「移動無線事始・パトカーに無線機を搭載する」
今日の携帯電話の普及発達は真に目覚しいものがありますが、その淵源に遡ると警察車
両に超短波無線電話を搭載した頃と見るのが妥当ではないかと考えます。その時期は、
1947〜1950年あたりです。
当時の日本は米軍の占領下にあり、GHQ(占領軍・総司令部)が絶大な権力を振るっていま
したが、警察に無線機搭載のパトロールカーの配備を強く示唆しました。米国に於いては
既に1940年頃にコネクチカット州の警察が無線パトカーを備え、犯罪検挙率の向上という
実績を挙げ、それから米本土に普及浸透したのでした。
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占領軍にとって治安維持は重要ですから、日本の警察に対しても同様のシステムを要求し
たのでしょう。この時に指示されたのは超短波周波数変調方式(VHF-FM)の車載無線機でし
た。ところが、この分野の技術は当時の日本には殆ど有りませんでした。理論研究や部分
的な実験研究は有りましたが、実用機器を設計し量産する経験は皆無でした。
GHQ は、米国製の機器と取扱説明書を提示・貸与して同等のモノを至急整備するように迫
ったのです。これに対して日本は官民学の合同組織を立ち上げて、研究・開発に乗り出し
ました。全く未知と云っても過言ではない分野でしたから、江戸時代末期に蘭方医・杉田玄
白らが西欧の解剖学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に五里霧中の想いをしたのと同様で
あったと思われます。
1946年に「超短波移動無線協議会」を設立し、当時の内務省・逓信省・学識経験者・製造会
社が集まり検討を重ねました。同協議会は日本電気の試作品で実験を開始、次いで日本
無線・東洋通信機の試作品で通信実験を行ないました。この結果に基づき日本警察は「FM
無線機基本要求案」を作成してメーカーに提示、競争試作を行いました。
一方、ほぼ並行して日本の最高の研究組織とも云うべき日本学術会議は「超短波通信研
究特別委員会」を設けて、警察のプロジェクトに協力しました。この委員会のメンバーには
当時の大学の令名高い教授・若手の新進教授それに逓信省の有力研究者が動員されまし
た。この時期に於いては、電気工学科もしくは通信工学科を有する大学は国立私立を合計
しても11大学しか有りませんでした。それですから、国家を挙げてのプロジェクトであったと
推定されます。
このプロジェクトの推進にはメーカーの技術者が多数関与しました。米軍から貸与された機
器の動作原理の解明は大学の研究者が担当しても、その動作確認のための追試や機器
設計はメーカーの技師の受持です。また、部品・素子の解明とその製造もメーカーの領域
です。かくして、このプロジェクトに参画した全体の人数は数百に達したと思われます。
プロジェクトが進行するにつれて、未知の回路も次第に解明され、追試で実証されて行きま
したが、全貌が判るまでには手探り状態多くの試行錯誤が重ねられました。部品・素材は
外観と電気性能の測定から内部構造を推定するなどの苦心もありました。
幾多の紆余曲折を経て、1949年にメーカー13社の製品が基本要求をクリヤしました。当初
は競争試作に参加したのは18社を数えましたが、要求の厳しさの故か5社が辞退に至った
のです。この厳しさの中には、従来の常識・慣習を超えた要求が有りました。それは、専任
の取扱者無しで確実に作動することが求められたのです。
例えば、ヒューズ切れとか同調ズレなどのような微小なトラブルも欠格とされました。従来の
概念では、無線機には専任の技術者が常駐して、いわば「お守」をしながら使いこなすモノ
だったのです。しかし、パトカーの搭乗者は警官であり、その警官の粗い操作に耐えて確実
に動作しなければなりません。また、未舗装の悪路を走行する際の振動・衝撃にも耐える
事も求められます。それやこれやで、当時の通念では著しく過酷な要求であったのです。
競争試作をパスしたメーカーは、日立・日本電気・日本無線・松下電器(後に松下通信工
業)・東芝・国際電気・三菱電機・早川電機(現シャープ)・沖電気・東京無線・神戸工業(現富
士通テン)・八欧無線(現富士通ゼネラル)・安立電気(現アンリツ)の13社でした。
これらの企業の大部分は、このプロジェクトをキッカケに移動無線機の分野に参入し、警察
以外の市場を開拓して行きました。

新しい技術分野が開拓される時期には併行して、評価・試験のための技法や機器が必要
になります。この開発や整備も各機関で精力的に行なわれました、試験測定法については
電気通信研究所(旧・電気通信省)が主担当となり、機器についてはメーカーが当たりまし
た。試験測定法については海外(特に米国)の資料を参照する紙上調査と追試的な作業が
中心でしたが、測定機器の開発は難航しました。
いわゆる無線用測定器というカテゴリーの機器は、戦前は殆ど輸入品に頼り、大東亜戦争
