南光院  縁起


 ( 善貞地蔵尊 )
 元来、この寺は藍田村の総鎮守とし
「高見の毘沙門堂」と呼ばれ、五穀
豊穣・福寿増長を祈念しておりまし
た。江戸の中期、安永年間(1770年
頃)の石灯篭も残されています。
藍田村の北側、小高い高見山の南面に
建立された当院は、南に広がる藍田に
恵みを与えるべく、「南光院」と号さ
れました。
明治へと時代は移り、廃仏毀釈の風潮
に圧されて御堂は無住となりました
が、地域の民衆の信仰に支えられ、わ
ずかに法灯が伝えられ、その御本尊、
毘沙門天王との法縁を深くした、善貞
尼により中興されました。
 山号を「高見山」と号します。

  中興善貞尼は明治の御世、熊本県球
磨郡湯前町二本柿に生をうけ、その後
結婚。多くの子宝にも恵まれます。し
かし、戦火を被り夫と死別夫し、遂に
は全ての子ども達にも先立たれてしま
います。その悲しみの中で善貞尼は、
死別した者達への供養と、その因縁の
深さに自ら出家仏門に入り、以後は衆
生の救済に尽力することを誓いまし
た。その誓いのもと、真言宗の総本山
高野山に登り、高野山別格本山総持院
の住職であった長岡秀善大僧正の下で
出家得度し、お大師さまの弟子として
密門に身を投じました。
 護持していた藍田毘沙門堂の法灯を
護るべく当院を中興し、檀信徒の教化
救済に励みました。
 檀信徒と共に、弘法大師信仰を身を
以って示した人生でありました。今な
お、その善貞尼の想い、そして先師尊
霊の想いはこの地に生き続けていま
す。

( 本 堂 )




御本尊




( 本 堂 内 )
 当院の本尊は上記の通り「毘沙門天
王」様です。
 毘沙門天は別名を多聞天とも呼ば
れ、七福神の中にも数えられている通
り、日本でも一般的に知られている仏
様です。元々はインドにあって、北方
を守護し、またヒマラヤの北方に住む
人々の護り神として崇められていまし
た。
 その神が仏教の中に招き入れられ、
仏法を外敵から護る四天王の一人とし
て北方の守護とされました。

 日本でも古くより信仰を集め、聖徳
太子が仏教の存亡をかけて物部氏との
戦をするに当たり、毘沙門天像を自ら
刻んで必勝を祈願したことは有名で、
また上杉謙信もその旗印に「毘」を用
いたことも有名です。
 以降、戦勝の仏、五穀豊穣の仏、心
願成就の仏として祀られています。ま
た金銭財宝を与える仏としても崇めら
れています。

 毘沙門天王 御真言
   おんべいしらまんだやそわか
 弘法大師   御宝号
   南無大師遍照金剛


 当院の毘沙門天王は、経軌とは異な
り左右の所持品が一般の毘沙門天王像
とは逆です。
具体的には当院の毘沙門天王は、右手
に宝塔を捧げ持ち、左手に宝棒を所持
しておられます。
法塔の中には如意宝珠が光を放ち、八
万四千の法門が具わり福徳荘厳である
とされます。また、法棒の首にも如意
宝珠があって、邪を破し正を顕わすと
されています。  

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