| 堀越城 |
| 読 み | ほりこしじょう | ![]() 城址入口 |
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| 別 名 | 不明 | ||
| 所在地 | 青森県弘前市大字堀越 | ||
| 築 城 | 建武4年(1337)、曾我貞光? | ||
| 城 主 | 津軽為信 | ||
| 遺 構 | 郭、土塁、水堀、虎口跡 | ||
| 概 要 | 平川と大和沢川の合流点の南西約500mに位置する。 本丸、二の丸、三の丸から構成され、本丸の周囲は2m程の土塁と水堀に囲まれており、内部には熊野宮が建っている。 また、本丸西側に虎口跡が残っているそうで、現在北側にある出入り口は後世に造られたもののようだ。 本丸を囲むように二の丸が存在し、その外側に三の丸があるが、現在二の丸と三の丸の一部を国道7号線が通っている。 また、二の丸や三の丸は住宅地となっている。 堀越城は津軽為信の津軽統一の戦いで重要拠点として使用された。 その後、豊臣秀吉による所領安堵後を受けてからは居城を大浦城から堀越城へと写し、慶長16年(1611)の弘前城築城まで津軽氏の居城として機能した。 近世大名の居城としては小規模で、家中の反乱時にもたやすく落城したことも考えれば居城として適していたとはいえないのかもしれない。 |
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| 攻城記 解 説 |
所用で弘前を訪れた。 用事も終わり、アフター5を利用して堀越城へ向かった。 土地勘も時間もないときはタクシーを使うのが便利だ。 ただし、お金もなくなってしまうのが難点だが・・・。 国道7号線から信号交差点を曲がり、神社の鳥居の下を通って未舗装道路を進む。 正面には土塁に囲まれた本丸が見えてきた。 タクシーは土塁の開口部から本丸内へ入り、停車。 そのまま10分ほど待ってもらい、急いで城内を散策する。 本丸内には遊具が置かれ、熊野宮と集会所風の建物があった。 資料によると保育所があるということだが、これがそうなのだろうか。 今入ってきた土塁の開口部が虎口跡なのだろう、と思ったのだがこれは虎口跡ではないようで、後世に造られたものらしい。 「青森県の中世城館」によると、本丸の西側に虎口跡があるということだ。 正面入口以外にも土塁が口を開けた部分を見ることは見たのだが、さほど気にもとめなかったのではっきりと覚えていないのが悔やまれる(正面入口よりは西側だった気もするのだが)。 本丸内は2m程の土塁に囲まれ、木が鬱蒼と茂っており、明るいとはいえない状態だ。 夕方なので撮影するのは少々つらい。。 本丸周囲は水堀によって囲まれている。 水深はそれほど深くないようだ。 水底の植物などもはっきりと見える。 かつての根城本丸の堀を思い出させる。 本丸周囲は二の丸、三の丸となっている。 二の丸と思われる場所には郭の地形の名残だろうか、明らかに画一的に加工されたと思われる地形がはっきりと残っており、中には土塁の名残のように見える土盛りもあった(この土盛りの正体は不明)。 この日は夕方でまもなく暗くなる時間帯、そしてタクシーを待たせていたこともあり短時間の見学で我慢せざるを得なかった。 帰宅後、「青森県の中世城館」や「戦国の城 下」を調べてみた。 本によっては大鳥居をくぐった部分を三の丸としているものもあれば二の丸としているものもある。 どちらが正しいのかは判断しづらいが、大鳥居のある付近は二の丸ではないか?と思うのだが・・・。 |
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| 参 考 | 青森県の中世城館(青森県教育委員会) ・津軽諸城の研究(沼館愛三、伊吉書院) ・日本城郭大系2(新人物往来社) ・説明板 ・戦国の城 下(学研) ・名城を歩く6弘前城(PHP研究所) |
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![]() 二の丸の土盛り |
![]() 二の丸の段差 |
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![]() 本丸虎口跡? |
![]() 現在の本丸入口(かつての虎口ではない) |
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![]() 本丸 |
![]() 本丸水堀 |
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![]() 本丸内 |
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![]() 城址石碑 |
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