SCENE1 

 

 想い出はいつも雨の中。雨が降るたび、思い出す。そう言ったらおまえは怒るだろうか。あの日、俺の腕の中で、子供のように泣いたおまえ。濡れた細い金髪を顔に張り付かせ、すがるように俺を見た青い眼。捨てられた子犬のように心細げだった。

 


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 「おい!何をしてるんだ!」
冷たい雨のそぼ降るテルミナの街。傘も差さずに高台に立ちつくすイシトの腕を、捜しに来たカーシュが乱暴に掴んだ。
「風邪引くぞ!早くこっちに入れ。」
近くの家の軒下に、カーシュはイシトを引っ張り込んだ。イシトは、引っ張られるままにフラフラとカーシュの隣に立った。随分長いこと、雨の中に立っていたのだろう。全身びしょぬれで、濡れた髪は顔に張り付き、身体は小刻みに震えていた。
「何考えてんだ、おまえ!震えてんじゃねぇか。早く宿に行って、熱いシャワーでも浴びねぇと…。」
カーシュに怒鳴られ、イシトはゆっくりとカーシュの方を見た。雨のせいなのか、それとも、雨に隠れて泣いてでもいたのか、そのいつも冷静な青い眼には透明な水が溜まっていた。イシトは、一瞬哀しげな顔をしたが、すぐにうつむき、首を振った。
「いいんだ。ほっといてくれ。」
「馬鹿野郎っ。何言ってやがんだ!はい、そうですかって、ほっといて帰れっかよ!」
カーシュがイシトの両腕を掴んで、イシトを揺すった。イシトはうつむいたまま静かに言った。
「私は君の敵"パレポリの犬"だよ…。」
カーシュが、わずかに顔を赤くし、ムッとした顔をした。
「…確かにこないだはそう言ったが…今は一緒に行動する仲間だろうがっ。」
イシトは驚いたように顔を上げてカーシュを見た。カーシュはいよいよ照れたように顔を赤くした。
「とにかくっ、四の五の言ってねぇで、さっさと来い!」
カーシュは、テルミナの宿屋に取ってあった部屋にイシトを連れ帰った。セルジュは所用でアルニ村の自宅へ戻っていて、今、パーティーにはカーシュとイシトの二人だけだったのだ。
「まったく、出たまま戻って来ねぇから捜しに行ってみりゃ…何やってたんだよ?あんな雨だってぇのに。」
カーシュは口では悪態をつきながらも、タオルを出してきてイシトに投げつけた。自分も少し濡れた身体を手早く拭く。イシトは肩に掛かった投げつけられたタオルもそのままに、うつむいて立ちつくしていた。
「…おい!なんだよ。自分で拭けねぇのかよ。…ったく、手間ぁ取らせやがって…。」
カーシュはぶつぶつ言いながら、イシトの頭を乱暴にごしごしこすった。イシトは黙ってされるがままになっていた。冷えて震えているイシトの身体。
「…その濡れた服、脱いじまえよ。余計、冷えちまうぞ。」
カーシュは不機嫌そうに言った。だが、本当に怒っているわけではなかった。怒っているとすれば、敵のはずのこの男の世話を焼いてしまっている自分に対してだ。彼は、先程、雨の中でイシトを見つけたときから、自分の心が奇妙に波立つのを感じていた。自分の故郷テルミナを蹂躙したパレポリの軍人イシト。憎いと思った。初めて対峙したとき、思わず"パレポリの犬"と呼んだ。だが、今、目の前で心細げに震えているこの男を、彼は到底憎むことなど出来なかった。むしろ、庇護すべき存在に思えて、彼はそういう自分と、この状況に苛立っていた。
 イシトは、ようやくのろのろと濡れた服を脱ぎ始めた。冷えた手がうまく動かないのだろう、まだるっこしく感じるほどに、その動きは鈍かった。見かねて、カーシュがボタンを外すのを手伝う。だが、照れている彼は、わざと乱暴にイシトを扱った。
「…まったく、何で俺が…。」
カーシュはぶつぶつ言いながらイシトの服のボタンを外し終えると、ベッドに毛布を取りに行った。
毛布を持って振り向くと、そこには服を脱いだイシトの背中があった。それは軍人にしては色白でひどく華奢で、凍えて身を縮めているせいももちろんあるのだろうが、何とも頼りなげな後ろ姿だった。カーシュは何故かドキリとした。彼はまた顔が赤らむのを感じ、慌てて乱暴に、手にした毛布でイシトの身体を包み、ベッドに座らせた。イシトは毛布の中で小さく、子供のように見えた。カーシュは前に回り込んで、イシトの顔を覗き込んだ。
「さあて、聞かせてもらおうか。雨の中で、傘もささねぇで、いったい何してたんだ?」
イシトは困ったように眉を寄せうつむいていた。まだ身体が冷えているためなのだろう、額に掛かる髪が小刻みに震える。カーシュはフッと息を吐いた。
「だんまりかよ。これだけ世話ぁ焼かせたんだ。なんでもねぇなんて言わせねぇぜ。」
イシトはますます困ったように口ごもったが、やっと小声で呟くように言った。
「…ここで、私と二人でいるのは…君はいやだろう…。」
カーシュは目を見張った。
