PF・・・発行人のプロフィル
- 昭和一桁の東京生まれ・東京育ち・東京住まいの男性です。
- 15歳までは戦時体制下に育ち、そこそこの軍国少年でした、
また飛行機・軍艦
などの型式や性能に熱中する「兵器オタク」でした。
- 小学上級生の頃から模型飛行機・模型鉄道などに興味を持ち、
小遣いを貯
め、乏しい工具をやりくりして自作に没頭しました。
- 昭和16年12月に大東亜戦争が始まり、軍国主義化が進みました。
17年4月
に旧制中学に入学、軍事教練と工場動員の日々でした。
- それでも英語の授業は廃止されず、源氏物語や徒然草などの
講義も有りまし
た。これは当時としては特異な例外だった事を後で知りました。
- 昭和20年の敗戦から数年間は戦国乱世の無法時代でしたが、
幸いに某大学
に入学し、電気通信工学を専攻しました。とは云うものの校舎は破壊され、実
験設備も壊滅し、教科書もノートも無い、という惨状でした。今日の開発途上
国よりも酷かったと思われます。
- 何とか卒業しましたが、大変な就職難でした。名門の大企業でも
3人とか5人
を採用する程度でした。私は町工場よりはやや増しな某々電機メーカーに潜
り込み、その後36年の長期にわたり勤務しました。
- 昭和28年から、日本でテレビ放送が開始され、これを契機に電機
産業を始め
とする製造業が息を吹き返しました。私の勤めた会社は幸いにも家電ブーム
に乗って一部上場の企業に急成長しました。
- この会社に在職中に2度にわたる経営危機に見舞われました。
その度に資本
系列が変わり、経営方針が変わり、今日のリストラに相当する荒療治も行わ
れました。バブル崩壊よりも前の話です。
- この会社で、私は主として移動無線機の設計と測定法の研究を担
当しまし
た。今日の携帯電話の最も原始的な機能・形態の装置と云っても良いでしょ
う。この分野の技術進>歩は急激で、特に1990年以後の革新ぶりは最早、元
技術者には理解し難いものが有ります。
- この会社での定年近くなって、ふとした奇縁で九州の某女子短大
の教員に転
進しました。技術者から教員へ、男の世界から女の園へ、東京から九州へ、と
驚天動地の変化でした。
- 今は、それもリタイアしました。悠々自適の生活と云いたいところ
ですが、お定
りの年金暮らしです。家ではパソコンに向かい、近くの図書館に通い、美術
館・展示会に足を運び、旧友と会談し、時折は旅行を楽しむ、というわけでそ
れなりの日々です。
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