マウンテンバイク日本一周モバイルの旅 4月号
☆旅日記は下から順にお読み下さい。上に行くほど新しくなります。☆
| ☆☆☆☆☆ 4月のデータ ☆☆☆☆☆ |
| 【 鹿児島県長島町 〜 愛媛県今治市 】 【 走行都道府県 】 鹿児島・熊本・長崎・佐賀・福岡・山口・広島・愛媛 【 走行日 】19日 【 走行0日 】11日 【 走行距離 】1,061.7Km 【 平均/日 】55.9Km 【 宿泊 】テント12泊/寝袋2泊/YH4泊/人の家4泊/自宅5泊/サウナ1泊/ホテル1泊 【 登山 】普賢岳(長崎) 【 掲載誌 】2誌 『週刊アスキー5-3号』「ハードモバイラーへの道Vol.50」 『おきなわ釣天国'00/6月号』「さとしのふぃっしんぐれぽーと」 【 読破本 】1冊 「日本最末端真実紀行」(椎名誠著・角川文庫) |
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ |
☆4/30(日) 202日 雲のち雨 走行0Km 計8,730Kmのまま 愛媛県A今治市・森さんのご実家連泊 「多くの物を頂き、多くの臭いを残す俺」
『四国の巻スタート』
森さんのご実家は昔ながらの大きな家である。娘二人ということで中もきちんと整頓されている。今日は1日、内職だ。森さんというのは以前勤めていた会社の本社に勤務している女性の先輩で、とても面白いネエ様だ。
おじさんおばさんにはお世話になった。おじさんは声がデカクて愛媛弁で喋りまくるあたりは、昭和一ケタ生まれと聞いてビックリしてしまう。おばさんには米は4Kgを始めとする食材をタップリといただいた。森先輩の「食べたい物があったら何でもリクエストしてたも!」のメール通り、希望の食事を作ってもらったのだ。
しかし、栄養の良い食べ物をタップリと頂いたら、放屁がかなり出る。そして、いろんな食材を摂取したので胃と腸でブレンドされて、いつにもまして臭い。内職をしている綺麗な部屋に放屁をしてはマズイが、生理現象なので仕方ない。部屋で作業中の僕におばさんがコーヒーやお茶、ヨウカンを持ってきてくれるのだが、困った事にはその時にもプスッーとやってしまうのだ。ばれてしまう臭いである。多くの物を頂いたのに、多くの臭いを残してしまう僕は困った者なのだ。
☆4/29(祝) 201日 晴 走行74.5Km 計8,730Km 〜広島県D瀬戸田町〜愛媛県@上浦町〜今治市・森さんのご実家 「しまなみ海道を走破する」
今日は天気がいい。しまなみ海道の残りの5つ(計7つ)も快調に走れそうだ。因島を走り3つ目の生口橋を越えて生口島を走る。11時を過ぎると徐々にレンタサイクルのほのぼのファミリーや、「いいねぇ〜君達は」とうらやましいダンデムのカップルや、「口には出さんが、僕は真剣に自転車やっているのだよ、フフ」といった太股ギンギンのスパッツを身に着けたサイクリストがわんさかと増えツーリングを楽しむ。どれも良い光景だ。
4つ目の約1.5Kmの多々羅大橋を正午に走り過ぎると、ここからは愛媛県、四国だ。渡ってすぐの「道の駅 上浦町」で昼食を取り昼寝をした。太陽が気持ちいい。
大三島橋、伯方・大島大橋を越えると、残念な事にラストの約4Kmの三連吊橋「来島海峡大橋」だ。たくさんのサイクリスト共に風になって駆け、立ち止まっては橋や瀬戸内の島々の風景をカメラに記憶させる。橋の付け根付近には広場や公園が設けてあって、橋上から見る度に「アッあそこでテント張りたい!」と野宿精神がくすぐられてしまうのだ。渡ってしまいたくない!
16時半、僕は1泊2日で7つの橋を渡り終えた。日記帳に最後の「渡橋証明」のスタンプを押して今治市街に向った。今夜は以前勤めていた会社の先輩・森さんのご実家に泊めさせてもらう。四国なのだ! 『山陽の巻END』
『昼食(バックは多々羅大橋)』
『最後の来島海峡大橋を渡りきったぞー!』
『自転車道終点でモバイル』
☆4/28(金) 200日 雲一時雨 走行70.0Km 計8,655Km 〜広島県C因島町・大浜崎野営場公園【テント】 「しまなみ海道をかじってみた」
余談だが安芸津町は元関脇・安芸之島関の出身地である。今朝、テントを張っていた榊山公園には「安芸之島関の碑」なんてのが大きく造られていた。
話を本題に戻す。今日は約50Km先の尾道市から「しまなみ海道」を走る。しまなみ海道ってのは、愛媛県今治市まで約60Kmをつなぐ道で、唯一本州と四国間を自転車と歩行者も渡れる道なのだ。サイクリストには人気が高い。
右手に瀬戸内海と島々、三原市の須波港で「それにしても自宅から持参したマルアイの焼海苔はウマイなぁ。俺のお手製のにぎりめしの味も引き立つよ。」と感心しつつ海を見ながら昼食を取り、14時半頃に尾道駅周辺に着いた。まずは“尾道ラーメン”と。
1つ目の「尾道大橋は歩道が狭く危険」との事なので、フェリーで2分の所要で向島に渡る。道には「サイクリングロードはこちら→」みたいな案内が頻繁に印刷されていてとても親切で気持ちがいい。グルッと7Km走るといよいよ因島に渡る因島大橋だ。小高い山を上ると自転車道入口、道は車道の下に伸びていた。
信号にも車にも邪魔されず、端の上を走るのだ!島を梯子するのにフェリーに乗らずに自転車でスイスイ走れるなんて気持ちがいいじゃないか!この道は楽しすぎるぞ!各所に乗り捨て可能なレンタサイクルがある。良い事だ。
おぉ〜っと今日で200日ではないか。明日は待望の四国に入れそうだ。
☆4/27(木) 199日 晴時々雨 走行71.4Km 計8,585Km 〜広島県B安芸津町・榊山公園【テント】 「復活!東奔西走号!!」
本日、我が愛MTB「東奔西走号」のパーツ交換をした。フロントのギア板のミドル、チェーン、リアのギア板8枚だ。。ミドルのギア板は強烈に磨耗して歯飛びし、チェーンは1万Kmの走行で伸びてきていた(チェーンを交換する場合は、リアのギア板も交換しなくてはならない。相性の問題)。南区のプロショップ「バイシクルショップ遊(YOU)」でお願いした。旅の最中というのを考慮していただき、迅速かつ適度な価格(¥8000)で対応してもらった。作業時間は10時から11時半だった。
復活した東奔西走号はスイス〜イと軽やかに走る。立ち漕ぎでも問題無し!これでまた山道を走れるぞい。四国の前にリペア出来て良かったー。
『CYCLE SPORTS』(八重洲出版)'00/5月号について書こう。196頁の「Reader's Report」に僕が投稿した「北陸3県野宿ツーリング」が掲載された(投稿したのも昨年の7月頃)。これは、昨年のGWに友人の女性と走ったもので、元々バックパッカーの僕にとっては初の本格ツーリングだった。だから僕は今、自転車旅歴1年、それが今や日本一周の旅をしている。「やろう!」という気持ちさえあれば、誰にだって出来るのだ!自転車旅は面白いぞ!
