マウンテンバイク日本一周モバイルの旅 1月号

12月 日本一周 2月

☆旅日記は下から順にお読み下さい。上に行くほど新しくなります。☆

☆☆☆☆☆  1月のデータ  ☆☆☆☆☆
【 島根県仁摩町 〜 鹿児島県霧島町 】
【 走行日 】 22日  【 走行0日 】 2日
【 走行距離 】 916.3Km  【 平均 】 41.7Km/日
【 走行都道府県 】 島根・山口・福岡・大分・熊本・宮崎・鹿児島
【 宿泊 】 テント12泊  YH6泊  ロッジ・ケビン2泊  人の家1泊  その他3泊
【 掲載雑誌 】 2誌  「BE−PAL」(小学館)2月号  「Outdoor」(山と渓谷社)2月号
【 登山 】 扇ヶ鼻岳(九重連山)  久住山(前同)  韓国岳(霧島連山)
【 読破本 】 2冊 @「わしらは怪しい探検隊」椎名誠著(角川文庫)
A「青春を山に賭けて」植村直己著(文春分庫)
【 連続入浴日数 】 9日間  1/17〜25日  新記録!
※データには、岐阜帰省時は一部含んでおりません。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

☆1/31(月)  128日  快晴  走行17.90Km  計6,472.2Km  宮崎県Eえびの市〜鹿児島県@霧島町・霧島神宮YH
  『日本百名山・韓国岳挑戦の巻』えびの高原(1,200m)から、標高1,700mの韓国岳(からくにだけ)に登る。澄み渡る空、絶好の登山日和だ!登山道は丸太の階段で整備されているが、僕は天然の山肌の方が好きだし膝へのプレッシャーも少ないと思う。霧氷が素晴らしい。6号目で雲と同じ高さになった。
  12:15、山頂到着!今日はまたっくガス無く四方見渡せる。これぞ登山の醍醐味!山本寛斎風に言わせると、スタンディング「ブラボォ〜!」だ。
  「あぁ海だ…。俺が見たかった海だ…。」南にうっすらと太陽に輝く鹿児島湾が見えた。九州で海を見るのは上陸日以来である。九州東側のゴールを思いもよらず、いち早く望むことが出来たのだ。僕は九州で越えてきた幾つかの山・峠を映画の総集編のように思い出していた。
  下山後、霧島神宮に寄った。ここは坂本竜馬とお竜が“日本初”の新婚旅行で訪れた場所だ。そう、竜馬は霧島へハネムーンで訪れたのだ。明日はいよいよ竜馬とお竜が大笑いした“天狗面”の「天の逆鉾」のある高千穂峰(1,574m)へ登る。
  そうそう、えびので鹿を見た。北海道みたいでしょ。今度は霧島神宮にMTBで移動中に「子連れ猪」を見た。イノシシ年の僕を見ていたが「おぉぅ猪だー!」と叫んでしまったら、猪突猛進で逃げて行ってしまった。残念。
  
≪霧氷と韓国岳≫  ≪韓国岳山頂≫  ≪山頂より大浪池≫  ≪霧島神宮≫

☆1/30(日)  127日  雨のち晴のち霧  走行26.03Km  計6,454.3Km  〜宮崎県Dえびの市・えびの高原キャンプ村
  「ガォー!!」唐突に喜びのお雄叫。これは昨夜の掲示板・メールの応援メッセージを読んだ後の感情だ。
  現在僕の旅は、ちょうど(山越え中心で)楽しい所ではあるが、体力的にはキツイ、マイッテいるところだ。そんな時は、掲示板・メールのチェックの回数は増えちゃうし、皆からのメッセージへの期待も僕の中で大きくなる。いつも僕は皆に励まされ頑張ってこれているのだ。僕の日記を見て「POWERをもらってる。」ととてもうれしいメッセージをくれる人達がいる。そうかもしれない、だけど「僕もあなた達からPOWERをもらっているのです。」と皆に感謝したい。
  「モバイルを搭載(活用)すれば、一人旅も“孤独では無い”。」と、僕は週刊アスキー再登場時や、新聞の取材で常々述べている。まさにモバイル・コミュニケーション!僕は頑張ってやれるのだ!これからも応援よろしく!
  さて、九州東側最後の難関はまだ残っていた。県道1号「えびのスカイライン」――この道で小林市(200m)から標高1,200mのえびの高原を目指すのだ。1日で1,00mも高度をあげるのは初めてだ。小雨の中、9:45に出発。上ることのみ意識を集中、僕は“ここ一番”での集中力はスコイのだ(という設定にしておこう)。13:30、えびの高原着(-1℃)!終わってみれば、休憩は15分の昼食と小休止のみで片付けた。
  高所は寒い!汗が冷え急速に体温を奪う。長者原の反省からケビン(\980)で泊ることにした。キャンプ場の温泉に飛び込むと体も温まり、喜びもジワジワと感じてきた。

