話しを戻しますと、ここに四緑木星の生まれの方が居たとしましょう。この陰陽五行説で理解しますとす、この木性の星に産まれた人は、木性にあった方位方角、つまり東の方位にあるエネルギーを大切にすることで、その木性の気エネルギーを最大限に生かせるということになります。金性は西、火性は南、水性は北、土性は中宮となります。これも経験則から快・不快の行動原理から蓄積されてきた、感覚的な象徴です。
<図5>良い土地の取り方と悪い土地の取り方
ところで、このような陰陽五行説から、日本人の生活にあった家の建て方を調べますと、まず敷地は北側に山を背負い、南側と東側を広くあけることが望ましいといわれます。そして、建物は南面といって南側を中心にして東側から朝日は当たり、日中は南面の縁側へと日が射し込み、さらに西日が当たらないように配置しております。
ところで、このような方位を無視して家を作った場合、一体どうなるのでしょうか?。たとえば、その敷地が南側に山を背負い、北側があいており、加えてそこに池などのあるところに家を建てたとしましょう。
その家では土星の星回りを持つ方々は、「殺気」といってその家では健康的に暮らすことができず、とくに腎臓や膀胱など泌尿器科系の病気で苦しむことが予想されます。
これは実際のことで、上の状態よりやや東側に寄って家を作っておりましたが、まず二黒土星の星の子供さんが、その新居へと屋移りしてから間もなく体調を崩し、病院へと3ヶ月ほど通っているが良くならず、何か障っているのではというので方位を調べました。
まさにこれは方位の障りでした。一般的には方位除けすれば思われるかも知れませんが、この場合には方位除けはできませんので、転地療養するように指導し、病状はそれで安定しました。しかし、結局のところ、この家で仕事をしていた主人は事業に失敗しその家を手放すはめになり、一家離散でした。方位の障りは陰陽五行説から割り出せるのです。
3 迷信ではない鬼門の話し
○鬼門の恐ろしさ
<図6>鬼門 家と土地
私もいいままで鬼門について納得の行く説明を聞いたことがありませんでした。ですから、自分でその納得の行く答えを自分で探したのです。これからお話しする鬼門の話しは、皆さんが納得の行くことだと思います。実際に鬼門を侵した事例を踏まえながら、その恐ろしさをお話しましょう。
まず古典的な鬼門の意味は、家にしましても、土地にしましても、その中心から見て艮門(生門)の丑寅(北東)から、坤門(死門)の未申(南西)を結ぶ方位を指します。一般には表鬼門(北東)、裏鬼門(南西)と呼ばれます。
そして、この方位を侵した場合、病人や禍がおきるといいます。とくに表鬼門に流し台など不浄物を流す水まわりを配置した場合では、一家の主人は胃腸病など、主婦は婦人病などの病気に罹るといいます。
さらにその古典的な解釈では、その鬼門という方位、鬼の門から想像できるように、鬼神などの神様の通る場所だから、汚いものを置いたり、その方位を侵してはならないと言います。
ところで、陰陽五行説では、中宮の真中を五黄土星を中心にした東西南北の方位盤に、木火土金水の星を配当して、九星気学を用いて理解します。つまり、気エネルギーの性質によって、その場所と置かれるものの相性の善し悪しがあります。先ほどもお話したように、その年を支配する気エネルギーと自分自身の生まれ年から配当される気エネルギーの相性によって、その年の運気の善し悪しがあります。
ちなみに、今年は七赤金星の気エネルギーが中宮ですから、金性の気エネルギーが支配する年です。すると北方に位置する三緑木星、艮門の表鬼門に位置する一白水星が大厄になります。それはその年を支配する気エネルギーとの位置関係によって、是非の関係が成立するのです。
そして、このような陰陽五行説から鬼門の木火土金水の方位盤を配当しますと、表鬼門が八白土星、中宮が五黄土星、裏鬼門が二黒土星でいずれも土星まわりです。ですから、鬼門上には土性の気エネルギーと相性の悪い水性の気エネルギー、不浄な水まわりなどを置いてはならないと言うことになります。
また、土性の気エネルギーは土の性ですから、ものを凝縮する働き、貯める働きの陰の性をもっておりますから、不浄な気エネルギーは流れることが出来ず、それどころか流れを失った水が腐ってしまうように、そこでは気エネルギーが生成されずに、そこでは腐った淀みがいつまでも続く結果を招くのです。ですから、鬼門を侵してはならないのです。
ところで、この鬼門を侵したAさんご一家のお話をしましょう。このご家族は年の暮れ「冬至10日は植木の手入れなどをしてよい」という古事を安易に理解し、家の鬼門線上に位置するご神木の大きな枝を払いました。(これは余談ですが、昔の方々は生活の知恵で、土地の鬼門には稲荷大明神や、土神様などをお祭りし、ご神木を植えたものなのです。)
すると暮れも押し迫ったころ、突如としてその家の長男が風邪から体調を崩し、新年を迎えた頃には予断を許さないほど重篤な状態になり、病院ではこれ以上手の打ちようがないというほどでした。
相談を受けて家へとおもむき、方位盤を当ててビックリしました。土地鬼門ばかりではなく、家の鬼門を侵しており、とくに表鬼門の浄化槽など水まわり、裏鬼門には重篤になっている長男の書斎が足し間されておりました。