☆4/26(水) 198日 雨のち雲 走行34.6Km 計8,513.7Km 〜広島県A広島市・比治山公園【テント】 「世界遺産を梯子する」
案外、僕は世界遺産が好きで国内外チャンスが有れば立ち寄ってきた。どちらかといえば自然遺産(グランドキャニオン、屋久島e.t.c)が興味有るが、今回は文化遺産を旅する。
僕はまだ覚めぬ目をこすりこすり、早朝7時のフェリーに乗り10分、世界遺産・宮島の宮島港に渡った。あいにくの雨だが島に降り立つと雰囲気も違い、国立公園だから鹿も放し飼いでなんかいいんじゃんない!厳島神社は平清盛が造営した朱塗りの社殿である。海に浮かんでいるような設計なのだ。回廊をゆっくりと回り、昔の平家のおごれる時代を想像してみる。宝物殿で平家納経を見る。感想はいいんじゃない!だ。
昼食は今日もお好み焼を食べて、ふたつめの世界遺産・原爆ドームにやってきた。爆心地に近かった産業振興館はいまや核兵器の恐ろしさを伝える象徴となった。なぜ広島に原爆が落とされたのか?それは軍事・軍隊施設・工場が集中していたからだ。近くの平和記念資料館へ行く。戦争発端の経緯・原爆投下、そして目を背けたくなるような被爆資料が陳列されている。子供の頃、原爆症の状況を気持ち悪くしながら読んだ「はだしのゲン」の世界があった。多くの外人が熱心に見入っていた。核は廃絶すべきだ。多くの人達に見てもらいたいという願いから、ここの拝観料は50円であった。
『厳島神社』
『原爆ドーム』
☆4/25(火) 197日 晴 走行60.2Km 計8,479.1Km 〜山口県I岩国市〜広島県@宮島口YH 「広島見参!」
僕はこの日本一周の旅をする以前、一人旅や家族旅行を含めて訪れていない未踏(※)都道府県は千葉、山形、鳥取、佐賀、そして広島であった。本日、最後の未踏地・広島に初見参なのだ!“見参”なんて書いちゃうと「ザ・グレート・ムタ見参!」みたいで非常にカッコ良い。(※交通機関等での通過は対象より外す)
今日もR188→R2と平坦な海沿いを走る。平坦で良いのだが主要道なので大型車の往来が多く、排気ガスも気分良くなく、気温も上昇しているのでうっぷんが溜まる。
広島に入った。まずは“広島風お好み焼”でしょう(笑)!そばが入っていてボリューム有り、美味!明日は世界遺産・宮島観光だ。しかし、天気予報は100%のどしゃ降り…。ここんとこ過去の画像データの復旧作業で夜更かしが続いている。う〜眠い眠い…。
☆4/24(月) 196日 晴 走行90.0Km 計8,418.9Km 〜山口県H柳井市・市営グランド【テント】 「犬に靴下を盗まれた」
聞いてよ、今朝、犬に靴下を盗まれた!朝食を作っていると犬がキャンキャン吠えながら、とても警戒しつつ寄って来た。僕は(飼い主もいるかもしれないから)温和に「これこれ、鳴くのはオヤメ」と対応していたが、いつまでも鳴いている。湯が沸くまでテントに出て撤収を始め、しばらく辛抱して履いていた悪臭付きの靴下をそこらにあった椅子に掛けた途端、パッと片方だけくわえて逃亡しやがった。コノヤロー、僕はすぐに叫んだ「どうせなら、もう片方も持っていけ!」
「大村益次郎之墓」にて、「今後も夢に向って勉学に励みます」と伝え出発した。
今日も20℃、風も良い。カッ飛ばすんだけど、リアタイヤが2度もパンクして時間を取られた。それから、長崎より気になっていたチェーンホイール(チェーンが引っ掛けてあるギザギザ歯の前のやつね)のセカンドが歯飛びしだした。かなり激しい磨耗が原因だ。僕は低い峠ならセカンドのままスタンディング(立ち漕ぎ)で走る。今はグンッと力を入れると飛ぶ。少々危険。チェーン自体も総合計約1万Kmは走っているから伸びてきてはいる。
夕方に米2Kg、玉ねぎ、ミカン、干し大根と夕食の食材を購入した。これでしばらくは存分に自炊が出来る。
『大村益次郎之墓』
☆4/23(日) 195日 晴 走行69.7Km 計8,328.9Km 〜山口県G山口市・大村神社【テント】 「“参謀”への憧れ」
『山陽の巻スタート』
YHで同室だったのは僕を含めて3人とも日本一周サイクリストだった。たまげちゃうのはここからで、上地さん早野さん共に年齢は60歳を越えており今回が2回目の日本一周!山陽の巻スタートには縁起がいい。
強い西からの追い風に乗って走り30分、下関市の長府で昼まで観光をする。まず功山寺。ここは幕末志士・高杉晋作が奇兵隊を挙兵した所である。青葉が淡く緑に色付き、山王門に良く映えた。観光客や絵を描く人々がとても多かった。その後、日露戦争陸軍指揮官の乃木将軍が祭られている乃木神社を観光した。
午後も軽快に追い風で進み、16時頃に山口市に入って「今夜は10Km先の防府市にテントを張ろう、その前に米を買って…」と考えていた頃、目の前に「大村益次郎の墓→」と小さな看板が飛び込んできた!この人物は幕末の長州藩士で幕長戦争や戊辰戦争での名参謀で、近代兵制の礎を築いた人である。僕はひとむかし、なにげに“参謀”に関心を持ったことがあった。戦国時代の黒田官兵衛しかり、日露戦争海軍の秋山真之しかり…、益次郎は特に好きだ!
