04・・東西のからくり・自動人形

「からくり」に類する仕掛けは古代から存在したと伝えられます。ヒトは自分を取り巻く自然
の環境に謎と恐れを持っていました。また、ヒトを含む生物の生死や行動に不思議を感じて
いました。これらが誘因となってヒトは神の業やヒトの働きを真似する人工の仕掛けを創ろ
うとする願望を持つに至りました。

伝承としては、紀元前8世紀のギリシャ詩人ホメロスの作品「イーリアス」の中に、鍛冶の神
ヘバイトスが3種類のロボットを造る場面があります。日本では「今昔物語」の中に高陽親
王が田に水を灌漑する人形を造ったとの記載があります。

実物が存在した事例としては、古代エジプト第19王朝時代の墓から、手足を動かせる木製
の人形が発見されています。アレキサンドリア時代の数学者ヘロンは、今日に至るも「ヘロ
ンの公式」で有名ですが、バッカス神と女神が神殿を巡る自動人形芝居など数種の自動機
械を考案しました。ヘロンの自動装置は構造が明記されており、動作原理も首肯出来るも
ので、信憑性は高いものと思われます。復元した模型は今日でも展覧会などで散見出来ま
す。

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左図は古代エジプトの木製人形、右図はヘロンのバッカス神殿

からくり・自動人形に関る伝承は一時途絶えます。かなりの期間を経て自動人形や自動的
な仕掛が再び登場しましたが、その背後には時計技術の発達がありました。時計技術は
「日時計」に始まり、「水時計」に至って素朴なメカニズムが出現し、遂には精度の高い「機
械式時計が考案されました。11〜12世紀の頃です。最初の機械式時計は修道院で、神に
祈りを捧げる時刻を知るために用いられました。

14世紀になると、市民の前に公共用の施設として姿を現しました。さらに自動人形が組み
込まれたり、天体の運行や暦を示す凝ったものも有りました。動力として重錘を用いまし
た、自然落下を利用したものですから、連続動作には制約が有りました。この時代の公共
用の「からくり時計は、今日でも欧州諸国の地方都市に現存し稼動している情況を見ること
が出来ます。

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左図はスイス・ベルンのからくり時計、右図はホイヘンス の振り子時計

1657年にホイヘンスが振子時計を発明し、一挙に機械時計の精度が高まりました。次いで
ゼンマイが実用化されて、機械時計の技術基盤は確立しました。20世紀の電子式時計の
出現まで原理や構成要素は殆ど変わりませんでした。この機械時計の技術から派生した
のが自動人形です。

正確な時を知り日常生活を規制するために開発された時計技術は、西欧の宮廷で持て囃
される自動人形を生み出しました。王侯貴族は精巧な自動人形を収集して居室を飾り、そ
の優美な動作を楽しむと共に、権力と冨の象徴として誇示しました。17〜18世紀の頃です。
一方、これを作る職人にとっては、王侯貴族に買い上げられることは名誉なことでしたから
腕を磨き、技術を競うことになり、後世に伝えられる名作が多数生まれました。

当時の著名な作品としては、ヴォーカンソン作の「笛吹き童子」・「太鼓を叩く少年」・「アヒ
ル」があり、1738年にパリの科学アカデミーで公開され有名になりました。かの文豪ゲーテ
も見学して感想を洩らしたと伝えられています。残念ながら現在では、「アヒル」の残骸が残
るのみで詳細は不明です。ヴォーカンソンは解剖学と力学を学び、劇場用の自動楽器や紋
織機の研究に才能を示し、さらに「医学人形」とも云うべき自動人形の開発を意図したほど
の技術者でしたから、当時としては画期的なレベルに達したものと思われます。

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左図はヴォーカンソン作の「アヒル」、右図はジャケドロス作 の「もの書き人形」と筆跡

