海外作家 カ行
マッターホルンの殺人
原題:MURDER ON THE MATTERHORN
翻訳:真理ケイ
解説:森英俊
出版:新樹社 1999/06/25 1951年の作品
装丁:作場知生
定価:2000円
採点:3.5点
ミスター・アバークロンビー・リューカーはクリーヴランド街のとても居心地のいい居間の床に腰を下ろしていた.
[帯から]
高峰マッターホルンでの謎の死。
よみがえる山岳ミステリの傑作。(表)
マッターホルンを望むスイス・ツェルマットの夏。
シェイクスピア劇の名優が突然知った謎だらけの死.
警察、登山家などを相手に複雑な人間関係の中から
彼は少しずつ手がかりをつかんでゆく。(裏)
[あらすじ]
俳優兼監督のリューカーは以前の関わりからイギリス情報部の依頼を受ける。レジスタンスの闘士であるレオン・ジャコがフランスが政界で不穏な動きを見せているという。ところが、滞在先のスイスで、ジャコはマッターホルンの登攀中に死亡してしまう。果たして滑落死か、それとも他殺なのか。鉄壁のアリバイを持つ登場人物たちの中にリューカーは入り込んでいく。
[感想]
この作品を読むとき、読者は美しく、あるいは厳しくそびえたつマッターホルンの姿を思い描くに違いない。登攀についてのさりげない記述や山の自然の描写は、押し付けがましくない程度に山岳への崇拝を表現している。だからこそ、山を愛する人はもちろん山岳に縁のない読者でも十分楽しむことができるのである。
書き出しではリューカーと情報部との関わりが紹介され、スパイ物に近い印象を受ける。作品のかかれた時代を考えれば効果的な導入ととることもできるが、物語が進行するにつれて政治的要素や情報部の話題が薄まり、事件が起きてからは登場人物たちの人間関係や心理面に重きが置かれる。そのため全体を見通したとき、アンバランスな部分が見られるのは否めない。しかし、次々に現れる容疑者、錯綜する推理は作品にほどよい緊迫感を与え、前述のマイナスの要素を補って余りある。特に、事件が解明される部分では大掛かりなトリックが見事に成功している。マッターホルンの美しさとは対極に位置する恐るべき真実。その様子を目に浮かべることができれば、この作品は忘れがたいものとなるだろう。
1999/06/20
ディクスン・カー名義
カー短編集1 不可能犯罪捜査課
カー短編集2 妖魔の森の家
カー短編集3 パリから来た紳士
カー短編集4 幽霊射手
カー短編集5 黒い塔の恐怖
カー短編集6 ヴァンパイアの塔
曲がった蝶番
緑のカプセルの謎
連続殺人事件
皇帝のかぎ煙草入れ
アラビアンナイトの殺人
盲目の理髪師
死者はよみがえる
魔女の隠れ家
猫と鼠の殺人
テニスコートの謎
絞首台の謎
深夜の密使
亡霊たちの真昼
幽霊屋敷
死時計
血に飢えた悪鬼
死の館の謎
喉切り隊長
三つの棺
ニューゲイトの花嫁
死者のノック
夜歩く
火刑法廷
囁く影
眠れるスフィンクス
引き潮の魔女
疑惑の影
黒死荘殺人事件
カーター・ディクスン名義
赤後家の殺人
白い僧院の殺人
孔雀の羽根
爬虫類館の殺人
墓場貸します
貴婦人として死す
弓弦城殺人事件
魔女が笑う夜
赤い鎧戸のかげで
騎士の盃
九人と死で十人だ
原題:Nine-and Death Makes Ten (英題:Murder in the Submarine Zone 潜水艦水域の殺人)
翻訳:駒月雅子
解説:千街晶之
出版:国書刊行会 1999年12月5日 1940年の作品
装丁:挿画 影山徹
定価:2400円+税
採点:3.5点
ニューヨーク西二十丁目のはずれの埠頭に、軍艦と同じ鈍色に塗られた船が浮かんでいた。イギリスのホワイト・プラネット・ライン社の二万七千トン旧商船、エドワーディック号が、〈イギリスの某港〉へ向けて出航を待っているのだ。
[帯から]
カーター・ディクスン
第二次大戦中、ドイツ潜水艦の襲撃に脅えながらイギリスへ向かう
商船エドワーディック号の一室で、喉を切られた女の死体が発見された。
現場には血染めの指紋が残されていたが、調査の結果、
船内の誰のものでもないことが判明する…。怪事件に挑むH・Mの活躍。
[あらすじ]
ニューヨークから英国に向けて出航した商船エドワーディック号。新進気鋭の新聞記者マックス・マシューズは取材中の事故で足を痛め、戦時下の英国で新しい職場を見つけようと考えていた。その彼が船内で出会った謎めいた女性、ジア・ベイ夫人はマックスの心を惹きつけるが、ある晩室内で殺害されてしまう。現場に残された指紋から犯人はすぐにつかまるものと期待されたのだが、乗客・乗員の指紋の中には犯人と一致するものはなかった。
[感想]
戦時下の緊迫した状況を効果的に使用し、さらにそれを単なる雰囲気ではなくミステリの材料として充分に生かした作品である。一人の死によって浮かび上がってくる存在するはずのない乗客。船という閉ざされた空間の中に突如として出現した犯人という不可解な謎は、現代の読者にとっても実に魅力的である。トリック自体は小粒なのだが、手がかりも随所に示されており、カーの研究者・ダグラス・G・グリーンに「フェアプレイのみごとな成果」と言われているのも頷くことができる。トリックの中には残念なことに現代のわたしたちには少々分かりにくいものが一部あるのだが、おそらく1940年当時の読者ならばなるほどと感じるところなのかもしれない。時代を経てその効果が薄れてしまう部分があるのは仕方のないことであり、作品の時代背景の一つとして読むことで、楽しさを味わうのがよいのだろう。
同じく船を舞台とした作品『盲目の理髪師』と比較するとファルスの部分は確かに少ない。H・Mと船内の理髪師のやりとり、幕引きでのH・Mの扱い、マックスとヴァレリー(乗客の一人)との関係の中に見られる程度だが、戦時下、しかも潜水艦水域という危険な舞台を設定した作品だけに、それらがかえって効果を上げているように感じられる。また、マックスとヴァレリーの二人の心の動きを想像しながら読むと、後期の歴史ものに見られるようなカーのロマンチストとしての側面を窺うことができるのだが、これもまた楽しい読み方の一つではないだろうか。
1999/12/30
『恐怖は同じ』
原題:FEAR IS THE SAME
翻訳:村崎敏郎
解説:村崎敏郎
出版:ハヤカワ・ミステリ 1961/03/31 1998/10/15再版 1956年の作品
定価:1300円
採点:3.5点
まだ六時にもなっていないのに、オウルダム令夫人とお付きのミス・クラムペットはとっくに晩餐会の着替えをすませていた。
[帯から]
復刊希望アンケート第2位
珍品の誉れ高き、幻の異色作。
タイムスリップの果てに待つものは?
[あらすじ]
オウルダム令夫人の姪、ジェニファは、1795年のある夜、グレナボン伯爵と出会う。だが、二人は初めてであったとは思えなかった。なぜなら、150年後の現代で、愛し合った仲だったのだ。どうやら二人は、何かの事件の嫌疑をかけられ、逃げているうちに過去に戻ったらしい。しかし、この時代でも、やはり同様の事件が二人の運命を変えようとしていた…。
[感想]
主人公が事件に巻き込まれ、無実を証明しようと奔走する。アイリッシュばりの展開で、サスペンスとして読むにはおもしろい作品である。次第に狭められる包囲網の中で、どのように真犯人を割り出していくのか興味がわく。現代でボクサーとして鳴らしていた主人公が、その技を生かして過去でも活躍するという場面があるが、これも盛り上がるところである。ただ、カーの作品としては軽めで、期待はずれと感じる読者もいるかもしれない。カーの歴史物としては、『ニューゲイトの花嫁』『ビロードの悪魔』『喉切り隊長』『火よ、燃えろ!』などがある。この中では『火よ、燃えろ!』を推したい。【98/11/24】
驚異の発明家の形見函
原題:A Case of Curiosities
翻訳:大島豊
解説:若島正
出版:東京創元社
装丁:オブジェ制作 Fragment 西山孝司・柳川貴代
オブジェ撮影 杉浦敏男+小濱麗子(NEXT)
装幀 柳川貴代+Fragment
定価:3800円
採点:4.5点
[書き出し]
我楽多が詰まったその函がパリのオークションでわたしの所有物となったのは一九八三年の春のことだった。門外漢が競売場の中にいる人間についてどう思っているかを耳にするたびに、わたしはいつも笑ってしまう。
[帯から]
18世紀=好奇心(キュリオシティ)の
時代を生きた仏蘭西版平賀源内
自動人形発明家の
数奇なる生涯をいま、
函が語り始める!
形見函、それは尋常ではない物語を宿した骨董の函
[あらすじ]
「わたし」がオークションで手に入れた函は、一人の発明家の思い出の品を収めた形見函であった。広口壜、鸚鵡貝、編笠茸など一風変わった品物から、「わたし」はクロード・パージュの人生を辿り始める。
[感想]
クロード・パージュ少年は手の黒子を切除する際、外科医によって指まで切断されてしまった。一帯を治めていた領主はその様子を気の毒に思い、少年を屋敷に引き取ってさまざまな実験の補助をさせることとした。日々出会う新たな発見と科学の神秘。そして少年の好奇心と向学心は次第に引き出されていく。
序盤は少年が知識と技術を身につけていく過程。まだ科学が体系化されておらず、現代から見れば遊びとしか見えないような事柄が、発見と感動につながっていく。その驚きを少年と共有するのが実に楽しい。中盤は独り立ちをして厳しい現実に直面する場面。領主の屋敷で起きたある事件がきっかけで少年は家出をするのだが、これはその後の主人公の人生に大きな影響を与える出来事となる。ミステリとして書かれた作品ではないが、ミステリファンならば真相が気になるところ。それなりに読み込んだ人ならばおそらく分かるだろう。限りない苦痛の中での人間としての成長が後の発明家パージュを形成していく。そして終盤は歩んだ人生のすべてが一点へと集約される怒濤の展開。出会った人々、学んだ事柄、それらすべてが共鳴し合い、驚異の発明が誕生する。
個性的で人間味あふれる登場人物、不思議と奇妙に彩られた品々。本を閉じたとき、表紙に描かれた形見函に一瞬パージュの人生がよみがえる。充足の読後感を味わえる傑作である。
2003/02/15 (土)
テムズ川は見ていた
原題:The December Rose
翻訳:斉藤健一
解説:なし
出版:徳間書店 2002/12/31
装丁:森枝雄司 カバー画 ケニー・マッケンドリー
定価:1700円
採点:3.5点
[書き出し]
九月になって間もない、ある木曜日のこと。夕方の五時十五分ごろに、一人の女がロンドンのチャリングクロスという大きな交差点に面した郵便局に入ってきた。
[帯から]
サスペンス、謎、そして
思いがけない結末……
[あらすじ]
煙突掃除の少年バーナクルは、仕事中に手を滑らせて暖炉へと落ちてしまう。部屋には怪しげな人物が集まり、犯罪にかかわる話が進められていた。逃げようとするバーナクルは手近な物を投げつけて部屋を飛び出すが、握り締めた手の中には金のロケットが入ったまま。彼はそのために追われる身となるのだった。
[感想]
まず、書き出しがよい。一人の女性が何かから逃げるようにロンドンの街を進んでいく。次のページで、彼女は突然に死を迎える。児童書としてはハードな幕開けに驚かされる。
煙突掃除の少年は酒場で出会った男に救われる。初めはぎくしゃくしている二人だが、次第に心を通わせ、信頼と友情が生まれる。その一方でバーナクルを追い詰めていく謎の一味。放たれた網は次第に狭まっていく。温かさと冷たさのバランスがよいのである。
緊張感もあり、犯罪のスケールも予想以上。敵方の警部の存在は大きく、強烈な印象を残す。冷たいものはあくまでも冷たく、子ども向けでも容赦のない展開に感心させられた。『見習い物語』を書いたレオン・ガーフィールドのサスペンス小説である。
2003/02/19 (水)
行きどまり
原題:The Price of an Orphan
翻訳:汀一弘
解説:汀一弘
出版:扶桑社ミステリー 2000/07/30 1964年の作品
装丁:カバーイラストレーション&デザイン 藤田新策
定価:669円+税
採点:3.0点
ミーガン・デールは歌っていた。一度、当人が喜んで認めるよりずっとむかしのことだが、おまえは音痴だと言われたことがある。
[帯から]
「叫んでもむだだよ」
少年ジョニー、殺人者の罠にはまる。
嘘つき少年が目撃した殺人を、誰も信じてくれない。
[あらすじ]
ジョニーは9歳のやんちゃな少年。父親が服役中のために里子に出され、ヒース家に引き取られている。しかし孤独な彼の楽しみは一人でも多くの人の目をひきつけること。一日中身を隠して捜索隊を結成させたり嘘をついて大人をからかったりと、いたずらのし放題。今日も禁じられている洞窟探検へと出かけたのだが、そこで殺人事件を目撃してしまう。大急ぎで知らせに行ったジョニーだったが、誰も信じてくれるものはなく、それどころかジョニーは犯人に命を狙われることに…。
[感想]
『ささやく壁』、『走り去った女』に続いてオーストラリアの作家、カーロンの翻訳第3弾である。アメリカでの再評価の動きということで米国刊行は1999年だそうだが、書かれたのは1964年。登場人物が少なく、限定された場所を舞台にしたサスペンス小説ということもあるのだが、それにしても古さを感じさせない作品である。
導入部ではジョニーの視点と犯人の視点とが幾度か入れ替わり、忍び寄る危機と恐怖を盛り上げていく。引き取り先の夫婦と少年との関係の推移、唯一少年が手にした犯人追及の手がかりが後半どう生きてくるかというあたりも注目したいところである。
内容としては嘘つき少年が事件に巻き込まれ、命を狙われるというものであるため、当然少年の成長譚として読めると思う向きもあるだろうが、これが実は違う。物語が進行する中で、ジョニーの賢さと芯の強さといった部分が次第に見えてきて、結果として少年を取り巻いている大人たちが、いかにジョニーを理解するようになるか、という物語になっているのである。子どもの心を育てるのも、表れる行動を左右する.のも周囲の環境の影響が大きい。そういった意味で、一人の少年の姿が、物語の中でどのように変化して見えてくるのかという点が興味深い。そして、証拠品の一つとして登場する赤いドレスもまた初めは誰も見向きもしないものだったが、事件に関わりがあることが分かってから俄然その存在価値をアピールしてくる点も意味深い。これはまた犯人の心理にも関わり、「他から見た人やものがどのような存在であるのか」という主題につながってくる。ここに原題の“The Price of an Orphan”の意味があるのだろう。地味ではあるが、サスペンスの中に一つのテーマを貫き通した作品として価値あるものと考える。
2000/08/04
四年後の夏
原題:The Souvenir
翻訳:田中一江
解説:吉野仁
出版:扶桑社ミステリー 2000/12/30 1970年の作品
装丁:藤田新策
定価:667円+税
採点:4.0点
シンプルな黒い文字で《ジェファースン・シールズ探偵事務所》と看板が出ているドアをあけて室内にはいったとたん、マリオンはがっかりした。期待が大きかっただけに、どれほど落胆したかがすっかり顔に出てしまったにちがいない。
[帯から]
嘘をついているのは
時をさかのぼり、探偵が謎を追う。
名手カーロンが描く、本格ミステリー
誰か?