ここ鋳銭司は彼の出生地で、「→」の方向には「鋳銭司郷土館」があり彼の遺品・資料を拝観した。う〜む、参謀ってのは勉学熱心で先見性が有って、なによりも緻密だ。今思えば、僕が持ち合せていない部分を持っていたから“憧れ”があったんだろろうなぁ。大村神社に参拝して、今夜はこの境内にテントを張ることにした。
『功山寺・高杉晋作回天義挙の像』
『鋳銭司郷土館』
☆4/22(土) 194日 晴 走行46.5Km 計8,259.2Km 〜福岡県E北九州市〜山口県下関市・下関火の山YH 「『いや、そんなことないッス、ないッス』」
今日は約40Kmを進み九州突破の予定だ。1日あれば十分な行程なので、のんびり進み門司港レトロをゆっくり観光する。関門橋が見えた!あ〜懐かしい、3ヶ月以上前の1/13に見て以来だ。会いたかったよ〜関門橋ぉ〜!
15:30、まだ時間が有るので関門橋が綺麗に見えるという「ノーフォーク広場」で、この旅初の水彩絵具を使って絵を描くことにした。遊びに来ている人達が上から覗く。その中で、おじいちゃんとおばあちゃんと若ママと小学低学年のお嬢ちゃんの4人ファミリーが「ちょっと見せて下さる。」と声を掛けて来た。「まあ、お上手ね。」とホメられる。この“お上手”の「お」がある分、とてもウマイ気がする。「いや、そんなことないッス。」と僕はしきりに照れる。この“ないッス”の「ッス」がある分、品が無い気がする。
「もう何枚も描いてられるの?」「いえ、初めてッス」「れなちゃん、このお兄ちゃん、絵がお上手ね。」「うん。」子供は正直だから、僕の絵がウマイという公式は成り立つのだ(おいおい)。でも、やっぱり照れるから「いや、そんなことないッス」になってしまうのだ。
17:00、1/15以来の関門人道トンネルを山口側に向けて走った。実に3ヶ月以上、九州・沖縄・離島を回っていたのだなぁ。長かったが、実に沢山の方との出会い、出来事が目まぐるしく起きた3ヶ月だった。今はただただホッとしているのだ。 『九州西側の巻END』
『関門橋、会いたかったぜ…』
『関門橋を描いてみた』
☆4/21(金) 193日 雨のち晴 走行72.3Km 計8,212.6Km 〜福岡県D芦屋町・魚見公園【テント】 「九州西側突破に秒読みだ!」
国道から外れ、県道533号→502号→300号を玄海灘沿いに走る。午前中の雨がウソのように天気がいい。県道は田舎を走るから気分もホンワカしてくる。
玄海灘といえば、18日に野宿した佐賀県・白浜海水浴場の管理のオッチャンが「諫早の干拓事業で遠くは玄海灘の漁業まで影響が及んでいる」と言ってたな。
九州西側の巻・最終地点の門司港まで、残りはいよいよ約40Kmとなった。思えば1/15に関門海峡人道トンネルを渡り、九州に上陸したのだ。この日記を書いていると静かにコーフンが沸いてきた。ヨシ、今晩は早く寝よう!
☆4/20(木) 192日 晴 走行46.7Km 計8,140.3Km 〜福岡県C久留米市〜佐賀県B鳥栖市〜基山町〜福岡県C福岡市博多区・山王公園【テント】 「週刊アスキー5-3号にドドーンと3度目の登場!」
昨夜の問題解決から一夜明けたが、あの胸がスカッとした瞬間やしんじTさんと交した握手はまだ実感として残っている。
僕らは朝昼食兼用でメシに行き、そのあと勇んで昨日発売(久留米は1日遅れ)の「週刊アスキー5-5号」を買いに行った。九里さん連載の「ハードモバイラーへの道」に3度目の登場なのだ!早速、見る。ウム、写真写りだけは相変らずの色男だな、ヨシ。今回は旅先からのFTPの仕方についてだ。ナニナニ…フムフム…ホウホウ、自分が載っていると面白さも倍増するなぁ(笑)。書面の内容通り、今も更新作業に当っている。
その最後部に記載されているが、この日本一周のゴールは“富士山頂”だ!山頂といったら山頂なのだ。日本一周のスタート・ゴール案に富士山があった事や、8月に箱根越えをした時に天候不良で見えなかった事などから、一周開始1ヵ月半頃から温めていた計画なのだ。ゴールは日本一の山・富士山がいい!さらに、山頂登頂して喜びの瞬間を音声や動画を使って、リアルタイムで発信したいと考えている。
そして、やはりゴールは苦楽を共にしている我が愛MTB「東奔西走号」と一緒に踏みたい!だから、僕は東奔西走号を肩に担ぎ富士山頂に登ろうと思っている。
「気を付けて行かないかんト。」としんじTさんに博多弁で見送られ、国道3号を北上して福岡市を目指したのだ。
※てげ隊 岡山支部長・三村さん、1月分の画像・テキストありがとう!
