マウンテンバイク日本一周モバイルの旅 5月号
☆旅日記は下から順にお読み下さい。上に行くほど新しくなります。☆
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| 【 愛媛県今治市 〜 京都府長岡京市 】 【 走行都道府県 】 愛媛・高知・徳島・香川・兵庫・大阪・京都 【 走行日 】27日 【 走行0日 】4日 【 走行距離 】1,217Km 【 平均/日 】45Km 【 宿泊 】テント18泊 / 寝袋1泊 / YH1泊 / 人の家11泊 【 登山 】吉田の岩場(香川・小豆島) 【 掲載誌 】1誌 『PC Life 6月号』(ソフトバンク・パブリッシング)200ページ 【 出演ラジオ 】南海放送『ルンルンコール』(愛媛:RNB) 【 読破本 】3冊 「CWニコルの自然記」(CWニコル著・角川文庫) 「中岡慎太郎読本」 他 専門書1冊 |
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☆5/31(水) 233日 雨 走行48Km 計9,946Km 〜大阪府C高槻市〜京都府@長岡京市・美紀ちゃんの家 「オーストラリアで出会った美紀ちゃんの家に泊る」
小滝は夢を語れる友人の1人だ。奥さんの圭子ちゃんも一緒に話が出来る。昨夜も腹を割って3人で語り合った。おかげで床に就いたのは、今朝の5時半になってしまった。
そんなこんなで、今日の起床は10時半。出発したのは16時を過ぎていた。外は強く雨が降っていたので走りづらい。
今夜は京都に住んでいる美紀ちゃんの家に泊る。美紀ちゃんは、僕が98年の社会人の夏休みに1人旅したオーストラリアはケアンズで出会った。再会するのは2年ぶりになる。この娘はすごく明るくて話していても面白い。
家族の方と焼肉をたくさん食べた。満腹になってビールを飲んだら、ここんとこの寝不足でとても眠い。
『美紀ちゃんファミリー』
☆5/30(火) 232日 晴 走行0Km 計9,899Kmのまま 〜大阪府B大正区・小滝の家3泊目 「以前、勤務していた会社の大阪支店にちょっとご挨拶」
以前、勤めていた会社の大阪支店にちょっとご挨拶に。僕は名古屋支店で勤めていたのだが、当時の上司が現在は大阪で働いていたので、ちょと。
お伺いして、入口のあたりでこそっと話そうと思ったが、取締役や支店長に促されて皆が仕事しているOFFICEの真中で話す事になった。なんかね、昔、働いていたとはいえ、スーツ着てネクタイ絞めていたとはいえ、10ヶ月ぶりの会社の雰囲気に緊張してしまった。僕のヒゲボーボーの風貌からして、文明の中に逃げ出してきた山ゴリラである。ブルーザー・ブロディ現象だ。
取締役がお茶を出してくれた若い新人らしき女性社員に「あなたの先輩ですよ」と僕の事を紹介してくれた。ニコッとスマイルがかわいかったが、内心「こんなゴリラが…ショック…」って思っていたかもしれない。また、帰る時に元上司・丸山さんが「俺、みんなにアノ人ナニ者、って聞かれるなー」とボヤいていた。そりゃそうだな、誰も元同僚とは理解し難いよなぁ…。
たくさんの方にお会いしている大阪から、明日は京都に向うぞ。
☆5/29(月) 231日 晴 走行15Km 計9,899Km 〜大阪府A大正区・小滝の家2泊目 「後輩よ!頑張れ!」
我が母校・大阪経済法科大学のサンボ部へ指導に出掛ける。サンボと言うのは、ロシアの格闘技で柔道とアマレスを足したようなものだ。僕らの頃と違い、今は総合格闘技の練習も積極的に取り入れていた。バリー・トゥードやPRIDEの流行もある。雰囲気が良い。OBとしては後輩が強くなってもらういたいと切に願う。そして、OB連中も負けてはいられないぞ、と思うのだ。サンボ部メンバーが相互に伸びていければ、それに越した事は無い。
その後、1年上の先輩、通称“ジミーさん”と飲みに行く。場所はJR玉造駅のそばの「お好み焼 ゆき」、ここは、元・国際プロレスのミスター・ヒトさんの店。ヒトさんは海外のヒールのトップレスラー、ダイナマイト・キッドをブッキングをした人なのだ。翌朝の4時までプロレス談義で花を咲かせた。
『サンボ部のイキのいい面々』
『ジミーさん(右)と“ミスター・ヒト”こと安達さん』
☆5/28(日) 230日 晴 走行43Km 計9,884Km 〜兵庫県D西宮市〜大阪府@尼崎市〜大阪市大正区・小滝の家 「第2の故郷・大阪に入府!」
夜中降っていた雨も上り、旅日和だ。「送ります」と言う知広がいつまでも併走している。僕と少しでも永く居ようとする。「知広、どこまで一緒に走るんだ?」と聞くと「僕が往復で走れるまで、疲れるまで」とうれしい事を言ってくれる。「よし、じゃぁツーリングだ!」
僕がボランティアの第一歩を踏みしめた阪神青木駅や、震災時に阪神高速道が陥落した国道43号線(東灘区深江付近)を走って大阪を目指す。知広は片道10Kmを併走した。昼に一緒に焼肉弁当を食べて別れた。
13:45、第2の故郷・大阪にやってきた。学生時代を過ごした大阪は、思い出深い地だ。少しもったいぶりながら入府した。20時半に小滝(5/13の日記参照)の家に着いた。小滝が帰宅する間、圭子ちゃんと「式良かったね〜!!」とお互い2週間前の思い出をワイワイ話をした。やっぱり、式は圭子ちゃんに喜んでもらったのがうれしいのだ。
☆5/27(土) 229日 雨一時雲 走行19Km 計9,842Km 〜兵庫県C神戸市東灘区・知広の家 「震災の街・東灘区を知広と歩く」