そこで鬼門を封じる鬼門除けの陰陽五行の弊束札をつくり、方位除けを行いました。幸いなことに、鬼門を侵している期間が短かったためか、鬼門除けが功を奏し、半ばあきらめていた病状は、薄皮をはぐように好転し、医師をして奇蹟的な回復であるといわしめたほでした。
○続いて鬼門の恐ろしさ
今までは陰陽五行説の古典的な理解を基礎にしてお話しましたが、これからその実際を現代の科学的な研究からお話しましょう。
◇漢方医学の基礎知識
まず科学的な研究についてお話しする前に、陰陽五行説によって説明される気エネルギー医学的な知識について、おこれだけのことは理解いただきたい。陰陽五行説の行動科学では、私たちの身体の中をおよそ12のルートを通って気エネルギーが流れ、生命現象を維持しているといいます。具体的にその12にルートの縦ルートを経脉、横のルートを絡脉といい、それを総称して経絡といいます。
そして、その種類を陰陽五行説に配当して、 @に肝臓や胆嚢の働きに関係するもの「木性の陰性を肝経、陽性を胆経」 Aに心臓などの循環器系に関係するもの「兄火性の陰性を心経、陽性を小腸経」 Bに身体全体のバランスに関係するもの「弟火性の陰性を心包経、陽性を三焦経」 Cに脾臓や胃腑の働きに関係するもの「土性の陰性を脾経、陽性を胃経」 Dに肺臓などの呼吸器系に関係するもの「金性の陰性を肺経、陽性を大腸経」 Eに腎臓や膀胱などの泌尿生殖器系に関係するもの「水性の陰性を腎経、陽性を膀胱経」 の合わせて12のルート(十二経絡)として、身体の六像六腑への気エネルギーの循環を説明します。
◇気エネルギーは身体の体液中を流れる
またこのような体内の気エネルギーを漢方医学では「気血水」という概念で一まとめに扱い、気エネルギーが血液を含んだ体液の中に蓄えられていると考え、また気エネルギーの体内の循環はこのような体液の12のルート上の流れに関係するといいます。
実際にヒトの身体の皮膚の下の多水層は、細胞の間を酸素や栄養分を含んだ体液に満たされております。それは心臓の力によって送り出された血液が、末梢の毛細管から血漿成分だけが漏出しています。
その多水層は基本的に浸透圧が、プラス・マイナスでゼロになって流れがありません。しかし、実際には細胞間ではイオン交換が行われ、血管から漏出した体液はリンパ管へと循環しております。本来は流れのないところで、なぜイオン水が循環しているかと言えば、皮膚の下ではマイナス・イオン水である体液を循環させるために、1/1000ボルトのミリボルト単位の電位を誘発し、電気的な勾配を作ってマイナス・イオン水の流れ、気エネルギーの流れを作っております。そして、その循環のルートを古典の12のルートと比較すると、ほぼ一致しております。
◇身体の皮膚は電気を起こしている
<図7>経絡上の電位勾配を計る
ところで、いまお話したような体液であるマイナス・イオン水の循環であると考えられている気エネルギーの流れを計るために、皮膚の真皮組織内に深さ1ミリ程度にシールドされた電極を挿入し、気エネルギーの流れるルートの経絡上の2点間を直流アンプ(DCアンプ)で計り、その2点間の電位差を調べれば分かります。
実験は二の腕の内側で計りますと、安定しているときには2点間では50ミリボルトから80ミリボルト電位差が見られ、そこではそれだけの電気的な勾配ができて、体液が循環していることが分かります。
そして、この電気的な勾配によって流れる体液の循環は、天候などの外気の影響を強く反映します。例えば、天候が良い日には体調が良かったり、逆に雨などの悪天候には身体の節々が痛んだりするようにです。
それはなぜかといいますと、天気の良い日には、私たちが普段生活している地上には、およそ地上1メートルほどの所では、静電位でおよそプラス数ボルトが帯電しており、 そのため身体の電気的な流れは外のプラスの静電気と、少ない湿度に守られて安定しております。ですから体調が良いのです。
しかし、雨天には地上と雲の間ではその帯電状態が逆転して、地上から雲までがマイナスになり、雲の上だけがプラスになっておりますから、身体の電気的な流れは外のマイナスの静電位によって不安定になり、また湿度が高いために身体の電気的な流れが外へと漏電するなど、ますます不安定になってしまいます。ですから、体液の循環が阻害され節々が痛んだりするのです。
つまり、大気のマイナスの静電位と高湿度によって、身体の電気的な流れが阻害され、経絡上の電位差が小さくなって、体液の循環が阻害されるのです。
◇鬼門の科学実験とは
このような身体の電気的な仕組みをセンサーとして利用して、次のような鬼門に関する実験をしました。まず始めに天候の良い日の家の中で被験者Aさんの身体の電気的な流れを測定し、続いて家の北東側にあたる表鬼門(丑寅)辺りに大きめのバケツに水を張って2時間ほど放置し、その後に先ほどと同様にAさんの身体の電気的な流れを測定しました。
すると始めは天気の良い状態ですから50ミリボルト程度の安定した電位差が測定できましたが、表鬼門に水を張ったバケツを放置した場合には、まるで雨天時のように電気的な流れが不安定になり、電気的な勾配は10ミリボルト程度以下で不安定になっていることが分かりました。
