ラジオ東京テレビでは、「大量予備免許」で増えつつあったラジオ・テレビ兼営局を中心にネットワークを形成。昭和34年8月1日、一連の『皇太子様ご成婚中継』をきっかけに、NHKの全国取材網に対抗して大阪テレビと合併した朝日放送などに呼びかけニュースの提携を行うべく16社で「JNN(ジャパン・ニュース・ネットワーク)」を結成する。この特徴として「共同制作の質の向上、内容の充実を図り、取材連携を密にして、ニュースネットの強化を目指す」(協定前文の要旨より)ニュースネットワークで、加盟社以外の素材交換・機器の援助の厳禁を打ち出し、クロスネット化に釘をさしている事がある。途中で例外的処置も見受けられたものの、今でもこの方針は固く守られている。さらに昭和35年にはKRT(この年よりTBS)−朝日放送(ABC)−北海道放送(HBC、(ラジオ:JOHR、昭和27年3月10日開局)1ch・JOHR−TV、昭和32年4月1日開局)−中部日本放送(CBC)−RKB毎日放送※1(RKB・福岡)の基幹地区5社による「五社協定」も締結、文字通り最強のネットワークとなっていた。
昭和34年、東京では、日本経済新聞(日経)・旺文社・東映などが出資し(当初朝日新聞はニュースに協力)世界初の「CM付き教育テレビ」として開局した日本教育テレビ(略称NET、10ch・JOEX−TV、同年2月1日開局;現・テレビ朝日)と一般局のフジテレビジョン(略称CX、8ch・JOCX−TV、同年3月1日開局)が、大阪では準教育局として毎日放送が開局。地方でもテレビ局が次々と開局した。チャンネルはVHF(1から12)しかないため、地方局では自由なネットワークを組む事ができた。このうちNET・日本教育テレビには郵政省から教育53%以上・教養30%以上の番組を義務付けられ、午前中には『野球のおじさん』(小学校中学年向き道徳)、『テレビ百科事典』(全学年)といった学校放送、お昼にもJ・B・ハリス先生の『百万人の英語』(ラジオではおなじみだが、テレビ版が存在した)、夜は日本医師会推薦の外国ドラマ『メディック』…と一日中殆ど「楽しい勉強、よい子のテレビ」とばかりに理想は高かったが、それがかえって経営的な重荷を背負わされた。
その背景にはコマーシャルの制限もあった。『テレビ朝日社史』(1983年)によると、「文部省(現・文部科学省)の指導により、配置場所、(字幕)スーパーの回数、中CMの秒数など様々な制約が課せられ、その宣伝効果も間接的・遅効的であるとして、スポンサー側から敬遠され、所期の営業効果を上げることができなかった。(中略)このような状況のなかで学校教育放送の展開と維持は、視聴の拡大や番組制作費の回収の両面でまもなく行き詰まった。35年を具体的な例として取り上げてみると、学校放送番組の年間28パターンの総制作費が3億100万円であったのに対して、年間の営業収入はわずかに9,300万円。差し引き2億800万円の赤字額は、当時の当社1か月分の月間営業収入にも匹敵するもので、経営的にみても予想以上のリスクを背負う結果となっていったのである。」
一般局でも教育・教養番組の充実が免許条件の一つとなっていた事もあり、学校放送では独自のネットワークを築くが、夜の一般番組ではやはり苦労する。そのためネットワークはフルネットのMBSのほかは、同年3月1日に開局した福岡の九州朝日放送※1(略称KBC、(ラジオ:JOIF、昭和29年1月1日開局。ラジオ開局当時の本社所在地は福岡県久留米市。)1ch・JOIF−TV)とごく僅かの関係という散々たるものだった。九州朝日放送(福岡)は開局当時、KRTがほぼ系列局作りが出来上がりつつあったため、それ以外の在京3局とはどうにでも組めるフリーネット状態で、KBCの営業担当がKRTを除く3社にネット営業をかけた。その結果、NTV、CX、それに資本的にも朝日系のNETとともにすべて組むはずだったのだが、KBCテレビ開局直前にNTVがKBCを蹴ったため、新聞系列ではNETとともに、サンケイつながりのフジテレビ系列からも番組・ニュースの供給を受けることになり、事実上のクロスネット局第1号となる。また日本海テレビ放送(略称NKT、1ch・JOJX−TV、昭和34年3月3日開局。当時のサービスエリアは鳥取県のみ)と山口放送(略称KRY、11ch・JOPF−TV、昭和34年10月1日開局。当時の社名は株式会社ラジオ山口。テレビの呼出名称はラジオ山口テレビ、本社所在地は徳山市(現・周南市)。)が日本テレビとフジテレビと組み、日本テレビ系の札幌テレビ放送(略称STV、5ch・JOKX−TV、昭和34年4月1日開局)は「準教育局」という命運を背負ったためNETとも組んだ(後に解消、フジと組む)。