阪神淡路大震災――平成7年1月7日AM5:46、まだまだ寒い正月気分のこの日、M7.2の大地震は大都市神戸を惨劇の渦に巻き込んだ。震災から数日後、当時、大阪で大学4回生だった僕はすぐに神戸にスッ飛んで行き、東灘区(死者が一番多く出た地域)の本山南中学校でボランティア活動をした。
当時、小学3年生だった林知広君に東灘区の街を案内してもらった。知広も今や中学3年生で背丈も伸びていた。屈託のない笑顔は変わっていない。まず本山南中に行き、懐かしいグランドを見て思い出す。当時「子供班」というリーダーをしていた僕は、ここで連日知広達とドッジボールをしていた。知広に「写真撮るぞ」と言うと、なかなかカメラに眼を向けずうつむいていた。当時はピースなどしていたが、今はシャイな年頃なのだ。
学校の周りの全壊していた家屋も横倒しになっていた11階建てのマンションなども全て改築されていた。住人は変わっている所が多いそうだ。マンションには「優良建築物等整備事業として、兵庫県・神戸市より補助」と印刷された看板が立てられていた。
甲南本通りという商店街は、アーケードが倒壊していたが復旧。各店は改築されたが、こちらもオーナーが変わっているところも多い。元のオーナーは震災の影響で店を畳んだところが多いそうだ。
震災から5年。神戸市の仮説住宅も完全撤去され、外観に関しては被害の後は残っていない。しかし、被災した人達の内情は、そうとも言えないのだ。
『知広と本山南中学校』
☆5/26(金) 228日 晴 走行57.7Km 計9,822Km 〜兵庫県B淡路島〜神戸市中央区・メリケンパーク【テント】 「淡路島の野間断層を見学する」
明石港からフェリーに乗船して20分、淡路島は北淡町震災記念公園にやってきた。「野間断層」をこの眼で見るためである。野間断層とは、平成7年1月17日の阪神大震災によって地上に現れた地震断層だ。
当時のまま保存してある保存館を拝観する。一瞬にしてアスファルトや家の地表が50cm隆起して1m20cm横にズレてしまったのだ。自然の力は計り知れない…。資料閲覧室で「報道写真全記録」を閲覧する。僕がボランティアに行っていた東灘区の見覚えのある写真も掲載されていた。克明な写真は、僕の涙を誘う。
今回、神戸に関してはおしゃれな観光地は興味が無い。僕の関心は震災から5年後の神戸の姿である。
今夜は、JR神戸駅南のメリケンパークに野営をする。モザイクや観覧車のネオンが美しい。光の芸術に僕は心を奪われてしまった。
『野間断層』
『神戸ポートビル』
☆5/25(木) 227日 晴 走行34.2Km 計9,764Km 〜兵庫県A加古川市・芹生の家 「世界遺産だ!姫路城」
『関西の巻スタート』
朝8時、「関西の巻」本格スタートを勢い良く走り出した。JR姫路駅付近を走行すると、出勤途中のいわゆるオフィスレディーってのが、しゃなりしゃなりと歩いている。ん〜、かわいい…。どうも僕は関西の女性に魅かれてしまう性質のようだ。
世界遺産・姫路城を見学する。世界遺産ってのは見れば美しい、だが、「何故、登録されたのか?」ここが重要なのである。ここを理解しないと、あ〜いいなぁと思って終りのミーハー旅人だ。姫路城は「日本を代表する城郭建築で、なおかつ戦争や火災に遭わずに城壁や土塀が最もよく残っている」からなのだ。この事を知ってるのと、知らないで見学するのでは感心の度合いが数段違ってくる。
僕は子供の頃、城見物をするのが好きでアチコチ見た。その中でも姫路城は、とにかく広い!内装の木々も当時のままだ。鉄筋コンクリに化けた城とは大違いだ。それだけ、他の城は被災や戦に巻きこまれて原型が残ってないって事なんだなぁ。
昼から大学サンボ部時代の後輩・芹生(せりう)に4年ぶりに会った。2人でOB会に関わる作業を、16時から6時間半かけてやった。相変らずオモロイ奴だ。学生時代、僕はこいつの髪を散髪してやった事もある。それは、モヒカン。
『姫路城』
『我が後輩、芹生』
☆5/24(水) 226日 晴 走行6.6Km 計9,730Km 香川県C内海町(小豆島)〜兵庫県@姫路市・飾万津臨港公園【テント】 「ロッククライミングに挑戦!」
ロッククライミングに挑戦だ。小豆島の北西部にある“吉田の岩場”を登る。ここで皆に前置きしておくが登山ではないぞ、岩登りなのだ。わしは何でも挑戦してしまうのだ。と言っても、やはりそこは初級レベルなのだ。
長袖長ズボンにシット・ハーネス(安全ベルト)を装着して、そこにナスカン・エイトカンを付け、シュリンゲルを首に巻く。そして、50mのザイル(ロープね)の端と端を股間あたりの安全カンに命綱として結ぶ。レンジャー部隊さながらだ。
既に打ち付けてあったハーケンにナスカンを付けながら、指と足でバランスを取って登っていく。登山のような斜面と違い、90度に近い岩壁を登るのは容易ではない。命綱が結んであるとはいえ、登るときは1人。落ちたら高角度バックドロップで終りである。激しい競技だ。
2ピッチ50mを登った。ズドーンと足元から下が見える景色は、はっきり言って怖い。力こぶの裏の筋肉がお陰で痛い。無事で良かったぜ…。
僕と坂本さんは35℃あった小豆島から、フェリーで夕方に姫路へ到着した。本州に帰ってきたのだ!6月末の富士山頂ゴールまで関西・中部、そして関東を残すのみだ。わしゃぁ、やるぜよ! 『四国の巻END』
『ロッククライマーなおき』
『姫路だ!本州だー!』
☆5/23(火) 225日 晴 走行46.6Km 計9,723Km 〜香川県B内海町(小豆島)・吉田キャンプ場【テント】 「四国最終の地・小豆島を走る」
フェリーで小豆島に渡る。四国最終地点だ。この先は、ここからフェリーで兵庫の姫路に渡る予定なのだ。
