マウンテンバイク日本一周モバイルの旅 3月号

2月 日本一周 4月

☆旅日記は下から順にお読み下さい。上に行くほど新しくなります。☆

☆☆☆☆☆  3月のデータ  ☆☆☆☆☆
【 沖縄県那覇市 〜 鹿児島県長島町 】
【 走行都道府県 】 沖縄(本島・久米島)、鹿児島(屋久島)
【 走行日 】 20日   【 走行0日 】 11日
【 走行距離 】 564.5Km   【 平均/日 】 28.2Km
【 宿泊 】 テント9泊/寝袋1泊/YH2泊/民宿4泊/山小屋2泊/列車1泊/フェリー1泊/自宅5泊
【 登山 】 宮之浦岳(屋久島)  開聞岳(鹿児島)
【 シーカヤック 】 泊浦
【 掲載紙 】 南日本新聞(鹿児島)
【 読破本 】 4冊  「極北に賭ける」(植村直巳著・新潮文庫)
「小ブネ漕ぎしこの川」(野田知祐著・新潮文庫)
「老人と海」(ヘミングウェイ著・新潮文庫)
「シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅」(斉藤政喜著・小学館)
【 最軽体重 】 57.35Kg(3/31測定)

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

☆『日本最南端到達&1万HIT突破記念!沖縄の酒・泡盛プレゼント』☆
(沖縄市・与座さん提供)

「マウンテンバイク日本一周モバイルの旅」TOPページ下段「☆お知らせ☆」参照
※3月10日を持ちまして、応募締切りました。たくさんのご応募有難うございました。

☆3/31(金)  雲一時雨  182日  〜鹿児島県(23)長島町・民宿なぎさ荘  走行60.74Km  計7,667.9Km  「雨に感謝をする日もある」
  昨夜、早く寝たのに朝はゆっくり起きた。一昨日の夜の分も熟睡出来た。朝食を昨夜から乾燥させていた細かく刻んだミカンの皮を、ジャガイモと炒めてラーメンに入れて食べる。感想は苦くてマズイ。もっと細かく刻んで乾燥時間を長くすれば食べれん事もないな。
  出発は正午近くなってしまった。再開2日目、国道3号線を北上する。やぱっり自転車はいいなぁ、気分爽快だ。元気に走れることは素晴らしい。しかし、また5日に帰省しなければならないと思うと辛い…。
  「道の駅阿久根」にて昼食にした。昨夜の夕食時に自分で握ったおにぎりは上出来の味だ。今後も節約のためにお昼も自炊に努めるようにしよう。
  歩道がめちゃくちゃ狭い黒之瀬戸大橋を渡って長島に入った。段々畑がきれいに整地されている長島町に入ると天気が崩れてきた。長島温泉センターで疲れを癒す。
青少年旅行村キャンプ場でテントサイトを探していると、そこを管理している民宿なぎさ荘のオヤッさんが「今夜、雨が降るからうちに泊まりな。」ということを鹿児島弁でまくしたてた。もちろん無料だ。夕食と明日の朝食も作ってくれた。「雨よ降ってくれてありがとう」と思ったのは旅に出て初めてだろうなぁ。
  3/31、明日から新しい生活を送る人たちが多くいる。どんな事でも自分の信念を強く持っていれば、物事は成し遂げることが出来る!僕は今そういった気持ちで東奔西走している。
  そんな中、北海道の有珠山の地震で避難生活を送らざるを得ない人たちもいる。伊達市といえば僕も10月に走破した地だ。B&Gのおっちゃんは大丈夫だろうか?神戸震災同様、寒い時期の避難生活は心身ともに疲れる。ガンバレ!

☆3/30(木)  晴  181日  岐阜〜鹿児島県(22)串木野市〜川内市・横丘古墳公園【テント】  走行17.97Km  計7,607.1Km  「鹿児島へトンボ帰りをする」
  僕は名古屋空港始発の7:50分発の飛行機に乗って鹿児島に戻ってきた。旅を続けるのだ。名古屋空港から鹿児島空港までは約1時間30分。昨夜はパソコンと向き合い格闘していて1時間しか寝ていなかったので、“離陸の興奮”を味わってから眠りについた。
  鹿児島地方は快晴!飛行機が着陸状態で高度を下げていくと、右の窓から踏破した霧島連山の高千穂峰、その奥に韓国岳がドッシリ構えていた。「俺が登った山だよー!」と叫びたかったが、機内なのでヤメトイタ。
  9:30に鹿児島空港へ到着して、空港バスを使い10:45に西鹿児島駅に到着。11:05の串木野駅行きの列車に乗車したつもりが、指宿駅方面に向かって間違って45分も乗車していた。さらに西鹿児島から串木野行きに乗車したにも関らず、またもや眠ってハッと飛び起き「アッいけないいけない!」と、いけなくないのに反対路線に渡り西鹿児島駅にまた戻ってきてしまった。昨夜1時間の睡眠で寝ぼけてる。
  2時間半も時間をロスして2:15にようやく串木野駅に到着して、民宿田尻のおばちゃんに「きしめん」を渡して挨拶。3時に出発、久しぶりの50Kgの荷物はズシリとくる。
  1時間強ゆっくりと走り公園にテントを張った。ご飯がおいしく炊けた。食欲が増しているように感じた。

☆3/29(水)  雲一時雨  岐阜の実家5泊目  「 We are フレーム☆ラヴァーズ!」
  「体調悪くなってから本格的に走ってないだろ。旅を再開する前に少し足慣らししといた方がいいぞ。」と我らマウンテンバイクサークル『フレーム☆ラヴァーズ』の会長である加藤君がアドバイスをくれた。そうだなぁ約10日なんやかやで走っていない。僕らは車で45分の武儀町にツーリングに出掛けた。
  「道の駅平成(へなり)」に駐車して、MTBで山間に向かって走り出した。地図など見なくともこの辺りは林道がわんさか伸びている。僕は加藤君のセカンドMTBなので、旅中と違い50Kgの荷物が無いのでスイーッと飛ばせる。
  農村の外れには猿がいた。緩い上り坂を走りウッディランドなる公園を過ぎれば「待ってました」の林道だ。じきに「自然災害復旧工事のため通行止め」になったが、「行ってまえー!」と意見一致で前に進む。推定で標高を150m上がった。
  下りの麓で災害の個所に到達した。土砂崩れで道は閉ざされ、路面はおそらくアスファルトの下に水が多量に入り込み大きな凸凹形状を成している。自然の猛威は恐ろしい。ここをスタンディングフォームで尻を上げて通過する。
  途中の小川で遊んでいたら元の場所に戻れなくなって終いに小川を裸足で渡ったり、平成公園ではアスレチックで童心に戻った。約3時間半、25KmのFUNランディングだった。
  良いリハビリになった。これで明日からまた走る事が出来そうだ。

☆3/28(火)  雨  岐阜の実家4泊目  「机に向かう日」
  午前から今まで旅日記のまとめを徹底的にやる。その合間に野田知佑の「新・放浪記」を読む。今回の帰省で読書量は増えている。良い事だ。