『週刊アスキー5-3号』
☆4/19(水) 191日 雨のち晴 走行96.2Km 計8,093.6Km 〜佐賀県A川副町〜福岡県B大川市〜久留米市・しんじTさんの家 「週刊アスキー第1回目登場(99年10/6日号)からの応援者に会う」
降雨向い風の中、畑の中の国道444号を走り福岡県久留米市に向った。久留米には“しんじTさん”がいるのだ。この方は、僕が週刊アスキー連載「ハードモバイラーへの道」に“モバイルしながら自転車日本一周する青年”という企画で登場した99年10/6日号からずっと応援してくれている。掲示板やメールで僕を何度となく勇気づけてくれた。
20時過ぎに、初対面したしんじTさんはホガラカ兄さんって感じだ。僕の久しぶりに入浴を済ますと、僕らは焼き鳥→久留米(屋台発祥の地)のラーメン屋台と梯子した。熱く自分の信念を語るしんじTさんはなかなか格好良い。
11日分に記載通り旧Infowebから@niftyに移行してなにかと問題が発生したが、皆様のご協力で9月〜4/8日まで画像は戻ってきた。しかし、CE機から新たな旅の画像がFTP出来ないのだ!この問題が14日の旅再開時から心にぶら下がっている。僕はパソコンに詳しいしんじTさんの力を借りて深夜2時から復旧作業に当った。
エディタでのHTMLの一字一句の確認、FTPソフトの送信手順の確認等々をひとつずつ確認したがやはりミスは無い。FTPのリモート側のデータを凝視すると、ムム、ローカル側は拡張子JPGが大文字なのに対し小文字(jpg)だ!小文字であったエディタの拡張子を大文字に変更してFTPしたら大成功!2時間近い格闘の末、僕のモヤモヤは一気に解消したゾー!!。週アス読者はやはりPCに詳しいのだなぁ。
※告知「週刊アスキー5-3号・ハードモバイラーへの道」大胆不適に3度目登場!
※北谷の大山さん、2月分の画像ありがとう!
『久留米の屋台でしんじTさんと』
☆4/18(火) 190日 晴 走行78.0Km 計7,997.4Km 〜長崎県E小長井町〜佐賀県@太良町・白浜海水浴場【寝袋】 「たにぐうファンの女性にPOWERをもらう」
原さんと出島で別れて出発して社会人が会社へ歩を進める8時半、対面から来る自転車旅行の女性が僕を見るなり「エッ、もしかして田嶋さん?!」と言ってきた。面食らいつつ「はい、そうですが…」と応えると、「いやァ〜ん、うれしいィー!」と猫ナデ声を出すので、さらに面食らったがいよいよ「俺の人気もつくづく全国レベルだねぇ」と心の中でニヤついてしまう。
彼女はかなさん(静岡在住)と言う。ま、僕のHPを見たファンだなと察しはついたが、ここはダンディーに「なんで僕の事知ってるのかなぁ?」と聞くまでもないが聞いてみた。すると「私、たにぐうさんを追っかけて旅してるんです。それでたまたまリンクに田嶋さんのがあって…、1週間前に初めて見て…」と。ナニ、僕じゃなくてたにぐう?!過積載ザックの日本一周青年じゃねぇか(16日の日記参照)!追っかけファンがいるとは、ムムムこしゃくなゴリラPOWER野郎だ!うらやましい…。
僕は実はここ数日、旅の環境に体が慣れず夜はとても眠かったのだ。だけど、旅好きの彼女と話をしていたら“旅の精神”が眠りから覚めてとても気合が入ってきた。僕らは11時過ぎまで立ち話で盛り上がった。彼女は富士通のノートPCを携帯して、引き続きたにぐうを追っかける。それにしてもHPの読者から声を掛けられたのは始めての事だ。
今日は諫早市に向う。昨日に続き20℃を超え夏日だ。久々に半袖・半スパッツ、13日から入浴していないのでバンダナも外して走っていた。そしたら、またもや小学生の遠足の一団に遭遇して、その中の女の子が「キャハハハ砂漠にいる人みたーい。」ととてもウマイ事を言う。
大型トラックがひっきり無しに走る、諫早の干拓予定地に来た。10年近く前、ここの建設事業は物議をかもした。今もムツゴロウの絶滅や佐賀方面の漁師達は漁に大きな影響を与えたと反対意見を持っている。逆に近辺の住民は台風による浸水の影響が激減したと喜んでいるらしい。しかし、僕の見解では、計画では今年から畑開墾であるが、開始まで5年も掛かるというのは公共事業費の浪費ではないかと思う。
『たにぐうファンのかなさんと』
『平和記念像』
『諫早干拓建設事業』
☆4/17(月) 189日 晴 走行11.8Km 計7,919.3Km 〜長崎県D長崎市・出島オランダ商館跡【寝袋】 「肉体派大人3人VS小学3年生大群との攻防」
竜馬像の前で僕、原さん、たにぐうくんの3人の食材を出し合い朝食を作る。3人寄ればなんとやらで朝から焼肉(玉ねぎ入り)、網を使ってのイワシの丸焼、いちご・みかんのフルーツととっても栄養高だ。
11時半頃、撤収をしていると上長崎小学校が遠足に来ており、その中の3年生軍団が10人ぐらい大挙して攻め込んできた。竜馬像の前でナリキリ撮影したまでは良かった。だが、その後、原さんのMTBに搭載してあるナイフを見つけ「凶器だ、凶器だ!」と歓喜の声を上げ、たにぐうくんのヘビー・ザックをかつぐと吠える植村直己の風体に似た少年、僕のケーナ(ペルーの楽器)は人気があったが吹けないとなるとサーベルとして使われ、MTBはジャングルジムのように3人に乗られ、皆のカメラはいじくられ、ペットボトルは回し飲みをされ、さらに様々なソボクな質問が多方面からビュンビュン飛んできた。
やっぱり最後は肉体系の3人の大人VS大群3年生とのチャンチャンバラバラのプロレスごっこになる。「3年生集合ォ〜!」と先生の掛け声まで担いで叫んでいたら、14時を回ってしまった。ソボクな感想だが、長崎の少年少女は坂や階段を上ってるせいか足腰が強かった。「木登りとかやってるか?」の質問に「やってる!」と元気に応えるので「よしよし」と唸った。
たにぐうくんを見送り、急げ急げと僕は亀山社中祉を観光しに行ったが、残念ながら中には入れなかった(見学は土日のみ)。続いてオランダ坂を歩く、長崎は階段や坂を歩いてみるのが良かろう。