久しぶりのフェリー、島だ!ワクワクする。人間ってのは調子の良いもので、離島ばかり走っていると1日で走破出来てしまう島の周囲の小ささを不満に思うのだが、変わりばえしない文化、言ってみれば島特有の文化や地形が無い地を走ると島もそろそろ走りたいなぁと思ってしまう。
小豆島は寒霞渓や栂指岳に代表される岩山がそびえる島だ。徳川秀忠、家光時代の大阪城の石垣改修の丁場や、壷井栄「二十四の瞳」の舞台となった分校がある。
僕と坂本さんはまず、昼食としてさぬきうどんをズッズッゥーとたいらげた。坂本さんもMTBだ。2人分のクライミングの装備とザイルが入った坂本さんの60リットルのザックはパンパンだ。後ろから見ると、ヌリカベが必死にペダルを漕いでいるようである。
28℃まで最高気温が上昇したけれど、風がそよそよと背中を押してくれた。16時前に早めにキャンプ場に入って、明日のクライミングの準備・・・な訳は無くて今夜も宴会なのだ。
『坂本さん』
☆5/22(月) 224日 晴 走行0Km 計9,677Kmのまま 〜香川県A高松市・坂本さん家連泊 「さぬきうどん屋を梯子する」
登山ガイドをやっている坂本さんに、俺と一緒に山を登って下さいと懇願したところ、では小豆島でクライミングをしよう、という事になった。早速、瀬戸大橋近くの岩場で基本練習に出掛けた。指と足との三点でバランスを取って登る。約5mの高さでもヒヤヒヤする。この続きは明日以降の本番での日記をお楽しみに!
さて、今日のメインは“さぬきうどん”の梯子だ!昼に練習を終え、意気揚揚と一軒目に突入。麺の腰を噛んで確かめながら食べていると、坂本さんは「噛んじゃダメですよ!さぬきうどんはズッズッゥーと飲まなくちゃ!」と言う。「はぁ、飲むんですか?」「そう、ズッズッゥー、っとね」坂本さんは迅速にズッズッゥーと全てを食べ、いや飲んでしまった。僕がようやく食べ終えると、即「さ、次に行きましょう」と伝票を持って立ち上がった。高速梯子である。
坂本さんは、香川の人はこうやって何軒も梯子するんですと言い放ち、2軒目。ここも美味しかったが「1杯400円は気に入らん!」と少々ご立腹だった。そうなのだ、相場は200円と驚くほど安い。結局、2軒でお互い腹一杯になってしまった。車から麦の田んぼが見える。今が発芽の最盛期で、輝く黄金色は何度も目を奪われる美しさであった。
『黄金色に輝く麦』
☆5/21(日) 223日 晴 走行54.7Km 計9,677Km 〜徳島県C脇町〜香川県@塩江町〜高松市・坂本さん家 「辛うじて徳島の魅力を発見」
ギラギラと焼けつく太陽が僕を攻める。それを和らげる淡い風。熱い1日となった。花粉症は出ず、胸を撫で下ろす。
諸っ端に"阿波の土柱"を観光し「へ〜なるほど」と中途半端に感心して出発。今日は島根のキャンプ場で知り合った高松の坂本さん(12/ 日記参照)の家に泊らせてもらう。国道193号を北に向って上り徳島から香川県に入った。
徳島人自身も言っているが、皆は「徳島は何も無い」と思っているだろう。その通りだ、いや、そんな事はないぞ、少しは辛うじて有るのだ。でも、旅人・田嶋直樹は徳島の新しい魅力を発見したよ!男性陣必見、“徳島は以外に美人が多い!”、どうだ!?
良い気候なので、途中の塩江温泉で汗を流して、高松市の坂本邸に到着だ。坂本さんは登山や自然保護活動をされているので、白熱した話を繰り広げた。
☆5/20(土) 222日 晴一時雨 走行47.2Km 計9,622Km 〜徳島県B阿波町・土柱そよかぜ公園【テント】 「旅に“柔道の心得”を活かす方法」
堤防から転げ落ちてしまった。
吉野川に沿って西の方角に上流に向って堤防沿いの道を走った。珍しく花粉に悩まされ、両目はカユイし、ハナミズも出る、クシャミも連発だ。左目は開けている事が出来なくなった。昼頃、たまらず鼻炎用カプセルを服用した。
昼食を済ませて走り出し、14時ごろ急に眠くて眠くてたまらなくなった。薬の服用が原因だろう。車両禁止の堤防の道を良い事に、僕は眠りながら走っていた。つまり、居眠り運転。ハッと目を開けた時には道を外れて堤防の左側斜め下に前輪は滑落していて、「うわっ、危ない」と思った時には自転車も僕もバランスを崩していた。2m程下ったのだろうか?僕は即座に自転車から離れて前回り受身を取り、奇跡的にカスリ傷で済んだ。MTBも無事であった。
しかし、危なかった。堤防の土壌は雑草が生えていて、高さ3m程度の低さが幸いした。左上腕部が雑草で毛虫に刺された様にミミズ腫れが無数に出来ていた。急ぎ走行予定を短縮して"阿波の土柱"近くの温泉に直行した。“昔取った杵塚”の柔道の心得が、転倒する毎に僕の身を助けてくれるなぁ。
☆5/19(金) 221日 雲のち雨 走行78.9Km 計9,575Km 〜徳島県A徳島市・徳島中央公園【テント】 「4代目襲名」
僕はいつ何時も“手帳”を肌身離さず持っている。見開き左頁には時系列で1日の出来事を記載し、右頁には旅日記をはじめ、タスクや収支に至るまでとにかく気付いた事、出会った人・物、観光史跡の説明内容をふんだんにメモっている。日本一周のスタートからの手帳も今日で3冊目が終わる。
徳島市に着いてから手帳探しに奔走した。こういった物は納得しないと購入したくない!選択基準は@すぐメモれるようハンディサイズである事、Aメモ中心用で簡単なカレンダーが付いている事、そしてBたくさん書けるよう多くの行数である事、である。
2&3冊目は年末年始に近かったので「ダイアリーフェア」みたいなので適当な品が見つかった。今はダメだ、カスしか残っていない。8件ほど梯子して「ハンディーでは無いが行数は多い、カレンダーは無いがミニカレンダーを別途購入」して、ようやく納得の出来る4冊目を手に入れた。
明日からはこいつに書きなぐりだ。僕の大切な宝物4代目だ!!
