雨
SCENE2 幼心
| 「じゃあ、あとでテルミナの宿屋で落ち合おう。」 イシトが微笑んで言うと、済まなそうにセルジュが言った。 「うん、ごめん。あとからすぐ行くから…。」 オパーサの浜。アルニ村に用があるというセルジュと別れ、イシトとカーシュはそこに残った。セルジュの姿が見えなくなると、カーシュは待ちかねたようにイシトを抱き寄せた。 「…止せよ、こんなところで…。」 イシトは、鬱陶しそうに眉を寄せ、カーシュの手を払った。カーシュは憮然とした顔をした。 「じゃあ、どこならいいってんだ。二人になれることだって、そうそうあることじゃないのに。」 イシトはわずかに顔を赤くして、少し下を向いた。 「…一緒にいるんだから、いいだろう。」 だが、カーシュはそんなことでは納得しない。 「そんなん、ありかよっ。俺はいやだぜ。そんなストイックなの。」 カーシュは、乱暴にイシトの頭を掴んで唇を奪った。イシトはすぐにカーシュを押しのけた。 「…まったく君は、節操のない…。」 あきれたように言って、重ねられた唇を拭うように、口元に腕を当てたイシトに、カーシュはふくれっ面をした。 「…いやなのかよ…。」 「…誰か、見るだろう…。」 照れたように顔を背けたイシトは、まだふくれているカーシュを横目で伺いながら、気を紛らわすように腰をかがめて小石を拾い、海に向かって掬うように投げた。小石は波の上を跳ねて、ぽーんぽーんと跳んだ。 「三段跳んだ!」 イシトが珍しく、子供のように歓声を上げた。 「懐かしいな。俺もガキん時は、よくやったもんだぜ。」 カーシュも笑顔になり、小石を拾った。 「うん、こういうのがよく跳ぶんだ。」 カーシュが投げた石は丁度凪いだ海面を、滑るように跳んだ。 「よっしゃ!四段!」 カーシュは、どうだ、と言うようにイシトの方を見た。イシトは無言で、また小石を投じた。今度はイシトも四段跳んだ。イシトは笑いを含んだ視線をカーシュに向けた。カーシュは口をへの字に曲げた。カーシュは、また平べったい石を選んで拾う。今度は五段。カーシュがイシトを振り向くと、イシトも小石を投げたところだった。1.2.3.4.5。五段。カーシュがムッとした顔をし、とうとうイシトは腹を抱えて笑い出した。 「…クック…。ほんとに子供みたいだな、君は。」 カーシュが、また口をとがらす。 「最初に始めたのは、おまえの方だろうがっ。」 イシトがまた笑う。 「ムキになるところが、子供だって言ってるんだ。」 「チェッ。」 さすがにカーシュに、返す言葉はない。彼は額に手をかざして沖の方を眺めた。青い空に白い入道雲。穏やかな波。今にもどこかから子供達の歓声が聞こえてきそうなのだが、このオパーサの浜は、かつてセルジュが溺れて以来遊泳禁止になっていて、普段は人が近付かない場所になっていた。 「…なぁ、子供の頃、他にはどんな遊びをした?」 ふくれっ面のままのカーシュに、取りなすようにイシトが声を掛けた。カーシュはゆっくりと思い出すように振り向いた。 「んー、そうだな、チャンバラとか。あとは秘密基地ごっこだろ?お決まりの遊びさ。男の子なら、だいたいみんなそんなもんだろ。」 イシトも、顎の辺りに手を当て、少し首を傾げて微笑んだ。 「そうだな…。私はチャンバラはしなかったが、代わりにおもちゃのガンで軍隊ごっことか…。近くの洞窟を探検したりもしたな。」 カーシュがにわかに目を輝かせた。 「探検!そうだよ。やっぱ、そういうのがおもしろかったよなぁ。冒険者ごっことか。…なぁ、トカゲ岩、行ってみないか?あそこ、洞窟が変な具合に繋がってたりして、結構おもしれぇんだ。」 イシトは少し苦笑した。カーシュの子供心を、更に刺激してしまったらしい。だが、先程カーシュの機嫌を損ねたばかりなので、彼は仕方なさそうに頷いた。冒険。確かに心躍る言葉だ。男の子なら、きっと夢見る。世界中を探検して歩くこと。だが、すでに彼らは少年ではない。しかも現実の中で、かつての想像を優に超えた戦いを強いられている。