☆3/27(月)  晴  岐阜の実家3泊目  「中学の恩師に挨拶へ行く」
  仕事が休みの加藤くんの車に乗せてもらって、9時早々に職安へ失業保険の申請に出掛けた。今後予定は4月5日に説明会、これは事前に電話で確認していた。しかし、12日にも認定日とやらで三度訪問せねばならない。しかも本人だ。12日まで滞在すると3週間弱の期間を地元に居なくてはならない。それも困ったなぁ、こうなったら…。
  帰りに中学3年時の恩師・山本峰明先生に挨拶に出向いた。先生は熱血感溢れる教師でとても刺激になった。大学時代のサンボ部と、先生の教育は今の自分に影響を与えている。おかげで僕はその年に生徒会なんてのに立候補してしまったが、これは余談。
  先生曰く「やりたいことをハチャメチャにやった」報いで市役所の社会教育課に派遣されてしまっている。しかし、教育を語る時の先生の目は「男の眼」だった。まだまだやってくれそうだ、イイゾ先生!生徒も頑張ってんだ、先生も頑張れ!

☆3/26(日)  晴一時雨  岐阜の実家2泊目  「友人のMTBを取りに行く」
  久しぶりの実家・可児の朝は南の鹿児島と違って寒い。たまらず布団の中に潜りこんでしまった。
  今回の帰省を有意義なものに出来るか?帰省のテーマのひとつに掲げている「旅日記のまとめ」を、その下準備に午前中は取り組んだ。
  午後、アウトドアで自分にとって弱い部分の「ロープワーク」の基礎を勉強する。
  夕方、僕の地元の友人であり、一緒にやっているマウンテンバイク・キャンプツーリングサークル『フレーム☆ラヴァーズ』会長である加藤くんが新調したMTB「TREK VRX400LT」を、小牧(名古屋)空港ソバの「カミハギMOVE空港本店」へ、うちのエスティマで取りに行った。「VRX」は僕も経験の無いダブルサスペンションでやわらかい乗り心地、うらやましい。店長に次回使いたいミノウラのフロントサス用キャリアについて情報を聞く。「VRX」を車の後ろに乗せ、早速覚えたロープワークで縛る。
  帰りに古本屋で帰省期間に読む文庫を2冊購入した。

☆3/25(土)  晴/雪時々雨  岐阜の実家  「大きく寄り道をして『植村直巳冒険館』へ行く」
  やはり、座席満杯の列車内で座りながら眠るのは骨が折れる。結局、数時間に一度目を覚ましてしまって熟睡出来なかった。通路挟んで隣のおばちゃん2人組のひとりが夜遅く、そして夜明け前から喋り放しなので相方が不敏でならんかった。
  早朝に大阪・京都に着く利点を生かして、「行きたい観たい!」と思っていた『植村直巳冒険館』に行く事にした。僕は大阪駅で6:45に乗り換え、植村の出生地の京都府日高町で冒険館のある福知山線江原駅へ向かった。福知山を過ぎると気温はググッと冷え込み、4時間掛かった江原駅はドカ雪が降っていた。ちなみにこの地域は但馬(たじま)といい、4つ先の城崎温泉がある城崎駅は僕が12/20に通過した所だ。
  バスを使い12時に館に到着した。五大陸最高峰登山のピッケルや、北極点到達の犬ゾリ、ニコンF2ウエムラスペシャルといった極地使用の装備が展示されていた。植村の登山時のリュックと同じ重さのリュックを背負ってみたが、それはそれは重かった。植村の初志貫徹精神はあらためて勉強になった。
  14:15、再び江原駅から京都に向け出発。僕は『老人と海』を読むけどあまり面白くない。眠くなってきたが、一度読みだしたら止まらず一冊読み切った。あぁ〜、もう座り放しで嫌になってくるなぁ。
  23時半、久しぶりの我が家に戻ってきた。母の小言も何故か笑みがこぼれてくる。

☆3/24(金)  晴  鹿児島県(22)串木野市〜「「ムーンライト九州」車中泊  「一時帰省をする理由」
  今朝10時半過ぎから普通列車に揺られている。何故かというと、失業保険の申請のために実家に急ぎ帰省しているからなのだ。申請締切日は4月初旬と時期的にはギリギリのところにきていた。体調を崩している事、民宿田尻のおばちゃんが自転車を快く預かってくれる事と条件が揃ったので、昨日決断したのだ。
  申請→説明会に要する期間と往復を含めて約2週間費やす。自転車を置いて「一時帰省」するのは気分的にいいものでは無い・・・が、僕が生活するためだ、グッとこらえよう。この申請が済めば3ヶ月は一時帰省する必要は無い。
  朝、おばちゃんに挨拶。「早く元気になるよ。」と昨日に続いて自分の店の栄養ドリンクをくれた。体調は確実に復調している。
  「青春18切符」を使って普通列車で帰る。正月の緊急一時帰宅の沈んだ気分とは違って、今回は自分の意思で“帰省”するのでスッキリしたものだ。車窓から見える景色は早すぎる。だけど、読書をしたり、昼寝をしていても目的地に進めるのは列車の良きところだ。読む速度の遅い僕でも、1冊読み終えてしまえる。
  さて、現在19:45、JR博多駅のプラットホームに座り込んで21:15発の夜行快速列車「ムーンライト九州」を待っている。終着の京都駅には翌朝7:10だ。これから、寒さに耐えながら『老人と海』を読むとするか。
  
『民宿田尻のおばちゃん』

☆3/23(木)  180日  雨  走行0Km  鹿児島県(21)串木野市・民宿田尻3泊目  「病院に行こう!」
  もう1泊民宿田尻に泊る。この後の旅の計画を練るためだ。長い旅にこそゆっくり考える時間を持つ必要がある。
  念のために病院に行ってみた。診察結果は胃腸風邪であった。どこで誰にもらったか記憶が無いので、体の抵抗力が無くなっていたので感染しやすかったのだろう。まずはひと安心だ。
  昼食は事情があって2週間ほど地元に帰るという原さんと一緒に¥680のバイキングを食べた。ここ3日はうどん中心だったから、油もんを避けよく噛みつつむしゃぶりついた。食べれる事は幸せだ。
  夜、民宿のおばちゃんと話す。よく笑ういいおばあちゃんだ。