[あらすじ]
四年前に兄を殺害されたという女性が探偵事務所を訪れた。犯人はヒッチハイクをしていた二人の少女、サンドラとペタのどちらかに違いないのだが、警察の捜査でも判然とせず、二人とも罪を問われることは無かったという。依頼を受けた探偵ジェファースンは、捜査資料と関係者への聞き込みから、真相を探ろうとする。
[感想]
これまで紹介されたカーロンの作品、『ささやく壁』、『走り去った女』、『行きどまり』はいずれもサスペンス小説で、本格好みの方にはおすすめしづらかった。だが、今回の『四年後の夏』は、カーロンは本格も書けるのかと改めて感じさせる作品となっている。
物語は探偵事務所にやって来た被害者の妹の登場から始まる。彼女は事件の容疑者である少女の一人、ペタの兄との結婚を望み、被害者の家族としてはその障害となる殺人事件の犯人を探し出そうというのだ。つまり、二人の少女のうちサンドラが犯人であってほしいという期待を持ってやって来るのである。
その後ストーリーはサンドラの証言へと進み、読者は彼女の控えめで礼儀正しい態度に好感を持つようになる。どう見てももう一人の方が怪しいと感じられた頃、突然ペタによる証言となり、今度は逆にその明るさ、いさぎよさに惹かれてしまう。この作品の質が高いと感じられるのは、二人のいずれも殺人や窃盗といった悪事を行うはずがない、ということが人間性に基づいて詳細に語られていく部分。読者を納得させるだけの根拠がなければ、天秤は必ずどちらかに傾いてしまう。ところがこの作品の場合は、最後まで釣り合いを保ったまま解決部分へと突入するのである。このあたりは海外版『どちらかが彼女を殺した』といったところで、いったいどちらが嘘をついているのかと気にかかって仕方がない。しかも、この嘘の理由にまた説得力があるのである。
伏線の挿入の仕方もセンスがよく、気持ちよく読み進められるのもよい。探偵のジェファースンが事件を一歩離れたところから見つめているため、読者が被害者側に感情移入することはほとんどなく、むしろ事件から四年経ち、成長した二人の少女の思いがストレートに伝わってくる。あえてそうした手法をとることで、一つの出来事が運命を変えてしまう怖さ、日常を一瞬だけ越えた時の人間の行動の異常さ、罪を背負い心に閉じ込めて生きる重荷といったものを表現したのだろう。これまでとはちょっと違ったカーロンを読みたい方にお薦めの作品である。
2000/12/30
革命の夜に来た男
原題:The King's Commissar
翻訳:工藤政司
解説:工藤政司
出版:ハヤカワ文庫NV 1986/01/31 1983年の作品
装丁:安田忠幸
定価:520円+税
採点:3.5点
大英帝国海軍軍艦エアデール号艦長(一九一七〜二一)
海軍大尉、殊勲十字章受勲
故J・R・A・ウォルターズの日記より
一九一八年四月一九日付け記載――
夜にその男がブリッジにやってきて、しばらく身を置かせてくれとたのんだ。強い北西風の中に突入していたので波が高かった。
[あらすじ]
ロンドンのヒリアード・クレイフ銀行の顧問であるマロリーは、自分の銀行からスイスへ継続して巨額の振込みが行われていることに気づく。捜査を開始した直後、彼は一通の手紙を手に入れるのだが、それはかつて英国国王の命を受けてロシアへと旅立った一人の軍人の手記であった。その男の名はダイクストン。そして密命の内容は、ロシア革命の最中、ニコライ2世を救出することだったという。数十年の時を経て結びつくロシアとイギリス。そこにはどのような謎が秘められているのか…。
[感想]
歴史の謎を解き明かすミステリは楽しい。もしこんなことがあったとしたら、と想像させるだけの内容をもった優れた作品である。
発見される手記は全部で7部に分かれており、内容は順に救出作戦の結末に近づいていく。しかし手記の入手方法は定められており、それぞれ違った手続きをとらないと手に入れることができない仕組みになっている。しかも、期間の制限があるため、探索者のマロリーは巨額の資金を運用し、仕掛けを突破していかねばならない。読者は皇帝救出作戦の顛末という魅力的な題材だけでなく、手記の入手方法の謎、タイムリミットという2つの牽引力で頁を繰ることとなる。
英国での国王との謁見から、寒風吹きすさぶロシアの大地へと物語は展開するのだが、革命期のロシアの荒廃した状況が詳細に描かれ、実に興味深い。また、手記内で主役となる英国将校ダイクストンが抱くほのかな恋心や、任務の中で苦悩する様は、歴史の中で一人の人間が果たす役割の意味を深く考えさせるものとなっており、読み応えがある。
この作品は、安藤顯『ジャンル別文庫本ベスト1000』内の井家上隆幸「冒険小説ベスト50」に選出されている。また、同じく井家上隆幸『20世紀冒険小説読本【海外篇】』に数ページにわたって取り上げられており、そこにはロシア革命とニコライ2世一家の運命に関わるミステリがいくつか紹介されている。中でもブライアン・ガーフィールドの『ロマノフ家の金塊』、ジェフリー・アーチャー『ロシア皇帝の密約』、典厩五郎『ロマノフ王朝の秘宝』、多島斗志之『密約幻書』は描き方は様々だが、いずれも謎とロマンを感じさせる優れたミステリである。また二階堂黎人のある短篇(ネタバレに関わるので明らかにできない)はトリックとプロットが実にうまくかみ合った名品であり、心に残る。島田荘司の『ロシア幽霊軍艦事件』(「季刊 島田荘司02」所収)も芦ノ湖に現れた謎の軍艦を撮影した一枚の写真が、ロシア皇帝へと結びつくスケールの大きなミステリである。
2000/09/30
『マンハッタン特急を探せ』
訳:中山善之 新潮文庫 760円
原題 NIGHT PROBE!
いく筋もの稲妻が、雷雲の襲来を告げていた。おりしも、マンハッタン特急は、ニューヨーク州の郊外を貫通するバラス敷きの線路のうえを驀進していた。機関車の煙突から吐きだされる円筒状の煤煙に、夜空でまたたいている星影がかき消された。
[あらすじ]
1914年、イギリスとアメリカが極秘に条約を締結した。その文書はそれぞれ、マンハッタン特急と豪華客船で運ばれたのだが、どちらも事故で失われてしまった。そして、1989年、カナダ沖で発見された石油の権利をめぐり、失われた条約文書の発掘が始まった。
[感想]
1914年の事故のシーンから始まり、現代に戻って話が展開するところ、ロマンを感じさせる見事な書き出しである。失われた条約の謎を解こうとするヒロインの海軍少佐、老いて引退した英国のスパイ、そして主人公のダーク・ピット(NUMAという機関に所属する特殊任務の責任者)の描き方も生き生きとしている。謎が魅力的であることだけでなく、それを最後まで持続させるプロットを構築しているところに好感がもてる。東西ミステリーベスト100第130位。【3.5点】
【キ】
『少女探偵ナンシー 古い柱時計の秘密』
原題:THE SECRET OF THE OLD CLOCK
翻訳:谷村まち子
解説:赤木かん子
出版:フォア文庫(金の星社) 1998/11 原書は1930年に出版 1962年金の星社より刊行
装丁:安野光雅 画:芙似原由吏
定価:600円
採点:3.0点
[帯から]
愛と正義の少女、その名は少女探偵ナンシー。
愛読者急増中の、超大人気シリーズ第3弾!
[あらすじ]
資産家の老人が残した莫大な遺産。しかし、遺言状には成り上がりもののトプハプ家に財産を譲ると書かれていた。老人に思いやりを持って接していた親戚や、生活に困窮する老人の友人たちへの分与はない。しかし、弁護士を父に持つナンシーは、第二の遺言状が存在することを確信していた。
[感想]
少女探偵ナンシーの第3弾となっているが、実際にはナンシーのシリーズの最初の作品である。
ナンシーという名前をどの程度の読者が知っているだろうか。上記の通り、1930年の出版以来長い間読み続けられ、日本国内においても一時期多くの読者を獲得したシリーズである。しかし、時代の変遷と共に書店でも見かけなくなり、現在では図書館で古びたシリーズが僅かに並べられている程度であった。今回数冊が読みやすい新書のサイズで復刊されたことを心から喜びたい。
児童向けの推理小説は近年多く刊行されているが、その内容を見ると必ずしも児童の精神的な成長について心を配っているとは言い難いのが現状である。トリックやプロットに凝った作品は確かに労作であり興味も増すだろうが、血で血を洗うような惨劇、旧家の怨念や憎悪と復讐で彩られた作品を読書のスタートラインに提示するのはどうだろうか。読書は心の栄養であり、急速に発達する子どもの心を側面からあるいは背後からそっと支援するものであってほしい。大人の世界を教えることも大切だが、その前に人として大切なものを育てるべきではないだろうか。
その点を考えると、この「ナンシー」のシリーズが1930年代というはるか昔の作品であるにもかかわらず、子どもを温かく見つめ、励まし、正義や勇気、友情の尊さを丁寧に語る姿勢をもっているということに感銘を受ける。時代は変わっても、本当に大切なものは変わらない。子どもに、何をどのように伝えるべきか、確固とした信念をもって書かれた作品である。
作品自体は大人が読んでしまえばあまりに単純で冒険活劇ではあるが、かつて子どもだったときに興奮を覚えたことを振り返り、自分自身の思い出ともう一度出会えたことはこの上ない喜びである。未読の方はシリーズの1冊をぜひ手にとってもらいたい。そして、もしお子さんをお持ちなら、あるいはこれからお子さんを持たれるのなら、このシリーズを心から楽しめるように育てていただけたらどんなに素晴らしいことかと思う。子どもによい本を伝え、語り合うのは子育ての基本であり、文化の伝達者としての親の重要な務めである。(残念ながらそうした努力をしないばかりか、そういうことが必要だという認識すらない場合があるが)そのためには、まず自分が読んで理解し、納得しておくことである。努力をしても子育ては思うようにはいかない。だからこそ、できる限りの努力が必要なのである。この作品は必ずよいきっかけになる。
1999/05/04
幽霊が多すぎる
原題:TOO MANY GOHOSTS
翻訳:山田蘭
解説:我孫子武丸
出版:創元推理文庫 1999/08/20 1959年の作品
装丁:磯田和一
定価:760円
採点:3.5点
一五二三年、ノーフォークのイースト・ウォルシャムに建てられたパラダイン館は、今日にいたるまで代々のパラダイン卿の屋敷とされてきた。
[帯から]
幽霊屋敷でバカンス
我孫子武丸氏絶賛!