そんなときだからこそ、カーシュは今ひととき、童心に還ろうとしているのかも知れなかった。二人は、トカゲ岩に向かって歩き始めた。 「…同じ国に生まれて、子供の頃に出会っていたら…どうだったろうな、私たちは…。」 イシトが歩きながら、少しうつむいた。カーシュは、足元の小石を歩きながら拾った。顔を上げたカーシュは、わざと口元をへの字に曲げ、笑って見せた。 「へっ、同じに決まってるさ。」 カーシュはちょっと立ち止まって、手にした小石を海に向かって投げた。ポーンポーンと見事に跳ねる、その軌跡をカーシュは目で追った。 「同じだよ。きっと。俺とおまえは…。ま、最初はちょっと、ケンカするかも知れねぇけどよ。」 カーシュはイシトを振り向いて笑った。イシトも笑い返した。 「…そうだな。一度や二度は、とっくみあいのケンカをするかもな。」 「そしたら、勝つのは俺だな!」 カーシュはいつものように豪快に笑った。イシトはクスリと笑って、小声で言った。 「…勝つ手はいろいろあるからね…。」 「ん?」 カーシュがイシトに向き直ったとき、遠くで雷鳴が轟いた。さっきまでよく晴れていた空は、急に墨を流したように黒く染まり始めていた。なま暖かい風が強く吹き始めた。夕立が近いのだ。 「いけねぇ。雨になりそうだ。おい、トカゲ岩まで走るぞ!」 カーシュは言うが早いか、走り出した。トカゲ岩には洞窟がある。そこなら雨をしのげそうだった。イシトも慌てて走り出した。 |
| 「ふーっ、ひでぇ。」 あと少しでトカゲ岩の洞窟、という所で、雨はとうとう降り出した。土砂降りだ。カーシュは犬か何かのように頭を振って、身体の水滴を払った。イシトは濡れた上着を脱いでバタバタと振った。 いつの間にかイシトのすぐ後ろに来ていたカーシュが、イシトの濡れて額に張り付いた髪をくしゃくしゃと撫でた。 「止せよ!」 振り向いたイシトを、カーシュは抱き締めた。待ちかねたキスをする。深く、激しく。だが、イシトはまだ抵抗する。カ−シュが苦笑する。 「なんだよ。ここならいいだろ?こんな雨の中、誰も来っこねぇし。」 イシトの背けた顔が赤い。 「そういう問題じゃない!…君は、自分勝手だ。」 カーシュはお構いなしにイシトを抱き締める。額に、頬に、耳元にキスをする。その手がイシトの肩を、背を、腰を撫でる。イシトは渾身の力を振り絞ってカーシュを振り払った。 「何が気にいらねぇんだよ…。」 カーシュが少しムッとする。イシトは少し離れた場所に立ち、彼の癖なのだろう、大きな溜息をついて腰に手を当て、下を向いた。洞窟に、激しく打ち付ける雨音だけが響く。本当のところ、イシトはカーシュに抱かれるのがいやなのではない。ただ、それを易々と許してしまいそうになる自分がいやなのだ。 「…私は…一人で立っていたいんだ…。」 カーシュが意外そうな顔をする。イシトは顔を上げ、カーシュを見た。 「君がいやなんじゃない。私は…君を頼ってしまうのが、寄りかかってしまうのがいやなんだ。一人で、自分だけで、きちんと立っていたい。自分の足で、支えも無しで、地に足をつけて、立っていたいんだよ。」 カーシュは首を傾げた。 「…立ってんじゃねぇのか?ちゃんと。…俺はおまえを尊重してるつもりだし…俺がおまえを…その、なんだ…えーと、抱きたいって思うのは…おまえを…いや、おまえと…。うーっ、うまく言えねぇけど、ただ、その、おまえと俺とが出会って、今、ここにいるって、確かめ合いたいって思うからで…。」 カーシュは話しているうちに真っ赤になって、話す言葉はしどろもどろになってしまった。だが、イシトは小さく笑って頷いた。カーシュの一生懸命な気持ちが、彼にはうれしかった。 「分かってる。君の気持ちは…。」 カーシュはホッとしたようにフッと息を吐き、照れくさそうに微笑んだ。そして、そっとイシトの肩に手を掛ける。 「俺は、いつものように俺を突っぱねるおまえも好きだぜ。いや、そういうおまえだから好きなんだ。」 イシトは苦笑した。そんな風に言われては、彼ももう、拒み続けることなど出来なかった。 