現存している例では、ジャケドロス父子の手になる「もの書き人形」があります。机の前に座
った少年がペンを持ち、紙の上に文字や図を描く動作をするもので、スイスのヌーテシャル
歴史博物館に所蔵されています。また、「オルガンを弾く少女」は、聴衆に向かい一礼をした
後に、10本の指を使いオルガンを演奏します、この時に胸の鼓動まで再現する精緻な細工
が施されていたと伝えられています。

この時代に創られた自動人形は優美な形態とキメ細かい動作をする、換言すれば写実的
であり、ヒトに出来る限り近づけようとしました。ゼンマイと歯車やカムなどの素朴な機械
要素しか得られなかった時代に、それらを巧みに組合せて実現した創造力は驚くべきもの
が有ります。

これより後、19世紀末から20世紀初頭にかけて、いわゆる「ロボット」が数多く作られ、各種
のイベントに登場しましたが、その殆どの外観はグロテスクで動作はぎごちないものでし
た。個々の機械要素は格段に進歩したにも関らず、自動人形として見ると上記の18世紀の
時代より見劣する程でした。これは産業革命以後の機械技術の進歩を誇示することに主眼
を置き、優美な人形よりも、強大なスーパーマンを目指した結果と見られます。

さらに時代を経て21世紀に近くなって、コンピューター技術やセンサー技術の発達と新素材
の開発により、再び優美にして精巧な自動人形が発表されるようになりました。

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左図は時計職人アナトール(93年)、右図は愛知万博の案内嬢 (05年)

日本に機械時計が伝えられたのはキリスト教の伝来に伴うと云われています。1551年にフ
ランシスコ・ザビエルは機械時計を山口の大名・大内義隆に献上して布教の許しを得まし
た。その後、数多くの機械時計が宣教師の手により持ち込まれました。それらの時計は日
本人にとって驚異と憧れの対象になりましたが、宣教師からはヨーロッパ文明とキリスト教
文化の卓越性を誇示する絶好のモノでした。

しかし日本人は、この「切支丹でうすの魔法」を単に賛嘆するだけでなく、そのメカニズムを
逸早く解明し、技術をマスターしました。日本の時計師の開祖とされる「津田助左衛門」は
徳川家康の愛用する時計を修理して以来、研鑽を重ねて独力で設計するレベルに至りまし
た。その後に輩出した時計技術者は、季節により時間の異なる不定時法の時計、「和時計」
を工夫・開発して時計技術史の一齣を飾りました。

この時計技術は他の分野にも応用されました。「からくり人形」の登場です。日本には古くか
ら「傀儡師」という「あやつり人形使い」が存在し、「生けるが如く」人形を操る芸を披露して
諸国を巡っていました。そのような伝統に南蛮渡来の時計技術が採り入れられて、「からく
り芝居」に発展しました。1662年に竹田近江は大阪・道頓堀に初の「からくり芝居」を上演し
たとの記録が残っています。ここで、「あやつり」とはヒトが操作する仕掛けで、今日で云う
「操縦型ロボット」に当たりますし、「からくり」の方はを自動的に予め設定された動作をする
仕掛けですから、「プレイバック型ロボット」と云えるでしょう。

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左図は「竹田からくり芝居」、右2図は「からくり訓蒙鑑草」 の文字書き人形

竹田近江は優れた時計技術者でもありました。近江の後継者は2代・3代と続き、次いで竹
田出雲が現れ2代まで受継がれ、「竹田からく芝居」は100年に渡る黄金時代を築きました。
一方、座右に置いて、その動作を楽しむ「からくり人形」も独自の発達をしました。特筆すべ
きはからくり人形に関る書物が相次いで出版された事です。
1730年に加賀谷環中仙が「からくり訓蒙鑑草」を著し、1796年には細川半蔵が「機巧図彙」
を上梓しました。

「からくり訓蒙鑑草」は、当時の「からくり仕掛け」を紹介・解説した書物で、今日のガイドブッ
クに相当すると云えるでしょう。「機巧図彙」の方は詳細な図解で製作法を示したマニュアル
に当たります。このような書物が現れた事は、相当数のからくり人形が出回り、一般市民に
も馴染み深いものになっていたと推定出来ます。
たとえば、井原西鶴は1675年刊行の俳句集「独吟百韻」の中に、「茶を運ぶ人形の車働き
て」、との句を注釈と共に記しています。また文化・文政の時代に小林一茶は、「人形に茶を
運ばせて門涼み」、と詠んでいます。