本邦初訳、ギャリコ唯一の本格ミステリ
[あらすじ]
名家でありながら、遺産譲渡の不備から多額の相続税を抱え、カントリークラブとして一部開放されたパラダイン館。ところがその後起きる不思議な現象の数々がパラダイン一族を、そして訪問客を驚かせる。密室内の肖像画がひとりでに落ち、誰もないはずの音楽室からはハープの音が響く。晩餐では椅子が勝手に動き出し、深夜には尼僧の幽霊が徘徊する。これらの超常現象の専門家としてアレグザンダー・ヒーローが登場するのだが…。
[感想]
次々に起こる怪奇現象、最後には仕掛けが見破られるのだろうと考える読者にとっては、登場人物たちが恐れおののくほど、それらを味気なく感じ、醒めた目で見がちである。そのため『幽霊が多すぎる』という題名を見ただけで、この作品を選択肢からはずしてしまう人もいることだろう。しかし、作者は怪奇現象の恐怖を抑え、登場人物の造形に気を配ることで、この作品を魅力あるものにした。探偵役のヒーローの誠実さ、思慮深さは多くの読者に受け入れられるであろうし、その他の登場人物についてもひとりひとりに血が通った描き方がされている。ヒーローの継妹であるメグの知性と優しさは愛すべきものであるし、憎まれ役のウィルスン少佐のねたみ深さも人間味溢れ、ある意味共感を呼ぶであろう。端役に過ぎない人物にさえ、作者の温かい眼差しが注がれているのである。こうした人物描写が、幽霊騒動を読者により現実的なものとして認識させ、その裏に隠された絡んだ人間模様を興味深く感じ取らせる。事件のトリックや犯人探しだけでなく、ヒーローの幽霊を解明しようとする試みが、パラダイン館の人々の心をどのように変化させていくのかを読み味いたい作品である。
1999/09/01
『呪われた町』
訳:永井 淳
集英社文庫
上下各550円
その男と少年を親子だと思わぬものはほとんどいなかった。
二人は古ぼけたシトローエン・セダンに乗り、南西の方角めざして、アメリカ縦断の放浪の旅を続けていた。
[あらすじ]
1970年代、アメリカのセイラムズ・ロッドという町に、吸血鬼が現れた。マーステン館という以前に恐ろしい事件のあった屋敷に住みついたらしい。ところが、町の住民はその真実に気づかない。それどころか次々に吸血鬼の餌食になり、自らも吸血鬼と化してしまう。たまたま町を訪れていた小説家のベンは、不可思議な事件の真相を突き止めようとする。そして、仲間を集め、吸血鬼と対決していくのだった。
[感想]
『キャリー』に続く長編第二作目である。吸血鬼伝説を現代によみがえらせる手法が工夫されており、違和感を感じさせない。次々とシーンが変わって行く部分はまるで映画を見ているようで、ちょうどよいところで場面が移っていくのが心憎い。吸血鬼というと何をいまさら、という気持ちもないではないが、それでも読者をセイラムズ・ロッドという町に捉えてしまうのはさすがにキングの筆力である。吸血鬼と対決する登場人物の中には少年もいるが、大人と子どもとの考え方、感じ方の違いや少年の心の推移を読んでいくと、その後の作品『IT』につながる“成長”というテーマがすでにこの作品にも表れていることがわかる。その意味で、題材は軽いが深く印象に残る作品である。1977年度週刊文春傑作ミステリー第6位。一時期品切れ状態で、ネスコ社の『週刊文春傑作ミステリー』にはそのように表示されているが、1996年11月に18刷が出ている。【3.5点】
『ゴールデンボーイ 恐怖の四季 春夏編』
訳:浅倉久志
新潮文庫 667円
原題 The Different Seasons vol.II
全国、どこの州立刑務所や連邦刑務所にも、おれみたいなやつはいると思う―早くいえば、よろず調達屋だ。
(『刑務所のリタ・ヘイワース』より)
【あらすじ】
ショーシャンク刑務所の調達屋、レッドは、入所してきたばかりの元銀行員、アンディー・デュフレーンという男に興味を持つ。彼の不思議と落ち着いた雰囲気は、刑務所にはまるでそぐわないものだった。ショーシャンク刑務所でアンディーがどのように過ごしたのか、レッドは語り始めた…。
【感想】
この本には、『刑務所のリタ・ヘイワース』と、『ゴールデンボーイ』が収録されている。それぞれが「春」と「夏」を象徴する作品という設定である。『ゴールデンボーイ』は、将来有望視されている少年がいかに成長していくか、そしてそこにどのような落とし穴があるのかという作品であり、緊張の糸がいつ切れるのだろうかとはらはらさせられる。その一方、『刑務所のリタ・ヘイワース』は、レッドという男の視点で話が進められ、刑務所という閉鎖された空間で、ゆっくりとそして淡々と物語が進んでいく。登場するアンディの、常に希望を失わない明るさと、くじけない精神力が伝わってくる作品である。副題には「春は希望の泉」とあるが、陰鬱な刑務所という設定であるにもかかわらず、読者にすがすがしさを感じさせてくれる。解説にはこの作品の筋が紹介されているので、できれば何の予備知識もない状態で楽しんでいただきたい。なお、この作品は『ショーシャンクの空に』という題で映画化されている。【3.5点】
『IT』
訳:小尾 芙佐
文春文庫
1、2、3、4各巻650円
言葉につくせぬこの恐怖、あれから二十八年つきまとっているこの恐怖の――終息の時があるにしてもだ――そもそもの発端は、私の知る限り、大雨で増水した道路の側溝を流れていった新聞紙の小舟だった。
[帯から]
27年前へ
少年の日々が呼ぶ
デリーへ
そこは宿命の町だ
[あらすじ]
二十七年前、ある場所で、何かが起こった。その時、そばに居合わせた少年少女たちが、ひとつの大切な約束をした。それが一体何なのか、誰も覚えていない。しかし、懐かしい場所に近づくにつれ、それぞれの思い出が、次第によみがえり、恐ろしい事件の記憶と、新たな戦いへの勇気と恐怖が湧き起こってくるのだった。
感想]
少年の日の思い出は、忘れたくなくても、大人になっていく間に失われていってしまう。この作品には、あのころの自分と同じだという少年少女が出てくる。読者は、中の一人や二人に同化したり、共感したりして、同じ恐怖を、そして同じ勇気をもってページをめくることになる。彼が、彼女が、どれほど恐ろしい目にあったのか、そしてどのような知恵と勇気で恐怖に打ち勝ったのか。これだけ長い作品であるにもかかわらず、一気に読めてしまうのは、やはり作中のひとりひとりの登場人物が、生き生きとしているからに違いない。現在と、そして過去が交互に書かれ、次第に話が一つの方向に結びついていくさまは、見事である。後半、内容が破綻しているかと思うほどの展開を見せるが、自分の少年時代を懐かしみ、こんな思いをしたことがある、と興奮する気持ちを味わえるということだけでも一読の値打ちはあるというもの。文春ベストミステリ91年度3位。このミス93年度4位。文庫版には4冊セットの箱入りがある。【4点】
『グリーン・マイル』
訳:白石 朗
原題 THE GREEN MILE
新潮文庫 全6冊 各400円程度
これは一九三二年、州刑務所がまだコールド・マウンテンにあった当時の物語である。いうまでもなく、そのころこの刑務所にはまだ電気椅子があった。
[帯から]
刑務所の死刑囚舎房で繰り広げられる恐怖と救いと癒しのサスペンス
[あらすじ]
アメリカ南部の刑務所。死刑囚が電気椅子まで歩く廊下は、グリーン・マイルと呼ばれていた。看守主任のポールは、次々にやってくる死刑囚と相対するとき、任務の重さと自分の無力さを感じていた。そして、ある死刑囚とであったとき、ポールは大きな転機に立ったのである。
[感想]
キングが分冊形式で出版したという作品を、新潮社は忠実になぞり、6冊毎月刊という形式をとった。まず、読者はこの形式がすでにトリックを完成させる一つの要素になっていることを知っておくべきである。第1巻から、物語の重要な伏線は張られている。丹念に読んでいけばその緻密さと計画性に驚かされるだろう。物語のおもしろさとしては第4巻あたりから、俄然盛り上がってくる。筋がおもしろいだけではない。そこに描かれた人物の生き方、考え方に共感する場面が多く見られるようになってくるのである。生命とは何なのだろうか。人の一生は、何のためにあるのだろうか。そのようなことを考えさせられる作品である。恐怖と、救いと、癒し…。もっとも深く心に残るのは、どれだろうか。【3.5点】
ランゴリアーズ
原題:FOUR PAST MIDNAIGHT 1
翻訳:小尾芙佐
解説:なし
出版:文春文庫 1999/07/10 1990年の作品
装丁:藤田新策
定価:933円
採点:3.0点
ブライアン・エングルは、アメリカン・プライドL1011を二二番ゲートに停止させると、〈シートベルト着用)のサインを、午後十時十四分ちょうどに消した。
[帯から]
キングの中篇集「FOUR PAST MIDNAIGHT」まずは前半戦
警告!飛行機の中で読むべからず!
さらに警告!作家志望者は読むべからず!
警告を守らぬ者には圧倒的な恐怖が襲いかかるであろう
[あらすじ]
機長のブランアンは着陸先の空港で、妻の急死の知らせを受けた。折り返し別便に客として乗るが、少し眠った間に、乗り合わせた乗員・乗客のほとんどが消えてしまったことに気づく。残っているのは眼の見えない少女、英国大使館員、銀行員などわずか数人。ブライアンは最寄の空港に緊急着陸を試みるのだが、彼らを待ち受けていたのは更なる恐怖だった。
[感想]
見ず知らずの人々が一つの目標に向かって団結し、次々に襲いかかかる困難を乗り越えていく。個人の感情をコントロールしながら何とか調和を求めようとする者、エゴの塊で自己の目的のみを優先させようとする者、困難の中で心の傷やコンプレックスを乗り越える者、肉体的なハンディを感じさせず、常に心を強く持つ者…。飛行機のパニックはすでに映画でも十分扱われてきたが、キングが料理すると典型的な展開から突然逸脱し、恐怖が倍加する。
好ましいのは、尋常では考えられない現象を登場人物たちが認め、何とか対処して行こうと小さな社会を作り出して行く部分である。それぞれが考えを述べ、抑制しながら最善を目指す。理解も納得もできないが、体を張ってともに生き延びようとする者もいる。単にパニック小説として読むことは簡単だが、キングがどのように人を動かすのかを考え、自分の考える人のあり方との差異を頭において読むことが楽しい。
プラスの思考は生命を尊ぶものであり、誰の心にも存在することが信じられる。そして最後には、そのプラスの本体である生命の存在を目の当たりに感じ取ることができるだろう。
1999/07/22
不変の神の事件
原題:CONSTANT GOD
翻訳:高田恵子
解説:森英俊
出版:創元推理文庫 1999/07/30 1936年の作品
装丁:カバー写真/カバーデザイン 矢島高光
定価:480円
採点:4.0点
男の声は落ち着き払っていた。「スプリング七−三一〇〇を」
ニューヨーク市タイムズ・スクウェアの中心にあるアドラー・ホテルの電話交換台の十七番交換手ミス・マーチスンは、あわててたずねた。「なにか不都合なことでも?」
[帯から]
憎むべき恐喝者の死
探偵小説の黄金時代を飾った知られざる名手の代表作
[あらすじ]
恐喝されたジェニー・オールデンが選んだのは自殺という手段だった。父、妹、そして元恋人とその友人は憎むべき恐喝者と対峙する機会を得、殺害する。法的な手段では処罰することができないのだから、自分たちの手で処刑するしかなかったのだ。ところが、死体の処分を目撃されてしまったことから、彼らの逃避行は始まった。
[感想]
事件発覚から動き出す警察、洋上に逃げる容疑者たち。追うものと追われるものとの姿を描いたこの作品は、一見サスペンスのように見えるが、実はていねいに仕上げられた本格ミステリである。書き出しは死体搬送の目撃の部分で、そこから逆にジェニーの自殺へと時間が戻り、恐喝者の処刑へと話が進む。ジェニーの自殺の原因についての記述が薄いため、家族の苦しみや憎しみに共感しきれないまま物語が始まってしまう点は残念なところであるが、ストーリーのおもしろさはそれを補って余りある。事件の経過と容疑者の行動はこと細かく書かれているため、読者が不利になることはまずない。ところが、この時点で既に作者はわたしたちに罠を仕掛けているのである。どこから飛来したのか発射音すら聞こえない大陸弾道弾のように、あまりに破壊力の大きい結末のため仰天する読者もいることだろう。真相が明かされる直前まで気にもとめずに読んでいたことが悔やまれるだろうが、実はこの驚きが嬉しいはず。正直に「うまい」と言ってほしい作品である。
1999/07/26
不思議の国の悪意
原題:MALICE in WONDERLAND
翻訳:押田由起
解説:川出正樹
出版:創元推理文庫 1999/08/27 1958年の作品
装丁:矢島高光
定価:600円
採点:3.0点
[帯から]
潜み棲む悪意
エラリー・クイーンのお墨付き傑作短編集ついに刊行!
