指揮者選び
 古今東西の合唱団において,おそらく指揮者選びほど難しいことはないでしょう。

 指揮者を失ったために解散を余儀なくされた合唱団もあれば,間違った人選によって未来を奪われてしまった合唱団もあるでしょう。もちろん,思っても見なかったような指揮者に恵まれ,メキメキと力をつけ,当然のことながら「音楽の喜び」を満喫している合唱団もあるに違いありません。

 それほどまでに「指揮者」というのは合唱団にとって重要な存在です。

 ここでは,指揮者を選ぶ際の注意事項や,指揮者を見極めるために必要な事柄についてお伝えします。


★ 指揮者に何を求めるか?

 指揮者選びにおいて最も重要な要素は,「指揮者に何を求めるか?」ということについての合唱団側の見解です。この点を曖昧にしていたために後悔する合唱団は数知れません。けれども,依頼される指揮者側も,この点が明確になっていないと手の施しようがないということもあるのです。

 指揮者というのは様々な例え方をされます。「わがままだ」とか「自分勝手だ」とか。しかし,合唱団との関係についてきちんとしたプロ意識を持っている指揮者であれば,合唱団が求めていることに対して,それ以上の指導で応えてくれるものです。なぜならば,合唱団との契約において,「このような指導をお願いしたい」という要求に応えることが,指揮者としての第一の使命であるからです。それができなければどういうことになるのか,きちんとした指揮者なら知っています。契約不履行になるわけですから。

 けれども,「楽しくやって欲しい」とか「誰でも知っている曲をやってほしい」という要求は,始めからあきらめるべきです。多くの指揮者は合唱団側よりも「音楽」に精通しています。指揮者としての誇りや理念も持っているわけです。「楽しく」や「知っている曲」というのは,指揮者にとっては自分自身の誇りや理念の一部分すら満足させるものではありません。合唱団がそうであるように,指揮者にも「合唱団に求めるもの」があり,その接点が見いだされたときに初めて「指揮をしよう」という気持ちになるのです。ですから,「私たちの合唱団は,このような合唱を目指しています。」という,自分たちの目標を提示した上で,指揮者の考えを聞いてみるのがよいでしょう。その時に語られる指揮者の理念や考え方に共感できるなら,しばらくの期間をお任せすることができるでしょう。

 「こんな曲を…」という要望があるなら,過去に演奏してきた曲のリスト程度はお知らせすることをお勧めします。また,演奏を聴いていただいたり,録音をお渡しするのも良い方法です。これらの情報から,指揮者は合唱団の実力や長所・短所を把握して,それに対する自分の考えや見通しを示してくれるはずです。ただし,偉ぶったり,「こんな合唱団なんか…」と見下すような態度の方なら,即座に丁寧にお断りすることをお勧めします。


★ 良い指揮者とそうでない指揮者

 指揮者にははっきり言って善し悪しがあります。特にアマチュア団体の指導にあたっては,この違いは大きな問題になります。私が出会ってきた素晴らしい指揮者(人間的にも音楽的にも,そして指導も)に共通している点は,『謙虚さ』です。音楽に対する謙虚さはもちろん,自分のやっていることですら手柄にしない人間的な謙虚さです。お話ししているこちらが恥ずかしくなってくるほどに,優秀な指導者は誰もみな謙虚です。それは,この世界の厳しさを知っているから,ということもありますが,やはり人間としてのバランスでしょう。加えて,「練習をしていて飽きないし疲れない」ということも挙げられます。

 アマチュア合唱団の指揮者の中には,自分の気に入らない合唱団をいい加減に扱ったり,あしらったりする方がいます。これは絶対にだめです。相手がプロならいざ知らず,アマチュア団体の指揮者は「できないことをできるようにする」のが仕事です。それができないのは合唱団の性ではなく,完全に指揮者の力不足あるいは怠慢なのです。アマチュア団体の指揮者にとって最も重要なことは,「できるようにする」ことなのです。半年お願いしていて「自分たちの合唱が良くなってきたな」と感じる方が一人もいなかったら,残りの半年で契約を終えるのが無難でしょう。傷は浅いうちに治療する方がいいですから。

 合唱団側の考えや意見を聞かずに,勝手に物事を進めていってしまう指揮者も要注意です。とりわけ運営に関わる部分では,十分に相談をしながら進めなければなりません。運営はあくまでも合唱団の主体性によって行われるべきものです。指揮者は合唱団運営に来たのではなく,音楽的な面での指導に来ているわけです。けれども,その分合唱団側は,練習への出席率低下や時間厳守等の,基本的な部分において指揮者に指摘されることがないようにする責任を負います。ただ,多くの合唱団を経験している指揮者ならば,意見を求めれば運営面でのアドバイスを受けることもできるでしょう。その中に「これはいい方法だ,使えるぞ」と思えるものがあるなら,使わせていただけば良いのです。必要に応じて運営側からは話しづらいことを指揮者が言うことで解決させる,ということも可能かもしれません。団の内情や問題点に深い理解を示してくださる指揮者であれば,そのようなこともお願いできるかも知れません。(あくまでも指揮者の本務ではないことを理解した上で,ですよ。)

