01・・日本の電子技術の先駆者・志田林三郎
ここに紹介する志田林三郎博士の名を知る人は、
極めて少ないと思われます。
東京大学・工学部電気工学科の前身である工部大学校電信科の第一回の卒業生
であり、英国留学後には日本初の工学博士であり、東大教授、逓信省局長などの
要職に在りましたが、僅か36歳にして世を去ったために、一部の関係者以外には
殆ど知られていません。
左図は和服姿の博士。中図は博士夫妻の等身大
の像で、グラスゴー大学ケルビ
ングローブ博物館・東洋スペースに飾られています。右図は洋服姿の博士と、母
に送った漢詩。
博士は英国留学の折、グラスゴー大学で高名な物
理学者ケルビン卿の下で研鑽
を重ね、僅か1年の間に数件の賞を得たのみならず、ケルビン卿をして「最優秀学
生」と言わしめる程の業績を挙げました。今に残るグラスゴー大学の学生登録証に
よれば1880年と記録されていますが、当時の日本の水準は欧州より遥かに遅れて
いた実態を考え合わせると、驚くべき成果です。東洋の未開の小国からの留学生が
先進国である英国の学生を凌ぐ業績を示したのですから、彼等をして瞠目させた事
と想像するに難く有りません。
左2図は博士の学士論文、当時は英文で書きま
した、その流麗な文字には驚嘆
しますが、レベルも極めて高く現在の大学院生レベル以上と評されています。右
図は卒業証書で、1879年には22人の工学士が誕生しましたが、電信科(後の電
気工学科)は博士1人のみでした。
博士は帰国後、1883年に母校の工部大学校に迎
えられ、初の日本人教授になり
ました、それまでの教授は「お雇い外人」だったのです。この時の年齢は僅かに27
歳でした。その後1886年に帝国大学令が施行され、、工部大学校は帝国大学(今の
東京大学)と合併し帝国大学教授に就任しました。1888年には工学博士号を授与さ
れ名実ともに日本電気工学の開祖となりました。
一方において博士は工部省電信局に迎えられ、
創設して未だ日の浅い電信網を
整備する重職を兼務する事になりました。当時は近代化を旗印にインフラを建設して
いた時代ですから、先進国で最近の学芸を習得してきた人材は引っ張りだこで、博
士も学究の徒に止まることなく実務にも貢献することを要請される立場でした。
1887年には逓信省工務局次長、1988年には同局長
として手腕を発揮し、当時も
存在した官営か民営かの議論では官営論を展開し決着をつけました。また、東京電
信学校の校長を務め、電気研究所を創設しました。この研究所は後に、電気試験
所・電子技術総合研究所と発展しました。
研究業績としては、「液体の電気抵抗の測定」
「地磁気測定器の開発」などが有
り、前者は電気学会雑誌に、後者は地震学会雑誌に発表しています。1887年には
工学会雑誌に「工業の進歩は理論と実験の親和による」という趣旨の論文を掲載し、
純粋理論と工学技術の不可分性を説きました。これは正に卓見であって、当時は工
学のような実務分野は真理を探究する大学には相応しくない、と主張する一部の人
々に一矢報いた感じがします。
博士の研究で特筆に価するのは、河川の水の導電
性に着目した無線通信の実
験です。これは現行の電磁波による無線通信とは異なりますが、電線を用いずに遠
隔地通信を試行したのは世界初であり、マルコニーの電磁波無線通信に10年先ん
じました。結果としては実用に至りませんでしたが、当時としては独創的かつ大規模
な実験でした。残念ながら詳細な記録は残っていないようです。
博士は電気学会の設立を構想し、1888年に時の逓
信大臣榎本武揚を会長に据
え、自らは幹事として設立を宣言しました。意図するところは、我が国の電気に関る
学術と産業の振興のために、学術と実業を結ぶ官・学・産の横断組織を構築するこ
とでした。
電気学会第1回通常総会において博士は記念演説を
行いましたが、その内容は
驚くべきものでした。前半は電気工学の歴史と現状を概括し、多数の先人の業績を
的確に評価しました。後半は電気技術の未来を予測し、それに至るために解決すべ
き事項を示しました。この予測は9項目に及び殆どが今日では実現しています。現
代のコトバで云うならば、ラジオ放送・テレビ放送・録音再生器・高速多重通信・遠隔
地通信・電気鉄道・水力発電と遠距離送電、に相当します。