☆3/22(水)  179日  晴  走行0Km  鹿児島県S串木野市・民宿田尻連泊  「我、風呂ノ中デ考エル」
  朝起きて腹痛は引いた(ように思う)。三食はお腹に優しくうどんとお茶のみ。TVの食べ物の映像には目を奪われるので、食欲は戻ってきているようだ。明日の解禁まで我慢だ。しかし、体力はまだ復調していない。
  17時頃、銭湯へ早い時間帯に行く。客が少なくて気持ち良い。洗い場の鏡で顔を凝視すると目の下に隈(クマ)が出来ていた。まあ仕方が無いか。
  5日ぶりの湯舟につかりフッーと息を吐く。すると次第にリラックスしていき落ち着いて物事を考れるようになってきた。この旅の計画、作戦、そして自分自身の事。イメージやアイデアが膨らんでいく。こりゃぁ精神は病気しちゃぁいねぇゾ!気合が入って徐々に顔が仁王に成ってきた!
  夜、看護士の友人と僕の体調について話し合った時、少し心配な問題が生まれた。今回の腹痛は屋久島・宮之浦岳登山の際に多量に飲用した山水の中に寄生虫が含まれており、それが2週間の潜伏期間を経て発病したのではないかと?!明日の回復の状況を待ちたい。

☆3/21(火)  178日  晴  走行2.81Km  計7,589.1Km  〜鹿児島県R串木野市・民宿田尻  「原人のような原さんが作るナマコ汁」
  今朝8時近くまで熟睡したが腹痛は治まらなかった。僕はようやく決心して、隣のテントの原さんに「俺、今夜安宿に泊まりますよ!」と言い放った。朝食のうどんを食べてトイレでクソをして、安宿の予約をするために公衆電話へ向かった。電話帳で掛けまくったところ、この「民宿田尻」が対応良く素泊り¥3000と格安であった。下痢の身分だから食事が無くても問題無い。帰りにまたクソに寄ったら、尻の拭き過ぎでイイ加減ケツの粘膜が痛くなってきた。
  お昼は昨日から「たじさんに俺の作った“ナマコ汁”食って欲しいッスよ。」と原さんが言っていたその例の物を作ってもらった。「完成するまで見ネーで下さいよ」と言い原人の原さんは目の前の東シナ海でナマコを13匹採ってきて、約30分でさばき調理を完成させた。加熱されて直径10cmが2cmぐらいになったヘンテコなイモ虫星人を醤油に付けて食べるとコリコリして美味しい。具として入ってた海苔がまた良いツマミだ。しかし、1匹スペシャルのショウジン蟹のカニ味噌をペロリと食べたら、生煮えだったせいだろうか喉がヒーヒー辛くなったのには2人で笑ってしまった。
  夕方、民宿に到着して部屋に入るなりテレビを付けてダラーッとした。やはり、おばちゃんの対応は良くホッとした。今回ばかりは前もって2泊分予約をした。
  
『友情が体調の悪さを緩和する事は多い』

☆3/20(祝)  177日  晴  走行23.31Km  計7,586.3Km  〜鹿児島県Q串木野市・長崎鼻公園【テント】  「苦悶」
  朝目が覚めると頭痛も無く、「復活したか?!」と気を良くした。しかし、2日前作成のミンチ入りご飯をお粥にして食べ終え、「さて撤収!」と意気揚揚に体を動かすと背中に悪寒が走り、体にも力がまったく入らない。治ってない事に痛感して喜びは一転した
  10:15、無理をせず30Km先の川内市に目標を置き、ようやく出発するに到ったが緩やかな短い上り坂でも漕いで上ることが出来ない。ヒーヒー言いながらMTBを押す。これではどこまで進めるのか不安だ。
  北上した国道270号は抜群のシーサイドラインであったが、思い切り走れない自分が悔しい。ちなみに今日の平均時速は9Kmと遅い。のどかな祝日、苦悶の表情を浮かべているのは僕だけだ。お昼は店にうどんが置いてなかったので仕方なくオムライスを食べた。13:30、休憩をたっぷり取り出発したが体調は変わらず、何度かフラ付きドブに落ちそうになった。
  15:00、串木野市のスーパー壽屋に寄ったら、偶然、豪傑サイクリストの原さん(2/15旅日記参照)と再会した!僕らは石垣島からの行程を話し合った。こういう再会は気が休まるもんである。今日はもう切り上げて、腰の具合が悪いため原さんがレストしている公園に移動した。楽しい再会であるが、夜になってくると再び腹の具合が悪くなった。一体、どこが悪いんだろうか…?

☆3/19(日)  176日  雨のち晴  走行3.59Km  鹿児島県P日吉町・天神ヶ尾キャンプ場連泊【テント】  「休養」
  体のダルさと、少し吐き気、頭痛が一向に引かない。鼻風邪は2、3度あったように思うが、頭痛で悩まされるのは初めてではなかろうか?
  昨夜は激しい腹痛に見舞われ腹は急降下に下った。このキャンプ場は営業期間外だからトイレが使えない(水道も蛇口が無い)ので、野グソである。
  深夜3時頃から振りだした雨は午前中も振っていた。薬が効いたのだろう腹痛は収まったが、今度は頭痛がひどく、体が熱く体温調節がうまく出来ない。文庫本を読もうとしても吐き気がする。モバイルパソコンのディスプレイを見るのはなおさらだ。まだ眠ることにした。
  お昼に目が覚めると空は途端に晴れていた。まだ頭痛がするので今日は出発を見合わせる。昨日、たくさん買い出した食材を使い、豆腐納豆、豆腐・ミンチ入りの味噌味お粥、みかんを食べた。ミンチが食欲ではなく吐き気を誘う。食欲も珍しく無い。
  ファミリーが山菜取りに来ており、僕のテント付近まで探していた。僕は朦朧としながら、「そのあたりは僕のウンコが落ちてます」と心の中で無言の注意を促した。
  銭湯に出掛けたが第三日曜日で休みだった。ツイテない。なんとか今日の休養で治らんものか?

☆3/18(土)  175日  晴  走行54.81Km  計7,559.4Km  〜鹿児島県O加世田市役所〜日吉町・天神ヶ尾キャンプ場【テント】  「『サイクルシティ誓言』のまち加世田市を表敬訪問する」
  同じJACCの会員で鹿児島支部長でもある野元さんの紹介で、サイクルシティである加世田市役所を訪問した。加世田は鹿児島市から西へ40Km、枕崎市から北に20Kmに位置し、日本三大砂丘の吹上浜砂丘が有り毎年夏には「吹上浜 砂の祭典」が行なわれている。
  国道270号を北上してアポイントの13:00、休日出勤であるにもかかわらず、上野課長、加世田サイクリングクラブのフジサキ会長、崎山さんは喜んで迎えてくれた。南日本新聞の山口さんが同席のもと、僕のモバイル旅、加世田の取り組みについて話しをした。
  加世田市は平成7年に「サイクルシティ誓言」をした。@吹上浜砂丘自転車道など自転車関連設備の充実、A健康作りに役立ち、二酸化炭素を出さず自然環境に優しい、B加世田は比較的平坦で自転車利用に適している、以上の理由である。2001年には世界室内自転車競技選手権のサイクルサッカーとサイクルフィギュアの開催が決定している。
  行政への訪問は初めてであったが、職員が本当に自転車を好きになって取り組んでいたのが僕にはうれしかった。「自転車道まで案内しますよ」と課長がマウンテンバイクで先導してくれた時に、「仕事か趣味かわからなくなってます(笑)」と、とても素晴らしいことを言った。
  近年の環境への関心が高まり、全国の自治体がサイクルシティに名乗りを上げてエコロジー活動を展開している。僕は今後も他の自治体に訪問して、どのような活動をしているか聞いてみようと思う。
  「また来てください」と課長からの言葉と固い握手で別れ、加世田日吉自転車道を走った。信号や車の心配をせずに走行出来るので気分が良い。天神ヶ尾でテントを張ったが、夜になるにつれ体はだるく、頭痛、腹痛が発生してきた。マズイなぁ。
  