☆1/29(土)  126日  晴  走行29.62Km  計6,428.3Km  総計7,004.7Km  〜宮崎県C小林市・井の山公園【テント】
  朝日は暖かく、小鳥はさえずり清々しく目が覚めた。テント内−3℃であったが、底冷えしなかったので寒くない。昨夜21:30に寝たため充分な睡眠をしたので、左足の痛みも引いた。
  しかし、テント撤収で体を動かそうとしたら俊敏に体が動かない。「まぁ仕方ないか。」と11:15の遅めの出発。小林市までの小さな上り坂でも体が重い。「どうも本格的に体が疲れてるなぁ。」今日、えびの高原に行きたいのだが…。
  体の疲れはこんな場面でも表れた。JR小林駅で休憩中におじさんが「ジュースでもいかがですか?」と言われた。普段であると「もらえるもんは100%もらう星人」だが、「先を急ぐので」と断った。人と接する気力はもう無かった。そのあと売店のおばちゃんとも同様のやりとりがあった。
  14:00、目も飛び散りだした僕はえびのに向け坂を上ろうと思ったが、体がついてこない。「今日はあきらめよう…。」こうなると僕は欲求の塊と化した。頭の中で「眠りたい」「メシ食いたい」「風呂は入りたい」の3つの欲求が、高速四次元グルグル風車の戦いを繰り広げ、「メシ食いたい」が勝利しカラアゲ定食を食べた。
  17:00、温泉にじっくりつかった。よし!あとは寝るだけだ。「寝るぞ寝るぞ寝るゾー!」明日はえびの高原(1,200m)に挑戦したい。

☆1/28(金)  125日  晴  走行56.27Km  計6,398.6Km  〜宮崎県B須木村・すきむらんどキャンプ場【テント】
  うぉーし、ヤッターー!!今日は標高700m級の峠を2つ越えた。久しぶりに、疲れまくった…。
  本当に疲れているので、サッサッと書く。ご勘弁願いたい。まず、西米良村(約300m)から1つめの尾股峠を11:30にアタック開始。「林道と同じやんけ!」というぐらい険しく、山を越えても越えても次から次に山が現れる。少し走っては休憩をとる。でも、「押し」をすると昨日の大河原峠と同じで進歩無しなので、出来る限り漕ぐことにした。13:30、2時間掛かり峠頂上着。
  そこからカーブ連続を下り、14:15須木村田代ヶ八重(310m)に着く。2つめの輝嶺峠(標高770m)挑戦は迷ったが、「この峠を越えれば霧島が待ってる!」というと格好良いが“自分試し”のため、14:30アタック開始した。ここは尾股峠と地理的に非常に似ているし、地図でも道の作り方も近い。先ほどの道をイメージし、腹式呼吸をしてじっくりあせらず登った。今回は3回の小休止しか取らなかった。準備しておいた紅茶と、朝購入した甘い菓子パンを食べたりしたが、ハンドルに肘を付き顔をうなだれてため息のように息を「ブハァッ〜」と大きく吐いたりした。16:00、1時間半で登りきった!
  テント設営もオックウなほど疲れていた。僕は日本一周中に大きな故障は無いが、今、左足膝裏の筋が少し痛い。とても温泉に入りたい…。でも、これでグ〜ンと霧島山(韓国岳・高千穂峰)、えびの高原が近くなったぞ!
  
≪やったぞ!輝嶺峠制覇≫

☆1/27(木)  124日  晴  走行51.16Km  計6,342.4Km  〜宮崎県A西米良村・双子キャンプ場【寝袋】
  今朝は珍しくピーカンに晴れていたので、寝袋をはじめ衣類を天日干しした。今日は山をひとつ越え、50Km先の西米良村なので余裕だろう。山越えルートは「大河内桑木原林道」を選んだ。正午に出発、林道には吊り橋があったり、きのこの種付けを行っていた。さすが、林道だな。
  ところが、「さすが、林道」道が険しい。上っても上っても上っても登りきらない、終わらない。ハンガーノックか疲れかわからんがPOWERも出ない。「辛い、ダメだ…。」後半は「押し」が中心になる。「村の96%が山林」の椎葉をなめてはいけなかったのだ。15:15、林道起点から2時間半も掛かって、ようやく国道388号に出た。喜ぶ暇は無い。まだ20Kmしか進んでいない、残り30Kmもあるぞ。キツイ…。
  とにかく行くしかない!行かねば気温がガクンッと下がる川沿いでのキャンプになっちまう。僕は一目散に走った走った走った。ラッキーなことに椎葉を抜けると(椎葉が山間のため)下り坂であった。下る下る下る。
  なんとか17:00にキャンプ場に着いた。おじさんが「休憩所兼宿泊所」を貸してくれた。「よかばってん小屋」とはグレードが違い、電気が有る、囲炉裏が有る!おー、頑張って良かった〜!
  
≪お疲れのご様子≫  ≪囲炉裏で炭火焼肉≫

☆1/26(水)  123日  雪のち晴  走行63.93Km  計6,291.2Km  〜熊本県E蘇陽町〜宮崎県@五ヶ瀬町〜椎葉村・女神像公園【テント】
  秘境――椎葉村は、そのように言われている。幾つもの山々を越え、下には渓谷を望む。平家の落武者が隠れ住んだ所でもある。僕はそんな地にやってきた。
  午前中は雪が舞い、高森峠を越えたあたりからは気温も−3℃になった。またもや変則ギアが凍った。国道265号で南下し、昼過ぎにおごそかに宮崎県に入った。僕はこのまま山間を走り続け、鹿児島湾に到達する計画にした。
  午後から空は晴れた。気温も3℃ぐらいまで回復した。2.75Kmもある国見トンネルは、SFの“宇宙ステーション”のようだ。そこから発射されるように抜けると、“秘境”椎葉に入った。国道265号は一車線になり、左には切り立った山、左は遥か下にと十根川が流れる。平家落人がこの道を逃げてきたというのもうなずけるなぁ。村人は珍しそうに僕を眺め、小学生達が「こんにちわ」と挨拶してきた。ほのぼのだ。
  こういう秘境に来ると、『竜馬脱藩の道・踏破の旅』での高知県梼原を思い出す。そこは、司馬遼太郎が「日本のチベット」と称した所なのだ。
  20:00、いよいよ雪が降ってきた…。
  
