科学技術史コレクション 16・・・東京中心の科学・技術の遺跡(3)

「鉄道事始・旧新橋停車場」

日本に鉄道事業が運営を開始したのは1872年、新橋・横浜間が最初とされています。これ
より以前に試験的にまたは興行・見世物的に短距離を運行した例は各地にあるようです
が、事業として料金を定め、定時運行したのは上記が初めてです。始発駅は新橋ですが、
これは現在の新橋駅とは位置が異なり、やや東寄りの汐留でした。

その後、東京駅が東海道線の始点となり、創業時の新橋駅は汐留貨物駅となり広大な操
車場として運用されました。この貨物駅は100年にわたり物流の拠点として活用されて来ま
したが、物流システムの急変により、1986年に廃止され、跡地はビジネス街に生まれ変る
事になり、1995年より着工、現在は殆ど完成しています。

そのビジネス街の一隅に「鉄道発祥記念館」が設けられました、2003年の事でした。

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左:駅舎を再現した「鉄道発祥記念館」。右:往時の駅舎玄関の写真。

創業時の駅舎は既に解体されていましたが、鮮明な写真と駅舎基礎などの資料が残って
いましたので、これを基に可能な限り正確に実在した場所に、当時の外観を再現しました。
その過程では全体の規模から窓の大きさ・外壁材の寸法に至るまで、細かく寸法を算出し
て復元したそうです。

復元した駅舎のホーム側、屋根は態と省いて有ります。

この駅舎の設計は米人・プリジェンス技師が行ないました。当時の鉄道技術の導入は専ら
英国に依存していたのですが、この建物に関しては米人を起用しました。なお、旧横浜駅
も同じ設計であったようです。

復元されたのは駅舎だけでなく、鉄道の起点を示すゼロ・マイル標識や軌道も在ります。

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左:復元されたゼロ・マイル標識。 右:復元された軌道。

当時のレールは長さ24フィート、双頭レールという形式で英国製でした。復元にあたり、新
日本石油・柏崎工場で使用されていた1873年製のものを譲り受けて設置しました。また、開
業当時は枕木を砂利で覆って保護していたのですが、今回の再現では構造を明らかに見
せるために砂利で覆うのは止めました。

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左:駅舎・プラットホームの模型、消防博物館蔵。右:1号蒸気機関車、 鉄道博物館蔵。

1877年頃の列車、背後に駅舎。

当時、運転した機関車は「1号蒸気機関車」と命名され、東京・神田万世橋神の「鉄道博物
館に展示されていますが、客車は現存するものは無いようです。なお後年になって作家・阿
川弘之氏の絵本「きかんしや・やえもん」を著しましたが、そのモデルはこの「1号蒸気機関
車」であるとされています。

新橋・横浜間の正式な開業運転は1872年10月14日でしたが、これに先立つ6月12日から
仮営業を始めました。仮営業期間に多くの名士・高官が試乗して、評判を高めました、また
庶民も話のタネとばかり押しかけたそうです。全く前代未聞の出来事でしたから、珍談・奇
談の類はずいぶん伝えられています。


当時の錦絵。上:新橋ステンショ。下:汐留駅開業祝之図。


「新橋駅に在る記念碑など」

現在の新橋駅にも幾つかの記念碑・記念品が有ります。それは「鉄道唱歌」の記念碑と
気機関車「C−58 の動輪」です。

「鉄道唱歌」は1900年に三木書店より刊行されて、広く親しまれました。作詞は大和田建
樹氏、作曲は上真行氏・多梅雄氏でした。東海道線に関るものは66曲、山陽線・九州幹線
に関るものは68曲、奥州・磐城地方に関るもの64曲、北陸線に関るもの72曲、関西・参宮・
南海線に関るもの64曲、という膨大なものです。

「地理教育・鉄道唱歌」と銘打ち、沿線の地理や史跡を巧みに詠み込み、軽快なメロディに
乗せて自然に地理・歴史に親しませるようにした傑作でした。今日でもテレビの旅行記モ
ノには頻繁に登場します。

その幾つかを紹介してみます。新橋から横浜までの抜粋です。

1 汽笛一声新橋を、はや我が汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る、月を旅路の友として

3 窓より近く品川の、台場も見えて波白く
海のあなたに薄霞む、山は上総か房州か

5 鶴見・神奈川あとにして、行けば横浜ステーション
湊を見れば百舟の、煙は空を焦がすまで

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左:鉄道唱歌の碑、上に創業時の列車模型。 右:C-58型蒸気機関車の動輪。

上の「鉄道唱歌の碑」は1957年に作詞家・大和田建樹氏の生誕100年を記念して建立され
ました。標題の文字が右横書きであるのは、本文が縦書きなのでそれに対応させたものと
思われます。

「C-58 機関車の動輪」と「鉄道唱歌の碑」についての説明板。

C−58型蒸気機関車はローカル線用として設計され、1938〜1947年に渡って427両が汽車
製造および川崎車両の2社で製造され、各地で活躍しました。動輪の直径は1520mm であ
って、これは特急列車を牽引した C-59 や C-61 の1750o に比べると小さく、貨物列車を
牽引した D-51 の1400mm よりは大きい、という位置付けです。

つまり、高速運転や大容量の貨物運送を対象とせず、中距離の中規模の列車を設計目標
にして開発されました。戦時中は扱い易さを買われて戦地にも多数動員されたと伝えられ
ています。現在、全国に60台近くが公園や博物館や公共広場に展示されています、これは
同一機種としては最多数と思われます。。

秩父鉄道で運行する「C-58363」の雄姿

保存されているC−58型蒸気機関車の中で、秩父鉄道の所有するものが現在でも運行し
ています。期日を限っての運転ですが、日本中でただ1両だけの貴重な存在です。

(2006年5月25日記)

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