阿津賀志山防塁


読  み あつかしやまぼうるい
防塁終点部
別  名 不明
所在地 福島県伊達郡国見町厚樫山、原町
築  城 不明
城  主 藤原国衡
遺  構 堀、土塁
概  要 奥州藤原氏が源頼朝の軍勢を迎え撃つために設けた城柵で、我が国ではこのような形式の城郭は珍しいと言われているがこの時代には必ずしも珍しかったわけではなかったようで、街道を遮断するように柵や堀、土塁を設けるというのはよく行われたようだ。

実際、戦国時代に入ってからもこうした野戦築城は行われていたようだ。

阿津賀志山防塁の遺構は厚樫山中腹から阿武隈川近くの原町付近まで約3Kmにわたって分断されながら続いている。

阿津賀志山防塁の大将は藤原国衡で、鎌倉の軍勢は当初防塁を攻めあぐねていたが山中を迂回して急襲したため不意をつかれた奥州藤原氏側は敗走、藤原国衡は討ち取られた。
攻城記
解  説
(平成12年?訪問)

阿津賀志山防塁を訪ねることは10年来の夢だった。

しばらくの間、研修のため仙台に滞在することになったので研修最後の土日を利用して阿津賀志山防塁を訪ねることにした。

風邪を引いて寝込んだばっかりの病み上がりだがこれを逃すといつ行けるのかわからなくなる。

多少無理はしてでも行かなくてはならない。

もっとも熱は下がり、のどが痛いだけだ。

列車は左手に船岡城を眺めながら一路国見町を目指す。

やがて白石駅に停車、ちらりと白石城の復元した櫓が見える。

白石を出ると程なく国見町の藤田駅だ。

藤田駅前でタクシーを探す。

しかしタクシーの姿は一台も見えず、バス停もなかった。

少し歩けば大きな通りがあるだろうと10分ほど歩いてみる。

空は明るい曇り空。

冬としては暖かい方だ。

前方に信号機交差点が見えてきた。

どうやらここがメインストリートのようだ。

近くにあった公衆電話からタクシーを呼ぶことにする。

だが、何度電話をかけてもタクシー会社へはつながらなかった。

どうやら古い電話帳をそのまま置いていたようだ。

たまに通るタクシーは満車か乗車拒否のどちらか。

なんということだ・・・。

1時間後、ようやくタクシーを拾うことができた。

幸いなことに運転手さんは防塁の所在地に詳しく、全部で4カ所の防塁遺構を回ってもらった。

最初に向かったのは厚樫山中腹の防塁の始点だった。

登山道脇に「防塁始点」の看板が建っていたが、その脇の急斜面を降りて行くと木立の間に二重の空堀と土塁があった。

先ほどから雨の中タクシー待ちをしていたためか、少し具合が悪くなってきた。

先行き不安だ。

ぬかるみに足を滑らせ、水たまりにはまりながら林の中を散策。

運転手さんが「道路脇にはっきり残ってるところがあるんだよなあ」というのでそこへ移動してもらう。

急斜面を這うように堀と土塁が作られている。

よくぞここまで作ったものだと感心する。

厚樫山を後にして平地の遺構を見に行く。

そこは道路によって小さく分断された遺構で、規模はあまり大きくない。

それでも要所要所には案内板が建てられているようだ。

とりあえず防塁遺構を3ヶ所回ったがいずれもよく写真で見る遺構とは違うものばかりだ。

「福島県の歴史散歩」の写真と地図を運転手さんに見てもらって場所を特定し、防塁の終端部分と思われる場所に向かった。

タクシーをおりて辺りを散策するもののそれらしい遺構は確認できない。

運転手さんが「あっちの奥の方によく残ってるみたいだよ」と指さすのでそちらへと行ってみる。

先ほどからひどくなった頭痛もこのときばかりは薄れたような気がする。

転びそうになりながら奥まで行くと、写真のとおりの大きな堀と土塁はっきりと残っていた。

最初に見た山腹の始点部分の土塁とは幅も高さも違う。

数百年の風化・堆積の影響もあるのだろうが、ここの土塁・堀の規模は桁違いだ。

急斜面と平地とでは作り方が違うのだろう。

分断されているとはいえ、延々と続く土塁と堀。

ここに陣取って鎌倉の軍勢を迎え撃った奥州武者へ思いを馳せ、しばし雨も体調不良も忘れてしまった。

再びタクシーに乗って藤田駅へ向かい、駅の待合室でストーブにあたる。

石油ストーブの柔らかい暖かさが心地よかった。

しばらくストーブにあたって休んだがそれでも体調は戻らない。

結局この後予定していた白石城訪問は中止して仙台に帰ることにした。
参  考

防塁始点の看板

防塁始点

中腹の防塁

平野部

平野部

終点部


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