≪高森峠より望む南阿蘇と高森町・白水村≫  ≪平家落人伝説・鶴富屋敷≫

☆1/25(火)  122日  霧(平地は、雨のち晴)  走行37.68Km  計6,227.3Km  熊本県D高森町・YH村田家族館
  さて、今日は阿蘇山をマウンテンバイクでアタック日だ。ルートは阿蘇登山道路坊中線を上り、道路頂上でロープウェイの終着でもある火口西駅へ、車で約30分、約20Km、標高550mから1,260mの道のりを駆け上がる。
  朝、小雨だが昨日よりは、ましである。9:30出発、10:15料金所、気温は4℃。今日も霧は濃くなっていき、30m先も見えなくなった。先がどうなってるか、わかりもせずに上るのは憂鬱だ。
  牧戸峠越えより少し薄着だった。霧と風がある分、体内温度は徐々に奪われていく(0℃)。寒い!11:45、草千里(1,173m)に到着。な〜んにも見えない、“霧千里”だ。ひとまず、レストハウスで昼食を取りながら霧が晴れるのを待つが、キリが無いので出発する。13:15に阿蘇山上駅(1,141m)に到着。ここから1Kmちょっとで頂上の火口西駅だ。が、「ガス発生のため火口西駅へは通行不可」の看板とともに、ゲートが閉められていた。
  「あ〜ぁ、自然にはかなわないな。」と、今日はあっさり引き下がった。なぜなら、寒すぎるのだ!阿蘇登山道路頂上手前まで登った達成感より、今日は辛い思いの方が大きい。火口西駅で厚着をして白水村に下った。
  本日は疲れた。宿に泊ろう。気が付けば、17日から9日連続で風呂に入っている。凄い!「俺の旅ギネス」認定だな、自慢出来ることではないが…。

☆1/24(月)  121日  雨のち雲  走行0Km  熊本県C阿蘇町・いこいの村キャンプ場連泊【寝袋】
  僕は九州上陸時から、阿蘇山を自転車で攻めようと考えていた。今日が、その日になる・・・はずだった。
  8:00、朝食仕度時に管理のおじさん(野口さんと言う)が「おにぎり持っていきんしゃい。」と差し入れをくれた。うぅ、この人はどこまでも良かばってんお人だ(泣)。
  ところが、今日は朝からどしゃ降り。空を見ても、まったく晴れそうにない!この天候じゃ阿蘇山中岳の噴火口は見えん(可能性が高い)。見えんのに標高550mから1,260mまで上るのは悲しいので、明日の予報「曇り・降水確率40%」に賭ける事にした。プレハブ小屋に連泊だ。
  ところがどうだろう、昼過ぎから雨はパタッと止み、一時は晴間も見えたのだ。僕は驚き、小屋を出て思わず空を見上げた。「オイオイ、マジかよ〜…。信じられんばってん…。」…僕は、見なかったことにするばってん。

☆1/23(日)  120日  雨  走行40.52Km  計6,189.6Km  〜熊本県B〜大観峰〜阿蘇町・いこいの村キャンプ場【寝袋】
  明日は阿蘇にマウンテンバイクで駆け登る予定なので、大観峰を経由して阿蘇山の麓に下山する。
  本日の熊本は濃霧注意報が出ており、標高1,000〜830mの大観峰まで当然、ムムムの霧であった。視界も悪く、50m先は見えん。イメージとして旧ロシアの農村みたい。
  やまなみハイウェイから県道45号のミルクロードをまるで「見る・食うをせず!」っちゅうぐらい懸命に、「阿蘇山がシャカの寝姿に見える」という大観峰(だいかんぼう)へシャカリキになって走ったが、霧は益々深く何にも見えなかった。楽しみにしていた分、悲しい。あぁ、お代官様ぁ。…とまあ、くだらない洒落を強引に入れつつレポートするとこうなる。続けすぎると終いには読者も「あっ、そぅ」となってしまうのである。
  下界でも雨は降っていた。小雨の中、キャンプ場でテントサイトを探していると管理のおじさんが「あの小屋でも良かばってん。」ととても良かこと言う。プレハブ小屋は少々というより、かなり汚かったが1畳だけ畳が置いてあるし、風・雨をしのげるのがうれしい。どうも九重・阿蘇の人達とは、うまくやっていけそうな気がする。
  