この実験の意味するものは、とくに表鬼門の上に」水回りを置いた場合には、家中に水の陰気が回って、天気の良い日であっても雨天時のように、身体の電気的な流れが阻害されているということです。
お気づきの方もあると思いますが、鬼門上に下水やご不浄などが置かれている家に住むということは、毎日が雨天のような陰気にさらされて生活しているようなもので、漢方医学的には不健康きわまりないということなのです。
この実験から、いかに私たちが外気の影響を受けていることが、お分かりいただけると思います。
○陰陽五行説による家の建て方について
ところで、昔の方々の家の建て方、土地の使い方なども、この陰陽五行説をきちんと応用しているのです。それは南面取りなどと言って、家を建てる場所は南と東を出来るだけ広くあける。するとその家では一日の間お天道様の恵みをいただいて、明るくて健康的な気エネルギーの流れに支配されると言います。
こういうことも経験則から積み上げられてきたようですね。いま顔を南に向けますと、左手は=陽がし(東)の手となり、右手は=陽が満ち(右)手というような、語呂合わせがあるところからも、その南面取りの意義が見出されます。
<図8>九星気学の基本配当
図は九星気学の基本的な配当図の模式図ですが、ここに配当されているように、陰陽五行説に則って、土地の使い方や、家の構造などを決めて行くことが、健康的に暮らせる家の基本と言うことになります。べつに特別なことを求めているわけではなく、この象徴に合わせて、北側の陰性には堅牢なしっかりとした山側を背負い。東側には陽性の陽が一番に入るように、南側の陽性の陽が日中の間には長くさし込むように、共に広くその場所を開ける。そして、西側の陰性の夕陽が当たらないように、竹林や植え込みを高くして遮る。これらの立地条件はまさに陰陽五行説が背景になっているのです。
ちなみに、あるそれなりの土地がありますと、それをいま挙げたように家を建てますと、家の玄関なりが、必ず五黄土星の位置辺りになります。そうすると、その土地を流れる健康的な気エネルギーの流れは、土性の気エネルギーは土の性ですから、ものを凝縮する働き、貯める働きの陰の性をもっておりますから、自然界の法則に則った健康的な気エネルギーは、その家の東側、南側から家全体に流れ込むように作用します。
また八土から五土・二土に抜ける鬼門上は土性の流れですから、八土の表鬼門から五土の中宮を通って、二土の裏鬼門に抜ける流れがあり、八土には不浄ものなり、水回りを置いてはならないと言われるのです。では水回りや、ご不浄はどこにと言いますと、当然全てを飽満し、固める場所と言えば北側辺りに位置するのが自然だと言えます。
では仏壇や、神棚の位置はと言えば、五土の辺りから東向き、ないし南向きが陽性の気エネルギーが流れる場所ですから自然だと言えます。
このように、陰陽五行説の配当を基礎にして行きますと、昔の方々の智慧がいかに妥当であったかが理解できます。建築をお仕事にする方々は、いままでこのような方位方角の伝統的なファクターについて、学ばれたことは少なかったと思いますが、これを機会に是非とも、伝統的な方位方角、家相というような考え方を学んでいただきたいと思います。 これで講演を終わらせていただきますが、何かご質問がありましたら、お時間の範囲でお答えいたします。
Q:方位方角夜、家相の基礎になっている陰陽五行説は、たとえば、右手が陽性で動の手で、左手は陰性で静の手といえますが、これは右利きのヒトはそうなりますが、左利きならば逆に全て考えるでしょうか。
A:そう」ですね、確かにこの陰陽五行説は、右手優位がスタンダードになってますから、逆にして考えなければいけないこともあります。いまお話になられた、左利きの手の場合でしたら、脳の構造が逆になっておりますから、そのヒトの日常における行動に関しては、逆に考えなければつじつまが合いません。
しかし、家の構造や、土地の使い方に関しては、それは生活環境のことですから、左利きの方でも関係なく、そのままスタンダードとして応用できると思います。ただこの陰陽五行説がスタンダードとして応用できる環境は、日本近郊に限られるはずです。なぜなら、この陰陽五行説が経験則の積み重ねによって出来上がっているならば、日本の環境と違ったところで、修正されるべきことがあるはずです。
たとえば、インド医学の治療理論は、ピッタ(火大)、カパ(水大)、ヴァータ(風大)という3つの要素の組み合わせで説明するのですが、インドにおけるピッタの性と、日本におけるピッタの性では、その温かさの基準が違うために、修正して理論を展開しております。その方法論は変わりませんが、基準値が環境に応じて異なって行くのは、これらの理論が経験則の積み重ねである以上は仕方のないことであると思います。
これで丁度時間になりましたので、終わらさせていただきます。ご静聴ありがとうございます。
◇第2回 陰陽五行説を学びましょう会◇
行動科学からみる陰陽五行「祈祷と暦について」
主催:立正福祉会 『すこやか家庭児童相談室』
講師:室長 影山教俊(人間行動学博士、PH.D)
日時:2007/07/17
◆前回のPOINT
○陰陽五行とは、「気」にもとづく生活の理解である
○理解の方法は、よりよく生きるための生活行動を体験的に理解することである
○ヨーガの有我論も、仏教の無我論も、共に体験の説明方法である
