ELJEN Elisabeth
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ELJEN 【Elisabeth】

2004年開幕!!!

と言うわけで2004年のエリザベートが開幕しました。
はっきり言って再演ではなく「新生」エリザベート
さてさて どうなっている事やら。
はてなダイアリーでエリザベート日記はじめました →Wie DU←(現在更新停止中)

5/19更新
****最初に一言****
今までみちるは個人的な意見というのを避けてきました。
でも今年は書く!!!
ってか書かせて!!

と言うか ネタバレしてますので。そのつもりで…

それから 今回私の中で今までと一番違っていたことが二つ、一つは昨々年秋ウィーンに旅行に行ったこと、そしてもう一つは「ミュージカル(舞台)はじめてみる人」と観劇したこと。
この影響は大きい、私の中ですごくこの事で固定概念がリセットされた。

そしていつものように あくまでもこれは「みちる曰く」の物語の感想である。
それから どんどん改訂していくと思うのでページの最終に更新月日をいれておこうと思う。
*************

今年のエリザベートで一目見てわかる変わった点それは「舞台美術」
ホリゾント(よりは手前だけど)に透過式のLEDスクリーンが設置されている。
このスクリーンに様々な映像が映し出される。
それは木から落ちるエリザベートだったり、アルプスの山々、双頭の鷲、星空 その他具象抽象様々なモノが表現される。
初日近辺はかなりリアルなカラー画像で有ったが客席の反応をみてだろうか?抽象的な表現(モノクロも含む)が増えてきたようだ。
そして 三つの大きな塔、これはカプツィーナ教会の霊廟をイメージしたモノらしいがこの塔によって「黄泉の世界でエリザベートの時代を再現している」事を明確にしている。

今年のエリザベートはなんと棺の中からのご登場 そしてラストも棺の中に戻っていく。

全体的に鬱屈とした空間で舞台は繰り広げられる。
これがエリザベートの与えられていた世界なのかなと思うと自由を求めて旅に出ようとする気持ちもわかるような気がする。
「居場所」が無いのだ。

「ミュージカル」誌4月号で一路真輝は
ブリギッテ・ハーマンの「エリザベート 美しき皇妃の伝説」を読んでエリザベートのイメージが犠牲者からエゴイストに変わった

と言うような事を述べているけれど、正に今回のエリザベートは「はかない王宮の犠牲者」ではなく「自由と自我を追い求める」女性になっている。
これで良いのだろうかと正直思ったりする。
日本人女性の傾向として(個人的に思う)強い小気味の良いヒロインよりも悲劇のヒロインに同調したいと感じるのでは?と
まぁ同調させることが演出のねらいではないだろうからそれはそれでいいのだろう。
だいたい私も「悲劇のヒロイン」に自分を重ねたことなど無いのだから(苦笑)

そう、悲劇と言えば今回は新しいシーンが増えている。
1.幼いルドルフが母親に会いたいと祖母(ゾフィ)に訴えるシーン。ここでゾフィは「あなたは未来の皇帝なのだから、彼女はあなたを甘やかしてしまう」と歌います。
2.新曲「私が踊る時」2幕のハンガリー戴冠式のあとに入ります。エリザベートが「勝利を自分のモノにした自分の運命(踊る時)は自分で選ぶ」と歌い放ちます。
3.母と子の諍い、フランツヨーゼフが母親に「あなたの企みのせいでエリザベートは出ていった」と詰め寄ります。
4.それに対してゾフィは「国のためにずっと育て上げてきたのに」と歌い死んでいきます。

減ったシーンは
1.「夢とうつつの狭間に」全面カットです。
2.母と子の諍いゾフィがフランツに「彼女の助言で動いたのはなぜ?彼女の血筋には狂った人が多い」というシーンこれが無くなって後のシーンに増えたシーンの3が入る形になります。

