++月++





宵闇の来訪者は、何の前触れもなく少年を連れ去っていった。
乾かしておいた服を着込んで飛び出していくナルトを、は黙って見送る。
そして訪れた夜半の静寂に溜息を混じらせた。


「ついに動き出したか……」

ミズキの奴。


狸寝入りを解いて、苦々しく言を吐き捨てる
未だ布団に残るナルトの温もりを惜しむかのようになぞって、重い腰を上げる。
闇が視界に迫る中でも迷う事無く、目的の物を箪笥の置くから引き出した。

闇にさえ影を落とす漆黒の布。
その服に音もなく袖を通して、その身を闇に溶け込ませていく。


「…………」


夜目の利くその瞳を潰すかのように険しい面持ちのは、精神を落ち着かせて闇に身を委ねた。


「さて、そろそろ行くとしますかね」


あの子を見失う前に。
今晩は忙しい夜になりそうだ。


誰にいうでもなくそう呟くと、瞳の輝きを隠すようにその顔に面を被らせた。









月影に伸びる、忍の影。
里外れの人家の屋根の高みに音もなく降り立って、はばかるように立ち塞がるその人物。
認知済みのその人の声は、昼のものとは違う色を帯びていた。


「………随分探したんだよ」
「……ミズキ先生が、おれに何の用?」


ナルトは目の前の人物に、バツの悪そうな表情を作って俯いて見せる。
月が瞬いているのに星が煌かない夜。


五感ではなく別のどこかに感じさせる予感は、言い知れぬ不安感。
何かが、コイツは危険だ、と囁いてくる。
自分の知らないところで歯車が動き出していくのがわかる。


月光の影になって表情を伺わせない忍は、ナルトの鼻先まで音もなく歩み寄った。
そして少年の問いに答えるわけでもなく、ただ黙して小さな金の頭部を見下ろした。


「……ミズキ先生?」


緊張を昂ぶらせるだけの沈黙に耐え切れず、忍の顔色を伺うようにミズキを見上げるナルト。
ミズキはそんなナルトの瞳を決してかち合わせようとはせず、しかし睨みつけるような冷たい視線だけを送った。


「実は……」

いま里は、大変な騒ぎになっているんだよ。


「君のせいで」
「……おれのせいっ!?なんで!?」


生唾を飲み込んで驚愕するナルトを余所に、ミズキは淡々と続けた。


「君が悪戯で持ち出した……封印の書をめぐってね」
「封印の書…!?おれ、そんなん知らないし盗ってもいないってば!!」
「なら、君の腰にあるソレは一体何だい?」
「え……っ!!?」


ミズキに指摘されて腰に目をやれば、いつの間にか大きな巻物が括りつけられていた。
忍者の扱う書物、巻物であるせいか、その重量は見かけによらず羽根のように軽い。
身に覚えのない代物が自分の手の中にあって、ようやくナルトは自身に迫る危機感を察した。


「こんなの……おれは知らない!!」


さっきまでだって、の家に居たんだ!
の家を出るときにだって、おれは何も手にしてこなかった!


「……ミズキ先生が……おれを嵌めたのか!?」


ナルトの言葉に、目前の忍の表情に色が宿った。
それは嘲笑うかのようで、そしてナルトを排除しようとする氷のように冷たい色。
ミズキは喉の奥で笑いを零すと、犬歯を除かせて薄ら笑いを浮かべた。



「うっせーガキだな、テメェはよ」
「………っ!?」



初めてに近い、相手から感じられる威圧感。
言わずも殺気と感じ取ってしまったナルトは、我が身を庇うように一歩足を引く。
逃げ腰になる少年を目にして、ミズキは更に高笑いを響かせた。


「テメェみたいなクズな化け物を、おれの野望のために利用してやったんだ」
「…化け物……だって!?」
「そうさ。テメェは里の災厄、すべての憎しみの源罪なんだよ」



テメェみたいなヤツは生きる価値すらない。
利用されてくたばる運命。

だから死ね。
今すぐ死ね。



そう言って首元に当てられた冷やりとしたクナイ感触に、ナルトは叫んだ。


「……うわあああああああああっっ!!?」


あまりの窒息感に息どころか思考さえ詰まる。
全身の細胞が悲鳴を上げて足を縺れさせるのに、それでも逃げる事しか考えられない。
逃げ方なんて知らない。
ただがむしゃらに走って、目の前の悪魔から逃げ切りたかったその一心で。