有から説明するか ───────────────── 無から説明するか
陰陽五行も体験的なことの説明方法である→しかし、体験なく思想信条に固執する→概念化
○現代人に陰陽五行が理解されない理由は、体験の学の習い方が喪失したからである
陰陽五行などは=東洋学と呼ばれた(体験の学)→師弟関係=師資相承
↓
師弟関係の学びは=自分を修めること
○概念化された陰陽五行説は、「知っている・分かっている」という理解でそこに自分が居ない
東洋学は師資相承を通じて、「気」(自分の気分)の体験によって、自分自身を修めることにある
※陰陽五行を学ぶ大前提である
○陰陽五行は体験の学であるから、思想信条として理解することより、ヒトの行為をじっくり見る
方法論として行動科学の分野とかさなる=心と身体の反応から考える=心身相関論
情動=心と身体の反応→怒ると心拍数上昇 悲しいと胃酸分泌抑制される
○宗教理解も思想信条より行動科学からの理解が納得しやすい
宗教行為=どうして宗教が必要なの→宗教的な親和性として理解できる
現代人は思想信条という体験を誘導するための言葉に右往左往し惑わされている
ヨーガ→神さまの中の自分(神に背負われて生きる)
仏教 →清浄な意識の中の自我
○体験的に考えることが重要
べん毛虫の話→快・不快の原理=体験的なこと=「気」の感じ(気感)=気分
気持ちのよい方向に自分を向ける→陽を補う(補陽)→気の感覚で解説すること=陰陽五行
○基本的な気感について=快・不快の原理
体調不良の動物を見ていると→熱っぽければ冷やしている(陰を求める)
冷えていれば温める(陽を求める)
陽・生=陰・死→養生するには=補陽(陽を補う考え方)
○方位・家相について
養生のために方位・家相はある
陰陽五行には個性がありすべてが一緒ではない
統合性失調は人口の0.7パーセントが羅病する
死の受容も養生のひとつ
◆今回のPOINT
○気学的な厄災(厄による災難について)=星回りの考え方
平成19年(2007年)丁(ひのと)亥を迎え、年頭のご挨拶を荒行堂より申し上げます。本年も健やかな日々を過ごせますように、ご祈念申し上げております。
昨年は三碧木星が中宮にあり、この木星は若木のイメージですから、キーワードは「なかなか先行きが定まらずハッキリとしない年度になる」と申し上げました。実際に小泉総理大臣は退陣し、若き安倍総理の内閣が誕生しました。しかし、その結果はご存じのように、期待が大きかったばかりに、自身の幹事長時代の問題や、新大臣の不祥事が続き、内閣支持率は低迷し始め、新年はどうなることやら、そんな情勢です。
☆本年の星回りについて
さて、今年度はといえば、二黒土星が中宮に位置します。この二黒の星はエネルギーがいまだ形にならずに混沌とした状態を象徴し、やはり本年もことがハッキリとは進まない星回り、何ごとも慎重にして、すべてにおいて飛躍を望まないよう地道に積みあげる生き方が大切です。また、五黄土星のエネルギーの強い星が東北の丑寅、表鬼門に位置し裏鬼門を見すえてますので、地震などの災害が予想される年度です。丁(ひのと)は「火の弟」の十干に配当されますので、季節的には初夏から秋にかけて事件や事故にも要注意の年なのです。
☆まず 「一白水星」は南東に位置し、季節では初夏を象徴しますから、昨年から積極的に実行してきた事柄が形になるよう取捨する時期、あたかも稲の成長が邪魔されないよう余分なものを間引き、雑草を取る時期といえます。余分なことには手を出さないことです。
☆「二黒土星」は
本年の本命星で中宮に入り八方が塞がり、外へと働きかけても動きのとれない状態を意味しております。しかし、それが悪いことを象徴しているのではありません。じっと内心で自分の思いを温める時期でもあります。
☆「三碧木星」は北西に位置し、季節では晩秋を象徴しますから、新たなことを始めるための準備期間、とくに上半期は収穫期を迎えるための、綿密な計画準備の期間です。あなたは収入に見合った生活設計をしていますか。
☆「四緑木星」は西に位置し、季節では収穫の秋を象徴しておりますから、この数年間努力して積み重ねて来たことが稔る時期です。十分な実りを得ることができましたか。この時期に自分自身の生き方をしっかりとふり返りましょう。
☆「五黄土星」は北東に位置し、季節ではまだ根雪の殘る初春を象徴しておりますから、ちょうど田植を待つ農家のように、日常生活を営みながら春の準備を確実にしているならば、下半期からはその努力が報われるでしょう。まだ自分の都合で動いてはいけません。機は熟していないのです。
☆「六白土星」は南に位置し、季節では盛夏の真っ最中を象徴しておりますから、周囲からの引合いも多く認められる時期です。 しかし、油断は禁物です。熟慮の上にさらに熟慮してかかりましょう。
☆「七赤金星」は北に位置し、季節では厳寒の冬の真っ最中を象徴しておりますから、ひたすら春の到来を待つといった暗示です。何よりも休養に心がけて健康診断を受けることも、安心を買う意味で必要でしょう。
☆「八白土星」は南西に位置し、晩夏から初秋を象徴し、収穫の時期を控えて、稲穂の育ちかげんが目につく時期です。その出来栄え一つで一喜一憂せずに、たとえ自分の取り分が少ないと思っても、それを分相応にいただく確実な努力が必要です。