『加世田市役所にて』

☆3/17(金)  174日  晴  走行50.56Km  計7,504.6Km  〜鹿児島県N枕崎市・枕崎港の公園【テント】  「リベンジ!開聞岳登山」
  薩摩半島の南端に位置する開聞岳は標高922m、きれいな稜線を持ち「薩摩富士」と呼ばれている。僕は97年の大晦日に、98年の初日の出をここで見ようと青春18切符を使って、普通列車を26時間乗り継ぎやってきた。しかし、元旦は雨、それ以前に登山経験の無い僕にはレインウェアも無ければ、開聞岳の登山情報も無いし登山口への行き方も情報に無い。無い無い尽くしと電車の乗り過ぎ疲れで計画は敢行せず、やるせないまま鹿児島観光で旅は終えたのだった。
  旅の初め「開聞岳はリベンジするぞ!」と決めていた。薩摩の敵は薩摩で打つ!今のオレなら登れる!
  YHから18Km西に移動して11時から登山開始、天気も良くフリースで充分な陽気だ。5合目で南に海が見え、8合目付近で西の頴娃町の海岸線の渚が美しく見えた。12:30、遂に頂きに立った!北に池田湖、東に長崎鼻、その奥に指宿市街を見下ろせた。
  よし、これで九州での登山は終えて走ることを優先する。開聞岳に挑むために九州の山で“登山筋肉”を養っていたのだ。それと、もうひとつの山の為に…?!
  30km西に移動して、上代くんと1度、てげ隊メンバーと2度目、そして一人で3度目の枕崎「なぎさ温泉」にやって来た。ここの露天風呂は景色が良い。丁度、夕日に間に合うことが出来た。
  
『薩摩富士・開聞岳』  『開聞岳山頂』

☆3/16(木)  173日  雨のち晴  走行48.91Km  計7,454.1Km  〜鹿児島県M指宿市・湯の里YH泊  「初の女性と2人で食事」
  撤収後、まず特攻平和記念館に行った。ここは太平洋戦争末期、沖縄決戦において散った特攻隊員の遺品を展示している。室内には隊員の遺影や家族への手紙が残されている。老人達は涙を流して見入っていたが、戦後生まれの僕にはそこまでの感情は湧かなかったが、20歳前後の若者の「必中必殺」という絶筆を読むと「これが任務か?!世相か?」とこの時代の流れに恐ろしさを感じる。何故、特攻しなくてはいけなかったのか?何故、戦争は起きたのか?
  指宿スカイラインの頴娃ICから南の県道17号を走り、右手に池田湖を眺めながら県道247号で指宿市に入った。指宿は97年の大晦日に「青春18切符」でやって来て、98年の新年を迎えた思い出の地だ。
  その時にも入った「砂むし風呂」に今日も行った。砂むしってのは、体に熱い砂を掛けられサウナ状態になるのだ。頭にタオルを被せて顔だけ出している。お〜お〜、2年前と変わらず今日も皆さん規律正しくゴクラクゴクラクの顔を並べている。
  18:00、てげ隊ドレイの三村さん(指宿在住)と合流して、夕食を大衆食堂のちょっと良い版の所で「かつおのたたき定食」を食べた。三村さんは高校生の時に九里さんの処女本「チベット高原自転車ひとり旅」を読んで感銘を受け、大学生の時にカナダへ自転車一人旅を敢行した魅力あふれる女性だ。人間の種類としては同じだなぁ(笑)。ところで、考えてみたが女性と2人きりで食事に行くのは旅に出て初だ。情けないほど出会いが少ない…。
  
『規律正しく砂むし風呂』

☆3/15(水)  172日  雲のち雨  走行9.89Km  計7405.1Km  〜鹿児島県L知覧町・特攻平和記念公園【テント】  「旅の風邪は気合で治す」
  昨夜、上代くんの友人達と飲みにいった後、深夜12時過ぎからWEB更新をしていた。部屋の気温も低く、疲れも有ったので少し体調を崩してしまった。無理をしてしまった。今日はサイレンと共に起きた。時計を見たら12時だ。そういえば上代くんが8時半頃、仕事に出発するからと別れの握手をしたんだっけ。
  旅先での風邪は気合で治さねばならない。僕は引き掛けたら栄養ある食物を徹底的にに摂取し、ためらわず薬を飲み、出来れば風呂に入り湯冷めする前に暖かくして寝て、その日のうちに治す!翌日、少し良くなって自転車を漕げば、たいがい治る。久米島で体調を悪くしかけた時は、風邪に成る前に速効で(まるで中田のキラーパスのように、それも倍にして)田里さんにうつしてしまったのだ。
  15:00、上代家の飼い犬「海」ともお別れの挨拶して出発だ。すぐに最寄の郵便局へ寄って、「泡盛プレゼント」の当選者に郵送の手配をした。これで600ml(+瓶)×3本分の重量が軽くなった。これは大きい!
  無理をせずに知覧町でテントを張った。ここは特攻隊の基地の在った所だ。風と雨が益々強くなっている。

☆3/14(火)  171日  晴  走行0Km  鹿児島県K川辺町・上代さん家  「沈(ちん)を恐れるべからず」
  今日は「てげ隊」のシーカヤックに参加して、丸木浜から網代浜まで海を走る。海は初だ。メンバーはオレ、隊長、副隊長、奥さんの理恵さん、そして野元さんと東京の学生シモジマくんの6人だ。午前中は理恵さんと2人艇に乗った。リアス式の海岸線は地層をえぐって岩穴や断面を鋭く見せつけ、非日常体験を堪能させてくれる。
  海を渡らないと行けない網代浜に着いて、ここでお昼。
  お腹も溜まり浜に仰向けに寝ると、後頭部の髪にネチャッとする感覚。見ると原油が直径4、5cmでたまに落ちている。時折ニュースで報道されるが、今回の原油が船から流出されたものが潮に乗って浜にたどり着いたのかはわからない。当然、海の魚にとっては大きな被害だ。むしょうに腹が立ってきた。
  ムシャクシャした気持ちも手伝って、僕は一人海を泳ぎだした。
  午後からは一人艇だ。浜から出て3mでバランスを崩して速効“沈”してしまった(ちん:カヌー用語で転覆。ひっくり返ってしまう事)。僕は180℃逆さになって頭から腰までを水の中のブッ込んだ状態で考えた「ハテ、コックピットからどうやって脱出するのだろう…??」と0.7秒考えてしまった。
  方法は前に状態を倒し、前方からスプレースカートを外してコックピットから抜け出るのだが…。知らない僕はコックピットに腰から下が入った状態のまま、驚きの後方にエビ反り、背筋力で口をなんとか水面にブハーッと出して呼吸をした。背筋力がヘバると一旦潜り再びグイッと反ってブハーッとやるのだ。最後はこれまた後ろからスプレースカートを外して脱出した。後方シャチホコ反りのオマヌケ宙返りである。
  皆は初めは爆笑していたが、野元さんが「おい、まずいぞ」と血相を変えてレスキューに来た。確かにまずかったなぁ(笑)。隊長曰く「ブハーッってクジラみたいやった(爆)」と。チクショー悔しいぜ。「こうなったらエスキモーロールでもなんでも来い!」と、その後も勢いだけで漕ぐのであった。
  