☆5/18(木) 220日 晴 走行66.6Km 計9,496Km 〜高知県M東洋町〜徳島県@宍喰町〜牟岐町・牟岐港の公園【テント】 「とうとう高知を抜けちゃって、徳島入りする」
おっと気付いたら昨日、岐阜を出発して1万Kmに到達していた!まだ社会人だった時分、99年8月の夏休みに日本一周を開始して岐阜〜埼玉県大宮市まで576.4Kmを走ったのだ。その間、モバイルギアは搭載していたが、旅日記(テキスト)を知人にメール送信するだけであった。
そして、その月末に退社後の9月に続きの大宮をスタートすると共に、モバイルで旅日記とデジカメの画像を“ホームページで毎日更新の旅”も始まったのだ。
1万Kmかぁ〜、あまり実感湧かないなぁ〜。まだ旅の途中で通過点に過ぎないからだろうな。まずは日本一周完成!ただ、この距離の中でたくさんの人に出会い、いろんな場所でテントを張って、無限にペダルを漕いできたんだよな。岐阜からここまで、日本列島反時計回りに“一本の線”で繋がっている。そして、この線はこれからも――
今日は国道493号を四郎ヶ野峠(500m)を越えて、四国東側の東洋町に出た。よって室戸岬には行っていない。大好きな高知を遂に抜けて徳島に入る。四国もあと少しである。
☆5/17(水) 219日 雲のち晴時々雨 走行21.9Km 計9,430Km 総計10,004Km 〜高知県L北川村・小島キャンプ場【テント】 「中岡慎太郎を旅する」
村はえぇ!中岡慎太郎生誕地・北川村柏木に、奈半利川沿いに北上して山間の道を走る。奈半利川は四万十川のように水が澄み、堤防も極力少なく天然の川の姿を残していた。
さらに山深い田舎に柏木はある。「中岡慎太郎館」に行く。僕は慎太郎も好きじゃ(最後まで、武力倒幕主義なのは頂けないが…)。「信念の人」というのが良い。7歳から烏ヶ森峠を越え90分山道を歩き塾に通っていたという健脚家なんだって。その「向学の道」から26歳の時に脱藩もしたのだ。脱藩の道オタク(笑)の僕は少し歩いてみたが、クモの巣だらけと道が荒れていたので早々に辞めた。
生家や遺髪墓地にも行ってみた。確かに竜馬に比べて過少評価だよなぁ。もっともっと世に出してやるべきだよなぁ。誰か彼の良い長編小説を書かんかねぇ。
売店のおばちゃんとゆずジュ−スを飲みながら話をした。やはり奈半利川はきれいで、アユ、カニ、エビが採れるそうだ。私が子供の頃は竹薮に裸足で入ってバシャバシャとやるとエビがウワッと採れよったよ、とケラケラ笑って話してくれた。こんな自然と史跡があったら2・3日はゆっくり出来てしまう。
『北川村の慎太郎像』
☆5/16(火) 218日 雲のち雨 走行58.2Km 計9,408Km 〜高知県K田野町・二十三士公園【テント】 「土佐はやはり幕末の史跡多し」
西へ25Km進んで安芸市の岩崎弥太郎の生家に行く。ご存知、幕末から明治に掛けての海運王こと、三菱財閥の創始者である。僕のイメージより思いの外、いい家であった。庭には弥太郎が敷き詰めたと言われる、日本列島をを模した石組みがある。この日本列島を見ながら飛躍を夢見たとは、なんとも彼らしい逸話である。
安芸市は田園の中の「野良時計」あったり、水の澄んだ小川にメダカが泳ぎ、黄色い菜の花がたくさん咲いている。テントを張りたいなぁと感じさせるのどかな場所がいくつかあった。いい街と思う。
今日は中岡慎太郎の北川村まで行く予定だった。だけど、その手前の田野町で「二十三烈士」の史跡看板が出ていたのと、温泉が有るという事なので、今夜はこの街に滞在する事にした。二十三士とは、幕末に清岡道之助を首領として武市瑞山の釈放と藩政の改革を求めたが、謀反とされ1度の取調べも無く斬首された23名の志士の事である。平均年齢の25歳の若者達が志なかばで散ったのだ。
漫画「お〜い!竜馬」で独眼竜だったのが清岡である(思い出したかな)。斬首された場所がこの公園の一角にある。夜、このあたりは静かでネオンも少ない。若者も出歩いていないみたい。田舎は平和だ!