しかし、本年は暗剣殺を背負いますので、事件事故など突発的なことに要注意です。☆最後に「九紫火星」は東に位置し、季節では春を象徴しておりますから、ちょうど田植の時期に当たるといえます。新たなることの始まりです。確実な第一歩を踏み出しましょう。
○現代語訳『摩訶止観』第七章第三節「病患境」の主旨
『摩訶止観』の「観病患境」の構成にしたがいながらその主旨を挙げよう。
T「病患の様相」について
(大正四六 一〇六A〜一〇七A、『摩訶止観』下一八三頁〜一八五頁)
@四大の病相
医術の基本は四大を知ることが肝要である。一般に上医は声を聴き、中医は色を相し、下医は脈を診るといわれる。ここでは簡略に医述の方法をあげるが、脈法は医道にかかわることなので、ここでは具体的なことはいえない。
まず五臓の病相をあげよう。
・肝の病相の脈は洪直
・心の病相の脈は軽浮
・肺の病相の脈は尖鋭衝刺
・腎の病相の脈は連珠
・脾の病相の脈は沈重遅緩
これらの病相の詳細は、医療家(体治家)の諸説にしたがうべきである。
次ぎに四大の病相をあげよう。
・地大の病相とは、身体が苦重となり、節々などが堅く結して疼痛があり、また枯れたように手足がしびれて瘠るなどの症状となる。
・水大の病相とは、力なく浮腫み、脹するなどの症状となる。
・火大の病相とは、全身が激しい熱になり、身体の節々がつらく刺すように痛んで、呼吸が息苦しなどの症状となる。
・風大の病相とは、心がどこかに引っかかったように、気抜けしてぼんやりして、心の奥で苦しみもだえて、自分の正体がなくなってしまうような症状となる。
A五臓の病相
ここでは陰陽五行説に基づき五臓の病相と療法が並記されている。
・肝の病相とは、
顔に光沢がなく手足に汗をかかずに乾いたようになる。また肝(木性)の上に白いもの(金性)がある(金性が木性を克す)ときには、澄んだ目が赤くなって痛むようになる。また脈は緩慢となり目が白くかすむようになる。あるいは、澄んだ目が破れてまぶたに腫れ物ができる。また風に当たり冷えて涙が出たり、痒みをおぼえたり、刺すような痛みを感じたりする。また目のまわりがくぼんだり、少々のことですぐに怒ったりするなどの症状が見られる。
これは肺経(金性・陰性)が肝経(木性・陰性)を害(相克関係)しているために、この病相が生じている。このような肝の病の治療には、呵気を用いる。
・心の病相とは、
顔色が青白く(水性が火性を克す)なる。また心(火性)の淡熱(陰性に偏り)で手足が冷えて、気分が晴れずに力なく、唇は燥いて裂け、臍のした辺りにはしこりができる。また熱い食べ物はのどを通らず、冷たい食べ物には食欲がわかない。そればかりか、めまいや極度の眠気や物忘れ、胸はいっぱいで目もくらみ、言葉はどもってしまい、肩胛骨は凝って痛み、手足の肢体はうずき痛み、気分はあれやこれやと思いなやみ、身体の表面は湯気が上がるほど熱くなる。その症状はまるで熱が上がったり下がったりするおこり(瘧、わらやみ、マラリア)のようである。あるいは身体が堅くなり、また水をこばみ、眼は絹布から外をのぞくように近くは見えるが遠目は利かないなどの症状が見られる。
これは腎経(水性・陰性)は心経(火性・陰性)を害(相克関係)しているために、この病相が生じている。このような心の病の治療には、吹気・呼気を用いる。
・肺の病相とは、
顔色がどす黒くなる。肺が脹れて胸が塞がり、両方の脇の下や肩胛骨が痛んだり、うずいたり、まるで重い荷物を背負っているようである。また頭やうなじ痛み、呼吸は喘ぐようになって息は出るが吸い込むことが困難になる。身体のあらゆる所に出来物ができ、喉はまるで虫がはっているように痒くなり、それを吐き出すことも出来ない。また喉にはれ物ができ、口は強く結ばれ息を吐くときに風の吹くような音をたてる。また鼻からは膿の混じった血が出て、眼は暗く、鼻柱はうずき、鼻の中の肉が盛りあがり息が通らずに、ものの香りが分からなくなるなどの症状が見られる。
これは心経(火性・陰性)が肺経(金性・陰性)が害(相克関係)しているために、この病相が生じている。または冷たい水を飲んだり、熱い食べ物を食べたり、極端な飲食が原因で生ずる。このような肺の病の治療には、嘘気を用いる。
・腎の病相とは、
身体に気力なくひ弱である。不整脈があり、身体の節々はうずき痛み、そして浮腫んでいる。また耳は聾者のように聞こえず、鼻は塞がり、腰は痛くなり、背中はかたく凝ってしまい、胸と腹ははれ満ちて上気している。手足の四肢は重くなり、顔色は黒ずみ、痩せて、胸は痛んで悶絶し、尿はたれ流れ出たり、出なかったりして、脚膝は冷えてしまうなどの症状が見られる。
この病は、スッポンように頭なく顔のない鬼がやって来て、人を包み込んでしまうために生じている。またこの病は、脾経(土性・陰性)が腎経(水性・陰性)を害(相克関係)しているために生ずる。このような腎臓病の治療には、[口*臣*巳*水]気を用いる。
・脾臓の病相とは、
身体の辛いさまは、ねばっとした麦糖のようである。身体は風にあたっても痒みを覚えるように、全身が痒くなって悶え苦しむなどの症状が見られる。