出島跡を観光して原さんと合流し、今夜はここに野宿する事に決めた。
『たにぐうとモバイル談義』
『亀山社中祉』
☆4/16(日) 188日 晴 走行22.4Km 計7,907.6Km 〜長崎県C長崎市・風頭公園【テント】 「竜馬像の前で野宿をする」
今日は長崎市街観光だ。11時に着いてまず眼鏡橋を見て、すぐさまグラバー園に行く。この高台に明治維新前後の外国人居留地にあった西洋風建造物が移築され並んでいる。グラバー園は2回目だが、いつ来ても素晴らしい景観だ。3時間以上、ポッ〜とゆっくりしてしまった。
15時頃、グラバー園から久しぶりに原人の原さんに電話したら、目の前の出島にいるというので合流して中華街で長崎ちゃんぽんを食べた。あとで原さんとは合流するとして、今夜“たにぐう君”(リンク「たにぐうの今どこ日記」参照)という徒歩日本一周の青年と宴会をする風頭公園に移動した。モバイルを持っての旅という共通点から、半年以上前よりメール交換をしていた。(彼はコミュニケーションパルという機器で作った旅日記を、メールで友人のがりや君(12/4日記参照)に送って1週間に1度HPを更新している)
この山の上にある風頭公園は素晴らしいことに坂本竜馬が長崎港を眺めている銅像がある!僕は夕方にここに到着して写真を撮りまくった。司馬遷太郎の「竜馬がゆく」の文学碑もあって感動してしまう。と、いうことは当然この公園のすぐ近くにに亀山社中祉があるが、それは明日の初っ端の観光の楽しみにとっておこう。
18時半頃、たにぐう君は「どうも、やっと会えましたねぇ〜。」と高く上段にいろいろ積載された過積載ザックを背負ってゴリラのような風体でスマイルをして竜馬像前にやってきた。
長崎港を挟んで反対側に稲佐山がある。この夜景の見える場所でたにぐう君、原さんと飲んで食べる。後ろには竜馬像が威風堂々と長崎港を見下ろしているのだ。こんな良いロケーションは今までの旅でもまずお目に掛かれないなぁ。
『グラバー邸』
『竜馬像の前・我レ思ウ』
☆4/15(土) 187日 雨のち雲 走行51.8Km 計7,885.1Km 〜長崎県B長崎市・長崎東公園【テント】 「さあ長崎市街は目の前だ!」
雲仙の夜は寒くはなかったが、朝テントから出るととても寒かった。キャンプ場の水も凍るように冷たい。雨も勢い良く降っていた。昼以降晴れるという天気予報と、昨日の疲れがややあったので、午前中はゆっくり過ごした。ガソリンストーブのメンテや、自転車のVブレーキシューの調整をした。
昼過ぎ、雨が上がり僕も出発した。島原半島東側の小浜温泉へ国道57号を時速50Kmで急降下する。
今日は国道57号→251号と走って長崎市市内に入ったが、どこの個所もUpDownが激しく参ってしまう。僕は「上りなら上り!」という方が好きなのだ。おまけに小浜温泉から北上する57号は道幅狭く交通量が多かった。
さあ、明日は長崎観光だ!おしゃれな町に僕が観光するとどうなるのか?それは明日のお楽しみ。ただ、長崎は坂本竜馬が「亀山社中(わが国最初の海運商社)」を立ち上げた所で、僕はとても楽しみにしていた町のひとつなのだ。(ちなみに竜馬のアノ有名な立ち姿の肖像写真は長崎で撮影したものなのだ)
☆4/14(金) 186日 晴 走行26.48Km 計7,833.3Km 〜長崎県A小浜町・白雲ノ池キャンプ場【テント】 「雲仙に駆け上がり、普賢岳に登る」
おーぃ、旅のフィールドに帰ってきたよー、という気持ちで今日も張り切ったぜー!リターン早々、雲仙(標高約740m)に自転車で挑戦だ。南北より傾斜がキツイ、西の島原から上るのだ。
9:00、ハンドルのバーエンドを角度を上げて登坂に対応できるようにして、いざ出発。国道57号を走る。桜がまだ残っていた、うれしい。9:45頃、小学低学年の遠足集団と一緒になり、「頑張れー!」の大声援。辛いのに笑顔で対応していたら頬骨の下が痛くなった。顔の汗があごヒゲを伝いボタボタ下に落ちた。「道の駅みずなし本陣ふかえ」のオヤジさんの話では「九州一の難所」と聞いていたが、傾斜は一向にキツクならず、11:15にノンストップで雲仙に上がった。
予想外に早く着いたので、明日登山予定の普賢岳(標高1,359m)にも挑戦することにした。天候も崩れず気持ちいい。仁田峠から1時間、14:00に山頂に到着した。普賢岳の尾根からの噴火によって出来た“平成新山(標高1,486m)”はすぐ目の前にあり、火山岩を積もらせ火砕流の跡を残しそびえ立っていた。
下山して雲仙温泉街(標高700m)の新湯共同浴場で汗を流す。この湯は何故か乳首がヒリヒリする…。局部電気風呂のようだ。
久しぶりのテントだ。家から持参した玉ねぎを刻んで調理する。そうそう、今回の帰省で冬用寝袋を持ち帰り、3シーズン用を持ってきたのだ。雲仙の夜はまだ寒いと言うがいかがであろうか。
『普賢岳山頂(後方は平成新山)』
『入山禁止の平成新山』
☆4/13(木) 晴 岐阜の自宅→長崎県島原市・島原YH 「水彩絵具とケーナ」
1時間半の睡眠で7時起床。午前の名古屋空港から長崎空港への便を予約をしようと空港に電話したら、僕が予定していた便はは長崎空港から名古屋空港行きで、すでに午前便は飛び立っていた。仕方ないので昼まで寝て、16:35発の午後便で長崎に戻る事にした。(長崎行きは1日2便のみ)
15時頃、西春駅から空港行きのバスに乗ると、以前勤めていた会社の後輩の女性2人が乗車していた。福岡に旅行に行くというので、出発まで搭乗口で歓談した。僕のヒゲ面にはじめはキョトンとしていた。
今回は旅の資料や雑誌、食料を多めに持参してきた。さらに日本一周を開始して早々、使う時間が無かったので送り返してしまっていた水彩絵具とケーナ(フォルクローレの楽器)も持ってきた。今日からi-mode対応HPも更新作業をするというのに使う時間はあるのだろうか?いや、作り出さねば!