☆5/15(月) 217日 雲時々雨 走行18.7Km 計9,349Km 〜高知県J南国市・吾岡山子供の森【テント】 「次なる目的地は北川村」
朝は疲れていたのでよく寝た。8時過ぎに起床。市内を周っていた選挙カーで「小渕元首相死去」のニュースを聞く。驚いた。いい人柄の首相だったよなぁ…、また龍馬ファンだったんだよなぁ。
次なる目的地は、高知市から西へ約50Kmの北川村にある「中岡慎太郎館」である。ただし、ここは(火)休みなので、明日までに現地に到着するようゆっくり進む。
市街地に「NTT西日本マルチメディアセンタ」があったので、ここぞとばかりに「それゆけ!掲示板」への返信と、一部のリンクの掲示板に書き込みをした。
夕食、例によって自炊だが、とても久しぶりに感じる。島根滞在中は、原の家で思う存分に島根名物の“しじみ”の味噌汁を食べまくっていた。
☆5/14(日) 216日 晴一時雨 走行4.2Km 計9,331Km 島根県松江市→高知県I高知市・境川の河原【テント】 「結婚式に参加して、意思固まる」
長距離バスを乗り継ぎ、高知市に戻ってきた。自転車を預ってもらっている山根さんの元に行く。フロントのシフトワイヤーの修理をお願いしていた。それ以外に磨耗していたリアのプーリー(後ろの歯車)の交換を無料でしてくれていた。うれしい。
昨日の披露宴参加して自分の心境を書く。ズバリ結婚式は良い、ね。今後は、友人や世話になっている人に出席を依頼されたら喜んで応じることにしよう。
しかし、俺も結婚したいなぁ、といった気分にはならなかった。僕には今やらねばならない目的が有って、その後もやりたい事が有る。その志は貫徹しなければならない。おまけに、どうでも良いけど、相手にとってはどうでも良くない事に、今、収入がゼロだ。この状態で愛する女性を迎え入れる事は出来ん、逆に失礼だ。
まずは日本一周を完成!そして次の夢を実現させる!そのために東奔西走の毎日なのじゃ!出席してさらに意思が固まったし、気合が入った。
☆5/13(土) 215日 晴のち雲一時雨 計9,327Kmのまま 島根県松江市・原の家3泊目 「ザ・小滝の結婚式!」
「ヨ――ッシ!」現在11時、披露宴開始30分前、僕は更衣室で礼服に着替えてあらためて気合を入れた。僕は今朝9時半から会場入りして11時前まで式場関係者との最終確認と司会の練習をした。これで完全に僕の頭の中には“成功する!”イメージが鮮明に描かれた。緊張は無い、よっしゃ行くぞ!
11:30、「只今より新郎新婦の入場です!」と僕の新日本プロレスのリングアナ調に入場コールを告げて開宴だ。「明るく楽しい披露宴」を念頭に僕は喋り、時にはワイヤレスマイクで動き回った。出席者との楽しいやり取りが僕をさらに乗せ、僕自身が「結婚式って良いなぁ」とどんどん思えてきたことが良い効果をもたらした。
皆、笑った、喜んだ、感動した。そして、小滝は泣いた、圭子ちゃんは泣きじゃくった。僕も泣いちまった。
新郎新婦が退席して14時、僕は最後の挨拶をした。深く長いお辞儀の中で、皆の惜しみない拍手がこだまして、「やったぞ!」と心の中でガッツポーズだ。親族の方達がとても喜んでくれた。出席者から「いろんな式に出てるけど、こっんな楽しい式は初めて!」と言われたのがうれしかった。
しかし、終わった途端に信じられないほどの放心状態になって、疲れが出た。15時に原の家に戻り1時間寝た。これから奥山さん(12/25日記参照)と飲み、21時からの2次会に参加する。アカン、いまだにボ〜ッとしている。(結局、その日はずっとヘトヘトのままだった)
『披露宴を終えた幸せいっぱいの2人と共に』
☆5/12(金) 214日 晴のち雲 計9,327Kmのまま 島根県松江市・原の家2泊目 「事前打合せなのだ」
友人・小滝の結婚披露宴を明日に控え、司会の僕は新婦の圭子ちゃん、小滝のオヤジさん、おふくろさんの5人で式場に事前打合せに出掛けた。小滝(12/ 参照)ってのは大阪経済法科大学サンボ部(ロシアの格闘技)時代のパートナーで、僕が主将で彼が副主将であった。
式場で担当者と流れの確認。「フムフム」と堂に入った様子で聞いてる僕だが、披露宴は幼稚園の時以来だ。「大丈夫か?」と皆は言うが、僕はこういった場ではマイクやステージが有れば喋ったり壇上に上らねば気が済まないタチなので一向に構わない。それに、僕みたいなんが元気良くやったほうがいい場合もあるのだ。今回は、プロレス色の強いものになるのは間違い無い。
会場に移動して僕と小滝と担当者で最終確認。ふと圭子ちゃんを見ると、自分達の座る席を見つめて感慨深い表情をしていた。僕は素直に美しいなぁと思った。女性にとって結婚式は人生のメインイベントなのだ。よし、司会頑張ろう!