この病は、肝経(木性・陰性)が脾経(土性・陰性)を害(相克関係)しているために生じている。またその形はといえば籠桶のようで、また小児があちらこちらを経巡るように、また旋風が渦を巻いて舞い上がるようである。このような脾の病の治療には、[口*詩]気を用いる。
B六神の病相
・とても?い気分になっているときには、肝経(木性)のなかに魂がない。
・よくことの前後を亡失してしまうときには、心経(火性)のなかに神がない。
・よく恐れを抱いたり、狂ったようになるときには、肺経(金性)のなかに魄がない。
・よく悲しんだり、笑ったり気分の変化があるときには、腎経(水性)のなかに志がない。
・よくあれやこれやと思いを巡らせるのは、脾経(土性)のなかに意がない。
・よく恨みの思いを抱くときには、陰のなかに精がない。
U「病相の原因」について
(大正四六 一〇七A〜一〇八A、『摩訶止観』下一八六頁〜一九一頁)
病気の原因には、次の六つがある。
@四大の不順の病
A飲食の不節制による病
飲食が不節制であればよく病気になりやすく、飲食の節制法には二つある。
・飲食と四大について
・五味と五臓について
B坐禅の不調
C鬼神病
D魔病
E業病
V「治病の方法」について
(大正四六 一〇八A〜一〇九C、『摩訶止観』下一〇九頁〜一九九頁)
病気の治療法は、一様ではない。修行によって、食事の不節制によって病気になったときには、方薬を用いて調養すれば治る。また坐禅の不調和によって病気になったときには、また坐禅によって数息の観を調えなければ治らない。そのときに湯薬は適切ではない。 鬼病と魔病の二つは、深い観心行の力と大神呪を用いなければ治らない。業病は、内には観心行の力と外には懺悔のを用いれば治る。
以上のように種々の治療法があるが、坐禅に約すと次のような六つの方法がある。
@止の方法
A気の方法、気を用いて治す
B呼吸(息)の方法
C仮想の方法
D観心の方法
E方術の方法
◇第3回 陰陽五行説を学びましょう会◇
行動科学からみる陰陽五行「病気と経絡について」
主催:立正福祉会 『すこやか家庭児童相談室』
講師:室長 影山教俊(人間行動学博士、PH.D)
日時:2007/09/11 ◆陰陽五行を理解するPOINT
○陰陽五行とは、「気」にもとづく生活の理解である
○理解の方法は、よりよく生きるための生活行動を体験的に理解することである
○ヨーガの有我論も、仏教の無我論も、共に体験の説明方法である
有から説明するか ───────────────── 無から説明するか
陰陽五行も体験的なことの説明方法である→しかし、体験なく思想信条に固執する→概念化
○現代人に陰陽五行が理解されない理由は、体験の学の習い方が喪失したからである
陰陽五行などは=東洋学と呼ばれた(体験の学)→師弟関係=師資相承
↓ 師弟関係の学びは=自分を修めること
○概念化された陰陽五行説は、「知っている・分かっている」という理解でそこに自分が居ない 東洋学は師資相承を通じて、「気」(自分の気分)の体験によって、自分自身を修めることにある ※陰陽五行を学ぶ大前提である
○陰陽五行は体験の学であるから、思想信条として理解することより、ヒトの行為をじっくり見る
方法論として行動科学の分野とかさなる=心と身体の反応から考える=心身相関論
情動=心と身体の反応→怒ると心拍数上昇 悲しいと胃酸分泌抑制される
○宗教理解も思想信条より行動科学からの理解が納得しやすい
宗教行為=どうして宗教が必要なの→宗教的な親和性として理解できる
現代人は思想信条という体験を誘導するための言葉に右往左往し惑わされている
ヨーガ→神さまの中の自分(神に背負われて生きる)
仏教 →清浄な意識の中の自我
○体験的に考えることが重要
べん毛虫の話→快・不快の原理=体験的なこと=「気」の感じ(気感)=気分
気持ちのよい方向に自分を向ける→陽を補う(補陽)→気の感覚で解説すること=陰陽五行 ○基本的な気感について=快・不快の原理
体調不良の動物を見ていると→熱っぽければ冷やしている(陰を求める)
冷えていれば温める(陽を求める)
陽・生=陰・死→養生するには=補陽(陽を補う考え方)
○方位・家相について
養生のために方位・家相はある
陰陽五行には個性がありすべてが一緒ではない
統合性失調は人口の0.7パーセントが羅病する
死の受容も養生のひとつ
○九星気学について
星回りを見るのも養生のため
吉凶を占うようだが自分の星回りと大気の関係の科学である
○陰陽五行にもとづく身体の理解の基本
西洋医学→エネルギー系の医学
陰陽五行による養生医学→情報系の医学
○情報系の医学
快・不快の基本原理を陰陽五行によって理解した
○心身医学の帰着点について
ホメオスターシスの三角形→「自律神経系・内分泌系・免疫系」
◆今回のPOINT
○気とは何かということから始める
宇宙を支配する気のあり方→大気(六気)
小宇宙としての人間の気のあり方→内気(気血水)
○内気という生命現象とは何か
気・血・水のバランスによってダイナミックに展開する(三陰三陽)
○気感について再考する
べん毛虫の話→快・不快
○内気である気血水とは
体液の循環が基本にある→快・不快の感覚(気分)
○ホメオスターシスの三角形から養生と内気を理解する
基本は自律神経系機能とストレスの関係が重要である
病気になる背景について
基本は遺伝子レベルで弱いところに発症すること
感情のコントロール
