| 若林城 |
| 読 み | わかばやしじょう | ![]() 城址石碑、説明板 |
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| 別 名 | 不明 | ||
| 所在地 | 宮城県仙台市若林区古城2丁目 | ||
| 築 城 | 寛永五年(1628)、伊達政宗による。 | ||
| 城 主 | 伊達政宗 | ||
| 遺 構 | 郭、堀、土塁 | ||
| 概 要 | 若林城は、広瀬川の東約1Km地点の平地に立地している。 もともとは国分氏の城があった場所に伊達政宗が寛永四年(1627)に築城を開始し翌年に完成、伊達政宗の隠居所とされた。 城の形式は方形単郭の平城で、周囲に土塁を巡らし堀で囲んだだけのシンプルなものであったが要所に屈折部(横矢掛)を設けるなどして防御を強化していた。 伊達政宗の隠居所として築城された若林城は政宗の死によってその存在意義を失い、寛永13年(1636)に廃城となり、建物は仙台城二の丸に移築された。 明治12年(1879)、若林城址に西南戦争の国事犯を収容するために宮城集治監が建てられ、現在も宮城刑務所として利用されている。 また、内部には伊達政宗が朝鮮の役から持ち帰ったとされる臥竜梅が残っている。 |
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| 攻城記 解 説 |
日辺館、沖野館を訪問した後に若林城へ向かった。 自衛隊霞目駐屯地〜国道4号バイパスと西へしばらく進んでいくとクランク状の道へと出た。 少し進むと宮城刑務所が見えてきた。 赤い塀が建っているが、塀の基部はかつての土塁らしい。 明治以降刑務所として使われてきたためか、城域がほぼそのまま良好な状態で残っているようだ。 どうせなら内部も見学したいのだがさすがにそれは無理だろう。 東側の門跡は土塁が切れており、塀もV字形にへこんでいる。 道路から門跡へは土橋の名残らしきも盛り上がりがあった。 金網沿いに北へと向かう。 北側には所内で作った様々な品を販売する店やバス停がある。 北側の門前には「若林城跡」と書いた石碑と説明板があった。 以前来たときはなかったはずだ。 石碑と説明板があるのは便利だ。 かつての大手口だという西側の門を見たかったのだが時間の関係上見ることはできなかった。 過去の訪問記 仙台で研修中、遠見塚古墳を訪れたついでに若林城まで足を伸ばした。 仙台駅から遠見塚まではバスで、遠見塚から若林城までは徒歩で移動した。 遠見塚古墳からから若林城へは西へ約850m。 城址は宮城刑務所となっており、城域は周囲から堀で隔たれかつ高くなっており、土塁上には高い塀が建てられているので探しやすい。 夕飯の支度だろうか、焼き魚の匂い漂う住宅地の路地をふらふらと歩いているうちに宮城刑務所の高い塀を見つけることができた。 帰りのバスの時間を確認した後、城址の東側(横)から北側(正面)にかけて散策する。 方形単郭の城と侮っていたがなかなか大きい。 バスの便数はあまり多くない。 一周するには少々時間が足りないようだ。 東南〜北側にかけて見る限りでは遺構はよく残っているようだ。 南側の一部が欠けた変則的な郭の形、堀や土塁。 内部の様子をうかがい知ることはできないのは残念だ。 せっかく来たのだから一枚くらい写真を撮りたい。 だが、刑務所の前で写真を撮るのはなかなか勇気がいる。 正面向かいのガソリンスタンドでは白バイが給油中だった。 せめて史跡説明板でも建っていれば写真が撮りやすいのだが・・・。 帰り際、東側のバス停から金網越しに遠慮がちにようやく一枚撮ったのだがよくわからない写真になってしまった。 |
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| 参 考 | ・日本城郭大系3(新人物往来社) | ||
![]() 若林城南東側 |
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![]() 東側虎口 |
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