≪あぁ大観峰…(泣)≫  ≪「良かばってん」の小屋≫

☆1/22(土)  119日  ガス、ところにより濃厚(平地は、晴一時雨)  走行0Km  熊本県A南小国町・阿蘇瀬の本YH連泊
  『日本百名山・久住山登山の巻』昨日の中高年登山者への聞きこみで、僕の服装は「大丈夫!」とお墨付きを頂いていた。考えてみりゃ、僕のサイクリングウェアも冬季・雪の日仕様だもんなぁ。「最低限必要」と言われたスパッツ(エアロビのレッグウォーマーみたいなもん、わかりやすく解説すると、ブルーザー・ブロディがシューズの上に履いていた毛の無いやつみたいなもん)も、1/8に同キャンプ場だった白井さんにもらってる。よし、いざ!
  10:30、久住山(標高1,787m)へはマイナーな「瀬の本登山ルート」を利用した。おそらく、本日僕より先の入山者は3人だ。道は積雪あり、結構狭く急であった。しかし、毎日自転車を漕いでる甲斐があって、腹式呼吸と膝の上げは(最後まで)止まらなかった。まるで機械のようだった(笑)。上がるほどガスが出てきて、平地の景色は見れなくなってしまった…。“霧氷のトンネル”を抜けるのは、胸が踊った。12:30、まず扇が鼻岳(標高1,698m)に到達。風は強く、周囲はガスで視界悪、ちょっくら怖いぞ。人間、頭の上に何も無いと言うのは、とても不安なものだな。
  続いて、久住山への縦走。20分歩くと「牧戸峠登山ルート」と合流した。すると、ゾロゾロと登山者で溢れかえった。すごい人気だ。40人ほどの「中高年登山ツアー」に飲み込まれた。「まずい。登頂の感動がガヤガヤに飲みこまれちまう!」非難小屋で休憩してる間にサッと追い抜いた。
  さあ、頂上へ冬季単独登頂のアタックだ(かなり我ながらカッコ付けてるな)!ガスが濃くなり、20m先は見えないがグングン登った。「サミット(山頂)だ!」野口健さん完全なりきりで、14:00、遂に登頂成功した(かなり仰々しいが)。山頂には2m程の木に「久住山 一,七八七米」と書かれていた(気温−1℃)。
  登山はアウトドアフィールドの王道だろう。長く険しい道のりを歩くことは確かに単調だが、達成したときの喜びは大きい。ゆえに一生涯続けられる趣味なんだと思う。スポーツではマラソンに相当するだろう。低山ハイクで良いので、中高年読者の方にオススメ。山頂の空気は美味しいですゾ!
  
≪霧氷トンネル≫  ≪牧戸峠登山コース≫  ≪“山”しか写ってないが、久住山山頂≫

☆1/21(金)  118日  雪のち晴  走行19.34Km  計6,149.0Km  大分県D九重町〜熊本県@南小国町・阿蘇瀬の本YH
  今日も底冷えで夜に目が覚めてしまった(バンガロー内−5℃)。このバンガローはホント犬小屋のようで、室内に電気は無し、床の板張りは「スキマ有リマス」といった感じ。目が覚めるときは、決まって筋書きの無い夢を見る。
  氷点下の犬小屋を出るとさらに寒く、さすがに犬も庭掛け回らないだろうし、犬じゃない俺はもっとヤダ。だけど、九重のやまなみの景色が俺の旅心を駆り立てる。  さて、今日は「やまなみハイウェイ」の最高所「牧戸峠」標高1,330mを越えたい。長者原(1,080m)から徐々に登りになっていく。雪の登り坂だから、平地のように、ペダルをグイッと踏み込むとスリップしてしまう。決して急がずじっくりじっくり低速ギア(1−1)で回転速度を同じのままペダルを踏むのだ。頼みは筋持久力、そしてリアのマウンテンバイク用のブロックタイヤだ。ブロックタイヤが思うように雪を噛んでくれて助かった。(※ちなみにフロントは走りも考えた、半スリックタイヤを使用)
  14:00、「ヤッター!」牧戸峠に到着。長者原や飯田高原が小さく見える。爽快だ!食堂のおばちゃんが「最悪の(天候の)時期に来たねぇ。」と言われ、僕はニヤリとした。“最悪の事態”を乗り越えてこそ、“最高の瞬間”を味わえるのだ!
  この峠は「日本百名山・久住山」の登山口のひとつだ。僕は、多くいた中高年登山者に話し掛けた。僕は九州上陸時から「久住山登山に挑戦しよう」と考えていたのだ。
  峠の下りでは、阿蘇の姿がはっきりと見えた。
  
≪牧戸峠≫

☆1/20(木)  117日  雪  走行40.13Km  計6,129.7Km  〜大分県C九重町・泉水キャンプ場
  8:00起床、9:00に着替えを済ませ外に出ると寒くてたまらん(0℃)!あらためて着替え直し、下から厚手の靴下2枚、スパッツ短&長2枚に化繊インナーにフリースズボン、上はTシャツに化繊インナー2枚にフリースジャケット、フリース耳あてを首に巻き、赤信号帽子。これにゴアテックスの上下にシューズ、手袋を着用。まるで登山だ。
  「やまなみハイウェイ」は雪景色であった。粉雪のおかげで路面凍結・積雪は思いのほか少なく、水気が無いので衣類への水分浸透がないのは助かった。
  水分峠がお昼時で−2℃、15:00の朝日台では遂に−6℃に達してしまった。九州とは言っても、冬季の山の中をなめてはいかんな。ボトルの飲料は完全に凍り、変則ギアまで凍ってしまった。鼻水は当然垂れっぱなしで、ヒゲは吐く息で少し凍る。服装は調度いい。。
  だけど、標高700mの水分峠から標高1,080の長者原を縦走出来るのは最高に気持ちが良い。雄大な旅を実感する。九重の山々の景色もGood!さすが「やまなみハイウェイ」は人気のコースだ!
  キャンプ場では、管理のおじさんがミニバンガローを貸してくれた。うれしすぎる!ここには露天風呂もある!この雪の中でテントを張っていたら…Oh怖。久しぶりの屋根だ!
  露天風呂では雲がとても近く、月がとてもまぶしいと感じた。
  