補陽・快の方向へと意識を向ける
○経絡の陰陽関係
経絡は気の流れるルート
体液循環が前提である
五行と臓器の関係
臓器の陰陽関係とは
○具体的に経筋を例に養生法を説明する
体質の理解→陰陽五行の体質別がある
○POINT1
心身医学から見た養生医療(陰陽五行療法・補陽)の意味について
養生医療を心身医学から解説すれば、「ストレスと体とホメオスタシス」の3つの関係によって病気が発生すると考え、その機序を専門的に概略すれば次のようなプロセスとなる。
まず病気の発生原因は私たちに加わるストレスそのものである。厳密にいえば、生体に加わる刺激がストレッサーとなって、それによって生じる一連の生体反応、それがストレス反応と呼ばれるものである。このようなストレス反応は[視床下部→脳下垂体→副腎皮質系]を介する、より広汎な中枢神経系の変化を引き起こすことになる。
そして、このようなストレス反応として生体に生じる変化は、消化管の潰瘍や、胸腺・リンパ節の萎縮、副腎皮質の肥大などによって病気が発症するのである。それはたとえストレッサーの種類が異なっても、同じように起こってくる。
また、それは同じストレスレッサーであっても、個体が異なるとストレス反応も異なることが多く、その差を生じさせるのは遺伝負因、年齢、性差などの内的条件づけと、ホルモンや薬物処置、大気汚染・社会的影響などの環境要因という外的条件づけであり、この二つによって最終的なストレス反応がきまるのである。
<セリエのストレス学説>
このようなストレス反応をストレスによる全身反応症候群(General Adaptation Syndrome,G.A.S)として解説したのが、ハンス・セリエ(DR.Hans Seiye)博士のストレス学説である。
セリエは、ストレス反応を引き起こすストレッサーが加えられたとき、生体がどのように反応するかを、「一つは胃腸管、胸腺、リンパ節、副腎などの臓器の変化がどうなるか、もう一つはストレッサーが継続的に加えられたときに、その時間の経過と共に生体の反応がどう変化するか」の二つの視点から解説した。
セリエは、ストレス反応の時期が@警告反応の時期、A抵抗の時期、B疲はい(憊)の時期の三つの時期に分類できるという。
@警告反応の時期(Alarm Reaction)
生体が突然ストレッサーにさらされたときに示す状態である。さらにこの時期はショック相と反ショック相とに分けられる。
◇まず最初にやってくるのがショック相(Stage of Shock)の時期である。
突然ストレッサーにさらされたために生体がショックを受け、体温の低下、血圧の低下、血糖値も低下、さらに神経系統の活動は全般的に抑制され、筋肉の緊張は低下し、血液は濃縮され、胃や十二指腸などに潰瘍ができる。これに生体が耐えられなければショック死という急性の症状を引き起こす。
◇続いて反ショック相(Stage of Counter Alarm)の時期である。
生体がこの突然のストレッサーに耐えながらも、さらにそのストレッサーが持続すると、生体はこのショックから立ち直ってくる。するとショック相とは反対の生体反応が起こることになる。つまり、体温の上昇、血圧の上昇、血糖値の上昇、神経系は活動を始め、筋肉の緊張も増し、ストレッサーに対して抵抗力がつき、また他のストレスにも抵抗力がついている。
A抵抗の時期(Stage of Resistance)
さきの@警告反応の時期の反ショック相にて一応ストレッサーに対して抵抗力が増し、生体が安定した反応を示す時期である。このときストレッサーと生体との間でバランスがとられている。この時期には同様のストレッサーには抵抗力が強くなっているが、他のストレッサーに対して抵抗力は弱っているという。
B疲はいの時期(Stage of Exhausion)
さらに長いストレス状態が続くと、生体はもはやそれ以上の適応状態を維持できなくなり、ついに破綻する時期がくる。これが疲はいの時期である。生物が適応するために費やすエネルギーには自ずと限度があるため、あまり長い期間ストレッサーが続くと、耐えきれずについに破綻する。
従って、疲はいの時期は@警告反応の時期のショック相に似ている。つまり、さらに神経系統の活動は全般的に抑制され、胸腺やリンパ節は萎縮し、副腎皮質の肥大し機能は低下する。このような身体の反応によって病気が発症し、場合によっては死へと至るのである。
<キャノンの緊急反応>
さらにこのようなセリエのストレス学説を情動刺激に対する自律神経の交感系の活動として説明したのが、キャノン(W.B.Cannon)の緊急反応(Emergency Reaction)である。 ヒトが事故などによる大量出血や、強い敵に出会うなどによって、怒り、悲しみなどの情動行動が起こるときには、交感神経系の機能が高まっていることが多い。キャノンは、この反応を個体が危険にさらされたとき、「闘争あるいは逃走(Fight or Flight)」するための身体の準備状態を「緊急時反応」と呼んだ。