「く、来るなああああああああ!!」


森へと逃げ込んで行く。
思惑通りのナルトの退路に、ミズキは零れる笑みを抑え切れない。
泣き叫び、必死で逃げ惑う弱者を狩ることが、これほどまでに血を滾らせるとは。


「なぶり殺してやる!」


木々の枝を飛び交っていくナルトの着地点を目掛けて、クナイを飛ばす。
狙われた着地点に空中のナルトは身動きすらとれず、狙い通りに足を打ちぬかれた。
駆け抜けた激痛も、それより大きな殺気の前では悲鳴すらにならない。


「おいおい、巻物は汚さないでくれよ」


汚いテメェの血なんかで汚れたら、堪ったもんじゃねぇよ。


「………くぅ…っ!」


嬲られ続ける心と体。
吹き抜ける風が生暖かく、汗と共に張り付いて感覚を鈍らせていく。
それでも逃げなくては。
幾ら馬鹿にされても、蹴り飛ばされても、今は逃げなくては。


ナルトは覚悟を決めると、口に広がる血の味を飲み込んで不敵に笑んで見せた。



「……自分の尻拭いも出来ないようなアンタは、カスだってばよ」
「あぁっ!?」



思いもよらないナルトの挑発に、こめかみに青筋を立てて声を荒げたミズキ。
それをチャンスと睨んで、ナルトは自分の息が整うまで言葉を紡ぎ続けた。


「おれを出汁にしなきゃ盗めない代物に手を出すなんて、アンタはおれ以上の馬鹿だって言いたいんだよ」
「……このクソガキ…ッ、言わせておけば……っ!」
「封印の書を盗まなきゃ何も出来ないお前は、おれ以下のカスだっ!!」


誰がお前みたいなクソ野郎にやられるか!!


逆上したミズキの隙を突いて、整った心肺に再び酸素を送り込む。
甲に命中したクナイを抜き、血の流れたままの足の神経を無視してまた一目散に逃げ出した。


「ま、待ちやがれ!!」


ナルトに遅れをとったミズキは、太もものホルスターから数枚の手裏剣をその手に掴む。
狙うは先を掛ける少年の首という首。
まずは足首を切り裂いて動きを止めようと、狙いを定めた。



その瞬間。


「――――っ!?」


空間が、鳴いた。


条件反射のようにミズキは瞬発力を活かして張り出してあった太い枝に飛び移る。
ミズキの目に映ったのは、空気を裂き、闇を裂いて数十本のクナイが彼の立っていた場所を針山のようにした光景。
瞬きの瞬間さえ遅れをとっていれば、鮮血を噴出し血に伏せっていたであろう自身を想像して唇を歪めるミズキだった。


「……よくこの場所がわかったなぁ……」


動揺を悟られないように、殺気を迸らせて振り返ったミズキの視線の先には。


「……イルカぁ」
「気安く呼ぶな、馬鹿野郎」


昼間の顔なじみである同僚のイルカが、音もなく立っていた。
ミズキの殺気を平然と受け流すその姿は優男だが、しかし静まり返る森の中で怒気を含ませその表情を一変させている。


「……全てお前の策略だったんだな」
「はっ、いきなり来て何の事だよ?」
「とぼけるな!!」


イルカの怒声に呼応して木々が震えた。


「お前がナルトの奴を利用して、封印の書を持ち出した事は承知済みだ」
「……テメェ、何を根拠に……」
「火影様には全てお見通しだ。そんな事も忘れたのか、大馬鹿野郎」
「ちぃ…っ!例の水晶玉か……」


里の首領には、全て見透かされていたという状況にミズキは思わず歯を食い縛る。
忠誠を誓ったはずの里を裏切ってまで手に入れたかった封印の書。
それが最初から火影の手の平で踊らされていただけだとすれば、進路も退路も絶たれた絶望的な状況。

ミズキの思考が、目まぐるしく状況を判断し、最善の打開策を見極めようとする。


「……くっくっく」


時間稼ぎに零す嘲笑。
それを警戒して踏み込んでこないイルカに、ミズキは活路を見出した。
一つ大きく深呼吸をして、まるで純粋な聖職者のような眼差しでイルカの瞳を見つめる。


「……イルカ先生、よく考えてくださいよ」
「!?」


表情だけではなく声色さえ変わったミズキの様子に、イルカは思わず身構えた。


「あの巻物を使えば、何だって思いのままなんですよ?」
「………お前は、忍として最低だな」


忍は何も知らず、何も望まず、結果を齎すためだけの手足になればいい。
いや、手足でなければならない。
欲望や衝動に身を任せ、己の野望に突っ走ってしまえばその時点で。


「お前は忍じゃない」


イルカの言葉に、ミズキは口篭った。
しかし言葉を途切れさせないのはイルカの隙を伺う為で、何も自らを擁護するわけではない。
隙さえ出来れば。
そう思うミズキの心が、彼のその口振りを早いものにさせた。