全面的に「ハプスブルク」のお家事情が見える形に構成された気がする。

さて、
ルキーニの首つり〜裁判で物語は始まる そしてルキーニは死者を蘇らせ「エリザベートと共に生きた」時代を演じさせる。
今までよりもよりいっそう「演じさせる」つまり劇中劇というのかルキーニの裁判を描いている話というのが強調される。
ルキーニのはじめようと言う言葉に対して死者は「はぁ」とうなだれて物語は「prego」(イタリア語でどうぞの意味)と開始される。
そして最期に(いきなり終わるんかい!!!)エリザベートが棺に収まりトートは愛を手に入れそしてルキーニはクビを釣った状態で足下に居る。
私自身はここからまた裁判が始まるエンドレスストーリーだと思ったのだけど、前述のミュージカル誌で内野聖陽が
この劇中劇を演じさせることでルキーニは大往生する。
と言っている。
うーんこっちが演出意図なんだろうなぁ。

私はルキーニの真実が真実なのかを見極めるために私達「観客」の前で裁判が繰り広げられるいわば我々は陪審員(裁判員)なのだとずっと思っていた。
その当たりは各々の解釈に任せるしかない。
しかし冒頭で書いた「ミュージカルはじめてみます」の人は「で、裁判はどうなったの?」と言うのが第一声だった。

またエリザベートが最期棺に収まることもちょっとわかりづらかったようだ。
これは解釈が難しいけど「死」の愛を受け入れたと言うことだろうか?
前回までの「死」と共にその世界へ飛び立つと言う印象は無くなった。

いつものことだけど どの上演が好きだったかとかキャストの好き嫌いを語るつもりはまるでない。
次の更新の時はLEDスクリーンの是非について書きたいと思う。

2004/4/6


お約束の通り電飾のこと。
今回の再々演は「ルキーニの裁判劇」の要素がよりいっそう強くなっている。
ので霊廟の中であったり装置があちこち棺を使っていたり とその辺はコンセプトとしては納得できるが、
みなさん気になっているのはやはりあのホリゾント(正確に言うと違うのだが)にある通称「電飾」LEDパネルだろう。

このパネルによってバイエルンの景色バートイシュルの景色(なぜか額縁入り)双頭の鷲、ハンガリーの????、変わり行く星空(これメインの星は麦球なのかなぁ?)、そして朽ち果てていく双頭の鷲などと個性的な表現をしている。

しかし映像、画像ではなくやはりLEDパネルである。 ドットが荒い。 そしてどうしても出せる色の数に限界がある。 結果なんだか安っぽく感じてしまうのは事実である。

それに ヘレネのお見合いが発表されるシーンでシシィが「木から落ちる」(初演、再演はシルエットでブランコから落ちる)このシシィのアップ… しかもドットが荒い… そしてどこから落ちたのあなたと言うくらいの空中浮遊(^^; そんなモノ見せられてもねぇ

アップの時間は減ったし、木から落ちたら白黒になるなどそれこそ「改良」は続いていますが うーんで有る。 しかしはじめてエリザベートと出逢った人だと「わかりやすくて親切(だけどびっくり)」という意見も聞こえる。
シシィが某から転落して黄泉の世界の入り口まで行ってしまうと言うのは宝塚から又は前回公演から見ている人間にとっては周知の事実である。
しかしはじめて観る人はそんなことを知らない 当たり前だ この辺を考慮するともう少し表現方法は考えても良い物の、一つの実験としては価値ありなのかもしれない。

そして今更思ったこと。
この舞台は100年前のエリザベートの時代を見せているのではなくルキーニが「今」語っている事を映し出しているのである。
それならばああいった手法もありなのかもしれない。
でもねぇそうするとカプツィーナの霊廟を模したあの三つの塔は?となってしまう。
つまりアンバランスなのである。
キッチュの映像画面は以前の装置でやっているのでなおさら違和感を感じる。(前回の装置と同じところってもしかしてそこと、ドアの並んでいるセットだけ?)
そして どうせあのパネルを活かしたいのならやっぱり「私だけに」ハプスブルクの紋章→空 など何らかを象徴したモノを映し出してみて欲しかったなぁ…
これは個人的に前回の「ハプスブルクの扉を自ら開いていくエリザベート」が好きだったという感傷だけど。

今回の装置の変更で一番好きなのは宝塚?と思わせるような電飾のついた階段。 結婚式と1幕最後で使われている 好きだなぁこれ

2004/05/19