山田 耕筰

日本語を生かした作曲家


1、耕筰の人生

 山田耕筰は、1886年に東京で生まれました。
 東京音楽学校(今の芸大)を卒業した後、ベルリン(ドイツ)の 王立アカデミー音楽院に留学しました。
 その時、日本人としては始めての交響曲「かちどきと平和」を作曲しました。

 日本に帰国後、1915年には、日本で始めてのオーケストラを設立し、 演奏会を行い、西洋の音楽を日本に広める努力をしました。

 また、アメリカのカーネギーホールで演奏会を開いたり、 ロシアのレニングラード・フィルハーモニーを指揮してオペラを上演するなど、 国際的な活躍もしました。



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