[あらすじ]
アリスは隣人の老女が魔女だと思いこんでいた。誕生日のパーティーの後、親友のエルシーが忽然と姿を消し、二度と姿を現さなかったのも、きっとあの老女のせいに違いないと信じていた。手がかりが少なく、決め手のないまま事件は迷宮入りとなるが、一つの事件がアリスを再びエルシー失踪の真相へと導いていく。
[感想]
表題作『不思議の国の悪意』は少女の不安が時間の経過と小さなきっかけで恐怖を呼び起こす作品である。魔女と熱帯植物庭園、二人の少女の友情といった幻想的な題材を使い、短いながらも読み応えのあるものとなっている。続く『マイアミプレスの特ダネ』は登場人物たちの性格と会話の妙で小気味よさを演出した佳作。この2作に共通するのは小道具の使い方に技が光る点である。印象的なものを登場させ、読者の予想外の方向に展開させたり、読者の目を他の情報からさりげなく逸らさせたりと効果的に配置している。そのため切れ味のよい印象を受けるのである。一方、『死にたいやつは死なせろ』の場合は平板で落としどころがはっきりしない作品となっている。登場人物の造形が不十分なため、心情に寄りかかる部分を支え切れていないのである。この短編集の中で最も長い作品であるだけに、全体のイメージを大きく損なっているのは残念なところだが、他の一つ一つの作品はそれぞれにスリルやサスペンス、ブラックユーモアでわたしたち読者を十分に楽しませてくれる。
1999/09/05
【ク】
死よ光よ
原題:East of the Mountains
翻訳:高儀進
解説:池上冬樹
出版:講談社文庫 2000年02月15日 1999年の作品
装丁:カバーデザイン 辰巳四郎
定価:838円+税
採点:4.0点
ベン・ギヴンズ医師は、生きとし生けるもののあいだで過ごす、これが最後の夜だと決めたその夜、夢を見なかった。というのも、眠りが浅く、さまざまな幻が訪れてきたからだ。
[帯から]
『殺人容疑』のグターソンが放つ文庫第2弾!
心の癒しと再生の光を掴む感動の冒険小説
[あらすじ]
ベン・ギヴンズは癌に冒され、余命9ヶ月の宣告を受けた。愛する妻もこの世を去り、子どもたちもそれぞれに自立した今、ベンの願いは遠いどこかで、ひっそりと死を迎えることだった。できれば誰にも自殺だと気づかれずに、死んでしまいたい…。ある日、ベンは2頭の猟犬を連れ、父の形見のライフルを手にして旅立った。
[感想]
リンゴを採る摘み手の器用な指先も、傷ついたイヌを牽きながら前進する疲れた足も、なぜこれほど生き生きと描き出されているのだろう。
この小説は一人の男の再生の物語である。死を間近にし、いかにしてそれを受け入れるかを考え、実践しようとする物語である。だが彼はコヨーテ狩りに巻き込まれて愛する猟犬を失い、立ち寄ったリンゴ園では赤子の命を救う。その途中に妻との出会いや従軍体験といった人生の重要な出来事が回想シーンとして挿入されているのだが、その部分が実に鮮明で、心を打つのである。
中でも、亡き妻レイチェルに関する記述は味わい深い。従軍中の結婚式、二人の遺灰を白と赤の薔薇の根元に埋める約束、旅立つ前にアルバムを繰り、ドレスの残り香を嗅ぐ姿、どの場面にも妻への深い愛情が感じられる。そして、それが死を間近にした男の思いであるから、なおさら痛いほど伝わってくるのである。
ベンが死に対峙したとき、それをどのように受け入れ、乗り越えようとしたのか、一言で語ることは難しい。旅の途中で出会った人々から得た人生観、価値観が彼の生き方をもう一度振り返るきっかけになったのかもしれない。あるいは、心臓外科医として数多くの死を看取ってきた自分の手で救うことになった小さな命が、彼の心をもう一度揺さぶったのかもしれない。
わたしは思う。これほどまでに愛を育むことができたベンは幸せだったに違いないと。今、わたしの側で寝息を立てている妻は、こうしてわたしが考えていることなど何も知らない。目覚めたときにこの本のことを話しても、大仰ねと一言で片付けられてしまうことだろう。そしてわたしは、その通りだねと笑って済ませてしまうだろう。共に生きる約束をして10年。わたしは今、安心しきって眠っている寝顔を見て、この時間を永遠のものにしたいと考えている。
2000/02/22
『だれも知らない女』
訳:丸本聰明
原題 Sacrificial Ground
文春文庫 560円
一口すするとバーボンのグラスは空になった。ぐるりと首をめぐらせてフロアを見る。
[あらすじ]
アトランタ警察の刑事、フランクは数年前娘を失い、そして妻も彼から離れ、孤独な日々を送っていた。ある日、空き地で美しい女性の死体が発見される。身元はすぐに判明するが、その女性について知る人はほとんどいない。フランクは彼女の中に自分に似た孤独を見つけ、丹念に事件を追っていくことになる。
[感想]
事件は一つしかない。空き地で見つかった美しい女性の死体。これだけがこの作品のすべてである。これほど平板な展開であるのに、いったいどこに読ませる力があるのだろうか。それは、全体を覆う暗いトーンと、被害者の女性の謎かもしれない。また、この事件を着実に、そして執念深く追いつづけるフランクの人柄にも不思議な魅力がある。クックという作家の人物描写のうまさがにじみ出た佳作である。その他の登場人物であるケーレブ刑事、被害者の姉であるカレンも、作品に奥行きと豊かさを与えるすばらしい存在である。生きることの難しさ、孤独、美、そして愛について考えさせられる作品である。1990年度週刊文春傑作ミステリー海外部門第9位。【3.5点】
『過去をなくした女』
訳:丸本聰明
原題 Flesh and Blood
文春文庫 600円
ひとかたまりになったパーティの客たちから別のかたまりへと目を移しながらアパートメントのなかを見まわしているうちに、カレンがここの室内装飾を見事に仕上げたことにフランクは気がついた。
[あらすじ]
前作『だれも知らない女』の事件で警察を辞めたフランクは、私立探偵を開業した。ある日、カレンの友人から依頼を受ける。ハンナという女性が殺されたのだが、警察からの遺体の引き取りには縁者からの引き取り希望がないとだめだという。そこで血筋の人を探してほしいという。ところが、調べていくうちに、ハンナの過去には空白の時期があったことが分かる。フランクは、文書の調査が得意なファルークという男と出会い、協力してハンナの過去を探り出そうとする。
[感想]
今回も、事件がただ一つ。しかも殺人事件の捜査ではなく、縁者を探すという地味な仕事である。ところが、調査が進むにつれて次第に判明していくハンナの過去が謎めいていて、実におもしろい。これほどつまらない事件がこれほど奇妙で興味深い内容にと発展していくのは見事としかいうことはない。フランクの調査の描写も丁寧で、読者はフランクと同じ時間を共有することになる。この書き方が作品のおもしろさのもとなのだろう。また、ハンナという女性の過去を探るうちに、フランクはさまざまな人と出会うのだが、そこから人生について考えさせられることが多かった。人生には、いろいろなターニング・ポイントがある。どこで、どのような生き方を選ぶのがよいのか、それは年老いてからでないとわからない。だが、どんな人生を送るにせよ、それぞれが最善の生き方をしようと願っているのに違いない。このミス92年度第2位。【4点】
『熱い街で死んだ少女』
訳:田中靖
原題 Streets of Fire
文春文庫 640円
ベンは無線マイクをひょいと肩口にひっかけてバランスをとりながら、手帳に走り書きをつづけた。
[あらすじ]
1963年5月、バーミングハムの街ではキング牧師に率いられた公民権運動が盛り上がっていた。白人と黒人の対立が深まる中、ある晩一人の黒人の少女が殺害される。白人刑事のベンは捜査を開始するが、人種の壁に阻まれて捜査はなかなか進まない…。
[感想]
主人公であるベンの人物設定に魅力がある。ひとりの少女の死を、人種に関わりなく痛切に心の痛みとして感じるところ、暴力を否定し、捜査を淡々と進めるところ、ひとつひとつの場面で読者はベンの魅力を見つけるだろう。そして、それでいて決して正義感ぶらない。むしろ、何もできない自分に悩んでいる姿がそこにある。クックの作品には地味なものが多いが、これもたった一つの事件で最後まで読ませてしまう力作である。この当時のアメリカの人種問題について詳しくなくても、作品を読みながら次第に雰囲気をつかむことができる。このミス93年度第3位。【4点】
『緋色の記憶』
訳:鴻巣友季子
文春文庫 543円
原題 The Chatham School Affair
わたしの父には気に入りの箴言があった。ジョン・ミルトンの『失楽園』からこんな行を引き、チャタム校の生徒に聞かせるのを好んだものだ。始業日ともなれば、両の手をズボンのポケットに深々とつっこんで少年たちの前に立ち、いかめしい面持ちで対いながら、すこしの間をおく。
[帯から]
'97アメリカ探偵作家協会(MWA)賞最優秀長編賞受賞作!
よみがえるあの日の記憶が 老いたわたしを今も苛む
[あらすじ]
年老いた「わたし」の思い出。それは遠い少年の日の記憶である。新任教師としてやってきたエリザベス・チャニング。初めて彼女を見たときから、そこには美しさだけでなく、何かもっと違うものを感じていた。そしてもう一人、チャタム校の教師レランド・リード…。二人のつながりが、次第に悲劇を生んでいったのだ。
[感想]
クックの小説を天気にたとえるならば、いつ降りだすとも知れない、どんよりとした曇りの日のように感じる。この作品では、『チャタム校事件』はなかなか全貌を表さない。苛立つほどにゆったりとした筋の運び、しかしそれでも曇天の中で雨を心配するような不安な気持ちは持続する。もしかしたら、という不安や期待をもちながら作品を読み進めていくうちに、事件の真相よりも、登場人物の心に引き込まれている自分に気付く。そして、最後のページにたどり着いたとき、生きること、愛することの難しさをひしひしと感じるのである。【4点】
夜の記憶
原題:Instruments of Night
翻訳:村松潔
解説:村松潔
出版:文春文庫 2000年05月10日 1998年の作品
装丁:装画 中島恵可 デザイン 石崎健太郎
定価:619円+税
採点:4.0点
目の前に広がる町を見渡し、石炭の煙で黒く煤けたかつての高層ビルの姿を思い浮かべながら、彼は考えていた。自分が物語の舞台をいつも過去に設定するのは、この町から距離を置きたいからなのだろう。
[帯から]
過去・現実・虚構――
ミステリー作家の脳裡に
フラッシュバックする“恐怖”とは?