「俺!?俺のせいだってぇのか?おまえ…。」
イシトはうつむいたまま、ポツリと言った。
「テルミナは…きれいな街だ…。」
「おまえ…。」
カーシュは言葉を失った。イシトは自分を嫌っているだろうカーシュに気を遣って外へ出た。雨の中、傘も差さずに。そしてテルミナの街を見ていた。自分の国が占領してしまった美しい街を。その胸にあったのは何だったのか。哀しみか、悔恨か。命令とはいえ、他国を蹂躙した事への最悪感。その象徴が、カーシュに言われた"パレポリの犬"という言葉。それは突き刺さったままの棘。触るとチリチリ痛むのに、気になって触れずにいられない棘。イシトは苦しんでいた。愛国心と己の良心の狭間で。
「…済まねぇ…。」
カーシュが絞り出すように言った。彼には、もう分かっていた。自分には、もうイシトを憎む気がないことが。イシトの気遣いも、彼が苦しんでいることも、彼の漏らしたわずかな言葉で、カーシュは悟っていた。
「もう言わねぇよ、あんなこと。だから、もう気にしなくていいんだ。俺は…おまえを嫌っちゃいねぇよ…。」
イシトが顔を上げた。彼はさっきよりも震えていた。だが、それは何かをこらえているためのようで、彼は下唇をぎゅっと噛みしめていた。カーシュが思い出したように彼を気遣った。
「寒いんだろ?こんなに震えてるじゃねぇか…。」
イシトの忍耐も、それまでだった。彼の青い眼から滴があふれて落ちた。
「イシト…!」
カーシュが驚いて声を上げた。イシトは涙を見られたのを恥だと思ったのか、顔を赤くして、慌てて横を向いた。だが、カーシュの手が、イシトをつかまえた。カーシュはイシトを毛布ごと抱き締めるように抱え込んだ。
「悪かった…。おまえもつらかったんだよな…。悪かったよ…。」
カーシュは自分の腕の中で毛布に包まれ、涙をこらえて震えるイシトを、子供のように可愛いと思った。カーシュは子供をあやすようにポンポンと、その背中を軽く叩いた。イシトは、カーシュのその言葉に、声を殺して泣いていた。カーシュは思わず、その、まだ湿った金髪を撫でた。冷たい。カーシュは手を、イシトの頬に当てた。
「…こんなに冷えちまって…。馬鹿だな…おまえ…俺なんかにそんなに気を遣ってよ…。」
カーシュは毛布の中に手を差し入れ、冷え切ったイシトの背中を撫でた。もう一方の手も、背中に回す。少しでもイシトを暖めてやりたいと思った。イシトはカーシュの腕に包まれてじっとしていたが、やがてポツリと呟いた。
「…あったかいんだな…君は…。」
その言葉が合図だったかのように、カーシュはそのままイシトをベッドに押し倒した。イシトの冷たい頬に、自分の頬を押しつける。イシトの冷え切った胸に、カーシュの熱い胸が接する。イシトの震えは、次第に治まっていった。母親の腕の中で安心して眠る幼子のように、イシトは目を閉じ、カーシュの暖かさを、優しさを、身体いっぱいで感じていた。カーシュはまだ少し湿り気の残るイシトの頬を撫で、両手で挟み込んだ。イシトはその泣き濡れた青い瞳に、少し戸惑いの色を浮かべ、カーシュを見つめた。何故、この男は自分にこんなに優しくするのだろう。本来敵同士の自分に。カーシュに優しく暖かく包まれて、イシトは少しもいやではなかった。むしろ、その暖かさが刺さった棘をとかし、苦しくつらかった傷が癒されていくような気がした。だが、そういう自分に対する戸惑いが、イシトを少し不安な気持ちにもさせた。
「変だよな…俺…。」
お互いの戸惑いを、ついにカーシュが口にした。
「俺…さっきおまえを、あの雨の中で見つけたときから、なんか変なんだよ…。変だよな…。おまえ…いやだろ?俺に…こんな…。」
イシトも言った。
「私も変なんだろうな…。ずっとこうしていたいと思うなんて…。」
「え…。」
カーシュが驚いたように、改めてイシトの青い瞳を覗き込む。少し困ったように、わずかに苦笑するイシト。カーシュはイシトの額に掛かる前髪を右手で掬うように掻き上げ、そのままその手をイシトの頭の後ろに回し、撫でるように首筋の辺りに運んだ。そうして、イシトの首をそっとつかんでから、カーシュはゆっくりと顔を近付け、唇を重ねた。そっと触れるだけのキス。一瞬、驚いたようにピクリと強張ったイシトの身体。カーシュは慌てて、真っ赤に染まった顔を離した。
「怒るなよ!なんでかって訊くなよ!俺にもわかんねぇんだからな。」
イシトの頬も少し赤い。
「…じゃあ、私にも訊かないでくれ。」
イシトは腕を伸ばし、カーシュの頭を引き寄せた。再び重なる唇。優しくお互いのぬくもりを確かめるように。一旦離されたカーシュの唇は、イシトの頬を、額を、うなじを伝う。イシトはカーシュの背をそっと撫でる。そっと抱き締める…。
 違いすぎる二人。生まれも、性格も、属性も。それでも何かが、漠然とした何かが、きっと似ている二人。魂に色や形があるとしたら、きっとそれが似ているのかも知れない。