「…でもなぁ…ここ、岩で痛そうだし…。」 呟いたイシトの言葉に、カーシュがうれしそうな顔をした。 「そんなん、大丈夫だって。」 イシトが下を向いて、軽く溜息をついてみせる。 「いやだ。君は乱暴だから。」 カーシュは少しふくれて辺りを見回した。少し奥の方に、砂地になっている場所を見つけ、カーシュはそこに立った。 「ここなら砂地だぜ。」 イシトが少し顔を赤らめて、困ったような顔をする。 「ここなら…いいんだろ?」 カーシュがニヤニヤする。イシトは少し口をとがらせ目を反らした。 「来いよ…。」 カーシュがその砂地にどっかりと腰を下ろしてイシトを見つめた。イシトはそんなカーシュをチラリと横目で見たが、素知らぬ風を装って腰に手を当てて下を向いた。 「…ここへ来いよ。」 カーシュがじっとイシトを見つめる。イシトは腰に手を当てたまま大きく溜息をつき、顔を上げてカーシュを見た。彼は、今度は諦めたようにフッと小さく息を吐き、そちらへ歩み寄った。カーシュの前に来ると、イシトは腰をかがめてカーシュの肩に手を載せた。そのままゆっくりと顔を近付けていく。唇が触れると、イシトを抱き寄せ引き倒そうとするカーシュの力を利用して、イシトは逆にカーシュの上に乗るようにして押し倒した。それまでの様々な想いをぶつけるような激しいキスをする。カーシュは、そんなイシトに少し戸惑いながらも彼を抱き締めた。だが、身体をずらし、イシトの上に重なろうとした彼は、思いがけない痛みに襲われ、声を上げた。 「っっつ!」 カーシュの頭の両側に手をついて、少し身体を離したイシトがクスクスと笑う。彼の手の下には、カーシュの長い髪が押さえ込まれていた。カーシュが動こうとすると、髪が引っ張られてかなり痛むのだ。 「おい、手!手ぇ、離せよ。痛ぇよ。」 だが、イシトは相変わらずクスクス笑い続けている。 「だめだ。君は、すぐ過激なことをするから。」 どうやらイシトは、最初からそれが狙いだったらしい。彼はカーシュを押さえ込んだまま、軽くその額にキスをした。 「こんな事して、過激なのはどっちだ!」 カーシュはジタバタするが、頭は動かせない。イシトは笑いながらカーシュの耳元にキスした。 「大人しくしてろよ…。じっとしてれば痛くないから。」 イシトは改めてカーシュの髪の束を片手にまとめて押さえ込むと、空いた手をカーシュの胸元に入れた。唇で、カーシュの口を塞ぐ。 「う…。」 カーシュが声を漏らす。イシトは今度は唇をカーシュのうなじに這わせた。胸元にあった手は、更に下の方へ向かって撫でていく。 「…イシト…。」 カーシュが、自分の胸元に唇を寄せるイシトの頭を抱く。イシトがカーシュの身体をまさぐる。 「…うっ…イシト!」 ぐったりと目を閉じたカーシュに、イシトがそっと口づけた。とっくに髪を押さえた手は離していたのだが、カーシュはそれさえ気付かずにいたらしい。うっすらと目を開けたカーシュは、ギュッとイシトを抱き締めた。 「…なんだよ…嫌がってたくせに…。」 カーシュはイシトの上にのしかかるようにして、その耳元に囁いた。イシトは、またクスクス笑った。だが、カーシュの唇が自分のうなじをなぞり、その手が胸のボタンを外し始めると、笑いは消えた。 「カーシュ!もういいだろ。止せよ。」 イシトは身をよじった。だが、今度はカーシュがクスクス笑った。 「甘いな、イシト。俺がそうしたいんだ…いいだろ?」 イシトは観念したように苦笑し、身体の力を抜いた。 |
| 雨の音が響く。洞窟の入り口で、溜まった滴が落ちる音がする。降り込められて、静まりかえった洞窟。入り口に立って外の様子を窺っていたイシトが、中のカーシュを振り返る。 「向こうの方に青空が見えてきた。そろそろやむだろう。」 カーシュが歩み寄り、その隣に立つ。 「ああ、思ったより長い夕立だったな。」 二人は顔を見合わせ、クスッと笑った。 |
少し離れて立つ二人。それぞれに、足を踏みしめて。
FINE
| 言い訳 雨3部作の2つ目です。 では、次の雨を待ちましょうか。 |