このとき交感神経系全般の活動増加と、副腎皮質からのアドレナリン分泌増加が起こる。これによって、循環機能の賦活(心拍数および心拍出量の増加、血圧の上昇など)、皮膚および内臓血管の収縮と骨格筋血流の増加、呼吸数の増加、グリコーゲンの分解などによる血中グルコース濃度(血糖値)の増加、手足における発汗、立毛などが起こる。このようにして、個体のエネルギー源を動員して、血液を体表面および内臓から活動する骨格筋へと再分配し、闘争または逃走に備えているのである。
これだけを見ても、現代社会のストレスフルな環境で、現代人が糖尿病・高脂血症・高血圧・高尿酸血症などの生活習慣病・メタボリック症候群に倒れる意味が分かる。これらのい何れもが交感神経系の生理反応を基調としているからである。
<脳内におけるストレス反応>
このようなストレス反応が脳内ではどのようになっているのだろうか。これが心身相関のメカニズムである。
◇[迫り来る危険]は感覚器官によって大脳へと
↓
[大脳皮質が感知する]
↓
[視床下部へと伝わり]活性アミン、アミノ酸および脳内ポリペプチドなど放出
↓
↓
↓
[自律神経系機能]
↓ [脳下垂体]ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)など放出
交感神経系機能亢進で
↓
↓
ノルアドレナリンなど
↓ [副腎皮質]副腎皮質ホルモン(コルチゾール)が分泌され
放出され、心身の緊張
↓それによって消化性潰瘍などに代表されるストレス疾患が起る
状態が継続する ↓きる。情動ストレスに対する生体防衛反応で、ACTHおよ ※自律神経系 ↓び副腎皮質ホルモンなどの分泌によるストレス疾患である。 ↓※内分泌系 ↓ ↓ [免疫系機能] セレトニン、カテコールアミン、アセチルコリン、ドーパミンなど脳内伝達物質を介して、自己免疫機能に影響し、生体の免疫機能が低下して、感染、アレルギー、自己免疫 疾患から、癌の発症にまで関連する。
※免疫系 このように脳内では、自律神経系、内分泌系、免疫系の3つは、ホメオスターシスの三角形(The Traiangle of Homeostasis)と呼ばれる心身相関のメカニズムで、これがストレス性疾患の発生機序である。
そして、このようなホメオスターシス、生体の恒常性機能が正常に保たれないときストレス性疾患が発症するのである。とくに現代社会はこのホメオスターシスの三角形を崩す社会環境、生活環境となっている。厳しい生存競争、神経過敏の状況、完全主義、達成目標の設定など、過剰な反応状況を放置して、本来の調和状態にもどれない現実がある。
<養生医療の意義>
このような自律神経系、内分泌系、免疫系の三つ、ホメオスターシスの三角形が崩れるときにストレス性疾患が発症するが、その発生機序の要は交感神経系が常に賦活されることによる。私たちの快・不快の情動反応の「こころ」の反応と密接に関係するのである。陰陽五行にもとづく養生医療は、この「こころ」を振り回す情動をどのようにコントロールして、不変の純粋意識とどう繋がって行けば良いのを説いているのであって、単に心身症などの治療法としての効用ばかりではなく、WHOのいう宗教的な健やかさ(well being at spritual level)までも獲得できる万全の療法だといえるのである。
○POINT2
陰陽五行では、私たちに内気の充実を目的としている。その基本が私たちの体の中を流れる気エネルギー(内気)のルートを経絡といい、そのルート正経の12経絡と呼びぶ。この12本のルートは、その中の気エネルギーの流れ方がどのような方向で、どのように流れるかで「三陰三陽関係」、陰と陽の大小関係として説明される。そして、この12経絡を「三陰三陽関係」で分類すると次のようになる。
@「手の三陰」として「太陰の肺経 ・少陰の心経 ・厥陰の心包経」
A「手の三陽」として「陽明の大腸経・太陽の小腸経・少陽の三焦経」
B「足の三陰」として「太陰の脾経 ・少陰の腎経 ・厥陰の肝経」
C「足の三陽」として「陽明の胃経 ・太陽の膀胱経・少陽の胆経」
この関係は手足でそれぞれ陰陽関係になっており、この気エネルギーの流れ方は次のようになる。
「中?」→手の「太陰の肺経」→手の「陽明の大腸経」
→足の「陽明の胃経」→足の「太陰の脾経」
→手の「少陰の心経」→手の「太陽の小腸経」
→足の「太陽の膀胱経」→足の「少陰の腎経」
→手の「厥陰の心包経」→手の「少陽の三焦経」
→足の「少陽の胆経」→足の「厥陰の肝経」から、また手の「太陰の肺経」へと戻り、正経の十二経絡を循環しているのである。
そして、この気エネルギーの陰陽関係の流れは、身体の左右対称に存在し、正経は左右で24経絡の陰陽関係となる。
具体例として、遠壽院行堂では日に7回の水行時間は内気が各経絡へと注流する時間帯に相応しており、その流注の時間帯に水行をすることで、その経絡的な刺激によって内気の循環を促し、行気を円滑に行い気エネルギーの充実を目指していると理解できるのである。 この陰陽五行説に支えられた気の生理学では、衛営(気エネルギー)は普通人の一呼吸で六寸(呼気三寸、吸気三寸)行くとされる。通常、人は漏水百刻(一昼夜)に1万3千5百回呼吸し、気エネルギーは全身を50回循環し、その循環は手の太陰肺経に始まり、手の太陰肺経に終るという(『難経』第一難)(前掲『難経解説』一一頁〜一六頁)。そして、子午流注によるならば各時間帯の旺時にその経絡系が活発に働き、その経絡系の気エネルギーが充実するのである。