 

違う違う
全てが違う
同じ同じ
何かが同じ

何を求め さまよう?
何を欲し さすらう?
つかまえて欲しい
抱き留めて欲しい

それが同じ
きっと・・・

 

「…雨が止んだな。月が出てるぜ。」
「ああ、明日はいい天気になりそうだな。」
イシトがベッドの上に半身を起こし、大きく伸びをした。カーシュは、月光に照らされたその華奢な背中を複雑な思いで眺めていた。その、軍人と言うにはあまりにほっそりとした肢体が、ひととき自分の手の中にあった。うとうとと眠りながら、時折思い出したように抱き寄せると、彼は子供のように身体を丸めて自分に寄り添った。また、時には逆に、彼の方がカーシュの胸に頬を寄せた。どう言ったらいいのだろう。敵とも憎んだ間柄なのに。その身体を離したくないと思った。ずっと互いのぬくもりを確かめていたいと思った。この感情はなんなのだろう。カーシュはぼうっとイシトを見つめていた。イシトがその視線に気付いて振り返る。微笑をたたえて。
「なんだ?」
カーシュは顔が赤くなるのを感じ、慌ててごまかすように言った。
「あ…いや、風邪は大丈夫か?」
イシトが笑顔になる。
「ああ、おかげで大丈夫だったようだ。ありがとう、カーシュ。」
その、何かを吹っ切ったような爽やかな笑顔に、カーシュはますます顔が赤らむのを感じた。イシトが心配そうな顔をする。
「どうした?顔が赤いぞ。…まさか、君の方が風邪を引いたんじゃないだろうな。」
イシトの手が、カーシュの額に伸びる。そっと触れる。
「熱はなさそうだが・・・。」
カーシュはその手を引き寄せ、イシトを抱き締めた。乱暴に唇を奪う。これが夢でないことを確かめるように。イシトはカーシュの腕の中で黙ってキスを受ける。
「…怒ってるか…?」
照れくさそうに、カーシュが訊ねる。
「君こそ…後悔してるんじゃ…?」
イシトの言葉は、カーシュの唇に遮られた。少しだけ唇を離したカーシュが、不機嫌そうに言う。
「んなわけねぇだろ、馬鹿野郎…。」
イシトがホッとしたような笑顔を見せると、カーシュは彼に再び口づけた。そして、イシトの華奢な身体が壊れそうなほどに力を込めて抱き締めた。愛おしい。そうだ。この気持ちは、その言葉がふさわしい。愛している、でもない。好き、でもない。自分はイシトが愛おしい。この、生真面目で、優しい、敵国の軍人が。だが、カーシュはその気持ちとは裏腹に、乱暴にイシトの身体をベッドに引き倒した。反射的に起きあがろうとするイシトを、抱き締めてベッドに押しつける。唇を合わせたまま、カーシュはイシトの体中に手を這わせた。イシトの全てを知ろうとするかのように。意外にがっしりとした腕。細い腰。走り込み、鍛えられた脚。イシトはカーシュの首に手を回し、そこに留めておこうとする。だが、カーシュはそれを振り払い、その唇をイシトの首から胸に向けて、触れるか触れないかの微妙な間隔で移していった。
「あ…。」
カーシュの唇が、イシトの胸に目的のものを見つけ、それを含んだ。イシトの手が、カーシュの頭を掴む。
「カーシュ…だめだ…。」
カーシュが、自分を引き離そうとするイシトの腕を掴んで頭の両横に押さえつけた。
「何がだめだ。」
カーシュが、また少し乱暴にイシトの唇を塞ぐ。
「ん…。」
イシトが動けなくなる。カーシュがどうしようもないというように、イシトの耳元の辺りに顔をこすりつけた。
「イシト…イシト…俺は…。」
カーシュがまた激しく口づける。イシトは体中の力が抜けていくような気がした。本当は、こうしてカーシュに愛撫されているのがいやなのではない。ともすれば流されて、自分を失いそうになる。それが怖いのだ。カーシュの腕もカーシュの肩も、その背中も好きだ。ずっとこうしてその腕の中にいたいと、そう思ってしまうのが怖い。だが、カーシュの熱情に、イシトは流されつつあった。
彼は、もう、カーシュを押さえておくことが出来なかった。
「…カーシュ…!」
カーシュの手で果てた彼は、しばらく動けなかった。カーシュは優しくイシトを抱き締めた。イシトは、少し身体をずらして、自分の上に重なったカーシュをそっと横に降ろした。カーシュは手を伸ばして、イシトの金髪を撫でる。イシトはカーシュの上に重なるようにして口づけた。カーシュの頬に、耳元に、額に、髪に。
「イシト!おい、止せよ…。」
カーシュは、イシトが無理をしていると思ったのだろう。だが、イシトはカーシュの唇をそっと指先で撫でながら、唇を肩に、そして胸に移した。
「…君の胸は厚いな…。」
カーシュの胸に頬を押しつけ、指先でその辺りを撫でながら、イシトが呟いた。カーシュがその頭を何度も繰り返し撫でる。
「暖かくて…好きだ…。」
「イシト…。」
カーシュの鼓動が、頭を撫でる手の温かさがイシトを眠りに誘う。カーシュは、まもなくイシトの規則正しい小さな寝息を聞いた。自分の胸の上からそっと降ろして、その頬にキスをする。
「…ん…。」
イシトがわずかに目を開け、またすぐに眠りに落ちた。安心しきっているのだろう。カーシュはその寝顔を見つめ、微笑んで小さな溜息をついた。