『てげ隊シーカヤック』

☆3/13(月)  170日  晴  走行0Km  鹿児島県J坊津町・丸木浜キャンプ場【寝袋】  「野元さんとモバイル旅を語る」
  明日のシーカヤックのため、今夜から枕崎市の北西にある坊津町の丸木浜に来ている。
  今日は上代さん宅で引き続きメンテナンス。防水バックの小さな破れをビニールテープ、その上からガムテープを貼り応急処置。防水バックが10枚ほどあって、破れが1枚に付き5箇所以上有るので細かい作業だ。その後、ゴアのレインウェア、テント、フライシートに防水スプレーを吹き掛けた。
  16時半頃、今夜参加のカヌーガイドの野元さん(42才)が僕に「モバイル旅」の事を聞きに訪ねてきた。今年の6〜8月に掛けて、沖縄〜鹿児島間シーカヤック単独行でモバイルを携帯して通信を行なう計画でいる。
  この方は魅力ある方で、98年に冒険家・河野兵市さんとベーリング海、その夏にアラスカ・ジュノー〜カナダ・バンクバーまで、いずれもシーカヤックで縦断を果たした(こちらは九里さんに続き日本人2人目)。
  カヤックでのモバイルなると防水、やはりバッテリー、特に奄美〜トカラ島間の90KmがPOINTになる。僕は野元さんの情熱に応えるべく、ありったけの知識と熱意で、今までの体験が参考になるよう話しをした。是非、モバイルを実践していただき、旅を成功してもらいたいと強く願う。そして、いつまでもお互い切磋琢磨していきたい。
  2時間ほど話し、野元さんは先に丸木浜に向かった。上代さんが帰宅して、枕崎の温泉に入ってから22時頃に浜に着いた。そこには2日前の「てげ隊」メンバーの楽しい笑顔があった。
  
『野元さんとモバイル談義』

☆3/12(日)  169日  晴  走行15.49Km  7,395.2Km  〜鹿児島県I川辺町・隊長の自宅  「ここぞとばかりの洗濯」
  朝食は屋外の東屋で昨夜の残りの黒豚や味噌汁などを、オレ、隊長、副隊長、その奥さん、そしてドレイの三村さんで食べた。屋外で女性も含めて食べるのは、ハイキングのようで楽しい。
  一息付いたところで「泡盛プレゼント」の抽選を「てげてげ隊」の協力を得て行なった。キャンプ場のBINGOを用いて、インチキ無しの一回勝負で3名を決定した!15年以上寝かした古酒を手中に収めた幸運な3名は誰か!?(※「お知らせ」を見るべし)
  キャンプ場の“手洗いモード付き”洗濯機を1日占領して、洗濯を徹底的に行なった。適度に洗濯している衣類を皮切りに、たま〜に洗うゴアテックスのレインウェアーや、防水カバーやバック、そして推定3ヶ月は洗っていないテント・フライシートまで、ここぞとばかりである。待ってる間は、ここに多くある「Outdoor」「BE−PAL」といったアウトドア雑誌のバックナンバーを読みあさった。
  15時頃に親友の小滝(1/9の日記参照)から携帯へ「5/13日に結婚式を挙げるぞ。」と、うれしい連絡が入り、喜んで出席させてもらうことにした。僕は自分の場合も含めて形式ばった結婚式があまり好きではない(あくまでも個人的に)。ゆえに2次会は出席させてもらうが、式にはまず出席しない。しかし、こいつの式には心底「行きたい」と思った。5月はまだ旅を継続している可能性が高いので、MTBをどこかで預かってもらい急ぎ島根に飛ぶ覚悟だ。司会も頼まれ、即OKした。。
  
『ただいま「泡盛」抽選中』

☆3/11(土)  168日  雨  走行28.89Km  7,379.7Km  〜鹿児島県H川辺町・オートキャンプ森のかわなべ 会議室  「てげてげアウトドア談義」
  朝には雨が強くなっていた。テントサイトの近くに東家があったが、おそらく常連ルンペンがいるんだろうと気を使って屋根の無い所に張ったらこの有様だ。しかし、昨夜の温泉のお陰で熟睡できた。急いでも仕方ないので、最近滞ってる読書を始める。
  今日は鹿児島市から南西30Kmの川辺町のオートキャンプ場に行く。そこの管理人が2月に「掲示板」へ「会いましょう。」とメールをくれていた。その予定に合わせて屋久島も旅していたのだ。
  昼過ぎ、撤収完了。離島は日本の文化を知るために、今回の旅では不可欠な地であった。しかし、どの島もたいがい半日で一周出来てまい、またフェリーで移動…。サイクリストとしてストレスが溜まっていた。「思う存分走れる!」そう思うとワクワクしてきた。
  川辺峠を越えるとキャンプ場に到着。少々無精ヒゲの管理人・上代さんと、完全口ヒゲの楠部さんに迎えられた。この2人は「真剣に遊ぶ」がモットーのアウトドア集団「てげてげ隊」の隊長と副隊長なのだ。
  19時頃、アウトドアコックの有馬さんと某海運会社コックの平野さんの本格料理で、夜のイベントは始まった。今夜は12人が集まり、JACC女性会員やカヌーガイドなどもいて楽しいアウトドア・旅談義となった。
  中にはカヌーイストの床屋さんもいて、男性陣の即席散髪が行われた。僕も乱れたモミアゲと襟足を揃えてもらい、すいてもらった。旅に出て初めての散髪。「近頃、俺ってバンダナが白なら“フビライ・ハン”だな〜。」と思っていた矢先、サッパリ格好良くなってしまった。(おやおや…)
  火曜日にシーカヤックに誘われて快くOKした。僕はこの旅が後半に入り、次の旅への挑戦を構想する時期に来ている。未体験を含めてあらゆるアウトドアのジャンルから、その可能性を見出していく努力をしなくてはならないのだ。

