所在地:千葉県山武郡横芝光町屋形743番地
交 通:JR総武本線横芝駅より約6km (バス15分)
千葉東金道路 松尾・横芝インターより約15〜20分
銚子連絡道路 横芝光インターより約10〜15分
本 尊:大日如来(金剛界)
宗 派:真言宗智山派
開 祖:弘法大師(空海)
総本山:智積院 京都市東山区東大路通り七条下ル東瓦町964番地
平 成 8 年 7 月 大 本 堂 建 立
龍寶山正光院無量寺は、今を去ること1115有余年前 寛平2年(890)第52代桓武天皇會孫高望王が始めて上総介に任命されたとき、国家安穏祈願のために建立した来照院が前身です。
寿永2年(1183) 源頼朝は来照院月輪寺と称し大日如来を鎌倉より移し如来堂を建立。当時、堂宇は現在の地とは違って村の北辺にありました。しかしこの堂宇は、天正18年(1590)3月 坂田城主井田播摩守友胤による栗山川合戦 松が谷城主との蓮沼合戦 両戦の兵下により周囲に存在していた四社神社とともに灰尽に帰した。 元和2年(1616)、村の北辺に存在してましたが、現在の場所に移転。この時に点在していた光明院、龍性院など一緒に統合し正光院無量寺を開基。江戸中期には「7堂伽藍」本堂9間四面、庫裡、大師堂、鐘楼堂、山門、水堂と観音堂を入れ7堂伽藍と稱し、近隣近在の人々より、屋形の鐘か、観音かと、尾垂観音と共に信仰されてきました.。(明治4年の寺社法改正で)一般檀家寺となりました。 明治14年7月、不幸にして堂宇伽藍は、鳥有に帰しました。幸い本尊大日如来(金剛界)は、住職の手により救出され現存し昭和11年に修復されました。本堂は明治15年6月から昭和30年まで仮の堂にて法燈を灯し、そして本堂建立。その後、40有余年を経て再び、平成8年7月には大本堂を建立。現在に至っています。
無量寺六地蔵(町指定文化財)
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無 量 寺 全 景
| 開基 |
定興法印を初代とする説あり、明かではない。 |
| 開山 |
延喜年号(901年頃) |
| 本尊 |
大日如来(金剛界) |
| 本尊御真言 |
オンバザラダドバン 喝沙憧伍孔脂 |
| 諸尊 |
阿弥陀如来・如意輪観音・千手千眼・観世音菩薩・不動明王・etc |
無量寺の六地蔵は、元禄11年(1698)に、近隣の網元が漁と村の安全・豊漁を願って寄贈したものです。古くから村の女人の信仰を集めたと伝えられています。六地蔵とは、六道すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界・それぞれにおいて衆生の苦を救い、また六道を守護し、教えを説くとされています。
寺や墓地の入口、辻などに石像を見かけることが多く、江戸時代には主街道の出入り口などに造立され六地蔵をはじめ庶民の生活に根づいた菩薩群で、六地蔵めぐりなど各地で盛んに行われています。
★年中行事★