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電気学会雑誌第1輯、1988年に刊行、1998年に復刻
版刊行。左側2頁は博士の演
説で有名な予測が示されています、全20頁のうち。右側2頁は目次の一部。
この時期、電波は発見されておらず、況や無線通
などは誰もが夢想さえもしなか
った筈です。恐らく列席した当時の電気を専攻した学者・技術者諸氏の大半は理解
も想像も出来なかったと思われます。この演説は今や伝説化していますが、幸いに
原本は保存され、1988年に電気学会創立100周年記念事業として復刻版が刊行さ
れました。図書館などで比較的容易に見ることが出来ます。
20世紀初頭には内外で多数の予言が現れました。そ
の中では1901年に報知新
聞が発表した「20世紀の予言」は的中率が高いとして、20世紀末に一部のジャーナ
リズムが話題に採り上げた事がありましたが、博士の予測はそれより13年早く、しか
も殆ど的中しています。もっとも、報知新聞の記事は異色のジャーナリストが書いた
と云われますが、署名は有りません。博士のような碩学の予測とは比較するのが無
理と云うべきでしょう。
上記のように博士は帰国後には官・学の世界で活躍し、
多大の業績を上げました
が、激務の故か健康を害し僅か36歳で世を去りました。その後博士の名声は一部の
関係者が知るのみで、いつしか忘れ去られてしまいましたが、20世紀の終りが迫っ
た1998年に電気学会は100周年記念として創刊号を復刻し、博士の演説の全文を再
録するにおよび、その先見性が再評価されました。

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左図は博士の生誕地にある記念碑です。右図は博士の
墓碑で佐賀県多久市の
宝蔵寺にあります。
博士は1885年に現在の佐賀県多久市東多久町別府の商
家に生まれました。博
士が生まれて僅かに150余日後に父親は他界し、気丈な母親フミの手で育てられ、
幼少にして計数に長けた神童と称されました。その英才を認め支援する人が現れ
て、東原庠舎・佐賀弘道館に学ぶ機会を得、さらに佐賀県知事の命で東京の工学
寮(後に工部大学校⇒東大工学部)に進学しました。
博士の進学した工学寮は1873年に工部省(現在の経済産
業省)により設立されま
した。近代化を推進する明治政府の政策に基づき生活費と学費が支給され、将来
の官僚の道も約束されていました。それだけに全国から選りすぐられた英才が集ま
りました。土木・機械・造家・電信・化学・冶金・鉱山の7学科に20人が入学しました。
うち電信科は博士1人のみでした。
工部大学校に赴任した教授は教頭のヘンリー・ダイアー
以下すべて英人でした。
彼等は若く優秀で、東洋の新興国に近代科学・技術を根付かせようとする使命感を
持っていました。彼等は故国の英国では必ずしも受け入れられ無かった「理想の工
学教育」を白紙の状態にある土壌に展開してみたいとの熱意を持っていたようです。
当時の先進国でも工学のように応用・実利を目指す学問は真理の探究を掲げる大
学には相応しくないと見られていたのです。それですから、日本の工部大学校は世
界でも稀な機関でした。
工部大学校で物理学と電信学を担当したのは、ウィリア
ム・エドワード・エアトンで
した。彼はケルビン卿に学び、大西洋横断海底ケーブルの実験に参加した経験を持
ち、学理と実務を兼ね備えた俊才でした。遅れて赴任したジョン・ペリーと共に、学生
の教育・指導に当たる傍ら精力的に研究を続け、その成果を英国の学会誌に発表し
続けました。
エアトンらの授業は英語で行われました。高度の学理と
技術を馴れない外国語を
介して学び、しかも実験・実習を行うのですから、当時の学生の苦労が思いやられま
す。しかし、学生はよく耐えて優秀な成績で卒業し、社会に出てからは指導層として
活躍しました。博士の卒業論文は現存し、私もガラス・ケースに納められた冊子を見
る機会を持ちました。200頁にも及ぶ大部のもので流麗な筆記体で書かれているのに
驚嘆します。
博士は1982年に36歳の若さで世を去りましたがその長男・
孫は志を継ぎ電気通信
技術者として活躍しました。また、没後に従5位を授けられ、さらに1925年には通信
事業創始50周年祝典において電信技術上の功績により金杯を贈られました。後年に
至り1993年に郵政省は博士の没後100年を記念して「志田林三郎賞」を創設し、情
報・通信の分野で先端的・独創的な成果を挙げた個人を表彰することなりました。久
しく忘れ去られ、極く一部の人士にしか知られなかった博士の功績を広く知らしめる
快挙であると思います。

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左図は、特急「かもめ」で見つけたJR九州の広報誌「Please」
に掲載の記事、
右図は佐賀大学・信太教授の著書で最も纏まった資料です。
編者は九州旅行中に特急「かもめ」の車中で手にしたJR九州
の広報誌「Please」
の1993年6月号の記事で博士の事跡を知り感激しました。それ以来、博士に関る資
料を探し求めた結果を集約したのが、この記事です。編者が未だ至らない部分に
いてご教示戴ければ幸いです。蛇足を加えるならば、名所案内やグルメ紹介が主
のJR宣伝冊子によって博士の偉業を知り、それからは意識的に資料を探すようにな
ったのも何かの奇縁と感じている次第です。
(2004-09-25記 )
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