飛行機が長崎に着陸体勢を取ると、またもや気合が充満してきた。明日から九州は天候が崩れる予報だが、楽しみにしていた雲仙に自転車で駆け上がる。
☆4/12(水) 晴 岐阜の自宅5泊目 「一句:かろうじて 最後はまとめた 一時帰省(字余り)」
自らの手でサーバーのデータを削除してしまうというウッカリミスから一夜明けた。やはり、起床時の落ち着いた気分で考えると、あ〜ぁマヌケな事をしたなァと感じる。
今日は朝から失業保険の手続きだ。準備をしながらメールを確認していると九里さんから「僕のHDに3・4月分はあった」と画像(JPEG)の添付ファイルを送ってくれていた。おぉ〜!
さらに「掲示板」を確認すると地元の友人・宏綱が「9〜12月の画像は持っとる」と書き込みあり。うおぉ〜!!一夜にして6ヶ月分戻ってくるのだ!ツイテル!なんとか格好は付いた。残すは1・2月分だ。
僕は急いで職安に行き、今日この後に長崎へトンボ帰りするのも彼女と名古屋で昼に会うのも辞めて、帰宅後すぐに画像の修復に取り掛かった。順調に修復できた。テキストが1/7以降が欠落していたが、この分は友人の五月ちゃんにFAXしてもらったので、後日ゆっくり入力すれば良しだ!皆さんありがとう。
となると一時帰省最終課題の「i-mode対応HP」作成完了だ。この作業に関してはとても悩んでいた。まず、僕がi-modeを所有していないし画面をほとんど見た事が無い、そして、約200日はある旅日記をどうまとめるか?21時ぐらいまで悩んだ。そのあたりを九里さんに相談しつつ徐々に絞っていくと重要なコンテンツが見えてきた。0時近くに完成なんとか間に合った!こちらも旅先からリアルタイムに発信していくぞ!
現在深夜3時半を越えた。明日、午前便で長崎県にトンボ帰りをする。目まぐるしい帰省であった。もうこれで6月末の日本一周完成予定まで帰省する事は無い。非常にワクワクしてきた。このワクワクした気持ちをペダルに乗せ、俺は旅を続けていくのだ。
※告知:@PC版HP新アドレス http://homepage2.nifty.com/naoki/
Ai-mode版HP『ソレユケ!東奔西走日記【i】』
BPC版HPの1・2月分の画像(JPEG)をお持ちの方ご連絡下さい。
☆4/11(火) 晴 岐阜の自宅4泊目 「あまりのバカさ加減に自分を叱咤する」
今日も朝からiモード用HPをせっせと作っていた。お昼過ぎ、骨休みにフト旧infowebから@niftyへデータの移行作業を行ったのだが、その何気の作業の途中でフト気付けばサーバーにある旅の画像をほとんど消してしまった!!徐々に自分の犯した過ちにオノノキ始めた。
「おいおい、自分なにやってんだよー!!」と自分を叱咤して、急いで@niftyのサポートセンターに電話を入れる。「御客様、残念ですがサーバーの方のデータも完全に消えております。」なにーっ!!年末の「初期化するしかないですねぇ。」と同じ衝撃だ。
悔しくて落ち込みたいところだが、「無い物は無いのだ。無い物は帰ってこないのだ。」とサッと気持ちを入れ替えた。僕は旅に出てからずいぶんプラス思考になった。「これから画像を更新できないわけじゃない。今後もさらに楽しい旅にしていき、オモロイ画像を載せていけば良いのだ!」良い意味で諦めが良い。
しかし、iモード用のHPはファイルが膨大な量になりそうで、悪戦苦闘を強いられている…。
☆4/10(月) 雨 岐阜の自宅3泊目 「iモード版HP作成に挑戦する」
予想外の長い外出から、ようやく自宅に10時半に帰ってきた。
ウカレ気分に慕っているのは終わりだ。今日は我がHPの「それゆけ!東奔西走日記」の“iモード版HP”を作成するのだ。iモードは手頃に情報は収集できるが、やはり重いデータや画像は取り込むのは苦手だ。コンテンツとしてはテキストOnlyの旅日記を作成しようと思う。
しばしガイドブックに熱い視線ビームを放ち、iモード専用の“コンパクトHTML(ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージ)”という言語を中心に学ぶ。ウムウム、現在のHPからiモード用にコンバート(入れ替え)をしていき、データを軽くしていけば難しくはなさそうだ。コツコツ作成していく。うまくいけば良いな。
☆4/9(日) 晴 名古屋の友人宅 「“ナンデ”攻撃にヒルむ」
カプセルホテルを正午前にチェックアウトした。昨日の彼女が気になったので電話を入れるが、どうも電源が入っていないらしい。とりあえず、大須という電気街に移動してポジフィルムの備品を調達する。そこで再度、彼女に電話をして呼び出し、名古屋城へ花見に誘った。
夜桜見物を二人で楽しみ、あらためて交際を申し込んだ。すると彼女は「ナンデ?」と、昨日の話とはとてもウラハラな阿鼻叫喚の返答をブチカマシてきた。いままで数々の失恋大半、成就少々の恋をしてきたが、告白して「ナンデ?」とオッタマゲル返答は初めてだ。ヒルんだ。
「ナンデじゃないだろ、返答しろよ!」と言うと、「ありがとうございます。」とこれまたトンチンカンであったが、要するにOKだった。僕らは飲み屋でまた酒を飲んで家路に着いた。
☆4/8(土) 晴 今池カプセルホテル 「友情と愛情」
12時半頃の九里さんが名古屋から関東に戻る間、僕は引き続き九里さんに素晴らしき質問少々、くだらなき質問を大半雨あられ浴びせかけた。それを真っ向から的確に応える九里師匠。やはり見事でございます。