 

 眩しい朝の陽光。カーシュが目を覚ますと、隣にイシトはいなかった。
「イシト?」
カーシュが慌てて起きあがる。キィッとドアの軋む音がした。振り向くと頭に載せたタオルで頭をゴシゴシしながら、イシトが入ってきた。
「おはよう。いい天気だ。」
カーシュはホッとした。だが、わざと不機嫌そうに言う。
「どこ行ってたんだ?」
イシトは笑った。彼はもう、カーシュのそういう物言いに慣れつつあった。
「シャワーを浴びてきたんだ。君も使うといい。さっぱりするよ。もうそろそろセルジュも帰ってくるだろうしね。」
カーシュは少し憮然とした。そうなのだ。セルジュが帰ってくる。カーシュはベッドを降りてシャワールームに向かった。
「はい、タオル。」
すれ違いざま、タオルを手渡したイシトの手を、カーシュはぐいっと引き寄せた。顔が近付く。どちらからともなく唇が触れ合う。だが、触れるだけだ。イシトは微笑んだ。
「早く済ませた方が良い。朝食を食べはぐってしまうよ。」
それはもう、いつもの冷静なイシトだった。昨日、濡れ鼠になって自分の腕の中で震えていたイシトではない。カーシュは少し苦笑した。
「おう。行って来らぁ。」
カーシュの後ろ姿を見送って、イシトは何故か可笑しかった。昨日、ほんの一日前は、ろくに口もきかなかったのに、自分とカーシュの間は一足飛びに近付いた。それが本当のところ、良いことなのか悪いことなのかは分からないが、彼は明るい朝の光の中、幸福だった。いつまで続く幸福なのか、今は考えない。彼は、昨日濡れた服を片付けながら、自分の背に当たる陽射しの暖かさをカーシュに似ていると思い、一人微笑んだ。

 

FINE

 

言い訳

今回は「アダルト指定を」(笑)ということで頑張ってみました。(おいおい・・・)
一作ごとに描写がパワーアップしているような気もしないではないですね。このままだと、どこまで行くか怖い気もします(苦笑)。
「ああ、もう、ネタがないよぉ〜。」と困っていたところへ久しぶりに雨が降りました。おかげでイメージが次々と出てきてくれて、これはSCENE3まで続く予定です。「雨」3部作。(何かのパロディみたいだぁ。)雨にまつわるカーシュとイシトの物語です。
今までの私のお話は世界が繋がっていたんですけど、もうそれでは限界なので、とりあえず、これは別になります。
次の雨では、どんなやりとりになるのでしょう。