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「茶運び人形」の例、左図は外観、右図は内部構造

「機巧図彙」で驚かされるのは、その記述に従えば今日でも再現出来るほどの詳細な図解
を記載している事です。代表的な、「茶運び人形」、などは科学博物館・早稲田大学などの
研究者の手により再現され多くの展示会に出品されました。また、民間の職人によるレプリ
カも販売されています。
江戸時代には、金属材料の発達が不十分でしたから歯車を始めとする機構は木製であり、
動力源としては鋼鉄のゼンマイの代わりに弾力のある、「鯨のヒゲ」を使う工夫をしてあり
ます。これは素晴らしい独創と云えるでしょう。西欧から渡来した機械式時計は既に金属
材料が使用されていましたが、当時の日本では容易く使える環境になかったので、代わり
の素材を模索して到達したと思われます。歯車には数枚の木板を放射状に張合せて強度
を保つ工夫をするなど、随所に「匠の技」、が見られます。

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「機巧図彙」の中の「茶運び人形」の図解

日本の「からくり人形」を、西欧の「自動人形」に、比較すると、著しい特徴が認められます。
上述したように西欧では王侯貴族の愛玩品であり、権力と冨を誇示するものでした。これに
対して日本では市民層にまで親しまれる存在でした。西欧のそれは人間の動作を忠実に再
現しようと努めましたが、日本では伝統文化である「能」の影響を受け、抽象化した動きで
表現しました。人形の顔面そのものは動きませんが、全体の微かな動作によって喜怒哀楽
の感情を巧みに表します。

私は以前に、からくり儀衛門の異名を得た田中久重の作である、「弓曳き童子」の複製品
を見学しことが有りました。童子が弓を引き的に矢が命中した時の動作は、いかにも「して
やったり」という喜びが伝わって来て、感嘆した経験があります。

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左図は「田中久重」、右図は「弓曳き童子」(復元品)

メカニズムを解明した書物の現われたのも、驚くべき事でしょう。一般に腕に覚えのある名
人肌の職人は技法を秘密にして公開しない伝統がありました。これは洋の東西を問いませ
ん。そのような時代に単なる図解説明の域を超えた製作マニュアルを公刊したのですから
画期的な出来事でした。今日でも技術専門書の発行部数は、数百から数千部が普通とさ
れている事と、照らし合わせると数十から数百部ではなかったかと思われます。敢えて憶測
するならば、技術者ではない街の好事家などにも座右に置いて、眺めて興ずる人もいたの
でしょう。新しいメカニズムに興味を持つ市民の層が厚いのは日本社会の特徴であるとの
説がありますが、それの裏付けとも見られます。

日本の 「からくり人形」 には、上記したように室内で小数の人々が楽しむモノの他に、祭礼
で引き回す山車に仕掛けたモノがあります。こちらの方は戸外で多人数の目に触れるわけ
で、繊細な動作よりも、豪快な大業を示す作品が多いようです。地域的には名古屋・岐阜付
近に集中し、観光の目玉になっていますし、専門の工房も幾つか有ります。

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左図は「山車からくり」、右図は鹿児島県・知覧 豊玉姫神社の 「水からくり」

別の流れとして、水車を動力とした 「からくり芝居」 が有ります。私は鹿児島県の知覧町に
ある豊玉姫神社の祭礼で、見学する機会がありました。その時の出し物は 「浦島太郎」 で
あったと記憶しますが、毎年出し物を変えるそうです。人形の動作は比較的簡単ですが、水
車を動力源として簡単なカムとベルトで、予めプログラムされた一連の所作を繰り返しま
す。毎年、演題を変えるのですから、人形も衣装もプログラムも変えるわけで、その作業を
地元の有志が行っているのには感心しました。

(2005年5月25日記)

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