昼過ぎ、以前勤めていた会社の同僚、そして親友であり、バックパック仲間である川口君と再会する。彼も会社を辞めて香港に留学して4月から友人が始める会社に就職をする。彼の行動は僕にとってとても良い刺激になっている。「俺も頑張らねば!」と思う。
さらに、17時半に元同僚の木村君と引地さんが合流してしばし会談。3人は僕の旅を応援してくれているし、いつまでも素晴らしき仲間だ。
19時に知り合いのある女性と会う。僕のホームページを見て帰省している事を知り「会いましょう」と連絡をくれたが、彼女は僕が会社勤めをしている頃から好きだった女性なのだ。楽しく飲んでいてお互いの恋愛感を話していると、お互いがお互いのことを好きということがわかった。正直うれしい。
しかし、僕は今、旅の身である。それでも彼女が僕に付いて来てくれるのであれば付き合いたい。今日はそれ以上の返答を聞くのは辞めといた。酔った彼女を自宅まで送り届け、帰ってきた。男だから下心があるけどあの状態で気持ちを満たしても納得いかない。今夜はどこで野宿しようか…。
ところが、外は寒い。時刻は深夜1時を回り終電も無い。彼女の家のある天白区から名古屋駅か栄駅まで歩くことにした。心の中で「直樹、送り狼にならずエライぞ!」と叫ぶ硬派魂と、「チッ、半年以上ぶりのラブロマンスをみすみす手放しやがって。」と軟派精神が怒っている。まぁこれで成就しなけりゃそれまでの恋だ。
しかし、歩き出して1時間半を越えると辛くなってきた。「とにかく泊りゃよかった…。」とにかくシマッタ。午前3時半、作戦を変更して今池という所のサウナに泊ることにしたのだ。
『素晴らしき元同僚の友情』
☆4/7(金) 晴 名鉄グランドホテルの九里さんの部屋 「師匠の九里さんと再会」
待ちに待って、さらに待ちに待って、なおかつ待ちに待った、我が師匠・九里(くのり)さんとの再会だ!!18時に再会し、今夜はとことん話をしてやる。
僕の行きつけの「しゃぶ亭」(052−583−9330)にて、しゃぶしゃぶを食す。久しぶりに会った九里さんは素敵で過激で無敵だ。冒険論・モバイル論について質問しまくり。食いまくり。現在は2時だが九里さんの宿泊する名古屋駅のホテルに潜入し、まだまだ飲んでいる。九里さんはやはり若くて面白い!俺もますます勉強して頑張るぜよ。
『九里さんと名古屋で会う』
『九里さんモバイル』
☆4/6(木) 晴 岐阜の自宅2泊目 「“ある人物”」
12日に失業保険に関する“行事”がまたある。「今回は前回のように旅に戻らないのか?」と疑問を持つ人もいるだろう。なんせ前回は、3/30から4/3までの4日半を走るためだけに鹿児島に飛行機で戻ったのだから。
実は当初、今回も“必殺トンボ帰り”や“ビテイコツ耐久レース”を使って12日までの間は「旅のフィールドに戻ろう、俺はペダルを漕ごう」と決意は固まっていた。
しかし、僕の旅に対する決意を揺るがせガラガラと崩す予定が、明日7日に入ることになった!それは、“ある人物”と再会することになったのだ!昨年9月3日の出会い以来、7ヶ月ぶり、そう、あの人物なのだ!!夜が更けるにつれ、気持ちは徐々にワクワク、ソワソワ、フワフワしてきた。楽しみで仕方が無い!(明日をお楽しみに!)
☆4/5(水) 雲 大阪府大阪市→岐阜の自宅 「睡魔ニモ負ケル」
今朝の4時まで小滝と婚約者の圭子ちゃんと5/13の披露宴の打ち合わせをしていた。僕は“ワタ菓子頭ヒゲ夫”で司会に挑むのだ。それから4時間ばかし寝た。
9:15に環状線大正駅から乗車して、10:00に大阪駅を出発した。やはりとても眠い。12:45、JR名古屋駅到着。そういえば9月に再出発してから、初めて名古屋駅に来る。僕がまだ名古屋で社会人をしていた時は建設中であった“ツインタワー”もすでに完成している。次の列車乗車までの15分間時に一度見てやろうとホームから乗り出して見るが、下部は見えるが真中から上はノッポ過ぎて見えないので諦めた。
14:00、失業保険の説明会だ。2時間を予定しているという。眠い…。案の定、寝てしまった。
17:00、ようやく自宅に戻り早々に風呂に入った。夕食を済ませて、新しいモンベルのカタログとニラメッコしたり、新たに現像したポジフィルムのチェックをした。フムフム、今回もいい写真が何点かあるぞぉ。
今夜は早寝をしよう。
☆4/4(火) 雲 長崎県B島原町→大阪府大阪市・小滝の家 「ビテイコツ耐久レースにまたもや挑む」
今日からまたもや一時帰省だ。面倒くさくやるせないが仕方が無い。かなり往生際が悪いがここは辛抱なのだ。今回も青春18切符(普通列車と快速列車のみ乗り放題)を使う。前回の鹿児島県串木野から帰省に使った切符がまだ余っているのだ。普通列車では1日掛けても自宅の岐阜まで帰れないので、大阪の友人・小滝の家に今晩は泊って彼の結婚式の打ち合わせもすることにした。
さて、島原YHで朝食をカッ食らい、島原鉄道の島原外港駅から7:03分の始発に乗って出発する。JRの最寄駅の諌早駅まで約1時間半も掛かる。時刻表で大阪までの時刻を確認していたら10回も乗り換えしなくてはならない事が判明した。諫早までの間のほとんどを時刻表とニラメッコしつつ、向いに座ってる美人のお姉さんに無意識のうちに目線をチラチラ送っていたら酔ってしまった。
お昼、福岡の小倉駅でどうしても『BE−PAL』が欲しくなって捜し求め、「あったあった!」と喜んでいたら昼食を買い忘れてしまった。15時頃「どこを走ってるんだろう?」と思ったらまだ山口・広島の辺を走ってる。日本も広いなぁ。
