『ホールの使い方』
●「そんなにホールが悪いのか?」

 アマチュア合唱団の演奏活動の中で,結構気を遣うのがホールの選定ではないでしょうか。たとえば定期演奏会。自分たちの合唱団の人数や集客能力を考えて,ホールのキャパシティに頭を悩ませることもあるでしょう。演奏会のための予算編成にもよりますが,演奏会の成否はかなりのウェイトで「客席の埋まり具合」に左右されたりもします。かと言って,ホールが小さければ良いというものでもありません。あまり小さなホールだと,舞台装置が計画している演出に対応できないと言うこともあります。また,何かの理由で予想以上に入場者が多かった場合に,観客の皆さんにご迷惑をかけてしまうことにもなりかねません。

 それ以上に気になるのが「ホールの響き」です。『良いホールは良い音楽家を育てる』とも言われるように,自分たちの演奏をベストの状態で聴いていただくためには,ホール選びも慎重におこなわなければなりません。

 定期演奏会を除く多くの演奏の場は,主催者がセットしたホールであることがほとんどです。様々なホールで歌っていると,当然のことですが「このホールは響きが…」という話にもなります。確かに,自他共に認める「響きの悪いホール」は存在しますし,そのような場で演奏しなければならないことも少なくはありません。けれども,本当に「ホールが…」という理由だけで済ませることのできないこともあるのではないでしょうか。合唱団や指揮者のちょっとした工夫で,ホールの欠点を自ら補うような演奏はできないのでしょうか?


★「ホールトーンの考え方」

 ウィーンフィルがYAMAHAに管楽器の製作を依頼したことがあります。YAMAHAの楽器職人さんたちが,世界に名だたるこのオーケストラのために,全身全霊を傾けて楽器製作に関わったことはもちろんです。試作楽器が完成して,いよいよ奏者にテスト演奏をしてもらったときに,想像していなかったようなできごとがありました。

 楽器制作者が「この楽器の音は堅くて気に入ってもらえないだろう」と思って手渡した楽器を吹いてもらったところ,「この楽器はとても柔らかい音だ」と評されたのです。一方,「この楽器の音なら柔らかくて気に入ってもらえる」と思った楽器には,「この楽器の音は堅くて駄目だ」という批評が返ってきました。職人さん達はひどく戸惑いを感じたのだそうです。けれども,その原因が理解できたときに,日本における「音」への考えと,西洋における「音」への考えの大きな違いに驚いたそうです。

 この話の答えはこうです。来日して試奏したウィーンフィルの奏者は,楽器自体の響き方を聴いていたのではなく,楽器が響かせた広い空間に響いた音を聞いていたのです。つまり,ホールで考えるなら,自分の楽器が手元で鳴っている音を聞くのではなく,客席の上方で響いている音を聞いて,その音を演奏の基準にしていると言うことです。

 このことは,合唱においても同じように考えることができます。つまり,「ステージ上,あるいは指揮者のポイントで演奏をまとめていく」と言う考え方と,「客席上方の空間に響いた音で演奏をまとめていく」という考え方です。日本の,とりわけコンクール一辺倒の活動に走りがちな合唱団には,前者の考えが多いように感じられます。「減点法」で評価されるコンクールにおいては,ミスの原因を取り除いていこうとするあまり,こぢんまりとした演奏を求めがちではないでしょうか。コンクールにおける演奏の多くが,聴衆にとって「つまらない」と感じてしまうことがあるのは,このようなことが原因になっている場合が多いように思います。もちろん,本当に良い演奏をする一流の合唱団であれば,そんなことはありませんが。

 音楽をどのように考えるか,ということにも関係しますが,私は「空間の芸術」と考えます。時間という空間もそうですが,演奏する場所という空間に,どのような音楽の響きを満たすか,ということが大きく問われると思うのです。つまり,「ホールトーン」というものも,「たまたま自分たちの声を響かせてくれた」ものとしてではなく,「私たちがこのように響かせようとして響いた」ものとして考えていく必要があるのです。

 ですから,どんな場においても(それが練習会場であっても)「空間を響かせる」という意識を持って演奏を行うことで,前述のように「カタイ音・やわらかい音」の概念すら変化してくるわけです。私の経験では,ホールの空間全体を意識して発声したときの声は,非常に伸びのある響きを生み出します。それは,体の外に意識を向けることによって,余計な力が抜けることによるもののようです。

▲「どこに,どう並ぶの?」

 指揮者に向かって右側から「ソプラノ・アルト・テノール・バス」と並ぶ。この「しきたり」とも言える整列方法は,よく考えるとオーケストラにおいても基本的には同じです。つまり,「旋律パートは指揮者から見て左側」「内声パートはほぼ中央」「低声パートは指揮者から見て右側」となります。これは,人間の聴覚と右脳・左脳に関係している,極めて合理的な並び方です。

 人間の聴覚は,右耳からの音は左脳へ,左耳からの音は右脳へと運ばれて処理されます。右脳と左脳の役割の違いについては,近年ずいぶん研究が進んできました。その結果,「右脳は感覚的」「左脳は論理的」というような役割分担を行っています。音楽における「旋律」は,内声部と共に生み出される和声を伴って,人間の情緒的な部分に訴えかけます。一方,リズムやビートのような,低声部に受け持たれることの多い要素は,論理的な部分へと働きかけます。この両方の要素がブレンドされて「音楽」が感じ取られるわけです。長い音楽の歴史の中で,このようなことが経験的に整理されてきたことは,驚くべきことです。

 けれども,このしきたりを破ったからと言って,大きな障害が生まれることはありません。また,ステージに山台が組まれているときに,どうしてもそれを使わなければならないという決まりもありません。だったら,もっと自由かつ柔軟な発想で「整列方法」を考えても良いのではないでしょうか。

 ステージでの整列方法については,指揮者が最終決定権を持つことが多いでしょう。けれども,歌い手が明らかに「歌いづらい」と感じているのに指揮者に絶対服従する必要はないのです。「良い演奏」のために演奏者が意見を述べることは必要なことです。たとえば,ホールの響きがつかみにくい会場であるなら,「合唱団が立つ位置を変えることで改善できないか」「歌い手同士の距離を変えることで改善できないか」ということを考えるのは演奏者として当然のことです。また,その日のパートバランスや曲の演奏効果を考慮して,パートの配置を変化させたり,場合によっては「各パートが入り乱れている」ような配置を考えることもできるでしょう。これらのことはすべて,「良い演奏」を与えられたホールにおいて実現するための工夫です。そうすることで,歌い手の皆さんが伸びやかに実力を出しきることができるのなら,それこそ良い演奏であるわけです。特に,合唱団全体の「立ち位置」については,ホールの特性を十分に考えて決定すべきです。どんなホールでも,ベストポジションといえる「響きが客席によく通るステージ上のポイント」があります。それを探すのは,少なくともそのステージに立って観客に演奏を聴いていただく側にとっては,当然のことだと思うのですが…。

 このような「並びと立ち位置の工夫」は,いきなりできるものではありません。人間は,経験のないことに対しては臆病になるものです。ですから,日常の練習の段階から,上記のようなことを常に想定しながら,様々な形で練習を行うことが必要です。また,練習会場が変わった場合などは,その会場の響きのポイントや空間の響かせ方を工夫するチャンスです。「歌う」ということの練習は,とかく楽譜上のの解釈に偏りがちですが,ホールの使い方や空間の使い方を練習することも,同じくらいに必要な練習ではないでしょうか?