| ●感動を生み出すための演奏
人間の感動には様々な種類があります。十人十色の言葉通り,感動の仕方も千差万別。ある人が感動して涙しているような演奏に,隣の人は「どうしたの?」っていうことだってあります。ですから,基本的に感動をあらかじめ予想しておくということは,ほとんど不可能に近いことです。でも,もしもそれが計画的にできるとしたら…。
演奏者として音楽に関わっているなら,誰でも「感動を与えたい」と思っているはずです。自分自身にも音楽による感動体験はたくさんあるでしょうから,「この気持ちを多くの人に体験して欲しい」という動機から演奏する側に関わり始めた方も多いでしょう。前述のように,感動を「計画的につくる」ということを考えること自体が邪道かも知れませんが,考えてみても損はなさそうです。それに,そもそも感動のメカニズムってどのようなものなのでしょうか?
小学生や中学生に,「この歌をもっと聴いている人に伝えるには,どうしたらいいだろう?」と質問すると,ほとんど必ず「気持ちを込める!」と答えてくれます。そこで,「じゃあ,気持ちを込めて歌ってみよう!」と呼びかけて歌ってもらい,「聴いている人に伝わったかな?」と問うと,ほぼ完璧に「伝わらない」と答えます。このことからもわかるように,「心を(気持ちを)込めて歌う」ということは,「感動を伝える」ということの直接的な答えにはならないのです。これはおそらく大人の集団が同じようにやってみても,ほとんど結果は変わらないでしょう。つまり,感動には別の何かが必要なのです。これを解明していくためには,まず自分自身の感動体験を分析してみることが必要なようです。
映画でもかまいません。音楽でもかまいません。絵画でも文学でもかまいません。私たちが涙するほどに感動するのは,どのような瞬間でしょうか。
私たちが「感動した」と感じるとき,体の中ではいつも同じような現象が起きています。「動悸が速くなる」「血圧が上がる」「手のひらに汗をかく」「胸のあたりが熱くなってくる」などです。最後の「胸が熱く…」を除くと,急激な緊張感を強いられたときに非常に似かよった症状です。つまり,急激に日常的ではないことを強いられている状態なのです。これが,急激にではなく,ジワジワとやってきたときには,「胸が熱く…」という症状から始まって,他の症状が現れます。「美しいものを見た」とか,「悲しい話に出会った」ということが原因になったりするわけですが,実は私たちは「日常を大きく越える」という事柄でなければ,上記のように体の中に変調を来すような感動を体感することはないのです。映画でも,文学作品でも,私たちが一生忘れられないような感動を得るときには,自分の予想していた状況を,大きく越えているような事柄を体験しているのです。だから,予想以上のことに対応できなくなった体が,様々な形で反応するのです。
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