  
『上代隊長(右)と「てげてげ隊」』

☆3/10(金)  167日  晴のち雨  走行19.97Km  7,350.8Km  〜鹿児島県G鹿児島市・甲突川沿いの公園【テント】  「感動・屋久島」
  ここんとこモバイルギアのサブバッテリーの接触不良と思うが、「サブバッテリーがきちんと装着されていないか…」というメッセージが頻繁に出る。昨夜もその対応と、矢筈キャンプ場の電波が弱いので、アンテナが立つ位置を求めて携帯とモバイルギアを持って暗闇をウロウロしていたら寝たのが深夜3時を過ぎてしまった。
  『デジタルとアナログの融合』もラクではない。まさに体力勝負!挑戦する人達は楽しい分、気合を入れねばダメだぞ!
  「♪ホーホケキョ」6:00、近くでウグイスが鳴いているようだ。さわやかだ。「♪ホーホケキョ、ホーホケキョ…(以下100回連続)」ウルセイやい!俺は寝不足だ!
  ゆっくり撤収をしていると、「おやっ?」11時頃に昨日のサイクリストがエッチラオッチラやって来た。「いやー昨夜はあれから200m進んでテント張りましたよ。『キーッ、キャーッ』っていう動物(おそらく猿)の泣き声が夜中うるさくて…」そっちの方が嫌だなー(笑)。
  13:20、鹿児島に向けフェリーは出港した。屋久島は島一周より、断然、山に入ったほうが良い!縄文杉までは日帰りでファミリーハイク出来る。山岳で考えれば苔、杉、巨岩、鹿、猿が存在する分、西表島より屋久島のほうが面白い!実際、僕は山に入っているときフィールドアスレチックをやっているような楽しい感覚だった。  17:30、三度鹿児島港に戻ってきた。市街地に公園が多いので野営には好都合だが、街中しかも県庁所在地にテントを張るのは気を使う。やはり野営は都会の渇騒の中より自然が良い。
  鹿児島は温泉が多いのもうれしいものだ。僕はサッとテントを張り、5日のフェリー(この時はシャワー)以来の入浴に出掛けた。車やバイクの走る音がブンブン聞こえる。
  
『さよなら屋久島、楽しかったよ…』

☆3/9(木)  166日  晴  走行107.75Km  7,330.9Km  〜鹿児島県F上屋久町・矢筈キャンプ場【テント】  「九州最高峰・宮之浦岳登山 第3日目」
  昨日の疲れで11時間睡眠して6時に起床、膝や股間接の外側が少し痛む。朝食のパンと菓子をとり、外がまだ薄暗い7時に白谷山荘(825m)を出発したして、7時半に白谷雲水峡に戻ってきた。かわいい女の子2人組が入山しようとしてるので、知ったかぶりでルートを教えたが、気付けばバンダナも帽子も着けて無くススメバチの巣頭が寝癖ドカンで情けない。9時に宮之浦の観光センターへ自転車で移動して無事に下山申請を済ます。
  僕は11日の夕方から鹿児島県本土の川辺郡で楽しい用事がある。僕は宮之浦港発、鹿児島港行きは早朝と思っていたが、宮之浦港発は13:30であるため10日の便に乗らなければ11日の夕方に間に合わない。だから、今日を入れて1日半で島を一周しなければならない!
  残りのパン・菓子を食べ、気合充分のまま9時半に一周にすぐさま出発した。屋久島は一周約100Km、観光センターに下山の時点で13Km走っている。
  なんとか今日6割は走破して、南に位置する湯泊温泉で屋久島に入ってからの疲れを取りたい!ガンガン飛ばす。11時頃、晴れて暑くなってきた。南東の麦生のJAで“たんかん”を購入してビタミン摂取。いたる所に標木が立っていて、「自然を守ろう」に負けず「読書をしよう」とあるのが読書好きにはうれしい。
  昼食は南部の尾之間の喫茶店「童夢」でトンカツ定食にて栄養摂取。おばちゃんの対応も良く、量も多かった。(約3割走破)
  14:30、湯泊に入ったので湯泊温泉はすぐそこである…のはずである…一向に無い!完全に通りすぎたらしい「もういい!突破だ!」こうなれば前に進むのみだ。
  15時頃、南西の栗生を過ぎたあたりで上り、さらに上り、とことん上り!原生林の中を突き進む。湧き水が結構有るので助かる。一人のサイクリストがレストしていた。「今夜、矢筈キャンプ場に泊る予定なんです。」と。おいおい、ここから30Kmもあるんだぜ、無茶言うよ。しかし、「それもアリだなぁ。お先!」。
  UpDownを30Km重ね、僕は月夜の中を終盤は空腹も加えヘロヘロになりながら19時にキャンプ場に到着した。鹿がウロウロしていた。疲労で気分が悪かったが、柔らかいものや甘いものから口に入れていった。21時頃、気分は回復した。9割進んだので、宮之浦港までは1割・10Kmを残すのみだ。

☆3/8(水)  165日  晴  走行0Km  〜鹿児島県上屋久町・白谷山荘【寝袋】  「九州最高峰・宮之浦岳登山 第2日目」
  山の鉄則通り昨夜は早めの19時頃就寝し、今朝は5時に起きた。山小屋泊は初めてなので、山男の行動をしばし横目で観察した。やはり素早く撤収し、6時には出発した。
  僕も急いで撤収に掛かる。この新高塚小屋(1,460m)をベースにして、宮之浦岳(標高1,935m)にアタックする。装備は間食用のパン、菓子、カロリーメイト、コンデンスミルク、水、そしてモバイル挑戦用にモバイルギア、携帯電話、デジカメ、三脚、カメラ。
  外は予想以上に視界が利く。登山道には雪が所々残っているが固い。こんな所にも鹿がいた。8:15、まず平台(1,707m)踏破。これを越えると完全に雪道になり、霧になった。急坂の上りの小川が厄介なことにツルツルに凍っている。小川の流れで僅か靴の幅ほどに溶けている部分を慎重に進む。
  腰ほどの藪コギを上り、9:30、宮之浦岳に単独登頂成功!平台同様、デカイ岩が山頂にドスン、ドスンッと乗っかっていた、不思議だ。杉をさる事ながら、大きな岩にも唖然とさせられる。携帯「圏外」。−5℃、寒いので早々に下山。
  12:15、新高塚小屋で荷をまとめ、14:00、縄文杉に戻ってきた。早速、WEB更新。
  「しかし大変だね、この登山道は。」登山用のリュックじゃないから、紐が肩にめり込み痛いよ。「まだかよ、ウィルソン株は…。」ブツブツ。
  17:30、辻峠。18:00、白谷山荘(825m)着。一時は白谷雲水峡まで下山しようと思ったが、辛いので無理は止めた。疲労困廃なので19時に寝てしまった。
  