また昭和37年に開局した名古屋放送(略称NBN、現・名古屋テレビ放送)がNETと日本テレビ、仙台放送(略称OX、12ch・JOOX−TV、10月1日開局)がフジと日本テレビ(一部NET)、広島テレビ放送(略称HTV、12ch・JONX−TV、9月1日開局)が日本テレビとフジテレビとのクロス体制をとり、昭和38年の福島テレビ(略称FTV(この略称はフジテレビ開局当時に一時的に使用していた)、11ch・JOPX−TV、昭和38年4月1日開局)にいたっては「オープンネット体制」(言うなれば、4系列のオイシイところを取る)となった(設立背景に諸事情があったため。福島地元有力紙2社とそれぞれの新聞社に協力関係があった全国紙の毎日、読売との対立や、福島、郡山など福島市が県庁所在地でありながら、郡山市なども福島市に匹敵する人口も抱えていたこともあり都市間の対立もあるなど調整がつかず(ちなみに、ラジオ福島(略称RFC、JOWR)は福島に本社・親局がありながら、親局が中継局専用の周波数、中継局の郡山が親局向けの周波数を用い、更に郡山が出力5kW、福島が出力1kWという親局より中継局の規模が大きい「ねじれ送信」が今でも続いている。また、ラジオ福島もテレビ局免許を獲得すべく動いたものの、競願他社との出資比率の調整がつかず断念した経緯がある。)、福島県及び福島県議会が調停に入り、福島県が出資比率50%の筆頭株主という事実上の「県営放送」のような異例の形で開局、その関係で県全体でバランスよく4局の番組が視聴できるよう、各局とネット関係を結んだ)。あと昭和37年7月14日に開局した「山口放送・関門テレビ局(4ch・JOPM−TV、下関)」は、中継局でありながら本局とは別のネット番組を送っていた時期がある。これは福岡3社のエリアである北九州地区にも電波が届くためだった。一方で第一次開局ラッシュの終わりと呼べるのは、昭和39年4月12日、日本科学技術振興財団テレビ事業本部・通称東京12チャンネル(12ch・JOTX−TV、現・TX、テレビ東京)の開局がVHF帯(1〜12チャンネル)では最後になり、その後新規開局はしばらくなかった。
ここで放送局と新聞社との資本関係を整理しよう。
KRT系 毎日・朝日・讀賣(東京)−朝日(大阪)−地元ブロック新聞(北海道・愛知)−毎日(福岡)
NET系 朝日(ニュース協力)・日経(東京)−毎日(大阪)−朝日(福岡)
テレビ側ではいいとしても、新聞社としては歯痒い思いがしていたに違いない。
どういうことかというと、当時東京ではテレビ局の社名に新聞色はほとんどないが、これが特に顕著な大阪地域の放送では、朝日の解説委員が毎日放送に、毎日の記者が朝日放送に…。そして福岡に来ると新聞とテレビ局の社名のアタマがそろった形で出る。つまり元に戻る。これが世に言う「腸捻転」(簡単に言うと「ねじれ」)とよばれる現象である。これを問題にしたのが「電波に弱い」とされた朝日新聞だった。昭和38年1月の常務会にてこの問題を取り上げ、
@ NETを朝日の名前をつけたキー局にする
A ABCをTBSからNET系列に移す
B 名古屋、九州もNETの完全ネット下に置く
…など、当時としては「果てしなく無謀」な電波政策を打ち出した。
そして昭和39年1月、朝日新聞代表取締役で電波担当となった広岡知男はABCを訪れ、当時社長だった鈴木剛らと会って、ネット変更を申し入れた。このときの様子を、広岡は後に九州朝日放送30年史の広岡談話や朝日放送社史塙修室との長時間インタビューの中で、次のように述べている。
「ABCでは鈴木社長のほかに平井副社長、原専務らも同席されていました。私は代表就任の報告をして、電波も担当するのでよろしくと挨拶をし『今、同じ朝日を名乗りながら互いの距離があるようだけど、将来はよろしく頼みますよ』というと、鈴木さんから『朝日放送は朝日新聞だけのものでもなければ朝日の子会社でもない。他にも多くの株主がいるから、朝日のネットワークなどいわれても、到底実現できるものではない』と蹴られてしまいました。私は少しむっとして声を荒げて『鈴木さん、あんた朝日放送の社長として、そんなことをいってもいいのですか!』と開き直った。鈴木さんはいささかまずかったなと思われたのか『口で言うのは簡単ですけど、実際問題そうは簡単にネットなんか変更できるものではないのですよ』と、次のような条件(後述)がそろわなくては駄目だといわれた。あとで考えたら、鈴木さんのいうのが常識で鈴木さんが正しい。私がネットについて知らなさ過ぎたのです。ともかく私は『わかりました。これから努力して、いずれこの一連の問題を全て解決するつもりです。その時はよろしく』と念を押して別れました。その間のやりとりを平井さんたちも聞いていました」
鈴木社長らが出した条件とは、3条件とされていたが、調べると6つ…それ以上だったかもしれない厳しいものだった。
@ NETは教育専門局に過ぎず、一般局に昇格しないと他ネットに太刀打ちできない。
A NETには日経と朝日の新聞資本が、TBSにも朝日・毎日・讀賣の資本が混在している。
これをそのままにしてネット変更する積極的な理由がない。まずこれらの資本を整理する事。
B NETは赤字続きで、これでは一緒になれない。経営を立て直してほしい。
C NETの報道部門の外注をやめること。
(以上『朝日放送の50年』より)
D 名古屋(福岡)にしっかりとした朝日系列局がないとだめ。
テレビのネットワークというのは最低限、東阪名九がきちんとなっていないと商売にならない。
E ABCとMBSのテレビ部門の売り上げの落差が大きい。これを無理に…といわれては困る。
両者の水準が同じになる事。
(以上『九州朝日放送30年史』より)
と、このように朝日放送から断られ、広岡は出直しを求められた。が、その直後、九州朝日放送(KBC)にネット異変が起こる。