≪やまなみハイウェイ≫  ≪朝日台≫  ≪犬小屋のようなミニバンガロー≫

☆1/19(水)  116日  雲のち雪  走行10.99Km  計6,089.6Km  大分県B由布院町・由布院中央児童公園
  旅を急ぐ必要はないだろう。僕は今日の計画を立てるために本屋に向かった。「マップル湯布院」を見ると、美術館が多くある。オルゴールやステンドグラスの美術館には行く気になれない。しかし、『由布院美術館』なるところは、“放浪の旅人”画人・佐藤渓の作品を展示しているとのこと。行くしかないでしょ。僕は旅の始めに水彩絵具を持って来ていていた。描く時間を作れなかったので、自宅に送り返してしまったが…。だから、興味深く鑑賞した。
  この後の予定は、やまなみハイウェイを走って、水上峠に戻り、飯田高原、長者原、牧戸峠(標高1,240m)、そして阿蘇瀬の本に入る。今朝、とても寒かった(テント内4.5℃)。16:00頃から雪が降ってきた。路面凍結が心配だ。標高1,584mの湯布岳の山頂は雪化粧である。
  
≪由布院美術館≫

☆1/18(火)  115日  晴  走行45.59Km  計6,078.6Km  〜大分県A由布院町・岳本公園【テント】
  困った、まったくもって困った。由布院はどうやら僕のイメージしていた温泉街とは違うようだ。山の中にあるので、ひっそりとした“湯治”をイメージしていたが、どうも小粋なお店やギャラリーが並ぶ“おしゃれ温泉街”なのだ。近頃、友人知人に「熊ごろう」だとか「仙人」と言われるヒゲ面の僕にはどうも不似合いなのである。
  そして、どうもカップルやら小綺麗な夫婦だらけだ。ますます自転車独り旅の僕は困った。ゆっくりしようと思ったが、どうしよう。ひとまず、僕のイメージに合う露天風呂「下ん湯」に行くことにしよう。
  ・・・現在21:30、「下ん湯」に入ってきた。良い!目の前の金鱗湖の湯気が霧となって立ちこめる。温泉小屋だけが、ほのかに明るく風情がある。丸見えの星はわずかばかりで、明日の天気が良くないことは容易に判断できる。由布院は夜が良かろう。
  
≪水分峠≫

☆1/17(月)  114日  晴  走行64.32Km  計5,989.9Km  〜福岡県B宝珠村〜大分県@日田市〜天瀬町・天ヶ瀬公園【テント】
  玖珠川に沿い天瀬町に入った。ここは天ヶ瀬温泉といって川岸に7つの混浴露天風呂がある。おじちゃん、おばちゃん、おばあちゃんと入る。筋肉が弛緩されとても気持ちいい!
  夕食は、鶏肉ともやしを油たっぷりで炒める。山間の道はPOWER勝負なので、最近は高脂肪・ハイカロリーなメニューにしている。明日はいよいよ標高700mの水分峠を越えて、由布院に行くゾ!
  今日で阪神淡路大震災から丸5年になる。当時、大阪の大学生だった僕は数日の着替えをリュックに詰め、一目散に神戸へ向かった。駅を降り立つと人・人・人でごった返し、トラックはがれきを積んで行きかい、地面は砂だらけ、おしゃれなはずの神戸人はズボンにスニーカー、リュックという格好で神妙な面持ちをして足早に歩く。建物は、古い家屋はペシャンコ、家の前には悲しい内容の手書きの張り紙。ビルやマンションは前や後ろ、右に左に倒れている。僕は「ここは戦場かー!!」と錯覚し震えた。
  東灘区の某小学校でボランティアをした。驚いたのは、被災者の方々が皆「生きる勇気」を持っていて、それどろか「負けてたまるか!!」という気迫に満ち溢れていた。15時間後に救出されたという20歳の青年が「僕は生かされたんです。だから、生きなくちゃ駄目なんです!」と力強く語っていたのを思い出す。震災の教訓は、決して忘れてはいけないのだ。

☆1/16(日)  113日  雲一時雨  走行64.32Km  計5,989.9Km  〜福岡県A添田町〜小石原村・ポ〜ンタの森キャンプ場【テント】
  今日は平尾台から県道28号を下って行橋市に、国道201号で香春町へ、県道52号で英彦山のふもとの添田町を走り、国道500号で山間を走って行者を越えて小石原村に入り、再び201号で南下した。
  道路地図を片手に『マウンテンバイク日本一周モバイルの旅』を読んでいる“読者の鏡”のようなあなた!そう、あなたです!「あれー、たじさんどこ走ってんだ〜??」と東側の海沿いや国東半島の地名をニラメッコしていることでしょう。僕は海沿いではなく、山間を走っているんです。大雑把に説明すると、北九州の中心地・小倉から南に進路を取ってます。小倉から50Kmほど南にあるでしょ、小石原村。僕は今ここでテントを張って、キーボードをたたいているんです。
  山間はいいなぁ。好きだなぁ。農村の雰囲気なんて抜群だなぁ。