普通列車の旅はとにかく座りっぱなしのビテイコツ耐久レースなのだ。16時、岩国というあたりで少しビコツが唸りを上げてきた。「こういうときはビールを飲んで寝る!」とヤケになりつつ、19時半に岡山駅でビールを買って飲んだ。しかし、眠れず読書をした。
23時、都合8回の乗り換えでようやく大阪駅に到着。「安旅はラクじゃないぞ…」思いを募らせ、環状線に最後の乗り換えをして小滝宅に向うのだった。
☆4/3(月) 185日 晴 〜長崎県A島原町・島原YH 走行15.61Km 計7,806.9Km 「雲仙岳に魅せられて…」
当初の予定では、今日は長崎市街まで進み、そこでMTBの預かってくれるところを探して明朝より青春18切符で普通列車を乗り継ぎ、一時帰省の途に向う――と考えていたが、「道の駅みずなし本陣ふかえ」から目の前に見える普賢岳の噴火で出来た平成新山の異様に驚き、その奥の土石の流れた跡が見えるという普賢岳に自分の足で登ってみたいと強く思い、雲仙岳(前記の山などの総称)を我がMTB「東奔西走号」でヒーヒー言いながら上ってみたい!と心が固まってしまったのだ。
よって、島原でMTBの預り所を探し、一時帰省から戻ってきた後に雲仙温泉までMTBで上り普賢岳登山を敢行しようと思う。今回の一時帰省は12日までだ。開聞岳登山後、「九州での登山は終わり」と言っていたが撤回する。※平成新山はまだ登山不可。
道の駅に預りを懇願したが受け入れられず、島原YHに直接交渉しに行くためにさらに北に向う。
水無川を渡る。ここに噴火の土石流が流れ込み、あふれた土石が家屋を飲みこんだ。昨日の保存被災家屋がそれである。現在は、幾重もの屈折を施した、グロテスクとでも表現出来る“導流提(土石の流れを導く堤防)”がガチガチに建設されていた。川周辺も新たな住宅建設のため整地が行われていた。
11:30、島原YHはすんなり預りを了解してくれた。これなら今夜宿泊せずに帰宅に向いたいと思ったが、失礼なのでやめた。島原城、涅槃像、白土湖、武家屋敷と、午後は島原市観光をする。
『平成新山』
『導流提の施された水無川』
『桜が美しい島原城』
☆4/2(日) 184日 雨 〜熊本県G五和町〜長崎県@口之津町〜島原町・道の駅みずなし本陣ふかえ【テント】 走行53.95Km 計7,791.2Km 「『島原の乱』終焉の地で松崎しげるに遭遇する」
静かでGoodな白岩崎キャンプ場を出発してしばらくすると雨が降ってきた。五和町の鬼池港から30分フェリーに乗って長崎県の口之津港に着いた。
港から国道251号を東に走り、12:30に原城跡に着いた。1637年、天草四郎時貞を盟主とした島原の乱で、追い詰められたキリシタン一揆軍がこの原城で88日間篭城したが無念の最期を遂げたのだ。うれしいことに昨日今日と本丸跡で「一揆祭り」なるものをやっていた。すると真中に設けられたステージで「ワン・ツー、ワン・ツー、フッフッフッ…」とマイクテストをしている真っ黒焦げ顔した松崎しげるがいた。「本番は16時からだよ。」と前置きして、映画「タイタニック」「ゴースト」「ボディガード」のテーマ曲などを立て続けに熱唱するガングロしげるであった。
15:00、日本最大規模の道の駅、みずなし本陣に到着した。ここには平成2年11月の雲仙普賢岳災害の土石流被災家屋をそのまま保存してある。被災家屋は1階の約8割が埋まっていた。「がまだす」――この島原地方の方言で「かんばれ!」という言葉を合言葉に島原町民は復興に努めてきた。有珠山の被災者たちよ、がまださんねぇ!
目の前の雲仙岳に自転車で上りたい、普賢岳に上りたい!しかし、再び一時帰省の時間が刻々と迫ってきているのだ…。
『松崎しげる』
『土石流被災家屋』
☆4/1(土) 183日 晴 鹿児島県長島町〜熊本県牛深市F〜苓北町・白岩崎キャンプ場【テント】 走行69.41Km 計7,737.3Km 「30分の乗船で鹿児島県突破」
民宿なぎさ荘から北に3Km進んで蔵之元港からフェリーで30分、長い鹿児島をようやく突破して熊本県の牛深港に入った。牛深港から国道266号を16Km北上して、その後、国道389号で海沿いを走った。天草は菜の花が黄色く色付き、桜が満開でアチラコチラで花見が展開されていた。僕も仲間に加わりたい!
河浦町で内部が畳敷きの崎津天主堂、天草町で大江天主堂を観光した。キリスト教の教会は江戸時代に迫害を受け、どちらの教会も「隠れキリシタン」が熱心な信仰を続けていた歴史がある。昼食は崎津天主堂の横でなぎさ荘のオヤッさんが作ってくれた弁当を食べる。
今日は、北から強い向い風が一日中吹いていた。通常の倍の力で漕がねばならんので、とても疲れた。坂も頻繁に出現したなぁ。
『大安天主堂』
| ☆☆☆☆☆ 毎日更新!旅日記ルール ☆☆☆☆☆ |
| この旅日記は、上にいくほど内容は新しくなります。 |
| 『走行』・・・1日の走行距離 『計』 ・・・後編開始(9/16〜)してからの走行距離 『総計』・・・日本一周(8/8〜)を開始してからの前後編を含む走行距離 『前編』・・・社会人時代の夏休み(前編8/8〜14)に、岐阜県可児市〜埼玉県大宮市まで(576.4Km)の旅 『後編』・・・旅人となって(笑)、9/16から再開した現在の旅 『@』 ・・・都道府県名の後の数字は、その都道府県での滞在日数を表します |