中には泥縄式に輸入品のコピーを行なって糊塗していたのですが、今回は全く新しい分野
であり、しかも輸入品は殆ど期待出来ませんからコピーしたくてもタネが無いのが実状でし
た。それですから教科書的な基本原理を組合せ、その具体化には海外の技術雑誌やカタ
ログなどに掲載された断片的な写真や図面からヒントを得て纏めあげて行ったのです。
幾多の試行の結果、八欧無線・沖電気・日本無線・日本電気などのメーカーが数種の測定
器の開発に成功しました。ここにおいて超短波周波数変調無線機の設計および評価試験
の基盤は確立し、懸案の国産化が可能となり、米国製品に席捲される危機は回避されたの
です。
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このプロジェクトの成功後、日本警察の無線機搭載のパトロールカーは全国に配備されて
治安維持に大きな貢献をしました。また、その使用実績により車載無線機の有用性が各方
面に認識されて、公共分野から民間企業にまで浸透するキッカケともなりました。
このプロジェクトは後に「日本株式会社」と世界から羨望され嫉視された新技術開発・事業
化の手法の先駆をなしたものと位置づける事ができると見られます。すなわち、官・産・学で
プロジェクト組織を設置し、広く資料を渉猟し、試作実験を分担し、得られた成果は共有し、
生産の見込みが立った時点からは、企業間の競争に移行する、という手法です。
これにより、新規技術を急速に立ち上げ、且つ企業間競争のスタート・ラインを揃えて国際
競争力を高め得たのです。経済・産業が崩壊状態にあった戦後の一時期にはには正に妙
手であったと思われます。
このプロジェクトの経過に関る記録の要点はは雑誌「電波日本」に詳しく発表されていま
す。また、警察無線の実用化と前後して新聞通信社がラジオカーを整備して取材活動に新
機軸を拓きましたが、その情況も「電波日本に詳述されています。
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無線通信がマルコニーにより発明されたのが1896年、その特質を活かして船舶・航空機・
離島・大陸間などの通信に浸透して行きましたが、高価であり取扱いも難しかった故か、そ
の伸びは限定されたものでした。例外的には放送という形態が多数相手の一方向通信とし
て広く且つ急激に普及しましたが、双方向通信としては特殊な分野に止まり、市民には馴
染みの少ないものでした。
陸上を移動する車両やするヒトに対する通信手段として無線通信は話題にはなっても、な
かなか実現しませんでした。しかしながら米国では上記の警察無線の素地もあって、1941
〜45年の大東亜戦争に於いて米軍は陸上部隊の末端に至るまで携帯無線機を装備して、
作戦を有利に展開したと伝えられています。
戦後はその流れが日本にも押し寄せて来たわけで、約10年の遅れが有りました。そうして
警察無線が嚆矢となって多分野で活用されるようになりました。
「いつでも・どこでも・だれとでも:通信の理想を追う」
ヒトには多くの仲間とコミュニケーションをとりたい、という本能があるようです。ヒトの歴史
はコミュニケーションの歴史と見る事も出来ます。原始時代から現代に至るまでコミュニケ
ーションの流れは一貫して時間の壁・空間の壁を克服する事でした。換言すれば即時性・
広域性・記録性の追求と云えるでしょう。
コトバから文字、印刷と幾つかの画期的な発達が有りましたが、革命的であったのは電気
通信技術の発明でした。これにより即時・広域・記録の殆どが可能になりました。モールス
の電信、ベルの電話により創始された有線通信系は交換システムを開発して、20世紀半ば
には、「いつでも、だれとでも」交信できる環境を整備しました。
しかしながら、「どこでも」交信できるという環境の構築は容易では有りませんでした。所在
位置が不明であったり、絶えず移動する相手と交信するには有線通信系だけでは不可能
であって、無線通信系を必要とします。
無線通信の発明は、この最後の難関に解決策をクリヤしましたが、機器が複雑・高価で取
り扱いが難しいので、それなくしては非常なリスクを負うような場合にしか用いられない時代
が長く続きました。
無線通信の有用性を世界に広く知らしめたのは、有名なタイタニック号の遭難事件ですが、
これは1912年の事です。実はこれに先立つ1905年の日本海海戦での軍事に於ける無線通
信の必要性は周知された筈ですが、一般に知られるようになったのは、タイタニック事件で
7年のタイムラグが有りました。それでもタイタニック号は豪華客船でしたから、その設備を
備えたので、その頃には無線設備を持たぬ船舶は数多く在ったのです。
航空の分野でも必要性は認められても、実際の運用はかなり遅れました。航空機の場合は
搭載スペースが限られる上に電源の制約も厳しく、さらに専任の通信士を搭乗させる余裕
