検証・レイテ輸送作戦 (2001.2.25 追加)
伊藤由己 著 近代文藝社
初版発行 1995年5月30日 定価 本体1,748円+税
ISBN4-7733-4387-7
1944年10月下旬のレイテ沖海戦で、日本海軍は完全に壊滅しますが、その後も12月初旬まで「レイテ決戦」を夢見る日本軍によって、絶望的なレイテ島への部隊輸送が続けられました。
最終的にその結果は、レイテ島に投入された約8万の兵士のうち97%が還って来なかったという、悲惨な負け戦に。
この本は、そのレイテ攻防戦を船舶輸送という面から描いた力作です。
著者の方は、戦時中に船舶工兵部隊に所属し、フィリピンのミンダナオ島方面で実戦参加した貴重な経験を持つ方でもあります。
レイテ戦そのものの流れについては大岡昇平「レイテ戦記」(中公文庫)、レイテ戦後のフィリピンでの海戦については、さぁぷらす歴史図書館のレイテ海戦以後のフィリピン方面海上作戦が詳しいので、ご参照のほどを。
さて、レイテ戦で輸送に使われた艦船は49隻沈没、機帆船や大発などの小型艦艇も300〜400隻が沈没しているものと言われてます。
そして、沈没した艦船の乗員は運良く味方艦船に拾い上げられた少数の人間を除けば、その場で溺死。
沿岸にたどり着いても、あっと言う間に現地のレジスタンス部隊に殺害。
さらに味方に拾われても、そのまま本土に帰れるとは限らず、フィリピンでの地上戦に巻き込まれて戦死というのが相場でした。
レイテ戦域での日本陸軍最高指揮官な第35軍司令官鈴木宗作中将ですら、レイテから脱出後、さらにセブからミンダナオに小舟で移動する最中にアメリカ機の機銃掃射を受けて、戦死する始末ですし
まさしくレイテ周辺は日本軍の墓場となったと言えるでしょう。
レイテに輸送に向かった艦船は、そのまま帰ってこないか、帰ってきてもマニラ湾で空襲を受けて沈没というのが普通でした。
駆逐艦のような大型水上艦艇ですら、その最期が「〜日を最後に行方不明、恐らく撃沈され全員戦死と見られる」という喪失が続出してます。
そんな中、何回もレイテへの輸送を行いながら生き残り、レイテへの最後の輸送でも、1隻だけセブ島への分派を命じられて、そのままレイテに向かった船団はアメリカ軍のオルモック侵攻に巻き込まれて全滅しているのに(アメリカ戦車との砲撃戦で大破放棄された輸送艦もあり)、1隻だけ生き残った第9号輸送艦は凄いです。
さらに、大戦自体も生き延びて、戦後に復員船及び捕鯨船までやってますし>第9号輸送艦
あと意外にも、船団を攻撃したアメリカ軍航空機の損害も結構大きく、ある船団攻撃に参加したB25、30機のうち7機が対空砲火で撃墜されたりしてます。
それと、この頃の日本陸軍の装備には「押収小銃」「押収大砲」「押収戦車」などが多数出てきて、当時の日本軍の「末期ぶり」というか「最貧ぶり」が赤裸々に出てきて、哀しくなります。
たまに重装備の部隊が登場したら「布団爆雷及び刺突爆雷、多数装備」という戦車への体当たり攻撃しか考慮していない武装だったりしますし。
もっとも、どれだけの装備を持っていても、輸送船がほとんど沈められてしまい、一部の部隊を除いて、携帯火器すら、まともに揃わない状態で上陸せざるを得なくなり、「現地で竹槍を装備」な部隊ばかりですから、意味無いのですが。
それと、この本には、主に第二次大戦の戦訓によって誕生したらしい日本陸軍の訳の分からない部隊が、多数紹介されています。
幾つか、例を挙げると,
・野戦道路隊
道路の補修及び作成を専門にする、いわゆる「道路専門」の工兵隊。
3個中隊編成で人員は約300名。
全員が38式小銃を装備してますが、機関銃等の重装備は保有してません。
・陸軍潜水輸送艇
陸軍が独自に開発した輸送用潜水艦、通称「まるゆ」艇で、このレイテ戦に参加しています。
結局、米軍の魚雷艇に撃沈されたあげく、アメリカ軍に引き揚げられて、サンフランシスコで一般展示されてしまったらしいですが、あんなのが「日本の潜水艦」と一般のアメリカ人に思われたわけですね(笑)
・特設機関砲隊
海軍の25ミリ単装機関砲を10〜12門装備した、人員70名前後で長が少尉か中尉の部隊。
船舶に乗船してその防空に当たったり、港や飛行場の拠点防空を行うのが目的です。
目的地までは船舶上で防空を行い、目的地に着いたら、その場所で拠点防空に付いたり、輸送の度に違う輸送船上に配備されたりなど機動的に運用されていたようです。
・開拓勤務隊
1個中隊の場合、長が中尉で、指揮班及び少尉が長の4個小隊で構成される定員58名の部隊。
装備は各種小銃27丁、拳銃4丁、槍約30本。
さらに作業道具として、すき、鍬、鎌、鋸、ちょうな、鉈などの農作業器具。
任務は畑作りや開墾作業、牛、鶏、豚などの各種家畜の飼育を行って、付近の部隊に食料を供給する事及び、教育終了後に他の部隊に配属される初年兵の教育です。
農作業のために、現地人も1個開拓勤務隊に付き100人ほど雇用してます。
ソロモンや太平洋の島々で補給が断たれ、部隊が現地自活を行わなくてはいけなくなった戦訓に基づいて、このような部隊が編成されたと思われますが、レイテのような一刻を争う大激戦地にこのような部隊を送って、どうするつもりだったのでしょう。
陸軍上層部は、レイテ戦が実質1ヶ月半で終了するとは思わず、長期戦になると考えていたのかもしれません。
・機動輸送中隊
陸軍で1個中隊という部隊単位は、歩兵で約120〜200名、砲兵で4門か6門、戦車なら10〜20両というのが相場ですが、この「機動輸送中隊」は排水量約1000トン程度の輸送艦1隻(乗組員約90名)で1個中隊となります。
つまり、海軍なら「艦長」と呼ぶ役職が、この場合は「中隊長」と呼ばれるわけですね。
海軍の場合、その艦船に人間が配置される形を取っているのに対し、陸軍の場合、あくまで人間の集団に装備が付くという形を取っているので、戦車部隊がその装備を新型戦車に変えるような感じで、輸送艦を変えている機動輸送中隊の例もあります。
・海上駆逐大隊
敵の魚雷艇を撃退するために、陸軍で独自開発した「カロ艇」を装備している部隊で、その「カロ艇」は海軍で配備している魚雷艇や隼艇よりも速力などの性能が良いです。
私的には、何故に陸軍に存在するのか一番謎な部隊です。
そもそも「海上駆逐大隊」というネーミングからして間違っているような気がしますし。
それだけ、ソロモンやニューギニアなどで臨時に山砲や速射砲を積んだ武装大発で、圧倒的に優勢な敵魚雷艇と戦わなければならなかった体験が効いているのでしょう。
この本はレイテの船舶輸送だけに限らず、1944年末期の日本陸軍の実態というのを知るにもうってつけの本かと思われます。
1941年当時には、対ソ連戦争一本槍だった筈の日本陸軍が、度重なる太平洋戦域での戦闘で、3年後には、こんな妙な軍隊に変貌してしまったのも、よく考えると不思議だと感じました。