[あらすじ]
ミステリ作家ポールは、読者の一人から50年前の少女殺害事件の謎を解いてほしいと依頼される。条件は、行きずりの人物ではなく少女の身近な人々の中から犯人を割り出すこと、そして実際にそれが真相でなくても、もっともらしければそれでよいということだった。意を決して過去の膨大な資料に取り組むポールだったが、彼自身も少年時代に姉を惨殺されたという過去を持っていた。
[感想]
遠い過去の記憶の中に閉じ込めた恐怖がよみがえり、心を内側から食い尽くしていく。決して思い出さないように心に決めていた。恐怖がそこにあることはわかっていたが、気づかぬふりをしていた。環境を変え、習慣を変え、逃れることができたと信じていた。だが、それは形ばかりのものにすぎなかった…。
各章のはじめに主人公ポール・グレーヴスの作品の引用文が置かれている。捜査を進めるうちに、50年前の悲惨な事件と、彼自身が少年の頃に体験した姉の殺害事件が重なり、謎が次第に深まっていくのだが、過去と現在がポールの心の中で交錯する瞬間に、物語は作中作へと切り替わる。その中では殺人鬼ケスラーとその部下サイクス、そして二人を追う刑事スロヴァックの終わりのない対決が暗いトーンで描かれ、実際の事件とどのように関わってくるのかと読者の興味を駆り立てる。果たして少女はなぜ一人で森へ向かったのか。最後に出会ったのは誰なのか。ポールの少年時代の事件はどのような結末を迎えたのか。そしてスロヴァックはケスラーを捕らえることができるのか…。
ポールはまるで自分の作り出した主人公スロヴァックのように丹念に、そして執念深く事件を追及していく。警察も解き明かすことのできなかった謎、そして50年という時間の壁を作家としての想像力で突き崩していく部分は実に読み応えがある。それによってポールが払わなければならない代償が過去からよみがえってくる恐怖なのだが、こちらもまた読む者の心を震撼とさせるに違いない。すべての真実が明らかになるとき、読者は自分が今を平穏に生きていることを心から感謝することになるだろう。穏やかなこの時間は、少なくとも先々に過去の亡霊となってよみがえるはずはないのだから。
2000/06/13
心の砕ける音
原題:Places in the Dark
翻訳:村松潔
解説:中嶋博行
出版:文春文庫 2001/09/10 2000年の作品
装丁:装画 浅野隆広 デザイン 石崎健太郎
定価:581円
採点:3.5点
夏がどんなにすばやい翼をもっているか、弟のビリーほど痛切に感じていた人間はいないだろう。夏は小鳥のようにメイン州の木立の間を翔け抜け、小川や池の水面をかすめ、きらきら輝く大空の彼方に飛び去って、コートやスカーフにくるまって震えるぼくたちを置き去りにしていった。
[帯から]
「緋色の記憶」「死の記憶」「夜の記憶」……
記憶シリーズを超えてクックの新たなる挑戦が始まる
人の心の隠された部分にこそ
最大のミステリはひそんでいる
クックは深く静かにそう語りかける
[あらすじ]
兄キャルは現実に生きる男。弟ビリーは愛と情熱の男。二人の兄弟の運命はバス停に降り立った一人の女性ドーラ・マーチによって大きな転換を迎える。
[感想]
いったい何が起きたのか、事件の状況がわからないまま、兄キャルの回想が始まる。どうやら弟は死に、一人の女性が行方不明となっているらしいのだが、キャルがなぜ彼女を探そうとしているのか、そのあたりも見えてこない。ところがこの曖昧さがクックの魅力で、ぐいぐいと作品に引き込まれていってしまう。
何でもない生活をしていた人物にある日事件が降りかかり、運命の歯車が違った向きに回り始めてしまう。ところが思い起こしてみると、その原因となる出来事はほんの些細なきっかけから始まり、自分自身気付かぬうちに一歩を踏み出していたのだと分かる。振り返るほどつのる後悔、そして諦念…。主人公の心の動きは厚みを持って描き出され、時折見せる影の部分が限りなくミステリアスに感じられる。おそらく事件はこのようなものだろうと読者は想像するが、事件の真相は予想を裏切り、さらに深い謎が秘められていたと分かる。
『緋色の記憶』に始まる「記憶シリーズ」四作と同じスタイルではあるが、結末の衝撃に打ちのめされるこれまでの作品とは一味違うエンディングが楽しめるという点だけ紹介しておきたい。
2001/09/10
真夜中の死線
原題:True Crime
翻訳:芹澤恵
解説:茶木則雄
出版:創元推理文庫 1999年11月26日 1995年の作品
装丁:矢島高光
定価:960円+税
採点:3.5点
本書は、最近流行の事実と虚構を混ぜ合わせた作品ではない。本書中に描かれている出来事なり会話なりは、すべてわたしがその場に立ち会ったものか、当事者もしくは複数の関係者から直接、取材したものである。
[あらすじ]
ミッシェル・ジーグラーは強盗殺人による死刑執行直前の囚人フランク・ビーチャムへのインタビューを取り付けていた。ところが当日不幸にも交通事故で重態となり、代役としてエヴェレットが刑務所に赴くこととなった。急なことでせめて下調べにと、フランクが事件を起こした店に寄ったエヴェレットは、そこで驚くべき発見をする。もしかしたらフランクは無実なのではないか?死刑執行までに残された時間は僅か。エヴェレットと時間との戦いが今始まった。
[感想]
どこまでも続く疾走感、生と死を巡る17時間の攻防、結末の余韻が心に染み渡る作品である。
物語の目となるエヴェレットは決して正義の人ではない。愛すべき妻子を持ちながら上司の妻と関係を持ち、失職の危機を招くほどどうしようもない男として描かれている。ところが、そのような彼が一人の死刑囚の無実に気づき、煩悶する。気づかずにいればそれで済んだものを、なぜ気づいてしまったのか、なぜ自分が背負うのかと苦しみ、悩む。彼にとっての生は失敗の連続であり、決して魅力あるものではない。だが、死を目前にした人物と対峙した瞬間、生というものの価値を知るのである。あまりに理不尽な、信じられないほどの悲しみに満ちた人生の存在に気づくのである。スクープをものにして失職を免れたいという打算的な気持ちももちろんある。だが、彼を本当に突き動かしているのはそのような欲望でもなければ、ありふれた正義感でもない。生きねばならない人がここにいる、それだけの事実がエヴェレットを支えていくのである。共感もできないような人物が迫り来るタイムリミットの中で必死に努力する姿は、なぜかわたしたち読者の心をひきつけてやまない。また、最後まで無実を訴え、生ある間は父として、夫としてあるべき姿を見せようと振舞う死刑囚フランクの姿には心打たれることだろう。エヴェレットの行動を追う「生」のパートと、フランクの最後の時間を微細に描写する「死」のパートが実に巧みに組み合わされている点を評価したい。たった一人の人間が、検証された事件を覆すなどというとても現実には考えられないストーリーなのだが、その疑問を納得させる工夫も十分にされている。同僚の事故、愛車テンポ、刑務所長との会話などのエピソード、そして核となる伏線の配置が実に巧みなのである。そのあたりのテクニックも楽しんでいただきたい。また、もし時間があるならば、読み終えた後にもう一度フランクが幼い娘に向けて書いた手紙を読み、その中に込められた気持ちにふれていただきたい。生への渇望が、親から子に伝える愛が一つの形となったものがここにある。
1999/11/25
狩人の夜
原題:The Night of The Hunter
翻訳:宮脇裕子
解説:石上三登志
出版:創元推理文庫 2002/12/27 1953年の作品
装丁:カバーイラスト 藤原ヨウコウ カバーデザイン 井上佳子
定価:780円
採点:4.0点
[書き出し]
それは、チョークで描いた子どもの落書きだった。ジェンダーの貸し馬屋の赤煉瓦の壁に子どもの手で描かれた、たどたどしい白い線――首吊りの木を描いた二本の棒に縄を表す太い点線、その先に吊るされているかかしのような人間。
[帯から]
宮部みゆき
オールタイム・ベストテンの一冊
「特異な犯罪者像は…あまたのサイコ・キラーの原型にして完成型」
宮部みゆき(本の雑誌2002.5)
[あらすじ]
大恐慌下のオハイオ州の町で一人の男の処刑が執行された。男は強盗殺人を犯し、奪った金は行方の分からぬままだった。残された家族は世間の冷たい視線に耐え、それでも健気に生活していた。だが、ある日彼らの前に伝道師を名乗るパウエルという男が現われ、運命の歯車は少しずつ悲劇に向かって動き始めるのだった。
[感想]
恐怖を人の形にしたら、このパウエルという男の姿になるのだろう。処刑された男と同房だった伝道師が、所在不明の金を狙って貧しい家庭に入り込もうとする。一見穏やかそうな外見、聖職者の物腰、そして両手に刻まれた「愛」と「憎しみ」について語る熱意。だがその内側には執念と妄想、狂気が隠されている。
作者の眼差しはどこまでも冷徹で、狙われる家族に対して一片の温かみも感じられない。未亡人となった母親は男の甘言に踊らされ、少女はぼろぼろのぬいぐるみを抱きしめたまま新しい父の登場を純粋に喜ぶ。たった一人、道理を知る少年は日々恐怖の影におびえながら過ごし、その理性は次第に蝕まれていく。不況の時代の貧しい暮らしが淡々と語られる中、残された精神的なゆとりすら奪われる恐ろしさ。そして救いのない結末に心が凍らされる。スリラーとしては最上の作品の一つと言えるだろう。
2002/12/27 (金)
真実の問題
原題:Beyond a Reasonable Doubt
翻訳:高田朔
解説:小林晋
出版:国書刊行会 2001/01/20 1950年の作品
装丁:影山徹
定価:2500円+税
採点:3.5点
[帯から]
C・W・グラフトン
姉にかけられた夫殺しの嫌疑をはらすため自白した青年弁護士ジェス・ロンドンは、
裁判では一転して罪状を否認、自ら弁護に立つという奇手に打って出た。
四面楚歌の中、生命を賭けたジェスの孤独な戦いが始まった……。
法廷を舞台にスリリングな論理のアクロバットが展開する異色のハウダニット。
[あらすじ]
上記参照
[感想]
どのような方法で犯人を限定するか、あるいはいかなる手段で有罪を立証するか、これが普通のミステリの形である。ところが、この作品では犯人は最初から明らかになっており、いかに無罪を勝ち取るかということに推理の楽しみがある。絶体絶命の状況の中で、主人公はあらゆる証拠を並べ替え、検察側の立証とは異なる論理を構築していく。法廷の場面で、埋め込まれていた伏線が次々と明らかになってくるのが小気味よい。
こうした変わった推理の面白みがある一方で、このストーリーを支えているもう一つの重要な要素として、主人公とヒロインであるウィギーとの恋が挙げられる。互いを信じること、そこから愛情は生まれる。信じる心は「真実」の積み重ねで培われる。それがどこに存在するのか、そして「真実」がもたらすものは何なのか。証人と被告人という異なる立場に置かれた二人の恋の行く末を考えながら読むのも一興である。
2001/02/19
『匿名原稿』
訳:黒原敏行
解説:茶木則雄
ハヤカワ文庫 820円
このやっかいな性癖が遺伝によるものか、環境によって培われたものかはわからない。ともかく、私はこれまでつねに社交家であるよりは隠遁者だった。
[帯から]
知性派探偵ジョン・タナー登場
この復讐譚は実話なのか?
謎の作者が用意した衝撃の結末。
[あらすじ]
小さな出版社に届いた原稿。それはまれにみる傑作だった。無実の罪で収監された男が、刑期を終えて出所し、真犯人に復讐しようとする物語…。しかし、出版するには作者を突き止め、契約をする必要がある。ジョン・タナーは依頼を受けて謎の作者を捜しはじめる。
[感想]
謎の作者を捜すという設定がよい。一見地味な書き出しに見えて、その先に見え隠れする事件の広がりを想像するだけでも、期待が持てる。こうした手法の作品は、読者の好奇心をどこまで持続させるかが勝負である。そのために作者は、ところどころに魅力的な人物や謎を配置するのである。この作品でも印象的な人物が何人か登場するが、どの人物に興味をもつかで作品の評価はずいぶん変わってくることだろう。それぞれの心情を考えながらゆっくりと読み進めたい作品である。ジョン・タナーという探偵はこの作品で7作目の登場ということだが、残念ながら文庫化されているのはこの作品だけである。作中にはこれまでのエピソードや、かつての事件をふまえた説明部分があるので、できれば以前の作品も刊行していただきたいものである。このミス'94年度第3位。【3.5点】
『金蠅』
原題:THE CASE OF THE GILDED FLY
翻訳:加納秀夫
解説:都筑道夫
出版:ハヤカワミステリ 1957/12/31 1998/10/15再版 1944年の作品
定価:1000円
採点:4点
列車がディドコット駅につくと、せっかちな乗客はオクスフォードも目先に迫っているように思うが、旅なれた乗客は、もう三十分はたっぷり、焦々しながら待たねばならないことを知っている。
[あらすじ]
オクスフォードで演劇の試験的な上演が行われることになっていた。各地から女優、演出、ジャーナリストが集まる。ところが、一人の女優が室内で射殺されるという事件が起こった。状況は明らかに自殺なのだが、大学教授ジャーヴァス・フェンだけは、これが殺人事件であると考えていた…。
[感想]
質の高い本格ミステリを書くクリスピンの名作である。ハヤカワ・ミステリ創刊45周年で読者の復刊投票第2位に推されたというのも肯ける作品。物語自体は単純だが、人間関係という心理的な側面と、アリバイ、トリックといった物理的な側面からの推理が楽しめるという点で優れている。前半は登場人物の紹介や性格描写が中心となり、盛り上がりに欠けるが、後半の展開は見事である。クリスピンには、『消えた玩具屋』という作品もあるが、こちらも入手可能なのでぜひとも読まれることをお薦めする。(98/11/15)
白鳥の歌
原題:Swan Song
翻訳:滝口達也
解説:渡辺千裕
出版:国書刊行会 2000年05月20日 1947年の作品
装丁:装画 影山徹
定価:2400円+税
採点:3.5点
世の中でもっとも能天気な連中と言えば、その筆頭に、歌手を生業とする者が踊り出るのは、まず間違いのないところである。
[帯から]
エドマンド・クリスピン
ワーグナー歌劇の稽古中、様々なトラブルを引き起こしていた歌手が、
ある夜、楽屋で首吊り死体となって発見された。
自殺の可能性は薄く、現場は密室状態だった。
英国新本格派クリスピンが不可能犯罪に挑んだ円熟期の傑作。
[あらすじ]
歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に出演する大物歌手ショートハウスは、歌では定評があるものの、性格は悪く、誰からも嫌われる人物だった。同業の歌手を潰しにかかるのは日常茶飯事、舞台に難癖をつけて指揮者を途方にくれさせ、女性には手が早くて問題を引き起こす。そんな彼がある日楽屋で首を吊って死んでいるのが発見される。オックスフォード大学のフェン教授は、友人に頼まれて事件の解明に乗り出したのだが…。
[感想]
冒頭のエリザベスの恋の部分から、登場人物の心の機微がていねいに描き出され、読者を作品世界へと誘う。歌劇という重厚な題材を取り上げているのだが、さりげなくユーモアをきかせた文が登場人物たちに人間味を与え、共感しやすい作品となっている。
被害者となるショートハウスはまさに悪役の典型であり、その横暴な振る舞いに周囲の人々は平穏な日常をかき乱される。恋敵とされた歌手は舞台を下ろされ、冷静な指揮者も度重なる理不尽な要求に我を忘れる。読者がこうして登場人物たちの憤慨に共鳴している間に、突然事件は起こるのだが、気づいたときには被害者の自己中心的な言動の前に、犯人の悪意は見事に隠されてしまっているのである。
歌劇の内容と、作品の関連については解説部分で詳細に示されており、読み終えてなるほどと感心した。また、伏線もしっかりと張られており、古い作品の中にもまだよいものは残っていたのだと改めて確認することができた。音楽とミステリを愛する読者におすすめしたい作品である。
2000/06/19
破壊天使
原題:Demolition Angel
翻訳:村上和久
解説:村上和久
出版:講談社文庫 2002/08/15 2000年の作品
装丁:カバー装画 奥山孜 カバーデザイン 川島進(スタジオ・ギブ)
定価:上下各990円
採点:3.0点
[書き出し]
コード・スリー出動
爆発物処理班
カリフォルニア州ロサンゼルス市シルヴァー・レイク
チャーリー・リッジオは、大型ゴミ容器の横に置かれたボール紙の箱をじっと見ていた。それは〈ジョリー・グリーン・ジャイアント〉の冷凍食品が入っていた箱で、上から、くしゃくしゃになった茶色の紙袋みたいなものがはみ出している。
[帯から]
私は忘れない
神に蹴られる、衝撃
ほんの悪戯と思われた爆発物は恐怖の殺人兵器だった。
女性刑事スターキーが遺恨を晴らすために立ち上がる!(上巻)
宇宙を生み出す力
爆破こそが俺の芸術
最初の事件をきっかけに、次々と起こる殺人。
アンソニー賞作家渾身の全米ベストセラー・サスペンス。(下巻)
[あらすじ]
ロサンゼルスのショッピングセンターで発見された爆弾は、処理中の隊員を轟音とともに吹き飛ばした。爆破物は精巧で特殊な薬品が使用されており、その特徴から犯人は「ミスター・レッド」という爆弾魔と判明した。ロス市警のキャロル・スターキー刑事は残された証拠から犯人の捜査を始めるのだが、彼女にはかつて爆破物処理隊員として瀕死の重傷を負った過去があった。
[感想]
一片の金属、一本のリード線が事件の解明のための大きな手がかりとなる。爆破物の残骸から原形を復元し、その構成と過去の事件のデータを照らし合わせて犯人を特定するのだ。タイトルとあらすじを見ると一見パニック小説かあるいは派手なアクションを中心とした小説かと思えるが、実はそうではない。
爆破物の構造を調査したり、ネットを使って爆破物に興味のある人物のデータを入手したりと、地道な捜査が作品のほとんどの部分を占める。そこにFBI特別捜査官との関係や、爆弾魔「ミスター・レッド」側からの描写を織り交ぜて物語は進む。スターキーの小さなアイディアが形となって、犯人へと一歩一歩近づいていくあたりは楽しめる。また、道筋も一本ではなく、ミステリファンのための「謎」が用意されているところはポイントだろう。
主人公は心に傷を持つ女性刑事スターキー。以前の爆破事件で恋人を失い、自分も死の恐怖から立ち直れずにいるという設定。登場するFBI捜査官との恋、そしてアイデンティティの回復というテーマは展開が見えてしまうだけにもう少し掘り下げて欲しいところだが、捜査だけでなくこちらを楽しむのもよい。捜査する側の書き込みは十分だが、「ミスター・レッド」は少々迫力不足でもう一工夫欲しいところ。全体としてはまとまっているのだが、良くも悪くも映画的な現代アメリカミステリと言える。
2002/08/13 (火)
救いの死
原題:Death to the Rescue
翻訳:横山啓明
解説:真田啓介
出版:国書刊行会 2000/10/05 1931年の作品
装丁:装画 影山徹
定価:2400円+税
採点:3.5点
[帯から]
ミルワード・ケネディ
地方名士エイマー氏は金と暇にあかせて探偵の真似事を思いつき、
かつて人気絶頂の映画俳優が突然引退した謎を解こうと
調査を始める。やがて俳優の過去に秘められた二つの事件が浮上するが……。
30年代英国ミステリ界の異才が盟友バークリーに捧げた問題作。
世界探偵小説全集30[第31回配本]
[あらすじ]
上記参照
[感想]
HMM2001年1月号のHMM Book Reviewでは村上貴史氏に「風呂上りのビールが不味そうな作品」と言われ、「本の雑誌」2001年2月号の新刊めったくたガイドでは、三橋暁氏に「巨匠のバークリーへの挑戦は、空振りに終わっている」と酷評された作品。見た中では、e-novelsで佳多山大地氏が書評「隣人に素人探偵を持つべからず」でアラ探しと言いつつ楽しい読み方を紹介してくれているのだが、わたしの印象もこれに近い。
一人称の作品ならば、本格にせよハードボイルドにせよ、語り手となる人物に感情移入するか、あるいは好感を持って読み始められるのが普通だろう。なぜなら読み手にとって主要な関心はこれから起きるであろう事件や、他の登場人物たちの行動にあり、その推移を見つめる語り手の他者への働きかけや考えから様々な想像をすることが読み進める楽しみとなるからである。ところがこの作品の語り手、グレゴリ―・エイマー氏に限っては、どうやらその範疇には収まりきらない人物らしい。
手記の初めから、自己紹介に「なにひとつ不自由のないほどの財産を相続した」、「美の審判者とみなされるように」なったなどと書いている。そのうえ、自分の開いている夕食会が、「たまたま耳に挟んだところによると、それが何やら名誉ある会で、客人に栄誉を与えるものと思われているらしい」などと、完全に自己陶酔に浸りきっている。
善意の読者ならばそれでも心をエイマー氏から切り離して無理やり謎の隣人へと興味を移すのだろうが、語り手を今ひとつ信頼しきれない違和感はいつまでも付きまとう。この異様な人物が興味半分で隣人の過去を調べようというのだから、変な物語になることは初めから決まったようなもの。
その違和感を具体的に挙げるならば、80ページ秘書となるオードリーと庭の散歩「足をすべらせた彼女はわたしの腕をつかみ、一瞬、その頬がこちらの頬に触れた――彼女は、背が高い方だろう」という記述を見るとよい。これを読むと、エイマー氏自身は普通程度の身長であると読み手は一瞬考えるではないか。ところが第二部では、小柄であることが別の視点によって明らかにされている。それだけではない。エイマー氏と他者(特に若い女性たち)との関わりにもあちらこちらにかみ合わない部分がある。自分に都合の悪いことはそうとわからぬように(というよりも自分を納得させるかのように)歪曲するか、あるいはまったく記述しないかのどちらかで、作中の事実と手記との差がエイマー氏を隣人以上に怪しげな人物に見せているのである。
作者ケネディは、バークリーが「心の過程」を追及する道を選んだことについて推理から離れると危惧し、それに対してこの『救いの死』を「推理Detection」を主題とした小説であると言い切っている。なるほどエイマー氏の探偵活動自体が「推理」なのだが、実はこの違和感を追及する読者の読み方も含めて「推理」(Detectionの別の訳で言えば「感知」、「露見」など)としているのではないか。そして隣人の過去を調べるといういやらしい趣味を持ったエイマー氏を疑い、どうなっていくのか最後まで見てやろうという気持ちで読んだ読者が、「あなたも同じですよ」と最後にあざ笑われているような、そんな気がしてならないのである。「人のことに嘴をはさむな」、なるほど一本とられた。
2001/01/21
不死の怪物
原題:The Undying Monster A Tale of the Fifth Dimension
翻訳:野村芳夫
解説:荒俣宏
出版:文春文庫 2002/01/10 1922年の作品
装丁:装画 竹上美保子 デザイン 石川絢士(the GARDEN)
定価:743円
採点:4.0点
[書き出し]
五十二ヶ月にわたる第一次世界大戦が終ると、ダンノーのハモンド家には二人しかいなくなった。オリヴァー・ハモンドと妹のスワンヒルドは幼いころから仲のよい兄妹だったが、かけがえのない家族を失ったいま、きずなはいやがうえにも深まった。
[帯から]
ハリー・ポッターを生んだイギリス幻想文学界、幻の名作!
さながら『千夜一夜物語』のシェラザードのごとき
ストーリーテリング力を発揮し、一行たりとも
弛みのない波乱万丈の伝記ホラーに挑戦した
成果が、本書である。 ――荒俣宏(本書解説より)
[あらすじ]
第一次大戦後のイギリス、ダンノー。ハモンド家の所有する<いかずち塚の杜>で女性が何者かに襲われた。獣の遠吠え、凄惨な現場の状況からこの地の伝説にある森の怪物が甦ったと考えられた。依頼を受けた心霊探偵のルナ・バーテンデールはハモンド家の当主オリヴァー、その妹スワンヒルドと共に調査を始める。
[感想]
ホラーではあるが、証言、状況証拠、物的証拠を積み重ねて怪異現象を徹底的に解明していく展開は謎解きを楽しむミステリファンにも十分楽しめるものとなっている。
家具の詰め物から発見された文書、塚の発掘、催眠術による記憶の再現などさまざまな方法で謎に近づいていくところは実にエキサイティング。しかも現象の究明だけでなく、伝説に絡めとられた人々の苦悩を解きほぐしていく物語は、終盤に至って怪異譚から人間ドラマへと鮮やかな変貌を遂げる。
解説部分にはこの作品がいかに貴重なものであるか、その詳細な説明があり、こちらも興味深い。ただし結末が予想されてしまう部分もあるので、未読の方は注意されたい。
2002/01/27 (日)
【コ】
『リオノーラの肖像』
訳:加地美知子
文春文庫
686円
原題 In Pale Battalions
きょう、ここで、一つの夢が終わりを告げ、一つの秘密が語られようとしている。ここはチエプヴァル。ソンムの戦闘での行方不明者の記念碑がこの地に建てられている。
【帯から】
稀代の語部が放つゴシックミステリーの巨大万華鏡
【あらすじ】
ピネロピは、母リオノーラとともにチエプヴァルにやって来た。母は、これまで娘に秘密にしていた出生の謎を語ろうとしていたのだ。話は、リオノーラの母の時代にまでさかのぼり、遙か昔の殺人事件にふれることとなった。祖母や、その周囲の人々がどのような思いで生きてきたのか、それが次第に明らかになり、事件がひもとかれていく。
【感想】
最後のページを閉じたとき、胸につまるような多くの思いをため息とともに出すことができたら、それはすばらしい小説である。この作品は、リオノーラがこれまでに関わりのあった人たちから聞いた話を娘に伝え、それをつなぎ合わせることですべての謎が明らかになるという構成をとっている。二人の旅が、殺人事件の起こった「ミアンゲイト館」という空間の閉鎖性を強調し、次第に読者を物語に引き込んでいくのだが、途中緊張感が失われることがない。真犯人は誰なのか、リオノーラの出生の秘密とは何なのか、謎は深まるばかりである。そして、最後の「エピローグ」の部分に至ったとき、読者はリオノーラの人生の意味を知ることになる。母が、人生をかけて見つめてきた自分の秘密を娘に語るとき、そこには母だけでなく、彼女を愛した夫や周囲の人々の苦悩と、温かい思いが存在し、読者に人生の不思議さと、生きることの大切さ、むなしさ、そして希望を教えてくれる。【4.5点】
『闇に浮かぶ絵』
原題:PAINTING THE DARKNESS
翻訳:加地美知子
解説:佐々木徹
出版:文春文庫
定価:上下各619円
採点:4点
ウィリアム・トレンチャードがはじめてコンスタンス・サムナーと出会い、婚約者が自殺した悲劇を忘れさせようと彼女を支え始めてから十年がたつ。
[帯から]
過去から蘇った婚約者は、不安なまでに完璧だった(上巻)
暗黒の中で邪悪な絵筆を走らせたのはだれか?(下巻)
[あらすじ]
ウィリアムの妻、コンスタンスは、かつてジェイムズ・ダヴェノールと婚約していた。しかし、結婚を目前にして、ジェイムズは謎の失踪−自殺を遂げたのだった。そして十年がたち、ある日ウィリアムとコンスタンスの前に、ジェイムズと名乗る男が現れる。自分のものであるはずの爵位を得るためなのか、コンスタンスを奪おうというのか、そして何よりも男はジェイムズ自身なのか―。謎が深まる中、裁判は始まったのだった。
[感想]
ゴダードの作品はストーリーの展開が複雑である。それだけにこの作品も、事件の横糸と縦糸が縦横無尽にからみつき、興味の深まる展開を見せてくれる。特に、登場人物の造形はしっかりとしている。読者は妻を奪われるという恐怖にとりつかれた男ウィリアムになるもよし、一度は死んだと思った恋人と再会したコンスタンスになるもよし、また、二人の関係に苦悩しつつ事件に巻き込まれていく弁護士リチャードになるのもよい。いずれの人物に共感をもとうと、この作品の重みが失われることがないという点には驚かされる。読者は、どの人物に心惹かれていても、読み進めるうちに思い通りにならない運命の悲しさを味わったり、思いもよらぬ展開に興奮したりすることになる。そして、不思議なことにどう読んだ場合でも、それぞれの登場人物の思いが結末に見事に収束し、読者を納得させるのである。それだけ、あらゆる部分から人間が書き込まれているということだろう。こうした作品を読むことで、わたしたちは読む力をつけ、心を豊かにし、人生を見つめていく。そのような機会があるというだけでも、幸せなことである。
『惜別の賦』
原題:BEYOND RECALL
翻訳:越前敏弥
解説:小森収
出版:創元推理文庫 1999/01/29
装丁:カバーイラスト 西田龍子 「花とレースのロンド」部分 カバーデザイン 中島かほる
定価:820円
採点:4.0点
ここは空気が異なり、心なしか澄んでいる。光が冴え、木の葉の縁や建物の輪郭が、記憶に劣らず際だっている。
[帯から]
失われたものは帰らない
三十四年前の秋、絞首台の露と消えた親友の父親は無実だったのか?