☆1/15(土)  112日  晴  走行37.59Km  計5,925.6Km  総計6,502.0Km  山口県E下関市〜福岡県@北九州市・牡鹿鍾乳洞入り口の空き地【テント】
          『九州東側の巻スタート』
  「関門トンネル人道入り口」――この海底トンネルを抜けると九州の旅がスタートする。否応が無しに盛り上がり緊張するのは、僕の旅が“人力”だからであろう。入念に記念撮影をし、入念に柔軟体操を繰り返す(?)。15分で九州に渡ってしまった。
  本州日本海側は、冬のため少々急ぎ足で走ってきた。九州では、山を攻めるつもりだ。当面の目標は「世界一のカルデラ・阿蘇山」だ!
  早速、足慣らしのためにカルスト点在の平尾台・吹上峠(傾斜は緩い)をノンストップで登った。その後、目の前の大平山登山を目指したが、16:00の時点でまだ1.5Km残っていたので、潔く引き返した。
  ※『Outdoor』2月号・・・77ページの旅人の紹介で掲載中。バックの写真は「北海道・カムイワッカ温泉」でのもの。
  
≪人道入り口≫  ≪トンネル内県境≫  ≪大平山登る≫

☆1/14(金)  111日  晴  走行15.38Km  計5,888.0Km  山口県D下関市・下関火の山YH連泊
  YHに紹介していただいた石川鉄工にフロントキャリアの溶接をお願いしに行った。僕のフロントキャリアはフロントサスペンション用の物を使っている。鉄製だ。東北太平洋側を走破中に右のキャリアの一部が早くも破損し、その後、確実に一箇所一箇所と接合部がバキバキに破壊していった。誉めたことではない。現状は、応急処置のガムテープと針金グルグルで「大リーグ養成ギブス三段構え(?)」的な状態であった。
  石川さんは、大仁田厚もビックリの「ガス溶接」という火炎放射器を使ってボーボーと溶接を繰り返した。かくしてギブスを取ったキャリアは、黒コゲの強度UPと相成った。「気を付けて、旅を続けなさい。」のメッセージを残し、代金は無料にしてくれた。
  その後、「ふぐの刺身」をスーパーで購入し、高杉晋作の銅像の立つ日和山公園でご賞味いたしました。『山陰の巻END』
  
≪ただいま溶接中≫  ≪高杉晋作像と著者≫

☆1/13(木)  110日  雨のち雲  走行65.60Km  計5,872.6Km  〜山口県C下関市・下関火の山YH
  本州日本海側走破の夜も北海道一周の夜と同じく、まばゆいばかりの夜景であった。
  ――朝から雨が降っていた。出発のいさご海浜公園から、本州最西の地・下関までは65Km。今夜着いてしまいたい。この霧具合は、もしかすると晴れるかもしれない?!
  昼食は、食パンにチューブタイプのバターをたっぷり塗って油分を摂取。この時点で20Km走り、残り45Km。イケる!やはり午後から雨が上がり、191号から響灘の水平線が丸く見える。キレイだ。日本海側の旅の出来事が思い出される。
  17:30、終に下関火の山YHに到着した。夕食後、テラスで関門橋を眺めていたところ、ペアレントさんが気を利かしてくれて、僕を火の山山頂に車で連れていってくれた。2,380Km、11/9に青森から2ヶ月を要し本州日本海側を駆け抜けた。当初の予定通り、悪天候に悩まされた旅だったが、やっぱり楽しかった。北海道の感想を一言で言えば「広かった」であるが、こちらはまさしく「長かった〜!」これしかないでしょ(笑〉!
  関門海峡を隔てた700mすぐ先には、九州がある。僕の新しい旅がまた始まるのだ。
  
≪下関市IN≫  ≪火の山からの関門橋≫

☆1/12(水)  109日  雨  走行31.87Km  計5,807.0Km  〜山口県B油谷町・いさご海浜公園【テント】
  僕は田舎の個人商店に立ち寄るのが好きだ。そこで購入する食料といえばパン系か乾物。惣菜なんてしゃれたものは置いていない。店主は決まっておばあちゃんなのだ。店内や店先には、なぜだかいすが置いてある。
  「おばあちゃん、ここで食べてくね。」と断っておいて、買ったばかりの菓子パン、チョコ、コーヒーなどをムシャムシャと食べる。すると、これまた決まっておばあやんがもうひとつのいすに腰かけて話し掛けてくる。この時ばかりは、店の中だけ時がゆっくり流れているようだ。
  今日も青海島の手島商店で、82才のおばあちゃんとそんなやり取りがあった。これも一期一会、旅なんだなぁ。

☆1/11(火)  108日  晴  走行49.43Km  計5,775.2Km  〜山口県A長門市・青海島キャンプ場【テント】
  1年半ぶりの萩観光だ。高杉晋作誕生地を訪れ、松下村塾を観光した。長州藩の多くの維新の志士を輩出したこの塾は驚くほど質素なもんである。だからこそ松陰の情熱の息吹を感じることが出来る。
  同敷地内に「吉田松陰歴史館」なる蝋人形での一生を解説した館がある。松陰先生を知らない人もここに行けば偉大さがよくわかる。1年半前この館で、松陰が野山獄在獄1年2ヶ月で492冊を読破したことに驚愕し、僕はさらに読書熱を加熱したのだ。
  今回は館内で小学低学年の女子4人組に遭遇した。ろう人形が怖いので「おじさんの後に着いていく〜!」とかわいらしい事を言うが、20代の青年に「おじさん」とは聞き捨てならんよ。「こらこら、お兄さんでしょ。」と教えてあげても、4人ハモリで「おじさんだよ〜、ヒゲが生えてるもん。」である。とても元気のなので良しとするか。
  
