03・・ ニッポン号の世界一周飛行
朝日新聞社・神風号の成功に刺激されてか、毎日新
聞社は世界一周飛行を企画
しました。1939年の事です。機体は三菱製の双発輸送機で海軍の96式陸上攻撃機
を改修したものでした。この機体は本庄季郎技師を主任設計者として設計され、世
界水準を抜く素晴らしい性能を持っていました。
1939年7月に勃発した支那事変において、九州の基地
から出撃し支那大陸を攻
撃し、世界初の渡洋爆撃として世界を驚かせた実績を持つ機体でした。神風号は試
作機の段階の機体でしたが、ニッポン号は制式化され生産に入った機体でした。ま
た前者は単発で2人が搭乗しましたが、後者は双発であり6人も搭乗しました。これ
は飛行距離が遥かに長大で、しかも太平洋・大西洋を越えるコースを飛ぶので、それ
に対応した機体を選んだものと思われます。
飛翔中のニッポン号の雄姿
ニッポン号は機長・中尾純利、操縦士・吉田重雄、機
関士・下川一、技術士・佐伯
弘、通信士・佐藤信貞、の5氏が操縦・運航に当たり、毎日新聞航空部長・大原武夫
が同乗しました。1939年8月25日に羽田を出発、アラスカ経由で北米に入り、ロスア
ンゼルスから米大陸を横断、ニューヨーク訪問、南下して中米・南米の各地を歴訪、
ブエノスアイレスから南大西洋を横断してローマ着、それから南方コースを経て10月
20日に羽田に戻りました。全行程52,860km, 飛行時間194時間、所要日数56日の記
録的な飛行でした。なお、始めの予定では、パリ・ロンドン・ベルリンも訪れる筈でした
が、第二次欧州大戦が勃発したので中止になってしまいました。
ニッポン号の飛行コースは、北太平洋・南大西洋の横
断やアラスカ・アンデス越え
などの当時としては難コースを翔破したわけで、卓越した操縦技倆と優れた機材を世
界に知らしめました。ニッポン号は自動操縦装置・無線帰投装置などの最新の航法
装置を備えていましたし、可変ピッチプロペラ・引き込み脚の採用、沈頭鋲を用いた
工作法などの革新技術が盛り込まれていました。
亜欧連絡飛行を成し遂げた神風号が航法に関しては名
人芸に全面的に依存した
のに対して、ニッポン号は充実した航法装置を備えていました。これは前者が2人乗
りの単発機であるのに、後者は多人数乗りの双発機という余裕に加えて、2年の差
が技術進歩に大きく影響したからでしょう。北米に入ってからの飛行は未知の空域
であるにも関らず易々たるものであったと伝えられています。また、大洋横断の途中、
酸素吸入装置の不調で全員が失神の危機に際した折に自動操縦により難を逃れた
とも伝えられています。
ニッポン号・神風号の記念切手
しかし、これらの最新鋭の機材を使いこなすには、そ
れなりの準備も訓練も要りま
す。機体の整備に関して中尾機長は配線のボンディングを念入りに指示したそうで
す。これは接地のことで、もし不完全であると雑音障害に悩まされ、航法装置の場合
は、誤動作の危険もあるからです。余談ですが数年後の大東亜戦争において、日本
の軍用機に搭載した無線機が雑音に悩まされ作戦行動に齟齬を来たしたとの回顧
談を散見します。かれこれ比較すると中尾機長の先見の明と用意周到さに感心しま
す。
また、未知の空域の星空を体験するために、プラネタ
リウムを活用したそうです。
当時、プラネタリウムは日本に2基、世界で27基しか有りませんでした。優れた航法
装置を持ち、また船舶と異なり高速の航空機では天体観測による位置標定などの必
要性は少ないと思いますが、例えば海上に不時着した場合なども想定したのでしょ
う。
ニツボン号の訪米を目の当たりにした米人の識者の中
に、「この優秀な飛行機を
日本人が独力でビス(螺子)1本から創ったとは信じ難いが、事実ならば恐るべき民族
だ」と評した人がいたそうです。今から60年以上も前には、欧米人から見れば東洋人
などは、日本人も含めて後進国人扱いで科学技術の粋を集めた航空機を設計・生産
など出来る筈が無い、と見做されていたのです。それが何時の間にか、設計・製造
の技術を確立し、自前で操縦者を育成していたのですから、驚きは大きかった筈で
す。
ニッポン号の原型である96式陸上攻撃機は、故山元五十六
元帥の発案になる機
種で陸上基地より発進し、敵艦隊を洋上で捕捉・攻撃する意図のもとに開発されまし
た。その性能は試作機・実用機・性能向上型などで相違がありますが、最大速度は
400キロに迫り、航続距離は5000キロに達しました。特筆に価するのは航続距離で、
同クラスの欧米機に比して2倍以上も有りました。高性能の軍用機でありながら、そ
の形態は優美で英国の航空評論家は「双舵の美女」と評しました。日本では「魚雷
型」と称されたスリムな胴体に、直線テーパーの主翼、2枚の垂直尾翼がマッチして
空力学の理想を実現したような機体でした。
この96式陸上攻撃機は、大東亜戦争緒戦において、マレー
沖で英戦艦「レパル
ス」と「プリンス・オブ・ウェールス」を撃沈する偉効を立て、強気の英宰相チャーチル
を嘆かせました。
ニッポン号の快挙は、先の神風号と同様に全国民を熱狂さ
せました。
その一つの表れとして「世界一周大飛行の歌」がレコード化され、大ヒットになりまし
た。これは毎日新聞社が読者を対象に公募した入選作で、著名作曲家が作曲し、人
気歌手により歌われたものでした。
「世界一周大飛行の歌」ビクターレコード
( 2005年1月25日 記 )
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