[あらすじ]
姪の結婚式の当日に、突然現れたかつての親友ニッキー。彼の父親は、わたしの大伯父を殺害した犯人として絞首刑にされた。その後家族の行く先も分からず、音信は途絶えていた。彼は父親の無実をわたしに訴え、翌日自殺してしまう。三十年前、親友などとはとても言えないような別れをしてしまったわたしだったが、何かがわたしを真実の探求へと導くのだった。
[感想]
beyond recall…取り返しのつかないこと、忘れ去られたこと…主人公である「わたし」が求めるのは真実だけではない。親友との友情であり、家族の信頼である。裕福な家庭の中にあって、決して成功者とはいえないような生活を続けてきた主人公だが、かつての自分にできなかったこと、やり残してきたことを三十数年後にやり遂げようとするその姿は、自己再生の道を辿るかのように見えるが、実はそれを一段越えて、正義を、人間としての尊厳を求める旅へと変容していく。殺人事件の謎を追う面では、これまでの作品よりもミステリ色が濃いように見えるが、事件の真相や顛末などは表面的な問題に過ぎない。真相をどのようにとらえ、どのように受け止めていくのかという部分に人間性が浮き出てくるのであって、そこにゴダードの作品のおもしろさがある。作中で語られる「わたし」のこれまで人生を想像しながら読み、そのうえで終盤での「わたし」の言葉をかみしめてほしい。
閉じられた環
原題:CLOSED CIRCLE
翻訳:幸田敦子
解説:関口苑生
出版:講談社文庫 1999年9月15日 1993年の作品
定価:上下各648円
採点:3.0点
運は、つねにと言っていいほどわれわれの味方だった。ツキに見放されることはないとうぬぼれ、二人ともすっかりいい気になっていた。
[帯から]
騙すつもりが騙されて
船上の恋に落ちた詐欺師
富豪の娘ダイアナは、まさに絶好のカモだった。
だが、大いなる誤算が……愛と裏切りの物語。(上巻)
二転、三転、四転!
待ち受ける、罠また罠
美女ダイアナの父に隠されていた恐るべき秘密。
人生のめくるめく環をめぐるミステリー・ロマン!(下巻)
[あらすじ]
アメリカでの仕事に失敗した二人の詐欺師ガイとマックス。母国イギリスへ向かう客船の中で出会った女性ダイアナは富豪フェビアン・チャーンウッドの一人娘だった。二人はさっそくダイアナの伯母ヴィタに取り入ろうとする。ところがマックスがダイアナに本当の恋をしてしまい、二人の許されざる恋はやがて駆け落ちという当然の帰結をする。だが、当日フェビアンが死体となって発見され、マックスが姿を消したことから、運命の歯車は次々と奇妙に噛み合いながら回りだし、いくつもの環を描き出すのだった。
[感想]
物語の進行に伴って人間関係が見えてくる。うまく収まったかと思うと、立ち位置の決まったはずの人物がくるくると姿を変えてしまう。詐欺師のガイを主人公にしながら、彼自身も翻弄されるほどの展開を盛り込んだ点は、ゴダードの作品としては派手な部類であり、気軽に読み始めるにはよい作品である。ところが、完成した環をよく見ると、存外に厚みがないことに気づく。作中でチャーンウッドの持つ円形の5シリング銀貨も側面から見れば直線であるように。これは、全編が金銭というあまりに卑近なものにとらわれていること、ガイ以外の登場人物の描写が浅いこと、そして何より奥行きを感じさせるはずのある重大な出来事が、読者にとってあまりにも遠いものであること、これらの要因が絡み合っているためであろう。これまでの作品では、「事件の前に語られなかった物語の存在」はわたしたち読者にも十分理解できるところにあった。登場人物の心にそっとしまわれた思い出はわたしたちの心にも届いていた。しかし、この作品はその前提がこれまで以上に遠いところにある。知ることができるのは個々人の心の傷痕であり、傷そのものでも、傷の原因でもないのだ。これは読者にとって重大なハンディと言えよう。その意味でも、できればこれまでの作品に目を通しておきたい。主人公に目を向けると、ガイという人物には好感が持てるが、彼は登場当初から人を騙すチャンスを探す一方、友人を信じ、助けようとする気概のある男として描かれている。読者にとっては巻き込まれていく陰謀の中での彼の成長がひとつの楽しみなのだが、この設定と展開ではそれも難しい。ゴダードの作品だけに要求水準を高くしてしまうのだが、エンディングは美しい輝きを放っている。伏線もしっかりと張られ、なるほどここに落ち着くのかと頷けるのは希代の語り部の面目躍如といったところである。
1999/09/21
『沈黙のメッセージ』
訳:中津 悠
原題 DEAL BREAKER
ハヤカワ文庫 840円
話術の天才、オットー・バークがゲームをいっそう白熱させた。
「さあ、マイロン」口ぶりに新興宗教的な熱情がこもっている。
[帯から]
アンソニー賞 最優秀ペーパーバック賞受賞
ナイーヴでセクシーなヒーロー、颯爽と登場!
ミステリ界で話題騒然の新シリーズ
[あらすじ]
スポーツ・エージェントのマイロンは、プロ入り直前のフットボール選手、クリスチャンの代理人として交渉を始めた。ところが、2年前クリスチャンの恋人が失踪した事件に新たな進展があり、それをタネにしたオーナーの圧力で交渉が難しくなってきた。マイロンは事件の真相を探る。
[感想]
正義派のスポーツ・エージェントであるマイロン、そして富豪でハンサムで武術の達人であるウィンザー・ホーン・ロックウッド三世。この二人は見事なコンビである。また、今回は出番が少ないが、マイロンの秘書として登場するエスペランサはもと女子プロレスラー。さらにマイロンのもと恋人で「美しすぎる」と形容されるほどの美女ジェシカ。これだけ魅力的な登場人物を設定しているのだから、受けないはずはない。このメンバーを見ると、どことなくヴァクスのバーク・シリーズを思い出してしまうが、バークが陰の世界で生きるのと逆に、この作品のメンバーは明の世界で活躍している。私立探偵ものであるが、2年前の失踪事件と、もう一つの事件が絡み合い、どこで結びついていくかで興味を湧かせる。エージェントとしてのさまざまなトラブルの解決法もなかなかおもしろい。この作品はシリーズ化され、3作目がアメリカ探偵作家クラブ賞にノミネートされている。第1作からさっそく読み始めることを勧めたい。【3.5点】
『スズメバチの巣』
翻訳:相原真理子
出版:講談社文庫
定価:933円
採点:2.5点
その朝、夏の空は機嫌が悪かった。黒雲がシャーロット市の上空に群がり、舗道には暑さでかげろうが立っている。往来はごったがえしていた。
[帯から]
コーンウェルが新境地に挑む本格警察小説
野望と変化の街シャーロットを震撼させるビジネスマン連続殺人事件。
奮闘する女性署長とその部下そして、若き新聞記者―
全米ベストセラー第1位!
[あらすじ]
シャーロット市で、他市からのビジネスマンが連続して殺害されるという事件が起こっていた。駆け出しの新聞記者アンディ・ブラジルは、ボランティア警官として署長補佐ヴァージニアのパトロールカーに同乗することになるが、記事を書くだけでなく、次々に起こる事件の解決にも貢献したいと考えていた。もちろんヴァージニアにとっては、新聞記者とのパトロールなど、願い下げだったのだが…。
[感想]
舞台は、歴史的に「アメリカのスズメバチの巣」と呼ばれ、その紋章を採用するシャーロット市である。連続して起こるビジネスマンの殺害事件が主要な事件として書かれているが、ストーリーの中心は、署長補佐のヴァージニアと、新人の記者アンディとの出会いと不信と相互理解である。単純な内容を、長編に仕立て上げ、それを最後まで読ませるコーンウェルの力量はたいしたもの。しかし、その分逆にミステリとしての味付けに不満が残る。これまでのコーンウェルの作品(検屍官シリーズ)で展開されたシリアスなドラマは影を潜め、今後の展開に期待させる明るい作品となっている。今回は登場人物の造型に力を入れたのがありありと分かる。次作では二人の活躍に焦点を当てるだけでなく、事件のそのものの複雑さと、論理的な解決を求めたいところである。
サザンクロス
原題:SOUTHERN CROSS
翻訳:相原真理子
解説:相原真理子
出版:講談社文庫 1999/08/15 1998年の作品
装丁:辰巳四郎
定価:914円
採点:2.5点
バージニア州リッチモンド。三月最後の月曜の朝は、おだやかにはじまった。歴史のあるこの町では、名門といわれる家は南北戦争のころから変わっていない。町の人々にとって、この戦争はまだ過去のものではなかった。
[帯から]
コーンウェル最新作
白熱の警察小説第2弾!
新天地リッチモンドで、凶悪化する少年犯罪に挑む女性署長ハマー。
前作をしのぐスリルと興奮!
全米ベストセラー第1位!
[あらすじ]
シャーロットからリッチモンドに勤務地を移したハマー署長は、部下としてヴァージニアとアンディを連れてきた。しかし、警官たちのコンピュータシステム導入に対する抵抗は強く、改革は一向に進まない。同じころ、町ではウィードという少年が「スモーク」と名のる不良にからまれ、グループに引きずり込まれていた。逃げ場を失ったウィードに下された命令は、墓地の銅像に落書きをすること。だが、この事件がリッチモンドの社会に思わぬ波紋を巻き起こしてしまう。
[感想]
前作でハマーとヴァージニア、アンディの紹介を終えたコーンウェルは、彼らに別の場所を与えることで再び活躍の機会を用意することとなった。今回の事件は落書きという一見こぢんまりとしたものなのだが、土地柄から意外な方向へと進んでいく。この部分は手を加えれば伝統あるリッチモンドという町と、新参者であるハマーたちとの関わりを通して疲弊した社会を浮き彫りにすることが可能なのだが、作者はあっさりとかわし、主軸を少年犯罪へと移行させる。しかし、ここで問題なのはスモークの「悪」としての存在がぼやけている点である。ウィングフィールドの「フロスト警部」シリーズを読んだ読者ならば分かるだろうが、警察小説では、さまざまな出来事を詰め込み、それらがどのように収束していくのか期待を持たせるという手法をとる作品がある。場合によっては効果的なこの手法だが、この『サザンクロス』ではこれが裏目に出ているのである。ハマー署長の改革、ババと呼ばれる謎の男、ウィード少年の運命、ヴァージニアとアンディの恋の行方など材料は豊富だが、一つ一つの掘り下げが足りないのが残念なところである。
1999/08/21
名探偵カマキリと5つの怪事件
原題:Trouble in Bugland
翻訳:浅倉久志
解説:浅倉久志
出版:早川書房〈ハリネズミの本箱〉2002/11/15 1983年の作品
装丁:カバー・イラスト、挿絵 串井てつお 装幀 ハヤカワ・デザイン
定価:1500円
採点:3.5点
[書き出し]
蝶のジュリアナ嬢が行方不明になったという知らせを受けて、さっそくおなじみのふたり組が霧の中から現われた。片方は背が高くて、動きがゆっくりしている。もう片方は背が低くて、動きがすばしっこい。
[帯から]
早川書房が子どもたちへ贈るシリーズ
〈ハリネズミの本箱〉第2弾!
虫の国には謎と冒険がいっぱい
『E.T.』の作者の大ヒット作!