だけど、明日出席する古田や光良、肥田、そしてかなり可愛い江角さん、計8人で当事者がいないのに「前祝いだー」と深夜2時まで松江の夜の街を飲み歩いていた事を、小滝一族は知らない…。
☆5/11(木) 213日 雲のち雨 走行16.0Km 計9,327Km 〜高知県H高知市→島根県松江市・原の家 「長距離バスに乗って島根に移動」
桂浜で激的な朝――とは問屋が卸さなかった。原因は“蚊”だ。暖かくなって不必要に蚊が多くなった。まして昨晩のように「わしゃぁ今宵は寝袋で寝るぜよ」と、寝袋で夜を過ごすと最悪である。まず、むき出しの顔をヤラレル。比較的広めのオデコには4箇所も刺された。続いて二の腕にも4箇所ヤラレ、左手の薬指にもプスリとヤラレて突き指みたいに膨れ上がってる。どこも痒い。あ〜ぁ嫌になってしまう。
さて、今日から13日の友人の結婚式司会出席のために島根へ移動である。自転車は高知市のJACC会員「CYCLE SHOP ヤマネ」の山根さんに3日間ほど預ってもらう。高知から岡山、乗り換えて島根県松江までの長距離バスでの移動だ。
僕は長距離バスでの旅の経験は少ない。それは電車と比較すると、動き回れない、酔いやすい、人間ウォッチングが出来ない点が嫌いだったからだ。だけど、コーヒーやお茶は飲み放題、座席のスペースも思いの外ゆったりして良いではないか!それに、内緒だがコーヒーの素やティーパックを旅のためにちょっと失敬してみたり…。
時間の遅れも無く19時前に松江に到着した。料金は普通列車を乗り継いで行くのと変わらなかった。
☆5/10(水) 212日 晴 走行17.3Km 計9,311Km 〜高知県G高知市・桂浜【寝袋】 「わしゃぁ桂浜を堪能しちゅう」
わしは今(21:30)、桂浜にいる。ライトアップされた龍馬像、黒潮を運び轟音を響かせて打ち寄せる海を見ながら独り大量に酒を飲んでいる。
昼間、4年ぶりに5mの龍馬像を見上げた。午後からは3度目の訪問となる「坂本龍馬記念館」で、しっかと資料を見つめた。
「龍馬さん、おんしゃぁやはりすごか男ぜよ。人の100歩も200歩も先を行っちゅう。」偉大なる革命家、龍馬よ、あぁ…。
これ以上の言葉はいらん。わしは今、こじゃんと酔っ払っちゅうぜよ。
『桂浜・龍馬像』
☆5/9(火) 211日 晴 走行63.5Km 計9,294Km 〜高知県F高知市・わんぱーくこうち【テント】 「東奔西走号よ、あれが高知の街じゃ 」
遂に僕の心のふるさと、東奔西走の原動力の街・高知市に、峠を上り到着した。言わずと知れた僕の敬愛する坂本龍馬の故郷である。
「東奔西走号よ、これが高知の街だ…。」「ここッスね、兄貴の好きな街は…、感無量ッス…」
僕はしばし立ちつくした。なぁんて書くとカッコいいけど本当なのだ。5分くらいはボッーと立ちつくしていた。
そもそも『それゆけ!東奔西走日記』『東奔西走号』の“東奔西走”とはどこから来ているか?実は愛読書「竜馬がゆく」から来ていて、司馬先生が話をバシッと決めたい時に龍馬の躍動ぶりを表現するのに、しばしばバシバシ使っていたのだ。読んでいてとてもしびれた。
だから、東奔西走号は僕と一緒に東奔西走する号なのだ(そのままだけど)。「いくぞ東奔西走号!」「ガッテンだ!」僕らは高知の街へと、峠の下りを疾走していくのだった。明日はいよいよ桂浜じゃ!
『「東奔西走号よ、遂に来たな」「そうッスね、兄貴…」』
☆5/8(月) 210日 晴 走行75.6Km 計9,230Km 〜高知県E須崎市・寺尾児童公園【テント】 「俺は“人との出会い”が好き 」
GWも終り、四国を旅するのは僕のような長期放浪の旅人とたくさんのお遍路さんになった。GW中の四国は快晴続き。25℃を超す気温と太陽に、僕の半袖短パンからむき出しの肌は赤く焼けた。今日は国道56号を高知市方面に向け、峠やいくつものトンネルを抜けて佐賀町、窪川町、須崎町と走った。
ふと思ったのだが、僕の感じる「旅の面白さ」は“人との出会い”なんだな、と。旅の道中にふとした事での出会いもあれば、新聞・雑誌の僕の記事を見てメールをくれる人達、ネットでアクセスをくれる人達との出会い、多種多様。自転車旅の割には多くの人に会っていると思う。
僕は国内外の旅において、その土地土地の文化を知るためにはその土地の人達と話をせねばわからぬ、と思っている。“百聞は一見にしかず”主義だ。だから、今回ガイドブックを持っていない。
と言っても、話し掛けると「いいカモだ、ヒヒッ」とボロうとするインド人には“怒りの鉄拳”を何千回と食らわしたくなった。でも、そんな異次元なインドが好き。
地元の人達と話してると楽しいし、心がホッと和んでいる。とにもかくにも僕の命題のひとつである「旅の面白さを感じる」という点で、“人との出会い”に重きを置いていたんだなぁ。昨日のアイスクリンのおばあちゃんに会って、今朝テントの中でひとり感じたのだ。
☆5/7(日) 209日 晴一時雲 走行63.1Km 計9,154Km 〜高知県D大方町・土佐西南大規模公園【テント】 「旅の日記と37年間の日記」
県道27号の東側を15Km走って、昨日、琢磨と南下してきた国道321号を中村市に向って35Km北上した。景観が美しい大岐の浜で、昨日少し話をしたアイスクリンのおばあちゃんのとこでアイスクリンを買った。“アイスクリン”とは高知県の露店に売ってるアイスクリームで、明治初頭の味をそのままにバナナのようなバニラのようなとても美味しいシロモノなのだ。