 音楽的な面で言うと,勉強していない指揮者は駄目です。その人によって合唱団は伸びません。団員からの質問に対して「言い訳」「言い逃れ」をする人は,勉強していない人です。勉強熱心で謙虚さを兼ね備えた人ならば,現時点でわからないことについて「わかりません」と明確な答えが返ってきます。その上で,数日後には質問への答えをきちんと用意してくださるはずです。

 「勉強家なら安心」という訳にもいきません。その上で,指揮のテクニックや合唱や発声に関しての知識と指導力を兼ね備えていなければなりません。それらのトータルな指導によって合唱団は伸びてゆくのです。器楽のことしかわからない指揮者にお願いしても,発声に関する知識や,合唱というものへの十分な理解がなければ,合唱団は楽器と同じように扱われます。これでは限界が来るのは目に見えています。合唱というのは,ある意味で非常に特殊な音楽分野なのです。「人間と声と音楽」がわかっていなければ,本当の意味で指導はできません。

 練習や演奏において,「このような理由で,このように演奏する」ということを伝えない指揮者も要注意です。もちろん,言葉で語らなくても,団員の多くが歌った結果「なるほど」と思えれば良いわけです。ただやみくもに訳も知らされず「こうしなさい」と要求して,歌った団員自体が納得できないような練習を繰り返す指揮者は,おそらく観客の一人をも感動させられる演奏を生み出しません。音楽というのは,一人でも多くの方に受け入れられ,感動を呼び起こすものでなければ,それは偽物です。汗を流して偽物を作る指揮者に従う義理はありません。

 自分の指揮のテクニックを省みず,合唱団や伴奏者のせいにする指揮者も失格です。きちんとした指揮の技法を勉強している人の指揮は,初めて見た人でも「こんなことを要求しているのかな?」と予測ができます。指揮は何よりも「明確で誰にでもわかる」ことが求められるのです。「俺の指揮がわからんか!」という指揮者は自己満足型ですから,長いお付き合いは避けましょう。


★ 指揮者の試運転

 お金を払って雇うのは合唱団側です。その指揮者をお願いするために,団費を値上げすることだってあるのです。ですから,リスクは合唱団側により多く存在します。そんなリスクを少しでも緩和させ,事前にその指揮者の人となりを判断する方法のひとつとして「客演指揮」というものがあります。つまり,「お願いしてみようかな?」と考えている指揮者に,一度演奏会一部のステージを指揮してもらうのです。簡単に言えば指揮者の試運転です。

 練習段階も含めた数曲の指揮をしてもらえば,その指揮者の特性や人間性はおおよそ判断できるものです。そして,指揮者側にとっても合唱団の状態を知る手がかりとなりますから,後日「指揮者としてお願いしたい」とお話を持ちかけられても,判断の基準があるわけです。もちろん,客演をお願いする時点で「将来指揮者をおねがいするかもしれない」などと伝えておく必要はないのです。合唱団として品定めをした上で,団内で十分に話し合って「お願いするか否か」を決められると良いでしょう。


★ いよいよ契約

 日本のアマチュア団体には「契約」という意識が足りないかも知れません。そのために,指揮者と合唱団の間で様々なトラブルが発生してしまうことも否めません。合唱団と指揮者の間にはある種の緊張関係が必要であり,「決めておくことははっきり」という姿勢を大切にした方がうまくいくことが多いのです。どんな形でお願いしたにせよ,簡便なものでも構いませんから「契約」をきちんと交わしておくことが重要です。

 契約の際には「謝礼若しくはギャラの金額」のほかに,「交通費の有無」「選曲の方法」「練習回数と練習時刻」「練習時間帯の持ち方」「相談の際の窓口」等を決めておく必要があります。このほかにも,合唱団側や指揮者の側で「必要」と認められる事柄についてはきちんと話し合って決めておく必要があります。特に,相手がプロの場合には可能な限り「契約書」を交わしておきましょう。


★ 辞めてもらい方

 これは難しいです。だからお願いするときには十分慎重にならなければいけないのですが…。

 転居などのために指揮者が自ら去る場合は別ですが,「どうもこの指揮者は…」と思っている時に「辞めてもらえませんか?」とは言えないものです。ですからやはり,「もっともらしい理由」が必要になります。その理由の最も効果的なものは,やはり「音楽的な理由」です。指揮者はあくまでも「音楽」に生きているわけですから,音楽上の理由には耳を傾け,理解も示しやすいものです。「違った方向での団の成長を求めてみたい」というような理由は,「違った方向」が「その指揮者では難しい方向」であることが明確であれば大きな説得力を持ちます。指揮者が最も嫌うのが「音楽以外の理由」による辞任要求であることも忘れないで下さい。指揮者にはおそらく合唱団以上にプライドがあるのです。

 このような話をするときは,決して団員を前にしてはいけません。せめて役員だけとか,できれば代表者2名程度と指揮者で話をするのが良いでしょう。あくまでも失礼のないように,十分すぎるほどの配慮を持って話し合いましょう。1回で結論を見いだすことが難しければ,複数回にわたって話し合うことが望ましい問題です。

 だからこそ,指揮者を選ぶ段階での十分な検討が必要なのです。指揮者は合唱団の生命線なのですから。