『宮之浦岳山頂』

☆3/7(火)  164日  晴  走行0Km  〜鹿児島県上屋久町・新高塚小屋【寝袋】  「九州最高峰・宮之浦岳登山 第1日目」
  10:00、さあ、これから登山だ!モバイルギアを携帯して、ホームページの更新も試みたい。しかし、ドコモの携帯の電波が届くのは、縄文杉のあたり、新高塚小屋、宮之浦岳…と、言われているだけ。確かめるしかない。
  実際、白谷雲水峡は「電波が入る」と聞いていたが、「圏外」だった。可能な限りやってみよう。
  持ち物は、食料が昼食用のおにぎり、その後の主食の食パン、マヨネーズ、カロリーメイト、伊地さんにもらった黒糖・チョコを始めとする甘い菓子、水筒、そしてコンデンスミルク(練乳)。カメラ。デジカメ、三脚、モバイル、ラジオ、ヘッドランプ。防寒用の化繊下着数枚、根袋、マットである。
  登山道や杉の木の上のほうまで、苔がびっしり生えていた。それでいてジメジメしてなく、美しい景観だ。辻峠を越えて、しばらくするとトロッコ列車の線路が出てきた。真中に歩道用の板が有り、それをガシガシ歩き狭い幅の川を鉄橋を歩いて越すと「お〜ミニ『スタンド・バイ・ミー』じゃねぇか!」って思う。
  ウィルソン株に到着。屋久杉は江戸時代にかなり伐採したのだが、ウィルソン株は16世紀末、屋久島で最古の切り株といわれている。この辺になると、景色は荘厳なものになり「もののけ姫」の世界だ。実際、屋久島は「もののけ姫」のモデルになっている(らしい)。♪張りつめた〜指の〜♪、と白神山地に続いて変態・米良の歌声が聞こえてきそうだ。
  登山道は杉の根が地面に網の目のように這い、上ったり下りたり根の間を抜けたり、かなりキツイ!
  16:00、樹齢7,200年の縄文杉(標高約1300m)到着。大きすぎてカメラのフレームに収まりきらん(笑)。おっ、ここはようやく携帯の電波が1本立っている。通信挑戦だ。
 どうやらうまく更新できたようだ。電波状況が悪いのに、メールチェックや掲示板チェックをしたら1時間も費やしたので急ぎ足で進む。すぐに高塚小屋があったが通過。
  17:45、やっとこさ新高塚小屋(標高約1460m)に到着。この小屋には8名の先着がいた。大変疲れた。気温は12℃、夜どれくらい冷えるのだろうか?食事してすぐ寝よう。
  
『ウィルソン株』  『縄文杉』

☆3/6(月)  163日  晴  走行21.09Km  計7,223.1Km  鹿児島県上屋久町・白谷雲水峡案内所横【テント】  「世界遺産だ!屋久島」
     『九州西側の巻スタート』
  7時頃、良ちゃんが甲板で手招きするので出てみると、少し雲に掛かっているが赤い太陽が上っていた。東に大隅半島、西に薩摩半島、1ヶ月ぶりに九州に戻ってきたのだ。しかし、半袖短パンのオキナワン・スタイルでは寒い!
  さて、九州西側で旅しておかなければならない所がある。世界遺産・屋久島だ!8時にフェリーが鹿児島港に到着して、トンボ返りで8:45の屋久島行きのフェリーに乗船した。良ちゃんは桜島に向かうため、鹿児島港で再びお別れ。
  僕は屋久島では、MTB島内一周と、縄文杉経由の宮之浦岳登山を計画している。旅人から収集した登山情報によると、山小屋で一泊しなくてはならない。11日の早朝発のフェリーに乗船するから、一周に2日、登山に2日掛ければ予備日1日をブラッと観光することが出来る。
  12:30に宮之浦港に到着し、観光センターに登山情報の収集に行くと「いやいや、今の時期は山小屋に2泊しなくてはいけないよ。」と言われてしまった。マイッタ。登山道へはバスも思うような時間に走ってないので、標高約600mの白谷雲水峡まで今からMTBで上らなくてはならなくなってしまった。いきなり冒険旅の現実に戻されてしまった。
  登山用の食材3日分を急いで調達、食パン2斤、カロリーメイト、コンデンスミルクなど。久しぶりの山道だなぁ。日本一周冬季対応の荷物に、プレゼント用の泡盛(600ml)3本、フレディさんにもらったトレーナー上下、田里さんからのトウキビ、伊地さんからもらってきた文庫本4冊を加え、あきらかに積載過多だ!
  白谷林道の尾根にはヘゴが繁殖、標高400mあたりでは猿の親子が木の実を食べていた。16:15、最後は情けないことに押しが入ったがやく2時間で雲水峡案内所に着いた。夜、星が満開だ、明日も晴れそうだ。

☆3/5(日)  162日  雨  走行8.06Km  計7,202.0Km  沖縄県(30)那覇市〜鹿児島港行きフェリー泊  「ゲリラライブと共に夜は更けて」
  朝はバイキングであった。一般の客もかなり泊っている。部屋に戻り1時間ちょっと、絵葉書をモーレツに書きまくる。
  YH出発してしばらくすると雨が降ってきた。沖縄は1ヶ月滞在したが、ほとんど雨だった。沖縄の人からのメールによると、「2月は日照不足と長雨の異常気象(沖縄気象台発表)」だったそうだ。
  11:30、鹿児島港行きのフェリーに乗船すると、既にカブ日本一周の良ちゃんが乗船していた。僕らは再会を喜んだ。同便になったのは訳があって、実は良ちゃんが「Hot mail(ホットメール)」のアドレスを持っていて、西表島で別れた後もお互いの情報を交換していた。今回の僕の乗船の便もあらかじめ連絡しておいた仕掛けなのだ。
  6人部屋のドミトリーに3人――僕、良ちゃん、それと徒歩日本一周の青年。縁起の良いことに日本一周の旅人3人が同室になった。13:00、1時間遅れで出港、鹿児島港へは翌7:30到着予定。
  沖縄・離島は楽しくて予想外の長期滞留となってしまった。その分出会いも多かった。夜は良ちゃんのギタレレに併せ、サザン、中島みゆき、ゴダイゴ、海援隊など、やたらめったらに唄いまくった。ここには三味線や沖縄民謡のメロディはもう無い。さぁ、次なる旅へ――。     『沖縄・離島の巻END』
  
『良ちゃんゲリラライブ』

☆3/4(土)  161日  晴  走行6.7Km  計7,194.0Km  〜沖縄県(29)那覇市・那覇国際YH  「沖縄最後の夜、旅の話で花を咲かす」
  7:00、アラームが鳴ったが今朝もなかなか起きない。7:45、田里家の人達が仕事に行くので起床して挨拶と見送りをする。田里父母「また久米に来んしゃい」。たじ「はい。行ってらっしゃい」父母「行ってきます」。少しアベコベだ。
  いただいたトウキビとリンゴを積め、準備をして久米島兼城港に向かう。9:30出港直前に田里さんが見送りに駆け付けてくれた。
  13:30、那覇市の泊港に戻ってきた。天気が良くなって暑い!本屋で「週刊アスキー3/15号」の「ハードモバイラーへの道」を立ち読みしてたら、僕の事が載っていたのでニヤつき思わず購入してしまった。サイクリングショップで特別工具を借りての修理や、スペアタイアを購入した。
  日本でも有数の設備を誇るYH・那覇国際YHに宿泊することにした。風呂はジャグジーでサウナ付きだ。
  18:00、伊地さん(2/5の日記参照)と再会してステーキ屋、その後に自宅へお邪魔した。伊地さん(50才)は10年以上前から自艇のカヌーで海を漕いでいた。10代の頃からカソリや野田知佑、新田次郎…旅、アウトドアの本は一通り読んできている。現在はバイクツーリングにはまっており、一年前に九州一周達成、6月には北海道一周を計画中。ほとんどをテントで宿泊するというのだから恐れ入る。すごいPOWERだ!
  沖縄最後の夜、「あの道はどうだ?この道はどうだ?」「ここの自然には魅了されたなァ」と全国のロードマップを広げ僕達の話が尽きる事は無かった。旅を通して人と触れあう、素晴らしい。
  