「おばちゃん、ウマイねぇ〜。」「そおじゃろー。」僕とおばあちゃんはしばらく話をして「ねぇ写真撮らしてよ。」と聞くと「まぁそおかい、こんなオニババをかい?まぁそおかい。」まんざらでもない姿を撮る。「アンタも撮っちゃるよ。」「えっ、俺はいいよ。撮りまくってるから。」と軽く流したんだけど「じゃあ、今度はおばちゃんがアイスクリンをおごっちゃるけん、食べてるところを撮っちゃる。」僕は子供のようにふたつ目に食い付き、その姿をコンパクトカメラに収めてもらった。
「おばちゃんとこで食べてよかったよ!」「そおかい。」「俺ね旅の日記を毎日付けてんだ。今日はおばちゃんのこと書くよ!」「私も37年間ずっと付けてる日記に今日はアンタのことを書くよ。」
『アイスクリンのおばあちゃん』
☆5/6(土) 208日 晴 走行79.7Km 計9,091Km 〜高知県C土佐清水市・あしずりYH 「ジョン万に習って、世界を目指せ!」
河原でのキャンプはカヌーイストが多く、タープを持っている人も目立つ。四万十川に沿って下流を目指す。レンタサイクルやGW間の女性サイクリストに何人か出会った。いくつかの沈下橋を過ぎ、河口の中村市街に着いてしまった。
中村市の公園で昼飯のおにぎりを食べていると、GWを利用していると思われる男性サイクリストが寄って来た。彼は京都の学生で琢磨と言う。「僕は自転車で世界一周しようと思ってるんです。」と公言する。ひさしぶりに会った骨の有る奴だ。長期休暇を何回か利用して、自転車日本一周も成し遂げている。「その旅で僕には自転車しかない!って思ったんスよ」オモロイ奴なので足摺岬まで一緒に走ることにした。
15時半、県道27号の西側を走って足摺岬に着いた。琢磨は「ウヒョー!」とお雄叫をあげ、僕も5/1の今治以来の海に心を奪われた。その後、近代日本の先駆ける国際人・ジョン万次郎の資料館を拝観した。ここで琢磨とはお別れだ。僕達は固い握手を交し、「今度は世界で会おうな。日本じゃないどこかで。」と約束をした。
『四万十川』
『琢磨と足摺岬にて』
☆5/5(祝) 207日 晴 走行41.9Km 計9,012Km 〜高知県B西土佐村・口屋内沈下橋そばの河原【テント】 「四万十川で川遊び」
今日はね、四万十川でカヌーをやろうと思ってたんだよね。20Km先のカヌーがレンタル出来るカヌー館へ国道381号を川沿いに走っていくんだけど、その間も赤や緑や黄色のカヌーが下っていく。それを見つめ「いいないいなぁ、わしも早くやりたいなぁ。」と思ってしまう。
だけど、のんびりゆっくりの川をのんびりゆっくり下っている姿を見て、この清らかなる川はやはり自分のカヌーで時間に気にせずやるのがいいんじゃない、と思えてきた。カヌー館のカヌーもGWで空きが無いので、僕の腹も決まった。“最後の清流”は自分のカヌーでいつか下るのだ、そうなのだ、と。
とはいえ、この抜群の天気に川沿いに下って「はい、それまで〜よ〜」ではシャクなので泳ぐ事にして、口屋内の沈下橋に移動した。14時到着早々にテントを設営してスパッツに着替えた。水はやや冷たく、色は確かに緑で他の川より透き通っていて底が見える。宇和島から来た高校生達が橋の上からドボンと飛び込んだ。面白そうなので仲間入りして3mの高さからドボンドボンとやった。
河原の石は太陽に温められ天然床暖房、ゴツゴツするのは特大のツボ押し。四万十川の風景を肴に飯を食う、贅沢ではないか。
『十和村の鯉のぼり』
『口屋内の沈下橋にて』
☆5/4(祝) 206日 晴 走行68.9Km 計8,970Km 総計9,546Km 〜高知県A十和村・三嶋キャンプ場【テント】 「千枚田で浸ってみる」
佐藤さんがいると朝食もアッという間に豪華になる。炊き込みご飯、豚汁だ。仙台への帰途に着く佐藤さんとまた別れだ。このいい出会いはずっと友達関係を築いていけるだろう。
国道197号を東に1Km走って、千枚田の見下ろせる高台に上がる。ここは司馬遼太郎が「中国の万里の長城より美しい」と称した所で、この辺りは「龍馬脱藩の道」が交錯しているから99年1月に歩いた所だ。その時と同じく東屋に腰かけて景色を見た。
「“脱藩の道”踏破の旅」でも歩いたR197で東津野村を5Km走り、国道439号を南下する。R197をそのまま直進すると野宿をした「吉村寅太郎像」があるが、思い出に浸るのも終りだ。新たな未踏の地・四万十川へと向って走るのだ。
東津野村はまったく“村”で、ペットボトルのかざぐるまが回り、わずかな家屋、林の中の道…北川、梼原川に沿って緩やかに下っていく。しかし、気温は25℃超、体当たりをする強い熱風向い風、昼飯無し、ヨサク(R439)の延々変わらない風景には飽きが来るぜ。40Kmをなんとか走りきった。
十和村に16時半に入り四万十川に沿い少し走った。2・3日四万十川を満喫するつもりだ。おおっと、このキャンプ場では携帯電話の電波が途切れるなぁ…。
『佐藤さんと梼原の山々をバックに』
『千枚田』
☆5/3(祝) 205日 晴 走行46.7Km 計8,901Km 愛媛県D柳谷村〜高知県@梼原町・太郎川公園【テント】 「地芳峠を越えて高知県梼原に入る」
トンテンカンと河川工事をする音で目が覚めた。少々うるさいなぁと思ったが、時計を見たら8時半で寝坊だ!昨日の三坂峠越えの疲れと、ここ最近出来事(ラジオ出演したりね♪)が多くWEB更新作業が深夜に及んでいたためだ。