≪松下村塾≫  ≪小学低学年4人組≫

☆1/10(祝)  107日  晴  走行69.96Km  計5,725.7Km  島根県F益田市〜山口県@須佐町〜萩市・小浜キャンプ場(萩城跡指月公園内)【テント】
  大阪で3月頃会おうと予定していた小滝に思いがけず会えて、俺達は朝も寸暇を惜しんで話をした。今唯一、一緒に絡んでいるサンボ部OB会の打合せもした。旅の間は小滝に運営の指揮を取ってもらおう。お互い気合を充満させ、大阪での再会を誓い別れた。
  俺思ったんだけど、「一流の男」ってのは「夢を追い続ける」「愛する女性を幸せにする」この2つの条件をどちらも貫き通せる人だろうな。今の俺には2つ目の条件は出来んな。
  国道191号に路線を変更する。晴れていたので海岸線の景色が楽しませてくれた。トンネルが多いのが残念。成人式に出かける着物姿の新成人を多く見かけた。俺は着物や浴衣姿の女性にめっぽう弱い。
  12:45、ついに本州日本海側最後の県・山口県に突入!いやー、長かったよー。夕方、萩市街地に入った。萩は1年半前に一人旅をしてるからPASSしようと思ったが、いやいやどうして、やはり幕末ファンとしては行きたくなってしまう。明日は萩を観光するぞ!

☆1/9(日)  106日  雲のち雨  走行54.49Km  計5655.8Km  〜島根県E益田市・小滝の親父の単身赴任の家
  大学時代の親友・小滝と再会した。島根県松江市出身の彼は現在大阪で仕事をしていて、昨夜から益田市にいる親父さんの元へ婚約者を紹介しに来ていたのだ。
  彼とはサンボ部時代の相棒で、例えるなら「超獣コンビ」(僕はブロディがいいな)であり、「はぐれ悪魔超人コンビ」(この場合、僕はアシュラマン)なのである。こいつとはとことん夢を語り合った。気合の入った“人間・田嶋直樹”は、このサンボ部時代に形成されたといっても過言ではない。
  彼とはすぐに腹を割った話が出来る。今日もお互いの意見をぶつけ合った。彼の「当面は、愛する女性を幸せにする為に情熱を燃やす。」の言葉を聞いて、「あ〜、やっぱりこいつはやるなぁ」と男樹を感じずに入られなかった。
  
≪小滝と、愛する女性ケイコちゃんと、ジジくさい格好の青年≫

☆1/8(土)  105日  雨のち晴  走行45.37Km  計5601.3Km  〜島根県D浜田市・県立石見海浜公園キャンプ村【テント】
  さあさあ始まったよー!ミレニアムRUN2000!愛車「東奔西走号」と再会、預かって頂いた城福寺YHのホステラーには感謝。ここはお寺だから出発前にお堂で座禅を組ましてもらった。精神集中。
  出発は雨だった。三度、国道9号でJR浅利駅までの道のりを走る。思い出の場所を無事通過。
  14:30、浜田市入り直後に「パンっ!」という大音響でタイヤとチューブが破裂した。側面部がタイヤは長さ5cm、チューブは長さ3.5cm×幅2cmで破れている。初めての経験だ。タイヤ・チューブ共に即交換だが、チューブはスペアが無かったので慎重にリペアをした。なぜか「俺は旅のフィールドに戻ってきたんだなあ。」とうれしかった。
  石見海浜公園はとってもきれいなのに無料!同じくテントを張る車旅行者の坂本さん白井さんとキャンプをした。3人とも旅好きだから、話は盛り上がった。ところが、僕の「明日は晴れますかねぇ。」の一言で、一回りも年齢が上のお二人が口論を始めてしまった。口を挟めなくなった僕は、心の中で河合奈保子の「♪けんかをやめて〜」を15分間むなしく唄った。
  
≪ミレニアムRUNへ吠える≫  ≪バーストしたタイヤとチューブ≫

☆1/7(金)  晴  岐阜の実家〜島根県仁万町・城福寺YH
  今19:45列車の中、あと1時間でJR仁万駅に到着する。朝8:00にJR鵜沼を出発し、ここまで6度の乗り換え10時間以上の乗車だ。とにかく眠い。今年の旅目標は「早寝早起きの実践」。
  実はソリトンさんとは協力体制を結ぼうと考えていたのだ。いわゆるスポンサーだ。CE用のFTPソフトは数少ない。その大半がネット上からダウンロード出来るフリーorシェアウェアソフトだ。ソリトンさんのような企業の市販ソフトは(フリー&シェアウェアに比べ)値が張るが、僕は一人旅だからサポート面での信頼性を重視したかったのだ。要望は聞いていただけそうであったが、時を同じくして九里さんからROMが戻ってきたので今回は見送ることにした。
  「BE−PAL2月号」をいち早く入手した。41ページに“ちょい”と掲載させてもらってる。これが僕にとって初の原稿書きだ。原稿通り「寒さ」「衝撃」に関しては、僕も注意を払ったし、モバイルギアUも頑強に動き続けた。これは事実だ。今回のアクシデントは僕のデータの整理不足といえるだろう。今後も確実にメールアドレス等は増えていく。この部分にも注意していかなくてはならない。
  