[あらすじ]
サーカスの軽業師、蝶のジュリアナ嬢がショーの最中に舞台から忽然と姿を消した。それだけではない。ここしばらくの間に何十もの美しい蝶たちが姿を消すという事件が起きているのだ。ノミ街の下宿に住むカマキリ探偵は不可解な誘拐事件を解決すべく、助手のバッタ博士と共に捜査に乗り出すこととした。
[感想]
友人の服装を観察し、身体についた藁や綿アメからサーカスに出かけたことを推理する名探偵。それを聞いて「いつもながらの名推理だよ、きみにわからないことなんて、なにひとつないみたいだな」と答える助手。この受け答えを聞いただけでホームズのファンならばわくわくしてしまうだろう。しかも、霧の中から現われるふたりはカマキリとバッタ。依頼者も被害者もすべて昆虫というのだから、これがおもしろくないはずがない。
収録されているのは「消えたチョウの怪事件」、「おびえきった学者の怪事件」、「イモムシの頭の怪事件」、「首なし怪物の怪事件」、「王冠盗難の怪事件」の五つ。後ろの2編は幻想的で、余韻のあるエンディングがよい。
昆虫の生態をもとに展開される推理や冒険は児童書ながら興味深く、助手役のバッタ博士が恋に破れたり満たされぬ食欲に苦悩したりと登場人物の描き方も生き生きとしている。格闘術、パイプ、ノミ街の下宿にはシャクトリムシ夫人と、ホームズを思い出させる記述を探すのも楽しい。『シャーロック・ホームズの冒険』を読んだ経験のある子ども達に、ミステリの世界の遊び心を伝えるにはぴったりの作品である。
2002/11/27 (水)
死せるものすべてに
原題:Every Dead Thing
翻訳:北澤和彦
解説:北澤和彦
出版:講談社文庫 2003/09/15 1999年の作品
装丁:Photo Archivo Iconografico.S.A./CORBIS/amana images
カバーデザイン 川島進(スタジオ・ギブ)
定価:上下各857円
採点:3.0点
[書き出し]
車のなかは寒い、墓場さながらに寒い。わたしはエア・コンディショナーの目盛りを最強にして、どんどん下がる温度で注意を喚起しつづけるのが好きなのだ。
[帯から]
シェイマス賞
(アメリカ私立探偵作家クラブ賞)
受賞作
バーで酩酊中に妻子を惨殺された元NY市警刑事バード。
トラヴェリング・マンと名乗る男から
殺された愛娘の顔の皮が送られてくるが……!?(上巻)
英米が震撼した
大型新人登場!
妻子は猟奇殺人の犠牲者となったのか?
キャラクター、プロット、エンターテインメント性、
三拍子そろった超弩級作家のデビュー作にして傑作。(下巻)
[あらすじ]
妻子を殺人鬼に殺害された警官バードは、探偵として町に戻ってきた。サイキックの老女から同様の事件が起きたという情報を聞いたバードだが、そんな彼にある実業家から行方不明の女性を捜して欲しいという依頼が入る。
[感想]
家に帰ると妻と娘が無惨な姿で殺害されていた――。事件がもとでNY市警を辞め、私立探偵となったバードことチャーリー・パーカーが連続殺人鬼との関わりを通して自分を取り戻していく物語。
謎の人物「トラヴェリング・マン」の手口は被害者の顔を切り取るという残虐なもの。立ち直る道を求め始めたバードに、もう一度殺人鬼が接触してくる。プロファイリング、街を二分するギャングとの駆け引き、墓地での銃撃戦やアリゲーターの棲む川での証拠捜索など見どころとなるシーンは多い。だが、サイコ・キラー系の諸作と同様の読み方をすると、まとまりがよくない印象を受けるかもしれない。
各エピソードは主人公の周辺で環を描き、それぞれにつながって行く。だがその環の狭まりはごくわずかで、事件の真相に迫っているとは感じられない。主人公の周辺でなぜか事件が起きている、そんな状況が続くのだ。これが『ボーン・コレクター』のような作品ならば事件から得られる情報が積み上げられ、殺人鬼の正体に近づいているという興奮が感じられるのだが、この作品の場合はそれを期待してはいけないようだ。妻と娘を失い、苦悩する主人公の姿を見つめながら、バードの自己再生の物語として読む方がよいのだろう。
そんな目で見てみると、彼を取り巻く人物がそれぞれに悩みや傷を持ちながらバードを支えていることが分かる。ある者は借りを返すために、ある者は自分の利益のためにバードと関わり、そして去っていく。バードが彼らから何を得て、何を失うのか、心はどこまで満たされるのか、そこに「驚愕のラスト」の核がある。
2003/09/20 (土)
『死せるものすべてに(上)』 ジョン・コナリー 講談社文庫 857円

『死せるものすべてに(下)』 ジョン・コナリー 講談社文庫 857円

『ミッドナイト・ブルー』
幹 遙子:訳
ハヤカワ文庫FT
680円
月よ。
大きな白い月。
ミルクのように白い月よ。
[帯から]
英国幻想文学賞 ブラムストーカー賞受賞
[あらすじ]
〈危険病棟〉から、一人の女性が脱走した。名前はブルー。恐ろしいほどの怪力の持ち主である。そして、彼女とともに監視役も消えた。実は、彼女は吸血鬼で、自分の人生を狂わせた男に復讐を考えていたのだ。そして、吸血鬼でありながら、同じ吸血鬼やオーグルなどを敵に回して、バンパイアハンターとして生きていくのだった。
[感想]
シリーズものというのは、人気が出れば売れる反面、弱点もある。それは、主人公のキャラクターの秘められた部分がしだいに明かされていく過程での読者の飽き、また、それを乗り越えるために次々に新しい難題を主人公にふりかけようとするそのストーリーの進め方自体である。この作品の場合も、ソーニャが一体なぜ生まれたのか、何をしにきたのか、それを隠したままでストーリーが展開している。第一作目ということで、ソーニャの自己紹介的な作品で終っているところが残念である。ソーニャが真に力を発揮する日に期待したい。【3点】
リンドバーグ・デッドライン
原題:Stolen Away
翻訳:大井良純
解説:大井良純
出版:文春文庫 2001/01/10 1991年の作品
装丁:イラスト・渡邊伸綱 デザイン・坂田政則
定価:1000円+税
採点:3.0点
[帯から]
アメリカ私立探偵作家協会最優秀長篇賞受賞!
古きよき正統ハードボイルド
の魅力のすべてが、
ここにあります。
卑劣な誘拐と冤罪の闇を、孤独な探偵が往く。
[あらすじ]
シカゴ市警刑事ネイト・ヘラーは誘拐事件を解決した手腕を買われ、リンドバーグ子息誘拐事件の相談役として現場に送り込まれた。大量の警官を動員したにもかかわらず、捜査は八方塞の状況で、犯人からの連絡を待つしかない。ヘラーは苦悩する英雄リンドバーグを支えながら、犯人との接点を探しつづける。
[感想]
リンドバーグ事件といえばクリスティの名作が思い浮かぶが、こちらは実在の人物を登場させ、丹念な取材を元に史実に沿うよう構成された小説である。もちろんノンフィクションの堅苦しさはなく、語り手のヘラーの一人称により事件をひとつの視点からじっくりと読み通すことができる。
全体は二部構成で、第一部の「孤独な鷲」ではヘラーがリンドバーグ事件に関わることになったきっかけの事件から、身代金の受け渡しまでの推移が書かれている。初動捜査のミス、管轄の競争意識、関係者たちのエゴによって捜査は幾度も行き詰まる。ヘラーはそのたびに誤りを指摘していくのだが、残念ながらアドバイザーとしての立場から一歩踏み込めず、事件の流れを変えることまでできない。リンドバーグ夫妻の苦悩が抑えた筆致で描かれ、このあたり読者としてもストレスのたまる部分ではある。しかし、「この虚構の作品における彼らの振る舞いがしっかりした事実に基づく根拠を有している」という作者の言葉からすれば、この展開はやむを得ないのだろう。
一方、第二部「孤独な狼」では、ヘラーは容疑者として逮捕されたブルーノ・ハウプトマンと接触し、裁判の流れに疑いを抱く。死刑執行のタイムリミットがせまる中、一人必死の捜査を続けるが、手がかりの糸は絶たれ、なかなか解決の見通しは立たない。それでも何とか全体の残り四分の一を切ったあたりから、ようやくミステリとしての面白みが出てくる。暗黒街の抗争、霊能者の予言など枝葉としか思えなかった部分をつなぎ、ヘラーは推理によってひとつの環を完成させるのである。あまりにも重大な、そして痛々しい事件。環を補強する証拠にはやや弱い部分もあるが、作者コリンズは歴史を変えることなく、読者に最後の衝撃を与えることに成功している。根気強く読み通せば、それなりの感動を味わうことができるだろう。
リンドバーグ夫人(もちろん作中に登場し、強い印象を残す)による『海からの贈物』(新潮文庫)が手元にあるならば、夫妻に寄り添った読み方ができるだろうし、ハードボイルド小説と割り切ってしまうのもよい。リンドバーグ歴史上の事件に興味のある方、忍耐力のある読者におすすめしたい。
2001/01/14
『シャーロック・ホームズ対オカルト怪人―あるいは「哲学者の輪」事件―』
訳:日暮 雅道
河出文庫
700円
かつて、シャーロック・ホームズの物語は完結したものと思われていた。だがその後の研究者たちによって、古文書の入念な探索を続ければ、大探偵の新たな記録を見出すのも可能であることが示されている。
[帯から]
名探偵、オカルト事件に挑む!!
ケンブリッジからホームズに届いた謎の依頼。
ホームズ・パロディーの異作。ついに登場!!
[あらすじ]
ホームズは、ケンブリッジ大学の哲学者、ラッセルから電報を受け取る。「イダイナル ズノウ ヌスマレントス…」。しかし、ケンブリッジでホームズは、哲学者たちの殺人事件に巻き込まれていくのであった。
[感想]
残念ながらこの作品は、魅力的な題材を読者に受けるように書けていないと言わざるを得ない。次々に登場する哲学者たちとの会話も、どこをどう楽しめばよいのか、わからない部分が多かった。読み物として堪能するには、それなりの知識が要求される作品である。ストーリー自体も起伏がなく、ホームズの活躍もそれほどとは思えない。ホームズに興味があるならば、手に取るのもよいだろう。【2点】
インド展の憂鬱
原題:The India Exhibition
翻訳:浅倉久志
解説:三橋暁
出版:創元推理文庫 2000年01月28日 1992年の作品
装丁:カバーイラスト 小原祥江 カバーデザイン 小倉敏夫
定価:660円+税
採点:3.0点
その立像は、わりあい小さなものだった。長さ二十四メートル、幅十二メートルの展示ホールのなかで、その立像は百九十センチの背丈しかなかった。しかし、展示ホールぜんたいを支配しているように見えた。
[帯から]
博物館は今日も大変
一千万ドルの黄金像盗難!
騒動続きのインド展の顛末は?
[あらすじ]
国務省からスミソニアン博物館に出向しているヘンリーに、インド展開催の任務が与えられた。テーマはガンジー以前にインドを放浪し民を救う道を説いたとされるチャンドラ。伝説となった彼の生誕150周年を祝うものであった。ところが、開催直前に展示の主軸となる黄金のチャンドラ像が消え失せてしまった。
[感想]
近代的な建築物の中に忽然と現れた古代文明の遺品。古めかしい石造りの壁の内側にひっそりと佇む失われた世界に生きた化石の恐竜。歴史、民族、産業、芸術、すべてのものが人類が生きた証として、そして人類が知る以前に地球が存在したの証として目の前にある。わたしたちの持つ博物館のイメージは時と場所をつなぐ夢の空間である。その中に入り込んだ瞬間、わたしたちは日常の些事を忘れ何千年の時を越えることができる。何千キロの道のりを旅することができる。
ところがこの崇高なイメージをすべて粉々に打ち砕くのがこの『インド展の憂鬱』である。物語はまず開催セレモニー直前の黄金像の紛失の描写から始まり、突然一年前のインド展開催のきっかけとなる出来事へと遡る。そこから数々の困難を乗り越えて開催に至るまでの主人公ヘンリーの奮闘が語られ、再び紛失事件に戻るのだが、この主人公の造形がよい。国務省に在籍しながらエリート街道から外れた人物。同棲する女性を愛しつつも、仕事上で関わる美女についふらふらと惹かれてしまう。ピアノを愛し、料理も得意。素直な性格のためいやとは言えずスミソニアン博物館に降りかかる難題を次々と背負い込むのだが、入国管理については法律の抜け穴を知り尽くすプロフェッショナルで、妙なところで辣腕ぶりを発揮する。しかもあらゆるものに反応してしまうアレルギー体質のため、あちらこちらで涙を流し、咳き込んでは病院に運び込まれる。どうしようもないようでいて、それでも憎みきれない人物なのである。さらにこのヘンリーを取り巻く博物館の職員、関係者が揃いも揃って一癖も二癖もある人物ばかり。ふと気がつくと博物館のイメージから来る崇高さはどこへやら、読者は登場人物たちの珍妙な言動と溢れるユーモアを心地よく楽しんでしまうのである。
主軸となる黄金像紛失事件の謎は、読み返せばなるほど確かにヒントはあるのだが、伏線というには大味で、謎解きのおもしろさがそれほどないのが残念なところ。だが、博物館に展示される偉大な文化を前にして、人が笑い、悩み、生き抜いている姿、日常の小さな出来事が色鮮やかに映し出されている点は優れている。登場する人物たちが繰り広げる笑劇の一方で、読後強烈な印象を残す人物の思い出がそこはかとないペーソスとなって漂うところもよい。こうした美しいコントラストを堪能できるという点で優れた小説だと言えるだろう。
物語の時系列を考慮して国内での紹介は『スミソン氏の遺骨』が先となったが、本国での刊行はこちらの『インド展の憂鬱』の方が早い。シリーズ最後の作品となる3作目の刊行を期待したい。
2000/02/02