「………何故テメェはいつもあの化け狐を庇う?」
「……黙れ……っ!」


ほんの僅かだが、イルカの表情に焦りが浮かんだ。
それを見逃すほどミズキも馬鹿ではない。
身近にあるナルトの気配を察知して、わざと大きな声を張り上げて叫んだ。



「―――12年前、テメェの両親を殺した化け狐であるナルトを、どうしてテメェは庇うっ!?」
「やめろっ!!それ以上は言うな!!」
「テメェも本当はナルトの事が憎いんだろうっ!?」



里を壊滅させて、4代目火影を殺して。
お前から全てを奪ったあの化け狐が憎くてしょうがないのに。



「いつまでも偽善者面してんじゃねぇよ!!イルカぁあ!!」
「黙れぇええええええっ!!」



感情を爆発させたイルカに、絶対的な隙が出来た。
普段温厚で冷静なイルカでは有得ないほどの大きな隙。
それはイルカ自身も気付いていたであろう、ナルトの小さな気配。
自分のプライドよりも、ナルトの心を護りたい一心で躊躇う事無く忍具をミズキに放つ。



「ナルトぉ!!聞こえてるかぁッ!?」



お前は化け狐なんかじゃない。
お前はおれの、おれの生徒だろ?
……少なくても、お前はおれを先生と認めていてくれたはずだろう?



「おれはお前を護るから……っ!だからおれを信じろっ!!」



幾らドベでも、問題児でも、それでもおれにとっては……



「お前は可愛いおれの生徒だから……っ!!」



必死に戦う最中、茂みの陰に隠れる少年にそう語りかける。
大声を上げて飛び回るイルカを、心底嫌そうに目で追うミズキ。
イルカの足止めを掛けようと、忍術の発動のために印を結び始めた。
その気配をすぐさま察知したイルカは、懐から起爆札を括りつけたクナイを取り出す。


「……マズイ…っ!?」


指から離そうとする瞬間、ミズキを中心に感じ取られた火気にクナイを留める。
恐らくミズキが編み出そうとした術は火遁の術。
そこにみすみす起爆札を投げ付けては、更なる暴発を引き起こしてしまうところだった。

しかし身を引いたその途端、背後に気配を感じた。


「……テメェはいつもいつも押しが足りねぇんだよ」
「くっ……ぐあっ!」


ミズキだと認識した時には既に時遅く、イルカはミズキの手にしたクナイによって背中を深々と抉られていた。


「イルカ先生っ!?」
「よぉ、そこにいたのか。化け狐くん」
「う、ウルセーってば!イルカ先生から離れろっ!!」


深手を負ったイルカに思わず、隠れていた茂みから身を乗り出していたナルト。
ミズキの邪悪な目付きに見据えられて、自分の軽率な行動に息を飲んだが、こうなってしまえばもう後退りはしない。



(イ、イルカ先生を護んなきゃ……っ!!)


でも、おれには何の力もない。
おれには誰も助けられない……
護られてばかりのおれ……


「………っ」


ふと、背中の巻物が存在感を示すかのように重みを増した気がした。


(そうだ……)


おれが化け狐なら……
里を壊滅させたほどの化け狐なら……


(化け狐の力で……)


封印の書に手を回すナルトの頭に、イルカの声が木霊する。


(…お前は化け狐なんかじゃない…)


戦場には相応しくないあの人の声も聞こえた気がした。


(……君が何者だって構わない……)


こんなおれを愛してくれると言ってくれた人。
イルカ先生や、の為にも、おれはミズキ先生を倒さなきゃいけない。

それでも。

化け狐の力は使っちゃいけないんだ。
おれは化け狐じゃなくて、うずまきナルトだから。
おれを認めてくれた人達の為にも。

おれ自身の力で、アイツを倒さなきゃ――――!!


「うおおおおおおおおおおぉッ!!!」


全身全霊、がむしゃらに腹に力を篭めてチャクラを引き出す。
歯を食い縛って、何度も訓練した術の公式を編み上げる。


失敗は許されない。
アカデミーの卒業試験ではない、これは生死を賭けた実践だから。


印を組んで発動しようとしたその瞬間。
ナルトの背後に一人の忍が降り立った。


「……えっ!?」
「……君に力を貸してあげよう」


耳に届いたくぐもった妙音の後に続き、声に操られるようにして印を幾重にも結ばされるナルト。
そして発動された術は………


「「影分身っ!?」」


何重にも現れた多重のナルトの分身たちが、夜半の森を埋め尽くしていた。









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