≪本年もよろしくお願いいたします・YHにて≫

☆1/6(木)    雲のち雨  岐阜の実家
  よし、九里さんからCD−ROMが送られ、インストール・セッティングも無事完了!気合も充満、準備完了。よしよし、明日の早朝より、普通列車にて島根県仁摩町にずんどこずんどこ戻るぞ。今回は友人に会うのが目的の帰宅ではないから、会えなかった友人達よ、悪く思わんでくれよ。
  日付変わって深夜2:30。ようやく旅を始めてからメール交換をしている人達のアドレスの入力が終わった。1割ほどの人達のアドレスは欠如しているかもしれない(※皆に、「あけましておめでとうございます」というタイトルのメールを送ったが届いてない方、メールください)。明日は朝早くの出発だ。急いで風呂場に向かった。旅の時は60Kgであった体重が、62.5Kgの標準ギリギリになっていた。

☆1/5(水)    晴  岐阜の実家
  FTPソフトに関しては、2つの手段を考えていた。1つは、ソリトンシステムズから新たにCD−ROM購入。2つめは、モバイルギア上のWindowsCEに圧縮解凍ソフトをインストールして、ネット上からソリトン以外のFTPソフトをインストールする。この方法であれば、ROMを使用しなくてもいいし、PCにケーブルでリモート接続してモバギにコピーする手間も無い。今度、旅先でトラブルが発生しても、戻る必要は無い。当然1つ目の手段でも戻らなくてもいいようにするが。
  1つめの手段を、優先的に考えている。それはソリトンシステムズさんに、あるお願いをしているからなのだ。
  ・・・と、考えていると九里さんから日本帰国の連絡あった。早速、自宅に送っていただくようお願いした。明日6日には手元に戻る。ようやく“背骨”が出来あがる。戦場に戻る準備は一気に加速した。いよいよ気合が入る。
  九里さんのようなスケールのデカイ人と話をしていると、俺は「うー」とか「あー」とか、さらに「うぉぉ〜」とか「えぇっ〜」と唸らずにはいられない。面白い、ワクワクする。俺は九里さんと同じく、実際に“自分の足”を動かし、“自分の目”で見てきた事を伝えている。この姿勢はいつまでも続けていきたいものだ。

☆1/4(火)    晴  岐阜の実家
  中学時代の同級と飲みに出掛けた。俺の一時帰宅を喜んでくれて、うれしい限りだ。酒のピッチも進み、その後酔いで少々頭が痛くなった。それほど、気分良く飲んだのだ。今夜、会えなかった友人も「明日なら大丈夫だから、呑もうや。」と言ってくれる。2夜連続は予定していなかったが、好意を受けようと了解した。
  しかし、このままでは俺もぬくぬくしてしまう。せっかくの緊張とやる気のひもが切れちまう。流されちまう。友人の行為はありがたいが、明日の呑みは断ろうと思う。日本一周完成後のほうが、気兼ね無く呑める。友人なら分かってくれるはずだ。そう考えていると、むしょうに気合が入ってくる。

☆1/3(月)    晴  岐阜の実家
  本日は、おじいちゃんおばあちゃんの家に親戚中が集まり、年始の挨拶だ。昨年末は山口県下関で新年を迎える予定をしていたので、こういったホノボノとした時間を送るのは予想していなかった。僕の親戚達はまだインターネットの使用普及率が低いため、僕の旅の様子を「今日知った」といったところであった。親戚中が僕のホームページを毎日見て、そして応援を「掲示板」に書きこんでくれる日が早く来ることを期待しよう。ありがたい激励のお言葉と、とてもありがたい餞別を頂いてしまった。

☆1/2(日)    晴  岐阜の実家
  まだ、ソリトンシステムズのFTPソフト
「Internet Tools for CE BasicTools V3.0」を入手できないでいる。ソリトンさんも30日から連絡しているが、おそらく年末年始の休暇中であろう。連絡が取れていない状態だ。メインイベントの作業が出来ていないのは、なんとも心が晴れない。
  それは例えるなら、さしずめ夕食時に腹が減っているのに、味噌汁や肉じゃがといった副食系、さらにタコわさび、ほっけといった味覚系は食卓に並んでいるのに、白ごはんといった主食系が「まだ、炊けてないのよ。もう少し待ってね。」ってな感じだ。どうも腹いっぱいになれない気分。
  しゃーない、しばらく本でも読もうじゃないか。

☆1/1(土)    晴  岐阜の実家
  元旦だ。2000年だ。めでたい。やっぱり、めでたい。
  年末年始を実家で迎えるのは、どうだろう、5年ぶりくらいかな。なんやかんやで、ママチャリで名古屋のじいちゃんばあちゃんの家に年始に出掛けたり、九州は鹿児島の指宿まで「青春18切符」を普通列車で出掛けたり、四国の山道を歩いていたり(旅の軌跡・参照)して、なんやかんやなのだ。
  初詣なるものにも友人達と久し振りに詣でてみた。“一年の計は元旦にあり”だからな。今年は、まず「日本一周完成!」。まだまだ自然の素晴らしさに感動させてもらうぜ。その後は・・・追い追い述べてゆこう。

 

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この旅日記は、上にいくほど内容は新しくなります。
『走行』・・・1日の走行距離
『計』  ・・・後編開始(9/16〜)してからの走行距離
『総計』・・・日本一周(8/8〜)を開始してからの前後編を含む走行距離
『前編』・・・社会人時代の夏休み(前編8/8〜14)に、岐阜県可児市〜埼玉県大宮市まで(576.4Km)の旅
『後編』・・・旅人となって(笑)、9/16から再開した現在の旅
『@』  ・・・都道府県名の後の数字は、その都道府県での滞在日数を表します