今日は標高1080mの地芳峠を越えて高知県に入る予定なので、腹ごしらえはしっかりせないかんと朝食・昼食分のご飯を炊き、おかずも肉・魚と調理した。出発は11時半の遅めになった。
出発早々、オフロードバイクに乗った佐藤さんと再会した!メールで四国に遊びに行くとメールをもらっていた。西表島で野外で餃子を作ってくれたアノ人である(2/21の日記参照)。2ヶ月ぶりの再会に喜び、今夜同じ場所にテントを張ることにした。「たじさん、今夜何食いたい?」それそれ待ってましたよ。即答「肉!」
峠までは標高はあるが平坦な道も途中続き、ゆっくりと高度を上げる。国道440号は1車線と狭くなり残り3Kmは正念場であったが、15時に上り切って丸石山などの北の四国山脈を見ながらおにぎりを食べた。爽快だ。おっちゃん達が「にいちゃん、自転車で上りよったんか?」と聞いてきた。
ここから下りは高知県だ!梼原町に着く。とにかく高知県との思い出は語り尽くせない。そして、ここ梼原町も「龍馬脱藩の道」踏破で1年半前に立ち寄った思い出の地だ。その模様は『旅の奇跡:「龍馬脱藩の道」完全踏破の旅』に詳しいので、お時間のある人は読んで下さい。ある意味この自転車単独行よりハードであった。
雲の上温泉で佐藤さんと合流して汗を流し、夜は焼肉とビールで乾杯した。
『北海道から来たオヤジと地芳峠にて』
☆5/2(火) 204日 晴 走行53.9Km 計8,854Km 〜愛媛県C柳谷村・面河川沿いゲートボール場脇【テント】 「三坂峠越え」
しまなみ海道で尾道へ北上するRim☆君と9時過ぎに別れて、僕は僕は松山市を南下して国道33号を走った。標高720mの三坂峠を越えるのだ。10:30、標高100mの看板から傾斜は急になってきた。この看板は標高を100m上げる毎に立っているので励みになる。標高720mというと長崎の雲仙(700m)と同レベルであるが、こちらの方が数段足応えがある。途中休息を入れつつ13時に峠を越えた。
さあ下ろうという所でリアタイヤが路上の釘にやられてパンクした。さっさっと治しインフレーター(空気入れ)でとりあえずの空気を入れて、久万町のJAのSSに空気を入れに行った。町のSSのイメージとは違い、いわゆる古い田舎の農協だ。作業が終り出発間際にそこの若いお姉さんが追っかけてきて「ここは何にも無いんですけど」とお菓子とハイチュウをくれた。「何を言ってるんだい、君の“優しさ”が有るじゃないか。」と惚れてしまいそうな気持ちを抑え、心の中でつぶやくのだった。
引き続きR33で久万川→面河川の渓谷を楽しみながら走る。僕はつくづく山間の道が好きなのだなぁと感じる。この景観を見るためなら、高い峠越えも苦労じゃないよ、コレ本音。
GWを利用して遊びに来た埼玉の社会人・内藤さんとしばしツーリングをした。柳谷村で四万十川源流に急ぐ彼と別れて、僕は早めに野宿する事にした。夜になると、街と違って遮る光が無いから星が良く見える。これも山間の良いところではなかろうか。
『Rim☆君と杖ノ淵公園にて』
『柳谷村で内藤さんと』
☆5/1(月) 203日 晴 走行70.7Km 計8,800Km 〜愛媛県B松山市・杖ノ淵公園【テント】 「聴いてよ!ラジオ生出演する」
僕の高校時代の名著「坊っちゃん」(夏目漱石著)の舞台でもある道後温泉へ16時に今回で3度目の入浴をした。日本最古の温泉は風情があってよろしい。しかし、本館の周辺はホテルが軒並み建ち、車の往来も激しく、ちっともよろしくない!
時間は遡るが道後温泉本館前で、14時にへんろ君(リンク:「走れ!快速へんろ」参照)と待ち合わせをした。彼は今、自転車での遍路マップをHPで作成していて、出来栄えは良く面白いコンテンツだ。お遍路基礎知識、自転車・モバイルの旅など2時間ほど話をした。
それでそれで、彼が常連リスナーのラジオ番組に1週間前「HP毎日更新しながら自転車日本一周している人が愛媛に来る」と推薦してくれて、なんとラジオに電話で生出演に今日決まった!オモシロそうだ!番組は南海放送(RNB,AM1116)『ルンルンコール』(21:05〜)だ。今日のテーマの「アンビリーバブルな人」という事でパーソナリティーの矢野さんから番組で僕の紹介があってから携帯に電話が掛かって来た。「軽いノリで」という事前の打ち合わせ通り、くだらない話を中心に喋り倒した。5分位の出演予定という事であったが10分近くなり、おそらくスタジオでは巻きが入っていたと思う。気分良かった!
裏話だが出演の45分ほど前にこれまた自転車で日本一周しているRIM☆君(リンク:「Rim☆'s World Entrance」参照)が僕の野宿予定公園に合流し酒盛りを始めてしまっていたのだ。だから、とても打ち合わせに忠実な軽いノリになったというわけなのだ。
『道後温泉の前でへんろ君とマドンナと』
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| 『走行』・・・1日の走行距離 『計』 ・・・後編開始(9/16〜)してからの走行距離 『総計』・・・日本一周(8/8〜)を開始してからの前後編を含む走行距離 『前編』・・・社会人時代の夏休み(前編8/8〜14)に、岐阜県可児市〜埼玉県大宮市まで(576.4Km)の旅 『後編』・・・旅人となって(笑)、9/16から再開した現在の旅 『@』 ・・・都道府県名の後の数字は、その都道府県での滞在日数を表します |