長野電鉄
(90年代前半)

 

  

 長野電鉄は、地下駅である長野駅から湯田中までの35km余りの本線を中心に、須坂〜八代間20km余り、信州中野〜木島間12km余りの2つの支線を持つ、全線70.5kmの比較的規模の大きいローカル私鉄です。

 長野電鉄と言えば、地方中小私鉄としては珍しく特急列車の走る会社として知られています。また、湯田中温泉や志賀高原への足の役割を担う、そして沿線に葛飾北斎ゆかりの小布施、城下町の松代などを抱える観光路線としても有名です。長野〜須坂間は立派な通勤路線としても機能しており、なかなか活発な路線です。

 以前は富山地方鉄道と並び地方私鉄の雄と並び称され、戦後間もなくの、当時の最高の鉄道技術を結集したと評価の高かった1000形、昭和30年代の、丸っこいデザインがユニークな特急専用車2000形、40年代初頭の、通勤用車両のイメージを一心した斬新なデザインが魅力のOSカー0形等、国鉄や大手私鉄と比較しても勝るとも劣らない車両を登場させ、その先進性を思う存分発揮しました。昭和50年代の長野駅周辺の地下化も当時のローカル私鉄としては画期的でした。最近は、オリジナル車両の相次ぐ廃車、木島線の廃止決定等、すっかり精彩を欠いた感が強いですが、今後も地方私鉄のリーダー格として頑張って欲しい会社です。

 個人的に大変好きな私鉄で、80年中頃からしばしば訪問しておりますが、今回はその内の80年代末から90年代前半の頃の長野電鉄の姿を、車両を中心に紹介します。

 

 この車両こそ、昭和40年代前半登場当時、斬新なデザインで世間の度肝を抜いた名車、OSカーこと0形です。

 FRP(強化プラスチック)で縁取りされた前面、前照灯の配置等、このようなデザインは約10年後、大手私鉄でも導入され始めるようになります。つまり、10年前後時代を先取りしていたと言っても過言ではありません。今見ても見事なほど古さを感じさせないところが名車の名車たる所以でしょう。カラーリングも美しいデザインを引き立たせているように、個人的には思います。

 正面中央の「1」の車番が誇らしげです。これぞまさしく私鉄界のホームラン王!?。

 (90年代初頭 信州中野駅にて撮影)

 須坂駅に隣接している車庫で休憩中のOSカーです。既にこの頃には昼間活動している姿は余り見られなかったように記憶しています。

 それから10年も経たずに廃車となり、つい最近まで須坂駅構内でさらし物になっていましたが、つい先日、引き取り手募集の案内が出ていました。引き取り手は見つかったのでしょうか?。それとも解体されてしまったのでしょうか?。その後の行く末が気になります・・・。

 (90年代初頭 須坂駅にて撮影)

 昭和30年前後に登場した特急専用車2000系が、駅で仲良く顔を並べたところです。

 今では塗色も変更になってしまい、若干当時とはイメージが異なってますが、こちらは現在でもバリバリの現役で特急用として頑張っています。

 この車両の最終編成は、何と当初は名鉄パノラマカーの如く前面展望室付きのデザインになる予定だったそうです。結局諸事情によりその計画は中止になってしまいましたが、この話からでも長野電鉄の先進性が伺われると思います。

 (90年代初頭 撮影)

 

 長野電鉄に最後まで残った旧型車、1500形の1501です。

 晩年はもっぱら須坂駅〜屋代駅間の折り返し運転専門に使われていました。この車両も既に廃車となり長らく須坂駅構内でさらし物になっていました。

 外面を見る限り性能がかなり落ちるように見えましたが、実際に乗ってみるとかなりのスピートですっ飛ばしていたような感じがして、えらくビックリした記憶があります。

 (90年代初頭 須坂駅にて撮影)

 1501より一足先に姿を消した同じ1500形の1502です。

 こちらは1501と違って貫通扉無しのデザインとなってます。

 ということに、このページを編集している最中に気が付いた・・・。僕って結構鈍感なのね♪。

 (90年代初頭 須坂駅にて撮影)

 

 1502の反対側の姿です。

 後から運転台取り付け解像が施されたのか、こちらの窓はHゴム支持となってました。こういう正面の姿が異なる車両というのは昔はローカル私鉄に行ったら結構見られたように思うのですが、最近ではかなり珍しくなってきているのでは・・・。

 有名なところでは、つい最近まで鶴見線を走っていたクモハ12形がそうでした。

 (90年代初頭 須坂駅にて撮影)

 

 有名な東急の青ガエル5000系こと長電2500形です。長電に来てから赤ガエルに変身しました(カエルだから変態って言うべきなのかな・・・)。

 この車両は、長野駅の地下化に伴い従来の車両の殆どが地下路線の基準を満たさなかったために、その代替として大挙長電に投入されたという経緯の持ち主です。う〜ん、廃車になった旧型車の恨み節が聞こえてくるような・・・。

 そんな2500形も長野オリンピック開催前後に元営団地下鉄3000系に置き換えられて全車廃車となってしまいました。こちらは現在でも1編成が須坂市内で保存されているそうです。

 (90年代初頭 信州中野駅にて撮影)

 

 

 

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