『伊地さんと愛犬ハナ』

☆3/3(金)  160日  快晴  走行33.0Km  計7,187.2Km  〜沖縄県(28)島尻郡具志川村(久米島)・田里さんの家連泊  「海が俺を呼んでるゼ!」
  日本の皆様こんにちわ〜!寒いですか〜?凍えてないですか〜?久米島は久しぶりの晴れで25℃に達しました!僕の欲求も一気に爆発ッス!
  7:00、ネーネーズのアラームで目を覚ますが、昨晩に蚊の襲撃を受けたのでまた寝る。8:00、起きれば田里家はそれぞれトウキビ畑や仕事に出掛けて僕一人であった。戸や入口の扉はパーパーに開けっぱなし。「離島はヨォ、泥棒がいないノサ」と夕べ親父さんが言っていたなぁ。
  台所の(おそらく食べても良いだろうと思う)テビチ(豚足)汁とご飯を食べて、MTBを空荷にして久米島一周に出発した。戸は開けといた。
  やはり、MTBは風を切って走ると気持ちが良いなぁ。天気は次第に良くなってきた!「こりゃ海に入れるんじゃないか!?」そう思ったら、泡盛「久米仙」の工場もブッ飛ばした。「海が俺を呼んでるゼェ〜!」
  14:30、六角石の岩石群が並ぶ畳石に到着。海が目の前だ!「よし!ここで初泳ぎだ!」とスパッツになって、一人海に飛びこんだ!真っ白な海は冷たかったが、泳いでいるうちに慣れてきた。僕は海の浮力を利用して、仰向けにプカッーと浮いているのが好きなのだ。すると、太陽と雲の時が止まっているように感じる。
  東京から来た若いカップルの男性が僕を見て、「俺も泳ぐぞ〜!」とトランクスで海に入ってきた。いい奴だった。名前は“ナオキ”と言った。
  さすが全身運動の王様、30分泳いだだけで肩で息している。その後、上半身裸でルアー釣りに興じた。太陽と1日遊んだ。「焼けたねぇ〜」と田里さんは開口一番言った。久米島いいじゃん!
  ※久米島の海開きは4月です。
  
『五枝の松』  『畳石』  『泳ぐ泳ぐ!(今年初泳ぎ)』

☆3/2(木)  159日  雨  走行14.82Km  計7,154.2Km  〜沖縄県(27)島尻郡具志川村(久米島)・田里さんの家  「“Net”が結んだ久米島への旅」
  7:00、6:45にルア天さんに起こされ、ソソクサと那覇市泊港へMTBを走らせた。雨でイヤになってしまう。
  9:30、那覇から西へ100Kmの久米島へフェリーで向かった。この島は当初行かない予定であった。それは、2/5の琉球新聞を見た日から久米島の田里さん(31才男性・旅行代理店勤務)が、「是非、久米島へ来て」とガシガシ連射砲のようにメールをもらっていた。こんな僕でも「会いたい」と熱心に誘ってくれるので、考えた末に旅することにした。
  しかし、これが「Netの旅」のオモシロさだろうね。今まで無い形で縁が生まれる。そして、相手は僕の事知ってるけど、僕は知らない。それでも会おうとするから、やはり僕はメデタイ。
  13:30、久米島兼城港で田里さんは「ホントに来ちゃったんだ」と、今更ながらの感想と挨拶を言った。田里さんの家に着いて喜んだ。築100年以上の古い沖縄の住居造り――赤瓦の屋根、木造、敷地は160坪、シャワー(久米島も入浴の習慣は無い)・石で出来た便所は屋外、天井の低い部屋はスキマ風が吹く。こういった家を見て感動するだけでは物足りない、実際に体験するのがヨロシイねぇ。
  田里さんが仕事に戻った後、僕は体調が悪くなりかけなのでサザンの「TSUNAMI」を聴きながら、部屋でゆっくりした。19:30、田里さんと夕食をに出掛けた。久米島には2泊する。
  
『赤瓦の田里さんの家』  『田里さん』

☆3/1(水)  158日  雨一時雲  走行36.04Km  計7,139.4Km  〜沖縄県(26)宜野湾市・ルア天さん家  「沖縄本島リターン」
  7:00、霧のように僅かな雨が舞う夜明け前、僕は那覇(那覇新港)に戻ってきた。船の下船口から街を眺めると、ビルや建物が立ち並び、街灯・車のヘッドライトが無数に光る。「日本に戻ってきたようだ…」海外旅行から日本に戻って来た時のような安堵感を感じる。不思議なものだ。
  船客待合室で、最近ホームページに遊びに来てくれた人達に御礼メール送信。北谷町へ15Km移動し、与座さん、高崎さんと再会して昼食、離島の旅の報告。良い縁が出来たなぁ。与座さんから「読者の方に」と、20年ものの古酒「泡盛」(沖縄の酒)を頂いた!
  19:15、21:00に「ルア天」さんと再会するまでの時間、久しぶりにファミレスに入って夕食を取りつつ時間をつぶす事にした。「シマッタ!」店内はカップルが多く、今の僕には目の毒だ。「俺も恋がしたい」――しかし、自転車とテント生活の僕に女性と出会う機会は無い。だから、思い出す女性は旅する前に別れた彼女の顔と体と思い出ばかり。
  「恋と旅」――僕は不器用だから恋をすればそっちにのめり込み、旅どころではなくなる。今の僕は間違い無く“旅”を取る!
  22:00、ルア天さんの家に到着し、ルアー講習やネットサーフィンを深夜2時までやった。これは家族の方に迷惑を掛けてしまったなぁ。反省。

 

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この旅日記は、上にいくほど内容は新しくなります。
『走行』・・・1日の走行距離
『計』  ・・・後編開始(9/16〜)してからの走行距離
『総計』・・・日本一周(8/8〜)を開始してからの前後編を含む走行距離
『前編』・・・社会人時代の夏休み(前編8/8〜14)に、岐阜県可児市〜埼玉県大宮市まで(576.4Km)の旅
『後編』・・・旅人となって(笑)、9/16から再開した現在の旅
『@』  ・・・都道府県名の後の数字は、その都道府県での滞在日数を表します