に乏しいなどの理由はあったのでしょうが、1920年代には大西洋横断飛行にチャレンジした
機体でも無線機を持たなかった事例は幾つもあります。
無線通信、特に移動体間の通信が広く用いられるようになったのは、第二次世界大戦がキ
ッカケでした。戦争という超非常事態が科学技術の進歩を促すのは残念ながら否定できな
いようです。各国の艦艇・航空機の総てに装備されましたが、特に米軍は陸上兵力の末端
組織に至るまで新しく開発された携帯型の無線機を装備・活用したのです。
前章に記した日本警察の無線パトカー配備も、このような流れの一環として捉えることが出
来るでしょう。そうして、移動無線系は各方面に重用されるようになり、それから30余年を経
た1980年代になって、有線通信系と融合した自動車電話・携帯電話と発展して、遂に「い
つでも、どこでも、だれとでも」交信できるという通信技術者の夢は実現したのです。
蛇足的な注釈を加えますと、1950年代に開発・整備された移動無線系は、特定のグループ
毎に構成する比較的小さな閉じられたシステムでした。例えば、警察・新聞通信社・公共事
業・交通機関などが自前で構築したのです。また、有線通信系との接続運用は原則的に禁
止されていました。しかしながら、それでも専用通信としての存在価値があり、現在でも多
方面に用いられています。
一般に刊行されている多くの資料は、1980年頃に開発された有線系と融合し小ゾーン方式
を導入したった自動車電話の開発を以って移動通信の嚆矢としているようです。確かに有
線系との融合は一大転機ではあった事は事実ですが、その30年ほど前に開発・実用化さ
れた超短波周波数変調移動無線の技術が基盤になったことは銘記されるべきでしょう。
「初期の移動無線機のあらまし」
前章で示したように日本の移動無線は警察から始まりましたが、続いて新聞通信社が導入
しました。この業界にニュース取材に一刻を争う苛烈な競争をしていますから、有力な武器
が現れたとばかり直ちに導入したのです。この時に彼等は殆どが米国モトローラ社製品を
採用しました、既に国産品が実用化されていましたし、輸入品は桁違いに高価であったにも
関らずに敢えて外国製を購入したのです。
これには、各方面から批判が出ました。国産品があるのに貴重な外貨を使うのは怪しから
ん、という論法です。これに対して彼等からの反論は"信頼性" でした。報道合戦の最中に
肝心の無線機が故障しては困る、だから実績のあるモ社製を使うのだ、という言い分でし
た。さらに警察のような組織では予備機の準備があり、保守整備の人員も配置されている
が、新聞通信社にはそのような余裕は無い、とも云いました。
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彼等の反論ないし弁明にも一理在った事は残念ながら全く否定は出来ませんでした。そう
して別の分野でも類似の事態はしばしば見受けられました。しかし、このような試練の時を
経て日本の技術は高度の品質を獲得して世界に定評を得るに至ったのです。
1950年代の通信機には真空管が使われていました、移動無線機も例外では有りません。
未だトランジスタは話題に上る程度で実用機材には縁遠い存在でした。真空管としては MT
管・GT管が混用され、送信機の出力段には専用の真空管が使われました。真空管は多大
の電力を消費しましたから電源も大掛かりなものになりました、真空管のヒーター電源とし
ては自動車搭載の蓄電池をそのまま使い、高圧は電動発電機から給電しました。それです
から、自動車の蓄電池を増設しましたがそれでも、注意しないとバッテリー上がりを起こして
肝心の時に通話不能に陥ったとの苦情は少なくなかったようです。

その形態・寸法・重量は今日の眼から見れば、たいへんに大きなものでした。そうして送受
信部と電源部は自動車の後部トランクに装着し、制御器と送受話器は運転席ダッシュボー
ドに配備するのが一般的でした。さらにアンテナは後部のバンパーに取り付けました。

この頃の移動無線機は真空管を使っていましたから、平均故障間隔(MTBF)としては500時
間程度でした。この事はあるグループが50台を稼動させているとすると10時間毎に1台が
故障する確率を意味します。換言すれば、50台を稼動させていれば毎日1台は修理中とい
うわけで、それに対応した保守整備の体制を必要としました。それですから、警察や自衛隊
のような組織でないと使いこなせなかった一面は有りました。
しかしながら、その利便性・有用性は次第に認められ、消防・救急、電力・水道・ガス、など
の公共的な大組織で使われるようになり、次いで、タクシー・流通などの分野に浸透して行
きました。一寸意外なこと鉄道の導入は比較的遅かったようです。これは路線が定まって
いて、それに沿った有線電話網を既に整備していたので、それほどの必要性を感じなかっ
たのかも知れません。
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