◆岡本太郎
[経歴]
◆1959(昭和34年)48歳
長野県戸倉にモニュメント《動物》を制作、彫刻にも本格的に取り組み始める
◆1962(昭和37年)51歳
二科会を脱会
『忘れられた日本─沖縄文化論』を刊行、毎日出版文化賞を受ける
川崎市の多摩川河畔に岡本かの子文学碑《誇り》を制作
◆1964(昭和39年)53歳
西武池袋店「岡本太郎展」、個展の個を取る
東京オリンピック参加記念メダルを制作
国立代々木競技場に陶板レリーフとモザイクによる壁画を制作
◆1967(昭和42年)56歳
日本万国博のテーマ館プロデューサーに就任
◆1968(昭和43年)57歳
東京山王の「マミ会館」の設計・建築をてがける
◆1970(昭和45年)59歳
日本万国博覧会シンボルゾーンに《太陽の塔》完成、テーマ館館長を務める
◆1972(昭和47年)61歳
ミュンヘンオリンピックの公式記念メダルを制作
翌年全長56mの飛行船に絵を描く
◆1975(昭和50年)64歳
パリ大学民族学教授ジャン・ルーシュの撮影による「岡本太郎━マルセル・モースの肖像」に出演
パリ国際センター大劇場に4面のレリーフ壁画を制作
◆1976(昭和51年)65歳
東京日本橋高島屋にて「TARO展・挑み・燃え・ひらく岡本太郎」展開催
パリ市立ガリエラ美術館で「TARO OKAMOTO RETROSPECTIVE」のタイトルで展覧会開催
◆1979(昭和54年)68歳
西宮市大谷記念美術館にて「現代の神話━岡本太郎の世界」展が開催される
『岡本太郎著作集』が刊行される
パリ・ユネスコ本部に於ける「芸術とインダストリー」国際会議に参加
◆1980(昭和55年)69歳
東京・新宿小田急グランドギャラリーで「挑む─岡本太郎展」開催し、1時間の公開制作で絵画文字《挑む》制作
◆1981(昭和56年)70歳
山梨県立美術館にて「岡本太郎」展が開催される
テレビCMでの「芸術は爆発だ」が流行語となる
◆1985(昭和60年)74歳
イギリス・オックスフォード近代美術館「日本の前衛美術」展に《森の掟》《重工業》出品
青山・こどもの城に《こどもの樹》を制作
筑波科学博にモニュメント《未来を視る》制作
◆1986(昭和61年)75歳
ポンピドゥー・センター「前衛の日本─1960-1986」展に《傷ましき腕》《憂愁》《森の掟》を出品
フランス芸術文化勲章(GRADE DOFFICIER DANS I'ORDRE ARTS DES LETTERS)を受ける
「岡本太郎の世界」展を名鉄百貨店で開く
◆1987(昭和62年)76歳
さよなら国鉄・新生JRの記念メダル《出発》を制作
NHKドラマ「バラ色の人生」に俳優としてレギュラー出演
◆1988(昭和63年)77歳
岐阜未来博シンボルモニュメント《未来を拓く》制作
◆1991(平成3年)80歳
川崎市市民ミュージアムにて「川崎市が生んだ鬼才━岡本太郎」展開催
12月川崎市に主要作品を寄贈
十二指腸潰瘍で慶應病院に入院
宮城県美術館開館10周年記念展「昭和の絵画」に《憂愁》《傷ましき腕》《森の掟》を出品
◆1993(平成5年)82歳
川崎市名誉市民となる
川崎市市民ミュージアムにて「TATO万華鏡」展開催
◆1996(平成8年)83歳
1月7日、急性心不全により死去(享年84歳)
2月26日青山の草月会館でお別れの会として「岡本太郎と語る広場」が開催
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